【ディラク島】クランド軍後陣
自らの元へと歩みを進めてくる青年をクランドはじっと凝視していた。
近付く度に昂ぶりは増すが、今はそれ以上に青年の動きに見惚れていた。
青年のメッセージは伝わっている。
即ち自らの動きを見て学べと。
あまりの傲慢さ。
だがここまで来るとそれが逆に心地良い。
何より今クランドは、それが自信すら超えた確信による物だと否応無く理解させられていた。
青年は何ら力を使ってさえいない。
ただ歩んでいるだけだ。
だがクランドは“視”て理解していた。
それが超高度な技法により成される物だと。
青年は、歩みの中に混ぜたほんの僅かなフェイント、気勢、威圧、そんな一つ一つは何でもない、大した事も無い物を全て駆使して、ただ歩くだけで、アンデッド兵達の力の流れを支配し、思うように操ってみせていた。
本当に、欠片も特別な力は使っていない。
即ち条理を超えた理外の“技”。
あれだけの数のアンデッド兵達が一斉に襲いかかり、ただ歩くだけの青年を捉えられない不条理。
クランドは、青年からのメッセージの通り、ただその動きを見て、盗み、己が糧とする事に集中した。
なるほど。
クランドは青年の意図の正しさに感心した。
自分はつい最近までただの人間に過ぎなかった。
そして戦闘経験という意味でどうやら青年より酷く劣っているらしい。
刀を交えたならば戦いの中で青年に追いついて行く自信はある。
だがその無駄な時間を少しでも短縮しようと言う事だろう。
よほどに自分との戦いが楽しみらしい。
それは自分もだが。
そしてもう一つ理解する。
自分が青年のメッセージを受け取っているのと同じ様に、青年もクランドの思いを受け取っているという事だ。
本来なら青年は敵に容赦をするような性格では無いと繋がりから分かっている。
だから本当は自らの民であったアンデッド兵達をすぐにでも退けようと思っていた。
だが繋がり合う魂が、自らの思いを伝え、青年はアンデッド兵達を滅ぼさない、傷つけさえしないと確信させ、青年の思いに応えた。
その確信通り、青年はアンデッド兵達に傷一つ付ける事無く自らの元へと歩み寄ってくる。
クランドの影響により変わりつつある自分をどこか不本意に思っているようだが。
そんな青年を、クランドはどこかかわいいとすら思う。
無数のアンデッド兵達にほんの僅かも掠らせる事すらなく、クランドの前に辿り着いたスレイは、クランドを見上げその瞳を正面から見詰める。
ただそれだけの事で胸が高鳴る。
思わず零れる笑みに、クランドもまた笑みを返して来た。
ふと、周囲のアンデッド兵達がまるで慌てる様に周囲から離れていくのに気付く。
かつて、誰にも感じた事が無いような気安さで以って、スレイは思わず軽口を叩いていた。
「お優しい事だな?」
「ふっ、お前もな」
あっさりと返したクランドの視線は遥か後方のディザスターとフルールに向けられている。
思わず苦笑する。
そう、確かにスレイがディザスターとフルールをあの場に残したのはクランドがアンデッド兵達をこの場から遠ざけたのと同じ理由。
自分達の戦いに巻き込まない為、だ。
ディザスターやフルールに説明したのは方便に過ぎない。
全て見透かされている事に、自分達の間にもはや隠し事など通用しないと改めて確信した。
だがそれが心地良い。
苦笑から、また軽い笑みへと表情を変える。
「スレイ」
「クランドだ」
ただ名乗る。
それで充分だった。
言葉は要らない。
自分達には言葉などより雄弁な刀がある。
次の瞬間、構えてもいなかったクランドが唐突に大上段から大太刀を振り下ろしてきたのをスレイは双刀を交差させ挟み受け止める。
始まりの一撃。
既に2人のステージは光速の何倍などという物では測り切れない無限速すら超えた超絶の領域へと突入していた。
そして既に両者共に自らの無限速を超えた思考速度よりも尚速い“閃き”のままに動いていた。
クランドのあり得ない大上段からの一撃も、それに容易く対処するスレイの反応もその賜物だ。
同時。
両者の口元に笑みが浮かんだかと思うと、全てがスレイとクランドで埋め尽くされた。
比喩では無い。
言葉通りだ。
本当にそのままの現象が引き起こされたのだ。
尤ももはやディザスターやフルールですらスレイとクランドにとっては停滞した存在としか感じられない。
つまりディザスターやフルールの知覚すら全く追いついていない。
スレイとクランドの2人はもはや、速度などという概念を超越していた。
速度とはある時間に移動できる距離で決まるものだ。
スレイが光速を超越し、その時間が過去方向へも向けられたとて、それが変わる事は無かった。
だが、今のスレイとクランドは、全次元・全時空間・全位相座標上のあらゆる点に、在ろうと“思った”その時には既に在る。
いや、全ての点に同時に存在する事も可能だ。
そして現在、空間のみは範囲を絞りながら、それ以外ではあらゆる座標上の点に二人は無限に同時に存在していた。
空間の範囲を絞った理由は二つ有る。
一つは周囲を巻き込まない為。
もう一つはこれ程の領域に到ろうと、尚彼らの戦いは刀を交える事でしかありえなかった。
それ故に無駄に広い空間を使う必要も無かったからだ。
とはいえ無限を超えた空間の広がりを埋め尽くした戦いは、それはそれで、今以上に楽しめた可能性は否定できないのだが。
とまれ、もしこの戦いを観測できる者が居るとしたら、それこそ次元も時間も位相も無視して、今ここに出現した球状のフィールドに全くの同時に無限のスレイとクランドがあらゆる座標点に存在しているかのようにしか見えなかったであろう。
だが、スレイとクランドにとっては違った。
彼らの目は、そんな理など完全に無視し、ただ1人の互いを捉えていた。
そして決して離れる事なく徹底的に近接しての刀の打ち合いが続く。
二人にとってはもはや互いの動きなど己が事の様に容易く悟る事が出来た。
それ故に、速度など超えた条理に適わぬ規格外の移動を以ってしても、決して互いが互いを自らの間合いから離す事は無い。
駆け引きにすらならなかった。
だから両者共に“閃き”のままに迸るその刀技を以ってぶつかり合うだけだ。
クランドの刀はひたすらに真っ直ぐだった。
基本しかない。
基本の極みすら超えたその刀術。
ただ強く疾く振るわれるその刀閃。
次元も時空も位相すらも斬り裂きひたすら愚直なまでに揺らがずぶれずに振るわれる。
全くと言っていい程無駄な技巧の無いその刀技が、スレイが今まで戦ったどんな剣士の剣技よりも圧倒的な威圧感と脅威を以って迫り来る。
対するスレイの刀技は人の理すら外れて化生の者すら理解できぬ理で以って振るわれる理外の技。
決して小手先の技に頼ってもいなければ、奇手に走る訳でも、邪道に染まっている訳でも無い真っ当な刀術。
だというのにありえない変幻自在にしてどこまでも強烈で疾い連撃が、凄まじい脅威としてクランドに迫る。
互いにほんの一瞬前までの自分だったら防げなかったであろう攻撃を、“閃き”のままに容易く踏み超え防ぎ、更なる“閃き”により尚高みに到った刀技で再び攻撃を繰り出し合う。
どこまでも、どこまでも際限無く高まり合い続けるスレイとクランドの技量。
それだけでは無い。
2人の技の質もまた変質して来ていた。
スレイもクランドもお互いの技を見て解析し、盗み、自らの技へと取り入れ続けている為だ。
考えて出来る事では無い。
これもまた思考を超えた“閃き”のままの行為だ。
だが、今回ばかりはさしものスレイも相手の技をそのまま盗むしか無かった……捨てるべき無駄など無いからだ。
それはクランドも同じ事。
そして2人の刀術は極限すら超え何処までも鍛え上げられ洗練され続けながら、混ざり合い、同じ物へと近付いて行く。
必然であった。
彼らが昇り詰めて行く道はただ一つ、真の最強へと到る道なのだから。
技だけでは無い。
2人の刀のぶつかり合い。
その一合の力でさえ本来であれば外宇宙の一つ二つ衝撃で軽く消し飛ばすとんでもないものだ。
だが幸い、この世界ヴェスタのポテンシャルは遺骸になった今でも最上級の“真の神”のままに等しい。
そして現在常に無い程強い力で以って、スレイとクランドが築き上げた球状の戦闘フィールドは完全に隔離されていた。
なので、隔離された世界の外、本来のヴェスタには多少の影響しか出ていない。
それでもかなり地が抉れて荒れている辺り、彼らの力の異常さが分かろう。
そのような戦いを繰り広げながら、未だにスレイとクランドの顔にあるのは満面の笑みだけだった。
対等の相手との戦いが楽しいというのもある。
限界など存在しないように急激にどこまでも成長する自らの力に昂揚しているというのもある。
だが2人は今、実に奇妙な心境にあった。
2人は今、どこまでも深く、戦いの前など比較にならない程に、一つに重なる程に魂が繋がり合っている。
出逢う以前からスレイもクランドも互いに惹かれていた。
何せ自分にとってたった1人の“運命”だ。
だがそれでも、どこまでも深く知り合った今、スレイはクランドの清廉すぎる理想的な思想に対しムカつきを覚え、クランドはあまりにも自分本位に過ぎるスレイの欲望のままの生き方に軽蔑を覚えてさえいた。
だというのに、互いに対して全く嫌悪を覚えない。
むしろ今まで出会った誰に対してよりも好感すら覚える。
矛盾した心境。
それが互いにどこまでも全て伝わり合う。
だが両者同時に気付く。
ああ、そうか。
どちらも結局は何よりも剣士だったという事かと。
そう、交える刀こそが彼らを結ぶ何より強い絆、これほどの剣士を好きにこそなれど、嫌える筈も無い。
全く以って因果な物だと、もはや2人で1人になったかのような境地で刀の舞踏を踊り続けながら、この閉ざされた世界、ただ2人、永遠に踊り続けるのも悪くない。
2人共がそんな思いを深く確信する。
どのような女と繋がるよりも深い悦楽。
なによりも強い楽しみ。
刹那すら過ぎぬ時間の中の隔離された世界の永遠。
スレイは先ほどのディザスターとの会話など完全に忘れ、恋人・知人・友人・ペットに別れを告げながら。
クランドは民に手向けを送れない事を詫びながら。
ただ強く思う。
この永遠の牢獄で共に踊り続ける事。
『ただそれだけが俺の望みだっ!!』
互いの思考が共鳴し、何よりも強く響き渡った。
どこまでも互いを高め合う、通じ合った、何よりも愉しい死闘は尚続く。
高まり続ける力の中、もはや魂の共鳴は侵食にさえ近くなる。
スレイとクランドは精神にさえも互いに大きな影響を及ぼし合い始めていた。
クランドの理想がスレイの魂へと刻まれていく。
スレイの今この刻をひたすら楽しむ戦闘本能がクランドの脳に伝染する。
もはや2人は一つに溶け合うかのような心地で、終わる事無き、終わる筈など無いこの一時の永遠に全てを沈めて行く。
それはどこまでも続く筈だった……。
……ある存在の干渉が無ければ。
【外宇宙】特異点
外なる宇宙、果て無き絶無、刻の流れすら関係無いその虚空、そこを死に場所に選らんだクライスターはただ一人たゆたう。
先ほどまでは周囲を深遠に潜む得体の知れない理解不能なナニカ達が、瀕死のクライスターの死を待ちその力を喰らおうと取り囲み伺っていたが、クライスターがただ一睨したのみで、完全に存在を消去され還って逝った。
そして死に往くクライスターはただ一人愉悦の笑いを零す。
「クククッ、まさか私が与えた力で私に致命傷を与えて見せるとはな。これだから人間とは面白い」
クライスターは、自らの肉体に出来た大きな傷を見つめながら、ただ面白そうに笑っていた。
いかにあらゆる死を超越した身の真なる神といえども、回復すら不可能となったその傷であればクライスター自身の言うように確かに致命傷であろう。
しかしただクライスターは笑い続ける。
「自らの民を喪い、“絶望”が極まり、“人間”の“可能性”、その“極限”に“到った”か。“絶望”により“到った”人間が、“絶望”の邪神たる我を殺す、なんとも皮肉で面白い結末よな」
ただただ笑い続けるクライスター。
卓絶した刀術の天才とはいえ、自らが与えた力すらその意志の力のみで駆逐し、殺してみせる。
それを成したのはあの世界ヴェスタ全体で見れば無名だった人間。
そうでありながら、この結末にクライスターは満足すら覚えていた。
クライスターとてかつては無数の世界を創り上げた創造神でもあった身。
“人間”に与えた“可能性”、それが、自分達“真の神”すら越え得る可能性を持つ事は知っている。
そして自らが創造した世界、創造した“人間”では見ることが叶わなかったその極み。
それを見る事が出来、クライスターは歓喜すら感じていた。
「こんな終わり方も悪くない、いや、満足だと言ってもいいか。くくく、まあ私は一足先にここで退場させてもらうとしよう」
誰も知らぬ場所、誰にも知られずに、かつて圧倒的な力を誇り、世界に恐怖を振り撒いた邪神が消えていく。
クランドという一人の“人間”の剣士が成した奇蹟。
「くく、本当に化物よな。今あやつが“天才”と繰り広げている戦い、もはや上級邪神にも匹敵する程の力の高まりを見せているではないか。私程度では、この特異点で無ければ、このような戦い、観賞する事すら不可能であったろうな」
クライスターは、瀕死で彷徨う中もクランドの事を“視”続けていた。
だからクランドとスレイが戦うその事を察知し、その戦いを観賞できるこの場を死に場所に選んでいたのだ。
だが、幾ら自分に致命傷を与えた相手の事とは言え、ここまで1人の人間に邪神たる自分が固執するおかしさに気付いてもいた。
そしてクライスターはその理由も分かっている。
だがクライスターはそれを認めるつもりは無かった。
自らにとって分かり切った事実であろうと、それを認めるのはあまりにも耐え難い事であった。
“絶望”の邪神たる自らがただの人間に“恋慕”を抱くなどと。
故に、自らを殺して見せた。
あくまでその事に対する褒美として1人告げる。
ただ1人在るこの場であっても邪神としての矜持は捨てない。
それが“絶望”を統べるクライスターの誇りだ。
「さて、私を殺してみせた“人間”よ、私が逝くに当たって手土産にお前に“真の神”を“殺した”という“事実”を与えてやろう。その“神殺し”という“事実”が与える“力”によってかの“天才”を殺してみせるがいい」
ただ一言、自らを殺したクランドという名のただ1人の“人間”の剣士に、ただ一柱の“真の神”が遺す言葉。
そして、人が持つ“可能性”が成した“奇蹟”は、ただ密かに何よりも静かに終焉した。
超絶の刀技の交差は2人にとっては永遠とも思える時を経て続く。
当然体感時間の話だ。
2人以外にとってはそもそも時など経っていない、未来や過去の時系列にすら平気で飛び回っているのだ、いやそれ以前に2人は既に時など超越したステージに在る。
全次元・全時空間・全位相座標上のあらゆる点に同時に思うままに存在する事が可能な2人。
そして範囲は絞っているとはいえ実際その範囲の全座標点に存在しながら、しかし2人は座標上のあらゆる点を足場ともしてみせ、もはやあらゆる理を超えたステージで、歩法や踏み込みから超絶の身体駆動を用い、あらゆる技巧を尽くし、互いに互いを高め続けて行く。
もはや2人の思考は互いの事のみに染め上げられていた。
魂もまた完全なる同調を果たし、もはや一体になったかの如く。
2人は余念を一切捨て去り、ただ今この刻を、この戦いのみを楽しみ続ける。
2人の顔には凄絶でいて、どこまでも純粋な笑みが浮かんでいた。
意識などしていない。
いやそもそも今の2人に思考など存在しない。
ただ思考を遥かに超えて奔る“閃き”に突き動かされるままに、ありとあらゆる技を繰り出し、新たな技を生み出す。
その繰り返しだ。
完全なる拮抗。
それでいながら停滞ではなく進化し続ける。
そんな状態でありながら、2人は心の奥底から、いや魂の奥底から、今、この刻を楽しんでいた。
戦いの前、スレイが抱いていた懸念も無用の心配であった。
人として欠落しているスレイの魂。
だが今この刻だけは、完全に同調したクランドの魂がスレイの欠落を補っている。
この場ではスレイもまた、クランドと同様に、人の無限を超えた可能性の極限に到っていた。
それはまたクランドも同様。
クランドもまたこの場ではスレイの“天才”としての無限の成長性を宿している。
人の無限を超えた可能性と“天才”の無限の成長性の相乗。
しかも2人。
高め合い続ける2人の力に合わせ、この世界ヴェスタもまた、2人を世界から隔離する力を高め続ける。
しかしそれもまた限界へと近付いていた。
軋み始める世界を隔てる境界。
悲鳴を上げる世界。
このままならば2人以外は全てが滅びかねない。
そう、邪神達すらも、全ての“真の神”をも含めて。
だが2人は気にしない。
いや気付きもしない。
ただその意識は互いに染まるのみ。
それだけでは無い。
2人の戦いには不可解な事が起き始めていた。
交わり合う双方の刀。
その衝撃はもはや無限を超えた超々×∞無限次多元外宇宙すら破壊しかねない程の物だ。
だがそのような衝撃など互いに容易に相殺し合い、決して互いを傷つける筈も無い。
だというのに先ほどから、2人が刃を交える度、いや、視線を交わす度に両者ともにその身に鋭い裂傷が奔り、しかも治癒に酷く時間がかかっている。
今の2人にとってたかが切り傷など在った事さえ理解できない程の間に無くなる物の筈なのにだ。
あまりにも異常な現象。
だが理由は単純だ。
2人がまた共に“到った”だけ。
“意志の剣”。
人の可能性の極限、その更なる極みの一つ。
強い意志のままに全てを斬り裂く無敵の剣。
ただ意志のままに発動するそれは、全能など超越している。
故にスレイもクランドも互いに防げない。
回復もまた遅延する。
だが2人にとってはそれすらもどうでも良い事だ。
いやこの事にすら気付いてはいない。
自分達の傷など気にも留めていない。
ただそこに在るのは2人だけの世界。
完全に、2人の心は目の前に居るただ1人のみに塗り潰され、全てはそのままに……そう、そのままならば2人は全てを滅ぼし尚2人だけの永遠の刀の舞踏を踊り続けたのだろう。
だが、そうはならなかった。
もはや常に“閃き”続けている状態に在ったスレイに、己自身でも理解できぬままに、突然、“閃き”すら超えた更なる“閃き”が奔る。
何も理解できぬままにそれまで以上の疾さで限界を超越し動く肉体。
僅かに遅れ突然、自らの変質を感じ取るクランド。
次の瞬間、繰り出されたクランドの刺突は今までの成長速度を急激に越えた、圧倒的な鋭さの一撃だった。
紛れも無くその一瞬、力という意味に於いてクランドはスレイを超越していた。
だが、その一撃がスレイに届く事は無かった。
確かにクランドの動きはスレイより鋭く速く、だがスレイの動き出しの方が遥かに疾かった。
その一撃を待ち構えていたかのようにマナで受け流しつつ、自然と動くスレイの身体。
ようやく意識が追いつき、忘我の境地から我に返ったスレイはその動きを強引に止めようとする。
止めろ!
だが、自らの限界を遥かに超えた駆動を行っている身体には、その命令は遅かった。
クランドの心臓を突き刺すアスラ。
スレイとクランド、2人の意識にはまるで刻が一瞬止まったかのように感じられた。
次の瞬間、あらゆる座標点に同時に存在していたスレイとクランドが1人に収束し、同時に2人を隔離していたヴェスタの力が限界を迎えたかの様にパリンと砕け散る。
そして通常の世界へ帰還すると同時、クランドからアスラが抜け落ち、そのままクランドは地に落下しようとする。
「クランドッ!!」
慌ててスレイはクランドの腕を掴むと、そのままゆっくりと地へと降りて、優しく横にする。
治癒はしない。
もはやクランドの身体は死を免れないと悟っていたからだ。
暫し静寂が流れた。
クランドが穏やかな声で告げる。
「ふっ、紙一重で負けたか」
「いや、ただの幸運だ。最後の攻撃、クライスターの横槍だな……。あのクライスターの消滅によって“神殺し”の力を手に入れた急激な成長によるあの一撃は、対等の条件ならあんたに勝利を齎していただろうさ」
「ほう?」
面白げに笑うクランド。
「それではなぜ俺はお前に負けたのかな?」
スレイは瞳を閉じると静かに言う。
「先ほどの戦い、思考を超越したレベルで俺達は戦っていた事を覚えているな?アレは“閃き”だ。そして“閃き”は確かに生来のセンスこそが最も物をいう超感覚であり発想だが、それでも圧倒的な経験によって研ぎ澄ます事はできる。そして俺達は魂で様々な物を共有したが、俺自身も把握していない俺の特殊な前世の経験を共有は出来なかった。だから俺が勝った、それだけだ。しかし残念だ、クライスターの横槍が無ければ永遠に2人で楽しみ続けられただろうに」
「俺もそう思う。となるとこれはクライスターの仇である俺に対する嫌がらせか?」
スレイはどこか怒りたいのに怒りきれない複雑な表情で告げる。
「いや……これがあんたに対する純粋な好意からの物だから、俺も怒り切れずにいたんだが……」
「好意?あいつが俺に好意を抱く理由など……」
「……いやいい、あんたは理解できないままで逝け。その方があいつにとっても本意だろう」
「ふむそうか、ところでだ、先ほどの戦いでお前にプレゼントと責任をくれてやった。お前は剣士としては尊敬に足るが、人としてはあまりにアレなのでな。まだ気付いてないだろうから自覚させてやろう!!」
クランドの台詞と同時、スレイはクランドの魂と完全に共鳴した己が魂に、クランドの魂から剣が刺され、種が埋め込まれているイメージが浮かぶ。
「こ……れは?」
「“意志の剣”、俺の魂と同調した中でお前の魂の中で育まれた物であり、またその種は同じく俺の魂と同調した中で埋め込まれたお前の精神を変革する俺の意志を凝縮した種だ。まあ、完全に魂まで繋がりあった仲だ、現在のお前が人間として欠落している事もその欠落がいずれ取り戻される物である事も分かっている。その欠落を取り戻し、お前が人間として完全な状態に戻った時、その剣は先程の戦いの刻と同様に抜き放たれるだろう。種はこれから人と接して行く中で、今までとは違い様々な物を吸収し芽吹いて行くだろうな。まあ、種に関しては多分に俺の理想を勝手にお前に託すような真似だが、散々好き勝手生きているんだ、そのぐらいの責任は負ってくれてもよかろう?」
「……勝手な、話だ」
そう言いつつも、スレイはただ苦笑するだけだ。
その表情には寂寥すらある。
「ははは、まあな。俺は死に行く身だ、もはやこの世に責任など持てぬ、死に行く俺をこれ以上責める事も出来なかろう。まあ、せいぜい頑張ってくれ」
「どこまでも……本当に。ふぅ、まあいい、他ならぬあんたの頼みだ引き受けよう。とりあえずアンデッド兵はあんたが居なくなった今、もう動きを止めたし、そもそもあいつらをノブツナの城に入れる訳にもいかん。だがあの旗だけは俺が城の頂点に突き立てといてやるよ」
「なっ、貴殿、そんな事をしてっ!?」
「問題ないさ、俺の生き方を知っているだろう?」
寂寥は消せないまでも、どこまでも傲慢に笑って見せるスレイ。
その表情にクランドは神妙な顔をすると頷く。
「……そうか、そうだったな。それでは頼む」
「ついでにだ、邪神の内ジャガーノートとロドリゲーニは俺の女にする予定で、ディザスターは俺のペットだから消せ無いが、他は全部消しといてやるよ。イグナートは本来殺さず遊び相手にする予定だったんだが、あんたがいるからもういい」
「何?俺はもう……」
不思議そうな表情を浮かべるクランド。
スレイは今度こそ寂寥を消し去り、完全に傲慢な表情で言ってのける。
「馬鹿だな、あんたの魂が輪廻の輪に解ける程に柔な訳が無いだろう?精々輪廻の輪の中で力に磨きを掛けておけ、俺はこの世で実戦経験をたっぷり積んでおくから、あんたが生まれ変わったら、今度こそ楽しくなんのしがらみも無く遊ぼうじゃないか。それまではあんたの代わりに“この世界と民の平和”だけは守っておいてやるよ。まあ、ちょっと強敵と遊ぶのと、美女・美少女を物にするのは勘弁してくれよ、ちゃんと惚れさせてから物にしてるし、他の男の女には手を出してないからさ」
「ふっ、“この世界と民の平和”“だけ”か、少々引っ掛かる物言いだが、今は仕方あるまい」
苦笑するクランドに、スレイは肩を竦めてみせる。
「ま、それにあんたが生まれ変わってくるまでにはなんとかあんたの言う理想ってのを、多少は理解できるように努力しとくよ。だからとっとと帰って来いよ?」
「ふ、無茶を言う」
「無茶も何もあるか、ただあんただけが本当の意味での俺のライバルだ。あんた、何時まで俺を1人にしとくつもりだ」
「はは、違いない」
責めるような言葉を口にしながら、スレイは自分の表情が今までありえなかったほど柔らかい物になっている事に気付く。
「あんたが帰って来たら、2人で往くぞ、全てを超えた果て無き果ての更にその先にまで、ただ俺達2人だけでだ」
「ふ、それは楽しみだ。ならば約せねばなるまい、俺はお前の前に必ず帰って来るとな」
「ああ、楽しみにしている」
スレイはただ笑って答えた。
「だが、だ。間断なく終わり無く永遠に戦い続けるのは駄目だ、貴殿には大事な女達がいるのだろう?インターバルは取らねばな」
「何っ!?」
表情を変えるスレイ。
死相を浮かべながらも面白そうに笑いクランドは続ける。
「どうせ俺達は時間に束縛されぬ身。決して止まる事なく戦い続ければ俺達の永遠は世界の永遠にもなろうが、途中で休みを入れるなら時系列上のどの点にも戻る事は可能。俺達にしてみればほんの僅かな休息だ、せめて自分の女に責任ぐらい取れ」
「……分かった、仕方無いな」
何処か憮然とむくれたように答えるスレイ。
そんな姿にクランドはただ笑う。
それが最期だった。
……スレイは黙祷した。
クランドは最期に笑うと同時死んでいた。
スレイは、剣士としてスレイと至高の戦いを繰り広げておきながら、結局は最期まで、どこまでも己の理想に殉じ、その為の手段としてスレイを利用する事にした男を見詰める。
あれほどの戦いを繰り広げたその直後でありながら、大往生などというそんな壮絶な言葉は似合わない、どこまでも穏やかな表情でありまるで寝床で安らかに眠るかの様な死に様。
いったいどれだけこの男は規格外なのか。
さしものスレイも苦笑せざるを得ない。
その上、自らの魂に勝手な真似をされた事さえも、スレイの価値基準から言うと本来許せない事の筈なのだが、この男が遺した物と思うと、何かとても大事で貴重な、そう形見のようにさえ思えて、どうしても悪くないと思えてしまう。
「本当に、どこまでも……」
人の心に勝手に入り込んできて。
ただ暫し、スレイはクランドを見詰めながら立ち尽くしていた。
既にスレイの魂は対成すクランドの魂が無いが為に共鳴を止め、増幅していた力は失われている。
当然の様に再びヴェスタの束縛に囚われ、力そのものはクランドとの戦いの以前まで戻っていた。
だが、クランドとの戦いの中でどこまでも高めた“技”は此処にある。
魂に刻まれた“意志の剣”も理想の種も決して消えはしない。
そして何より。
「また、な……」
この男は何れ己が元へと帰って来る。
それ以上何が必要であろうか。
スレイはふっと、ただ柔らかな笑みを浮かべ動き出す。
まずはクランドとアンデッド兵達の埋葬をせねばなるまい。
ふと遠くに居たペット達が、自分とクランドの会話の終りを待ってだろう、突然加速したのに気付き思わず苦笑する。
転移したのと等しく、時間など掛けずに自らの元へと辿り着いたペット達。
二匹が何かを言う前に、スレイは鬱陶しい気配に眉を顰める。
ノブツナの城を出た時から気付いてはいた。
自分達を監視する気配。
ノブツナやノブヨリではあるまい。
彼らが今の自分の気分に水を差すような愚かな真似をするとは思わない。
恐らくはスレイに対し疑念を抱いた家臣達の誰かの手の者だろう。
複数人居る事から、主は1人では無いかも知れない。
本気で移動して居れば撒いていただろうが、そもそも気にもしていなかった。
先程までのクランドとの戦いを前に控え昂揚したスレイにとってはどうでも良い事だった。
しかし戦いが終わった今、これからクランドを、そしてその民であったアンデッド兵達を送るのに、彼らのような見物人は無粋に過ぎる。
クランドを葬り、アンデッド兵達を無力化したのは見せてやった。
もう充分だろう。
結論付けると、ただそのまま何の動きも見せる事無く、気配の主達に転移の魔法を掛ける。
瞬時に消え去る気配。
監視者達は何が起きたのか理解する暇も無かっただろう。
驚愕の気配を発する暇すら存在しなかった。
まあ親切にノブツナの城の近くまで転移させてやったのだから、むしろ感謝さえして欲しいところだ。
軽く肩を竦めるスレイ。
『あ、主よっ!!一体何がどうなったっ!?』
驚愕するディザスター。
そもそもにしてディザスターをして何が起きたのか分からない間に2人の戦いは終わっていた。
現段階でスレイがそのような高みに“到った”というのが想定外だし、しかもそれがスレイの力を縛るこの世界ヴェスタでというのがまたイレギュラーに過ぎる。
そして今のスレイから感じられる気配。
力の総量自体は戦いの前と殆ど変わらない。
だがあまりにも洗練されていた。
一体どれだけのステージを昇り詰めたのか、桁で数えた方がよほど早い。
それほどに技量が高まっていた。
ディザスターをして震撼させる程に。
「そうだよスレイっ!!一体何が起きたのか理解出来なかったけど、僕達が理解出来なかった、その事が異常の極致だよっ!!」
フルールもまた怒鳴り声を上げる。
超越者二匹をして異常としか言いようの無い事態。
だというのにスレイの返事はあまりにも素っ気無い物だった。
「なに、前哨戦が終わっただけさ」
『前哨戦、だと?』
「どういうこと?」
訳が分からないと言った顔のディザスターとフルールにスレイはどこか寂しげで、それでいてどこか何かを楽しみにするような、そんな矛盾した表情を向ける。
「単純さ。俺とクランドの永遠に続く戦いのその始まりが終わった、それだけの事だ」
『は?』
「え?」
キョトンと、本気で呆けて、スレイの顔とクランドの死体を交互に見やるディザスターとフルール。
仕方なくスレイはもう少し分かり易く、噛み砕いて説明してやる。
「クランドは輪廻転生の輪を超越し、更に成長して俺の元へ帰って来る。ただ単に、そういう事さ」
その言葉に、ようやくディザスターとフルールの顔に理解の表情が浮かぶ。
『なるほど、確かにこれ程の魂の持ち主ならば』
「輪廻転生の輪で、魂が拡散する事なく、寧ろ自己を保ちながら、転生して来る事も可能だね。でも成長って?」
ニヤリと笑うスレイ。
「なに、こっちも強くなって待っているから、輪廻転生の輪の中でもサボらず自分を高めて来いと言っておいた」
『……』
「……」
流石に呆れ顔を見せるディザスターとフルール。
そんな二匹を無視してスレイは独りごつ。
「で、だディザスター。今回俺が倒したのはクランドだけ。そしてそのクランドも魂が強固で決して吸収できない筈だからレベルが上がる筈が無かったんだが、どうやらレベルが上がってしまった感じがするんだが?」
『何っ!?主っ!すぐに確認しろっ!!』
「ああ、分かってる」
焦ったようなディザスターに、悠然としてカードを取り出すスレイ。
「ねーねー、何でそんなに焦ってるの?先刻の人間の極限って奴が理由?いったい何なのか教えてよ?」
先程無視された疑問が再燃したのか、再びディザスターに尋ねるフルール。
今度はディザスターも無視せず答えた。
『人とは無限を超えて存在する全ての世界の中でも脆弱な生物だ。だが一つ共通している事がある。それは無限を超えて進化していく可能性を秘めているという事だ。人の可能性の極限とはその可能性を極めた者の事だ』
「えー?でも、無数の世界を渡り歩いて来たけど、人間のそんな可能性なんて見た事ないよ?そんな可能性があるなら“真の神”だって余裕で超えられる筈じゃないか?」
フルールの疑問にディザスターは頷いて答える。
『ああ、所詮は可能性は可能性に過ぎない。幾ら可能性を持っていようと人はそれが花開く前に自滅する。故に未来永劫過去永劫現れないと思われていたのが人の可能性の極限。それがまさか、種族単位どころか、ただの個人で一世代で“到る”者が現れるとは……彼奴めは無限を超えた果て無き果てに到るまでの全ての世界でただ1人の例外であろうな……』
「ほえー、なるほどー。で、それとスレイのレベルと何の関係があるの?」
『戦いの前の会話を聞いていただろう、我は主を“天才”であると同時にその人の可能性の極限へと誘おうと考えている、だが探索者とは神々の戦力としての生体兵器を作り上げる為のシステム。染め上げられれば人の可能性を失う、そのリミットレベルが79、80に到れば人としての可能性は完全に失われる』
「そうか、それで……」
苦い顔をして告げるディザスターに、理解したフルールも苦い顔をする。
『とは言え、最上級職にはクラスアップしてもらった方が良いので、難しい所なのだが……』
そのまま続けるディザスター。
フルールは早速と言った感じに探索者カードを見つめるスレイに尋ねる。
「で!どうだったの、スレイ!?」
「……レベル的には問題無いが……少々理解し難い事態だな」
珍しく、いや見た事が無い完全に困惑を露わにしたスレイの表情に違和感を覚えながらも、ディザスターとフルールが探索者カードを覗き見ようとする。
気付いたスレイは、ディザスターにも見えるよう、カードをかざしてやる。
スレイ
Lv:49
年齢:18
筋力:S
体力:S
魔力:S
敏捷:EX
器用:SSS
精神:EX+
運勢:G
称号:不死殺し(アンデッド・キラー)、神殺し(ゴッド・スレイヤー)、虐殺者、双刀の主
特性:天才、闘気術、魔力操作、闘気と魔力の融合、概念操作、思考加速、思考分割、剣技上昇、刀技上昇、二刀流、無拍子、寸勁、寸勁(刀術)、浸透勁、浸透勁(刀術)、化勁、明鏡止水、無念無想、心眼、刀人一体、高速詠唱、無詠唱、炎の精霊王の加護、炎耐性、毒耐性、邪耐性、神耐性
祝福:無し
職業:剣鬼
装備:紅刀アスラ、蒼刀マーナ、鋼鉄のロングソード×2、ミスリル絹のジャケット、ミスリル絹のズボン、牛鬼の革のスニーカー
経験値:4833 次のLvまで67
預金:562コメル
「虐殺者」とは一度の戦いで自分のランクと比較しある程度以上のランクの敵を千体以上葬った者に与えられる称号だ、対多数の戦いで補正がかかる。
「概念操作」とは直接様々な“概念”そのものに干渉し、操作する事が可能な、“真なる神”と“天才”のみが習得可能な特性だ。
「寸勁(刀術)」とは、世界の墓場でのオウルの戦いを見て、スレイが寸勁を刀で放つ事が可能な様に作り変えた特性である。
「浸透勁(刀術)」もまた同様にオウルの戦いを見て、スレイが浸透勁を刀で放つ事が可能な様に作り変えた特性だ。
「刀人一体」も同様、ミネアのオリハルコンの操糸術の生体同化を見て、スレイが双刀用に作り変えた生体同化の技術であり、完全に刀を自らの一部と成す特性だった。
『これは……惜しいな。あと一つレベルが上がっていれば丁度最上級職へとクラスアップ出来る最低限のレベルと、最適だったのだが』
「と、言うかスレイ……この貧乏さはどうにかした方が良いんじゃ?」
「俺の場合はこれでいいんだ、金なんて使うのは女関係ぐらいだし、必要なら何時だって一気に稼げるからな」
フルールの言葉に僅かに拗ねたようにしながらも、軽く言ってのけて溜息を吐く。
「大体問題なのはそこじゃないだろう」
『ぬ?』
「え?」
スレイは、どうやら自分の戦闘時以外の平和ボケっぷりがこの超越者なペット達にも移ってしまったようだと再度溜息を吐く。
特にディザスターなどはすぐに気付いても良さそうなものだが。
仕方なく、おかしな部分を指摘していく。
「まずだ、今の戦いで新たな特性を得られなかったのはまあ仕方が無い。俺達2人が磨き上げたのはそのような物で括る事など不可能な規格外の“技”だ、それに高められた“力”自体は魂の共鳴が収まり再びヴェスタの束縛に囚われた今ほぼ元に戻っている、だからそこはいい。だが称号に虐殺者が増えているのがおかしい」
『むっ』
「ああ、ほんとだ」
ディザスターとフルールはようやく気付いたように反応する。
今回スレイが倒したのはクランドただ1人。
だというのに高ランクの敵を千体以上葬った者にのみ与えられる筈の虐殺者の称号が与えられている。
確かにこれは異常だった。
「だが、まあ。おかしいとは言ってもこれは解釈次第では成り立たない話では無いんだが……」
言葉を濁すスレイ。
だがようやく勘を取り戻したか、ディザスターもフルールも、あっさりとその意図を汲んでのける。
『つまり、今回の戦いが主対クランドとアンデッド兵達と解釈された、という事だな?』
「結果、クランドを倒した事で、クランドの力で動いていたアンデッド兵達は停止した、つまり倒されたと解釈できる。スレイは一万と一の強敵を倒したと言う事で、虐殺者の称号を獲得って訳か。うん、筋は通ってるね」
「まあ、こんな人聞きの悪い称号、無い方が良かったんだが」
納得した二匹に、スレイはただ嫌そうな顔をする。
『それで、他の問題というのは?』
緊張感を以って尋ねてくるディザスター。
さしもの鋭さを取り戻したディザスターでもこればかりは分からないらしい。
まあ、仕方の無い事だ。
これはスレイとクランド、2人だけの世界での出来事なのだから。
「簡単だ、先刻言ったのを忘れたか?俺のレベルが上がってる事自体がおかしい。先程の戦いの終り、お前達がまだ何も理解できないで居る内に、クランドの魂はほんの僅かも崩れる事なく昇天している。魂の吸収など欠片たりとて起きていない。本来俺のレベルが上がる筈が無いんだ。それが上がっているという事は、だ」
『まさかっ!?』
「え?なに?」
驚愕するディザスター、理解できないフルール。
スレイは重々しく告げた。
「俺自身の魂の総量が無から増えた……そうとしか考えられん」
『っ!?』
「…っ!?」
今度は同時に絶句するディザスターとフルール。
それがどれだけありえない事か、無数の世界を知る二匹にも、いや無数の世界を知るからこそ分かっていた。
魂の総量の無からの増加。
いや或いは魂そのものの無からの進化。
それはあまりに規格外に過ぎる事態であった。
最上級の“真の神”とて手が届く領域かどうか。
あらゆる理を超えた異常。
だが、二匹の立ち直りは早かった。
『全く、何時もながら主は規格外に過ぎるな』
「本当だよ、異常も異常、異常に過ぎるよね」
あっさりと立ち直った二匹に思わずスレイはキョトンとする。
「え?それだけか?」
『今更主が何をしてもな……』
「もう驚くだけ無駄っていうか」
「……なんだそれは?」
思わずムッとしつつも、そこに確かな信頼があるのを感じ、スレイは心に温かい物を感じる。
そして気付く。
多重に制御され、完全に意志の支配下に置かれた感情。
だが、確かに動くその感情が、支配下に置かれたままでありながら、今までよりもずっと豊かな物になっていると。
これもまたクランドの置き土産か。
複雑な心境で苦笑したスレイは、一息吐くとディザスターとフルールに大声で告げた。
「さて、クランドと彼の民達を葬送するとしようかっ!!」
何時の間にかその表情は、スレイが誰にも見せた事が無い様な神妙な物となっていた。
“空間”の“概念”を操作し、周囲に乱雑に倒れ伏す一万のアンデッド兵達を、一瞬で眠るように在る、クランドの身体の周囲に整然と、同じく眠る様な姿勢で横たえる。
その死者に礼節を払うかの如き行い。
スレイは自らに困惑する。
戦い倒し既に死んだ者は、ただそれだけの物に過ぎなかった筈だ。
ましてやもはやこの場で自らが唯一敬意すら抱くクランドの魂は既に昇天し、輪廻の輪へと還っている。
ここにあるのはただのクランドの抜け殻だ。
肉体を交えたどのような女よりも深い魂の繋がり。
それを経たが故に分かるその事実。
だというのにスレイは、この様に意味など無いだろう、形式を取っている。
自分の行いだというのに理解できない。
思わず眉を顰めたその時。
ズクン。
イメージが奔った。
魂に埋め込まれた種が僅かに芽吹く、そんなイメージ。
またもや苦笑してしまう。
クランドが遺した物。
なるほど、それは確かにスレイを変質させているらしい。
まだ今この時、微かに芽吹いたただそれだけ。
それなのにスレイは既に常に無い自分を自覚できる程だ。
「本当にアイツは」
嬉しさと怒りがない交ぜになった様な感覚。
クランドが遺した物が魂にある。
その事は素直に嬉しい。
だがそれによって変質する自らの在り様。
その今までとのあまりの違いには怒りも感じてしまう。
本当にどこまでも複雑な心境だった。
『主?』
「スレイ?」
そんなスレイの様子に、不思議そうに問い掛けてくるディザスターとフルール。
「いや、なんでもない」
微かに笑って答えると、ふとスレイは思いを巡らせた。
“天才”。
最強の“真の神”を素材とし、神々により兵器としてそう創り上げられた魂の唯一の生き残り。
それが自分。
だが、と思う。
なるほど確かにこの魂は無限の成長力を生まれ持っている。
特異な経緯での転生により魂は突然変異し、今はまだ扱えないが“絶対概念”などという力も得た。
そして。
スレイは自らの魂の中にある“意志の剣”。
イメージの中でその欠落を見る。
先程まではクランドの魂との接続により補われていたその欠落。
恐怖心。
ロドリゲーニからそれを取り戻した時。
その時確かに自分は人の無限を超えた可能性の極限。
人の究極形にして完成形にも自力で“到れる”だろう。
だが、それもまたクランドとの戦いによって鍛え上げられた物。
スレイは“識る”。
結局スレイとは始めからそうあるべくして生まれてきた存在に過ぎぬのだと。
それに比べクランドはどうだろう。
彼は生まれた時から徹頭徹尾ただの人に過ぎなかった。
民を愛し民に愛され、それでいながら優秀な為政者でもあった名君だった。
只人ながら、才のみならばかの“剣神”クロウも“鬼刃”ノブツナも遥かに凌駕すると呼ばれた剣士であった。
だがそれら全てがクランドがただ人として生まれ持った才と努力の賜物に過ぎない。
探索者という神々のシステムにすら関わっていない。
本当にただの人としてのみの人生だ。
その中で、クライスターの干渉が有ったとは言え、逆にそれをただの切っ掛けとして、自らの持つ物のみで人の無限の可能性の極限に、人の究極形にして完成形に“到って”みせた。
更にはスレイとの戦いの最後。
あの状況では仇となったが、終には“真の神”殺しにすらなったのだ。
“真の神”を殺す。
それは“真の神”の肉体を構成する、“真の全知”にとってさえ未知の構成要素に対し回復不能なダメージを与えねばならないという事だ。
クランドはそれを成した。
全てが与えられた物では無い、ただ自分が持ち合わせていた物だけでだ。
そんなクランドの攻撃で与えられた傷を容易く癒した自らの肉体に苦笑しつつもスレイは思う。
神造の“天才”であるスレイに対し、クランドとは人の中に生まれた奇跡の如き天然の“天才”なのではないか。
そうでなければ説明が付かない。
スレイはほぼ確信し、自らが対等と認めた相手の規格外ぶりを一瞬笑うと、すぐに寂寥を覗かせ、今一度瞳を閉じ、一時の別れを惜しんだ。
そう、一時の別れだ。
必ずクランドはスレイの元へと帰って来る。
分かっていても、スレイはまるで自分の一部が失われたかのような喪失感に襲われ、そんな自分に困惑する。
そう、まただ。
完全に制御できてる筈の、多重の封印で覆い隠された自分の真の感情が容易く揺さぶられる。
本当に性質が悪い。
一つ頭を振り思考を切り替えると、スレイは葬送を始める事にする。
呟く。
「クランド、既に魂を失ったとは言えあんたの肉体と、何よりあんたが愛した者達だ。最高の形で送ってやろう」
『主、何を?』
「何するの?」
スレイの気配が変わった事に気付いたディザスターとフルールの問い掛け。
スレイは答えず練り上げた魔力を今までにない精緻なレベルで制御する。
素粒子単位に全次元に渡って織り込まれた魔術文字を無数に展開、全次元・全時空間・全位相の広がりを利用した立体型且つ積層型の魔法陣を無数に創り上げ連鎖させる。
あまりにも広大な広がりを持つその魔法の現出地点をただこの場所のみに限定し、放出口としての魔法陣を1万と1の死体の上に展開する。
そして黄金が天すら灼いた。
真火。
神の炎たる神火すら遥かに越える真なる炎。
使い手の望む全てを焼滅させ、使い手の望まないものは欠片も焼かない自在なる炎。
不死不滅すら容易く滅する矛盾の火。
何よりも神聖な、送り火に相応しい、最高位の焔。
ジンに対し使った時とはその制御も威力も段違いだ。
まずは既に魂を持たぬただの肉塊と化したクランドの肉体を、それでも尚丁寧に、ただの物質に過ぎぬその全てを霊的に昇華するかのように灼いていく。
その全てが輪廻の輪の中に在るクランドに届く様。
欠片も残さず彼の魂の元に送り届けるように。
厳かな儀式の如く行われる黄金の炎による葬送。
ただの黄金では無い。
その色はもはや霊的進化の極みの果て、その先を示す色だ。
さしものディザスターとフルールも、その幻想的な光景と、どこまでも厳粛な雰囲気に息を呑む。
そしてクランドの肉体の全てを灼き尽くすと、僅かにチリッとしたものを胸に覚えながら、スレイは続きに取りかかる。
黄金の炎が触れたその時から。
いや、クランドとの戦いに夢中だったから気にしなかっただけで、遥か遠くに在る時から気付いていた。
ここに在るアンデッド兵達の死体。
彼らは確かにクライスターの支配を断ち切られ、クランドに従っていた。
だがそれはただの意思無き人形として。
確かにS級と強い力を備えてはいた。
自律してそれを使い、戦闘に対応してみせさえする戦闘本能は有った。
しかしその実、彼らの肉体どころか魂まですらクライスターの力に汚染されていた。
分離不可能なまでの不可侵の融合。
邪神の力に染め上げられた彼らは本来ただ朽ち地を汚染するのみ。
死体も魂も浄化され消滅させられるしか手は無い。
輪廻の輪に還る事など不可能だ。
……本来であれば。
だがここにはスレイが居た。
スレイはまたも自らの心の動きに困惑を覚える。
まるでアンデッド兵となった者達を哀れむような心の動き。
そしてそれを救おうとしている己自身の行動。
幻視する芽吹いた種。
本当に、どこまでも……。
苦笑する。
いや、苦笑するしかない。
本当に自分はクランドにより変質させられ始めているのだと理解する。
何よりも性質が悪いのはそれを不快に思えない事だ。
抵抗する気も起きない。
スレイは心を研ぎ澄ます。
極限の集中。
『ぬっ?』
「ほぇ?」
ただそれだけで周囲の雰囲気が更に変化する。
またも惑うディザスターとフルール。
そしてスレイは……真火を支配した。
今までもスレイの意志に従い真火は燃えていた。
だがそれとは違う。
この1万の死体を覆い尽くす黄金の炎の全て。
その素粒子よりも更に細かい極致の単位に到るまで、一つ一つを意識し、完全に己が意志の元のみで動くようにしたのだ。
どっ、と襲い来る負担。
先程までの、クランドと戦っていた時のような。
或いはかつての世界の墓場のような。
この、ヴェスタという世界の束縛を受けていない状態であれば問題無かったであろう。
だが今の状態ではこの負担はかなりのものだった。
それでもスレイは表情一つ変える事は無い。
1万の死体に浸透した真火を通して、死体と魂の状態を把握する。
同時にそのまま作業に取りかかる。
死体と魂に融合しているクライスターの力。
それを死体にも魂にも欠片も損傷を与える事が無いように、焼滅させ取り除いていく。
1つ1つの死体でも信じられない程の難易度のこの作業。
スレイは思考を無数に、今までにない程に分割し、更に加速し、1万の死体全て同時に処置していく。
黄金の炎に混ざった邪神の力は、その黄金を僅かたりとて染める事なく瞬時に消え去っていく。
実際には一瞬。
だがスレイにとっては。
そしてスレイと同じ体感時間で感じていたディザスターやフルールにとってみれば、相当に長い作業であった。
それほどの手間を掛けて、ようやく邪神の力は1万の死体からも魂からも完全に取り除かれた。
ならば後は仕上げだけだ。
スレイは今までに無い程に集中する。
刹那。
黄金の焔は、天を灼く、どころか天すら突き抜ける程の巨大な柱としてそそり立った。
瞬時に焼滅していく1万の死体。
輪廻の輪へと送られる1万の魂。
「あんたの民の為の送り火だ。これが今の俺に出来る最高だ、受け取ってくれ」
その先に居るだろうクランドに語りかけると、スレイはそのまま暫しこの天地を貫く巨大な黄金の炎の柱を維持し続けた。
暫し経ち。
既に黄金の炎は消え、その場には何も無かった。
いや、二つ残っている物がある。
『アレはクランドの太刀?』
「それにクランド軍の軍旗?」
「ああ、あれは俺がわざと残した」
軽く笑ってそう告げると、スレイはまず太刀の元まで歩み寄る。
そして手に取り逆手に持ち、振り上げると、一気に地面に突き刺した。
同時に、現状の自分に出来る最適な手段であろう概念操作で太刀を完全に“固定”し、真の主のみが抜けるようにする。
「これでいい。これはアイツの物だからな」
笑って言うと、今度は軍旗の元へ歩いて行き、それを担ぎ上げる。
「それに、まあ。約束は果たさないとな」
振り返り、ディザスターとフルールに告げる。
「さて、それじゃあとりあえずノブツナの城に戻るとするか」
『あ、ああ』
「う、うん」
やはり、そう言うスレイの雰囲気もまた常とは違い、ディザスターもフルールも困惑を隠せない。
そんな二匹に笑いながら、空いている手をクランドの太刀に向けて振り、スレイは軽く、呟くように告げた。
「それじゃあな、早く帰って来いよ。俺のただ1人の永遠の好敵手」
声は柔らかく優しく、それでいて渇望が籠っていた。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城敷地内”ノブツナ一家の住居たる平屋敷
クランド軍がスレイの手で討伐された事は、家臣の一部が勝手にスレイに付けていた監視の手によって一足早くノブツナの下に報告されていた。
最も監視者達はいきなり転移させられたという事で、暫く何が起きたのか分からず呆然とし、それでも報告が遅れたのだが。
その上、討伐の経緯については、ただスレイがクランド軍の近くに辿り着いたと思ったら、既にクランドとアンデッド兵達は全て倒れ伏していて、全く何が起きたのか分からない。
ただクランド軍が全滅した事だけは間違いないと思われる。
そんなはっきりとしない報告だったが、ノブツナは、まあそんなものだろうと思う。
あの青年スレイとクランドが本気で戦ったならば、そもそも他の存在にその戦いを認識できる筈もない。
そう、あっさりと納得できた。
家臣の者がノブツナに黙って監視を付けていた事も不問に付す。
そもそも彼の者はこの国に縁も無ければ知られてもいない者。
ノブツナは独自の判断で信用したが、客観的に考えれば疑い、監視を付けるのはむしろ当然の事と言える。
国の為に当然の事をした家臣を罰するなど以ての外だろう。
何より監視者達がそのまま役割を果たせたと言う事は、あのスレイという青年に黙認されていたという事だろう。
クランド軍討伐後に転移させられたのもスレイの手によるものに違い無い。
見たい物は見せてやったから失せろ。
そんなところだろうと、苦笑する。
尤も、黙認と言えば黙認だが、クランドとの戦いを前にしてただどうでも良かったなどとまでは想像の埒外だったが。
「しかし、そうか。クランドの野郎を討ったか……本気でとんでもねぇクソ餓鬼だなぁ……」
どこか温かい苦笑を滲ませつつも、寂しさを感じさせるノブツナの表情は報告に上がった家臣を困惑させていた。
だが間もなくだった。
突然城内どころか国中が騒ぐ様なとんでもない事態が巻き起こる。
遠方。
かつてクランド軍の居た方向に立ち昇った天地を貫く巨大な柱の如き黄金の炎。
国中が混乱し不安から暴動が起こりかねない天変地異に等しい現象だ。
現に目の前で明らかに怯えたような様子の家臣を見ながらノブツナは息子を呼ぶ。
「ノブヨリ」
「はい」
予め分かっていたかの様に控えていた息子に、我が息子ながら出来すぎだろうと苦笑するノブツナ。
本当に、なんで血縁の他の全員がシズカすらも含め武闘派のシュテン家に、こんな天才児が生まれたのか疑問すら覚える。
ノブヨリは何も言われずともノブツナの意を汲み、躊躇う事無くあっさりと家臣に告げる。
「貴方はヤシロ家のデンガクでしたね?」
「は、はっ!!」
主君の息子にあっさりと名前を呼ばれ思わず平伏する家臣、デンガク。
元々、家臣の中でそれほど高い地位に居る者では無い。
だからこそ今回の監視も自らの評価を上げる為と先走ったのだが……。
ノブヨリは分かっていながら敢えてそれには触れない。
デンガクの方がそんな自分の名を覚えていたノブヨリに感激すらしている。
思わず単純な物だと苦笑してしまうノブヨリ。
元よりこの城内どころか国内の主要な家臣の家系の者は全て頭に入っている。
何せ幾らでも利用法はある、このような利用法など最も単純な部類に過ぎない。
だがそれが功を奏するのなら何も問題無い、寧ろ都合が良いので何も触れずにそのまま続ける。
「何も問題はありません、これはあのスレイ殿の手によるものでしょう」
敢えて恐れる、とは言わなかった。
そのような相手のプライドに触れる言い方をして、無駄に反発心など抱かせる必要も無い。
「はっ?あ、あのような小僧が」
「んんっ!!」
「し、失礼しましたっ!!す、スレイ殿がですかっ!?」
思わず本音が出ていたデンガクに、ここはノブツナが喉を鳴らし軽く注意を促す。
それで思い出したのだろう。
スレイは謁見の間で公にシズカの婿候補の立場になっているという事を。
慌てて言い直すデンガク。
ノブツナもノブヨリも重ねて何か言う事はしない。
無駄に事を荒立てても良い事は無い。
無論、それが必要な場面ならば、如何な忠臣やどのような立場の者でも容赦無く処断しなければならないが。
だが、今はそれが必要な場面ではない。
いや、むしろこのデンガクという男、使い易いとノブヨリは感じる。
野心があり才覚もある者なら、クランド軍を倒したスレイの力に目を付けない訳が無いし、ならばあの炎の柱とスレイを結び付けない訳も無い。
つまりこのデンガクという男、野心はあっても才覚は無いようだ。
重要な仕事には使えないが、餌さえぶらさげてやれば思うように操れる。
まあ尤も、才覚に優れるなどという半端なレベルでない、“本物”であれば、自分の身を滅ぼすと覚り、スレイのような化物には触れようともしないだろうが。
頭の中でデンガクの将来的な使い道を探りながらもノブヨリは命じた。
「ええ、何せかのクランド軍をただ1人で討伐した超一流の戦闘者、モノが違います。ですが事情を知らぬ国の民衆達は今混乱している事でしょう。ですので、あの炎の柱は国主ノブツナが娘シズカの婿である、大陸でも有数の探索者“黒刃”スレイ殿が、クランド軍を討伐した報せだと、他の家臣達にも伝え、急いで国中に触れを出して下さい」
「は、ははっ!!」
「これは一刻を争うのですぐに行動を」
ノブヨリの促す一言に、慌てて立ち上がったデンガクが一礼すると、そのまま急いで立ち去って行く。
そんな様子をやはり苦笑して見ながら、ノブツナはノブヨリに告げる。
「本当に良く考えるもんだな、クランド軍を討伐した報せねぇ」
「ははは、嘘も方便ですよ。それに、あながち間違ってもいないでしょう?」
「まあ、そうだろうよ。多分これはクランド達への送り火ってとこだろうな。随分と盛大な送り火だ」
そう言いながらも黄金の炎の柱を見つめるノブツナの瞳に色んな感情がよぎるのを見なかったフリをし、ノブヨリは返す。
「何にしても、本当に規格外な人ですね」
「違いねぇ」
父子は分かり合ったように苦笑を交わすと、そのまま2人、炎の柱に見入るのだった。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城”城下町
スレイの帰還は異様な雰囲気に包まれたものであった。
城下町。
既に遠方から見えていたクランド軍の軍旗に慌てて混乱しかける民衆達。
だが御触れの事もあり間もなく落ち着きを取り戻す。
僅かに時を置き見えてきたのは蒼く美しい狼を足下に従え、右肩に白く愛らしい小竜を乗せ、左肩にクランド軍の軍旗を掲げた1人の青年であった。
民衆達は、これが触れにあった国主の娘の婿殿かと好奇心を露わにし、同時にこのような青年がただ1人でかのクランド軍を討ったという事に思わず疑問を感じる。
だが、紛れもなく青年はただ1人、クランド軍の軍旗を持ち、悠然と城下町へと歩いて来る。
御触れにクランド軍の軍旗、これは間違いないだろうと、思わず民衆は歓声を上げて青年へと駆け寄ろうとするも、途端気付いた。
身体が動かない。
誰もがそうだった。
民衆達は混乱するも、パニックも起きない、いや起こせない。
そもそも指先一つ動かす事が出来ないのだから。
そして程なく民衆達は異常の原因に気付いた。
青年だ。
黒尽くめの青年は、大陸の人間だけあり顔の造りはディラク島の人間とは違うが、それなりに整っているとは分かる。
肉体のバランスは理想的だろう。
だがそんな外見の問題では無い。
どこか妖しく壮絶なまでの美がその雰囲気から感じられた。
寂寥を感じさせる、一種の儚さ。
重圧を感じさせる、圧倒的な力。
他にも様々な物が混ざり合い、全てを惹き付けて離さない凄絶なオーラを発していた。
動けない中でも魅入られる民衆達。
そのまま悠然と、周囲など目に入らぬかのように真っ直ぐに城へと向かう青年。
青年が通り過ぎた後、何かから解放され動けるようになった民衆達は、しかし暫くの間、まるで魂でも抜かれたかのように呆けているしかなかった。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城”城門
城下町からクランド軍の軍旗が城に向かって来る。
その報せを聞いたシズカは思わず城門へと走っていた。
そのまま待ち続ける事暫し。
シズカは帰ってきたスレイを見て驚愕する。
シズカもまた民衆達と同じようにスレイの妖しくも美しいオーラに魅入られ動けない。
だがシズカはスレイの姿に民衆達とは違う物を見ていた。
今までに見た事の無いような弱々しさ。
まるで自らの半身を失ったかの如く深い寂寥感を感じさせる横顔。
彼の姿など、傲慢で、自分勝手で、どこまでも気儘で。
そんな姿しか知らなかったのに。
どこまでもその姿勢に歪みは無く真っ直ぐで、内包され溢れだすちからはどこまでも底知れない。
だというのにどこか物悲しい。
そのまま動けないシズカも門番も無視して堂々と城内へと入っていくスレイ。
何故かそんな姿に心が痛む。
俗に言う母性本能という物が刺激されているのだと、シズカ本人は気付かずにいた。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城”天守
ノブツナの城に入ったスレイは、そのまま全てを無視して真っ直ぐに天守に向かう。
途中で出会った誰もがスレイの前で動きを止め、スレイを制止する事は出来ない。
ディザスターとフルールもスレイの心中を察してか、無言で付いて来るのみだ。
そのまま天守へと入ったスレイは、ただひたすらに上へと登っていく。
そして最上階へと辿り着き、強引に屋根へと登ったスレイは、天守の頂点へとクランド軍の軍旗を掲げた。
そして最後に一つなすべき事をなす。
天守に居た兵士、その1人へと告げる。
「すまないがノブツナに、迷惑を掛けて申し訳ないが全て頼む。と伝えてくれ」
だが、その兵士が動かない事に眉を顰め、ふと自分の発しているオーラが全ての動きを封じている事に気付くと、その兵士にだけ一時的に行動可能なように活を入れた。
「喝っ!!」
スレイの怒声により全てから解き放たれる兵士。
そのまま恐怖の視線をスレイに向ける兵士にスレイはただ一礼して再度告げた。
「頼む」
「は、はい!!」
怯えながらも返事をすると、その兵士は慌てて駆け出す。
スレイの頼みを聞いたというより、恐怖のあまり逃げ出したようなものだ。
恐らく自分では判断できない事態に上に判断を仰ごうと言うのだろう。
まあ、ノブツナに伝わるのならばそれでいい。
そのままスレイは天守の頂点に戻ると、軍旗を掲げたまま瞳を閉じ、独りごつ。
「約束通りのお前の民への弔いだ。まあ、これで勘弁してくれ」
そうして微かに口元を緩めると、スレイは目を開き、天を仰ぎ、其処に在る輪廻の輪の流れ、ただひたすらにそれを渇望するように眺め続けるのだった。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城敷地内”ノブツナ一家の住居たる平屋敷
「『迷惑を掛けて申し訳ないが』なぁ?」
何か変な物を呑みこんでしまったかのような顔で報告を受けるノブツナ。
思わず傍に居たノブヨリに尋ねる。
「あのクソ餓鬼が言ったとは信じられんのだが、どう思う?」
「正直、私も信じられませんが、事実は事実です。クランド殿との戦いで何か思うところがあったのでしょう。元よりこの城で始めて出会った時から、父上達から聞いていた話とは違う様子でしたし……本当に、スレイ殿とクランド殿、2人は互いに運命だったのかも知れません」
同じく変な物を呑みこんだような表情をしていたノブヨリが答える。
「……それ以外、ねぇか。クソ……いや、スレイの野郎、そうか、更に上に昇ったか……」
どこか遠い目をするノブツナに、ノブヨリがからかうように尋ねる。
「一剣士としては悔しいですか」
「ああ、悔しいぜ」
あっさりと認めたノブツナに驚くノブヨリ。
「隠したって仕方ねぇ、ただでさえ会った時からスレイの野郎はクソ親父より強かったんだ、それがあの世界の墓場、そしてクランドとの戦い。いったいどこまで行きやがる。クソッ、もどかしいなあ、おい」
「父上、申し訳ありませんが、父上にはただの一剣士でいてもらう訳には」
「わかってる」
どこか悔しそうなノブツナを諫めようとするノブヨリだが、あっさりとノブツナは頷いた。
「俺は国主だ、国主として成すべき事をしなけりゃなぁ。さしあたっちゃあ、まあ今回の件だな。おい、お前、国中に触れを出すように伝えろ。天守の頂点に掲げられたクランド軍の軍旗は、クランド軍を討った国主ノブツナの娘シズカの婿スレイが自らの勝利とクランド軍の討伐を知らしめる為の誇示行為だってな」
「……父上?」
「は、はいっ!!」
ポカンとするノブヨリに、慌てて退出していく兵士。
ノブヨリは本気で驚いていた。
これはかなりの良い手だ。
スレイの感傷を許しつつ、国民にはむしろ国の威信を上げる行為として使える。
だが今までノブヨリに全てを任せてきたノブツナが一瞬で判断を下すとは。
「まあ、俺もスレイの野郎に言われたように、何時までもグレた餓鬼じゃあいられねぇからなぁ。クソ親父共と違ってちゃんと国を背負うと決めた以上、今までの半端な立ち位置は確かに餓鬼だったぜ、クソッ」
「父上……」
ノブヨリは思わず納得していた。
そうだ、自分の父は、剣の道に生きながらも祖父母とは違い国から逃げなかったのだ、ただ最後の一歩、その一歩を踏み込めなかっただけ。
今の父であれば理想の国主とも成り得ると思う、自分はそれをサポートすれば良いと。
そんな中、ノブツナはただぼんやりと一言告げた。
「さぁて、あとはまぁ、シズカの奴がどう出るか、かねぇ、問題は」
「……はは、は……それは確かに問題ですねぇ」
父子は、自分達の家族の女性達の気性を思い、思わず乾いた笑いを浮かべるのだった。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城”天守の屋根
あれからスレイは天守の屋根の頂点で軍旗を掲げたまま、日が暮れても天を仰ぎ続け。
夜。
天守の屋根に軽やかに登ってきた者が居た。
そもそも当の昔に気付いていたのでスレイは特に反応しない。
正体も分かっている。
シズカだ。
彼女も探索者だけあり、その登って来る動きは軽やかなものだった。
だが、屋根の上で足を崩し、ペット二匹を侍らせただ天を仰ぐスレイを見て思わず一瞬動きを止める。
昼間見た時にも感じてはいたが、あの時はより喪失感、寂寥感を感じ、それほど強くは意識しなかった。
だが、今、この夜の星空の下、天を仰ぐスレイを見て強く理解していた。
クランドとの戦い前とのその違いを。
スレイの見た目自体はそこそこ整った程度の物に過ぎない。
そこに以前までも分かる者には分かる、圧倒的な力から来る凄みのような物は溢れ出ていた。
だが今のスレイは誰もが魅入られるような凄艶なオーラさえも醸し出している。
ただの一日で人がこうまで変わる物かと、シズカも戸惑いは隠せない。
しかしそれ以上に、シズカ自身も無自覚な庇護欲が、母性本能が勝った。
シズカはそのままスレイの傍に歩み寄ると声を掛ける。
「何をしているんですか、スレイさん?」
「さて、なんだろうな?」
本気で自分でも分からないと言った様な茫洋とした答えだった。
スレイは、今、此処を見ていない。
そう強く感じ、何故か迸る怒りが突き動かすままに、シズカはスレイに問い掛ける。
「ところでスレイさん、私を抱かないんですか?それが今回の貴方に対する報酬だったと思うんですが」
「んー、今はそんな気になれなくてな」
スレイの知人の殆どが目を剥く様な言葉だ。
現にディザスターやフルールなどは思いっきり目を見開いていた。
シズカは驚きよりもますます怒りを感じ、低い声で続ける。
「……自分から求めてきておいて随分な言い草ですね、私はそんなに魅力がありませんか?」
「いやシズカは十分以上に魅力的だと思うぞ?ただこれは俺自身の問題でな」
「……まるで、自殺でもしそうな程に沈んだ雰囲気ですね?」
少しばかり皮肉を込めて言った、だけど僅かに本音も交えたシズカの台詞。
予想外に本気で目を丸くして驚くスレイ。
その反応にシズカの方がより強く驚いてしまう。
「良くそこまで分かるな。いや、別に実際自殺しようとかそういう訳じゃないぞ?ただ、あいつと、クランドとあのまま戦い続けられるのなら、他の全てを捨ててもいい、あの時はそう思っていたってだけだ。そして今もまだ俺の心は多分あの刻に置いてきたままなんだろうな……多分、あいつが帰って来るその刻まで、ずっと」
寂しげな微笑。
スレイにはあまりにも似合わないその表情を見た途端だった。
バシィーンッッ!!!!
突然頬から鳴った音にスレイは驚く。
シズカが思いっ切り平手ではたいていたのだ。
無論スレイは痛みなど感じない。
むしろシズカの方が掌を赤く腫らして痛いだろうにとただ茫洋と眺めやる。
そんなスレイに、シズカは自分でも理屈にもなっていないと分かる無茶苦茶な台詞を、強く輝く、それでいて潤んだ漆黒の鋭い瞳でスレイを睨みながら、抑え切れず、ただ感情のままに叩きつける。
「良く分かるな?分かるようにしたのは貴方でしょうっ!!勝手に人の心に土足で踏み込んで踏み荒らして置いて、自分がどうでもよくなれば、ハイさようなら、ですかっ!?随分と酷い無責任な男ですねっ!!惚れさせたなら惚れさせたその責任ぐらい取りなさいっ!!」
正直シズカ自身が脈絡すら無い、意味不明な事を言っていると感じていた。
だがスレイは心に強い衝撃を受ける。
平手などは響かなかったが、その言葉は……いや、言葉自体は確かに脈絡が無い。
だがそこに込められた感情はスレイの胸にズシンッと響いた。
何をやってるんだ俺は。
思わず自嘲の笑みが零れる。
そもそもあらゆる世界の美女・美少女とよべる存在を全て自分の女にして幸せにするんだろう?
その上でクランドが成そうとした理想の礎を世界に築く。
野望も理想も両立する。
その程度のやってのけなければ、クランドが生まれ変わって来るまでの繋ぎ役にもなれん。
あいつが帰って来た時に会わせる顔も無い。
だいたい俺は“誰”だ。
何を勘違いしてた?
凄艶なオーラはそのままに、そこにどこまでも不敵で大胆な力強い圧力が加わる。
瞳が凄絶なまでに輝く。
別にスレイ自身、そこまで呆けていたという訳では無い。
あらゆる能力に衰えは無く、思考も当然同様だ。
ただ、そう歯車が一つ噛み合わなくなっていた、そのような物だ。
その歯車が、今の一発で完全に噛み合った。
スレイは口端を吊り上げ笑みを浮かべる。
そのままシズカを抱き寄せ、その両目からついには零れ出ていた涙を舐め取り、赤く腫れた掌を指先の隅々に至るまで嘗め尽くす。
「んっ」
頬を赤くして声を漏らすシズカ。
随分と良い香りがしていた。
入浴後なのだろう。
先程までも漆黒の長髪に白磁の如き白い肌と白い夜着のコントラストが映えて実に色っぽかったが、今はスレイに感じさせられた事でその白い肌が紅潮し、なお艶かしかった。
「い、いきなり何をっ!?」
「ん?手当てだが?」
スレイの言葉に違和感を感じ掌を見やったシズカは驚愕する。
掌の腫れが完全に引いていた。
シズカも探索者という事を割引いても、スレイという強者に対し少しでも届かせるために、その探索者の力を全開にしてはたいたダメージだ。
それなりのものだった筈だ。
そんな驚愕を無視してスレイはシズカを強く抱き締める。
「シズカ。お前、本当に良い女だな」
「な、何を今更。他の女の人にも同じ様な事を言っているのでしょうっ!?」
「それとお前が良い女なのとに何か関係があるのか?」
「え?い、いえ、ありませんけど」
あっさりと言い包められるシズカに思わず苦笑いするスレイ。
いや、シズカが悪いのではない。
自分がそう仕向けているとスレイは自覚している。
それと同時に、スレイ自身は紛れも無く自分の女全てを本気で愛しているが、それがエゴという事も自覚していた。
だが、そのエゴを引っ込めるつもりも無い。
「今すぐ抱きたくなった、抱いていいか」
「だから何を今更、それが条件じゃ、ってっ!?こ、ここでですかっ!?流石にそれはっ!?」
慌てるシズカを可愛く、愛おしく感じながら軽く告げる。
「ああ、問題無い」
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城”客室
同時、スレイとシズカの2人はスレイに用意された客室に居た。
当然、ペット二匹はいない。
密かに念話で軍旗を任せておいた。
「え?え?転移の魔法?でも構成の時間も魔力も」
「迷宮探索で雑魚共を飛ばしてただろう?概念操作だよ」
軽く言ってのけるスレイにシズカは溜息を吐く。
「……やっぱり、無茶苦茶です」
「それが“俺”なんでな、お前達俺の女にはそんな“俺”に最後まで付いてきてもらうさ」
「もう」
どこか仕方なさそうな、それでいて優しい母性に溢れた声でシズカは言った。
「本当に、仕方のない人」
シズカの瞳には、包み込むような優しさがあった。
らしくもなく気恥ずかしさを覚えたスレイは、咄嗟に真剣な表情で、少しばかりムードを壊すような事を敢えて告げる。
「さてシズカ、俺はこれからお前を抱く。当然俺がお前を欲しいからだ。だが、少しばかり事情が変わった」
「事情、ですか?」
キョトンとした表情のシズカ。
「今の俺にはそれ以外の意味も持ってしまったんだ、お前を抱くって事はな。お前はもはや名実共にこのディラク島を統一したノブツナの娘だ。そのお前を抱く事で、ディラク島に打ち込む楔の一つとする。今は邪神からの世界の防衛の為の、将来的には世界の理想の為の楔にな。つまりお前を利用するって事だ」
あえて露悪的に言ったスレイの台詞に、だがキョトンとしていたシズカはまた柔らかい母性に満ちた優しい笑みを浮かべると軽く告げた。
「でも、それは結果で、結局はスレイさんが抱きたいから私を抱くんですよね?」
「……そうだ」
あっさりといなされ、思わずまた気恥ずかしさを覚え、顔を逸らしかけるスレイ。
だがシズカは両手を伸ばし、スレイの両頬に添える。
「スレイさん、好きです、愛してます。多分、貴方の思い通りに誘導されたんだと分かってはいますが、それでも紛れも無くこれは私の本当の気持ちです。私を見て、私を抱いてください。……んっ!?」
思わずスレイは強くシズカを抱き締め唇を交わす。
舌を入れ、全く不慣れなシズカを導きながら、両手は巧みにシズカの身体を愛撫する。
それだけではなく、性感を高めるように精緻に魔力と闘気すら用い、クランドとの戦いの中でコツを掴んだ魂の同調を使い、完全に合一可能だった運命の相手であるクランドの様にはいかなくとも、それなりに魂を共鳴させ、互いの境界線すら犯していく。
そして暫く。
もはや自分では立つ事も不可能になったシズカを布団に横たえ服をはだけるとスレイは告げた。
「行くぞ」
「……はい」
頬を染め瞳を潤ませ、どこか茫洋としながらも恥じらいを見せつつ頷くシズカ。
そしてスレイは、最後の抵抗を破り、シズカの中へ自らを沈めていった……。
早朝。
当然の如くシズカより先に目を覚ましたスレイは、シズカの頭の下から優しく腕を引き抜くと、布団に残る様々な液体、特に赤い血の跡を見て思索する。
特に慌てる事は無い。
なぜならこれは向こうが敢えて見逃した事なのだから。
ただ、後手に回るのは気に入らない。
それに、最後にクランドでは無く、あくまで自分自身が確かめる必要があるだろう。
向こうとてスレイを確かめたいと思っている筈。
ならばやる事は決まっている。
立ち上がり、身支度を整えていく。
そうしながら念話でディザスターとフルールに語りかける。
一晩、クランド軍の軍旗をこの地に掲げた。
弔いには充分だろう。
僅かばかり最後に黙祷を捧げると、ディザスターとフルールに軍旗を処分するように告げる。
そして最後に眠るシズカを見て優しく笑いかけると、先手を取って自ら向こうに赴く事にした。
【ディラク島】ノブツナの国“ノブツナ城”謁見の間
「いったいどういう事ですかっ!?」
思わず叫ぶシズカ。
現在謁見の間に居るのはシズカにノブヨリにトモエ、それにディザスターとフルール、そして最後に謁見の間の中央で互いに木刀を構えて対峙するスレイとノブツナだけだ。
ちなみにスレイが持つ木刀は一本の上、その木刀を大上段に構えている。
かつて見たスレイの戦闘スタイルとは違うその姿に、僅かに苛立ちを覗かせ、文句を付けようとしていたノブツナだが、そんなシズカの言葉に一端文句を呑み込み、スレイを顎で指しながら告げる。
「ああん?理由だったらスレイに聞け。何せ全部そいつが言い出した事なんだからよぉ」
「スレイさんっ!?」
シズカに睨まれ肩を竦めると、僅かにノブツナを睨み、やれやれとばかりに文句を言う。
「全てを俺の所為にするのは不公平じゃないか?互いに話しあって決めた事だろうに」
「俺ぁ娘に弱い」
胸を張って言い切られたその言葉に、今度こそ本気で溜息を吐くとシズカに答える。
「これは互いに相手を確かめ合う必要な手順なんだよ。手段がこれなのは互いに剣士だから。謁見の間で行い、見届け人がこれだけなのは、流石に国主の敗北を公に家臣達に見せる訳にもいかんだろう?」
「……言ってくれるじゃねぇか」
こめかみに青筋を浮かべつつも、決して声を荒げないノブツナ。
成長したものだとスレイは感心する。
「だからっ、確かめ合うって何をですかっ!?」
再び叫ぶシズカ。
ちなみにトモエとノブヨリはそんな様子を苦笑して見ているだけだ。
ペット達に到っては完全に寛いでいる。
「ふぅ、ノブツナが確かめたい事なんて決まってるだろう。俺がお前の男に本当に相応しいかどうかだよ」
「ふぇっ!?」
突然の、予想もしない言葉に、素っ頓狂な声を上げるシズカ。
そんな声と表情も可愛いななどと色ボケしつつも続ける。
「そもそも昨晩の事が知られてないとでも思ったのか?城内の事だぞ?」
「え?ええっ!?……あぅ……」
驚きの声を上げた後、周囲を見て、どこか生暖かい視線に晒され、思わず弱い声を上げて顔を赤らめ、縮まるシズカ。
やはり可愛いなと思いつつもスレイは続ける。
「まあ、父親としては当然だろうな。で、だ、俺はノブツナが、クランドが想ったこのディラク島の未来を託すに足る国主かどうか、俺自身の手で確かめたいと思った。それだけの事だ」
「ふぇ?」
今度は本気でただキョトンとした声を出すシズカ。
だが、ふと思い出したように大声を上げる。
「ディ、ディラク島の未来って!!そ、そういえば昨日も似たような事をっ!?いったいどうしちゃったんですかスレイさんっ!?」
「いや、まあ。確かに自業自得っちゃあそうなんだが……ふぅ」
思わず項垂れるスレイ。
確かに今までのスレイの行状を考えれば、女関係など変わらない所はあれど、何かに目覚めたかの様なスレイの姿は、奇妙な物に移るだろう。
と、言う事はだ。
大陸の他の女達も間違いなく同じ様な反応をする。
思わず気が抜けそうになるスレイ。
だが、ただ一言だけ答える事にする。
「まあ、任されてしまったんでな」
「え?」
疑問を顔に浮かべるシズカだが、スレイはそれ以上は続ける気は無かった。
「で、だ。ノブツナ、文句があるなら聞くぞ?」
「ああ、スレイてめえ、なんで木刀が一本、しかもそんな大仰な構えを取ってやがる。お前は二刀流で無構えが本来のスタイルだろうが」
軽く促してやると、ノブツナはやはり声を荒げる事無く、しかし強い調子で尋ねてくる。
スレイは軽く笑って答えた。
「ああ、理由は簡単だ。確かに確かめるのは俺自身だ。だが確かめ方はクランド流でやらせてもらう。これはクランドの遺志なのでな。ノブツナ、お前にクランドの極めた技の一つを見せてやろう」
「ほぅ?」
ノブツナは、今度は本気で純粋な興味の視線をスレイの構えに注いで来た。
そう、かつてのクランドがノブツナと戦った時は国主としての覚醒を促す為の戦いをした。
クランドの真の技などは見せていない。
それをスレイは“識”っている。
だからこそ、スレイはこの“技”を選んだ。
「さてルールの確認だ。互いに身体強化は無し、木刀は強化する、それでいいだろう?」
「ああ」
「さてノブツナ、一つだけ宣言しよう。俺とお前では敏捷は互角、他のステータスはだいたいお前の方が上だ。だがこの一撃、お前より遥かに疾いぞ?」
「ほぉう」
ノブツナの瞳が鋭く細められる。
スレイの事もクランドの事も知るノブツナだ。
疑ってなどおるまい。
逆にそこに真実を感じたからこそその闘志が鋭く研ぎ澄まされる。
張り詰める緊張感に、もはや黙り込むしか無いシズカ、それに他の観客達。
合図は無かった。
ただ両者が瞳を交わしたその時に、戦いは始まり。
……そして一瞬で終わった。
木刀を振り上げているノブツナ。
その木刀はスレイの木刀に触れている。
しかし、既にスレイの木刀はノブツナの頭部へと達していた。
そのまま暫し膠着する2人。
だがスレイはあっさりと木刀を引くとノブツナに告げた。
「見事だノブツナ。まさか俺の木刀に触れる事が出来るとはな。俺たち剣士にとって刃を交える事こそが何よりも雄弁な会話。今のお前ならディラク島の国主として申し分無いだろう」
そんなスレイの言葉にようやく動き、木刀を下ろしたノブツナは苦笑し告げる。
「抜かしやがれ。ああ、負けだ負け。お前をシズカの相手に認めるしかねぇなぁ。しかし全くよぉ、今のぁ何だ?明らかに“違った”だろう」
思わず尋ねてしまう程、スレイの今の一撃は異質な物であった。
ただ振り上げた木刀を振り下ろす。
それだけの動作。
間違いなくそれだけだと言うのにだ。
「何、何も持たなかったクランドが、ただひたすらに“一”を極めた果ての“技”の一つだ。そもそもにして理屈の通用するような物じゃない。本当にあいつは凄いな……」
最後の一言に込められた万感の想いに誰もが黙り込む中、スレイはそのまま続ける。
「さぁてと、まだディラク島にはやり残した事があるな。九尾の狐を説得しないと。勿論許可してくれるんだろ?」
「あ、ああ。そりゃあ、まあ、条件もクリアしたし、何も文句は付けられねぇが。どうしたんだいきなり?お前、やる気なかっただろぉが」
「事情が変わったんだ」
突然の事に唖然とするノブツナに肩を竦めて告げるスレイ。
「九尾の狐はディラク島に打ち込むべきもう一つの楔だからな。それに俺自身の野望もまあ果たさないとな。理想と野望の両立ぐらいできなきゃ話にならん」
独り言のように告げられた内容は、周囲の者達には理解ができず、彼らはただ困惑するだけだった。
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