2012年03月23日 12時30分00秒 posted by uruseiblog

生命の科学 VOL69

テーマ:ブログ

BGMはジョンレノンの”リアルラブ”


この曲はジョンが死んだ後に他の三人のメンバーが
ジョンの生前に録音したテープを元に
ビートルズの新曲として発表したもので


(もう一曲がフリー・アズ・ア・バード)


三人のメンバーはレコーディングしながら


「これこそビートルズだ」と
語ったそうです。


リアルタイムのビートルズを知らない世代でもある私にしてみれば
ジョンが生きている状態での再結成を見たかったです。


彼らが例えタビストック研究所により
当時のアダムスキーとスペースブラザーズ
隠蔽のために担ぎ出された神輿であったとしても


私はビートルズを嫌いにはなれないのです。


そしてジョンレノンはその後は闇政府と対峙して
愛と平和を私達に繰り返し語ってくれた。


いつかジョンとも会えるような
そんな気がしています。


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昨日はパプアニューギニアで大きめの地震。

    
21-MAR-2012 22:15:05 -6.24 145.96 ”6.7” 105.9 NEW GUINEA, PAPUA NEW GUINEA


もう少し先日までのエネルギーが残っているような気もしますが。。


日本と殆ど同じ経度の地域で頻繁に地震が起きていることが
気に入らないのです。


http://www.iris.edu/seismon/


マスコミが”太陽風”を取り上げては
それを気象変動と地震の原因にしているのを見て
はらわたが煮えくり返る思いでした。


したり顔の専門家が出てきては大嘘をつく。
そして一般市民はだまされるのでしょうか。


2012年の地球崩壊で
人々の恐怖心を煽っている様に見えました。


太陽に起きていることは
磁極の逆転の影響がだんだん大きくなっていると言うのが真実。


始まりは1930年代後半もしくは
1940年代冒頭にブラザーズだけでなくて
地球上でも観測認識されているはずの事実です。


長い目でみればそれは遠い将来の
太陽系の終焉への序章であり


今現在の地球規模の異常現象とは
また別の話です。


今の地球規模の気象・地殻変動の原因は
地球の26000年の周期によるものと


サンヘドリン傀儡の電磁波技術による
人工地震や人工気象変動の両方によるだと思います。


そっくりそのまま全てを自然現象に仕立て上げることで
HAARP技術を都合よく使い放題の社会など


少なくとも私は見て見ぬ振りなど出来ません。



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思考能力を落としまくっている上に
血糖値も下がっているので

脳の機能はどんどんと低下しているようです。


今日は金曜と言うこともあり、
件の工作員や彼と同じような意識を持った人間たちが
集まってきているようです。


平和な日本社会など存在していない事も
この人間達が放置されている実態を見ていて
とても良くわかります。


昨日はフジテレビで太陽風が地震の原因となると言う
大嘘を目にして気分が悪くなり
頭も疲れていたこともあり早々と寝ました。


腸内の異物確保と私を苛つかせる事に余念の無い
工作員達の悪意を感じながら、


やはり悪魔なる存在は人間が作り上げたものであり
人間の中にこそ存在するのだということを
しみじみと感じていました。


怒りの想念であろうが憎しみの想念であろうが殺意であろうが
正常な一般人の意識として他人に危害を加えるほど
増幅することは通常は有り得ません。


今朝は朝から異物確保の照射と
人工痰の元を撒かれては異物に関与され続けているようです。


低周波の影響なのか身体が頻繁に振動し続けてもいます。


不安など感じる必要もありませんが
正常な日本が戻ることも夢のまた夢。


人工地震を隠蔽するその一方で
身体への関与のための科学力が
未だに改良され続けているのですから


この人間達は今後も堂々と
これを使用し続けるであろう事も想像がつくからです。


そして最近頻繁なのは
組織的犯罪を科学力の関与、電磁波と切り離そうとする
工作員の動き。


彼らの性根はもはや一般の正常な人間の物ではないと判断しました。


それが洗脳の処方であろうが思想や価値観であろうが
彼らは人間としてあるべき姿から
遠くかけ離れた人間のようです。


昨日も昼間に妻宛に室内で生命の科学を録音していたのですが
その間も脳への刺激で思考能力低下や
言語中枢への関与も続いていました。


ユダヤ様はとても都合の良い人間達を
仲間にしたものだとつくづく感じていました。


嘘ばかりがまかり通る社会。


そして悪意の連携が行動の基礎となっている社会。


以前改善される気配の見せないその流れに
この社会の地獄化が促進しているようにさえ見えました。


同じ人間として生まれながら
持っている意識は本来人間あるべき意識とかけ離れていて


法を守っていれば何をしてもかまわない、
証拠が無ければ何をしてもかまわないと言う意識が
そこいら中に蔓延っているような気もしていました。


触れたところで何も変わることが無いのは判っていても
触れずにいられませんでした。

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今日もアダムスキー
”21世紀生命の科学”からの引用です。

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【万物のあらゆる行動は宇宙に記録される】


個人としての貴方は、
今生においてさえ多くの体験の中の一構成単位です。


個人の貴方は各変化が次々と以前の変化を吸収しなが
無数の化学的変化を経てきました。


それゆえ貴方の宇宙的な本体
すなわち個性体は永遠に分裂しません。


貴方の生命の連続した各段階は貴方の誕生時から現在までの
各段階が具体化したものでした。


貴方が一肉体中にはらまれた日から今日までのあらゆる脈搏は
”宇宙の記録”の中に記憶されています。


いかなる脈搏や行為もその”記録”から除外されてはいません。


あなたの肉体は今世において
二十年ないし九十年の記録を保つでしょうが


それは永遠という流れの中では
一秒の千分の一ほどの時間でもありません。


ところが貴方はこの地上の時間の毎秒を数えています。


一方、毎秒刻々と何かのフォーム(形あるもの)が
耐えず新生しているのです。


そして毎秒は貴方を現在の時点にもたらした
これまでのあらゆる瞬間を吸収しています。


しかし心はこんな風に考えたりはしません。


けれども心が意識と一体化すれば、それはこれまでの生活に起こった
変化のすべてを再び見ることができるのです。


しかも一瞬足りと言えども本人は自己の本体を
分離させてはいません。


しかし心または個性は自分が何であるかと言う事に
気づかないために何度も迷っています。


個性というものは一生涯において何度も変化しますが


そのことは異なる年齢時に撮影した自分の写真が
現在の自分とは似ても似つかない場合があることでわかります。


だがそれでもなお、
本人の意識は元と同じままに存続しているのです。

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私達の悲劇は、
自分達の存在をこの生限りの存在であると
考えていることだ思います。


少なくとも輪廻転生を信じる事が出来ない人にとって
この人生はたった一度きりの人生ですし


この今の人生が全てであると思えばこそ
肉体に執着しては、この生を生き長らえようとも
考えることになります。


そして私達の社会はまさにそのような価値観を前提に
作り上げられてきました。


たった一度の人生だから
私達はこの世で楽しいこと、心が心地良いと感じることを中心に
色々な事を楽しみたいとも考えるようになります。


そしてそれを実現するために
この社会で必要なのは時間とお金なのです。


多くの楽しみを体験するには時間が必要です。


そして楽しいと感じる事は皆
この社会ではお金も掛かります。


結果、お金と余暇とを天秤にかけては
出来るだけ心地良い行動をとろうと思考し行動する事にもなります。


経済学の”消費者行動”などは
まさにその事を前提として出来上がっている理論です。


そして私達はまさにその通りの行動をとるような
存在になっているのです。


それが全ての悲劇の始まりなのだと思います。


私達の認識している人生は80年程度の短いものです。


それは私達の心が作り上げた誤った価値観ですし
真理ではありません。


しかしその誤った真理を正しいと信じているからこそ
私達はその短い人生を生き急ぐ事にもなります。


この社会ではやりたい事が沢山あっても
時間的な制約があります。


時間があっても今度は更には経済的制約もあります。


そしてこの社会の中では単に生きているだけでも
お金が必要となります。


結果、労働は必須ですし、
労働と言えるものに従事出来ない状況にあっても
何らかの方法でお金を手に入れる事を要求されます。


そんな事にばかり気を捕られているうちに
私達は自らの心ばかりを使用しては
心が作りあげた価値観にばかり囚われる様にもなります。


そして心が主張する”たった一度の人生”の中で
報われたいとも考える様に成るのだと思います。


でも、もしも私達が精神の囁きに気が付いて
今現在の自分なる存在が、永遠を生き続けているうちの
ほんの一瞬の表現にしか過ぎないと言う事に気が付けば、


この80年と言う人生は
星の瞬き程度の時間であると言うことに
気が付くことが出来れば、


私達は大きく価値観をも変える事が出来るのだと思います。


生き急ぐことは無い。


自分の魂は永遠を生きている。


そしてこの生はその中のほんの一瞬にしか過ぎない。


そう考える事が出来れば
私達は何も恐れる事もなくなりますし
何事にも囚われて思い悩むこともなくなるのです。


私達を束縛しているのは
例えば限りある人生の中での老化や肉体の不健康。


それらは私達が望む心地良い体験や
楽しい体験の妨げになりますし
自分の人生の終わりを感じさせるものだからです。


私達が病や老化を恐れるのも、さまざまな事を恐怖するのも
そこに死の気配を感じるからだと思います。


一度きりの人生だと思い込んでいるわけですから
死は人生の終焉を意味します。


だからこそ私達は結果的に死を連想させるものに対して
不安や恐怖と言う意識を持つ事になるはずです。


そしてこの不安や恐怖こそが私達の行動を制約し
心の価値観に私達を束縛しているものだと思います。


私達の心が理解している私達の姿、
心が認識している私達の経験は
子供の頃から今に至る時間の積み重ねです。


でもアダムスキーがここで触れている通り
今のこの人生は、私達の長い人生の中の
ほんの一瞬でもあるのです。


その一瞬を全てであると思い込んで
その中で精神の存在を自覚できなくなるほど
心に踊らされて暮らしている存在。


そう考えれば
私達が一番最初にすべきことは何なのかが
見えてくると思います。


自分と言う存在の本当の実態を理解すること。


結果的には神の法則を理解する事になると思います。


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今、私達が持っている肉体は
この生で与えられた元素の集まりであり
今回限りの神のフォームです。


生まれ変わるたびにその姿も異なれば、
それを構成している元素も
以前の肉体で使用されていたものとは勿論異なります。


しかし私達は無自覚なだけで
延々と持ち続けている物があります。


精神と、それに繋がっているであろう私達の心です。


肉体を持った状態で
心だけが肉体に反映されているのが私達地球の人間の実情ですが


私達の精神と心(自由意志)は
過去から延々と全ての時代を生きて来て
その過去の積み重ねとして存在しています。


私達がDNAと呼んでいる遺伝情報も
過去からの生命の体験と記憶の積み重ねである事は
以前の講義で学びました。


人間の肉体の進化はDNAと言う形で
肉体の細胞に過去からの記憶を積み重ねてきました。


それは肉体の進化であり、
肉体を指導するのは精神でもありますから


私達の精神の進化と肉体の進化は
無縁ではないはずなのです。


そしてアダムスキーはここでは私達の精神が
長い時を延々と吸収しては成長し
今を生きている存在であることに触れています。


その中での変化は
私達がこの生で体験する子供から老人になるまでの80年の人生の記録であり
永遠の人生を直線で表現すれば
其の中のほんの”点”程度の物にしか過ぎないはずです。


私達が精神を感じることが出来ずに居るために

白紙となった心を使用しては
精神からその過去の記憶を呼び戻す事が出来ないで居るだけで


私達はありとあらゆる時代を
この精神と心を持って体験し続けてきたはずなのです。


私達のありとあらゆる体験が神の意識の中には
全て刻まれているとアダムスキーは触れています。


私達の人生は一瞬の鼓動さえ、
全ては精神を通じてアカシックレコードに記録されているのです。


私達の精神と心は過去の積み重ねの上に存在していて
それをもって私達を導くべき存在なのだと思います。


私達が過去の全てを忘れていようとも
精神は常に自分を自分であると認識し続けていて
その意識は途切れる事は無いのです。


そして私達のこの世界は
神の予定の元に進化し続けているのだと言います。


そこでは当然私達の精神も
同様の進化を求められることになるはずです。


今この瞬間も精神と心、更には私達の肉体の進化は続いていて
今の私達の肉体や心や精神はその進化の先に存在している。。


私達はいずれその事を理解する事になるのだと思います。

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P.S.

アダムスキーとは別の例えをして見ます。


動いている人間を撮影したときに
それをストロボ撮影すると

それぞれ同じ人間が別の動作で映し出される事になります。


その一枚一枚が私達の一度の転生での人生だと
考えれば良いのだと思います。


動作は徐々に変化していますが
映っている実態としての人間は同じ存在です。


動作の変化をその時々の私達の肉体の表現(器の姿)と考えて
映っている人間を私達の真の自我である精神だと
捉えれば判りやすいかと思います。


表現(フォーム)は毎回異なっていても
その実態(精神)は常に同じ存在です。


そして一度一度の人生は
永遠の時を生きている私達にしてみれば
その一枚の写真程度の時間のものであると言うこと。


そこで私達が体験する事になる変化は
ほんの微々たる物でもありますし


その中のたった一枚の写真に拘る事の無意味さを
私達は理解すべきなのだと思います。

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今日もチラシの裏を。。。
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私の今世の記憶は音楽と連動しています。


今でも音楽を聴くと
それを頻繁に聞いていた時代を思い出すことになるのです。


ビートルズに関しては
当時に付き合っていた彼女の影響もありましたし


その頃ジョンが亡くなった事もあり
(確かLPダブルファンタジーを発売直後)
その高校時代から


頻繁にビートルズをかけていた大学時代を
思い出すことになります。


大学時代には音楽系サークルにも所属してたのですが


(入学当時ギター同好会、二ヶ月してマンドリン部
ただし音楽系サークルに関しては二年からは殆ど幽霊部員となりますが)


大学の新入生の歓迎含めた部内コンサートで
新入生中心に即興バンドを編成し、


ツイストアンドシャウト、
プリーズプリーズミーを演奏したのですが
その時私は初めてベースを担当しました。


ビートルズの音楽を聴くたびに
その事を思い出すことになります。


ベース初体験の私は自分のパートで命いっぱいで
ろくにコーラスをすることも出来ませんでした。


例えばベンチャーズであれば
私の幼少期に叔父達がレコードやエレキギターに
熱中していた時代。


叔父達に遊んで貰っていた事を思い出します。


ユーロビートやマイケルジャクソンは
私が丁度ディスコに入り浸っていた時代。


大滝栄一や佐野元春、杉真理は
妻と結婚する以前の交際時代といった感じでです。


佐野元春が好きだった事で
コンサートの時に先輩のバンドに一年生ながら特別参加させて貰って
サブボーカル兼コーラスを”タンバリン”叩きながらやったと言う


当時はとても恥ずかしかった記憶もあります。


(アンジェリーナという曲は最後にダブルボーカルになるのですが
先輩がギターで歌っている時に私がそれをして見せたのがきっかけでした)


何故にギターではなくてタンバリンなのか?


当時はリードボーカルの先輩も
ギターを持っていたことから
バンド全体の見栄えを意識してのものだったのですが


全員がサングラスで演奏をする中
サングラスでタンバリンはとても不恰好に感じ
恥らいながら歌っていた記憶があります。


メンバー紹介では各自が楽器演奏して
自己ピーアールするのですが


私はやることも無く”狼の遠吠え”をした事も
今でもハッキリと覚えています。


そしてひとつ上の学年の先輩達に
大笑いされた記憶もあります。


アンコールで歌ったサザンの
”ミス・ブラニューデイ”ではボーカルの先輩が
歌詞を忘れてしまい、私が途中をマイクを奪って歌いました。


その時の私は、恥ずかしい思いで一杯でしたが
きっとその体験を私の心は楽しんでいたのでしょうね。


今でもハッキリと思い出すことの出来る記憶です。


妻があまりBGMを好まないために
妻との結婚以来はあまり音楽をかける事も無くなりましたが


それでも音楽と共に思い出される記憶は
沢山あります。


妻との新婚旅行ではカーペンターズのテープを
海岸で聞いていました。


カーペンタースの”クロス・トゥ・ユー”などは
私にとって唯一行ったことのある外国である
カレドニアのイメージです。


若かった時代は、いつもまるで音楽の中に
自分の記憶が被さっているかのような
そんな感覚を延々と感じています。


楽しかったこともそうでなかった事も
多くが音楽と共に蘇る。


おそらくは音楽は
私達の脳の記憶を刺激する効果でも
あるのでしょうね。


近年は脳への影響を電磁波攻撃で受けるようになり
記憶自体が薄れていっている自覚もあります。


今では自分が少し前に書いた記事の内容さえ
自分では思い出すことが出来ないことも頻繁です。


記憶がしっかり残っていれば
もっと奥の深い記事が書けるのではないかと
悔やむことも頻繁にありました。


そして記憶力の低下は私達にとっては悲劇だと思います。


人間記憶を失うことで他人との関係も薄れますし
思考の判断材料も減っていきます。


他人との関係は全てが過去の思い出・記憶と共に
出来上がっているものだからです。


楽しかった記憶や心地よかった時間を共有すると
その人間には好感を持つことになりますし


不快な思いをしたり気分を害された記憶は
その人間を嫌悪する理由にもなります。


記憶が私達の心の価値観を
作り上げているという反面があるのだと思います。


短期記憶がどんどんと消去されると
何かに対しての問題意識もなくなりますし
(その気持ちが長続きしないのです)


それが加速化するとどうなるのか?


自分で何も考えることの無い、
問題を問題と思わない、


他人との繋がりも弱い、
個々の労働ロボットが出来上がるのだと思います。


そういえば近年の音楽には
記憶が乗りにくいような気もします。


頻繁に新曲が出ますし、ミュージシャンは大勢いますが
10年経ってその曲を歌いたいとか聞きたいと言うような曲が
一体どの程度存在しているのでしょうね。


音楽も私達の精神と連動している側面があるような気がしますし
そしてその音楽も今ではすっかり精神とは
かけ離れた存在となってきている。。


そんな気がするのです。


私が大嫌いな音楽は
同じフレーズや単純なメロディーを繰り返し
私達の記憶に植え込もうとしているような曲です。


得てしてマスコミはそんな曲を頻繁に
CMやドラマで取り上げては流していますが


あれも私達の脳機能を低下させる
要因になっているのでは無いのかと想像しています。


そしてそれにつけられている軽薄な歌詞が
この時代を反映しているような気もします。


若い世代の人間には是非
一昔前の古臭くても心のこもった音楽
生きた歌詞のついた音楽を聴いて貰いたいなと思います。


ユダヤ様の洗脳とは無縁な音楽を選択して
精神進化と心の記憶のためにも利用して見てほしいです。


人気アイドルやミュージシャンや音楽の流行までをも
彼らが作り上げているのは


きっとここでも何らかの洗脳行為が
伴っているのではないかと思います。


どうやら音楽は、洗脳と同時に
一方では覚醒にも一役買っている可能性がありますね。


精神に良い曲などもちろん彼らは望んでは居ないでしょう。


だから流行を作り上げたり
ミュージシャンを淘汰しているのかもしれませんね。


そして覚醒者には音楽好きの人間が
多いのではないかと想像しています。

(映画も同様の効果がありそうですが)


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