原発事故後の結構な期間、無意味なものから過剰なもの、単に害しかないものなど諸々の放射「能」対策が唱えられており、それは専ら住民の生活を損ねるものでしかなかったと言えます。にも関わらず放射「能」によって健康被害が生じる可能性は0ではない云々と説く人もいたもので、ならば隕石に当たって死ぬ確率だって0ではない、しかし隕石が降ってくるのに怯えて頑丈なシェルターの中から一歩も出ない生涯を送るとすれば、それは誰がどう見ても愚かな判断だろうと当時は思いました。しかるに先日のロシアでは隕石の落下で1000人を超える負傷者が発生したとか。全く、何が起こるか分からないものですね。だからといって、隕石が降ってくる決して0ではないリスクへの予防原則と称して住民の生活を制限するとしたら、それはどうなんだろうと引き続き思うわけですけれど。
無添加はかえって危ない、と説く人もいます。とかく有害視されがちな食品添加物ですが、むしろ「無添加」の食品の方がハイリスクになっている場合もあるようです。添加物の危険性ばかりが大きく叫ばれる一方、添加物を使用「しない」場合のリスクは無視されがち、ところが後者の方が実は重大になるケースも珍しくないのでしょう。食品添加物の害が全く0ではないとしても(実際に使われる量の何千倍も摂取すれば!)、ならば「使わない」ことでリスクを0にできると言えばそれは全くの誤りで、添加物を使わないことで食品の保存性が大きく低下、食中毒などの時には重篤なリスクすら高まってしまうわけです。しかし「使わない」ことのリスクから目を背ける人にとっては、「無添加」こそが安全の印になってしまうのかも知れません。
電車を止めることに並々ならぬ拘りを見せるJRを「安全優先」などと考えてしまう人も、たぶんそういう発想の持ち主なのでしょう。状況の如何に関わらず電車を止めるJRが安全志向なら、状況次第で平常運転や早期復旧を計る私鉄各線は安全軽視なのかと言いたくもなりますが、ともあれ先日も書きましたように電車の運転を止めさえすれば安全かと言えば、そう簡単でもない、むしろ止めることによって増大するリスクもあったわけです。動かさなければ事故は起きない、というのは幻想でJRが電車を止めることで「ヨソ」にリスクが転嫁されているだけだったりして、まぁ危なっかしいことだなと私などは思ったのですけれど、「動かさない」ことのリスクから頑なに目を背ける人にとってJRは安全優先の組織と言うことになるようです。
飛行機に乗らなければ、飛行機事故には遭わないで済むかも知れません(自宅に飛行機が墜落する可能性は0ではないにせよ)。しかし、飛行機の代わりに船や自動車で移動するとなれば、言うまでもなく船の事故や自動車事故に遭遇するリスクからは逃れることができないわけです。Aというリスクを避けるための判断が、Bという新たなリスクを引き寄せることもある、むしろ新たに直面するリスクBの方が深刻になることもあるでしょう。そこで総合的に見てどちらがより安全なのかが問われるべきと言える一方、特定のリスクだけを絶対視してリスクAを避けるために生じるリスクBの存在を無視する人もまた多く、こうした手合いほど声高に「安全」を叫ぶ傾向があるように見えます。それは安全を重視する風を装いつつ、実は(安全のことを含めて)何も考えていないだけなのですが。
すき家が強盗対策に費用を投じないのと同じことで、電車を動かしたがらないJRにも相応の経営側の思惑があるのでしょう。メニュー表をレジカウンターから撤去したマクドナルドみたいに利用者には不評な代物でも、会社側は一応の知恵を絞って最善の判断をしたつもりなのだとは思います。そして電車を「動かした」結果としての事故と違って「動かさない」ことで生じた損害ならば責任を問われにくいとでも考えるのなら、営利企業としては至って合理的です。ただ、これを安易に「安全優先」と判断する部外者は、もうちょっと深く物事を考えた方が良いのではないか、特定の――自分が関心を持つ範囲内での――リスクだけではなく、もっと広い視点で見るべきではないかと思いますね。むしろ危険を招くことだってなりかねませんから。
原発稼働を巡っても、問われるべきは「動かした場合のリスク」と「止めた場合/動かさなかった場合のリスク」であったはずです。ところが特定のリスク――要するに「動かした場合のリスク」のみを語っては、「動かした場合のリスク」vs「経済性、利便性等々」の対立に話をすり替えようとする論者もまた多かったのではないでしょうか。あるいは、「動かした場合」のリスクが0かそうでないか。いずれにせよ「止めた場合/動かさなかった場合のリスク」から目を背け続けてきたという点で安全のことを何も考えていない、自分の頭の中の妄想にしがみついていただけの人も多くて、あろうことか行政がそれに振り回されてしまったところすらもあると言えます。特定に事例に寄らず、リスクに対しての考え方そのものが見直されなければいけないのではないかと、まぁ色々と考えさせられるところです。