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  シーカー 作者:安部飛翔
第7章
3話
 殺風景な執務室の中。
 部屋の主の性格を表すかのように、その室内は必要最低限の物のみが存在し、冷然と、入室したものに寒気さえ感じさせるような雰囲気すら漂わせる。
 ただその中で大きく鎮座した執務机の上には山ほどの書類が積み上げられ、部屋の主。
 魔狼と称されるこの城の宮廷騎士団長にして宮廷魔術師団長のフェンリルは、書類とペンが壊れない限界の力加減を見極め、極限の速さで執務を進めて行く。
 そして思考の一部はどこまでも冷静に執務に集中し、遥か先まで見据え、並列して幾つもの事柄を考え、連鎖させ、最適化し、効率的に仕事を進めながらも、ごく一部の分割された思考が僅かな苛立ちを覚えていた。
 昨日の元部下達からの連絡が原因だ。
 黒刃スレイ。
 このシチリア王国出身の、SS級相当探索者。
 僅か18歳にして、探索者になり3ヶ月も経ずにSS級相当探索者へと駆け上がった最短記録保持者。
 神獣と偽り、邪神と時空竜などという化物を下僕として侍らせる正真正銘の怪物。
 自分達SS級相当探索者が、そして勇者や魔王や竜皇達が手も足も出なかった……いや、その存在を前にして意識を保つ事すら出来なかった上級邪神、求道のジャガーノートと対等に戦ってみせたという理外の存在。
 この国出身という事で本気で誘いは掛けてみたが、それが無駄だとフェンリルにも容易く理解出来ていた。
 アレは、たかが国が縛り付けておけるようなモノでは無い。
 手に入れば儲けものぐらいには思ったが、そもそもそんな枠に嵌める事など出来る存在ではないのだ。
 まあ、だからこそ逆に、他の勢力に所属するという事も考えられず、そういう意味では安心出来るのだが。
 ともかくそのスレイが彼の師であるらしいフェンリルの元部下達を通し、昨日いきなり連絡を取って来た。
 今日フェンリルの所へ跳んで来る、と。
 時間の指定も何も無い。
 しかも前日に一方的に指定して、了承も何も得ない強引なアポイント。
 文句を付けようにもとっくに元部下達のところからは居なくなっているというのだからどうしようもない。
 言った以上は必ず来るだろう。
 アレはそういう奴だ。
 だからフェンリルは今日は朝からやるべき仕事を一気に集め、自らの執務室に籠っている。
 誰にも執務室には近付かないように言い含めてまでだ。
 そうでもしなければ、他の人間が居る中突然跳んで来られては目も当てられない。
 そしてそこまでしてもなお、フェンリルをしてあのようなモノが何時目の前に現れるかも分からないという状況は、強いストレスを覚えざるを得なかった。
 無数に分割された思考により執務に影響は出ない。
 だが、スレイが何時現れるか、という方向に向けられた思考は強いストレスを感じ続けている。
 どうしても機嫌も悪くなろうと言うものだ。
 だいたいアレは力が埒外と言うだけでなく、その行動も突飛に過ぎる。
 フェンリルが掴んでいる情報だけでも、僅か前のディラク島においてのスレイの行動を知った時には愕然とさせられた物だ。
 そして今回のこの行動。
 突然には過ぎるが、実はスレイの行動の根幹にある物は読めなくも無い。
 フェンリルとて大陸北方の大国たるこのシチリア王国の実務のトップにある物だ。
 大陸の情勢について最も詳しい者の1人という自負もある。
 つまり。
「我が国とその周辺が、大陸で最も脆弱だと。邪神にとって格好のターゲット、弱点だと見られた訳か」
 思わず歯軋りする。
 いくら事実とは言え、己が国を侮られれば腹も立とうと言う物だ。
 しかし冷静に考えて認めざるを得ない。
 何せこの国は大陸北方に在る。
 大陸南方に在る迷宮都市からは大陸内では最も遠く、探索者の数も極めて少ない。
 そしてSS級相当探索者は自分のみ。
 他と比べ戦力が不足しているのは否定のしようが無いのだ。
 先日まで戦乱状態だったディラク島に比べればマシであったが。
 今ではディラク島は他ならぬスレイの干渉でノブツナの下に一つに纏まり、しかもかの神にも匹敵する神獣九尾の狐もその力を貸し、更にはディラク島が誇るヒヒイロカネ製の武具、特に至高とも呼ばれる刀、ディラク刀を交渉材料とし、戦力補充は着々と進んでいるという。
 ならば次にスレイが戦力の補充を望むのはこの国となるのが必然。
 理解は容易い。
 容易いのだが、しかし。
「今回のこのいい加減な訪問、やはり侮られてると思えてならんな」
 乱暴とも言える連絡一つで何時現れるかも分からないスレイを待たなければならない今の状況。
 フェンリルは探索者の特殊な肉体構造で決して冷静さは失わずにいながらも、やはりスレイに対する苛立ちを完全には抑えきれずにいたのだった。
 その時。
「よう」
 何時の間にかソレは居た。
 先ほどまで考えていた相手。
 黒刃スレイ。
 そしてその下僕たる欲望の邪神ディザスターと汎次元竜たる時空竜フルール。
 フェンリルは驚かなかった。
 いや、驚けなかった。
 驚きとは警戒、危機意識、そういった本能に根ざす反応の一つだ。
 そしてSS級相当探索者であるフェンリルはその方面に於いても優れた感覚を持つ筈であった。
 だというのに突然に現れておきながら、スレイはフェンリルにそんな驚きという反応すらさせてくれなかった。
 つまり完全なる無防備状態。
 意識し理解させられながらなおフェンリルは構える事すら出来ずに居る。
 もしスレイにその気があれば、フェンリルに何も気付かせる事無くまるで息をするようにフェンリルの命を奪えていたであろう。
 あのミネアでさえ成し得ないであろう究極の暗殺。
 本来ならば、その事実を理解してなお、フェンリルは……いや、レベル80を越えた探索者は神の力の浸食により恐怖を感じる事すら出来ない筈だった。
 だが、今は違う。
 神の力の呪縛すら無理矢理引き千切り、スレイはフェンリルの魂の奥底に恐怖を刻み込む。
 そう、対邪神用の筈の神の呪縛すらも軽く破ってみせたのだ、目の前のスレイという男は。
 魂の奥底についぞ感じた事の無かった冷たい感覚が奔るのを理解しながらも、フェンリルの改造された肉体はそれを表面には出さず、冷静を装いながらスレイに皮肉を返してみせた。
「やあ、スレイ君。いきなりだね。レディーの部屋に訪れるにはあまりにも不作法じゃないかな?」
「はて?師達に昨日の内に連絡はしておいてもらった筈だが、何か手違いがあったかな?」
 当然、“分かっていながら”スレイは、軽く肩を竦めて飄々と嘯いてみせる。
 フェンリルは呆れながらも律儀に返した。
「それも含めて、さ。一方的に、しかも一日前にいきなり連絡を入れただけで、いきなり押し掛ける。不作法にも程が無いかね?」
「まあ、それは否定しない」
 スレイはあっさりと認めるも、そのまま悪びれる事無く続ける。
「だが、俺はレディーとしてのあんたよりも、戦士としてのあんたにより女性としての魅力を感じているのでな。俺としてはこれで問題無いと思っていてね」
「君に問題が無くても、私にはあるんだが」
 文句を言われたというのに、まるで息をするように自然と口説き文句を告げてくるスレイに思わず苦笑しつつ、釘を刺す。
 了承したと言わんばかりに軽く首肯しているが、当てにはならないだろうとフェンリルは予感する。
 このスレイという男は自分のやりたいようにやる男だ。
 一般的な常識も他人の意思も気にしないだろう、とフェンリルは誰に言われるでもなく理解していた。
「それで、突然の訪問の理由は教えてくれるのかな?」
「ん?ああ、多分あんたも予想してると思うが、もし邪神が行動を起こした際、どうも今一番戦力的に不安があるのがこの大陸北方なんでな。番犬でも置こうと思うんだが、俺が捕まえて来ていきなり、という訳にもいかないだろう?だからあんたにも付いて来てもらおうかと思ってな」
「ほう、しかし本当にそれだけかい?」
「ああ、まあ。ついでにあんたを俺の女に出来たらって考えてるのは否定しないし。その番犬を捕まえて来た後、この国の領土に置くのにアイス王にも許可を取る必要があるだろう?俺じゃないと躾けられないような番犬なんでな、その際俺も同席して、ついでに慈愛の娘と評判の王女様を拝見して、いずれ俺の女にするのに繋げよう、なんて考えもあるな」
 なんら悪びれる事も無く、それどころか口端に笑みを浮かべ楽しげに言ってのけるスレイに思わず苦笑するフェンリル。
 どこまでも自分の欲望に正直な男だと思う。
 だからこそ欲望の邪神を下僕にする事が出来たのだろうか。
 何にせよ、ここまで自分の欲望に正直だと嫌らしさを感じられず、不快感を感じられない。
 それと惚れるかどうかは別問題だが。
 しかし圧倒的に強く、妙な魅力を持ち、何より女を堕とす手管に長けた男だ。
 警戒すらさせる事無く、勝手に人の心の中に入り込んで来るのだろうと、そのやり口を想像する。
 そう、先程、何ら警戒させる事無く気付かせる事も無く息をするようにSS級相当探索者である自分すら容易く暗殺出来る事を見せたように。
 スレイという男にとってはどっちも同じような物なのだろう。
 大した男だと思うが、同時に仕様も無い男だとも思う。
「それで、その番犬というのは?」
 気にするだけ無駄だと、フェンリルは話を本題へと戻す。
「ふむ、そいつは見た時のお楽しみ、って事でどうだ?」
 しかし笑って流そうとするスレイ。
 だがフェンリルの不満気な表情に気付いたのだろう、少しだけ意味深な発言をしてみせた。
「なんにせよ邪神には遥かに及ばなくとも、邪神が仕掛ける悪戯程度なら対応できる猛犬さ。そうさな、ここは適当に“異界の神王すら喰らうあぎと”とでも呼んでおこうか?」
 思わず眉を顰めるフェンリル。
「何だその無駄に仰々しい呼び名は?」
「へぇ~?無駄に仰々しい、ねぇ?」
 フェンリルの言葉に反応したスレイが何やら面白そうに含み笑いを浮かべたのに気付き、フェンリルは思わず問い掛けた。
「何だ?何かあるのか?」
「さぁて?あると言えばあるし、無いと言えば無いかな。けど、他の誰でも無いあんたがそれを言うのは面白いかな、と思うよ実際」
「はっきりしないなっ、言いたい事があるならとっとと言えっ」
 何やら無意識に苛立ちを覚えて声を僅かに荒げるフェンリル。
 だがスレイは柳に風と受け流す。
「その時になれば嫌でも分かるし、その時になるまで知らない方が面白い……主に俺が。だから黙秘させてもらうよ」
「チッ」
 スレイの口元に僅かに浮かんだ笑み。
 だがこれは絶対に口を割らないと嫌でも確信させられたフェンリルは、思わず舌打ちする。
「そういう仕草も下品にならずに魅力に繋がるタイプの女だな、あんたは。悪くない」
「貴様という奴は……」
 思わず呼び方が「君」から「貴様」に変わり、更には頭を軽く押さえる。
 どうにも捉えどころが無い。
 単純な強さで負けるのは以前嫌でも自覚させられた事だが、こういう駆け引きにおいても上を行かれるのは流石に年長者としての自尊心に多少は傷が付く。
 尤も、その程度この世界では珍しい事ではないので、事実を事実として認められない程フェンリルも未熟ではないが。
 とはいえそれを含めて考えても、スレイがあまりにも“やり難い”相手なのは否定できない。
 本当に性質が悪い。
 僅かに心を波立たせつつも、フェンリルは意識的に思考を切り替え、スレイに問い掛ける。
 ちなみにこれだけのやり取りをして、思考を動かしながらも、それは分割した一部で、手と視覚の一部のみはまるで別の生物の様に動き、速度を落とさず仕事を片付け続けている。
「で、その“異界の神王すら喰らうあぎと”とやらを捕まえに行くのは何時なんだ?」
「ん?当然今すぐだが?」
「はぁっ!?」
 フェンリルは思わず間抜けな声を発して動きを止めてしまう。
 そんな様子を見つつ。
 何を言ってるんだコイツ?
 と言わんばかりの態度で、どこか馬鹿にした様な目線を向けて来るスレイ。
 それに苛立ちつつも、フェンリルは感情を容易く抑制して、すぐに冷静な声音で問い掛ける。
「突然やって来たかと思えばいきなりか。私は君の様な自由人と違って多忙な身なのだがね?」
「これで俺もやる事は色々あるぞ?主に邪神関連と女関連だが」
「……後者が無ければ感心してやっても良いのかも知れんがね」
 頭が痛いと言わんばかりに額に手を当てながら首を左右に振るフェンリル。
「ともかくだ、私が行っているのはこの国にとって重要な……」
「だが別にあんたが全てやらなきゃいけないという訳ではあるまい?」
 どこか楽しげに笑いながら、軽く肩を竦めてフェンリルの言葉を遮るスレイ。
「ぬ?それはそうだが」
「主従は似るっていうのかね?アイス王もそうらしいが、あんたも出来る仕事は全て自分でこなそうとするタイプらしいな。他の人間にも出来る仕事は他の人間にも任せないと、人材ひとが育たんぞ?」
「随分と分かったような口を利く……」
 思わず睨み付けるフェンリルだが、スレイは意に介さない。
「実際“分かって”はいるからな。“やったこと”は無いが」
「?……何だそれは?」
 謎掛けの様なスレイの言葉。
 思わず問うもスレイは肩を竦めるだけ。
 何も答えようとはしない。
「ふん、まあいい。ともかくだ、君の言う事の正当性は否定しないが、そうだとして、そういう物は時間を掛けて体制を移行して行くのが正道だ。いきなりやって来た君に言われたから、突然どうこう出来る様な物じゃないんだよ」
「そうか?あんたやアイス王なら割とどうとでも出来ると思うが。少なくともそれだけの能力はあるだろう?」
「ふん、評価してくれるのは有り難いが、だからと言って私が君の都合に合わせてやる義理は……」
「ちなみにだ」
 またも言葉を遮られ思わず眉間に皺を寄せるフェンリル。
 だが次の台詞に思わず目を見開いて反応する。
「ここであんたが今すぐ付き合ってくれないようだと、暇で暇で仕様が無い俺は、あんたの許可を得た、という事にして城の中をうろつき回る事になるな。いやなに、こう見えて俺は口が上手い。普通なら疑われる様な内容も、どんな頭の固い奴にも、あっさり信じさせる自信があるぞ?ああ、あとそうだな、俺の場合城の中をうろついたりしたら、確実に美人な侍女なんかは口説くし、絶対に噂の王女様の所に押し掛けるだろうな」
「ええいっ、脅しとは卑怯なっ!!分かった、付き合えばいいんだろう付き合えばっ!?」
 フェンリルは仕事を中断すると、すぐに部下達に連絡を取り始め、この場で無数の仕事の引継ぎを済ませ、必要な書類は転移の魔法でその部下の元へと送るという荒業を信じられない速度でこなしていく。
 険しい表情のフェンリルを見ながら、スレイは楽しげに笑い言った。
「脅しとは人聞きの悪い。実際あのままだったらやっていただろう俺の行動を事前に聞かせてやっただけだと言うのに」
『……主』
「……スレイ」
 今までだんまりを決め込んでいたディザスターとフルールが、何やら呆れたような声と視線をスレイに対し向けていた。

【欲望の迷宮】地下51階
「なっ、ここはっ!?」
「未知迷宮【欲望の迷宮】地下51階だな」
 驚愕の声を上げるフェンリル。
 対しスレイは淡々と事実を告げる。
 あれから、それこそ素晴らしい速度で全ての仕事の引継ぎを終えたフェンリル。
 その彼女を、スレイは引継ぎを終えたと見ると同時自らと共にこの場へと転移させていた。
 特に触れる必要も無い。
 実を言うと視界に入れる必要も近くに居る必要すら無い。
 スレイが認識さえしていれば幾らでも転移などさせられるし、そしてスレイにとっての認識範囲というのは、この超神の力の残滓によって閉ざされた世界ですら、世界全てに及ぶ。
 超神の力の残滓が無ければ、或いは超神の力がスレイの魂の波動と同質であり打ち消しあう物でなければ、それこそこの世界に限定されず、あらゆる世界の全てを認識する事とて可能な位だ。
 ともあれ、スレイがフェンリルの元をわざわざ訪ねたのは、ただ準備をさせる為だけに過ぎない。
 だから準備を終えたと同時にスレイは転移をしたのだ。
 しかしフェンリルの驚愕は並大抵の物では無かった。
「馬鹿なっ、迷宮、しかも未知迷宮の地下51階だとっ!?確かにここにはマーカーがされているようだがっ、君は飛翼の首飾りなど使っていなかっただろうっ!!」
「まあな、実際俺にはもう飛翼の首飾りなんて必要ないしな」
「なっ!?」
 ただただ驚愕するばかりのフェンリル。
 暫し沈黙し、何とか理解すると、ようようフェンリルは問い掛ける。
「迷宮には神の力が働き、転移の術の類は使えない筈。唯一の例外が飛翼の首飾りであり、だからこそ自らが到達した階層にマーカーするのが重要だった筈だ……」
「たかが神の力程度、今の俺にとっちゃ何の妨げにもならんさ」
「なっ!?そ、そうか。き、君の非常識さには驚かされる。なるほど、自らが行った事のある範囲であれば、例え迷宮内であっても自力で転移できる、か。今回はマーカーのある場所に跳んでいるが、もはやマーカーをする必要も無いと言う事かな?」
 更なる驚愕に襲われるフェンリルだが、何とか冷静さを取り戻し、確認するようにスレイに問い掛ける。
 だがスレイは更にフェンリルを驚愕させるような事を口にする。
「いや?別に行った事が無くても既にどの迷宮のどの場所にだろうと跳ぶ事は可能だが?」
「……は?」
 口を開き呆けるフェンリル。
 こんな表情でも美人は美人だな。
 などと相も変わらず不謹慎な事を考えるスレイ。
 暫し沈黙が続く。
 そして沈黙は絶叫で破られる。
「なっ、なんだそれはっ!!冗談も程々にしろっ!!君が私などより遥かに強い力を持つのはとっくに承知している。今更そのような嘘で謀る必要など無かろうっ!?もし君の言う事が事実ならば、こうやってマーカーのある半端な階層に跳んで来る必要など無いだろうっ!!直接迷宮内の目的の場所まで跳べばいいだけの話じゃないかっ!!君は意味も無く嘘を言うような人間では無いと思っていたが……」
「ん?ああ、そういう事か。勘違いさせて悪いな。直接目的の階層に跳ばなかったのは、俺の良いところを見せてあんたを惚れさせる為と、あんたの戦う姿が見たかったからだ。こんな半端な階層になったのは、この階層の一つ上に居るウザい性悪ババァをまた斬って、質の悪い血と精神を俺の愛刀に喰らわせたくなかったからだな。やはり質の良い餌を喰らわせてこいつらは成長させたいんでな。確かに異界の女神というだけあって力は大きくはあるが、あんな性質の悪い奴の力を喰らわせるぐらいなら、そこらの亡霊の類でも喰らわせた方がまだマシだと個人的には思ってな」
「は?性悪ババァ?異界の女神??」
 混乱の極地と言った様子のフェンリルの様子に頓着せず、スレイは軽くフェンリルを促す。
「さて、それじゃあとっとと先に進もうか。ちなみに一応言っておくと目的地はこの迷宮の最下層、地下100階の最奥の広間だ。ああ、そうそう、ディザスターにフルール、お前等は今回手を出すなよ?あくまで俺の良さを魅せるのと、フェンリルの戦いを見るのがついでの目的なんだからな」
『うむ、分かった』
「オッケーだよー」
 未だ理解が追いつかないながらも、フェンリルはあまりに軽いノリにこめかみを押さえ苦言を呈す。
「……スレイ君、一つ言わせて貰いたいんだが、君がいきなり転移した所為で私は執務用の服装のまま。全く戦闘の準備も何も出来ていないというのに、私の戦いを見たいも何もないと思うのだが?まだそこらの雑魚相手なら素手でもどうとでもなるが、未知迷宮の地下51階層以下の敵相手にこれでどうしろと?」
 実際、今のフェンリルの服装は出来る女性文官と言った感じの物だ。
 だが、本来なら尤もな筈のフェンリルの言葉をスレイは軽く笑い飛ばす。
「SS級相当探索者ともあろうものが何を言ってる。あんたらは常在戦場の心得を持ち常に生きているだろう。実際、その腰に下げた魔法の袋の中に全ての装備もどのような状況にも対応できる道具一式もあるし、装備の瞬間装着の魔法だって使えるだろうが」
「……君は本当に何でもお見通しだね」
「俺なんだから当然だな」
 せめてもの皮肉を軽く一蹴され、フェンリルは深く項垂れた。
 暫し項垂れたまま疲れた顔をしていたフェンリルだったが、気を取り直した様に顔を上げる。
 そして頭を左右に振り頬を軽くはたき、気合を入れた。
 次の瞬間魔法の袋に軽く魔力が通うのをスレイは感じ取る。
 刹那。
 フェンリルの姿は一気に変わっていた。
 先程までの出来る文官風の服装から、以前邪神対策の会議で見たフェンリルにとっての最強装備に。
 魔闘術の魔装の様な自ら全てを生み出すのとは違う。
 元からある装備を纏うだけだ。
 だがこれも変身と呼んで差し支えないだろう。
 全くのタイムラグの存在しないそれは戦闘中に行ったとしても十分通用する代物だと容易く分かる。
 流石はSS級相当探索者。
 魔法という名に恥じない御業だ。
 逆に、装備が変わったからと言って、雰囲気が変わるという事は無い。
 SS級相当探索者ともなれば自然体で既に臨戦態勢に等しい。
 つまり戦いに際し身構えるなどという必要は無いのだ。
 本当の意味での常在戦場を体現する存在。
 それがこの領域にまで到達した探索者と言う者だ。
「ふぅ、これでいいんだろう?それじゃあ行こうじゃないか。魅せてあげるよ君が見たいと言った私の戦いを、以前の試合とは違う、実戦での私をね。そして魅せてもらおうじゃないか?君の良いところとやらを。ただの圧倒的な力なら以前見ている、当然それ以上の物を期待しているよ?」
 一瞬溜息を吐くも、すぐさま気を取り直した様に挑発的な言葉を投げかけて来るフェンリル。
 だがスレイはまるで、がっかりだ、と言わんばかりの態度で肩を落とす。
「がっかりだな」
 いや、実際に口にしてのけた。
「なっ!?」
 いきなりの暴言に戸惑いを隠せないフェンリル。
 そもそも理由が全く分からない。
 推察すら出来ない。
 それほどに突然の脈絡も無い言葉だ。
 だがスレイは再び告げる。
「実にがっかりだ」
「なんだとっ!?」
「大事な事だから二度言わせてもらった」
『むぅ』
「あ~」
 激昂するフェンリルに対し、どこかおどけた様に肩を竦めてみせるスレイ。
 そんなスレイの様子を見て、呆れた様子のディザスターとフルール。
 フェンリルは激しく問い質す。
「大事な事だとっ!?大体私は君が望んだ事をやってみせただけだ、いったい何が不満だというのだっ!?」
「華が無い」
「……は?」
 ポツリと零されたスレイの言葉を理解できず、呆けた声を出してしまうフェンリル。
 我ながら、先程から間抜けに過ぎると自覚する。
 あまりにも目の前の青年に振り回されていると。
 スレイという名の極めて高い能力を持った青年は、同時に極めて掴み難い、どこかズレた青年でもあった。
 どこまでも主導権がスレイに握られている現状に歯噛みするも、打開の切っ掛けすら掴めない。
 そんなフェンリルの内心さえ把握してるだろうに、気にも留めずにスレイはまたもおかしな事を言い始める。
「あんたは美少女、という柄では無いが、例え美女の変身でもだ、そこには色気が有って然るべきなんだよ」
「……色気?」
 予想通りの自らには理解し難い言葉に、やはり呆けるしかないフェンリル。
「そう、色気だ。変身の瞬間、一瞬でもいい。いや、例え見えなくてもいい。だが見えるか見えないかギリギリのその扇情的な肢体の輪郭、せめてその一端ぐらいは魅せるべき。それが美人の義務ってものだろうっ!!」
 何やら熱く拳を握り締め熱弁するスレイ。
 良い事を言ったと言わんばかりのドヤ顔に、フェンリルは思わず苛立ちを覚える。
「……それだけか?」
「ん?」
 低い、どこかおどろおどろしい声がフェンリルから出る。
 だがスレイは気にする様子もなく、軽く首を傾げて見せる。
「それだけか、と言っている。君が言う大事な事とは、これほどまでに私が虚仮にされた理由はたったのそれだけなのかと聞いているのだ……」
 拳を握りわなわなと震わせながらのフェンリルの例え他のSS級相当探索者でもナニかを感じずには居られないだろう姿に、だがスレイは飄々と笑って肯定する。
「ああ、当然だ。それ以外に何があると言うんだ?」
「ふ、ふ、ふ、ふざけるなーーーっ!!!!」
 【欲望の迷宮】内の豪華絢爛などこか過度に過ぎる神々の保護が施された装飾の数々すら震えたかと錯覚するかのようなフェンリルの魂からの怒鳴り声。
 しかしスレイはそれすらも楽しげに受け止めて、ただ面白いとばかりに笑みを浮かべ続けるだけだった。

【欲望の迷宮】地下56階
「やれやれ、誰もふざけてなんかいないっていうのにな。漢の浪漫というのは何時も理解されない宿命さだめか」
『……主』
「……スレイ」
 “ジェノサイド丸太ドリル”に対するシャルロットの反応を思い返しスレイは1人悲しげに嘆く。
 そんなスレイの様子を見たディザスターとフルールは呆れ顔だ。
 恐らく内心までも理解しているのだろう。
 以心伝心とは流石は俺達。
 などと都合の良い事だけ考えるスレイ。
 そしてそのふざけた態度に今にもまさに爆発しそうな人物が居た。
「ふざけるなあぁーーーーっ!!」
 怒声。
 当然声の主は加速魔法を使わない自らの強化の限界である光速の数倍の速度域へと突入を果たしているフェンリルだ。
 彼女が叫んだ直後、美しい氷の大輪の華が咲き誇り砕け散る。
 幻想的な光景。
 だがその幻想的な光景に水を差す余計な異物が存在した。
 血肉の破片。
 フェンリルが戦っていたリビングデッド達の残骸だ。
 フェンリルは近くに敵が居ない事を確認すると振り返り、スレイに対して再び怒声を浴びせる。
「先程から君は何をしているのかな?」
「ん?当然最初に宣言した通りあんたの戦いぶりを見させてもらっていたが」
 欠片も悪びれず答えてのけるスレイ。
 フェンリルのこめかみに青筋が浮かぶ。
「君は君の良さを私に魅せるんじゃなかったのかい?先ほどから呑気にふざけた事を喋ってばかりのようだけど?」
「だから先刻も言っただろう。死体なんざ斬るのは嫌だとアスラが駄々をこねてな?全く、贅沢な刀だ」
 仕方が無い、と言いたげな言葉の内容。
 だが実際はどこか誇るように笑ってさえいる。
「ならばそちらのマーナとやらで斬ればよいだろう?それに君なら素手でも、いやそもそも触れさえせずとも奴ら程度消せるのだろう?私ばかりに戦わせる理由にはならないと思うが」
 フェンリルの尤もな指摘に、しかしスレイは否定を返す。
「そいつはお断りだな。あんたに魅せたいのはアスラとマーナを使って舞う俺の剣舞だ。それ以外の情緒も何も無い戦いじゃ、僅かな時間で俺の良さをあんたに分からせるなんて無理に決まってる」
「ほう、だから雑魚の相手は私にだけさせて、自分は高みの見物と洒落こんでると?」
 今にも血管が破裂しそうな様子のフェンリル。
 しかしスレイは意にも介さない。
 ただ笑って告げるのみだ。
「おいおい、雑魚というのは酷いだろう。彼らは聖戦時の戦士達の中でも欲望に囚われた者を素材に神々によって創られたモンスター。現に生きた死体とは言っても欲望に塗れたモノとは言え魂も宿しているし、光速の数倍の速度域に突入する事も可能な強さだ。あんたの相手としてはなかなかのものだと思うが?現にあんたの力を引き出せている。おかげでもう一つの目的であるあんたの戦いを見る、ってのも存分に堪能できてるしな。実際ここらの階層じゃそっちの目的がメインだな。俺の出番はもう少し後だ。しかし大した物だな、うん。強いだけじゃなく幻想的な戦い方だ、氷という属性は美しいと思うよ」
「……褒めればそれで誤魔化せると思ったか?なんだかんだ言ってはいるが、結局単純に言えば、それは私に露払いをさせている、という事だろうがっ!!」
「まあ、否定はしない」
「舐めるのもいい加減にしろっ!!」
 あっさりと笑って肯定したスレイに、またも怒鳴りつけるフェンリル。
 しかしスレイの笑みは崩れず、その泰然とした立ち姿が崩れる様子も無い。
 思わず舌打ちしつつも、フェンリルは魔法で先程まで戦っていたリビングデッド達が使っていた武具類を一瞬で魔法の袋に仕舞い込む。
 聖戦時の戦士達の装備品というだけあってなかなかの業物ばかりだ。
 多少は国庫の足しになるだろう。
 そんな事を考えながら尋ねる。
「しかしいいのか?こうやって私だけが戦っている以上換金アイテムは全て私の物になるが?」
「ああ、問題無いさ。俺が戦う予定のモンスター共の換金アイテムはここらのモンスターの比じゃないからな」
 その言い草に思わず眉間を顰めるフェンリル。
「おい、その言い方だと、そんな割の良い相手を独り占めして私には戦わせないつもりか?」
「……?……ああっ、そうかっ、勘違いしてるな。俺だったらそいつらを簡単に換金アイテムに変えれるが、あんただとそうは出来ずに価値の無いレベルまで破壊してしまうのがオチだと思うぞ?それに一体一体があんたが全力を出す必要があるほどに手強い」
「何?」
 思わずスレイをまじまじと見るフェンリル。
 この男は、このような事で下らない嘘は言わないだろう。
 そしてこの男の言うフェンリルの全力とは最上級の加速魔法も使いシークレットウェポンの性能も極限まで引き出した上での全力という意味だろうと理解する。
 しかし、私が戦うと破壊してしまうとは?
 そんな疑問が顔に出たのか、スレイは軽く笑って言った。
「まあ、その時になれば分かるさ。だからそれまでは連中の相手をよろしく頼む」
 そう告げてスレイが見る方向には再び現れたリビングデッドの群れ。
 フェンリルも気付いてはいたが……。
 思わず溜息を吐きながら戦闘体勢へと移行するのだった。

【欲望の迷宮】地下62階
「くっ」
 ギリギリの所で敵の攻撃を回避するフェンリル。
 頬の横を突き出された槍が通り過ぎて行くのを“感じる”。
 特に風圧などがある訳では無い。
 物理法則の束縛から完全に抜け出したこの光速の数十倍の速度域でそのような物が存在する筈も無い。
 この隔離された世界、この領域に到達出来る存在もののみが持つ超感覚の類が感じさせるのだ。
 普段よりも身体が戦闘に“適応”していないという異常事態に困惑しつつも、意志の力で強引に最適な刺突を繰り出し、氷華を咲かせ、散らせるフェンリル。
 戦闘の終了と共に通常の世界へと回帰し、息を荒げ、何とか崩れ落ちない様膝に手を着き身体を支える。
 フェンリルは苦戦していた。
 決して敵に苦戦している訳では無い。
 確かに下の階層に下りれば下りる程、敵であるリビングデッドの質は良くなり強くなっている。
 だが本来ならフェンリルが苦戦する程では無かった。
 この苦戦の原因は別に在る。
 フェンリルはその原因。
 超一流の探索者が戦闘に於いて戦闘に集中出来ず、十全に力を発揮できないという本来なら探索者の身体と精神の構造的に絶対に在り得ない筈の異常事態を引き起こした元凶を、複雑な表情で睨み付ける。
「素晴らしいな、やはりあんたには魔狼なんて二つ名は似合わない。一体誰だそんなあんたという人間を分かってない二つ名を付けたのは?確かにあんたは狼の如く誇り高くしなやかでシャープな美しさがあるが、それ以上にあんたはあんたの戦い方の如く冷然と咲く氷の華の散り際の刹那の如く美しい。あんたの二つ名は氷華、或いは蒼氷とでもするべきだな」
 今もまたその元凶。
 即ちスレイは、先程からのフェンリルの不調の原因である“褒め殺し”を行い続けていた。
 いや、今回のこれなどはマシな方だ。
 先程から聞かされ続ける聞いた事も無いような。
 いや、それどころか存在することすら想像したこともないような在り得ない様な美辞麗句の数々。
 まさか言葉だけで、戦闘用に精神構造すらも改造されている筈のSS級相当探索者から力を奪うとは考えた事も無かった。
 だがそれが現実に起きている。
 不可能を可能としている。
 能力の使い道を非常に誤ってる感が否めない。
 だがやはりスレイという存在の能力は想像の埒外にあると理解させられた。
 元々スレイの力が化物じみているのは分かっている心算だった。
 しかしそんな心算はただの錯覚だと思い知る。
 愛憎半ばの心境でスレイを睨み続けるフェンリル。
 たかがこんな短時間、しかも言葉だけでこれほどに心に影響を与えられるとは。
 アレは別物だと身構えていたのでさえ尚甘かった。
 それにしてもその力をこんな無駄な事に使って来るとは……。
 フェンリルは力だけでなくその意味不明な行動原理にも戦慄する。
 実際はスレイの行動原理は単純な物なのだが。
 強敵と戦う。
 美女・美少女を口説き落とす。
 たった2つ。
 それがスレイの原点だ。
 今回のコレもまたその2つ目の行動原理に則って行動しているに過ぎない。
 とはいえ、これほどの力を、そんな理由の為だけに使う。
 そんな事を想像出来る人間はまず居ない。
 だからフェンリルが理解できずに戦慄するのは当然だ。
 そして戦慄させながらも、容易く心を絡め取ってくる。
 それもまたスレイの異常性だった。
「き、君という奴はっ、戦いの場でその様な言葉ばかり、あまりにも緊張感が足りないのでは無いかっ!?」
「……?どういう意味だ?」
 本気で理解出来ないという様に首を傾げるスレイ。
「なっ、どういう意味も何も言葉通りだろうっ!!何処に理解出来ない要素があるっ!?」
「いや、そもそもだ、戦いの場と日常に何の違いがある?日々是戦場、それが俺達の在り方だろう?だからと言って普段から張り詰めるなど馬鹿らしい。気を抜こうが何しようが、常に最高の状態で戦える。そう在るのが当然だから、戦いの場だろうと何だろうと緊張感なんぞ持たずに居るのが当然だと思っていたが……違うのか?」
「なっ!?」
 もはや何度目になるかも分からない驚愕に表情を歪めるフェンリル。
 ソレはあまりにも違う。
 幾ら探索者が戦う為の兵器として改造された存在とは言え、一応は人間である以上そこまで達観してはいない。
 そんな存在モノは居ない筈なのだ。
 だが目の前の青年は悉くそんな常識を打ち崩す。
 本気で不思議そうな表情でフェンリルを見返すスレイを、フェンリルは背筋を駆け上がる麻痺している筈の畏怖という感情と共に見つめていた。

【欲望の迷宮】地下75階
 頬を紅潮させ、本来ならば崩れる筈の無い戦闘に対する万全の体勢も崩れ、苦労しながらこの階層まで下りて来たフェンリル。
 事、戦闘時に於いては決して乱れる筈の無い超一流の探索者としての改造された精神すらも、在り得ない事に言葉だけで強引に揺さぶられながらも彼女は此処まで傷の一つも負わずに敵を殲滅して来た。
 だがこの階層に下りすぐに目の前に現れた敵の数々に、あくまでも冷静な判断として手強いと考えた。
 決して倒せない敵では無い。
 超一流の探索者の精神構造上恐怖は麻痺し感じ得ない。
 それこそその精神構造を無視して強引に精神を揺さぶってくるスレイがおかしいのだ。
 加速した思考は無数の情報を処理し、現状を分析、ギリギリの勝負になる敵だと結果が出る。
 力の限りを尽くし完膚無きまでに破壊するしか無い。
 ここで換金用のアイテムにするなどと考えたりすればそれはただの驕りだ。
 目の前に立ち並ぶオリハルコン製のリビングメイル達。
 そして宙に浮かぶ様々な武器の形のオリハルコン製のリビングウェポン達を見てフェンリルは乱れた精神を強引に集中させ己が力を際限無く高めて行く。
 だがその集中と力の高まりは、一気に崩れ去る。
 スレイがいきなり肩に手を乗せて来たのだ。
「ひゃっ!?」
 それだけで体中に不可思議な刺激が奔り抜け、フェンリルの肉体は脱力する。
 危うく倒れかけるのを支えようとするスレイを拒否して、自力で何とか体勢を立て直すフェンリル。
 思わず怒声を叩きつける。
「いきなり何をするっ!?」
「は?いや、ただちょっと質問があっただけだが」
「へ?」
 不思議そうな顔であまりにも冷静に返された言葉に思わず我に返るフェンリル。
「ん、んんっ」
 誤魔化すように喉を鳴らし、真顔になると、スレイを見つめ問いかける。
「あ、ああすまない。敵に集中していたところに突然だったもので取り乱した。それで、質問とはいったい何かな?」
「いや、取り乱したって、あんたもSS級相当探索者なら、例え目の前の敵に集中しようが周囲の状況の全てを把握する、その程度簡単な事だろうが。数え切れない程に思考を分割するのは基本中の基本だろ?」
 呆れたように肩を竦めてみせるスレイ。
 だが理由を分かっているのだろう。
 どこか表情が緩んでいる。
 思わず鋭く睨み付けるフェンリルを軽く躱す様に続ける。
「でだ、質問だがあんたは浄化の魔法は使えるのか?」
「……中級程度までなら使えるが」
 思わず渋い声が出る。
 そうフェンリルが目の前の敵とギリギリの勝負を演じなければならない理由。
 そして換金用アイテムになどせずに完全に破壊しなければならない理由。
 それがフェンリルが使える浄化魔法のレベルだ。
 仮にもSS級相当探索者。
 その浄化魔法ともなれば中級と謂えどもそれこそ高位の聖職者の最上級の浄化魔法に匹敵する。
 だが目の前の敵はその程度でどうにかなる相手では無い。
 そのベクトルが欲望とは言え、最上級の金属にして精神感応金属たるオリハルコン製の武器や鎧に宿り、それを自在に動かすに足る恐らくはSS級相当探索者に匹敵する精神力を持つ魂。
 それを浄化しようと思うなら、それこそ聖王級の浄化魔法が必要となるだろう。
 答えが分かっていたのだろう。
 予め決めていた事を告げるようにスレイは言う。
「そうか、ならばここから先は俺に任せてもらおうか」
「なに?」
 思わず疑問の声が出る。
「君はそれほどの浄化魔法が使えるのか?」
「ん?使えはするが、今回は浄化魔法は使わないぞ?」
「……どういう事だ?」
 思わず顔を顰める。
 だがスレイは楽しげに告げる。
「というか、忘れてるかも知れんが、俺の目的の一つはあんたに俺の剣を魅せる事なんだがな?」
「ああ、そういえばそうだったな。しかしアレは剣でどうにかなるようなモノではあるまい?」
 当然の疑問をぶつけるフェンリル。
 しかしスレイはそんな疑問を軽く笑い飛ばす。
「おいおい、俺と双刀こいつらをそんじょそこらの連中と一緒にするなよ?何よりだ、アレほどの魂なら双刀こいつらの餌に丁度良い。あのオリハルコン製の身体を動かす源が魂とは言え、動かす以上はその為に流動する力がある、そしてアスラはそれを喰らえる。そして魂である以上精神が、今回は特に強い欲望の精神だな、そいつがあり、それをマーナが喰らえる。そうすれば双刀こいつらをかなり成長させられるし、何より最小限のダメージで奴らを倒せるから原型は留めないにしても、素材としてのオリハルコンと考えれば換金アイテムとしても最上だ。これから先、俺がやる事には金は幾ら有っても困る事は無いしな。なんにせよ、ここから先は俺が戦うのが最善って事さ」

【欲望の迷宮】地下99階
 ただただ見惚みとれていた。
 陶然と見惚みほれるしかなかった。
 目の前で繰り広げられる美麗なる双刀の舞。
 本来ならば舞と呼ぶにはあまりにも簡素かも知れない。
 徹底的に無駄を省いた動き。
 魅せる事など考えられていない動作の最適解。
 だがそれでもその極限の機能美はフェンリルを魅せるに相応しい代物だった。
 光速の数倍の速度域。
 フェンリルは目の前の青年、スレイがそんな速度域など遥かに超えた速度を軽く出せる事を知っている。
 ならば今スレイが敵と同じ光速の数倍の速度域で戦っているのはフェンリルに魅せる、ただそれだけの為なのだろう。
 いや、同じ光速の数倍の速度域でも僅かに敵よりも速度を落とし、わざと戦いの難易度を上げている節がある。
 全くそうとは感じさせないが、フェンリルにもその程度の事を感じられるだけの戦闘感覚は存在した。
 しかし異常だった。
 まず最初の戦いの始まり。
 光速の数倍の速度域に何時加速したのかフェンリルには感じる事が出来なかった。
 そう、世界から隔離されたその瞬間を感じ取る事が出来なかったのだ。
 これはつまりスレイが世界の防衛本能すらも理解し間接的にとはいえある程度操る事が出来るという事を意味している。
 そんな存在など聞いた事も無い。
 それだけでもおかしいが、先程から振るわれるスレイの双刀。
 必ずスレイは一体の敵に二撃ずつ。
 つまり双刀の一刀一刀で各々一撃ずつ加えていた。
 スレイの説明を信じるならば、オリハルコン製の擬似体に宿る魂がオリハルコンを動かしている二つの要素をそれぞれ喰らわせて、倒しているのだろう。
 そして双刀の斬撃はあっさりとオリハルコン製の、しかも強力な魂の精神により強化されたその身を何も無いかのように、抵抗を感じさせずに斬り、双刀の刺突もまた何の抵抗も感じさせずに突き刺さる。
 フェンリルでも例え強大な魂で強化されたオリハルコンであろうと破壊する事は可能だろう。
 だがあくまで破壊できるだけ、原形など欠片も留めず、それこそ溶かして素材にする事すら不可能な程にその構成要素の結合を完全に破壊しなければならない。
 それをなんの苦労も無く……。
 しかしそれはまだいい。
 いや良くは無いのだが、もっとおかしい事がある。
 先程も言った様にスレイはわざと敵よりも少し下の速度域に身を置いているらしい。
 最適の動作でしかしゆったりと振るわれる双刀がその事実を指し示す。
 だというのにスレイは全く問題無く敵を殲滅していっている。
 それが問題だった。
 敵は欲望という妄執に囚われたとは言えSS級相当でも最上位だろう太古の探索者の魂を宿している。
 それこそ最上級の加速魔法を使うなど簡単な筈なのだ。
 それはフェンリルが戦った、魂の質が多少落ちるだろうリビングデッド達も同じだったろう。
 フェンリルは何とか同じ速度域の中でも自らを極限まで高め敵より速く動く事で、加速魔法を使うような隙を与えずに敵を殲滅していっていた。
 だが先程も言った様にスレイは逆だ。
 敵よりもわざと遅く動いている。
 それでも尚、決して敵に加速魔法を使う隙など与えない。
 淡々と確実に、フェンリルが見惚れる様な動きで敵を殲滅していっている。
 なるほど、確かにスレイの動きは戦いの動作の最適解だろう。
 しかし足りない。
 それだけでは足りないのだ。
 だからフェンリルは嫌でも理解させられる。
 つまりスレイは敵の全てを“識”っている。
 どの敵がどのようなタイミングでどのように動くのか全て分かっている。
 そしてそれだけでも足りない。
 間違い無い。
 スレイは敵の動きを“操作”している。
 全ての敵を己が掌中に把握して。
 あの、実に簡素で飾り気の無い動きで。
 無駄など全く存在しない最適の動作で。
 そこに余計な要素など入れる余地の全く無い極限の内に。
 しかし間違い無く敵を動かす誘いが。
 敵を惑わすフェイントが。
 計算され尽した場の支配がそこに在る。
 フェンリルには分かる。
 スレイは不可思議な能力など何一つ使ってはいない。
 そう純粋な剣の技。
 技の極み。
 フェンリルを。
 いや、生物という枠を超え、そもそも通常の世界に存在するモノ達の性能を超えた兵器として生み出された探索者達の最高峰であるSS級相当探索者達をして。
 決して到達できない。
 理解し切る事すら不可能な武の高みがそこに存在した。
 フェンリルは、自らの心が目の前の光景に。
 いや、その光景を生み出す青年に何時の間にか囚われている事に気付かずにいた。


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