2012年03月11日 13時02分59秒 posted by uruseiblog

生命の科学 VOL63

テーマ:ブログ

HAARPは相変わらず活発に動いています。


http://www.haarp.alaska.edu/cgi-bin/magnetometer/gak-mag.cgi


昨日あたりは首都圏では積雪もあったようですし
エネルギー分散して気象変動にも関与している可能性もあります。


当分は色々と警戒願いたいです。
まずはニュース記事を読んでください。
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立川孤立死:異変通報受けた市、5日間放置


 東京都立川市の都営アパートで
母娘とみられる女性2人の遺体が見つかった問題で、


市は2日にはアパートを管理する都住宅供給公社から
「1週間ほど連絡が取れない」と通報を受けながら、
5日間放置していたことが分かった。


近隣住民は先月20日ごろ、異変を察知して公社に連絡していたという。


警視庁立川署によると、
見つかった遺体はアパートに住む90代と60代の母娘と見られ、
いずれも死後1週間以上経過。


近所の人によると、母娘は2人暮らし。


母親は認知症で、娘が介護していた。


 先月20日ごろから自治会費を集金できず、
郵便物がたまるなどの異変があり、自治会が公社に連絡。


市高齢福祉課は2日に公社から通報を受け、民生委員などに情報提供を求めた。


市は同日中に民生委員から「安否確認できない」と報告を受けたが、
「緊急性がない」と判断し、対応しなかった。


 だが7日午前9時ごろ、民生委員が
「母親と1年近く会っていない。今も連絡がとれない」と市に相談。


同課は職員を現場に派遣し、遺体発見に至った。


現場近くでは先月、マンションで母子の孤立死が発覚。


市は子育て推進課などが再発防止の検討会議を作り、
孤立可能性のある家庭の洗い出しなどを進めていた。


だが、検討会議は子育て家庭が主な対象で、高齢世帯は対象外だった。
市が母娘に最後に接触したのは介護保険課が母親の介護認定調査に訪れた11年3月。


その後、介護サービスの利用もなかったという。【中川聡子、横井信洋】


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最近立て続けて孤立死なる話を耳にする機会がありました。


以前には三人家族が餓死していたと言う話もありましたが、
其のうちの一人は未だ30代でした。


30代の人間が居るのですから
例え二人が病気や年齢の関係で働けなくても
餓死をする事もなさそうなものですが


建設業で働いていた其の人間が
自動車の盗難にあってからは仕事も出来なくなったと言う話でしたし
家計が行き詰ったのだと想像していました。


発見された時には冷蔵庫は空っぽで
食べれるものも何も無く、


飲料用に確保されたと思われる水があったようですし、
電気も止まっていたそうです。


実は近所の人間に借財をお願いもしたらしいのですが
借りられずに居たと言う実態もあったそうです。


窮地に追い込まれる羽目になりそして餓死。


切ない想いで其の話を聞いていました。
(出来ればこの社会から卒業できた事を願いたいです)


私達が震災の被災者に意識を向けている間にも
日本の中ではこのような事態が
私達の知らないところで日々起こっているのだと思います。


組織的犯罪被害者であれば、室内での孤独死と言えば
最初に想像するのが被害者が何らかの加害行為で死に至り
そして後日発見されると言う事態です。


この手の事件に関しては全てが外傷の無さを理由に
事件性が無いとされる事になりますし
餓死という形で発見される場合も少なくありません。


そして孤独に置かれているのは
今の日本で言えばセーフティーネットワークから外れている
一般の日本国民だと思います。


はっきり言えば組織的犯罪加害者のような人間達は
殆どこのような事態とは無縁であると言う事です。


まして餓死となれば
生活保護も受けられない状態である事を示していますし、


特定の差別を受けているような
日本の人間ほど陥りやすい状況とも言えるのです。


組織的犯罪被害者で、無自覚な人間ほど
このような状況に置かれやすいであろう事が
容易に想像が付くのです。


もしも被害者が室内で殺傷されたとしても
それが科学力の関与により
室外から殺傷されたようなときには
其の全てが病死とされる事でしょう。


そして発見された時には事件性は無いと判断され

結果、単なる病死と言う事にも成るでしょう。


一方、気が付くと経済的に追い詰められていて
食べる事も出来なくなる事もあるかと思います。


其の上で生活保護申請が出来なければ
待っているのは餓死です。


つまり無自覚の組織的犯罪被害者ほど
孤立死に誘導される可能性が高いと言う事になります。


近年増えているこの手の事件は
殆どマスコミも報道しませんが
その数は急激しているはずです。


それを不景気で経済状況が悪化している事を
その原因と見る事もできますが


今の様な環境では
たとえ組織的犯罪被害に遭い科学力で殺傷されるような事があっても
それは事件とされる事も無いのです。


近年は孤独死の急増に伴い、
其の部屋の清掃にかかわる仕事まで商売となっているようです。


よく、孤立死の話と共に
近所づきあいの話も出てきますが


組織的犯罪被害者の場合は
当然その様な交流からも取り残される事になりますし

助けを求める相手も存在しない事になります。


このような事件に関しては
科学力の関与含めて其の背景を詳しく調べ
個々の事件を検証しなければ


真の事件性を立証する事は出来ない。


その事を強く主張したいのです。


鍵のかかった室内で死んでいて
外傷がないからと言って病死とは限らない。


餓死していたとしても
そうならざるを得ない状況を意図的に誘導されたのかもしれない。


私達が”生命の科学”で生き方と心のあり方を学び
そしてそれが社会の平和と幸せに繋がる事を
願っているのとは裏腹に、


他人を不幸にし
生命の尊厳を無視して生きている人間達が


この社会で暗躍していると言う実態を
私達はしっかりと認識して


日々の社会問題を、其の裏をも含めて
しっかりと見つめていくべきだと思います。


事件性の有無は当てにならない。


警察の捜査には科学力による殺傷など
当初から予定されていないと言う事を是非ご理解ください。


この事を記事で書く事を意識していたのが最近で
その後立て続けに同様の事件がニュースで取り上げられる事になったのですが


昨日はこんな事件もあったようです。


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山口美江さん突然死…7日夕に散歩する姿


 「CNNヘッドライン」のキャスターで、
「しば漬け食べたい」のせりふのCMで知られたタレント山口美江


(やまぐち・みえ)さんが心不全のため、
横浜市の自宅で亡くなっていたことが9日、分かった。


8日午前、親族に発見された。51歳だった。


今年2月から動悸(どうき)や目まいを訴えて通院治療をしていた。


亡くなったのは7日とみられる。


山口さんは認知症の父親を介護し、06年にみとってからは犬2匹と暮らしていた。


通夜は13日、葬儀・告別式は14日に近親者のみで行われる。


 かつて人気者だった山口さんが、1人で逝った。


所属事務所によると、8日午前に近所に住むいとこの女性が
山口さんに電話したところ応答がなかったという。


心配して山口さん宅を訪れ、合いカギを使って室内に入ったところ、
山口さんがリビングで倒れていた。


すぐに救急車を呼んだが、既に帰らぬ人となっていた。


詳しい死因は不明だが、事件性はないという。


 山口さんは、今年に入って、動悸や目まいを訴えていた。
「時々おかしい、更年期かしら」などと話すこともあったという。


症状は2月になって悪化し、病院に通い始めていた。


亡くなったのは7日とみられるが、同日午後5時半ごろに近隣住民が、
犬の散歩をしている山口さんを見ており、その後、体調や容体が急変したと思われる。


先月28日には雑誌の取材を受け、所属事務所関係者とは今月3日に電話で会話。


同関係者は「その時は元気そうでした」と話しており、
10日には島根県で講演予定も組まれていた。


 山口さんはモデルとして芸能活動をスタート。


87年に、「しば漬け食べたい」とつぶやくキャリアウーマンを演じたCMで一躍人気になった。
同年、テレビ朝日系「CNNヘッドライン」のキャスターになり、多分野で活躍した。


コント赤信号の渡辺正行や歌手布施明との交際も報じられた。


 一方で騒動やトラブルも絶えなかった。元マネジャーが横領で訴えられたり、
拒食、過食症が報じられた。


体重増に悩み、96年5月には過度なダイエットで体調を崩して休業し、
そのまま芸能界引退を宣言。


その直前は、テレビなどで毒舌キャラが定着していた。


今年1月27日放送で最後のテレビ出演となったTBS系「爆報!THEフライデー」では、
当時の過剰な報道に嫌気が差したことが引退理由と明かした。


 引退後は横浜市内で雑貨店をオープンして話題になった。


並行して認知症だった父親を介護し、06年にみとっている。
16歳で母親を亡くした山口は生前「ファザコン」だったことを明かすなど、
父親への思いは強かったという。


 晩年は犬中心の生活だった。茶色のパグと、白のポメラニアンを飼っていた。


近隣住民とも交流していた。
昨年5月には店を閉めて介護生活の講演や本を刊行。


同11月には「孤独死問題」をテーマにした民放番組に出演するなど
芸能活動も再開していたが、メディアに登場する機会は少なかった。


 ◆山口美江(やまぐち・みえ) 1960年(昭35)9月20日、神奈川県生まれ。
上智大外国語学部卒業後、外資系企業でマーケティングや社長秘書を務め、
通訳を経てテレビ朝日系「CNNヘッドライン」でキャスターとしてデビュー。


フジッコのCM「しば漬け食べたい」で大ブレーク。
英語が堪能で「元祖バイリンギャル」と呼ばれた。
バラエティーを中心に多数のテレビ番組に出演も、96年に芸能界から引退を宣言。
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これも外傷無く事件性なしと判断されてるので
飯島愛さんの時と同様に


単なる病死として処理される事になるわけですが
私はここにも事件性を疑っています。


芸能界の関係者には組織的犯罪の見えない被害者が
大勢いると想像しているからです。


飯島愛さんの場合は裏の事情を知りすぎてもいましたし
それゆえ消されたと言うのが私の推測ですが


それ以外にも芸能人が狙われる理由があるのです。


組織的犯罪の使用目的の一つは組織への勧誘と
其の資産の略奪です。


芸能人は其の影響力の高さと経済的な裕福さから、
多くの組織にとっては
ターゲットとしてうってつけなのだと思います。


先日オスロの中島さんが自称霊能力者に
洗脳されたと言う騒動がありましたが、


あれは本木さん達の英断で
事件が表に出たのだと思いますし
氷山の一角だと思います。


芸能人をターゲットにする場合、


広告塔として利用する。


金づるとして利用する。

 
だけでなくて其の人間がいなくなることで
その役回りを演じる事のできる人間が
出てくる事にもなります。


島田伸介さんが居なくなった事でも、
其のお鉢が回ってきたような芸人も大勢いるかと思いますが


其の人間を芸能界から蹴落とすためにも
ターゲットにされることもありえる訳です。
(島田さんはそんな事情では無いようですが)


更には特定の人間達が嫌いな人間を
蹴落とす事にも利用できそうです。


そしてこの山口さんは
そんな蹴落とされた人間の一人では無いかと
想像していました。


状況証拠としては
マスコミの山口さんに対する過度な中傷報道が
山口さんを芸能界から遠ざけた事があります。


マスコミを見ていて気が付くのは

今では多くの在日・帰化関係者(複数外国の)が
画面をにぎわす様になり


一方では昭和時代を髣髴させるような人間達の多くが
年齢に関わらず画面から消えても行っている事です。


(年齢的に高齢になった昭和の芸能人が
最近は不思議と頻繁に亡くなっています。。)


それは全て単なる偶然ではなくて
マスコミやそれを裏で支配する電通が


国際化、もしくは朝鮮化を意識しては
日本のTV画面から純粋に近い日本人を
ドンどんと淘汰しているように見えるわけです。


不思議と才能も無いのに持て囃される人間がいれば
一方では才能が有りながら能力を低く評価されているのか
映像に出てこなくなる人間もいます。


それを単なる偶然だとは
私は考えてはいません。


今時代は一定の方向に向かって進んでいて、
それを一番象徴しているのは
芸能界とマスコミ報道だと感じているからです。


ユダヤ教サンヘドリンが最初に独占したのは
世界各国の有力メディアです。


日本のマスコミに強い影響力を持っている電通などは
CIAやフリーメーソンの支配下であることも
容易に想像がつくのです。


そしてマスコミを最先端としては
国際化、朝鮮化を推し進めているのが電通であると言う事。


(日本を東朝鮮と改名すればいいと
揶揄していた芸能人有識者もいます)


芸能人は其の事とは無縁でいる事が出来ず、

其の中での一般日本人の淘汰は
激しく進んでいるのかもしれません。


以前、藤田誠さんの死亡に関して記事で触れた事がありました。


病で休業するも驚異的な回復力で
其の病を跳ね除け復帰を果たした途端に

今度は別の病で急死したというないようですが


多くの方々は恐らくは藤田さんが長い間
病の床で伏せてそのまま亡くなったと言う
印象をもたれているのではないでしょうか。


日本の中にはユダヤ人達がそうであるように
自分達の血や宗教に拘り


それを優先させるためにそれ以外の物を
排除しようとしている人間達がいるのです。


他人を殺傷してもそれを悪い事だとも考えもしない。


意識異常でないというのであれば
それは悪魔の所業としか言い様が無いと私は思います。


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私が死んでも孤独死にはなりませんが


やられている事を考えれば
いつ死んでも不思議ではないと思います。


今は薬品で腸内にゲル上の異物を作り上げられ
其の上でのりのような別の薬品で
それに粘りを付けられ


さらにそれを大きく固める事で
呼吸すら息苦しくされている状態でもあります。


それを朝から晩まで延々とやられているのです。


胃腸を下剤で開放できても
次の瞬間には薬品を撒かれて
次なる異物を作り上げられます。


ゲル上の異物は腸内の空気の流れを
完全に妨害する事も可能です。


今であれば激しい電磁波照射もありでしょうし
呼吸困難も引き起こせる事でしょう。


今は延々と頭にイラつきを引き起こす
照射が続いています。


昨日の夜中には
練馬NO2237のバイクと
所沢NO8613のバイクが共に
協力しにやってきていたようです。


息苦しい上に顔を浮腫めたり、
顔に対して嫌がらせをするためにも
異物をつめる事が資している様です。


冷たい照射線を併用する事で
栄養吸収促進も可能なようです。


顔への関与、
呼吸への不快感を与えての嫌がらせ、


そして殺傷準備という意図を
併せ持っての関与だと確信しています。


妻の喉を咽させての咳の誘導もありますし
熱心な信者か民族主義者の関与も想像しています。
(咳に拘る人間にはとても洗脳の濃い人間が多いのです)


要するにこの加害者達は
やりたい放題を続けていると言う事です。


そう言えば3.11大地震から丁度一年。


一般市民は信じる事が出来なくても人工地震は存在していて、
それをも含めて広報している私は


人工地震や人工気象変動と並行しては
加害行為を激化され続けても来ました。


この実行犯の一人は
ユダヤ傀儡なのは間違いなく、


尚且つ複数組織の協力を受けて
私への加害行為を実行中でもあります。


協力者は創価学会広宣部、および熱心な信者かもしれませんし
在日・朝鮮部落などの関係者かもしれません。


大家・近所関係者が動いている気配もあります。


メーソン系のクリスチャン達の可能性もあります。


あらゆる組織に憎まれている私は敵だらけですから。


金井のアル君と其の関係者に十字架を背負って生きて貰い、
改心を求めるのも良いかもしれないと
最近は考えるようになりました。


(おそらくは改心するような事はあり得ないとは思いますが)


日本の中の覚醒者および組織的犯罪被害者は


この日本の実態が以前と何も変わってはいない事、
そして自分がいつ私のような立場に置かれるか
判らないと言う事を自覚して頂き、


この社会から卒業する心の準備だけは
常時持ち続けて欲しいとも願います。


恐怖と不安を捨てて、


精神を感じる事を意識して、
尚且つ憎しみなどの一切の負の感情を
持たないよう勤める事で
私達はこの社会から卒業していく事が出来る。


生き地獄と化してそれを改善する予定の無いこの社会。


それでも皆は最後まで改善を願い努力して
結果卒業を果たす、
その事を意識して欲しいと思います。


ちなみに山口さんが亡くなったのは
実際はいつだったのでしょうね。


こんな話があります。

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ユダヤ教 プリム 3月8日


ユダヤ暦アダル月14日、西暦では2012年は3月8日

 紀元前5世紀、ペルシア帝国内において、
ユダヤ人を虐殺しようとした時の大臣ハマンの策略を、王妃エステルが阻止して、
ユダヤ人が救われた故事を祝うため。


同時にユダヤ社会の存続を確認する祭り。


 ユダヤ人虐殺日を決めるため「くじ(プル)」を引いたら、
アダル月に当たった。


この「くじ」 をヘブライ語で「プル pur」と言うところに由来。


「プリム」は「プル」の複数形。


ハマンの耳(オズネー ハマン)


 
 ユダヤ人を殺そうとしたハマンを記憶するために、耳の形をしたお菓子を食べる。
シナゴーグでは
 旧約聖書「エステル記」を読む。「ハマン」という名前が出てきたら、
騒音を立てたり、足踏みしたりする。


町では、家では仮装パーティーをする。
「ハマンの耳」と呼ばれるクッキーを食べる。


酔い潰れるまでお酒を飲んでもよい日。


 町ではカーニバルが行われることもある。


人々は仮装して街を歩いたりする。

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日本の中にはユダヤ人はいないと言う方もいるかもしれませんが
”ユダヤ”は今や特定の民族だけを
指し示す言葉ではないのです。


彼らの裏の経典であるタルムードを信奉するような人間
そしてユダヤ教を信奉する人間達、
更には彼らと価値観を共有する人間は


まとめてユダヤ人意識を持っていると言っても過言ではありません。


そしてサンヘドリンが実は無心論者で
闇の聖典タルムードを信奉する人間であるように、


日本の中にも自らが特権階級であると勘違いしている、
彼ら同様の人間達が集う組織が存在していても
不思議ではないと言う事を指摘しておきます。


世界レベルで考えたときに
ユダヤ人たちと提携して彼らに協力している
人間たちは一体誰なのか?


私にはそれがはっきりと見えて来ました。


フリーメーソンだけではないのです。


表立っては民族と血と信仰を重視し、


それに当てはまらない人間を
ゴイム(家畜・ブタ)とみなす様な人間達が
現にこの日本社会の中には存在しているのだと思います。


そんな人間達にしてみれば
自分達以外の人間は人間ではないのですから
殺しても罪悪感を感じる事も無いようです。


人の仮面を被りながら意識は悪魔そのものともいえる
そんな人間達が現実に存在している。


しかも彼らは自分達が誤った事をしていると言う
意識も無いのだと思います。


日本の中のサンヘドリンの手先は一体誰なのか?


今後社会の趨勢を見ながら
自らの意識で判断して行って欲しいと思います。


日々精一杯記事を書きますので
私の主張を是非参考にして

真の世の中の実態を見つめて行ってください。


ブログが更新できなくなっても
そしてもしもブログが又しても消される事があっても、


皆へと発信した私の主張は
消える事はないと信じています。

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http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10713457065.html
芸能人の受難そして偶像を崇拝する民衆
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10723602467.html
新約 飯島愛さんはなぜ死んだ?
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10568705771.html
飯島愛さんの残した課題
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10699007901.html
飯島愛さんの残した課題2
http://yaplog.jp/uruseiblog/archive/116
飯島愛さんは何故死んだ
http://yaplog.jp/uruseiblog/archive/117
飯島愛さんと集団ストーカー被害?
http://yaplog.jp/uruseiblog/archive/118
飯島愛さんの死因判明?



今日は聖書から短い一節を紹介します。

バプテスマのヨハネがイエスキリストの事を触れた一節です。

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マルコ1章8節 
(バプテスマのヨハネと呼ばれた預言者の言葉)


私は貴方がたに水でバプテスマを授けましたが
其の方は貴方がたに精霊のバプテスマをお授けになります。



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コメント書きたいのですが

真下の部屋の工作員と関係者に頭と顔への電磁波を受けていて
頭が回転しないのでこの一節の意味を是非
独自に考えてみて欲しいです。


ちなみにバプテスマとは
クリスチャンになるときに多く行なわれる儀式で


神の救いを得るために必要な儀式だという認識が
キリスト教世界では持っているようです。


私は”キリスト教”に疑問を感じたので
バプテスマを受ける直前に教会を去る事になりました。


http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4MOCJ_jaJP473JP473&q=%e3%83%90%e3%83%97%e3%83%86%e3%82%b9%e3%83%9e

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アダムスキーの生命の科学からの引用です。


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【印象の種類】


印象には大別して二つの種類があります。


一つは、この世でよく知られている、曲がった性質の心によって
作られた悪魔細胞からくる印象と、


もう一つはたえまなく高揚の感じを与える
宇宙的な性質を帯びた
正常な細胞から来る印象です。


この両方に通じるドアーは出現させようとして
開いています。


そして両方の印象はテレビやラジオの電波と同様に
全空間に満ちています。


我々はそうした印象の海の中に住んでいるわけですが
どちらかを選ぶかは個人の気持ちしだいです。


もしあなたが悲惨な光景を描き出した
戦争の光景を望むならば、其の様な型に自分を同調させ
そうした環境の中に生きることになりますし


また、美しいメロディーに満ちた番組または
親切な行為の遂行と言う番組を選んで
そのような環境を楽しむ事も出来ます。


前者は異常な生活であり、後者は高貴な生活です。


こうした生活は生命の海の中で行われると言うことを
忘れてはなりません。


しかも人間には其のいずれの環境の中を
無視せよと言うのではありません。


現世の最低の表現から最高の表現に至る
生命を知ろうと思えば
あらゆる行為を観察する必要があるからです。


そのようにすれば、我々は”動・反動”の法則
すなわち因果関係を観察しながら


人間のあらゆる行為の背後にひそむ因子を
理解できるでしょう。


しかし我々は必ずしも行為者になる必要はありません。


我々はプロボクシングの試合を見ることは出来ますが
選手にはなれません。


しかし選手の心がどのように働くのかを
観察することは出来ます。


貴方がこうした観察法を身につければ


よき知識を備えることが出来るようになり自分の方へやってくる
自分をトリコにするかもしれない印象類の型に
気づくようになります。


ここにおいて知恵と言うものの始まりがあるのです。


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私達が受ける想念について
アダムスキーは二系統の存在として説明しています。


一つ目は心に支配された細胞である
悪魔細胞の発する想念のイメージであり


もう一つは精神に従う正常な細胞の発する
想念のイメージとして認識出来るようです。


もっと言えばそれは私達の意識の高さによって
受け止める事が出来たり受け止める事が出来なかったりするような
物でもあるのだと思います。


私達は行動をする時でも常に想念を発している存在ですから
私達の生活空間は見えない想念で溢れています。


私達は無自覚のうちに想念の波長と同調し
その影響を受けている事もあるのでしょうが


私達が確実に想念を感じるような状態になった時には、

其の系統が二つの細胞の物として分かれる事を
意識する必要があるのだと思います。


ここでは其の二つの系統を
異常な物と高貴な物として分類してくれていますが


私達が発する想念の中には、精神の発する事のない
エゴに従って心の作り上げた負の想念も
存在する事になります。


アダムスキーはそれを異常な物として捉えていますし、
そうではなくて、精神を通じて発するものであれば
それは神の意識に繋がる物ですから


高貴な物として受け止める事になるのだと思います。


私達が想念を正しく受け止める事が出来るようになった時には
其の両方のイメージを受ける事が出来るようになりますし
(正しくは低い波動に満ちた私達は
低い波動の影響を受け続けているのだと思いますが)


どちらのイメージの影響を受けるかは
私達の意志によるのだとアダムスキーは触れているのです。


私達は其の想念の影響を強く受ける事にもなりますから
そして其の受け止め方次第で
自分の精神状態も変わるということになります。


しかしながら其の片方だけを見つめて
もう一方を無視する事が良いわけでは無いようです。


そして、想念を受け止めても
私達は必ずしもその影響を受ける事になるわけでもないようです。


すべては私達の社会の意識であり
それは低い物から高い物まで存在していて、


その全てを認識して理解する事が
私達の精神の進化には必要だと言うことのようです。


アダムスキーが楽観思想を否定していたのは
この辺に関わってくる話だと思います。


私達はアフリカの難民の厳しい環境の存在を知っているからこそ、
日本の生活が恵まれていて豊かであると言う事を認識できます。


戦争が悲劇を生み出し続けている実態を知っているからこそ
平和なる物が素晴らしいという意識をも感じる事になります。


低い意識や表現や環境を見据える事があるからこそ
そうではない状態を求める事にもなるのでしょうし


単に一部だけを取り上げて其の他を排斥していたのでは
全体の正しい姿を認識する事も、
今現在自分が置かれている状況を正しく認識する事も出来ないのです。


私達がすべき事は、単に心の意志のまま
それらを選択しては時には排除するのではなくて


全てを理解した上で何が正しいか
何が精神の進化に繋がるかという事を
自ら判断していく事だと思います。


そして行動を起こすにも
最悪の”結果”まで見据えて思考する事で
最良の”因”に従った行動を取ることも可能になるのです。


私達の社会では心を持って作り上げた価値観、
”個人的真理”である”エゴ”こそが中心となっています。


其の状態で私達が発し続けている想念が高貴なわけがなく

私達の環境は負の想念で満ちていると言っても
過言ではないと思います。


心は自分が可愛いがゆえに
自分を心地良いと感じるためにも
身勝手な価値観を作り上げる事になります。


そして自分の感情を満たすためにも
勝手に負の想念を作り上げては巻き散らかす事にもなっています。


他人に対しての憎しみも、羨みも、妬みも
全ては自分が可愛いゆえに其の心を満たすための負の想念です。


私達はこんな想念をばら撒きながら日々生きているのです。


一方では死や老いへの恐怖心、
そして生活への不安といった負の想念こそが
今のこの社会を支配しているのです。


社会が暗くなれば、経済不安が募れば
お金が無くなれば、


そんな負の意識ばかりが
社会に蔓延していくことになります。


そして其の想念はあたり周辺にばら撒かれることになりますし

其のばら撒かれた想念は更に他の人間へも
影響を与えることになります。


次回の講義では、


「イエスキリストのような人達は
全ての想念を受け止めながらも其の悪影響を
受けないでいる事が出来る」


という話に触れているのですが、


私達は未だ想念の存在すら正しき理解していない状態ですし
精神を正しく使用する事も出来ません。


そんな状況では特定の想念の影響を排除し
特定の想念の影響だけを受け止めると言う事は出来ないと思います。


似たような波動を持った想念に強く影響を受け続け
時にはその影響が感情に相乗効果を与えてしまうような
そんな事だって在り得る訳です。


巷に存在する”狐付き”なる状態をアダムスキーが説明すれば、
恐らくは悪しき負の想念の影響を強く受けた状態として
説明してくれる事になるのではないかと思います。


そんな状態は極端な例ではありますが

多かれ少なかれ私達はそんな想念の影響を無自覚に受けては
其の事に気が付かないでいるだけなのです。


呪いなる物は想念の強い形であるという話を
アダムスキーが触れていました


あれにしても強い想念が他人に影響を与えるという
良い例だと思います。


呪いに関しては其の想念を発する人間は
自らの細胞等にもそんな負の想念をしみこませる事になりますし


そんな状況が続くことで其の人間の心や細胞に
悪影響を与えるであろう事も言うまでもありません。


自分をそうありたいと願う状態にまで
現実に変えうるのが想念の力です。


私達はこの見えないエネルギーを
軽視してはいけないのです。


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想念を観察することで
私達は其の中に自分達の基本型なる物を
見つけるきっかけを見出す事になるのかもしれません。


私達は多くが本来の意味では未覚醒の存在です。


生命の科学で人間の生きる目的を学んだと言っても
自らの正体を未だ認識出来ずにいるのが
私を含めた多くの覚醒者達の現状だと思います。


自分が過去世においてどんな事に興味を持ち
何をして生きてきたのか。


自分は何を得意としているのか
どんな資質を持った魂なのかと言う事を

私達の多くは理解できずにいると思います。


其のきっかけを与えてくれる事にもなるのが
想念を受け止める事によるイメージでもあるのだと思います。


そこには私達の細胞からやってくるようなイメージもあるでしょうし
私達が共振するような宇宙的記憶からのイメージも
存在しているだろうからです。


私達はそこで自分の資質を知るきっかけを
得る事になるのだと思います。


何事も興味を持って見つめる事が
本来大切な事なのかもしれませんし


現実に物事を多く理解している人間は
沢山の事に興味を持っていて多くの知識を有しています。


私達の目的は多くの体験をすることで
多くの生きた知識を持つことですし


其の知識を持って物事を判断する事で
何事も正しい結果を導き出せるような存在へと
変貌していく事だと思います。


何も行動をしなければ何も学ばなければ
失敗する事は無くても、今度は魂の成長はありえません。


アダムスキーも、
「失敗する事をおそれ慎重になりすぎる事は
かえって良くない」と触れていました。


私達は行動し体験し、時には過ちを犯しながら
そこから多くを学ぶ存在なのです。


そして想念は時には私達の其の経験を
補足する存在にもなりうるのだと思います。


ここではプロボクシング選手の話を取り上げて、
私達はボクシング選手になることは出来なくても
それを観戦することは出来るという事に触れています。


肉体を鍛え、試合では殴られ、
疲労し消耗し痛みを感じる思いを直に経験する事はできなくても


それを見つめることで
私達は少なくとも何かを理解することが出来ます。


自らリングに立って戦う事なしにでもです。


私達は出来る限り多くの体験をすべきだといっても
全ての事を経験できるわけではありません。


それに体験すべきは精神の進化に必要な
体験がその中心であるべきで、

それはある程度判断も可能なのだと思います。


私達が自ら経験できることは、
この社会においても現象の中の極一部だと思います。


ただ、それ以外の、自ら経験可能な事以外であっても
私達はそれを精神を使用して深く認識することも可能です。


それが実際の経験の数割程度の知識であったとしてもです。


アダムスキーがこの講義の11章あたりで紹介してくれる
精神を使用した宇宙体験というイメージでの体験は


私達に物理的な体験と同様な知識を与え
其の事で私達は通常体験できない事さえも
精神のイメージを通じてする事が可能になる手法です。


そしてそれはそのまま私達の精神の発達や意識の拡張にも
役立つ物なのだと思います。


私達は人生を半分しか体験してはいません。


しかも大切な宇宙的記憶として私達の心に残される
体験に関しては殆ど体験しては居ないのです。


精神を使用できるようになることで
其の残りの半分をも体験できるようになることが
私達の当面の目的という事になります。


そして其の過程において想念の存在は、
一番身近で私達の精神発達に協力してくれることになる
存在でもあるということ


私達は今から認識しておきたいです。。

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