【シチリア王国】トレス村“クリスの邸宅”修練場
早朝。
冷えた空気の中修練を行うミレイとアリシア。
今はひたすらに型の修練を繰り返している。
そもそも使う武器が違うので個人での延々とした繰り返しだ。
クリスやアースもまた今の時間帯は同じ修練場ではあるが、彼等自身の鍛錬を行っている。
クリスとアースによる軽い模擬戦の様なものだろうか。
如何に探索者が、鍛錬など行わなくとも腕や勘が鈍る事の無い反則じみた存在とはいえ、彼等とて今の力に甘んじている訳では無い。
探索者も、そして宮廷騎士団や宮廷魔術師団を引退した身であっても、彼等も未だ高みを目指す事を諦めた訳ではないのだ。
目的、と呼ぶべき物は無い。
ただの男の意地の様な物であろうか。
何にせよ、鍛錬によって急激に力が上がるなんて事は無い。
目に見えてステータスが変化するという事もありえない。
それでも確かに積み上げた努力は確かに意味を持ち、ほんの僅かずつであろうと彼等をより高みへと押し上げて行く。
事に探索者というのは衰えとは無縁の存在だ。
故に弟子を取ろうと彼等のスタンスが変化する事は無かった。
その2人の模擬戦の傍らで行われるミレイとアリシアの型の繰り返しにも意味はある。
やはり型、特に基本という物は戦いに於いて芯となる重要な物だ。
世の中には型に嵌らず、自由奔放でいながら最適にして至高の動きを体現するような存在も居るが、そんな物は極めて例外だ。
実戦の中ではあくまで型とは芯に過ぎず、型に拘るのは愚かしい事で、常に柔軟な対応が要求されるが、つまり実戦を繰り返す内に、型という物に微細な崩れが、歪みが生まれてくる。
勿論悪い意味での物ばかりでなく、より型を洗練し磨き上げるような方向性の発見とて幾つもあるのだが。
ともかく、良い意味でも悪い意味でも変化した型を、型の繰り返しで矯正する事には意味がある。
歪みを正し、新しいより洗練された方向性は取り入れ、芯となる型を研ぎ澄まし磨き上げる。
常にそれを行い続ける事が、彼女達をより高みに導くのだと、既に彼女達は理解している。
だから黙々と、単純作業にさえ思えるそれを彼女達は繰り返す。
それだけでは無い。
基本こそ教えられたとは言え、クリスはミレイやアリシアの使う武器、戦闘スタイルについては専門ではない。
つまり基本以上の部分、発展の部分についてはミレイやアリシアの2人は自分で生み出し、創造していかなければならないのだ。
基本を磨き上げつつ、発展の型を自ら創り上げ、それを洗練させ、使える、意味の在る物へと、真に型と呼ぶに足る物へと昇華していく。
そうやって彼女達はここまで自らの戦闘スタイルを発展させてきた。
この僅かな期間で。
とは言え彼女等の兄弟子こそが先に言った型に捉われず自由奔放にそれでいながら最適の動きを自ら理解し至高の動きを体現していた物なので、感覚が麻痺してしまったクリスやアースはその彼女達の極めて異常なレベルの才すら普通に感じてしまい、弟子である彼女達もクリスやアースの反応から自分達の才能が極めて異常なレベルにあるなどと理解すらしていないのだが。
疲労が溜まったアリシアが型を止めるのを感じてミレイもまた合わせるように型を止める。
汗を掻き熱が溜まった身体に早朝の冷えた空気が心地良い。
どうやら何時も以上に集中していたようだとミレイもアリシアも自分達の状態を理解する。
だが仕方無い事だろう。
何せ2日前、突然現れた彼女等の幼馴染であり或いは兄のような存在であるスレイ。
彼の言葉が彼女達に与えた影響は大きい。
次に来た時、その気があるなら迷宮都市に連れて行く。
答えは決まっていた。
既に家族に話は通してある。
勿論色々と議論なども起きたが、結局最後は己の意志を通した。
だから彼女達の修練に熱が入るのも当然だろう。
とは言え2日前の話だ、何やらこの国の宮廷騎士団長と宮廷魔術師団長を兼任するフェンリルに用があるという事だったし、そんなすぐに来るとは思っていないが、やはり逸る気持ちはある。
などと思ったその瞬間だった。
「どうもー、お返事聞きに来ましたー」
「はっ?」
「なっ?」
「へっ?」
「ふぇっ?」
突然修練場内に響き渡った声に、模擬戦中だったクリスとアースが、一時の休息を取っていたミレイとアリシアが、間抜けな声を上げて一点へと視線を集中させる。
そこには足下に蒼い狼ディザスターを伴い、右肩に白い小竜フルールを乗せたスレイが何時の間にか、全く気配すら感じさせず出現していた。
4人が硬直する中、スレイは全く気にした様子もなく呑気な様子で軽く笑って問い掛ける。
「それで、ミレイとアリシア。どうするかは決まったか?」
その言葉に我に返った4人が口々に反応を返す。
「スレイ、お前。人ん家にまた黙って入ってきやがって」
「いや、今回はそのような話じゃなかろう?何時現れたのか、本気で何もわからなかったぞ?」
クリスのどこか的外れな非難に、アースが息の合った様子で突っ込む。
「って、普通たったの2日でそんな重要な事の返事を聞きに来る?」
「うわぁい、お兄ちゃんだー!!」
「……」
責める様に告げるミレイに対し、ただ無邪気に喜ぶアリシア。
そのアリシアの反応に思わずミレイは沈黙し、こめかみを押さえた。
そんな様子を楽しげに見ながらスレイは問い掛ける。
「ふぅん、たったの2日ねぇ……。それじゃあ返事は決まってないのかな?」
どこかわざとらしいスレイの問い掛けに、ミレイは溜息を吐きつつ答える。
「……ふぅ。いえ、返事だったらもう聞かれたあの時には既に決まっていたわよ」
「私も私もー」
ミレイに追従するアリシア。
2人の反応を見ながら、ふと気付いた様にクリスが尋ねる。
「って言うかスレイ。お前もうフェンリル様への用事は終わったのか?こっちがフェンリル様にどれだけおっかない思いして連絡取ったか」
「……ああ、アレは怖かったのう。っとそうではないわっ、お主はたった1、2日で終わる用事の為に師を扱き使ったのかっ!!」
思わずと言った様に怒鳴るアース。
スレイは悪びれず飄々と答えを返す。
「そう怒らないで下さいよ、俺だったからすぐに終わったんであって、他の人間だったら一生終わらないか、死ぬかどっちか、って程の用事だったんですから。ほら、俺が優秀すぎるだけで」
「……いや、まあ、確かに間違ってはいないけど」
『事実だからと、ここまで傲慢なまでに自信を持てるのは主くらいのものだろうな』
呆れたようなペット二匹の突っ込みを無視して、スレイはミレイとアリシアを強く見詰めた。
「さて、それじゃあ、とっくに決まってたっていう返事を聞こうかな?」
口元に笑みを浮かべながらのスレイの台詞にミレイは溜息を吐く。
「スレイ、貴方。絶対に分かってて聞いてるでしょう?」
「まあな、でも直接その口から聞きたいのさ」
悪びれないスレイにまたも溜息を吐くミレイ。
だが気を取り直した様に顔を上げ、スレイを見詰めるとミレイは答えを告げる。
アリシアもまたその後に続いた。
「それじゃあ答えるわ、私は……」
「私もね……」
【クロスメリア王国】迷宮都市アルデリア“ギルド本部”クロウ・サクヤ夫妻に割り当てられた客室
ほぅ。
席に着き、ディラクから取り寄せられた茶葉で入れたお茶を湯飲みで飲みながら、シズカはリラックスした吐息を漏らす。
祖父母の知り合いだという元S級相当、いや現役復帰したので立派な現役のS級相当探索者達に指導を受けながら迷宮探索を繰り返す日々。
そしてそんな日々の安らぎに、このように落ち着いた日常を過ごす。
それが現在のシズカの普段の生活であった。
まだ本格的に指導を受けている訳では無いが、祖父母と同じ年代の、経験豊かなS級相当探索者達でさえ驚く程の成長を見せ、シズカは才能を見せ付けている。
だが流石にまだこの都市を訪れてからさほどの時が経った訳でもない。
スレイのような化物とは比べものにならなく、才能豊かで、いずれはSS級相当にも届くだろうと思われるが、あくまで常識の範疇での成長であった。
故郷の茶葉の香りと臓腑を通る熱い液体の感触にリラックスしきり、僅かに身体を弛緩させる。
その時だった。
「よう」
「きゃあっ!?」
突然背後から声を掛けられ、肩にポンと手を置かれ思わず悲鳴を上げる。
このいきなりの事態にも決して湯飲みを揺らしたりせず茶を零したりしないのは流石と言ったところか。
慌てて湯飲みをテーブルの上に置き、勢い良く振り返るシズカ。
そこにはシズカが良く知る青年スレイとそのペット達、そして見知らぬ少女が2人立っている。
「な、な、な」
あまりにも急過ぎる展開に口をあわあわさせるシズカ。
スレイは気にする様子も無く用件を一方的に述べ立てる。
「悪いな、いきなりだが用件に入らせてもらう。こいつら、俺の幼馴染と妹みたいな奴等なんだが、俺の師達のところで師事していた連中でな。これでお前と同等以上の才能を持つ奴等なんで、お前とパーティを組ませると面白いんじゃないかと思って連れて来たんで面倒頼むわ。ゲッシュには俺の方から話通しとくから、クロウやサクヤと2人の知り合いにはお前から紹介しておいてくれ。で、これこの2人用の新しい装備だから」
告げると同時、魔法の袋から無造作に取り出した装備を床に置いていくスレイ。
何やらその肝心の2人も目を丸めて驚いているようだが、シズカは間違い無くそれ以上の驚きに包まれていた。
装備の全てがオリハルコン製。
どこまでもデザイン性に富み優美なドレスが二着、それだけでなくその機能性も紛れも無く一級品で、更には色々とオプションも付けられているようだ。
それにダガーとソードブレイカーと棒がそれぞれ一つずつ。
やはり全てが洗練されたデザインで、それでいて実用性も重視されており、何よりやはりただのオリハルコン製というだけでは終わらない機能が付随されている。
シズカがそのあまりの価値在る装備に驚いている間にスレイは一方的に告げる。
「それじゃあ後はよろしく頼むな、探索者の先輩として2人の面倒を見てやってくれ。あ、それとまだこいつら探索者の登録も肉体改造もしてないからそこからよろしく。じゃ」
そしてスレイはペット達と共に一瞬で消え去る。
残されたシズカとスレイが連れて来た2人の少女、ミレイとアリシアは顔を見合わせ沈黙する。
互いに困惑し、どうすれば良いのかも分からず、暫しその場は静寂に包まれ続けていた。
ギルド本部に程近い路地裏。
ミレイとアリシアをシズカの元に放り出した後。
スレイは一先ず人目に付かぬそこへと転移していた。
理由は単純。
ギルド本部に。
正確にはゲッシュに用事が有ったからだ。
用事が有るとはいえ、いきなり転移して入ったクロウ・サクヤ夫妻の割り当てられた客室から出て受付に行く訳にも、いきなりギルドマスターの個室に訪れる訳にもいくまい。
スレイならば、ギルド本部に居る誰にも覚らせずに行動する事も可能ではあるが……。
一応用事というのは公式な物だから、そういう訳にもいかない。
だから仕切りなおしの為に一度外に出たという訳だ。
さて、それじゃあ早速ギルド本部に正面から入ろうか。
そう思ったスレイが動き出す前にディザスターが疑問を呈した。
『……主よ、流石にいきなりすぎではなかったか?』
「ふむ、何の話だ?」
『分かっているだろう、あの娘達の事だ』
わざとらしく聞き返すスレイ。
ディザスターは呆れたような思念を飛ばす。
フルールもまた賛意を示した。
「そうだよ、一応あの3人ならいきなり放置されても打ち解けられるかもしれないけど、幾らなんでもあの装備をただ置きっ放しにしてくるっていうのはどうかと思うよ?色々と勘違いして、扱いを間違えたり失敗したらどうするのさ?」
「あの2人ならそういう間違いは無い、という信頼が在っての行動ではあるんだが。一応説明の手紙も紛れ込ませてあるぞ?」
「……そうなの?」
肩を竦めながらも、フルールの疑問に答えるスレイ。
キョトンと呟くフルール。
それに頷きスレイは続ける。
「まあな、とは言えあの装備がオリハルコン製と言う事と、使い手の成長に合わせて力を発揮していくから過ぎた装備だという心配は無いという程度だが。実はあの装備にあいつらが危機に陥った際俺に知らせる機能が付いている事や、性能の上限が究極級のシークレットウェポン並という事、オリハルコンを素材にこそしたが俺がエーテルとプリマ・マテリアの構成を相当弄っている、などという余計な事は知らせていない。俺が何時でも助けに行く、などという状態はあいつらにとっては不本意だろうし、探索の危機感もなくなるだろう、それに上限については究極級シークレットウェポンを持つSS級相当探索者や称号:勇者達でさえ実はシークレットウェポンの性能に実力が見合ってない状況だ、如何なアリシアの素質がカタリナと同等とは言え、上限まで性能を引き出す事など無いだろうから、説明の必要もあるまい、そしてエーテルやプリマ・マテリアの構成を弄ったなどと言ってもそもそも意味が分からないだろう。だから必要な説明はあれで全てだ」
「それはそうだね……じゃなくてっ、手紙なんて何時の間に用意して、それに何時紛れ込ませたのさっ!?」
『我も気付かなかったな……』
驚愕するフルール。
それに追随するディザスター。
スレイはやはりただ肩を竦めるだけ。
「それは密かにやったからな」
『……主』
「……スレイ」
飄々と言い放つスレイに、諦観の表情を浮かべるディザスターとフルール。
狼と小竜の表情などここまで細かく読み取れるようになるとは、本当に長い付き合いになったものだ。
いや、実際の時間経過としては大した期間じゃないか。
ただその密度が濃いだけだな。
などと関係の無い事を考え、感慨深くなるスレイ。
『?』
「?」
突然頷き出したスレイに怪訝そうな表情を浮かべるディザスターとフルール。
さて、と。
スレイは心の中で区切りを付け、言葉に出す。
「それじゃあ、ディザスター、フルール」
『ぬ、なんだ主?』
「何がそれじゃあなのかは分からないけど、何?」
いきなりのスレイの言葉に疑問の声を上げるディザスターとフルール。
スレイはただニヤリと笑うと告げる。
「早速ゲッシュの所に行くとしようか?次の戦力を整える為に、やはりアポイントは取っておかないとな。シチリア王国は個人的なコネでどうにかしたが、ここから先はやはりゲッシュに頼るしかあるまい?」
『ふむ、確かにな。次は晃竜帝国だったか?』
「表に出てきてる竜人族や龍人族達がみんな若過ぎて実力不足だ、って嘆いてたもんね、スレイ」
頷き聞き返すディザスターとフルールに、スレイは肯定する様に答える。
「ああ、まあな。いくら何でも年齢3桁、しかも前半も前半とか若すぎるだろう。竜人族の本領は年齢が4桁以上になってからだ。それに齢が5桁を越えるかつての最強の竜皇やその側近達とて未だ生きてる筈なのに隠居して……、そいつらを叩き起こさなきゃいかんからな。今回ばかりは個人的な楽しみもあるな、いったい奴等が何処まで成長してる事やら、本当に楽しみだ」
本気で楽しげな笑みを浮かべるスレイに、処置無しとばかりにディザスターとフルールは顔を見合わせた。
早朝であっても探索者ギルド本部は開かれている。
大陸でも有数の多忙な組織だ。
早朝であっても何かが起きて騒がしい事も珍しい事ではない。
だからクロウ・サクヤ夫妻の借りている客室に転移した時から喧騒に気付きながらもスレイは気にしなかったのだが。
扉を開き一歩ギルド本部へ踏み込んで流石にスレイは眉を顰めた。
騒がしいのは珍しく無いとは言え、その騒がしさが尋常の物では無かった。
ようやく気になり、普段敢えて幾らでも聴こえてくる声に対し、思考にフィルターを掛けているのを、思考のフィルターを解き、先ほどまでから聴こえてきた声を思い出し、そして今聴こえてくる声を分析し、状況を把握する。
そして笑う。
どうやら色々と大変な事になっているようだと。
これは予定を変更する必要があるか。
その様に考えながらも、全てはゲッシュと直接話してからだと決め、早速受付へと向かう。
受付の職員は流石1人は席を外したりはせずに受付に残っていたが、それでもその職員も忙しそうに色々と連絡用の魔導装置を使いあちこちと連絡を取ったり、何やら書類を処理したりしている。
「すまない、ゲッシュに取り次いで貰いたいんだが」
タイミングを見計らい、スレイはそんな職員に声を掛ける。
職員は、今の忙しい状況に、しかも不躾にギルドマスターの名を呼び捨てにした相手に不機嫌そうな視線を向ける。
だがスレイの顔を見ると同時、表情を驚きのソレに変えた。
「こ、これは“黒刃”殿!?」
「“黒刃”は止めてくれ、スレイでいい」
頻繁にゲッシュに会いに訪れているので、ギルド本部の職員にも顔を覚えられているスレイだ。
しかし二つ名が先行する今の状況にややげんなりとするスレイ。
まあ顔が覚えられているという状況は便利には違いないのだが。
「も、申し訳ありませんスレイ殿!!ギルドマスターへの取次ぎと言う事でしたね?しょ、少々お待ち下さいませ!!」
現に、この様に対応に融通が利く。
そう、どれほど緊急の事態であっても、だ。
何やら慌てて魔導装置で連絡を取った職員はすぐにまたスレイへと顔を向ける。
「お、お待たせしました。ギルドマスターがお会いになるとの事です」
「そうか、手間を掛けた。場所は分かっているから案内などはいいぞ。そっちも忙しいんだろうしな。1人で行ける」
「は、はい。お気遣い有難うございます!!」
何やら緊張した様子の職員の姿に苦笑しながら、スレイはそのまま階段へと足を向ける。
フルールは普段通り右肩に乗っているし、ディザスターは足下を付いて来ている。
そのままスレイは慌しいギルド本部内を悠々と歩き、階段を上り、ギルドマスターの個室へと向かって行く。
然程時間も掛からずギルドマスターの個室の手前に辿り着いたスレイは、室内に三つの気配を感じながらノックをする。
「……入りたまえ」
中からゲッシュの声が聞こえると同時、スレイはそのままドアを開け室内へと足を踏み入れた。
室内には既に気配で分かっていた通り、ゲッシュの他に酷く落ち込んだ様子のマリーニアとそれを慰めるかのように肩に手を置くケリーが居た。
神秘的な雰囲気の女性が落ち込んでいると、それはそれである意味儚く幻想的な色香があるな。
その様なある意味無神経な事を考え視線を向けるスレイに、ケリーのみが視線を返し目礼してくる。
スレイは軽く頷いて返すと、そのままゲッシュの執務机の前まで進み、立ち止まる。
ゲッシュは何やら疲れた様な表情ながら鋭い眼光でスレイを見やると問い掛けて来た。
「やあ、スレイ君。今日は何の用かな?すまないがご覧の通りギルド本部は現在大変な状況でね、あまり無茶なお願いを聞ける余裕は無いのだが」
僅かに険のある言葉。
何より普段より精彩を欠いている。
ギルド本部の喧騒より集めた情報から、今の状況なら仕方あるまい、とスレイは思ったが。
そんな事はおくびにも出さずスレイは告げる。
「そうだな、晃竜帝国の皇城に訪問するのに、事前にアポイントを取ってもらいたい、と思ったんだが」
「晃竜帝国の皇城?今度はいったい何をやらかす気だい?」
「とりあえずは先代の竜皇などの事について聞きたいと思ってたんだが……」
今の状況への疲れとは別の種類の疲れと呆れを含んだ視線を向けられたスレイは、本来の用件を告げると同時、肩を竦めてみせる。
「予定は変更だ、とりあえずあんた達に手を貸そうかと思う」
「なに?」
スレイの言葉に心底意外そうな表情を向けるゲッシュに、スレイは心外そうな表情を浮かべて実際にそう告げる。
「心外だな、俺は邪神が関わっている事柄を放って置くつもりは無いし、何よりマリーニアほどの美女が落ち込んでいるのに黙っている俺じゃないぞ?」
「なっ!?邪神が関わっているだとっ!?」
驚きの声を上げるゲッシュ。
ケリーとマリーニアも目を見開きスレイに視線を向けている。
「ああ、その通りだ」
スレイはあっさりと頷いてみせた。
「い、いったいそれはどういう事ですかっ!?」
ケリーの手を払いのけ、凄まじい剣幕でスレイに詰め寄るマリーニア。
迫る顔に、美女というのは怒った顔も綺麗なもんだな、などと役得気分を束の間満喫したスレイは、名残惜しく感じながらもマリーニアの肩に軽く手を乗せ、押し返し距離を取る。
「まあ、落ち着け」
そう言って軽く肩を竦めると、スレイはゲッシュに確認を取る様に述べていく。
「説明はしてやるが、その前に状況を整理したいんだがゲッシュ。俺がここに来るまでにこの本部内で聞き及んだ情報から、俺なりの推測も交えての一連の流れをとりあえず話してみていいか?」
「あ、ああ。構わないよ、言ってみてくれたまえ」
「それじゃあ、遠慮無く」
スレイはゲッシュの同意を得ると、そのままスラスラと、まるで紙に書かれた内容を読み上げるように述べていく。
「まず、今朝大陸中央の国家郡の無数の国家から計った様に一斉に近隣国への宣戦布告が為された。しかもその全ての国家が有力な探索者の1人を抱える事も出来ない弱小国で、本来なら自分から戦争を吹っかけるなんてありえない国ばかり。そしてマリーニアの占術によりその事自体は予見出来ていたが、何故その様な事になるのかを“視”る事が出来なかった為、探索者ギルドでも防ぐ事が出来なかった。幾ら弱小国家とはいえ、国家の主権を侵すのは問題だ。ましてそれだけの数の国ともなれば尚更な。そしてマリーニアに見えているこれからの展開としては、今の状況にチャンスを見出したグラナルが、自国の傭兵をそれらの国々に売り込む、しかもご丁寧な事に以前自らが意欲的に動いた時にブレイズ始め他のSS級相当探索者達に邪魔された経験から用意しておいた、探索者では無いが、普通の人間としては良く訓練された精強な傭兵達をだ。元々有力な探索者を抱えてもいない弱小国家に国の名誉の問題として有力な探索者を使う訳にもいかない宣戦布告された国家、それでも弱小国家の兵力程度ならどうとでもなるが、グラナルの傭兵が加わるとそうもいかない。だがグラナルの傭兵もまた今回の場合全て探索者では無い、それでいて精強な兵達、これでは名を重視するなら自国の有力な探索者を使う訳にはいかないし、まして大陸中央の各種国家に所属し以前の戦乱ではグラナルの動きを抑止した他のSS級相当探索者達、特にブレイズを頼る訳にもいかない。そして聖王の調停の呼び掛けにもグラナルが応じないのは以前の戦乱で証明されている、何せあの男は己が性質のままにとことん“覇道”を歩む男だからな。そして一部の国家は上層部が紛糾する間に滅ぼされ併合され、或いは領土を大分削り取られる。国家としての名声などかなぐり捨ててお抱えの有力な探索者を繰り出し領土を護り切る国もあるが、それはそれで国として、名声が落ちてくれてグラナルとしては万々歳。結果、グラナルは今までとは比較にならない程に大陸中央の国家郡における影響力を高める事になり、“覇道”を歩むあの男の性質上それは歓迎出来ない事態だ。まして手を取り合い邪神と戦わねばならない今の状況では。グラナルという男はそれすらも気にしない訳だが。さて、正直大陸中央の弱小国家が一斉に宣戦布告したという事以外は殆ど俺の推測な訳だが、どうだ?間違ってるか?」
「い、いや。殆ど完璧に合っている。本当にただの推測なのかい?」
驚いた様に問い掛けるゲッシュ。
ケリーやマリーニアも驚愕の視線をスレイに向けていた。
だがスレイはやれやれとばかりに溜息を吐くだけだ。
「まあな、別に俺ならこの程度推測するのは簡単だ、それより」
そう言って目を細める。
「肝心の邪神が関わっていると判断した理由なんだがな」
「そ、そういえばっ!?」
スレイが最も重要な事を挙げると、呆然とした体から表情を険しい物に変えるゲッシュ。
スレイはマリーニアの方を向いて確認するように問い掛ける。
「さて、さっきの俺の推測についてもう一度確認させてもらうが、マリーニア、あんたには占術で今回、一斉に宣戦布告がされる事は“視”えていた、だが何故そうなるのかの原因が“視”えなかったので防ぎようが無かった、それで間違い無いな?」
「え、ええ、その通りです。でも何故っ!?」
「悪い、裏を取る為に少しばかり確認するから黙っててもらえるか」
「っ!!」
必死の問いかけを無碍にあしらわれたマリーニアはスレイを睨み付ける。
しかしスレイは気にする事も無く、自分に掛けた制限を僅かに外し、低いランクながらも“全知”の封印を解き、その状況を“識”る為に“視”ようとする。
そして肝心のその部分がまるで空白の様に“視”えなく、“識”る事が出来なくなっている事を確認し、確信を得ると、すぐさま封印を元に戻し、再び自らに枷を掛けた。
スレイは笑ってゲッシュに告げる。
「間違い無いな、“全知”の裏すらかく相手、しかも隙を突く様なこのやり方。相手はロドリゲーニで間違い無い。あいつの力ならマリーニアに“視”えなくても仕方の無い事だ」
「ロドリゲーニだと!?君の幼馴染だったというあの!?しかし邪神と言えど人間の肉体に囚われた存在なのだろう?」
「ああ、そうだ。だが以前、奴は人間の肉体に転生した事で、力こそ落ちた物の、邪神の封印を解く事を始め、特殊な力を手に入れたと話したと思うが?」
「っ!!」
スレイの言葉に思わず強く反応するゲッシュ。
そのゲッシュの言葉に笑って返すスレイ。
思わずゲッシュは絶句する。
「そ、それではっ、宣戦布告した弱小国家の者達は、皆ロドリゲーニが洗脳したのですか!?」
必死に尋ねてくるマリーニアに、スレイは無情にも否定する。
「いや、ロドリゲーニの奴は1人も洗脳なんかしちゃいないな」
「!?」
「どういう事だい?」
驚きの表情を浮かべるマリーニア。
変わりにゲッシュがスレイに疑問を投げかける。
ちなみに先ほどからの怒涛の展開にケリーは置き去りにされて、困惑の表情だ。
「なに、簡単な話だ。奴は洗脳なんて真似はしないんだ。あくまで人間自身が堕ちるかどうか、それを試すのを楽しむのでな。奴は各国の上層部でも色々と鬱屈した想いを抱えた連中に力を目の前に提示してみせただけだろうさ。そしてそいつらは全員己が欲望の為にその力に手を出した。全ての弱小国家の今回の動きはそいつらが主導している物だろう、それこそロドリゲーニから力を得たそいつらが自国の者達を洗脳してな。まあロドリゲーニから与えられた特殊な力だからその洗脳についてもマリーニアには読み取れなかったんだろうが。なんにせよロドリゲーニは自分の手を汚すような真似はつまらんからという理由でしないさ、あくまで人間自身に選択肢を与えて堕落させて楽しむ、それが奴のやり方だ」
「なるほどね」
「っ!!」
納得したように頷くゲッシュ。
対しマリーニアは何か納得いかぬげに顔を強張らせている。
ロドリゲーニの力を与えられたとはいえ、あくまで今回の事が人間の意志で行われた。
その事に納得がいっていないのだろう。
青いな、と思う。
そして同時にその青さは好ましいとも。
「さて、互いに情報交換は済んだ。それじゃあ解決の為に動くとしようか?」
「なにっ!?この事態を収める方法があるというのかい!?」
「ああ、割と簡単な事だ」
スレイの宣言に驚きの声を上げるゲッシュに対し、スレイは軽く頷いてみせる。
「別に俺1人でやってもいいんだが……、これ以上目立ち過ぎるのも何だからな。まずはミネアに連絡を取ってくれ。少なくとも現役のSS級相当探索者とは全員と連絡を取れる様にしてるんだろう?今回の場合グラナルに直接動かない様に言っても色々とはぐらかされて無駄だったろうが、それは今は関係の無い話だな」
「ミネア君に?何故彼女に連絡を?」
思わず疑問の声を上げるゲッシュ。
対しスレイの返事は簡潔だ。
「なに、俺以外では完全に何処の国とも関係してないと言えるSS級相当探索者は彼女くらいのものだろう?」
「それは確かにそうだが、それがいったい?」
「連絡内容自体は単純だ、ミネアに聖王国中央の光神の本神殿へ訪問するように頼んで欲しい。それと合わせて俺とミネアの訪問のアポイントをイリュアの奴に取ってくれ」
スレイの告げた内容に、やはり何が言いたいのか分からずゲッシュは疑問の声を上げるが、スレイはそれを無視して話を続ける。
それに対し横で眉を顰めるマリーニア。
ケリーは困惑するのみだ。
ゲッシュは言われた内容を租借し、更なる疑問を投げかける。
「しかし、光神の神殿に訪問するようにと言っても、彼女がそう都合良く近くに居るとは……」
「それも問題無いだろう?ミネアの奴の場合、幼い頃からの英才教育で、恐らく訪問した事のあるあらゆる国の城や重要拠点などにはマーカーをして、飛翼の首飾りで何時でも転移出来る様にしてるだろうさ。聖王国中央の光神の本神殿もまた例外じゃないだろうな」
「……確かに」
スレイの答えに納得するゲッシュ。
ミネアはとっくの昔に足を洗ったとは言え、幼い頃に徹底的に暗殺者として教育された、その道のエリートだ。
表舞台に立った今でも、そういう備えをする癖は直っていない可能性は高い。
だが、と思う。
「それで、君とミネア君が光神の本神殿、聖王猊下の元を訪れて、それでどうするのかね?」
それがどう問題の解決に繋がるのか分からない。
そう問い掛けるゲッシュにスレイは笑う。
「どうにかする為にゲッシュにはもう一つ頼みたい事があるな」
「……それは、なんだね?」
ゲッシュは思わず慎重に聞き返す。
それほどに今のスレイは何かを企んでいるような悪どい顔をしていた。
「何、これも簡単な事さ。俺とミネアの2人に、隣国に対し宣戦布告を行った大陸中央の弱小国家全てのその宣戦布告の主導者、その暗殺を依頼して欲しい」
「なにっ!?」
「っ!?」
「……!?」
あまりの内容に驚きの叫びを上げるゲッシュ。
マリーニアとケリーも絶句している。
だがスレイは何て事のないように話を続ける。
「別にそうおかしい話じゃないだろう?昔、中央の国家郡の戦乱を収めた時にも、ギルドお抱えの探索者の中でもそういう裏工作に携わる者が、同じ様な事をした筈だ」
「そ、それはそうだがっ、まさかSS級相当探索者をそんな!?」
「問題無い、だからフリーの俺とミネアなんだ」
またもあっさりと笑ってみせるスレイ。
「国というしがらみに囚われてない以上、俺達がこういう仕事を請けるのも問題無いし、何より最低でもSS級相当探索者でなければその国を宣戦布告に動かした首謀者、ロドリゲーニの力を得て、国中を洗脳した首謀者を見つけ出し暗殺するなんて不可能だからな」
「そ、それはそうかも知れんが、だが、邪神の犠牲者を暗殺など……」
「勘違いするなゲッシュ、そいつらは別にロドリゲーニの犠牲者なんかじゃない、ロドリゲーニは手に届く場所に爆弾のスイッチを置いただけの様なもので、そのスイッチを押した、つまり今戦争を起こそうとしているのも、国民を洗脳したのも全てはそいつらが自分自身の意志で行った事だ。ロドリゲーニは何も強制していないし、干渉すらしていない、ただ力が欲しいか否か尋ねただけだろう。先ほども言ったがロドリゲーニは決して自ら何かをやらせたりはしない、あくまでその人間自身が自分の意志で愚かな行動をするのを楽しむんだ。その為に、力を得るか否かの選択肢を与える相手は、ほぼ確実に愚かな行動をする奴を選んでは居るだろうが。何にせよ、ロドリゲーニはこういう場合に於いては悪意はあれどただの現象に等しい、間違いなく裁くべき悪は、当事者はそいつらだよ」
ゲッシュの戸惑いの声に、容赦無く告げるスレイ。
「ぬ、ぅ……」
惑う様に声を上げるゲッシュだが、その表情はスレイの言葉に納得を示そうとしようとする。
しかしハッ、と思いついた様にゲッシュはスレイを問い詰める。
「ま、待ちたまえっ、暗殺などという行いをするのに、聖王猊下の元を訪れるなど、君は聖王猊下の顔に泥を塗るつもりかい!?世界を敵に回すよ!?」
「それはそれで面白そうだが」
スレイは自らの言葉に蒼白になるゲッシュに苦笑する。
「冗談だ、本気にするな。逆だよ逆、イリュアには関係無いという事を強調する為にあんたに、というよりは探索者ギルドから依頼を出してもらうんだろう?イリュアの所には俺もミネアも非公式、というより全く表沙汰にならないよう密かに訪れて会談するさ。イリュアには表の綺麗な部分を担当してもらう。ロドリゲーニの力を使って国民を洗脳した連中を殺した後、既に宣戦布告し戦争の準備を整えてる国は混乱するだろうし、宣戦布告された国も今更撤回された所で顔が立たないだろう?それをイリュアの特に強い信奉者達に働きかけて、上手く調停して収めてもらいたいのさ。ついでにとっくに傭兵を弱小国家に送り込んでるグラナルに対しても、傭兵を国に戻すよう働きかけてもらう。戦争が無くなった上で、イリュアから言われたとなれば、幾らグラナルでも野心を今回は収めざるを得ないだろうからな」
【ヴァレリアント聖王国】聖王都“光神の本神殿”謁見の間
案内役の神官によりこの場まで通されたミネア。
光神の本神殿に仕える神官ですらミネアにはただ恐怖し、距離をなるべく空けたいと、そしてただ見える範囲に居るだけで緊張を隠せないで居る様子に苦笑する。
癒神イアンナ程治癒に特化してないとはいえ、光神ヴァレリアに仕える高位の神官であれば本来浄化には強い自負を持っている筈だ。
例えそれが毒相手だろうと同じ事。
だが、そんな自負など意味が無いと神官は理解してしまっている。
信仰よりも恐怖に呑まれた神官が、ミネアをこの場まで案内すると、そそくさと必死に場を離れて行くのを観察し、ミネアは呆れたように溜息を吐く。
「毒の分泌も完全に制御しているんだがねぇ。光神の神官ともあろう者が情けない」
「神官だろうが何だろうが意味はないさ、立場なぞ関係無く意志が弱い者は弱い」
独り言のつもりで発した言葉に突然答えが返され、ミネアは動揺は見せないものの、内心では酷く驚いた。
声の聞こえてきた方向に視線を向ける。
「よう、久しぶりだな」
最前まで全く気配を。
いや存在の欠片すらも匂わせなかったスレイが壁に背を預け立っていた。
その足下にはやはりあの邪神だと言う蒼い狼が侍り、右肩には時空竜だとかいう白い小竜が乗っている。
スレイどころかその狼と小竜の存在の欠片すら感じ取れずにいた。
その事実に、やはりスレイとその下僕達の異常さを感じながらも、やはりミネアは呆れたようにスレイに声を掛ける。
「やれやれ、私ゃ、あんたらが此処に居るなんて聞いてなかったんだがねぇ?」
「当然だな、俺が勝手にここに入って来ただけだ」
「……流石に私でもそこまでの不敬はする気にはならないよ」
平然と返ってきた言葉に、ミネアはやはり呆れて肩を竦める。
同時にニヤリと笑って告げる。
「しかし面白い事を考えたもんだね?あの“星詠”の小娘が役に立たなかった以上、また中央は荒れて、ついでに前の事で学んだグラナルが今回得をするかと想ったんだが。……何よりもあんたがこういう汚れ仕事をするとはね」
「殺すべき存在を殺すのに躊躇う必要は無い、ただそれだけの話だ」
「ドライだねぇ」
感心したように告げるも、ミネアは内心舌を巻いていた。
あまりにも思い切りが良過ぎる。
判断基準が明快に過ぎる。
しかも力は極め付き。
これが敵に回ったらと考えると、絶望的な未来しか思い浮かばない。
馬鹿な事をしたものだ。
それが、今回事を起こした首謀者達へのミネアの率直な感想だった。
「来たか、どうやら俺が居なくてもあんたが来た時点で顔を出すつもりだったようだな。わざわざ自己主張する手間が省けた」
スレイの言葉と同時。
謁見の間である白亜の大広間の中心の一段高くなった壇。
その聖王が立つべき祭壇とでも言うべき場へ続く道の奥の扉。
扉が開き2人の人間が姿を見せる。
聖王イリュアと聖剣ヴァリアス。
2人共、その場にスレイが居る事を見て、一瞬驚きの表情を浮かべるも、すぐに驚きを収め、平静な顔でそのまま進み、壇上へと立った。
この様な状況でさえイリュアを護るかのように脇に物々しく立つヴァリアスに苦笑を浮かべるイリュア。
ミネアもまた僅かに苦笑する。
あの化物相手に意味があると思ってるのかね?
スレイを見やり、思わずその様に考えてしまう。
相変わらず神々しく眩いオーラを放つイリュアが声を放つ。
「お待たせしましたミネア殿、そしてスレイ殿も既にいらしていたのですね」
「ああ、お邪魔させてもらってる」
ミネアの眩いまでに神々しいオーラを、その妖しくも鮮烈なオーラで相殺するどころか完全に圧倒したスレイがあっさりとそう答えた。
ほんの僅か前まで全く存在すら匂わせていなかったスレイの放つあまりにも強烈なオーラに、ミネアが、そしてヴァリアスが思わず構えを取る。
その姿を見て肩を竦めるスレイ。
「出来れば正規の方法で来て頂けると有り難いのですが」
「こっちの方が手っ取り早いんでな」
「スレイ殿は面倒臭がりなのですね?」
「まあな」
ミネアやヴァリアスの様子など気にした様子も無く、気の抜けるような会話を繰り広げるイリュアとスレイ。
思わず脱力するミネアとヴァリアス。
だが。
さて、と一瞬でその表情を引き締めたイリュアの前に、ミネアとヴァリアスは佇まいを正す。
ただ1人スレイのみは、いや二匹のペット達も全く変わらずそのまま自然体で居たが。
「今回のスレイ殿の提案伺いました。それで、紛れも無く中央の国々の混乱は収められると考えても宜しいのでしょうか?」
「俺はやるべき事をやるだけだ。後はミネアもやるべき事をやって、イリュアもやるべき事をやれれば、間違いなく混乱は収まる。俺に言えるのはそれだけだな」
「貴様っ!!」
スレイのあまりにも不敬な態度にヴァリアスが気色ばむが、スレイが一瞥しただけで思わず硬直する。
「ヴァリアス」
咄嗟にイリュアはヴァリアスを嗜める意味と助ける意味の両方で、静かにその名を呼んだ。
「っ!?は、はっ!!」
イリュアの声に硬直が解けたヴァリアスは、すぐさまイリュアの脇に常に侍る時の自然体へと戻る。
ミネアはそんな様子を肩を竦めて見ていたが。
「で、だ。先刻の質問にもっと具体的に答えようか?まず俺に失敗は無い。ミネアが自分の受け持ち分の弱小国家の半分の力に酔った馬鹿達を上手く暗殺に成功し、イリュアが混乱する弱小国家内の上層部のイリュアのシンパ……と言っても、聖王様に畏敬の念を抱いていない不敬な馬鹿なんてそれこそグラナルぐらいのものだと思うが、ともかくそいつらを聖王国で抱き込み、それらの国家の国内の混乱を収めるのに終始して、あとは一度出された宣戦布告などを収める為の調停を上手くやってくれれば……これも宣戦布告された側の国も聖王様のシンパが上層部の殆どを占めているだろうから簡単だろうがな。ともかくそれで、今回の騒動は何も起こる前に全て治まり、その為に直接手を下した俺とミネアは日々の暮らしの安寧で精一杯の民衆から英雄視され、同時にSS級相当探索者の脅威と言うものを世界中の国の上層部にまたも強く刻み込み、俺達に依頼を出した探索者ギルドは以前の“星詠”の時の件と合わせやはり民衆の味方である組織だという印象を世界中の民衆に強く与え、世界中の民衆からの憧憬の的となり、やはり世界中の国家にその組織としての脅威を再び強く刻み付け、それであんたら聖王国は混乱が起きる前に全てを収める事で、世界中から畏敬の念と深い信仰をより集めるって訳さ」
「上手く成功し、とは心外だね。これでも暗殺についてはあんたよりもよっぽど専門なんだが?」
「例えそうでも関係無いさ、ガキがちょっとばかり強い玩具を手に入れていきがってる程度とは言え、一応はロドリゲーニの力だ、暗殺の難易度もそれなりに高いだろう。あんたに掛かればそれなり、で終わるのは間違い無いだろうが。それに対し俺ならそもそも難易度なんか存在しない、作業ですら無い。やろうと思ったらすぐ終わる、それだけだ」
スレイが滔々と語った内容。
その中の看過できない部分に反応し、思わず突っ掛かる。
だが返って来たのは空恐ろしい程に泰然としたままの、傲慢なまでの自負に満ちた強烈な返事。
あまりにも傲慢に過ぎると言いたかったが、その身より発せられる妖しくも凄絶なオーラがそれを阻む。
次にイリュアが首を傾げて尋ねた。
「しかしそう上手く行くものでしょうか?あまりにもスムーズなその展開は、私達聖王国が最初から噛んでいた、そう考える者も出てくるのでは?それが知れれば私達聖王国にとってはあなた達探索者側と違い名を汚す結果にしかなりません。あくまで実務的な組織である探索者ギルドならともかく、私達聖王国は光神の神殿を中心とした世界の正義の象徴。例えそれが戦争を引き起こそうとする大罪人でも、暗殺などという後ろぐらい事に関与すれば信仰に翳りが生まれます」
「確かにな?事実関わってる訳だし、そう考える人間は必ず出てくるだろうさ。だが、だからこそミネアがここを訪れたのを知ってるのは先程の高位の神官だけ。俺に到ってはこの場に居る者しか知る者はいない。先程の神官は信用できるのだろう?」
「ええ、この神殿でも最も信の置ける者です」
なら、とスレイは笑う。
「何の心配も要らないだろう?疑り深い国の上層部でも聖王国を神聖視してない連中は、元々畏敬の念も信仰も抱いていない訳だし、だからと言って何の根拠も無く奴等が騒いだところで民衆は当然、あんたのシンパの国の上層部の連中は聞く耳すら持つまい。それにあんたら聖王国は何かある度に常に何処よりも早く動いて対処してきた……今回は何時もよりもちょっとだけ早過ぎるかもしれんが、その程度の違和感、気付きもしないものが大半だろうさ」
「……それはそうでしょうが、ロドリゲーニについてはどうするのです?対症療法的に、彼の者に動かされた者を処断したとして、何の根本的解決にもならないと思うのですが?」
「ふぅ、どうやら勘違いしてるな」
軽く首を振るスレイ。
イリュアとミネアは疑問の表情を浮かべ、ヴァリアスはスレイの態度に眉を顰める。
「いいか、今回の連中もそうだが、基本ロドリゲーニに力を与えられた連中は別にロドリゲーニに動かされる訳じゃない、自分で手に入れた力を過信して今まで抑えてた欲望に正直に動くだけだ。そもそもロドリゲーニに直接的に責めれる部分など無いさ。例えば世にも名立たる名剣でどこぞの名君を殺した者が居るとしよう。民衆はその者を責めるだろうが、その世にも名立たる名剣を売った武器屋を責めたりすると思うか?つまり、そういう事だ。ロドリゲーニ自身は明確に罪に問える事はしちゃいない。とはいえ、力を与えれば確実にそういう暴挙をやらかすだろう者を選んで、力が欲しいかどうか尋ねてる辺り、悪質なのは間違い無いが……。自分の手を汚さない、どころか自分が罪を被らないというスタンスを貫く事に関しちゃどこまでも優秀な奴だ。それとは関係無しに、そもそも奴を倒せるのは俺ぐらいで、奴の特殊な力は俺からも上手く隠れているという致命的な問題もある。結局、当初の予定通り、こういう事が起こっても自力で対処出来る様、大陸各地の戦力の底上げをするしか無いって事だな」
「予定通り?……戦力の底上げですか?」
「ああ、大陸中央の戦力の底上げとしては、あんたに頑張ってもらうつもりでいるから、これが終わったら覚悟しておけ、イリュア」
そう言って、スレイは楽しげに笑った。
どこまでも馴れ馴れしい態度。
それに加え聞き捨てならない内容に思わずビクリと反応するヴァリアス。
だがイリュアは楽しげに笑いながらそのヴァリアスの反応を片手で制した。
ただ片手を上げただけ。
それだけで悔しそうな表情になりながらも動かず平静を保つヴァリアス。
良く躾が行き届いている。
などとスレイは中々に失礼な事を考える。
「あら、私ですか?それはあのシャルロット殿が仰っていた【光の迷宮】とやらに挑むという事でしょうか?」
「いや違うな」
「あら?」
あっさりと否定してみせたスレイに、少々予想外とばかりに目を見開いて驚いてみせるイリュア。
とはいえ、それほど本気で驚いてない辺り、実に喰えない“聖”王様も居たものだ、などと思いつつスレイは続ける。
「シャルロットとしては光神の寵愛を受けた聖王であるあんたは、光の力を増幅するべきだ、などというシンプルな考えで提案したんだろうが、俺の考えは違ってな。光神の祝福と言ったな、聖王のみに許された、光神の被造物である人間の力を底上げする御業。俺としてはアレに着目した訳だ」
「……つまり、どういう事でしょう?」
僅かに目を細めてスレイを見詰めてくるイリュア。
神々しい雰囲気を纏うイリュアがこのように鋭い視線をすると、それはそれで趣きがあるな。
などとズレた事を考えつつも、軽く口元に笑いを浮かべ、スレイは続ける。
「そう焦るな、順序立てて説明するさ」
「ええ、そうして頂けると助かります」
視線を絡め合いながら、どこか駆け引きするかの様な会話をする2人。
スレイは完全に楽しんで居るが、イリュアは本気だ。
この様な話で楽しんでいられるスレイが異常なだけだが。
ディザスターとフルールの二匹はスレイの下僕としての分を弁え黙り込んでいる。
ヴァリアスとミネアには口を出せる雰囲気ではない。
スレイは悠々と告げる。
「まず、俺があんたに挑んでもらおうと思っている未知迷宮は、【光の迷宮】ではなく【戦女神の試練場】だ」
「あら?随分とまあ、物騒な名前の迷宮ですね?」
「貴様ッ、猊下の身を危険に晒すつもりかっ!!」
熱く燃える様な瞳でスレイを睨みつけ、スレイを問い詰めるヴァリアス。
それにむしろ好意的に笑ってみせるスレイ。
「ふむ、自身の力不足は理解しているか。だが【光の迷宮】も【戦女神の試練場】も正直危険度で言うなら……いや、普通に【光の迷宮】の方がヤバイな。異界の神々の中でも、光に関係する神には結構ヤバイのが居るからな。ともあれ、お前も以前の会談の後シャルロットから話は聞いているんだろう?イリュアやあんたが未知迷宮に挑む際には俺も付いて行くさ、そして俺が付いて行く以上あんたらの安全は完全に保障されている。っとそうだ、どうだミネア、ついでにお前も一緒に来る気は無いか?」
「そこで私に振るかねぇ?ま、この仕事が終わった時、その気があったら付き合っても構わないけどね」
「そうか、それじゃあ考えといてくれ」
ミネアに誘いを掛けるスレイ。
ミネアは曖昧な答えを返し、スレイもこの場はあっさりと引く。
そんな様子をイライラとした様に見ていたヴァリアスが皮肉を言う。
「随分と気楽な物だな?」
「今の俺にとっちゃ、未知迷宮程度子供の遊び場よりもよっぽどちょろい場所だからな」
あっさりと肩を竦めて言ったスレイ。
だがその瞬間発された、今までの妖しく凄絶なオーラをより強めた鬼気とでも言うべき物にヴァリアスは気圧され、思わず身を引く。
「あら、それは心強い限りですが、私達にとってはとても危険な事に変わりないので、もっと詳しく色々と教えて頂けると助かります」
「くくっ」
そんな鬼気に晒されながらも、平然と笑ってスレイに告げるイリュアに、スレイは思わず笑いを漏らす。
そして楽しげに続けた。
「ああ、当然そのつもりだ。というか説明の途中で横槍が入っただけだしな」
「くっ」
軽く嫌味を言うと、ヴァリアスは悔しげに唸り声を上げた。
それを見て、イリュアが言う。
「あまり兄を虐めないでいただけますか?」
「すまんすまん、ついつい反応が面白くてな」
「くぅっ!!」
ますます強く唸り声を上げるヴァリアス。
イリュアはやや諦めた様に溜息を吐く。
そして頭を左右に振って気を取り直す様に告げた。
「ふぅ、仕方無いですね。それじゃあ続きをお願いできますか」
「ああ、それじゃあまずは前知識としてとある異界の女神の事について話す事にしようか?とはいえ、断片的な知識の上、ある程度解釈は偏った物になるが、事、この世界に召喚された神格についてはその説明だけで問題が無いので、構わないだろう?」
「ええ、お願いします」
「ふむ」
イリュアが納得し、話を促すと、スレイは一つ頷き説明を始めた。
「まずその女神の名はアテナと言う、色々な理由でパラス・アテナと呼ばれたりもするが、神話の中での一節からの呼び名なので基本気にする事は無い。勝利の女神ニケを随神として従えるとも言われ、そしてこの世界に召喚された神格は実際従えているな。その事から分かるように戦を司る女神即ち戦女神であり、【戦女神の試練場】という迷宮の名はそこから来ている。またそれだけでなく、知恵、芸術、工芸も司ると言われ、自らの聖獣として梟を持ち、また知恵を表す蛇や、平和の印のオリーブを象徴ともしている。それだけでなく“都市の守護女神”として崇められていた事もあり、同じ神話体系の別の戦神であるアレス……この世界の戦神に成り上がった神だな。この世界の召喚されたアレスの神格は別神話の同神格に当たるマルスの面が強く高潔な戦神なんだが、実際のアテナと同じ神話体系のアレスはこの世界の戦神として君臨するアレスとは全く異なる神格をしていてな、血生臭く暴力が優越する軍神とその神話体系では呼ばれているな、それの対比として防衛を戦いの目的とするアテナの戦いは聖戦とされる、そしてそれがこの世界に呼ばれたアテナの神格には影響しており、過去の邪神との戦いを聖戦と呼んだのとは違い、何かを守る為の戦いにおいてのみ本当に“聖戦”と呼ぶにたる力を発揮し、自らの下に在る戦士達の力を底上げする事が出来る」
「それはまた、随分と高潔な女神様なのですね」
「ぷっ、くくっ」
イリュアの素直な感想に堪えきれず笑いを漏らすスレイ。
その笑いに不服そうに口を尖らせ、イリュアは抗議する。
「何がおかしいのですか?」
「いや、すまない。あんたが悪いわけじゃなくてな……、いやしかし、高潔ねぇ、くくくっ」
本当に楽しくて仕方無いと笑い続けるスレイ。
困惑の表情を浮かべたイリュアに、理由を説明する。
「ああ、本当にすまないな、あんたには訳が分からないだろうに。アテナはな、一部でも自分より優れたところを示しそれをひけらかした人間を化物に変えちまうような狭量で傲慢な女神なんだよ。それを高潔だなんて感心した瞳で言うもんだからつい、な。くくっ」
「……あの、それは本当に先程色々と語られたのと同じ女神様のお話なのですか?」
本気で戸惑った様な表情で、瞳を彷徨わせるイリュア。
スレイは頷いてみせる。
「ああ、間違いない。とは言え、その神話体系は主神からして大概だからな。そんなんでも実際その神話の中じゃあまともな部類には入るだろうな。どこまでも神々が人間臭い神話体系なんだよ、本当に。そうそうついでだが、アルスのイージスの盾の名称のみは、アテナが持つとされるありとあらゆる邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持つとされている防具から来ているな。神話上本来の名称はアイギスの方だと思うし、どんな形状の防具かも特定されていないんだが、その神話に付随する形の英雄譚において英雄がアテナから借り受けて、更には対峙した怪物の首を取り付けた盾がそのアイギス、即ちイージスの盾だ、なんていう説がある事から、イージスの盾という名称と絶対防御の象徴とされるようになったんだが。その対峙した怪物も元はアテナが嫉妬で怪物に変えた美女だってんだから大した女神様だな。だがアルスの盾にその名称が使われてるのは、あくまで絶対防御の象徴としての側面からのみだろうが。それにこの世界に召喚されたアテナが持つアイギスは、やはり多く語られるのが盾の形状であるが故に、確率の問題で盾の形状をしてはいるが、力そのものは絶対防御や、その怪物の頭を付けた事による石化能力を持ったという説とは関係無い、原形そのものの邪悪・災厄を払う魔除けの能力を持っている。さて、ここまで説明すれば、何故俺があんたは【光の迷宮】より【戦女神の試練場】に挑戦するべき、と言ったか分かるな?」
「ええ、あくまで私がその女神様の力を得られるという前提ですが、その前提が成り立つのなら確かに私が挑むべきは【戦女神の試練場】でしょうね。随身である女神の司る勝利という神権、守る為の戦いに於いての“聖戦”の能力、アイギスという盾の邪悪・災厄を払う魔除けの能力。全てがこの大陸中央の守護を固めるには最適な物ばかりですね」
イリュアが納得するのに頷いてみせるスレイ。
「ああ、そうだ。まずニケが持つ勝利の神権を得られれば、邪神そのものがちょっかいを掛けて来ない限り、間接的な干渉ならば幾らでも勝利を掴めるだろうさ。いや、同格以上のレベルの神々相手でも難しくはなるが、それは別に考える必要も無いだろうしな。ついでに“聖戦”の能力、聖王であるあんたが行うのは常に大陸を守る為の戦いだ、そして大陸中央にはSS級相当探索者が何人も居て、その上高位の探索者を抱えてる強国も幾つもある、そいつらの力を底上げすれば、邪神がちょっかいを掛けて来てもすぐに叩き潰せて犠牲を減らせるだろう。何よりアイギスの邪悪・災厄を払う魔除けの力、実は邪神の力そのものに善悪は無い、が力に溺れて暴走する存在は間違いなく邪悪に属する存在となる。そして邪神自身でもないそれらの存在にはアイギスの力は効果覿面だろうさ。つまりあんたがアテナの力を手に入れる事が出来れば、大陸中央の戦力の底上げという俺の目的は完全に果たされる訳だ」
「ですが、いったいどうやってその女神様の力を私が手に入れるのですか?その女神様を倒したからと言って手に入るようなものではないでしょう?」
「問題無い、俺に不可能は無いからな。俺がどうにかするだけだ」
最後に一番重大な疑問を問い掛けるイリュア。
それに対する回答は傲慢なまでの確信に満ちた己の全能を謳う物だった。
イリュアとヴァリアスそれにミネアは一瞬絶句し、そして全てを諦めたように溜息を吐いていた。
だが、誰よりも早く気を取り直したイリュアは、ふと不思議そうにスレイに尋ねた。
「そういえば、スレイ殿?」
「なんだ?」
軽く眉を上げて笑いつつ用件を問うスレイ。
「いえ、先程探索者ギルドから暗殺依頼を出すという形にした理由が、一応私がギルドマスターを任命したとは言え、それはあくまでヴァレリア様の神託による物であり、探索者ギルドの独立性を保つ為の儀式であって。だからこそあらゆる国、つまり私達の聖王国とさえ全く関わりの無い組織である探索者ギルドが今回の事の責任を全て持つ事で、人間にとっての神聖の象徴であるこの聖王国を汚さず清廉潔白な国のままで居る為、とは聞きましたが、一つ疑問があります」
「へぇー?そいつは何だ?」
どこか面白そうに尋ねるスレイに、イリュアは問う。
「何故、今回の件、スレイ殿だけが動かず、ミネア殿も巻き込んだのでしょう?」
「ん?そいつはミネアが俺と同じくフリーのSS級相当探索者だからだが?」
「そうではありません」
静かにきっぱりと首を左右に振り否定するイリュア。
ますます楽しげに笑うスレイ。
「それはあくまでミネア殿を巻き込んでもいい理由でしょう?何故巻き込んだか、の理由にはなっていません」
「ふむ、確かにな。それについてはゲッシュにも言ったんだが、俺ばかりがこれ以上悪目立ちするのも何だと思ってな」
「違うでしょう」
スレイが告げた尤もらしい理由を、またもあっさりと否定するイリュア。
スレイの口角はますます吊り上がる。
イリュアはスレイを真っ直ぐ見詰めながら言う。
「貴方が今更自分が目立つ事を厭うとは思いません。いえ、むしろ目立つ事を楽しんでさえいると思います。違いますか?」
「……正解」
口笛を吹いて、楽しげに笑い肯定する。
そんなスレイの態度を見てこめかみを引き攣らせるも、何とか耐えるヴァリアス。
イリュアは全く感情を揺らした様子を見せず、尚も問う。
「それでは何故ですか?」
「というか、むしろ俺としては何であんたが分からないのか、って事が分からないんだが?」
「言葉遊びは……」
むっ、としたようなイリュアを手を上げて制するスレイ。
機先を制され思わず黙り込み、その事にやや不機嫌になるイリュア。
「いや、別に言葉遊びのつもりは無かったんだがな。そもそもあんたも俺がどんな人間かはとっくに理解している筈だが」
「それが何か関係あるのですか?」
訝しげなイリュアに指を振ってみせる。
「ああ有るね、大有りだ。いいか、俺は美女や美少女が大好きだ、当然あんたもそういう対象に見てる」
「それは存じておりますが」
「猊下っ!?」
スレイの欲望に正直な宣言に、あっさりと理解していると答えるイリュア。
そのイリュアに対し、ヴァリアスがうろたえた様な怒声を上げる。
しかしその怒声は無視され、スレイとイリュアの会話は続く。
「なら答えは単純だろう?」
「何が、でしょうか?」
「今回の事にミネアを巻き込んだ理由さ。これを機に一気にお近づきになろうと思ってな」
悪びれる事も無く言ってのけるスレイ。
「おや、まあ」
満更でも無さそうに笑うミネア。
「嘘、ですね?」
「嘘を吐いたつもりは無いが?」
だがあっさりと否定するイリュアに、スレイもまた否定を返す。
「ああ、すみません。確かにその言葉自体に嘘は無いと思います。言い方を間違えました。私が言いたいのは、それだけが理由では無いでしょう、という事です」
「……へぇ?」
やはり楽しげな表情のままスレイは続きを促すように首を振る。
「確かに、スレイ殿ならそういう下心で色々とやりもするでしょうが、ただそれだけで終わるとは思いません。ついでに他にも色々と裏がある、そういう人だと私は確信しています」
「それはまた、人間達の光たるべき聖王様とは思えぬ、疑り深い台詞だな」
「ただの純朴なだけの娘では聖王はやれませんよ?」
イリュアの切り替えしにスレイの笑みはますます深まる。
どこまでも楽しくて仕方無いと言った様子だ。
「ま、別に隠すような事でも無いし教えてもいいか。ゲッシュだって知ってるし、そこのミネアだってとっくに気付いてるだろうしな」
スレイに視線を向けられ、楽しげにウインクしてみせるミネア。
そんな様子に、イリュアは眉を顰める。
「隠すべき事でないなら、何故こんなに勿体ぶったのですか」
「それは、あんたとの会話が楽しかったんで、つい、な」
「……はぁ」
項垂れて溜息を吐くイリュア。
「お願いします、そんな子供が好きな娘をからかうような事をせずに正面から堂々と口説いてもらえませんか?」
「んー、あんただからこそ、こういうのは新鮮かと思ったんだが。やっぱ色々と能力封印して何も“識”らずに行くとこんなもんか。というか口説かれるのはいいのか?」
「ええ、あなたみたいな絶対の強者に口説かれるのは、満更でも無い気分です」
「猊下っっ!?」
もはや悲鳴に近しい声をヴァリアスが上げる。
それを気にせずイリュアは続ける。
「それで、いい加減教えてはもらえませんか?」
「あー、単純な話だ。グラナルに対する抑えだよ。というよりはグラナルの周囲に対する抑えかな?グラナルなら俺との実力差を理解してるだろうが、周囲から見れば俺とグラナルは同じSS級相当探索者で、しかも俺の方が若くしかも新米だ。暗殺に動いたのが俺だけじゃあ、グラナルならどうにかなると踏むだろう。そしてあんたら聖王国は即効で混乱を収めるだろうが、無数の国の混乱を数時間で収める事が出来るなんて異常な事実をそいつらは知らない、或いは常識的に認められないだろうしな。だからグラナルの周囲がグラナル本人の意思を無視して暴走する可能性が出てくる。あそこはあくまでグラナルの力に従ってる者達の国だから、消極的な命令には従わない者も多いだろうしな。だが、動いたSS級相当探索者が2人なら、2人掛かりではグラナルもどうしようも無いと、周囲の者も考えて暴走しないだろう。そういう理由も一応有る。俺にとっては本命じゃないが」
「そういう事ですか」
イリュアは納得したように頷き、満足気に笑う。
スレイはやれやれと肩を竦めていた。
「それで、お2人は何時動かれるのでしょう?実際に動くのは宣戦布告をした国家の者達が正気に戻って、相手の国との講和の為に私達に調停を求めて来てからになりますが、それでも、すぐに混乱を収める為には、私達も前以って動く準備をしておかないといけませんから」
「今すぐだ」
「はっ?」
スレイの淡々とした回答に、さしものイリュアも思わず呆然とした声を上げる。
「今すぐだと言った。何せ今回宣戦布告した国家は全て、散々今まで外交努力で何とか国を維持してきた国ばかり。しかもその全てに国が今までとて、戦争にならないよう平和の象徴とも言えるあんたの威光を頼んで口添えを頼んで来た事とて数え切れない程だろう?ならば正気に戻った国の上層部の連中は、すぐに泡を食ってあんたに連絡してくるだろうさ。その為の魔導通信機も、今までの外交努力で聖王国の外交官達に直通で繋がる様な物が設置されてるんだろう?」
「そ、それはそうですが……」
珍しくどもったイリュアは探るようにスレイを見る。
「ですが、貴方達が事を完遂するまでの時間は……」
「考慮に入れる必要もないな」
「へ?」
やはり呆然とした声を出す。
そんなイリュアを見て笑いながらスレイはミネアに問い掛ける。
「少なくとも俺はこんな事は、間違いなく行動を起こした次の瞬間には終えているが、あんたはどうだ、ミネア?あんたを巻き込んだ理由は先刻イリュアに散々聞き出された通りなんだが……理由は在っても能力が伴わなければ邪魔になるだけだ。少なくともあんたの能力なら同じ事が出来る、と踏んだから巻き込む事にした訳だが、もしかして荷が重いか?もしそうなら今からでも降りても構わんぞ?」
「へぇ?面白い事を言ってくれるじゃないか」
ミネアは僅かに目を細め、剣呑な雰囲気でスレイを睨み付ける。
「舐めておくれでないよ、私を誰だと思ってるんだい?毒蜘蛛に毒蜂、SS級相当探索者でも私だけが二つ名を二個持っているその意味を教えてあげようじゃないか」
「いや、毒蜂の方の意味を教えられたら困るんだがな」
苦笑してみせるスレイ。
ミネアは剣呑な表情から一点、呆れたような表情になる。
「やれやれ、無粋な事をお言いでないよ」
「なに、たまには俺も常識人ぶってみたくなってな」
「常識人“ぶってみたく”ねぇ、自覚があるってのは性質が悪い」
ますます呆れの色を強くするミネア。
だがそれ以上に激しい反応を示す者達が居た。
『なん……だと……!?』
「うそっ、スレイって自覚あったのっ!?」
今まで静かに黙り込み、ただ大人しく話しを聞いていたディザスターとフルール。
両者ともが驚愕にその身を打ち震わせていた。
その反応に、スレイは表情を変えぬまま淡々と告げる。
「次の鍛錬、本気で行くな」
『あ、主っ!?』
「ちょっ、スレイっ、そんなっ!?」
悲壮な叫びを上げる二匹。
「やれやれ、何をやってるのやら」
二匹の正体を知っているが故に、そのどこまでも気の抜ける様な会話に、更に呆れた様に肩を竦めるミネア。
同じく二匹の正体を知るイリュアとヴァリアスも、二匹が見せるあまりにも予想外の姿に、思わずきょとんとしている。
そんな周囲を余所に、スレイはやはりマイペースにミネアに告げる。
「何はともあれ、毒蜘蛛としてのあんたの本領、オリハルコンの操糸術の真髄、楽しみにしている」
「おや、あんたも同じ仕事をするんだろう?どうやって見るつもりだい?」
ミネアの言葉にスレイは口端を思いっきり吊り上げてニィッと笑う。
「別に俺なら仕事をこなしながらでも“視”る事は出来るし、それ以前に同じ一瞬でも俺とあんたの一瞬は全くの別物だ。俺の一瞬がこの世界における時間を全く進めない一瞬なのに対し、あんたの一瞬はほんの僅かなりともこの世界の時間を進める一瞬。なにせ俺は隔離された世界から直接世界に干渉する事が可能だが、あんたはほんの一瞬とは言え、この世界の存在に干渉するのに、通常の時系列に回帰しなければならないだろう?俺の方の仕事が終わった後、ゆっくり見学させてもらうとするさ」
「……へぇー、そいつはまた随分と大した自信だねぇ」
またも剣呑な雰囲気を纏いスレイを睨みつけるミネア。
だがスレイは悠然とした態度を崩さない。
「自信じゃない、絶対の確信さ。何せこれはただの事実だからな」
「……言うねぇ」
ますます剣呑な気配を強めるミネア。
だがスレイは気にも留めない。
その様子を見て舌打ちしたミネアは言う。
「それじゃあまあ、私の仕事を見学してるあんたの姿が見れるのを楽しみにさせてもらおうじゃないか?」
「おう、存分に期待してて構わないぞ」
微かに視線を絡めあう2人。
同時、2人と二匹はこの場から消え去っていた。
イリュアのみならずヴァリアスも全く知覚できない速度での転移の発動。
そもそも転移したという事実さえ推測しただけで見えはしなかった。
2人が自分よりも高みに在ると分かってはいたが、それでもそれを現実として再び突きつけられ、ヴァリアスは思わず強く唇を噛む。
そんなヴァリアスにイリュアが呆然としたように声を掛ける。
「えっと、それで私達はどうすればいいのでしょう?」
「はっ?そ、それは、各国から講和の調停を求められるのに備え、調停の準備を進めるべきかと」
「……そうですよね」
「はい」
口ではそう言いながらも、暫し呆然とその場に佇む2人。
ヴァリアスも先程までの自らの力不足への悔しさを忘れ、イリュアと共にどこか置き去りにされたような雰囲気の中で、亡羊とする。
それ程長い時間、そうしていた訳では無い。
だがそれでも確実に幾許かの時間をそうして過ごしたその時。
突然、扉が開かれ、一人の神官が駆け込んでくる。
「おいっ、貴様っ、何をしているっ!!この聖なる間にそのように荒々しく駆け込んで来るなどっ!!」
「ヴァリアス」
強く叱責するヴァリアスを優しく嗜め、落ち着かせえる様に神官を見やるイリュア。
ヴァリアスの剣幕に思わず怯え硬直するも、その後のイリュアの視線にホッとしたように安堵の吐息を漏らす神官。
だがふと思い出したかのようにいきなり頭を上げると、慌てた声で告げてくる。
「も、申し訳ありませんっ、しかし、守護者様、聖王猊下に緊急の用件が外交官からっ!!」
「え?」
「何?」
思わず声を漏らした2人はその後神官から伝えられた外交官からの用件に呆然とする。
「講和の調停をこんなに早く求めてくる国が在るなんて、まさか本当に?」
呆然とする暇も無く、またも人が駆けて来る足音が聞こえてくる。
「聖王猊下、これはっ!!」
「ええっ、今すぐ動きます。あなたっ、これから恐らく同じ様な連絡が幾つも来る筈です、それら全てを纏めて優先順位を付ける様文官達に伝えなさい。それと外交官からの連絡は直通で文官達の方に伝える様に他の神官達にも徹底させてくださいっ」
「は、はっ!!」
ヴァリアスの強い声に、イリュアは頷き、自らが成すべき事を成す為に踵を返しながら、神官に彼等の成すべき事を伝える。
しかしその颯爽とした姿とは裏腹に、その内心はスレイとミネアの非常識さに対する呆れが渦巻いていた。
転移した、とイリュアやヴァリアスに認識されていたスレイとディザスターとフルールにそしてミネア。
だがミネアは確かに飛翼の首飾りにて転移したのだが、スレイと二匹のペットは転移などしていなかった。
むしろミネアが飛翼の首飾りを用いて転移するのを悠然と眺めていた程だ。
そうこの1人と二匹は。
飛翼の首飾りを用いての転移。
以前ライナが用いたアイテム加速薬。
あれが必要なのはあくまで使用者との肉体的接触を持たないアイテムを加速させる場合だ。
ミネアはその身に埋め込まれた特殊な臓器で自らを光速の数十倍の速度域に加速させ世界から隔離され時系列の縛りから外れると同時、飛翼の首飾りを使用しすぐに転移していた。
使用者と肉体的接触を持つアイテムは、使用者の加速と同期する。
これもまた探索者としては常識だ。
だがそんな光景を悠然と眺めながらも力の一部を解放したスレイは勿論、元々外宇宙全知全能相当の力を持ちスレイと共に在る事で尚成長を果たしているディザスター、そして時空間関連のみはディザスターをも越えうる力を持ち同じくスレイと共に在る事で成長を果たしているフルールは、同時に世界から隔離され時系列の縛りから外れ更に既に探索者ギルドによって国の分布と数を両方考慮して割り当てられたスレイの担当分の国家。
その無数の国家に存在する人間全てと同じ数だけ遍在し、それらの人間の元で既に隔離された世界から、通常の世界、通常の時系列に存在するそれらの人間に対し直接干渉を行っていた。
元々無限を越えた全次元座標点、全時空間座標点、全位相座標点の全てに遍く遍在する事も可能なスレイだ。
たかが数え切れる程度の数の人間の元に遍在するなどあまりにも容易い。
ちなみに可能性の遍在を利用しての分身は更に容易い下位の業となり、そちらは普段から恋人となった女性達としょっちゅうイチャイチャとデートしたり睦み合ったりするのに使われている。
見事なまでの能力の無駄遣いである。
だがスレイは釣った魚にも餌をやるタイプなのだ。
まあそれはともかく、担当の国家全ての人間の元に遍在するスレイとディザスターとフルール達。
とはいえディザスターとフルール達はおまけだ。
ただ単にスレイに付き合っているだけに過ぎない。
力を一部解放したスレイは一人ヴェスタの防衛反応を力尽くで破り、そうして時系列の外からの直接の干渉で洗脳された人間達の思考を正常に戻し、ロドリゲーニの力を与えられ、自ら暴走した人間達は首に切れ目を入れ、通常の時系列に回帰すると同時にそのまま首が落ちるようにしておく。
存在その物を消し去るのも容易くはあるが、騒ぎになった方が、正気に戻った者達がより速く状況を把握し、行動を始めるのも速く、すぐにでも宣戦布告を行った国へ講和の使者を送ると同時、聖王国へと調停を願う連絡を取るだろう。
そちらの方が好都合な為そうする。
そして全てを終えたスレイは、ミネアの転移を眺めていたスレイを含め、ただ1人を残し、他の遍在するスレイを全て消去する。
当然ディザスターとフルールもスレイに倣う。
残るのは全知の一部を解放し“識”った、ミネアが最後に仕事を行う国、そのミネアがマーカーしている転移して来る場所、その部屋の中の壁際に寄り掛かるスレイと、その足下に侍るディザスターと、右肩に乗るフルールのみだ。
そしてスレイは通常の世界、通常の時系列に回帰する。
何せミネアのオリハルコンの操糸術がどれだけ類稀な技術だったとしても、流石に隔離された時系列から外れた世界から、通常の時系列の世界に在る人間達に直接干渉する事は不可能だ。
だから転移後その国家でほんの一瞬のみ通常の時系列に回帰し、やるべき事をやり、そしてすぐにまた加速し別の国家に転移する。
ミネアはそうやって仕事をこなしている。
無数の国の全てにマーカーしてあるのは、昔訓練された職業病の様な物だろう。
幾ら幼少時に自ら組織を壊滅させ自由になったと言っても、中々訓練で刷り込まれた癖は抜けない物だ。
探索者になれば感情などは全て己が制御下に置かれる物だが、それと訓練で身に付いた癖とはまた別のものだ。
まあ意識して抑えようと思えば抑えられるだろうが、別に何の害にもならない以上わざわざやろうともしなかっただろう。
そしてそれが現在役に立っているという事だ。
そして体感時間で一瞬にも満たぬ内にスレイの目の前にミネアが出現した。
この場に転移後、仕事をこなす為に通常の世界、通常の時系列に回帰したのだ。
次の瞬間には国中にオリハルコンの糸が張り巡らされていた。
だがそれでもミネアはスレイ達の存在に気付かない。
完全なる気配の隠匿。
それと同時にトンネル効果による物質透過でオリハルコンの糸すらも自らの身体を透過させているのだから当然だろう。
次の瞬間には洗脳された人間達の脳に刺し込まれたオリハルコンの糸から直接魔法で干渉し洗脳を解除すると同時、やはりスレイと同じ考えでロドリゲーニに力を与えられ、自らの野望のままに暴走した人間は首を落とすミネア。
全てを体感時間で一瞬にも満たぬ内に終えたミネアが、今度は探索者ギルド本部に報告にでも行くのだろうか、すぐさままた加速し転移しようとしたその時。
通常の時系列に在るその一瞬に、機先を制する様に拍手の音が響き渡る。
思わず加速を思いとどまるミネア。
拍手の音が聞こえて来た方向に視線を向ける。
そこに居たのは当然壁に寄り掛かり悠然と笑うスレイだった。
思わず唖然とした顔をしてしまう。
そんなミネアにスレイはやはり楽しげに笑いながら余裕の表情で告げた。
「いやいや、大した物だ。オリハルコンの操糸術の真髄、宣言通り存分に堪能させてもらったよ」
暫し唖然としていたミネアだが、少ししてその表情に理解の色と苦笑が浮かぶ。
「いやぁ、参ったねぇ。全く見られてる事にさえ気付かなかった。しかもその様子じゃ自分の仕事はきちんと終えているようだ。本気で化物だねぇあんた」
何処か呆れた様に軽く首を振るしかないミネア。
「化物とは失礼だな、俺はあらゆる存在の中でちょっと最強なだけのただの人間だよ」
「いやいやいや、そういうのは普通、ただの人間とは言わないさね」
本気で心外だとばかりに肩を竦めるスレイに思わず突っ込みを入れるミネア。
ディザスターとフルールもミネアに続く。
『この場合、主の認識の方が間違っているな』
「うん、スレイを人間って言ったら、ちゃんと人間してる人達に失礼だと思う」
「おい」
僅かに目元をひくつかせるスレイ。
魂の芯の部分の感情は全て意志の制御下に置かれているが、逆に表層的な感情は日々学習し、どんどんと豊かになっているスレイだ。
飄々とした態度ばかりではなく、この様な反応を示すのも珍しくはなくなっている。
「お前達は俺の下僕なのに、最近随分とそうやって反抗的な態度が増えてきたな?先刻よりもこう来るモノが在ったぞ?当然、覚悟は出来てるんだろうな?先刻は本気で行くと言ったが、次の鍛錬ちょっと限界に挑戦してみるか」
『まっ、待て主っ!!己が身を省みず諫言してこそ忠実なる下僕というものだろうっ!!ここは主としての器量を見せ、忠臣には恩情で報いるべきではないかっ!?』
「そ、そうだよスレイッ!!僕達はスレイの為を思って正直にっ!!」
必死な勢いでスレイに恩情を請うディザスターとフルール。
二匹のその正体と圧倒的な力を知るミネアはその姿に思わず目を瞠り、スレイに対する評価を修正する。
そう、この二匹にこんな態度を取らせるなど、化物なんて言葉じゃ生温い、と。
ミネアの内心は余所に、スレイはただ意地悪く笑う。
「ふむ、なるほど。確かに一理ある」
『で、あろう?』
「でしょ?」
頷くスレイに安堵の様子を見せるディザスターとフルールだが、スレイの意地悪い笑みはそのままだ。
気付いた二匹は思わず身を硬直させる。
そして予感に違わぬ言葉が落とされた。
「だが折角の己が身を省みぬ忠信だ。その挺身を次の訓練でしっかりと確かめさせてもらおうじゃないか」
『……』
「……」
絶句し、項垂れる二匹。
スレイはそのままミネアに向き直ると告げる。
「さて、待たせたな」
「ん?待った覚えは無いんだが、そう言うって事は私に用があるのかい?ただ面白い見世物だったから見物させてもらってただけなんだがねぇ」
「ほぅ、俺達の力を知った上で今のを見世物と言い切るか」
スレイの口元は楽しげに吊り上がる。
それに対して妖艶な微笑を返しミネアは言う。
「知っているからこそ、さ。仮にも邪神にそれに匹敵する存在、更にはそいつらよりも上の化物が笑える掛け合いをやってるっていうんだ。これ以上の見世物が他にあると思うかい?」
「ふん、化物扱いは不本意だが、やはりイイ女だな、あんたは」
不本意と言いつつもどこまでも楽しげなスレイ。
イイ女と告げたその言葉に偽りは無く、完全な本心の様で、その瞳に求めるような熱情が宿るのをミネアは感じる。
その熱情をミネアは心地良く感じていた。
自らの美貌を自覚するミネアは、自らに対する男の欲情の視線は随分と浴びた覚えがある。
だがこのように本気で女として求められる視線を向けられる事は無かった。
いや、一時的に向けてきた相手も居る。
しかしその様な相手でもミネアの正体を知ればすぐにその視線には恐怖が入り混じる。
当然だろう、指先一本触れただけで容易く死に到るのだから。
美しく妖艶で劣情を誘う、触れれば死へと誘う毒の華。
それと知りながらも男として情欲を刺激される。
しかし決して触れる事は叶わないと畏怖と共に思い知らされる。
それが男にとってのミネアという存在だ。
実に多くの男がミネアに対し理不尽な呪詛の念を持った事だろう。
スレイは違う。
ミネアの正体を知りながらも尚、女として全てを求める視線を向けて来る。
本当に初めての経験だ。
ミネアの口元にも楽しげな笑みが浮かぶ。
「ふふん、私の良さが分かるってだけであんたも十分イイ男の資格があるさね。それで用件ってのはなんだい?私が欲しいってんなら構わないよ?あんたはこの私の初めてを奪うに足る男だと思うしねぇ。何より、あんたぐらいのものだろう?私の毒が効かない男なんて」
「ほう、実に魅力的な提案だ。だが確かにそれも用件の一つなんだが、その前にもう一つ用件があってな?互いにそういう関係になる前にもっと良く知り合うべきだと思うんだが、どう思う?」
スレイの言葉に一瞬表情をきょとんとしたものに変えるミネア。
しかし次の瞬間には思いっきり笑いを零す。
「あはははっ、もっと良く知り合うか、いいねぇ。で?いったいどうやって知り合うつもりなんだい?」
「なに、実はあんたに見てもらいたいものがあってな」
どこか悪戯気に笑うスレイ。
「へぇー?そいつは期待していいのかねぇ?」
「ああ、必ずや期待の沿えると確信しているよ」
からかうように問い掛けるミネアに絶対の確信を以って答えるスレイ。
「ディザスター、フルール。終わったら呼ぶから暫く好きにしてろ」
『分かった』
「はーい」
スレイの言葉に軽く了承の返事を返すディザスターとフルール。
次の瞬間、ミネアに訝しげな表情をする暇さえ与えずに、スレイの力によってミネアはスレイと共に強制転移され、2人はこの場から消え去っていた。
【???】???“???”???
「おやおや、なんだいここは?またぞろとんでもない。あのフルールとかいう小竜のようにまた世界の外にでも連れ出されたのかね?」
「いや、ここはれっきとしたヴェスタの中、しかも俺達住んでいた星だが?」
軽口を叩くミネアに飄々と返すスレイ。
スレイは気付いていた。
ミネアが軽口を叩きながらも、その肉体は完全な臨戦態勢にある事を。
まあ無理もあるまい。
幾らレベル80を越えた探索者が邪神と戦う為の戦力として恐怖という感情を麻痺させられているとはいえ、この状況で危機感を持たない方がおかしい。
「ただし、俺達が今まで居た大陸とは別の大陸、って事になるがな」
「……そいつは、また、ねぇ?」
緊迫感は隠せずに、それでも楽しげに笑ってみせるミネア。
つくづく俺好みだ、とスレイも笑う。
何せ荒れ果てた荒野の如きこの大陸。
ただの光を使った視界に映る範囲でも、SSS級の力を持った得体の知れない怪物がごろごろと存在している。
エーテルを用いた視界を用いれば、この大陸中に、多種多様な得体の知れない、生態系からも外れたような、そんな化物どもが無数に居るのがミネアにも分かっているだろう。
それでいて、シェルノートの結界によって閉ざされたこの大陸の外はミネアには“視”えない筈だ。
この状況で笑えるのだから、本当にイイ女だ、とスレイは嬉しくなる。
「気にするな、連中に俺達の邪魔はさせないさ」
「そいつぁ大した自信だねぇ。今更疑おうとも思わないけどね。でもまあ、ここが私達が住んでいる星の別の大陸だとして、この異常さは何なのか、教えてくれないかい?」
「ふむ、異常か。これでも大分連中は退化してるんだがな?」
軽く視線を向けただけで、気圧され距離を空けるそのナニかを見詰めながらスレイは言う。
「ま、説明ぐらいはするさ。ここはかつての聖戦時に於けるシェルノートの実験場だな。今のシェルノートはヴェスタの歪から脱出する事と、手段である筈のその歪そのものの研究に夢中になって放置されてる所為で暴走しちまっているが」
「暴走?先刻は退化とか言ってなかったかい?」
「別に間違っちゃいないさ、シェルノートの実験目的から外れて独自に生態系を築き上げているんだ。実験という枠から外れたという意味では暴走だろう?」
肩を竦め続ける。
「元々だ、ここはシェルノートの奴がこの世界の神々が創造した生物、しかも戦闘種族などではない、当然探索者などの様な改造された存在でもない、ただそのままの獣や虫や色々、それに人間さえも含めて、そいつらが果たして戦闘力という一点に置いて、神の力を与えたり肉体や魂を弄ったりせずに、いったいどれだけの高みまで進化出来るのか。そんな事を確かめる為の実験場にした大陸だ。とはいえ本来そんな事シェルノートの全知を以ってすれば始める前から結果は分かっている。だがそれでもその全知すらを覆す結果を求めて実験する、全知を超える新たなる叡智を求める。それがシェルノートという邪神だ。とは言えさすがにそんな物がそうそう成功する訳も無い。だがそれでもかつてシェルノートの制御下にあったここでは、神々にすら匹敵するような化物どもが山ほど生まれていたぞ?ただしそれは生存本能を奪われ、ただ互いに戦闘衝動に支配されるままに戦い合う、そんな中にどんどんとシェルノートがさらって来た生物を投入していく、そんな強引に戦闘力の進化のみに進歩の方向性を固定された上での結果だったがな」
「……待っておくれ、それじゃあ、コレらは元々は」
「ああ、普通の獣や虫や、或いは人間だったりも祖先に居るだろうな。今じゃあ生殖についてもぐちゃぐちゃに混ざり合って、原形なんざ欠片も留めてないだろうが。ああ、一つだけシェルノートがここの実験体にした生物の身体で弄った部分があったな、生殖能力だ。どんな相手とでも子を成せる様にした、進化のその階としてな。どこまでも智に貪欲で、その為なら何をも省みない……、実に奴らしいやり口だ」
高位の探索者として完全に己の感情を律する事が出来るミネアは生理的嫌悪感や激情に支配される事は無い。
それでも尚眉を顰めた。
それほどおぞましい内容だ。
しかしスレイが注目するのはそこでは無い。
自らがかつて実験台という立場にありながら、それでもこの反応の冷静さ。
幾ら探索者となった事で感情が完全に律する事が出来るようになったとは言え、魂の芯にまで刻まれた傷はそれほど軽い物ではない筈だが。
やはりイイ女だと心中でほくそ笑む。
「さて、先刻も言った様にシェルノートが放置した所為でこの実験場は暴走を始めた……と言っても正常な生物の在り方に立ち返っただけだ。先刻退化と言ったが、退化は別に進化の対義語じゃない。シェルノートは強引に進化を己が実験の道具に使ったが、元々は進化も退化も等しく生物の生存戦略の一つに過ぎない。つまりだ、シェルノートによって戦闘衝動のままに生存本能など無視して戦い続ける事を強要されていた時と比べ、シェルノートから放置され、ある意味解放されたここの生物達は本来の生物の持つ生存本能を発揮し、無駄に戦う事はせず、生き延びる事を優先するようになった。とは言え、それでもシェルノートの結界により閉ざされた大陸だ。最低限の戦いで己が生存権を獲得しなければ生き延びる事も出来ない。結果、神々にすら匹敵する化物共は退化こそすれそれでもSSS級の力は今でも保持するに到る、とそういう訳だ。本当に邪神ってのはとんでもない連中だと思わないか?」
「私としては、どうしてあんたがそこまで詳しく邪神達の事を色々と知ってるのかとか、邪神が張った結界を容易く無視出来るのか、とかの方が気になるんだがねぇ」
思わず苦笑するミネア。
ミネアの言葉を聞いたスレイは呆れ顔をした。
スレイがそんな表情を浮かべる理由が分からず怪訝な顔をするミネア。
その様子を見てスレイはますますやれやれと言わんばかりの態度になり、肩を竦めて首を左右に振ってみせる。
いや、それだけでなく実際に口にしていた。
「ふぅー、やれやれ。そんな事疑問に思う事すら愚かしいな。邪神がどうだのなんて関係無い、ただ一つの単純な真理で全ての説明は事足りる。唯一俺のみが絶対の最強だ」
「……なるほど、そいつぁシンプルで実に分かり易いねぇ」
またも苦笑を浮かべるミネア。
先程よりもずっと呆れが深く、それでいて畏怖も籠った苦笑だ。
半端な反応にやや不満気な顔をするスレイ。
だがそれよりも、今のミネアはより気になる事を優先し、質問する。
「とりあえず、ここが何処なのか、や、どうして此処に来れたのか、とか、何でそこまで詳しいのか、についてはそれで納得しておくさ。どうせ私にどうこう出来る話じゃないしねぇ。でもねぇ、一つだけ、これだけははっきりとさせなきゃいけない事がある。どうしてあんたは私を此処に連れて来たんだい?」
「ふむ、実に的確な質問だ」
不満顔を引っ込め、またも満足そうに頷くスレイ。
幾らいかな状況においても冷静さを保てる様になっている探索者と言えども、どれだけ思考の速度が速くとも、発想や閃きと言った部分はその個人の経験量、魂の純度、才能、それらが大きく影響する。
今、此処で、何よりも重要な疑問。
そこにすぐに思い当たり、それをぶつけてきたミネアに、やはりスレイはあらゆる意味で評価を高める。
スレイは告げる。
「なに、ここに来る前に言っただろう?俺達は互いに良く知り合うべきだと。それでな、その方法として、是非とも俺の操糸術の師匠とでも言うべきあんたに……とは言え、勝手に見て真似させてもらっただけだが。ともかく俺の操糸術を見てもらいたいという願望と、互いの操糸術をぶつけ合う事で、あんた相手にはより深く互いに知り合う事が出来るだろうという考えから、此処にこさせてもらったのさ……あんたの糸は、星一つ覆うには不足だが、大陸一つ程度完全に覆う程度は容易いだろうからな。あの大陸で全開で振るわせる訳にもいかないだろう?だが此処なら、シェルノートの実験の成れの果て、その後放置されたとはいえもはや知性などもたぬただ強いだけの化物に成り果てた連中しか居ないから、存分に力を振るう事が出来るだろう?」
「私の糸じゃあ星一つ覆うには不足、ねぇ?あんただったら違うとでも言うのかい?それに本当に見ただけで、オリハルコンの操糸術を使えるようになったって?」
軽い口調のミネアだが、その声は重々しい緊迫感に満ち満ちている。
対しスレイは軽く笑うのみだ。
「さて?俺の糸がどれだけの事を出来るのは想像にお任せするが、たかが星程度、とは言っておこうか。ついでに言うならばあくまで俺が真似させてもらったのは操糸術と言った、誰もオリハルコンの操糸術などとは言っていないぞ?」
「っ!?……そいつぁどういうことだい?」
軽い口調で問いながらも、やはりその声は重い。
ミネアが緊迫感をますます高めて行く中、スレイは変わらない。
変わらず軽い笑みを浮かべ続けている。
「なに、簡単な事だ。俺からすればオリハルコンの操糸術というのも、無駄が多い上、その可能性を引き出し切れていないと感じたのでな、俺専用に改良させてもらったのさ。当然使う糸もオリハルコン製じゃなく、もっとずっと使える代物さ。ただし俺以外には使えないだろうけどな」
「……オリハルコンよりも操糸術の可能性を引き出せる、だって?そんな素材見た事も聞いた事も無いんだがねぇ?」
「それはそうだろうな、そもそもこれは本来素材に出来る様な代物じゃない。ただ俺が強引に俺の力で糸という形を取らせているだけだ」
不敵に笑うスレイに、流石に苛立たしげにミネアが問う。
「勿体ぶり過ぎじゃないかい?そろそろ答えを聞かせてほしいんだけどねぇ?」
「ああ、いいぞ。俺が使う糸は、全てに成り得て全てを成し得る無限を越えた可能性を秘めた第一原質、その第一原質プリマ・マテリアをどの方向性にも分化させぬまま無限を越えた可能性を内包したままに糸の形に成した物。即ち俺の使う操糸術とはプリマ・マテリアの操糸術。なるほど、精神感応金属たるオリハルコンの自由度も操作性も相当に高い事は認めよう。だがオリハルコンとは既にその方向性を分化し定めてしまった素材だ、可能性の幅が大きくとも、無限にすら遠く及ばない。対し俺のプリマ・マテリアそのものを強引に糸の形と成したものは無限を越えた可能性を内包する。自由度も操作性もオリハルコンの比ではないぞ?」
「プリマ・マテリア?あの机上の空論。この世の全てを構成する元の元と言われる仮定としての第一原質……それをあんたは自在に操るってーのかい?」
ミネアの険しくなった視線に尚笑い、スレイは答える。
「ああ、俺はとっくにエーテルは自在に操っていた、今プリマ・マテリアもその物程度なら自在に操る事は可能だ。だが俺の目指すべきその先、プリマ・マテリアすらも媒介とした見なさない、過程にすぎないその先にはまだ到れないのが己が未熟を恥じるばかりだが」
「ははっ、どこまでも傲慢だねぇ」
「それが、俺だ」
ぶつかり合う視線。
スレイはやはり笑ったまま告げる。
「さあ、始めようか」
言葉と同時。
ミネアは己が身体が勝手に反応し、埋め込まれた臓器の加速薬が一回分消費され、光速の数十倍の速度域へと加速するのを感じる。
ミネアはいっそ暴力的ですらある加速により時系列の縛りからすら解放され、世界の防衛本能により世界から隔離される。
そんなミネアを見ながら、スレイは悠々とミネアの加速に“合わせて”、光速の数十倍の速度域への加速へと留める。
始めに加速したのはスレイでミネアはそれを知覚した超感覚のままに肉体が反応して加速した。
いや、スレイが加速させたと言ってもいいだろう。
今のスレイならば、探索者の超感覚すら誤魔化し自らのみ加速する事も可能だ。
逆にスレイの無意識の感覚を誤魔化すのは例え最上級邪神たるイグナートだろうと不可能だろう。
そしてスレイはミネアの加速の限界を見定め、敢えて己も同等の加速で留めた。
まだまだ先が……。
いや、そもそも速度などという物に縛られぬ領域に到る事も可能でありながら、だ。
だが当然だ。
そもそもこれはミネアを倒す事が目的ではない。
いや結果としては倒す事になるだろうが、そんな結果より過程が大事なのだ。
互いに力をぶつけ合い、互いに深く知り合う事。
それが目的なのだから、せめて対等に力をぶつけ合える状況でなければ意味が無い。
そんな思考も体感時間ですら刹那。
加速と同時、ミネアもスレイもその“糸”を既にこの大陸全てに張り巡らせ終えていた。
スレイは笑う。
毒蜘蛛の二つ名に相応しいミネアのその緻密な糸の張り巡らせ方に、何よりその糸の密度に。
ミネアは戸惑う。
スレイの糸の、大陸中に張り巡らせているとはいえ、あまりにも穴の多い構成に、その密度の薄さに。
しかしすぐにミネアは驚愕の表情を浮かべる事となった。
糸を張り巡らせると同時、ミネアはこの大陸中の無数の怪物達に攻撃を仕掛けていた。
或いは光速の数十倍の速度で以って超振動させた糸で切断せんと、あるいは無数に分離させた糸をより細く研ぎ澄ませ鋭利な針として相手の急所と思われる部分に突き刺さんと、或いは圧倒的な質量を持った超極大の柱の如く太くして殴打せんと。
だが流石SSS級。
光速の数十倍程度には全ての怪物が容易く反応してみせ、あるモノはそれらを容易く躱してみせ、あるモノは敢えて受けながらもほんの僅かしかダメージを受けない、場合によっては全て弾き返すモノさえ居た。
ほんの僅かダメージを与えたモノであっても、超振動させた糸は表皮を僅かに切り裂いたに過ぎず、鋭利な針と化して急所から内部へ潜り込ませた糸をそのまま超振動させても、内部からのダメージであるにも関わらず痛覚など無いかのように無視し、暫くするとその糸の反応は消える……いや消し去られたのだろう、そして太くして圧倒的な質量を与えた糸で殴打しても僅かによろめく程度。
だが違う。
仮にも相手はSSS級の怪物達。
その程度では驚愕に値しない。
ミネアが真に驚愕したのはそのような瑣末事では無かった。
ミネアの“眼”は信じ難い光景を捉えている。
SSS級の怪物達が成す術も無く消滅していく様を。
自らの糸では何の通用も与えられなかった怪物達が蹂躙されて行く様を。
あるモノは燃やし尽くされ焼滅した。
あるモノは素粒子の果てまで細切れにされ消滅した。
あるモノは次元の最小単位まで圧縮され圧死した。
あるモノは存在しない筈の痛覚に限界を超えた痛みを与えられ耐え切れずに原形を留めたままショック死した。
あるモノはただ一本の糸に串刺しにされただけでまるで生命そのものを貫かれたかの如くただ死んだ。
あるモノは一片にも満たない糸の欠片が体内に染み込んで行ったかと思うと、次の瞬間内部から爆発し肉片となって再生も出来ず死んだ。
あるモノは糸によりその全ての活動を凍結され凍死した。
あるモノは脳に刺さった糸により何を“視”たのかただ暴れ狂い狂死した。
死ぬ。
死んで行く。
それぞれが全く違う手段で。
ただの一体足りとも同じ手段は使われず。
ミネアの糸では欠片も届かなかったその命が容易く奪われていく。
ミネアに比べれば圧倒的に密度が薄く、僅かにしか張り巡らされなかったスレイの糸によって。
驚愕以外の何が出来よう。
いや、ただ怪物達が殺されるだけならばミネアも驚きはしない。
スレイならば、邪神とさえも戦ってみせる男ならば、SSS級と謂えども軽く殺せる事は何ら不思議な事ではない。
だが紛れもなくそれを成しているのがスレイの操る糸であるという事が問題だった。
大陸中で死の華が咲き乱れ、そしてミネアの“眼”が、この大陸に残る生命はミネアとスレイだけと判断すると同時。
ミネアは思わず呆然と尋ねていた。
「……あんた、いったい何をしたんだい?」
「何をも何も全てあんたが“視”たままだが?」
飄然と言ってのけるスレイ。
「あんたにも“視”えるように、わざわざ“合わせて”分かり易くやってやったんだが、これでもまだあんたにとっちゃ難しかったかな?」
「言ってくれるっ!!」
敢えて挑発的に述べるスレイ。
ギリッと歯を食いしばるミネア。
睨み付けるその視線すらも心地良く。
スレイはただ楽しげに笑う。
変わらぬその自然体。
ミネアは諦めたように身体から力を抜くと、ただ正直に告げた。
「見えたさ、ああ全て見えたとも。過程も結果もね。でもね、見えたからこそ理解できないのさ。そもそも“ありえない”事を数え切れない程に見せつけられて何を分かれっていうんだい?」
「おや?SS級相当探索者ともなれば、そもそも脳の構造が常人とは違うんだから、理解し難きも容易く理解してしかるべき、と思わないか?」
落ち着いた様子になってしまったミネアにやや残念そうな顔をしながらも、スレイは無駄と分かりつつも敢えてまた挑発的な言葉を繰り出す。
しかしスレイの予想に違わず、既にスレイの意図を理解し、また腹を立てるだけ無駄、というよりスレイを楽しませるだけ、という真理を覚ったミネアは、全く反応する事なく答える。
「その、SS級相当探索者でも理解など到底不可能な事をやっておいて、敢えてそうやって煽ってくるんだから、私には手に負えそうもないね、あんたは」
「ふぅ、他の奴等だったらもう少し遊べたんだろうけど、流石にあんたは今までの人生経験が経験だけに実に立ち直りが早い」
諦めたように溜息を吐くスレイ。
「無駄だって理解してもらえたなら、さっさと教えてもらえないもんかねぇ」
「あー、分かった分かった。と言ってもな、何をしたと具体的に説明なんてしようと思ったら、それこそ言葉などという不完全な伝達手段では不足に過ぎるぞ。敢えて単純化して説明するとすれば、あんたのオリハルコンの糸は元々精神感応金属の上、あんたと生体同化も果たしているから、オリハルコンの操糸術は他のオリハルコン製の武器と比べても自由度が圧倒的に高い、が結局はオリハルコンであるという事からは逃れられない。既に世界に在る存在として方向性が定まってしまっている訳だ。対して俺のプリマ・マテリアの糸はどの方向性にも分化せず、無限を越えた可能性を内包したままであるが故に、プリマ・マテリアの操糸術は本当の意味で自由だ。無限を越えた可能性、その全てを実現出来る、ただそれだけの話だ。だからこの大陸に居た怪物の数だけ可能性を引き出し、それぞれ別の方法で、ああでも一応糸という形には囚われてるから、方向性の一部は限定されているか。ともかく操糸術という範疇で実現し得るあらゆる殺し方の極一部を実際行ってみせただけの話だ」
「そいつぁ、またなんとも……無茶苦茶な話だねぇ……」
僅かに息を呑むミネア。
だがスレイは容赦しなかった。
「さて、それじゃあそろそろ本番を始めようか?」
「……本番?」
「とぼけるなよ、分かってるだろ、今回の目的は俺とあんたが互いに知り合う事だ。だったらぶつけ合うしか無いだろう?互いの操糸術を」
空とぼけたミネアに、しかしスレイはストレートに、逃げ様も無く告げる。
「はは、出来れば忘れてたかったんだがねぇ。あんなふざけた技とやりあうなんて」
「ふざけた技とは失礼だな、そしてそれ以上に俺があんたみたいなイイ女をどうこうするなんて思われてるのが心外だ。言葉通り、互いに知り合おうって心算なだけだ」
「それはそれで、舐められてる様で腹が立つねぇ」
軽口の応酬をしながらも既に2人は互いの糸の己が意志を通し切っていた。
そして。
始めにミネアが仕掛けた。
ミネアに繰られたオリハルコンの糸は、時系列を無視し、過去・現在・未来、更にはあらゆる空間という、時空間のあらゆる方向からスレイに向かって押し寄せる。
対しスレイの取った手段は実に単純だった。
ミネアの繰る糸全てを迎え撃つ。
当然、本来ならば展開していた糸の量が圧倒的に少ないスレイに全てを迎え撃つ事など不可能な筈だった。
だが、原質のままのプリマ・マテリアが秘めた無限を越えた可能性は、容易くそれを可能とし、ミネアが繰る糸と全く同量へとプリマ・マテリアの糸は増量し、オリハルコンの糸に絡み付く。
そしてミネアはスレイの言った互いに知り合う、というその“真意”を理解した。
その刹那、互いの意志が通い合った糸を通じ、意志が通じ合う。
深く絡み合った意志の糸は魂までをも繋げる通路となって互いの全てを貪る様に探っていく。
刹那にして永遠の交感。
しかしミネアは理解する。
ミネアが知り得たのはスレイのほんの一部だ、あまりにも巨大に過ぎるスレイの魂をミネアの魂は理解し切れなかった。
対しスレイはミネアの魂の全てを理解し切ったと、理解され尽くしたと、それだけは分かってしまう。
羞恥の感情が湧く。
刹那、プリマ・マテリアの糸が無理矢理オリハルコンの糸をミネアの体内に収容すると同時に自らも消え去る。
そのままいきなり隔離されていた世界から通常の時系列へと回帰させられたかと思うと、何時の間にかミネアはスレイによって後ろから大きな岩の上へと押し倒されて居た。
うつ伏せの姿勢から振り返りスレイを見るミネアの顔に自らの顔を近づけスレイは言う。
「さて、互いに存分に知り合えた事だし、ここからはただの男と女として、いやこういう場合は雄と雌として、の方が適当かな?存分に楽しもうじゃないか。何せ完全な野外となると俺も初めてだ」
「ふふん、いい気なもんだね。私の毒の中でも純潔の証の毒はとっておきに強力に凝縮されていると思うよ?」
どこか強がるように斜に構えて笑ってみせるミネアに、スレイは穏やかに笑い告げる。
「俺にあんたの毒は絶対に効かない……分かってるだろうミネア」
「なっ!?」
唐突に耳元で囁くように名を呼ばれ、ゾクリと背筋を振るわせるミネア。
「遠慮する必要は無いな……、何より偶には獣になり切るのも悪く無い」
「ははっ、大した自信だ。言うだけ愉しませてくれるんだろうね?」
「ああ、存分に悦ばせてやるさ」
そう言うと、スレイはそのままミネアに己が身体を覆い被せていく。
獣の如く自らを荒ぶらせながら……。
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