2012年02月22日 12時19分33秒 posted by uruseiblog

生命の科学 番外編 進むべき道を見据えて

テーマ:ブログ


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今日は細々と盛りだくさんです



【被害とサンヘドリン傀儡の動き】


薬品介入による異物製造と其れを使用しての腸の圧迫
顔への関与、そして脳への関与は続いています。


この人間達に無自覚のうちに顔を狙われている人間達は
ターゲットとしての目印を付けられていると
受け止めても良いかと想像しています。


多分多くの被害者(無自覚含めて)がどこにいても
ターゲットであると彼らには認識されることになるのだと思います。


彼らは自分達の事は美化します。


そして自分達は美しくありたいという気配も感じています。


そして多くの場合彼らは太ってはいません。


一方彼らに狙われた人間は太らされている気配があります。


この事の意味を色々想像していました。


ユダヤ、サンヘドリンは支配者層である自分達以外の人間を
ゴイムと呼びます。


それには非ユダヤ人という意味もありますが
家畜や奴隷と言う意味もあり


もっといえば”豚”扱いする言葉でもあるのです。


他の思想を持った人間は”豚”であり
人間ではないと言うのが
彼らのタルムードでの信じがたい教えです。


(豚は彼らにとって、
太っていて醜い物の象徴でもあります)


そして彼らは家畜や豚を殺すことを
何とも思ってはいないわけです。


タルムードによれば 
「我々に歯向かう物は自然な形で死を迎えることになる」
とも触れられています。


現に彼らの傀儡たちは自然を装っては
多くの人間をいまだ災害や災難や事故や病や死へと
誘導し続けている最中です。


信じがたい価値観を持っている人間が
私達の周辺には存在している。


思考能力を落とされ続けている私達ですし
まして脳天気電磁波照射も受ける環境が
出来上がっているようですから


その術中に嵌っている方には理解しがたいかもしれませんが

被害を受け続けている方や
精神を意識している方々は


そんな環境に左右されることなく
冷静に物事を見つめることも出来るはずです。


マスコミ報道の事件の数々や
芸能人の最近の病や訃報含めての動きなどからも
私達は何かに気づくかと思います。

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自分達が心だけを使用して生きているから
そして感情の赴くまま心を暴走させて生きているから


その心を支配すれば私をコントロールできると
勘違いしている人間達がいます。


あるときは私に怒りの感情を強く感じさせ
ある時は私に楽観思考を持たせ私の意識と行動を
誘導しようと働きかけてきます。


精神を感じるようになり、心と精神が接近するようになると
心の暴走が始まっても、常にそれを宥める存在が
隣にいるのだと言うことを彼らは理解できていないのです。


私は自分に甘い人間でしたが
他人にもとても甘い人間でした。


仕事であれば他人の就労や作業に文句を言うこともない人間です。


そして自らも小言をとても嫌いました。


でもそんな意識は加害者達のためにも
他の一般人のためにもならないと言うことを
今となって深く理解出来るようにもなりました。


他人の立場に立って理解すべき事も沢山ありますが
其れに対してどう対処すべきかは別問題だということです。


許すことと見て見ぬ振りをすることは別ですし
理解して其れに触れること=批判ではありませんよね。。


加害者母体、その他加害者組織全般に対しての警告と
牽制をしておきます。


是非意識を変えて下さい。


あなた達はユダヤ教徒の特別階級サンヘドリンの
末端の傀儡として利用されているに過ぎないのです。


そして彼らの進んでいる道の先には
平和も天国も真理も存在してはいないのです。
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【地震警戒】


先週には東京大学の関係者達が
関東での三年以内の巨大地震発生の確立を
70%から50%に引き下げたと言う発表があったばかりで


それを聞いては胸を撫で下ろしていた人間も
少なくないかと思いますが、


昨日は一転したように、関東で起きる地震を
”震源地の浅いもので震度7をも想定すべきものだ”
とマスコミが騒ぎ立て始めました。


そして一時は触れていた東海南海大地震の話は聞こえなくなり
今度はその震源地が関東に決められているかのようにも感じました。


何か前兆があったと言うのであれば別ですが
大方裏からの情報で


関東が再び狙われることになったと言う話でも
流れているのでしょうね。


そして多くの人たちはそのめまぐるしく変わる
マスコミの発表に違和感も感じることなく
其れを受け止め納得しているのだと思います。


私は最近は短期記憶を頻繁に失う羽目になっていますが
その状態では状況分析も正しく出来なくもなります。


多くの人間がそんな状況に晒される事になれば
一般人に疑問を持たれることなく
彼らはやりたい放題できると言うものです。


再び覚醒者と理解者に警告をします。


例え地震が自分の生活地域に直接の影響を与えなくても
其れが齎す効果は加害者側の人間達のこの社会での
権力強化をも意味しますし


将来的にポールシフトの促進要因にもなりかねません。


この社会からの卒業の準備、
心の準備を常に持ち続けてください。


サンヘドリンの人間達はイエスキリストの
真の教えを毛嫌っています。


そして私達が学んでいるものは
その真のイエスキリストの教えでもあるのです。


彼らは理解しているのです。
自分達にとって邪魔者は真のクリスチャンでありイエスの弟子であり


宇宙の法則であり生命の科学である事をです。


その人間達がもしも全力で動き出せば
灰色社会は直ぐにでも実現することになるはずです。


その時には白を主張する人間やその意識を持っている人間が
淘汰される可能性もあります。


私は自分では卒業を意識したほうが良さそうだと判断してもいます。


地震含めて、もしくは”偶然”の事故や病気含めて
警戒態勢に入って下さい。


と言っても一番大切なのは
卒業していくと言う心の準備の方ですが。。。


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【地球の法則への誘導サイト】


闇政府の策略サイトなるものに触れることで
自らを覚醒したと勘違いしている人間も多いですし


地球の法則レベルの陰謀論サイトを理解したつもりになり
其れを覚醒と勘違いしているような人間も少なくありません。


とりわけ精神論に関しても同様で、
ふる○の森、白○道、などに関しては
丁度私の主張とは対極にある存在だと認識しています。


そのようなサイトに関しては
私が取り上げようとするとその度に


サンヘドリンの傀儡たちの私への攻撃が
強化されることにもなっています。


最近は掲示板で輿水氏の支持者とベンジャミン氏の支持者が
争っているのを見ては滑稽に感じる事も多いです。


陰謀論を語っている人間の多くが
実は本当に大切なことには触れていない。


もしくは意図的に誤った情報を与えていたり
私達の視線をそらす役割を果たしている事にまで気がついて初めて
私達は地球の法則から卒業することになるのだと思います。


HAARPを認めず爆弾でのパルス効果を主張する人間。


何かと言えば秘密結社に特化しては具体的な
人間達の存在には触れない人間。


更には神の源流を悪魔であるかのように
陥れる情報をばら撒くサイト。


すべてがそれぞれ人間の理解力に応じて信者を作り上げ
その信奉者を誘導しては人々を分割し


事の本質や真の支配者の実態に
一般人の視線を向けさせないように
誘導しているものであると言う事に気がつけば


そのサイトの裏に潜む協力者の影も見えると言うものです。


この社会を支配するのは
ユダヤ教徒パリサイ派の中の特権階級の人間達。


それは悪魔でもエイリアンでも宇宙人でもなくて
現実の人間として存在している存在であると言うこと。
(太陽系の兄弟の血や思想を継ぐ人間である可能性はありますが)


そしてその人間達は自らの目的を達成するためには
手段を選ぶこともないと言う事実。


そしてその思想の源流は、この地球社会に深く浸透し
権力者を覆いつくし


今では宗教や民族意識をも利用しては
世界中を埋め尽くそうとしていると言うことを
私達は理解しなければならないのだと思います。


私達にとっての覚醒とは(宇宙的啓示は次の段階としても)
地球の実態、地球の真の支配者の姿、そして地球の法則の存在の
すべてを理解してそこに拘束されてきた私達の心を解き放つこと


そして私達が生きている真の目的を理解し
その心を本来あるべき人間の意識へと誘導するために
精神の存在を認識し心と精神を併せる実践を始めることです


ここまで出来て
初めて私達は覚醒できたと言えるのだと思います。


そのとき私達の心は間違いなく創造主の元に帰る事になるからです。

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今日もいつものようにアダムスキーの21世紀
生命の科学からの引用です。


生命の科学を取り上げている別サイトで
レプタリアンやイエスキリスト・聖母マリアの啓示などを
取り上げているサイトがありますが
いうまでもなく要警戒です。


真の覚醒者には説明は不要かと思います。

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【意識のささやきを聞くこと】


ただしこの講義を聴くだけではだめでこれを生かす事が必要です。


そうすれば貴方は自分を支配することになります。


そして地上にある諸要素は貴方に役立つでしょう。


人間は”父”の可能性を持つ唯一の生命体であるからです。


しかし創造された目的を果たそうとするのなら
まず最初に意識を”父”と認めてもとの”父”の元へ
帰らねばなりません。


人間は自分のためにと思いながら
自分の心にいつまでも役立つことは出来ません。


だれでも全て同様です。


こんなことで天国のような生活状態を実現させて
楽しめると思ってはなりません。


我々はすべて意識ある実態なのであって
意識と言う静かな小さな声は心ががなり立てて指示する方法よりも
もっと良い方法があるぞと自分にささやき続けます。


方法を語ってくれるのはあちこちにいる教師や説教師ではなく、
万人の内部に潜む意識なのです。


長い間、良き生活の方法を人間に気づかせてきたのは
この”意識”なのであって


人間の心がその支配権を意識にゆずり渡すまでは、
意識はやはり人間にささやき続けるでしょう。


このことが起こると、人間は”知る”ことになります。


人間は再び分裂を感じることはなく
自分が創造主から分離していると感じる事もないでしょう。


他の惑星の人々はこの生命の理解力を生かしているのですが
彼らもそれに到達するまで長い道をたどっています。


しかし彼らは正しい道に足を置いてきていますので
つには目的を達するでしょう。


一方、地球人は各種の大通りや回り道を作ってきましたが、
それらは創造主の家にはなく
結局あらゆる場所へ通じることになってしまいました。


万物を創造主と一体化せしめる”意識”という鍵を与えてくれた
他の惑星の兄弟達に、我々は感謝してよいでしょう。


回り道といえば、意識は生命の海ですから
万物はその内部で生きています。


そして宇宙は始めも終わりも知らないので
我々は多くの興味ある物を包括している広大な大建築物の
内部に住んでいることになります。


そのための我々の興味の対象は
一つの物から他のものへと変わります。


これは非常に高い塔の頂上に立つ事に例えて良いでしょう。


東方を望めばその方向にあるものが見え、
西方を望めばその方向のものが見えます。


同様に心が”意識的な知覚”に興味を持てば
それは意識という家の中のあらゆる物を
見たがることになります。


これは冒険かもしれません。


と言うのは知識を求めようとするとこの飢えは
短気を促進するかもしれないからです。


その結果は混乱がおきるでしょう。


それゆえ心は物事の連続の中に一歩一歩知識を得るのです。


分裂や神秘を引き起こす割れ目も存在しないでしょう。


心が持つ興味は時間と言う物に関係ない性質のものであるべきで
ただ、一歩一歩が何を差し出そうとしているかを
知るだけで良いのです。


すると次の一歩を踏み出さねばならぬとき
心から出てくるかもしれない異質の要素をなんら伴うことなく
例の混和状態が起こるのです。

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久しぶりに注釈を入れて置くと
アダムスキーが”意識”と触れているものを
私は”精神”と置き換えて使用しています。


私は”意識”を別の意味でも使用するので
混同させないためです”意識を意識する”では
理解できなくなってしまうので


この辺は言葉の難しさと言うことで理解していただいて
私が説明しようとしている事の本質を
誤らないで理解して頂ければと思います。



私達にとっての”精神”の存在は
私達が”良心”や”良心の声”と呼んでいる物に
近いと思います。


とりわけ間違った行動を取ろうとした時に
それをなだめたり抑えるために
その精神は私達の脳裏にささやき掛けてきます。


私達が心を使用する時に一番重視しているのは
言うまでもなく私達の感情なのだと思います。


私達の心の価値観は私達の感覚器官が作り上げた物であり
それらが心地良いと感じる行動を
私達は実行しがちです。


とりわけ私が自覚しているのは
感情に支配された状態では
心の暴走は止まらないと言うことです。


時には感情の赴くまま
私に加害行為を繰り返す人間達などは


もともとが自分では精神など感じていないからこそ
暴走を繰り返す事になるのだと思いますが


私はその心を持って暴走している人間達と
同じ様な意識にさせられる事があります。


”怒り”と言う感情を意図的に引き起こされることで
彼らと同じ土俵に立つことを強いられるわけです。


怒った心が”心地良い”と感じる行動は
その怒りを前面に出して叫んだり暴れたりする事だと思います。


それをする事で自分の心は満たされ
心は一時的に満足することになります。


もちろんそんな事で満たされたとしても
精神にとって良い事など何もありませんし
精神は元々がそんな事など望んではいません。


精神は私が暴れたいと苛ついている状態の時に
理性のごとくそれを宥めるよう囁き掛けて来る事になります。


しかし心が暴走している時はそんな囁きなど無視して
私は心が心地良い状態になるために
心の導きどおりの暴走を繰り返す事もあります。


そこでは私は精神の囁きを無視している、
若しくは心が、がなりたてる声が大きすぎて
精神の囁きが聞こえてはいないと言う事だと思います。


私のような立場におかれると
意図的に不快な思いを強いられる局面も多く
そのたびに自分の神経を宥めることになりますが


そこで全く精神を意識することなく
その時々の感情の赴くまま暴れ続ければ


おそらくは私は精神から
どんどんとかけ離れていくことにも
なるのだと思います。


そして漸く精神を感じても、下がっている自らの精神の周波数が
感じたくもない身近な悪意の想念を感じとる羽目にもなります。


報われ難い立場である私の話は置いておきますが、


私達はまずは精神の囁きを聞くように勤めるところから
始めなければならないと言うこと。


少なくとも私の様な、意図的に他人を挑発してくる人間達が
人工想念を用いて攻撃してくる環境下にある被害者でなければ


ある程度は自分の感情を抑える事も
そして自分の心の暴走を抑える事も出来ると思います。


何でも感情の赴くままに
そして心の心地良いと感じる事ばかり意識して
行動するのではなくて


時には「その行動が正しいのか?」
「その行動の結果は最善のものなのか?」


を意識して行動する努力をするだけで
精神の囁きは大きくなって行く物のようです。


私達はその声を聞き取って、それを行動に移すよう勤めることで
精神の存在をどんどんと身近に感じる事ができる様になるのです。


心地良さや地球の法則のために行動している人間の意識に
感化されないよう、お互い努力をしていきましょう。

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アダムスキーがここで


【地球人は各種の大通りや回り道を作ってきましたが、
それらは創造主の家にはなく
結局あらゆる場所へ通じることになってしまいました。】


と触れています。


イエスキリストは
【大きな門へと続く道は広く、
命へ繋がる道は細くその門は狭い】


と触れていました。


勿論これらは、
私たち人間はいつの間にか神の意識からかけ離れて
誤った生き方をする事になったと言う事の例えです。


私達の進んでいる道を、アダムスキーは、
回り道や誤った道と言う意味での”大通り”と表現しています。


別の例え方をすれば
私達は複数の道をそのたびに選択しながら進んでいると言う意味では


迷路と言うよりは巨大なアミダくじを
選択しながら進んでいるようにも見えます。


そこでは元々であれば
精神を感じた生き方は一本の線で表すことが
できた筈です。


私達はその線に則って生きれば
自然に神の元に帰ることも
永遠の生を受けることもできた訳です。


しかし時間の経過と共に私達が心の暴走で
作り上げた複数の線が出来上がり
それぞれの道を進む人間も出てきました。


更に地球の法則は正しい道を進んでいる人間をも
別の道へと誘導するために誤った情報としての
横棒を引いてくれて


結果私達は当初進むべきだった道とは
別の道を進むことにもなっているのです。


それが人生の中で何度も繰り返されて
しかもそのたびに選択すべき道がさらに分岐されて


私達は決して全員が一つの道に集中して進んでいくのではなくて
それぞれの意識や価値観のレベルで分化していくことになる。。。


その過程で精神を使用し常に正しい道を進むことは
至難の技としても


私達は当初向かうべきだった道から
どんどんとかけ離れる事となりながらも
誤った選択肢を選んでは更にそこからかけ離れていく。


偶然もとの道に近づいても
他の人間に誘導され、地球の法則に惑わされ
気がつくと再びそこから遠ざかることになる。


それを延々と繰り返し
真に進むべき方向すら判らない状態になっているのだと思います。


道路として捉えれば、
元々は真理への道は獣道のごとく目立つことなく
狭く細い道なのだと思います。


多くの人間が一度は遠目で視線を向けますが
その先には藪や茨やブッシュが控えていて
多くの人間がそれを見てはその道を無視し


舗装を進んでいることに疑問を持たないのだと思います。


その道は障害物も殆どありませんし
大勢の人間が歩いている道なので安心して進めますし楽なのです。


舗装されていますから躓いて転ぶことがなければ
特に大きな問題もありません。


一方殆どの人間が進むことの無くなっている真理への道は
日々荒れ放題となり


近くの歩道が広く立派になればなるほど
避けられるようにもなります。


悪循環が繰り返され
その道は荒れ果てて途中には草木が生い茂り
道の存在すら判別し難くなっているのだと思います。


舗装には障害物もなければ、丁寧にも進むべき道への標識まで出ていても
この獣道のままである真理への道は
道を進んでいく人間すら減っているのですから荒れ放題で
時には行く手を阻む獣まで現れる事になります。


そしてそんな状況は、ますます便利で進みやすい道へと
人々を誘導することにもなるのです。


しかし多くの人間が進んでいる道の行き着く先に
待っているものは真の命ではないのです。


この社会の中で記憶を失いながらの転生を繰り返し、
覚醒しないままで魂を消すことになったとしたら


結果的には何も残る事の無い虚しいデジャブーを
繰り返す羽目になっているようなものです。


それに気がついた人間は一旦スタート地点に戻り
進むべき道を変えなければなりません。


私達がその道に進むためには私達は一旦父の家へと帰り
正しい進行方向をそこで父から学ばなければならないのです。


私達の社会では多くの人間は物心ついた時には既に
この地球社会の価値観を押し付けられる事となります。


つまり、先述の”道”で例えれば、
私達は物心ついたときにはすでに他の大人と同様に
広く舗装された道を歩いているわけです。


そしてそこでは殆どの人間が逆戻りすことなく
前に進み続けることになります。


しかし私達が正しい道へ進むためには
一旦今来た道を逆戻りして
スタート地点である創造主の家に戻らなければならないのです。


抽象的で判り難いかも知れませんので具体的に触れれば、


私達は心が作り上げた価値観や先入観を一旦リセットして
精神と言う声のささやきを聞かなければならないと言うことです。


それなくして私達は正しい道へと進むことはできない。


私達は宇宙的記憶を伴った永遠の生へと進むことが出来ないのです。


そしてアダムスキーもイエスキリストも
父の家に帰れと言っています。


私達は精神を感じるよう勤めなければならない。


真の生を生きたいと思えば、
永遠の人生を生きたいと願えば、
私達は創造主の法則に立ち返って暮らさなければなりません。

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ところでアダムスキーは
実践こそが大切であることにも触れています。


聖人の教えや宗教を学んでも

そして生命の科学と宇宙の法則を学んでも


それが知識だけで実践の伴わない物であれば
単なる頭でっかちの人間の単なる自己満足に終わってしまうと思います。


何かを知ることだけで自分が進化したわけではない。。


それをきっかけに自らの価値観を変え
行動を変える事にならなければ
それは机上の理論と同じ物だと思います。


そして同時にそれはある日突然自分に大いなる制約を与えて
行動を自重する様なものでもいけないと思います。


私達が実践すべきは規範や戒律を守る事ではありません。


そしてテストで点数を取るための知識を
吸収するようなものでも無いのです。


ある日突然自らに戒律を与えても
それによって突然精神を感じる様になどなりませんし


精神に関していくら学んでも、それを感じてその意識を実践しなければ
精神を実際に生活に生かしている事にはなりません。


その時だけ心に安らぎを感じたつもりになっても
そこには成長はないのです。


私達の社会の中の誤りは、最初に知識の詰め込みがあったり
最初に守るべき戒律を与えられる事だと思います。


そして時には正しい知識を得たとしても
それを自ら認識する様な機会にも恵まれず


結局は正しい事と誤った事が一緒くたに価値観の中に
詰め込まれることにもなります。


精神を感じるために私達が当初すべきことは
多くはないはずです。


まずは神の意識としての精神の存在を知識として知る事。


宇宙の法則とその一環の生命の科学の前提である
私達の生まれてきた目的を知ること。


自分が永遠を生きている存在であることを理解する事。


知識としてはそれだけでも充分かもしれません。


そして自らに課す制約など何も必要はないと思います。


何故かと言えば制約と言えるものは、
精神を感じていく中で自らが、何が自分にとって
良いか良くないかを認識し


行動の改善を自らの意志で実行することになるからです。


それは精神の導きですから
神から受け止めた制約、
もしくは人としてのあり方の規範です。


他人の価値観を押し付けられたわけではなくて
自らそれが神の予定しているものであると判断し、


若しくは自らがそれが自分が精神を強く感じるために
必要な事であると自覚し改善していく事になるのです。


毎日山ほど酒を浴びている人間がいても
それを今すぐ禁酒する必要はありませんし


毎日大量に肉食をしている人間がいても
それを早急に菜食に変える必要もないと思います。


全ては地道な精神を感じる作業の中で
正しい方向へと自然に導かれることだからです。
(何も変わらない方は成長していないことにもなりますが)


アダムスキーは極端な事は良くないと触れていましたが
おそらくは精神を感じていく中で


精神を強く感じようと勤める人間は
自らが酒を浴びるように飲むことを控えるようになりますし


そして肉食中心の人間も気がつくと
その量を減らす事になるのではないかと思います。


それは戒律ではなくて、精神の誘導です。


私達が精神を強く感じる事で
良い事と良くない事を自ら選別し実践するようになるのです。


そして人によっては持っている価値観の中で
それを変えていく優先順位も存在していることに
気がつく事になると思います。


その人間の心を、大きく乱す要因となっている物ほど
優先して変えていく事に成るであろうことも
今では何となくですが理解できるようになりました。


もちろんその優先順位は人によって異なります。


それが酒やタバコなのか、
それとも性のような本能的な欲求なのか


物欲や金への執着なのか、
プライドや名誉欲なのかは一人一人異なると思います。


私達は価値観も経験も生活環境も異なるのですから
個人に影響を与える物の順位はまちまちのはずです。


アダムスキーが規制すべきことを
十羽一絡げにして触れていないのは


自らの行動は自らが精神を感じていく中で
自然と改善されるものであることを
私達が感じるようになる事を想定しているからだと思います。


生命の科学の勉強の目的は、
精神を強く感じるように成る事
そして心を精神へと重ねるように導く事です。


そのためにもまずは実践を伴う物にする事。


そして自らが経験の中で多くを学び理解し、
その教訓を生かしていく事が大切だと思います。


これは聖人ではない他人が
私達に教える事の出来る物ではありませんし
戒律や規範の存在する物でもありません。


しかもこの学習は当面は終わる事のない
半永久的な作業でもあります。


神が私達に望んでいる事は、


私達が限りなく神に近い存在に変貌するために
無限の転生を繰り返しながら
精神を進化させていくことなのですから、


私達の意識が神とかけ離れている以上
この作業は延々と続くことになりますし


そこに到達するまでは無限の時間を必要とするであろう事も
想像が出来ます。


私達はその間様々な経験を通じて
多くの知識を学びながら
精神を少しずつ進化させていく事になる。。


しかも当初は制約などまるで持つ事もなかった私達が
進化と共に無意識の山ほどの制約を
自ら作り上げて行く事にもなるはずです。


それは私達の理解の程度に併せて自らが自分に課す制約であり
それは自分の精神を進化させるためと
自らが納得し判断した上での物でもあります。


神の意識を感じる事の出来ない人間が作り上げた
独自の価値観の押し付けとは異なり


それは全てが精神の導きにより
自分に必要な事として積み重ねられる物でもあります。


だからこそアダムスキーは
今まで持っていた嗜好を制限する必要はないと
触れていたのだと思います。


宇宙の法則を学ぶ事を宗教に例えれば、
それは宇宙教であり真の神を祭る宗教です。


当初は戒律も規則をまるで存在していない無法の教えですが
実はそれは、理解の程度に併せた無限の戒律を持っている教えでもある
と言う事になると思います。


そしてこの教えの難しさは、
この道に進む事を選択するきっかけを得る事すら
まま成らないものであると言うこと。


(キリスト教風に言えば
神の国が近づく人間自体が少ないと言うことです)


宇宙の法則を元に人間が作り上げた
誤った価値観が巷に散乱しているために


真の教えがその中に埋もれてしまっていると言う
悲劇のためです。
(更に類似品や毒交じりの宇宙の法則も目立つようになっています)


そして正確に言えば、
宇宙の法則は宗教とは異なり
普遍的真理であると言うことです。


そしてそれを導くのは
真の創造主の司る法則であり
私達の中の神の意識である精神の存在なのです。


本来の神の教えは
人間一人一人が神と直接向かい合い
神から学ぶ事になるものである。。


以前からの私の宗教に関する主張が間違ってはいなかった事を
今では心底実感しています。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P.S.


菜食主義者に警告をします。


肉を食べないことに関しては批判はしません。


しかし菜食主義が脂質の欠乏を齎すこと、
そして脂質の欠乏が脳細胞に悪影響であること


そして結果的にはそのために
思考能力を落とされることを指摘させてください。


私達は肉を必ずしも食べる必要はありませんが
脳の働き脳細胞の維持に必要な充分な脂質を取る必要はあります。


脳が脂質を欲しがる事を
私は自分の体験で理解しています。


甘いものや脂質を
脳が欲しがっていることを
頻繁に感じているのです。


揚げ物やテンプラ類でもかまいませんし
バターやマヨネーズでもかまわないと思いますので
補給が必要だと思います。


脂質太りを気にする方もいるかもしれませんが
脳を壊してしまってはいくら体が健康であっても
其れは精神とはかけ離れることになりかねないからです。


肉体が司るのはこの地球で私達が肉体を持っている
80数年間の期間ですが、


脳が理解して心と精神に与える影響は
今のこの生だけではないのです。


その事を理解して頂ければ
正常な脳の思考を保つためにも
脂質を取ることをお勧めします。


念のために言ってきますが
肉食を推奨しているわけではありません。


菜食主義者は肉に含まれるのと同様の栄養を
他の食品で補給してくださいと言うことです。


勿論余分に取りすぎて太らない程度にです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分が信頼できる人間が
アドバイスをくれる。。


自分よりも理解の深い人間に導いてもらう。。


そんな行為に関してはアダムスキーは否定してはいません。


ただ、これは資質の個人差も成長の差もあると思いますし
精神の進化の状態はテストや面接で判断できる物ではありません。


教えているつもりの人間や広報しているつもりの人間が
それを聞いている人間に教えられている事もあるはずです。


私達の実行すべきは
日々の小さな努力と進化を地道に続けていくこと。


それだけでも十分だと思います。


間違っても精神の進化のために
集中して勉強しようなどとは思わないことです。


日々の実践を繰り返す事こそが大切で
そのためには激しい修行や一時的な集中が
必要な作業でもない思います。


大切なことは常に精神を感じる意識をし続け
その水準を保ち向上する練習をしていく事だと思います。


今日は久しぶりに精神的な話を中心にするように
努力してみました。


私は今のこの社会環境に改善は見込めないと判断しました。


微々たる改善は感じますがそれは精々
フリーメーソンレベルでの物のようです。


この社会の環境が、今までの宗教思想・民族思想レベルから
フリーメーソンレベルへと移行していくと言う意味です。


生ぬるい灰色社会を作り上げ
そこから少しづつ白に誘導しようなどと言う意識を
今の私達社会の権力者が持てるわけがない様です。


彼らが意識を変える気になるのは自分達の身に危険が及んだ時
自分達の立場や命が危機に晒された時だけだと思います。


人間、誰しも楽な道を選択したがる事は
自分を見ていてもよく理解できます。


でも私は今は安易で楽な道を選択しているつもりはありません。


そして生ぬるい状態で生殺しにされ続ける気も
軟禁・封印され続けるつもりもありません。


その決意を胸に秘めて
皆にもその意識を伝えようと思って今日の記事を書きました。


多くを触れなくても
私が言いたいことそして覚醒者同志に願っていることを
是非ここから汲み取ってみてください。

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