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大日本帝国陸軍階級解説コーナー

『平成COMPLEX』世界準拠版。

※各欄の年齢は、“それになれる目安”程度にご理解下さい。
※06/4/5用語《司令》の変換ミスを修正。


二等兵 にとうへい
Private
通常の徴兵によって軍隊に入るとまず頂く階級がこれ。
基本的に消耗品扱いされる運命なので、概ね2年間の服務中に
《各科》への転出申請をし、合格するか昇進試験を受けよう。
そこで次の位に行けるかどうかが後の“有事再徴集”時に
決定的な差として各々にのしかかって来るぞ。20歳より〜

一等兵 いっとうへい
Private First Class
勤務態度がすご振る良かったり、そこそこに活躍をして
2年間を勤め上げれば、無条件にこれに昇進した形で除隊する
(娑婆に帰ると言う)事が出来る軍隊もあるような、無いような。
それでもやはり消耗品。21歳より〜

上等兵じょうとうへい
Private First Class
ここまで来たのなら、思い切ってもっと上を狙いましょう。
給料こそマシにはなって来るものの、ここで得られるのは
《内務班長》としての新兵いじめの権利(暗黙で)くらいのものです。
病みつきにはなるのでしょうが、その新兵が後々自分より出世して
帰って来ては目も当てられません
。22歳より〜

兵長 へいちょう
Technical Corporal
これまでの階級にあるときに各科への転出申請が叶い、又は
下士官昇進試験を受け、晴れて候補生になると自動的にこの位に。
《兵》の最上位。基本的には下士官出世へのつなぎとしての
意味合いが強い階級なので、人数は少ない。

ちなみに、もし転出・昇進に失敗して原隊に戻される時は、
悲しいことに元の階級に逆戻り。健闘を祈る。20歳より〜
※兵長は旧日本軍では昭和15年(1940)に新設された位で、これ以前の
時代背景の物語には出てきてはいけません

※ここ迄を区分上《兵》《兵隊》《兵卒》と呼び、戦力の根本とする。徴兵制のある国に
生まれついた男子は、常識的にはほぼこの範囲でやっていく事となる。


伍長 ごちょう
Corporal
ここからは任期に縛られない、所謂《職業軍人》に区分が変わる。
基本的には数年後に軍曹に上がるためのステップ的な階級と
言えなくもない。
この地位でひと班(4名)の長となれる。20歳〜

軍曹 ぐんそう
Sergeant
一分隊(二班)の長として部下を徹底して鍛え上げる事を使命とし、
大抵は“鬼”の冠を戴く事の多い立場。で、“鬼”だけあって(?)
深く付き合い、信頼関係が築かれると(何故だか)人情味に厚い人が
多いので、率先してドロを被ってくれる等、有り難い存在
ともなります。ほとんどの兵にとって日常会話を交わすのは
この辺の人まで
。曹長以上には畏れ多くて、ねぇ。25歳〜

曹長 そうちょう
Master Sergeant
実質上の小隊(概ね混成四分隊)取り締まり役。
このクラスになると大抵はたたき上げのおっさんなので、
軍隊生活の酸いも甘いも噛み分けた“小隊の知恵袋”として、
役に立たない新米小隊長(少尉)を一日も早く一人前に
するべく鍛え上げる責務をも負う
が、小隊全体の生存率を
上げるためには欠かせない立場。
小隊長(中隊長)指揮不能状態に在るときは替わって指揮を執る事も
多いので、一般の兵はむしろここまでが日常の人間関係の範囲。30歳〜

准尉 じゅんい
Warrant Officer
下士官で士官候補者となると自動的に与えられる位。又は
模範的な下士官勤務者にいわばオマケとしての昇進機会を
与えるためとして置かれる事の多い階級。当然人数は少ない
たたき上げでここまで上り詰めた人は、相当尊敬される。
任務的には曹長と殆ど変わらないが、特権として
少尉以上と変わらぬ(自分で仕立てた)軍服を着る事が出来る。
基本的に下士官も兵も同じ安物の既製服を着ているので
(違うのは階級章のみ)これはとても嬉しい事である。
逆に、《特務機関員》にはやたらと多い階級という説もある。35歳〜

※准尉は昭和15年設置。しかし階級章的には、それ以前からも
《特務曹長》の名目で存在していた。

※ここまでが《下士官》。統率のとれた作戦行動を指揮・遂行しうる最低限の人材達で
ある。10年単位の永きに及ぶ軍人経験は往々にして世俗とかけ離れた感性を育む事と
なり、非番に市街地にて一般市民との揉めを頻発させるのも又、彼らである。

※大雑把に言うところの《軍人》とはこの下士官以上の者を総称する物
間違え易いのが
《軍属/ぐんぞく》という立場の人々で、彼らは民間人の資格のままで
軍に雇用されている
。当然階級は無く、軍服も着ることが出来ない

※尉官から上が《士官》帝国陸軍は別に《将校》と言い表した。
現在の自衛隊では《幹部》と言う。
※帝国陸軍では、少尉任官と同時に《正八位の官位》に叙された。


少尉 しょうい
2nd Lieutenant
小隊(概ね混成四分隊)の長として戦闘指揮を行う。
1幼年学校(中学)→士官学校(高校)と進んで任官する者と、
2一般から士官候補者課程を経て任官する者。
3下士官から昇進する者 の3通りがある。

当然出世の最も効率の良いのは1であり、大抵は陸軍大学に進み、
更なる栄達を図る。そうでない場合は、いきなり部隊を任される
事になるが、何せ経験が浅いものですから(実務的にも人間的にも)
海千山千の下士官共にいいようにからかわれ、あしらわれる運命です。
「…で、お次はいかが致しましょうか?ショ〜イドノ」
。21歳〜

2の場合は特殊な兵科(つまり歩兵以外)を希望する場合も多く、
民間時代の各種技術者・有資格者は概ね優遇されるため、
二等兵から数週間程で各科少尉になる事も当たり前に起きる
(これは嬉しい)その代わり、除隊出来なくなったりしますがね。21歳〜

3は主に永年勤務の准尉ないし曹長へのオマケとして、軍人年金
(恩給)の“色つけ”に定年間際に任ぜられるケースがほとんど。
かつて現役自衛官の准尉さんに聞いた所「本当の辞め際なら
まだしも、40がらみで三尉(少尉)任官なんかすると、
《幹部》としてはペイペイ、しかも更なる出世などあるわけもなく、
現場からは遠ざけられるので、一気に老け込んでしまう」
との事。意外にも嫌がってました。38歳〜


中尉 ちゅうい
1st Lieutenan
中隊付きとして中隊長たる大尉の補佐を行う事が多いが、
編成によっては小隊長として指揮を執る事もある、
使う側としては都合の良い位。全尉官中最も人数が多い
当人にとっても立場上の自由度は高く、貴婦人や令嬢との
何だかんだを起こしがちなのもこの辺りの人
(独断)。
24歳〜

大尉 たいい
Captain
中隊(三小隊)の長として戦闘指揮を行う。実質的に現場(最前線)に
立つ最高位の人ともいえる。尉官もこの辺まで来るとかなりの者。
余程の駄目人間で無い限り下士官共も家族的敬愛の情を
もって接してくれる。何せ彼の判断には200名前後の兵卒の
命が懸かっているのだから。
上からの《作戦》を遂行するための、現場での《方針》は彼に
委ねられる事が多い。《特務部隊》《特殊部隊》の長の上限もまた、
この階級
。その辺が米軍で《キャプテン》と呼ばれる所以
29歳〜

少佐 しょうさ
Major
大隊(混成五中隊)の長を任される他に、《特務部隊》《特殊部隊》
等の《司令》
はこの辺の階級が受け持つ事になっている。
1大尉からのたたき上げ昇進の他、2陸軍大学を卒業しても
将来最低限この階級となる事を約束
される。その場合は
《参謀》として中央での暗躍の道が開かれる

1の場合、高級幹部としては最後の現場重心の人達でもあり、
日頃から配下の中・小隊長達とは積極的な意思疎通を図る
(そうでない人も居るが)。
ここでの実績が大佐まで(後にその上まで)行けるか、
中佐で止まるかの分かれ道。だから無駄にハツラツとした人、
多いです。34歳〜


中佐 ちゅうさ
Lieutenant Colonel
ここで終わる人、更なる栄達を拝める人、悲喜こもごもな地位。
人数も佐官の中で最も多く、そのノリも様々。
中央にて参謀やってる人は更なる暗躍に血道をあげて、
場合によっては国そのものをミスリードしたり
しますし、何の役職も貰ってない人は暇に飽かせて
“時局講演会”等を開催し、地域住民をミスリードしたりもします。
部外者的には(野次馬的には)話してると楽しい人(おっさん)、
多いんですけどねぇ。38歳〜

大佐 たいさ
Colonel
連隊(三大隊+一砲科中隊)の長になれる。実働組織としての
軍隊において現場にて真にこれを掌握・活用・機能させうる
立場がこれ。かの乃木希典(1849〜1912)も「自分がその
存在意義を最も実感出来たのは連隊長の地位に在った頃まで
だった」と、いうような事を言ったような、言わなかったような。

この辺に来ると、それぞれ支持者も多く、だから
クーデター等が起きた時、首謀者はこの階級が多いのです
(大抵はすぐさま将官に昇進しますがね)。各種兵科の、その
呼び名付き(歩兵大佐とか、軍医大佐とか、技術大佐とか)の最後の
階級
でもあります。41歳〜

※佐官は特に“高級将校”と称される事もあります。

《幕僚》と呼ばれる人達が居る。早い話が《参謀》の事である。雰囲気的には施設内で
もそもそ画策してる響きがあるので、良い感じはしない(あくまでも個人的感想ですが)

《司令》《司令官》別役職。《司令官》の方が上級。


准将 じゅんしょう
 Brigadier General
旧帝国陸海軍・自衛隊共に存在したことの無い階級。
『平成COMPLEX』 世界には存在してます。
大佐として貢献・実績はそこそこ有ったけど、将官に任ずる程では…
という中途半端な立場の人に、取りあえず与えられると思われる。
だから真っ当な実績の有る人は一足飛びに少将に任ぜられる
のが普通ですね。外国では若干ニュアンスが違うようですが
ここからを《閣下》と呼び、《副官》(基本的に尉官)一名と護衛憲兵
一名が付く
副官の仕事は“秘書”とでも考えて頂けると話が早い。
50歳〜

少将 しょうしょう
Major General
旅団(一個連隊+α)の長、及び場合によっては師団長となれる。
又は非戦闘兵科の司令部の長《司令官》を務める立場。
↑例えば《憲兵隊司令官》とか。 45歳〜

中将 ちゅうじょう
Lieutenant General
師団(二個旅団+α)の長になれる。又は《特務機関》
機関長を務める事もある。
大抵の軍人生活はここで終わる。旧帝国陸軍では明治の創設から
昭和の敗戦・解体までの半世紀で大将は94名しか存在していないのだ
(将官全体では4500名余りも居たのに、である)。
と、いう事で色々と動き回る人が多いです。基本的に逆らえる者が
居なくなってますので、かなりやりたい放題です。
もっとも、それが兵卒への思いやりとして発揮された場合は
まさに“神様・仏様”なのですが。50歳〜

大将 たいしょう
General
軍団(二〜三個師団)の長(《軍司令官》という)になれる。
相当に実績があったか、相当に人脈作りが上手かったか、
又は相当何もしなかったか(!?)すると行き着く

軍人すごろくの“上がり”。組織的には《お飾り》な立場の人。
基本的には現場にも口を挟めなくなったり、挟んでも
無視されたりと散々
です。でもまあ、次の元帥を含めて
この辺の人が何か言い出して、それが妙案であった
試しも無いので、黙殺は賢明な選択です。式典とかで
長々と挨拶・訓辞を垂れて顰蹙をかうのもこの辺の人
です。
実は自衛隊には無い階級(変ですね)54歳〜

※彼ら《将軍》達は、その階級章の見た目から“ベタ金”のお偉いさんと呼ばれる。
基本的には無条件の尊敬はされていないと考えた方がよろしい。

将官からは各種兵科との所属関係が無くなるので、襟色とかその他の徽章類は一切付かなくなる
これが結構見た目の間抜けさにも繋がっているが、口に出してはいけない。


元帥 げんすい
General of the Army
大将勤務者で、すごぶる偉業のあった者に、その足跡を
現役中に讃えるべく与える称号階級章は変化無し
別に“元帥徽章”を装着し、地位の証とする。残念ながら現在の
《国民栄誉賞》等と同じく、時代によってその認定基準が曖昧に
なりがちで、結果的に相応しく無い人物に与えられる事も多い
歴史的には数人居るくらい。呼び方は「〜元帥閣下」
自衛隊には無い地位

大元帥 だいげんすい
Emperor of Japan
直接軍人で無い、しかし三軍を掌握される絶対統帥者。その称号。
…って、回りくどく言わなくても解りますね。
そう、《お上》の事でございまする。
呼び方は「大元帥陛下」。当然自衛隊には無い地位。