舞台「ラビリンス」二次創作・前
『アナザー・ラビリンス』第二話
七年前、マコーレイが十三歳になったある晩、寝室に黒い装束の美しい男が現れた。こんな激しい嵐の夜に、男はどこからやって来たのか?
マコーレイは不思議に思ったが、疑う事すら知らない無垢な表情で男に問う。
「今晩は、貴方は……どなたですか?」
「今晩は、初めましてマコーレイ・ガイウス。私はヴォルフガング・アーガトン・シュヴァルツと申します。一昨年、男爵の位を継承しました。どうぞお見知り置きを」
優雅な振る舞いでお辞儀をして、ベッドに横たわるマコーレイの方へ近寄って来る。
「シュヴァルツさん、何故こんな嵐の晩に僕の部屋に来られたのですか?」
近寄った男の顔に灯りを近づけると、静謐で理知的な整った容姿をしている。
その瞳は碧く美しいのに、ふとした瞬間に朱赤に光を帯びるのだ。
それが酷く美しいと感じたマコーレイは、更にシュヴァルツに近づこうと、上半身を起こしてベッドを降りようとしたが、彼は手の平をかざしてそれを制止する。
「どうぞ、そのままで」
「貴方はお父様のご友人ですか? この館の中で迷って、僕の部屋に入って来られたのでしょう?」
「いいえ、私は貴方のお母様であるルクレチアとの約束で、こちらに参りました」
シュヴァルツは、マコーレイのベッドの端に腰を掛け、マコーレイの頭を愛おしそうに撫でる。
「お母様が亡くなって九年も経つのに……、お母様とは、どんな約束をされたのですか?」
亡くなった母の友人と知り、マコーレイはシュヴァルツの事が知りたくて仕方なくなってしまう。
思わずシュヴァルツの上着を軽く掴むと、彼は気分が悪くなったように顔を背けてしまった。
「いずれ、その時が来たら貴方のお母様と私の物語を話して差し上げます。ですが今はその時では有りません。……く……ッ!」
「シュヴァルツさん?」
先ほど自分の頭を撫でてくれた手の平が黒く変色し、シュヴァルツは苦痛のうめき声を漏らした。
「くぅぅッ! ……ああ! こんなに愛らしい貴方に触れることすら叶わないとは、神はなんと残酷な宿命を私たち二人に科せられたのか!」
「……どうなさったのですか?」
「マコーレイ……、どうか…私を助けて下さい」
弱りきった瞳で語り掛けられて、マコーレイは彼を気の毒に思い、瞳を覗きこんで頷いた。
「どうすれば良いのか教えて下さい」
「この部屋に、銀のナイフはありますか?」
「はい、机の抽斗から取って来ます」
マコーレイは言われたとおり、銀のナイフを文机の抽斗から探し出して、シュヴァルツの元へと戻る。
彼はこのナイフでどうしようと言うのだろう?
もしかしたら男爵というのは偽りで、彼が盗人だとしたら大変な事になりはしないか?
一瞬、迷いが生じたが、シュヴァルツを見ると優雅なその姿に惚れ惚れするばかりで、ケチな盗人には到底見えない。
しかも黒く変色した手が激しく痛むのか、苦しそうに身体を屈めて、こちらに危害を加える様子もない。
「私には酷い金属アレルギーがあり、銀製品に触れることは出来ません。ですからそのナイフで、私の手の平に切り傷を与えて下さい」
「えっ? 僕が貴方の手の平に……切り傷を与えるのですか?」
思わず言われた言葉を復唱してシュヴァルツを見ると、彼は真剣な眼差しで“お願いします”と、頼んで来る。
マコーレイはこれまで、人を傷つけて怪我を負わせたことが一度も無かったため、何故そんな事をしなくてはならないのかと、疑問を持たずにはいられなかった。
「これには深い理由があるのです。……時が満ちた時、全てをお話しすると約束します。ですから今は私の願う通りに」
シュヴァルツに真摯な瞳で頼まれてしまい、マコーレイはいよいよ追い込まれる。
意を決して銀のナイフを力強く握りしめると、シュヴァルツの手に切っ先を押しあてて、そのまま一気に引き抜いた。その途端、シュヴァルツの手の平から鮮血が溢れ出す。
「わあぁぁ! どうしよう? ……ごめんなさい。血がいっぱい……どうしよう……!」
マコーレイは慌てふためいて、シルクレースのベッドカバーで溢れ出した血を拭こうとしたが、シュヴァルツによって阻止される。
「感謝しますマコーレイ。……ほら御覧なさい、黒かった私の手が、すっかり元通りになったでしょう? 心配しなくても大丈夫です。切り傷が派手に見えたとしても、痛みは一切感じていませんから。」
目の前にシュヴァルツの白い手がかざされたが、その手よりも流れる赤い血にマコーレイの視線は釘づけになった。
心臓がドクン、ドクン、と強く脈打ち、身体の奥から得体の知れない何かが突き破って出て来るような感覚に、足がガクガク震えてくる。
その様子に気付いたシュヴァルツが、今までとまったく違う笑顔を見せた。それは、幼い頃に母親から聞かされた“お伽噺”に出て来る【死神】のようだと思った。
「……貴方は、誰?」
「私はシュヴァルツです。怖がらないで、マコーレイ。私たちは永久に共に過ごす運命なのです」
腕を拡げて微笑む彼の顔に、マコーレイは吸い寄せられるように歩み寄る。
怖い、行きたくない。
頭ではそう思っているのに、身体が言う事を聞かない。何かの魔術に掛けられたようにシュヴァルツの腕の中に納まってしまう。
「……僕をお母様のところに連れて行ってくれるの?」
「クッ……フフフフ、ハハハハハッ! 可愛いマコーレイ、貴方がそう望んでもその願いは叶えてあげられません。……それどころか、貴方を小指の先ほど傷つけることさえも、私には出来ないのですよ」
マコーレイはベッドに横たえられて、シュヴァルツの口づけを待っているかのように顎先が上げられた。
シュヴァルツの手から溢れる血は、床もベッドカバーも汚すことがなく、まるで意思を持っているかのように、彼の手首に巻きついている。
それはまるで、ルビーをいくつも繋げたネックレスのようにも見える。
半透明のザクロの実のように紅い光りを放ち、人間の血液とはまるで違うもののようだった。
「綺麗……」
先ほど感じた恐怖は薄れ、マコーレイはただその紅い光に見惚れていた。
見ていると無性に喉が渇いてくる。
その紅い宝石は甘いのか、それとも木苺のように瑞々しい酸味に溢れているのか?
おのずと喉を鳴らして唾を嚥下し、恍惚とした渇きに支配される。
そんなマコーレイの様子を見て、シュヴァルツは満足げに目を細めた。
「味わってみますか?」
マコーレイは返事をする代わりに、静かに唇を開いて赤い舌先を突き出した。
シュヴァルツはニッコリと美しい微笑みを浮かべて、指先から血液をマコーレイの舌先に落とす。
その滴り落ちた雫が舌に触れた途端、頭の芯がボゥっと紅くなるような感覚を感じて、マコーレイはシュヴァルツの手についた血を、猫のように舌を突き出して舐めまわした。
「美味しい……」
自分の舌が触れたところが紫色に変色したが、それにも構わずマコーレイは夢中になって彼の血を飲んだ。マコーレイの唇はシュヴァルツの血で紅く染まり、果物のように僅かな甘い香りを放っていた。
その血を舐め取るように、マコーレイの唇にシュヴァルツの唇が重ねられる。
「ン……、貴方の唇は……ルクレチアよりも……罪の香りが強い」
シュヴァルツの瞳からは歓喜の涙が零れていたが、マコーレイが触れた唇の周りは、醜く爛れてしまう。
「僕が触れると……貴方は壊れてしまうのですか?」
初めて知る恐怖と興奮、安寧の混ざり合った感覚に戸惑いつつも、マコーレイはそれが哀しくて苦しいことだと感じた。これではまるで、自分が病原菌にでもなってしまったみたいだと、胸がひどく痛んでくる。
今にも泣き出しそうなマコーレイに、シュヴァルツは優しい笑顔を向けてくる。
「ええ、でもきっと大丈夫です。私たちの血は貴方の身体の中で融合し、私たちは“番”として互いに無くてはならない存在となるのです。」
「 “番”とは……なんですか?」
「いずれ、知る時が来るでしょう。その日が来るまで、私を覚えていてくださいね。」
シュヴァルツに抱き起こされると、喉元を晒すように身体を反らされる。
そして次の瞬間、シュヴァルツがマコーレイの白い首筋に牙を立てた。
「あぁぁッ! 何を……?」
突然の出来事に驚きつつも、僅かな痛みよりも身体の最奥の強い喜びを感じて、マコーレイはただ背中をのけ反らせ、シュヴァルツの背中に腕を回した。
「貴方は……私と……彼女の……《夢の結晶》なのです……。」
低く甘い囁きを直に耳に注ぎ込まれると、マコーレイはビクンと身体を震わせてシュヴァルツのタキシードをギュッと握りしめた。
母親以外の誰からも、こんなに熱い抱擁を受けた事が無かったマコーレイは、それを嬉しいと感じ、ただ恍惚とシュヴァルツに抱き締められる感覚を味わおうとしてしまう。
さらにシュヴァルツの牙が、再びマコーレイの首の付け根に喰い込むと、掻痒感に似た快感が全身を包み込んで、小さく痙攣するようにヒクヒクと身体を震わせた。
「あッ……あぁ……ああッ、……貴方は、何?」
美しくて怖い、魔性の生き物……だけど、抗うことさえ出来ないくらいに惹かれてしまう。
初めて味わうこの感覚は、何なのだろう?
シュヴァルツの指がマコーレイの寝衣を掻き分け、未開拓のまま兆しを見せた、敏感な部分に触れて来る。
「再び私と出会う時まで、ここを誰にも触れさせないで下さい。絶対に肉体を穢してはなりません。」
言われた意味はよく理解できなかったが、シュヴァルツが再び自分に会いに来てくれる事が分かり、マコーレイは嬉しくなって大きく頷いた。
次の日の朝目覚めると、シュヴァルツが訪れた痕跡は一切残されておらず、彼の腕の温もりを思い出した途端マコーレイは、えも言われぬ寂しさを感じた。
しかし不快な感覚に気付いて寝衣を覗くと、粘ついた白濁液で下半身を汚してしまっている事に気付く。
「何……? 僕、どうしたんだろう……。」
マコーレイにとって、それが初めての夢精であった。
マコーレイは急激に強い羞恥心に襲われ、その出来事を家族や周りの誰にも話すことが出来なかった。
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