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  シーカー 作者:安部飛翔
第7章
6話
 王城内のスレイ用の客室。
 先程まではまっさらに清潔に整えられていたベッド。
 今は様々な意味で汚されたそのベッドの上。
 上半身を起こしたスレイは事後だなんて感じられない何て事の無い様な何時も通りの平常運転で少しばかり考え事をしていた。
「ふむ」
 思わずでは無くわざと。
 人間らしい仕草という意味で。
 そして何より自分らしく気に入っている仕草という意味で。
 スレイはわざとらしく疑問気な声を上げる。
「どうした?」
 その声に反応し上半身をどこか気だるげに起こすフェンリル。
 掛け布団も胸元まで引き上げその身体を隠す事は忘れない。
 だが本気で疲れた様子で、漂う雰囲気はどこまでも色香が漂う。
 圧倒的な肉体スペックを持つSS級相当探索者。
 いや、圧倒的というよりもはや在るだけで物理法則などある意味超えた存在だ。
 その1人である彼女を行為一つでここまで疲れさせる。
 こんなところでもスレイは規格外であった。
 そんなスレイが実に間の抜けた、しかしある意味彼らしい疑問を、本当に不思議そうに声に出す。
「ふむ、あんたもそうだったが何で探索者ってのは処女率が高いのかとな」
「阿呆かっ!!」
 全力で繰り出されたフェンリルの裏拳。
 それは本当の意味での全力。
 闘気と魔力を併用し強化されたそれは光速の数倍の速度域。
 この場は一時世界から隔離さえされる。
 しかしスレイは実に優しく柔らかくその裏拳を受け止めてみせ。
 繰り出した側とは言えその受け止められた拳に全くの衝撃を感じなかった事に。
 そこに使われた無駄なまでの能力の高さと技術の異常さにフェンリルは疲れた溜息を吐く。
 強化は解かれ、すぐさま通常の世界へと回帰する2人。
 スレイは不満気に文句を言う。
「いきなり何をする、というか山脈丸ごと軽く消し飛びそうな一撃をいきなり繰り出すとか何のつもりだ?」
「君が馬鹿な、しかもデリカシーの無い事を言うからだろう。だいたい君なら簡単に防ぐと分かった上だ。尤もここまでとは予想外だったが……」
 そのフェンリルの声の響きの奥に、スレイはしかし別の意味を見出す。
「その様子、あんた知ってるのか?」
「というか君は知らないのか?」
 返された言葉にスレイはフェンリルには理解し難い答えを返した。
「うーん、“識”ろうと思えば何時でも“識”れるんだが、こういうある意味どうでもいい、それで誰かが知ってそうな知識は直接誰かから話を聞きたいんでな」
「なんだそれは?つまり知らないという事か?」
「まぁ、そう考えてくれて問題無い」
 スレイの曖昧な答えに眉間に皺を寄せるフェンリル。
 だがその仕草すらが現状の気だるげな雰囲気とその事後の肢体から発せられる色香によって、どこまでも扇情的だった。
「まぁいい、そのくらいなら教えてやろう」
「助かる……というか本当に理由あったんだな?」
「……」
 またも疲れたように眉間を押さえるフェンリル。
 だが頭を振り気持ちを入れ替えるようにして説明を始める。
「理由があるか無いかも知らなかったのか……。ともかくだ、女性の探索者、特に高位の探索者になればなる程処女率が高いのは事実だ。またいずれ高位の探索者になるだろう才能溢れる探索者も同様だな。これは事に神々の祝福とそれにより与えられた運命が関係してくると言われているが、これは絶対的なものではない。不幸にも不逞の輩に犯される女性とているし、恋人が在る者ならば言うまでもあるまい。だが真にいずれ高位の探索者に到るものであれば大抵は色恋沙汰などに現を抜かさず全てを戦いに賭す、その上探索者になった後の感情の在り方が僅かばかりただびとの物とは異なってしまうのは君も知っている事だろう。故に先程言ったような条件に当てはまらず、その上で探索者になった才在る者に女を意識させる男などというのはそれこそ余程の男でなければならん。特に力の方面において揺り動かされる事が多くなるのは、探索者の性質上ある意味必然なのだろうな。だから先程も言ったように処女率が高いのは事実だ……が君の所為でこれからどうなるか分からんがな」
「なんだその言い方は、人の事をまるで何かヤバイものの様に」
 フェンリルは肩を竦めてみせる。
 その仕草すらが野生的な色香に溢れている。
「実際そうだろう?君の夢の一つはなんだ?」
「ありとあらゆる美女・美少女とよべる存在をモノにする事、か?」
「そう、その上君は本気で行動力が異常だ。ついでに言うと元々女の扱いに長ける上に、先程言った感情の在り方が特異になってしまった探索者の女の感情を強く揺さぶる性質に溢れた存在だ。それだけじゃない、君は私のようなSS級相当探索者の完全に律されてる筈の感情すらも誘導してみせただろう?」
 フェンリルの言葉にスレイは堂々とある意味最低な自分の野望を口にする。
 それにまたも肩を竦めて説明を続けるフェンリル。
 その最後の言葉にスレイはやや目を細めた。
「気付いていたのか」
「その程度は分かる……対処できるかどうかは別問題だが」
 そして最後にフェンリルは告げた。
「まあ、何にしても、探索者だろうがそれ以外だろうが、君がありとあらゆる女性の敵というのだけは間違いないな」
 違いない、とスレイは肩を竦めて笑ってみせた。

 スレイは目の前で身体を拭くフェンリルを眼福とばかりに眺めていた。
 当然始めは追い出そうとしたフェンリルだったが、どれだけ言っても無意味で、とうとう諦めてスレイの目の前で身嗜みを整え始めたのだ。
 何しろどうしても早く身嗜みを整える必要があった。
 身体を拭い終わると同時に、残りの汚れと髪の汚れを魔法であっさりと落としたフェンリルは服を手に取る。
 ちなみに身体をわざわざ拭っていたのは拘りだ。
 全部魔法で済ませる事は簡単だが、一気に全ての汚れを落としたところで爽快感と言う物が感じられない上味気無い。
 勿論身体を拭っていた布にも特殊な魔法を掛け、より爽快感を感じられるように色々と操作していた。
 無駄な拘りではあるが、こういう拘りに無駄に魔力を使えるのも実力者ならではだ。
 そしてフェンリルは手に取った服を見る。
 それはフェンリルらしく普段通り彼女の凛々しさを強調する服装ではあったが、普段とは違いそれなりに飾り気に溢れた、高級感のある礼服であった。
 そもそも全てはスレイが王女に会う、などと言い出した事が始まりだ。
 当然フェンリルは止めたが、別に許可など無くても会うのは簡単だ、などと言われてしまえば、実際自分さえ含めてこの男を止められる人間など居ないのだからどうしようもない。
 ならばせめて、と正式に会食の申し込みをして、自分も付添っての方がよほど良いと思ったフェンリルは早速王女専属の侍女に連絡を取りスレイが王女と会話をしたがっている旨を伝えた。
 幸いその申し出はあっさり受理された。
 どうやらあれだけ強烈な登場をしたスレイの事を気になっていたのだろう。
 だからただの王女との対面ではなく、王妃も同席しての四人での会食という形になったのだ。
 故にフェンリルは魔法で王族との会食に相応しい服を一式召喚した。
 ちなみに勿論申し込みをしてすぐ会食、などという事にはならない。
 その時点ではかなり時間は残されていた。
 しかしその後もまたスレイが身体を求めて来た為、ギリギリではないがそれなりに急がなければならない程度の時間にはなってしまったのだ。
 ついでにスレイはあっさりと自らの服装を相変わらず黒尽くめながら、しかし王族との会食に相応しい実に高級感溢れた、というよりもフェンリルでさえ素材の分からない、だが確実に気品に満ちた服装に変わっている。
 そう変わったとしか言い様が無かった。
 そもそもどういう原理でその服装になったのか、傍で見ていたというのにフェンリルでも全く理解できなかった。
 どころか何らかの力が働いた気配すら感じ取れなかった。
 だがそれについてはもはや諦めている。
 このスレイという男について自らが測ろうとする事自体が間違いだとフェンリルは既に割り切った。
 フェンリルが下着から身に着けていく中、それを楽しそうに見ていたスレイがふと真顔に戻り意味の分からない事を告げた。
「しかし運命ね?この世界以外ならSS級相当探索者ともなればたかが運命程度に抗う事など容易かっただろうにな。いや、自分にとって別に悪い事でも無い運命にわざわざ抗う奴もいないか……なら問題ないのかね」
「運命?……ああ、先ほどの探索者の処女率についての話か」
 暫し考え、ようやくフェンリルはスレイが先ほどの、王女に会いに行くなどと言い出す前にしていた会話を思い出し返事を返す。
「というか、この世界以外の世界ね?異界の神が居るのだから実際在るという事は理解出来るが、まるで本当に行った事があるように話すな」
「行った事自体は無いが良く“識”ってはいるな。それに俺なら行こうと思えば何時でも行ける、それこそありとあらゆる世界にもその外にもな?というかあんたらSS級相当探索者でも居るのがこの世界で無かったなら世界間移動くらい簡単だったろうさ……この世界だからこそ生まれたあんたらSS級相当探索者相手にこの仮定は無意味かも知れんが。いや、だがあんたらも一応はこの世界の外に出た事があるぞ?以前フルールが連れて行ったディザスターが消滅させた無数の世界の墓場。あそこは別の世界では無いがそもそも世界の外にある場所だからな」
「は?」
 思わずキョトンとして可愛らしい声を出すフェンリル。
 スレイは笑いつつ告げる。
「実感が無くても無理は無いな。あの場はフルールの力で世界の中と同じ様に、それどころか人間にとって生き易い環境すら構築していたからな。言ってしまえば宇宙の果てすらも一つの世界の中に過ぎん、世界の中と外の概念を理解するのはそれを実感出来る立場でなければ難しいだろうさ」
「……本当に君は、測り難い」
「俺を測れる奴なんて存在しないさ」
 スレイのそもそも理解の外に在る言葉に乾いた声で返すフェンリル。
 そんなフェンリルにスレイはおどけたように肩を竦めて笑ってみせた。
 下着を着け終わったフェンリルは溜息を吐くと、今度は礼服を着始める。
「ふむ、俺としては良い物が観賞できて嬉しい限りだが、わざわざ手間隙かけて服を着る意味はあるのか?魔法で一発だろう?」
「私は君とは違うんだ、そこまでずぼらじゃないさ。それにこれから仕える国の王妃と王女に会うというのに、そのような礼儀を弁えない真似はできん。これは相手に見られていない場所とか関係なく心構えの問題だ」
「騎士の鑑だな」
 嫌味という訳ではなく真面目にスレイは言った。
 それに意外そうな表情で目を瞬かせるフェンリル。
「君はこういう物を馬鹿にしそうな性格だと思っていたよ」
「何、そういう物にも意味はあるさ、俺はそれをある男から教えられた。精神性ってのは重要なものさ」
 そう真面目な顔で告げた後、今度は軽くニヤリと笑うとスレイは言った。
「それはともかく、王女に会うのが楽しみだな。王妃はアイスの女だから守備範囲外だが、王女は見た限り男の影も無いし……まあ、案外その辺が今回の事に関わってくるかも知れんが」
「全く、抱いた女の前で他の女に会うのが楽しみだなどと堂々と言う君の神経が信じられないな。しかし、どういう意味だ?」
 呆れたように返したフェンリルは、スレイの後半の呟きに表情を鋭くする。
 だがスレイは軽く笑って告げるだけだった。
「何、釣りには餌が必要って事さ」

 スレイの我侭で始まった筈の会食。
 しかし王女側もあっさりと受け入れただけあり、急な事にも関わらずその体裁はかなり整っている。
 とは言え他の王家にあるような無駄な華美さは無い。
 部屋とて人数を考え、無駄に広いこの城本来の会食の為の部屋は使われず、アイスの方針で普通の広さの部屋を改装して現在会食に使われるようになった部屋が使われている。
 家具や装飾なども実に質素な物だが趣味は良い。
 そんな中で王女と王妃、そしてスレイとフェンリルが向かい合う様に座り、ただ2人だけ侍女が佇み給仕し、2人の宮廷騎士が入り口にて警戒している。
 食事の内容も量も普通で無駄に豪華な食材は使わず、しかし料理人の工夫が見られ、他の国の王族をも十分唸らせられるだろう味だ。
 絶妙のタイミングで注ぎ足される紅茶も風味豊かで趣味が良い。
 王女と王妃のドレスもまた、シンプルで、それでいながら2人の美貌を惹き立てる実に洗練されたデザインの物で、スレイはここまで質実剛健を徹底しながら、同時に王族としての権威を十分に示すアイスの手腕に感心を覚えた。
 しかし、とスレイはほんの僅か、欠片ほど入り口に意識を割く。
 実に無粋な物だ。
 宮廷騎士の敵意に満ちた視線を感じそう呑気に笑いながら考える。
 同じく視線を感じているだろうフェンリルは表情には出していないが確実に機嫌が最悪なのがスレイには感じ取れた。
 他の人間は全く気付いていないだろうが。
 ご愁傷様、と軽く心で宮廷騎士達に呟く。
 先ほどから会食は実に粛々と進んでいた。
 スレイは完璧なテーブルマナーを実践し、時折食事の手を休めては世間話に花を咲かせつつ、王女と王妃の2人の華を絶妙な台詞で称える。
 そうしながらも王女に対しては実に自然に本気の口説き文句を織り交ぜる。
 やはりそれなりの経験もあり、またスレイに本気で口説かれてる訳でも無い王妃は落ち着いた物だが、如何に王女として様々な事を学び経験を積んでいるとは言えまだ若輩、しかもスレイにさり気なく本気で口説かれている王女は頬を僅かに赤く染め動揺を隠せていない。
 どこまでも自然に息をするように熱烈でそれでいながら全くそうと気付かせない口説き文句を並び立てるスレイに流石に呆れた視線を向ける王妃とフェンリル、そしてどんどんと敵意を強める宮廷騎士達。
 侍女達は無表情ながらどこか面白い物を見る雰囲気を隠せていない。
 やはり女の性質サガというものなのだろう、こういう事には目が無いようだ。
 そのように食事を終え、本格的に会話に入ってすぐ王女がいきなり切り出した。
「スレイ様、お伺いしたいのですが本当にこの城に、いえあの時謁見の間に居た者達の中に邪神に魂を売り渡した徒がいるのでしょうか?」
「メルト」
 嗜めるように名を呼ぶ王妃。
「いえ、構いませんよ王妃陛下。メルト殿下、貴女は実に優しくお強い方だ。私にそのように聞かれるのは自らの臣下を信じたい、そんな臣下への信頼。それと同時に本当にそのような者がいるのであれば自らの心がどれだけ痛もうとも民の為にその臣を処罰せねばならない、そういう覚悟がある。世間では貴女と王妃陛下の2人とアイス陛下が真逆の様に言う者達が多いですがそんな事は無い、アイス陛下とはまた違う在り方ですが、しかし良く似ておられる」
 メルト王女と王妃の2人はどちらも金髪碧眼だ。
 アイスと同じく鋭く整った美貌、しかしその碧眼はアイスの絶対零度とは違い温かみを宿した氷というどこか矛盾した、雪解けを齎す春の如き優しさに満ちる。
 だがスレイはそこにアイスと共通した物を見出していた。
 先ほどからのスレイの喋り方に相変わらず気味が悪げな視線を向けてくるフェンリル。
 スレイは華麗に受け流し柔らかい微笑を浮かべたまま続ける。
「しかし間違いなくあの中に、つまりこの城に邪神、ロドリゲーニに力の為に魂を売り渡した輩はおります。アイス陛下は実に果断で実行力に溢れた方だ、そして優れた能力を持ち人を見る眼もある。ですがアイス陛下の動きはあまりにも速過ぎた、他の者が付いて来れない程に。当然アイス陛下はそれすらも見通した上で、これが最も民の犠牲が少なく民を富ませると理解しそれを実行された。しかし幾ら優秀なアイス陛下でもこれだけの急激な改革を断行すれば無理が出る。そして自ら見極めた筈の臣の中にもそのような者が出てくるのは想定内でしょう。ただ、そこで邪神がしゃしゃり出てくるのまでは想定外だったでしょうが」
「そうですか」
 そう言って僅かに視線を落とすも、すぐに強くスレイを見据えてくるメルト。
 そんなメルトを優しく見守る王妃。
 本当に良い女達だ、と一瞬視線をその豊かな胸に落としながら思うスレイ。
 白磁の如き肌が眩しかった。
 尤も、王妃がスレイにとって対象外なのは変わりないが。
 そんな様子を欠片も悟らせないスレイに、メルトがまたも強い眼差しを向けて問いかけてくる。
「あの、スレイ様。スレイ様はこのシチリア王国の、失礼ですが片田舎の村の生まれと聞いております。個人的な事をお伺いしてもよいでしょうか?」
「片田舎の村、ですか?」
 わざとらしくクスリと笑ってみせるスレイ。
「確かに私はメルト殿下の耳には名さえ届かぬような辺境の村の出、王女殿下直々の御下問に否やと言えましょうか?なんなりとお聞き下さいませ」
「あ、も申し訳ございません」
 全く気にしてもおらず、また全く思ってもいないような事をわざとらしく慇懃無礼に告げて頭を下げて見せるスレイ。
 しかしメルトは真っ正直に受け止め、どこか慌てた様子でスレイに謝罪する。
 恐らくは今頃調べようと思えば調べられた筈のスレイの出身地の村の名すら調べなかった事に自責の念を抱いているのだろう。
 確かにスレイ程名の売れた探索者の出身地となれば調べる事は難しくない、どころか普通ならその名も知れ渡る。
 が、スレイはあまりにも急激に探索者としての道を駆け上がった為、出身地など細かい情報はよほど情報に敏い者にしかまだ知られてはいない。
 そして調べるという考えを持たせる余裕すら持てない事を承知の上でいきなりの会談を望んだのはスレイだ。
 それをこんなにも速く会食という形で叶えた事は賞賛されこそすれ、責める謂われなど全く無い。
 全て承知でメルトの反応を可愛いものだと楽しんでいるスレイ。
 スレイの思惑を容易く理解したのだろう、呆れたような表情でフェンリルは王妃へと声を掛ける。
 スレイに何を言っても無駄だと既に覚っている上、この場ではスレイに声を掛けるよりそちらの方が最適だからだ。
「シャイニー陛下」
「メルト、スレイ様の出身地はトレス村という村よ。一応かなり優秀だった元宮廷騎士と元宮廷魔術師の出身地でもあり、彼等が引退後帰省した故郷でもあるけれど、正直知名度は今のところ無きに等しいわね。これからはスレイ様の所為で世界中に知れ渡るでしょうけれど。スレイ様、申し訳ございません。何せ急な申し入れだったもので、まだ未熟な娘に準備するような暇など無かったもので。スレイ様は女性には優しいお方と聞いております、娘の事も許して下さいますと嬉しいのですが?」
「お母様っ!!」
 やんわりと包みこむように、それでいて押すところは強く押してくるようなシャイニー王妃の言葉。
 それにまだまだ純真なだけのメルト王女はこの場に在る思惑など知らず非難するような声を上げる。
「ええ、勿論。急なこちらの申し出に対しこのように過大な場を用意して頂いた事に感謝こそすれ、メルト殿下を責める様な筋合いなど私にはありません。私の村の事などそれこそ王妃陛下が知っていらっしゃった事こそ驚いたくらいです。ですのでメルト殿下、何卒お気になさらず」
「スレイ様……」
 スレイの実にわざとらしい言葉に、しかし感激したように瞳を潤ませるメルト。
 本当にまだまだ経験が足りず純真過ぎると言わざるを得ない。
 だがそこが可愛いな、などと自分で軽くいじめておいて平気で考えるスレイ。
 そんなスレイをやはり呆れた視線で見るフェンリル。
 スレイは気にせず続ける。
「それでメルト殿下、私に聞きたい個人的な事とはいったい何でしょう?私に答えられる事であればなんなりとお答えいたしますが」
 この後の展開すら予想しつつ、敢えてそのように告げたスレイに、メルトは何も気付く事なくスレイに礼をし尋ねてくる。
「ありがとうございます、スレイ様。それではお伺いしたいのですが、また失礼な言い方になってしまうのを許して頂きたいのですが、王都の力もあまり及ばぬ辺境の村々においての暮らしは、そして父の政策の影響、そして父の評判はどのようなものでしょうか?スレイ様がそのトレス村で暮らされていた時の事を、世界各地を旅し、迷宮都市で成功まで収めた今客観的に考え教えて頂きたいのです」
「そうですね……」
 分かっていた事だというのに、敢えてスレイは間を溜めてから答える。
「アイス陛下の即位前と即位後では明らかに即位後の方が生活が豊かになったと村の大人も申しておりました。それに政策についても、王都の力が及ばぬと申しますが、アイス陛下は度々宮廷騎士団や宮廷魔術師団を遠征させ、辺境の治安にさえ目を配らせております、総じて評価は高く、一つの理想ではないかと」
「そうですかっ!!」
「ただ……」
 スレイの言葉に、父の事が評価されている事を知り目を輝かせるメルト。
 しかしその後に続けられた意味ありげなスレイの言葉に僅かに戸惑った声を出す。
「ただ?」
「全てにおいて完璧などやはりありません、急激な軍縮により職を失ったかつての軍属の者達が野盗となり、辺境の村を襲う様になったそういう側面もあります。現に私と私の幼馴染も襲われ、私の幼馴染は私を庇い野盗に殺されました」
「っ!?」
 口を押さえ絶句するメルト。
 その様子を見てスレイは笑い掛けながら告げる。
「勘違いなさらないで下さいメルト殿下。確かにそのような事でアイス陛下を責める愚かな者達もおりますが、実際に悪いのはあくまで野盗に落ちた軍人達であり、そしてそのような行いをする野盗なのです。間接的な原因であるアイス陛下を責める者達はただ安易に恨む対象を求めるだけの愚物に過ぎません。彼等は本当に悪いのが誰か、そして自らが成さねばならない事が何かを知りながらも、その正しい道が非常に困難で自らに苦しいと本当は知っているから安易に本当に悪い訳ではないしかし恨む対象にし易い誰かを恨む事で自らの精神の安寧を測る下らぬ弱者です。そも、アイス陛下が成した事は完全ではありませんが明確な誤りはありません。軍人達が野盗に落ちたのもまた彼等の愚かさ弱さ故。そしてアイス陛下はそれすらも予想しその後すぐに彼等を討伐する為の遠征を頻繁に行い続けております。とは言え、アイス陛下のような英明な方に至っては、そのような愚かな民草に恨まれるのも自らの仕事の内と割り切っておられるのでしょう。大したお方です。とは言え、かく言う私もかつてはアイス陛下を恨む事は無かったものの、自らの弱さを恨みました。恥ずかしながらそれが私が探索者を志した理由です。力を手に入れ知識を得た今では、あくまで悪いのはその野盗達に過ぎないと冷静に判断出来るようになりましたが……。力を手に入れた今やっと気付いた事ですが、かつて私が自らの弱さを恨み力を求めたのも或いは安易な逃避だったのでしょう。尤も力を手に入れた事自体は後悔した事はありませんが、何せ守りたいものをこの手で守れるというのはある意味人としての本懐ですし。何にせよ、私はアイス陛下をお恨みした事など一度もありませんし、恨むような者などその程度のただ逃げるだけの弱者に過ぎぬのですからメルト殿下がお気になさる必要は無いかと。しかし、世に弱者が絶えた例は無く、また弱者が存在するのもまた人の多様性、可能性の発露、そしてメルト殿下に至ってはどのような愚かな理由からの恨みであろうと、そのような弱者の事すら案じ、気にかけずには居られないお方でありますから、私の言葉など何の慰めにもならぬかも知れませんが」
「……いえ、ありがとうございますスレイ様。確かに私にはその様に弱い方達を愚かなどと思う事は出来ませんし、彼等の為に何かが出来ないかと思います。そしてスレイ様の考え方はあまりにも厳しすぎるのではないかとも思ってしまいます。ですが、自らも被害にあった身でありながらそのような考え方を出来るスレイ様の強さを否定しようとは思いませんし、それに私を気遣ってくださるその気持ちはただ本当に嬉しいです。強さと弱さ……難しい問題ですが、スレイ様の仰る通りそれが人という者の在り続ける限り抱え続けねばならない命題なのでしょうね」
「……恐縮です」
 スレイとメルトの会話に、シャイニーもまたフェンリルも口を出す事は無かった。
 その後はその会話が無かったかのようにごく普通の談笑が続き、和やかな雰囲気のままにその会食は終りを告げたのであった。

「……君は何をしてるんだい?」
「ん?見て分からないか?」
 シャイニー王妃とメルト王女との会食後。
 客室に戻り何時の間にか室内に居たディザスターとフルールを侍らせながらベッドに寝そべるスレイにフェンリルはこめかみを押さえながら尋ねる。
 しかしスレイは何ら悪びれる事無く尋ね返すと続ける。
「ご覧の通りお休み中なんだが?」
「そんな事は見ればわかるっ!!」
「あんたが聞いてきたんだろうに」
 怒鳴るフェンリルに呆れた様に肩を竦めてみせるスレイ。
 そしてそのまま飄々とのたまってみせる。
「しかし何でまた俺の泊まる客室に来たんだ?ん、そうか。よし、俺の身体が恋しいなら何回戦でもしてやろうじゃないか」
「いい加減にしろっ!!」
 わざとらしくディザスターとフルールを退け服を脱ぐ仕草をしてみせるスレイに、絶叫するように怒鳴るフェンリル。
 スレイは楽しげに笑いながら元に姿勢に戻る。
 そんな様子を見ながらフェンリルは深い溜息を吐く。
「全く、君がこの城に滞在する事になったのは邪神……享楽のロドリゲーニだったか?そいつから力を与えられた者を見つけ出す為だろう?それが君がやった事と言えば私を抱いたのと、メルト殿下を口説いたのみ……ちゃんと本気でやってくれ」
「いや、俺の予想通りならあんたの事はともかく、王女との会食にはちゃんと意味があるんだがな?」
「?」
 スレイの言う事が理解できないと言ったフェンリルの顔に苦笑するスレイ。
 そして突然関係の無い話を始める。
「ところであんたは名探偵という概念を知ってるか?」
「……?探偵という職業なら珍しいが知らん事もないが」
「探偵ってのは何でも屋みたいなものだろう。名探偵ってのはやたらと難解な事件を優れた推理力で解き明かし犯人を暴き出す、俺の大っ嫌いな連中だな」
 スレイの言葉に疑問の表情を浮かべるフェンリル。
「ふむ、君は優秀な人間が好きなんだとばかり思ってたが、そういう優秀な人種が嫌いとは少しばかり驚いたな」
「……俺が好きなのは可能性に溢れた人間だ。ついでに名探偵とやらは優秀ではあるかも知れんが可能性の無い連中さ、何せ奴らが出来るのは終わった事件の犯人を暴き出す事だけだ、そしてその犯人を裁く事もできやしない。俺が好きなのはそもそも事件を防げる可能性を持った人間、防げなかったとしてもその犯人に裁きを与えられる人間だな」
「わからんな、事件を防げないというのは分からんでもない、そもそも事件が起きなければそういう連中が名探偵などと呼ばれる事は無いだろうからな。しかし犯人を暴けるのに犯人を裁けないのか?」
 そういうフェンリルにスレイは片眉を上げてみせる。
「あんたの立場なら容易に分かりそうなものだがな?名探偵って連中は難解な事件を優れた推理力で解き明かし犯人を暴き出すと言っただろう。だがそれでは犯人を裁けない、犯人を司法の場で裁くのに必要なのは何だ?アイス王の傍に居たあんたなら良く知ってる筈だが」
「……決定的な証拠」
「そうだ」
 満足そうに頷くスレイ。
「難解な事件を解き明かすのはいい、そこから様々な要素を用いて犯人を暴き出すのも大した物だと認めよう。だがな、難解な事件を優秀な推理力で解き明かせるからこそ奴らは決定的な証拠となる物を集められない。奴らは状況を推理しその巧みな話術で犯人を暴き出すのだからな。だが難解な事件程証拠と呼べる物に乏しく、奴らは自らの能力のみで犯人を追い込んで暴くだけだ、そして奴らが司法の場へ足を運ぶ事も無い。さて、そのような状況で、司法の場に於いて犯人に適切な罰が与えられると、判決が下されると思うか?」
「それは……ないな」
「そう、ない。アイス王が裁きたい者達を裁けるのは何故だ?その自らの持つ力で、時には犠牲すら出して決定的な証拠を大量に掴みそれを突きつけるからだ。その決定的な証拠の前に司法の場でアイス王の敵に抗う術は無い。だが名探偵という連中の場合は逆だ、幾ら奴らが自らの優秀さで犯人を分かり暴き出そうと、奴らにそんな決定的とも呼べる証拠を集められるだけの力も手段も無い、結局のところ奴らが救えるものなんて何も無い、自己満足だ。だから俺は奴らが嫌いでな」
 スレイの言葉に納得した様に頷いたフェンリルは、しかし、と問いかける。
「それと今の状況が何の関係がある?」
「簡単な話だ、俺は嫌いな奴らの真似をして動いてどうこうする気は無い。そもそもだ、本気の俺がこの城に居る以上、幾らロドリゲーニの力が特殊な物であろうと、力を与えられた者がその力を使った時点で俺は分かり、その場に刹那で転移可能だ。力が効果を発揮する前にそれをキャンセルし、更には現行犯という事で問答無用でそいつを処罰できる訳だ。さて、これで俺がここで休み続けていても問題無い理由は分かったか?」
「……、正直納得はしたくないが理解は出来た。本当に君という奴は……」
 呆れたようなフェンリルに口端を強く吊り上げどこまでも楽しげに笑うスレイ。
 笑みの凄みに背筋に寒気すら覚えるフェンリル。
「何にせよ俺は奴らとは違う、別の場所で何の注意をしていなくても事件が起こるのは防いでみせた。そして俺がここに居るだけで事件が起こる事は無いし、そして犯人はすぐに分かる。あんた達はただ待っていればいいだけさ」
「……本当に、反則だ」
 そう告げて、苦笑いしながらフェンリルは溜息を吐いた。

「さて、と」
「ん?いきなりどうした?」
 特に動くわけでもないが、軽く声を上げたスレイに訝しげな視線を向けるフェンリル。
 それにスレイはあっさりと驚くべき答えを返した。
「いやなに、そろそろロドリゲーニの駒が動く頃かと思ってな」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまうフェンリル。
「ちょっ、ちょっと待て。こんなすぐに、しかも君が居る今の状況で?幾らなんでも相手だってそんな馬鹿ではないだろう?」
「さあて、どうだろうな?なにせロドリゲーニが選んだ駒だ。ロドリゲーニにとって重要なのはどれだけ面白く踊ってくれるか、だ。それに何よりそいつの目的が俺の予想通りなら、さっき蒔いた餌に掛かってすぐ動いてくれるだろうさ。本当に俺の予想通りの目的だとしたら、アイス王と話した幾つか推測出来る目的の中でも一番シンプルで阿呆臭い目的だがな」
「それはどういう?……だいたい、そいつを見つける為に君は城に滞在すると言い出したんじゃ?」
 予想と言いながら完全に確信を抱いている様子のスレイを見て、フェンリルは矛盾点を挙げる。
 だがそれすらも続くスレイの言葉によって意味を成さなくなる。
「それもまた餌の一つさ、俺としては始めから今日中に全て片を付けるつもりで居たが、そうやって長時間掛かるように言っておけば油断して動いてくれる可能性はますます高くなるだろう?とは言え一泊はさせてもらうつもりだが、別の理由で」
「君は……」
 スレイの言葉の意味を察したフェンリルは、スゥッと目を細めてどこか冷たい口調でスレイに告げる。
「あまりにも女というものを軽く見ていないかい?それに仮にも相手は……」
「だからこそこの状況は俺にとっちゃ好都合なんだよ」
「なっ!?」
 どこまでも悪びれず言ってのけるスレイに絶句するフェンリル。
「俺はな、他の男を本心から愛して結婚したり交際してる女に手を出す程腐っちゃいないが、その状況が女にとって不本意だったり、或いはフリーな女を口説く為なら、相手の心理の全てを、そしてあらゆる状況を利用するぞ?何せ俺にとって女を口説くってのは、邪神を倒すのと並んで最重要事案だからな」
「……その二つを同列に並べる辺り、やはり君はおかしいな」
 疲れた様に溜息を吐きつつフェンリルは踵を返そうとする。
「まあいい、とりあえず私は失礼させてもらうよ。やり様は問題だが、やろうとしてる事自体は悪いどころかこの国、そして王家にとっても良い事だ。私に止める理由はないからね」
「待て」
 だがスレイはフェンリルを呼び止める。
「え?」
「悪いがあんたには俺と一緒にここに居てもらうぞ?どの道俺から迎えに行こうと思ってたんだが、あんたから来てくれたんだ、丁度良い」
「なんだと?」
 スレイの言い草に眉を顰めるフェンリル。
 スレイは肩を竦めた。
「わからないか?俺は先刻相手を現行犯で捕まえると言ったぞ」
「それが私に何の……、あ?」
「気付いたか、流石SS級相当探索者、敏いな。『わからないか?』などと言いつつ、わざと分かり難く、しかも情報すら出し惜しみして意地悪く聞いてるんだが、やはり通常の人間とは脳の構造そのものが違うだけはある」
 なんともあくどい事を平気で述べつつ笑うスレイ。
 フェンリルは眉間の皺を深くした。
「なにせ現行犯、と言っても彼女じゃ何をされてるのかすら分からないだろう?そして捕まえる対象自体が自分のやろうとした事を白状する筈も無いし、そうなると相手がロドリゲーニが与えた力を使った、などと俺だけが言っても無意味だろう。他に証言してくれる相手が必要となる。しかもこの城で相当に信頼されてる、な」
「確かにな、君が幾らアイス陛下から認められているとはいえ、それだけでは決定打にはならない」
「そういう事だ」
 頷くスレイ。
 しかし、とフェンリルは続ける。
「君でさえ注意を向けていなければ分からないと言ったそのロドリゲーニの力、私に分かるものなのか?」
「ああ、問題無い。普段は“全知”を半ば封じてる以上、注意を向けていなければ俺でさえ分からずその隙を突かれるのは確かだが、注意を向けてきちんと見てくれればあんたでも分かる。だからあとは相手が力を使い、しかしその力が彼女に作用する前、そのギリギリに転移して割り込み捕まえれば完璧って訳だ」
「……ふん、なるほどな。確かに先ほど君が言っていた名探偵とやらと違い、そもそも被害は防ぐ、対象は確実に捕縛しその罪を購わせる、と完璧ではあるが、しかし悪辣だな。何せ全てが君のその圧倒的な能力に任せた力業での解決、被害に遭うだろう者を囮に使う、囮に使った相手を護る事さえその相手を口説く事に利用する。本当にどこまでも……」
「だがこれが最善なのは間違い無いし、実際完全に護ってみせるんだからそれを彼女を口説く事に使うのは何ら問題は無い筈だが?全て俺の力があっての事だとは認めるが」
「……私が悪辣と言っているのはだ、先ほど君が言っていたその名探偵とやらの問題点は、結局君の様に理不尽なまでの力が無ければどうしようも無いもので、欠点とも呼べない、そもそも責める事すら間違いな事じゃないのか?という事なのだが」
「ふむ、否定はしない」
 フェンリルの糾弾を平然と肯定するスレイに、フェンリルは諦観の溜息を吐く。
 ふとその瞬間。
「……来たか」
 スレイが軽く呟く。
 ディザスターとフルールものそりとその身を動かしていたが、フェンリルはそれに反応するどころでは無かった。
「……なに?」
 唖然と声が漏れる。
 いつどの時からなのか今でも理解できない。
 スレイの呟いた時には既にこうなっていた、それだけは分かるが、ただそれだけだ。
 今フェンリルは自分でも気付かぬ間に思考も肉体も全てが加速させられ世界から隔離されていた。
 いったいどれだけの速度なのかも分からない。
 分かるのは自分が最上級の加速魔法を使ってようやく可能である光速の数十倍など軽く越えた遥か彼方の速度だというだけだ。
 紛れも無くこれは目の前のスレイの仕業だろう。
 自らに覚らせもせずこのような真似をやってのける。
 それだけでも驚くべき事だが、一番の問題点はそこではない。
 現在フェンリルは光速を遥かに超えて加速する事により時系列の縛りからすら解き放たれている。
 つまり今のフェンリルの加速は本来ならば時系列的などの方向へも思うがままの筈なのだ。
 今まで時系列の縛りすら越えて加速した際に、その加速の方向性を敵や共に居る者と同じにしていたのは、戦う際や共に行動する際に加速の方向性をバラバラにしたりするなど敵に隙を晒したり、そもそも共に行動する意味がないからという自らの意志によるものだった。
 だが今は違う。
 今のフェンリルはスレイの力で強引にその加速の時系列的な方向性をスレイと同じ方向に制御されている。
 その事実に探索者に改造されレベル80以上になった事で感じない様になった筈の恐怖すら感じた様な心地さえ覚える。
 だがスレイはそんなフェンリルの様子に頓着する様子を見せずにただ一言告げた。
「行くぞ」
 言葉と同時、フェンリルは眼前の光景が刹那に変わるのを見る。
 その事実に自らが転移したのだと理解するが、転移の兆候すら感じられなかった。
 傍にはスレイとディザスターとフルールも共に居るが、フェンリルの向いている方向は転移と同時に変えられ、眼前に展開されている光景はメルトの私室、質素ながらも王女らしい最低限の華々しさと、それ以上に様々な本や資料など、外に慰問に出た時だけではなく、城に居ながらにしてメルトが何とか民衆の事を少しでも多く理解しようと努力している証である数々の物が存在するその空間。
 そこに侍女と共に立ち尽くしきょとんとした表情で眼前を見て静止しているメルトと、その眼前に立ち右手を掲げる宮廷騎士がフェンリルの目には映っていた。
 その宮廷騎士には覚えがある。
 いや覚えがあるのは当然だろう、フェンリルは自らの部下は全員の顔と経歴を知っている。
 だがそれだけでは無い。
 彼は、フェイノルートというその宮廷騎士は、スレイが王城に転移し王女への襲撃を阻止してからスレイに対し何度も突っ掛かっていた者だった。
 しつこいくらいに何度もスレイへの疑念や怒声を発していたのは記憶に新しい。
 そして注意して“視”れば、フェイノルートの右手からは目に見えぬ、だが圧倒的な存在感を持った力がメルトに向かい直進しているのが分かる。
 この力の質は、微妙にズレが在り違和感もあるが、そして圧倒的に脆弱ではあるが、フェンリルが知るディザスターやジャガーノートと言った邪神達と同質の物であった。
 しかしフェンリルは眼前の光景に違和感を覚える。
 未来が見えない。
 いや正確に言うと未来に在り得る無数の可能性が見えずこの光景のみが固定されている。
 今までフェンリルが時系列の束縛を越えて加速した際、フェンリルの目には加速した時点より過去の時系列は固定された一つの光景しか見えていなかったが、未来の時系列のは無数のあらゆる可能性の世界が見えていた。
 その中から最善を選び取り、自らにとって最善の可能性の世界を確定させる、それこそが時系列を超越した戦いにおける肝だった。
 だがフェンリルは今はそれどころではないと疑念を捨て去る。
 ちなみにフェンリルは知らぬ事だが、時系列の過去の方向性に一つの光景しか見えなかったのは、彼女の力程度ではこの世界ヴェスタの確定された過去を変更するような力を持っていなかったからだ。
 ヴェスタという世界以外の場所であれば過去に対してさえ無数に可能性の世界が見えたであろう。
 そもそもこのように周囲から隔離される事すらも無い。
 そして現在フェンリルに未来の可能性の世界が見えない理由もまた単純だった。
 今、未来の無数の可能性の世界は、たった一つスレイにとって最善の可能性の世界を残し、スレイの手によって悉く殺されていた。
 フェンリルに知る由も無いがこれは恐るべき事だ。
 ヴェスタという世界において未来の可能性の世界を一つ殺す、これに比べればヴェスタの外でそれこそ無限を越えた世界、いやそれら宇宙を無限を越えて内包した時空連続体や超時空連続体、いや更にそれら時空連続体や超時空連続体や虚無を無限を越えて内包した外宇宙、その外宇宙を消滅させる方がよほどに容易い。
 ヴェスタという世界に於ける未来の可能性一つを殺すのが惑星一つを持ち上げるに相当するとしたら、外宇宙を一つ消滅させるのは髪の毛を一ミクロン動かすのに等しい。
 そのぐらいの圧倒的な格差だ。
 そのヴェスタの未来の可能性の世界を今スレイは無数に殺し続けている。
 そんな恐るべき真実は知らずフェンリルはただ眼前の宮廷騎士フェイノルートを取り押さえる為に動き出す。
 だがそのフェンリルの眼前の光景が変化する。
 そもそも時系列を超越しもはや自分でもどれだけ加速したかも分からないフェンリルの眼前で何の途中経過も見せずにその光景を変化させていたのはやはりスレイだった。
 フェンリルには何も知覚できぬ内にフェイノルートをうつ伏せに倒し押さえ付けているスレイ。
 その姿は理解の外にあり脅威でさえあった。
 この隔離された世界で本来の世界の存在に干渉する。
 しかも圧倒的な力で本来ならば消し飛ぶどころではすまない影響が与えられる筈だというのに、相手に全く何のダメージも与えぬままにそれを成す。
 いったい何をどうやったのか欠片もフェンリルには理解出来ない。
『流石は主だ』
「うん、ちょっとこれは……凄いね」
 フェンリルの横に取り残されていたディザスターやフルールさえどこか呆れさえ含んだ感心の声を上げる。
「フェンリル」
「な、なんだ!?」
 突然声を掛けられ思わずどもる。
 だが気にした様子も無くスレイは続ける。
「これから加速を解き本来の時系列へと回帰する、悪いがメルトとそこの侍女を落ち着かせるのの加勢を頼む」
「あ、ああ、分かった」
 この場ではスレイに従うべきだとフェンリルは判断し、どもりながらも頷きを返す。
 スレイは今の状況すらもメルトを口説くのに使うつもりなのだろう。
 だがフェンリルとしても、個人的には阻止したい気持ちも無いでもないが、それはスレイの女性関係を考えれば今更だ。
 そしてフェンリル自身も含め、単騎で軽く国など滅ぼせる存在が生まれてくる探索者というモノが存在するこの世界に於いて、圧倒的な力を持つ個が、政治的に大きな意味を持つのは珍しい事ではない。
 スレイ程の存在ともなれば今まで在ったどのような探索者でも及びもつくまい、そして少なくともスレイは正当な手順でメルトを口説き落とすとスレイという人間の人間性はともかく、その女に対する姿勢を見れば分かるし、少なくとも自分の女は全力で護り幸せにする男だ。
 ならば問題は無いとフェンリルは思うし、主君であるアイスも同じ判断を下すだろう。
 肯定の裏にはここまで深い考えが存在したが、理解しているのかいないのか。
 いや恐らく間違いなく理解しているのだろうが、それを全く感じさせずにスレイは告げた。
「それじゃあ行くぞ」
 同時、隔離されていたフェンリル達はヴェスタという世界の本来の時系列へと回帰し、メルトと侍女が動き出す。
 フェイノルートはスレイの手によるものだろう。
 どういう理屈かは分からないがほんの欠片も動く事が出来ないでいる。
 突然眼前に現れたように見えるだろうスレイがフェイノルートを押さえ付けている状況、そして室内にやはり突然現れたように見えるだろうフェンリルとディザスターとフルールに動揺を露わにするメルトと侍女。
 だがスレイは彼女等が何ら反応出来ずにいる間に丁寧に告げた。
「突然の非礼お許しくださいメルト殿下並びにお付きの方。私共はただいまかの邪神の力を感じ取りこの場へと転移して参りました。女性の部屋、ましてや一国の王女の部屋に何の断りもなく現れるなど死罪にも値すると理解しておりますがその責めは後程如何様にも。大変いきなりな事になりますが、この私が押さえ付けている男、この男があの時の罪人を操った邪神ロドリゲーニに魂を売り渡した者でございます。メルト殿下達に於かれましては全く気付いておられませんでしょうが、私がこの男を取り押さえる前にフェンリル様にはこの男が邪神の力を発してメルト殿下によからぬ事をしようとした場面をしっかりのその目で確認して頂いております、もしお疑いであればフェンリル様に尋ねていただければ」
 メルト達が何も反応できないように怒涛の勢いでまくし立て、そして沈黙するスレイ。
 メルト達は思いっきり動揺した表情になり、そしてメルトが代表しフェンリルに尋ねる。
「フェンリル、スレイ様の言ってる事は……」
「事実です」
 端的に答えるフェンリル。
 メルトの内心を慮っての事だ。
「……そんな、何故ですフェイノルート?」
 悲しげな表情で問うメルト。
 彼女は慈愛の娘とまで呼ばれる程に優しい女性だ。
 ましてフェイノルートは特に親しいとまでは言わないが、メルトの護衛を持ち回りで務める宮廷騎士の1人に選ばれるくらいにはフェンリルからも、そして王族達からも信頼されていた者の1人である。
 あくまでその中の1人であって、その中で特別な存在と言う訳ではないが。
 何やら悪あがきでもしたそうにその瞳に様々な色合いの感情を宿すも、それこそ口をピクリと動かす事すら出来ないフェイノルート。
 スレイは告げる。
「恐らくはこのフェイノルートという男、メルト殿下に懸想していたのだと私は予想しております。しかし邪神の力に頼ってまでまさかメルト殿下に手を出そうとするとは。……間に合って幸いでした。……お付きの侍女の方、お優しいメルト殿下は大変ショックを受けておられるようだ、この男の取調べなどをこれから行おうと思うが、それを聞かせるのはメルト殿下には酷であろう。何よりメルト殿下には落ち着く時間が必要と見受けられる。誰かを使いこの事を急ぎ王に知らせると共に、貴女はメルト殿下の傍でメルト殿下を慰めてやって欲しい。まずはこの部屋から出て、落ち着ける場所に」
 実に優しく紳士的に告げるスレイに、陶然としかし慌てて頷いた侍女は、メルトを支える様にしながら、そのまま部屋を出て行こうとする。
 メルトもまたそんなスレイを感激した様に見ながら、しかしフェイノルートの方に痛ましい視線を向け懇願する様に言った。
「スレイ様、その、フェイノルートには」
「分かっております、その身を痛めつける様な非道な真似をするつもりはありません。ただ、邪神の力を封じ、動機を聞き出すだけです。……しかしこれだけの真似をした以上死罪は免れぬでしょう」
 どこか悲しげな表情で告げるスレイに、気丈に頷くメルト。
「ええ、それは分かっております。私達民の上に立つ者は常に民に対し規範を示さねばなりません。ならば罪が罰されるのは当然の事……残念です、フェイノルート。少なくとも私は貴方の事を信頼しておりました」
 どこまでも善意のみで、残酷な事を告げるメルト。
 勿論メルトは自分がフェイノルートにとってどれだけ残酷な事を言ったかなど理解していまい。
 強く、清らかで、同時に人の裏も知ってはいる。
 だがそれほど詳しく人の愚かさまでは理解できない。
 本当に在り方が美しい少女だ。
 彼女がこんな男の汚らしさを知る必要は無い。
 スレイはそう心の中で断じ、彼女が侍女に支えられながら部屋を出て行くのを見送った。
 メルトと侍女が部屋を出たのを見送ると同時、スレイは防音の魔法を展開する。
 そしてそのままどこまでも蔑んだ目でフェイノルートを見下ろすと宣告した。
「で、塵。これでお前は終わりな訳だが、どうだ塵に相応しい無様で下らない最期は?」
「……っ!!……っ!?」
 声を出せないながらも憎悪を込めてスレイを睨むフェイノルート。
 だがその憎悪の視線などよりスレイの温度の無い感情など感じさせない視線の方がよほどフェンリルに凄みを感じさせた。
 絶対零度さえ下回り部屋が冷え切った感覚さえ覚える。
 しかしフェンリルは慌てて口を開く。
「待てっ、君の独断で彼を処罰するのは」
「勘違いするな、処罰はそっちでやってもらうさ。俺はただこいつがあんたらに抵抗できないように去勢しておくだけだ」
 やはりどこまでも感情の存在しないスレイの視線にフェンリルは黙り込む。
 スレイは温度の無い笑いを浮かべる。
「なぁ塵、与えられた力などで何かを為そうとするのは楽しかったか?自分がまるで全能になったかの様な心地を覚えたか?残念だったな、これが現実だ。この無様で下らない姿がお前だ、魂に刻み込め、どうせ記憶はすぐに忘れるんだからな」
 どこまでも変わらず抑揚なく告げられる言葉。
 先ほどからロドリゲーニに与えられた力を使おうとするも全く何も出来ないという事態。
 そして今の現実をようやく飲み込めてきて、フェイノルートの視線に恐怖の色が混じり始める。
「俺はな、塵、お前みたいに下らん方法で女をモノにしようって奴が大っ嫌いでな?最初の罪人に王女を襲わせ自らが護る事で女に惚れられる状況を作ろうというのは、あまりにも芸に掛けるマッチポンプで、下らないとは思うが、それだけなら下らん人間とは思ってもそこまで怒りは感じない、それが借り物の力で行ったなんて下らんオチさえなければな。次の洗脳して惚れさせようなんてのは話にならん、男として終わってるな、お前。女が欲しけりゃ自分の力で口説いて惚れさせろ、周囲の状況や何もかも元からある物を全て利用するならアリだが自分で借り物の力を使って自分に都合の良い状況を作り出すなど話にもならん。全く、その程度も出来ずロドリゲーニの駒などに成り下がったお前は、本当に塵以外の何者でもないな」
「ま、待ってくれ」
 思わずフェンリルが口を出す。
「邪神とは人間の心の隙を巧みに付いてくるものだという、特にロドリゲーニは人の心を弄ぶのが上手いのだろう?確かにフェイノルートはメルト殿下を手に入れる為にロドリゲーニの駒に成り下がった、しかしそれを考えれば情状酌量の余地も」
「ないな、そんなもの」
「……っ」
 バッサリ切り捨てられ絶句するフェンリル。
「俺は、今回の事でロドリゲーニに何か悪い所があるとすら思えん。そもそも俺が知る限りアイツが為した悪事と明確に呼べるものなどアイツの人間だった時の両親を殺した事と、邪神の封印を解いたくらいだと思ってる。いいか、確かにアイツは人の心の隙を突き巧みにその心の闇を暴き出す。だが、それだけだ。別にそれからどうするか、などとアイツは心を操ってもいなければ、力を差し出しはするが、それを受け取るかどうか強制してもいない。つまりこいつがロドリゲーニの駒に成り下がったのはあくまでこいつの意思で、しかもその後の行動に関してはロドリゲーニは全く干渉すらしていない。……分かるか?結局こいつの罪は全てこいつ自身のものだ」
「し、しかし、目の前に力を差し出され誘惑されたのなら」
「強制されてる訳でもないのに、そんなものにすら抗えない時点で救いようがない屑だろう、こいつは。少なくとも俺は、邪神に力で強制されてなおそれに意志の力で抗い、邪神を滅してすらみせた男を知っている。俺は人の可能性を愛してるし、また人のこいつみたいな下らない塵から、その男のような圧倒的に凄い存在に到るまで、多様性こそが人の可能性の在り方だというのも分かってはいる。だがそれでも、俺は人の可能性を負の方向に貶め堕ちた人間って奴が、人の可能性ってのを愛してるからこそ許しがたくてな?」
 温度の無い瞳が、さらに存在しない温度さえも失い、なお冷たいモノへと変化していく。
 もはや汗を流す自由も涙を流す自由も無い中、それでもほんの僅かだけ表現できる感情で、圧倒的な恐怖と絶望を撒き散らすフェイノルート。
「安心しろ、殺しはしないさ。何せ先刻言った様に処罰はフェンリル達の、この国の手で行ってもらわなければならないからな」
 スレイの言葉にフェイノルートから安堵の感情が滲み出す。
 しかし続く言葉にそれ以上の絶望がフェイノルートを襲った。
「だから塵、ロドリゲーニの力を消去すると共に、お前の心はお前の魂の中に作り出す永劫の牢獄の中に封じ込めてやろう?決して逃れえぬ魂の牢獄の中で絶望すら越えた絶望を、狂う事すら出来ずに感じ続けろ」
 言うと同時スレイの手がフェイノルートの胸の中に背中からズプリと沈む。
 刹那。
 フェイノルートの瞳からは完全に意思が消え、フェンリルが僅かに感じていた邪神の力の波動も消え去り、それと同時スレイは手を抜いた。
 傷口も何も存在せず、ただそこにフェイノルートはある。
 もはや物言わぬ人形として。
「君はっ!?」
「言った筈だぞ?俺はこいつみたいな塵が大っ嫌いなんだ。それにこいつのような罪人に掛ける情けも持ち合わせていない。こいつのやろうとした事は俺にとって許し難い大罪で、そしてその罪にロドリゲーニは関係無い、全てこいつ自身の罪だ。俺はただ自らの罪を購わせただけさ、その魂にな。まあこいつの肉体は引き渡すから、好きに処罰してくれ。司法の下に、厳正にな。俺個人としても気が済むし、あんた達国側としても体裁を保てる最も良い手段を取ったつもりだがな」
「……あまりにも、厳しいな、君は」
 スレイはやはり普段通り軽く肩を竦めるだけだった。
「否定はしない、何せ俺にとっての人間の基準を決めた男があまりにも凄すぎたんで、俺の採点基準は辛いんだ」
 そして温度を取り戻した表情で、どこか場違いに暖かい笑みを浮かべた。


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