ディザスターとフルールを伴い、シズカの飛翼の首飾りを用いた転移で訪れたディラク島。
まず到着したのは当然シズカがマーカーをしているシズカの部屋であった。
大陸では見ないディラク風の室内。
もし真紀達が見ていたら微妙な違いはあるがまるで和室だと言っていただろう。
その造りと広さの中茫洋と立つスレイ。
表向きは部屋を眺めているように見えなくもない。
だが実際は違っていた。
普段だったらシズカの部屋という事で興味深く眺め回していたであろう。
特にシズカみたいな潔癖症気味でそれでいてスレイから見れば可愛い性格の少女が、どれだけさっぱりとした中に、可愛らしいアクセントを加えているのか?
普段のスレイだったら垂涎の的だった筈だ。
シズカもスレイのそんな反応を想像していたのだろう。
顔を真っ赤にしたシズカから、女性の部屋をじろじろと見るなんて失礼です、と障子を開き叩き出されてしまった。
すぐそこには、やたらと広い庭に、池や剪定された庭木、それにししおどしなどディラク島の風土からスレイが想像できるもの全てが、だが想像の規模よりも遥かに大きく揃っている。
茫洋としたまま、それでもなんとなく建物を見上げてみると、それはひどく大きなディラク風の城であった。
周囲には城壁や堀なども存在しているようだ。
その中に、ディラク風の衣装の使用人らしき者達が、主人の娘の部屋から突然現れた異国の者。
つまり怪しい人物であるところのスレイを見つけ、慌てたようにかけていく。
そして呼び出された城内警備のやはりディラク風の兵士らしき者達にスレイが取り押さえられかけていたところに、慌ててシズカが止めに入り、事無きを得た。
だがシズカは僅かに違和感を感じていた。
まだ深くは知りあってないのですが……いえ、他意は無いんです、他意は。
慌てて心中で自分に言い訳するシズカ。
ともかくだ、それでもシズカが知る限りのスレイならば、兵士が自らを取り押さえようとした時点でその兵士を叩きのめすぐらいはやりかねない。
それが全くの無抵抗。
見るとペット二匹も何やら心配そうにスレイを見詰めている。
そんな中、周囲の様子など気にも掛けず、ただスレイはディラク島を訪れた途端信じられない程に高まり震える己が魂に歓喜に打ち震えてさえいた。
分かる。
ここに俺の運命が居る。
クランド、お前か?
お前なのか、俺の運命は?
見も知らぬ男を呼び捨て、ただ何処に居るとも知れない男へと呼びかけるスレイ。
そう、このディラク島に居るのは確かなのに何処に居るかも分からない。
即ち対等の相手。
もはやほぼ確信を得て、ただただスレイの意識はその事のみに向けられる。
そして邪神、クライスターの力が全く感じられない事にも気付く。
ああ。
そうか。
そうなのか。
スレイは“真の神”を越える人間が自ら以外にも現れた事を悟り、もはやその歓喜は極まった。
【ディラク島】とある平原
時同じくして、クランドもまた己が魂の高まりを、信じられない程の震えを感じていた。
来たかっ!!我が運命。
思わず歓喜に心が震える。
ただ民の為に生き、今もアンデッド兵と成り果てた己が兵への、死んだ民への手向けの為の行軍を続けていたクランドが刹那、全てを忘れた。
すぐに全てを思い出し、気を取り直すが、それでも昂ぶりは収まらない。
それほどに、クランドにとってもこの誰とも知れぬ存在は、或いは己が全てよりも……。
いや。
クランドは気を取り直すように首を横に振る。
まずは手向けを送る。
己自身の事はそれからだ。
鋼の自制心で自らを抑えるも抑え切れない自分も感じているクランド。
これが、俺の運命かっ!!
クランドもまた、最大級の歓喜で以ってその到来を歓迎していた。
「でえぇーい!駄目に決まってんだろうがコンチクショウッ!一昨日来やがれってんでい!!」
「落ち着きなさいなあなた」
謁見の間の上座にてトモエに膝枕されながら、怒鳴り声を上げたノブツナを思いっきり抓るトモエ。
「いでっ、いでででででっ!!分かった、分かったから勘弁してくれトモエ」
まあS級相当探索者に抓られれば、SS級相当探索者でもそれは痛いだろう。
茫洋としながらも、表面上の思考はきっちりと働いているスレイ。
「まあ、何にせよこれで貴方も刀一本ではどうにも出来ない事があると分かったでしょう?運良く生き延びたのですから、これからは国主としてですね……」
「いや、分かった、分かったから。もう何度も聞いたから、いい加減許してくれ」
そんな様子を仲の良い夫婦だな、と適当に眺めるスレイ。
先程のノブツナの台詞は九尾の狐の探索にシズカを伴いたいというスレイの申し出を受けての物だ。
その、ゲッシュに言っていた事とは違う申し出に、シズカは訝しげにスレイを見るが、また無意識に黙るようにと目線で合図すると頬を赤くして頷き黙っていた。
ノブツナの激昂はそれを受けての事でもある。
ちなみにノブヨリはどこか複雑そうな表情で、トモエは何やら微笑ましそうに見詰めていた。
兄と母の心境という奴だろうか?
何はともあれ、スレイの思考も感情も元々フィルターを通しての間接的な物、その上そのフィルターを通した後さえも制御されている。
なので魂の芯までただ一つの事に囚われていても、ごく普通に、普段のスレイならこうするだろうという会話をこなしてみせる。
「ところで、なんでノブツナはトモエに膝枕なんてされているんだ」
誰相手でも呼び捨てはもはやスレイの専売特許。
話を聞いていたであろうトモエとノブヨリも反応しない。
ただノブヨリは苦笑して突っ込む。
「いやいや、仮にも一国の主の城で、突然訪れた身で、それだけ偉そうに座る貴方もどうかと思いますが」
ノブヨリの言う通り、スレイはあぐらを掻き、どこまでも偉そうに胸を張って、まるで場の主人が自分であるかのような威風堂々とした態度で座っている。
城の主人の娘であるシズカでさえその左横に正座しているのにだ。
ちなみにディザスターはスレイの右横に寝そべり、フルールはスレイの右肩に止まるという定位置。
本気でどこまでも態度がでかい。
「ですがまあ、確かに父上と母上のあの姿は、ね?」
そう言いながら息子であるノブヨリなどは面白そうに見ているし、娘のシズカもどこか呆れた様子を見せるだけなので、割と良く有る風景だと思われる。
家臣達でさえその光景に動揺している様子は無かった。
そのままノブヨリは続ける。
「まあ、父上の重傷という珍しい事態を口実にして思いっきりイチャついてるんですよ。なにせ母上はあまりそうは見せませんが、未だに父上にゾッコンですからね。怪我が既に治っているとはいえ、使える物は使うと」
「恥ずかしながら、兄上の言うとおりです」
シズカも俯きながらノブヨリに同意する。
「しかし私としては家臣達への示しも考えて欲しいと思うのですが」
「私も、年甲斐も無く人前でイチャつくのはどうかと」
ノブヨリとシズカがそんな事を言った時だった。
ノブツナが顔を青くし、それと同時。
「ノブヨリ?シズカ?」
「ひっ!?」
「ひゃうっ!?」
ただ呼ばれた。
それだけで2人は顔を真っ青にする。
それだけでなく家臣達もまた顔色を青くしていた。
「何か言いましたか?この母には良く聞こえなかったのでもう一度言ってもらえますか?」
「い、いえっ!!何もっ!!」
「何も言っておりません、母上っ!!」
そんな中、泰然と座ったままのスレイは淡々とトモエに告げる。
「悪いがトモエ、ノブツナとイチャつくのはまたにしてくれないか?今は俺が大事な話をしているのでな」
平然とトモエに意見するスレイに、驚愕の視線を送る、ノブヨリとシズカも含めた周囲の者達。
トモエはスレイを見やり、女の威圧という物が通じない相手だと悟る。
そしてスレイとシズカを順に眺めやり。
それに気付いたシズカが頬を染めるのを見るとニコリと笑った。
そしてノブツナを促す。
「ほら、貴方。話の続きを」
「とにかく駄目だ。樹海にシズカを連れて行くなんて、っていうかなんでおめぇはシズカと二人っきりでいやがったんでいっ!?」
「だから落ち着きなさいあなた」
「イデデッ、イダダダダッ、本当に勘弁してくれトモエっ!!」
またもトモエに抓られ悲鳴を上げるノブツナ。
こりないものだとスレイは思う。
だがそんな事はどうでもいいと、一つ訂正を入れた。
「いや2人っきりじゃあ無かったんだが」
「そうだよ、僕達もいたよー」
『うむ、我らも一緒であったな』
スレイの右肩の上に乗った白い小竜の言葉と横に居たディザスターの念話に、トモエとノブヨリと家臣達が僅かに驚きの声を上げ視線を向けてくる。
……なぜにノブツナとトモエの夫婦漫才は軽く流してこっちには普通に驚くのかとスレイはまた疑問に思った。
ともあれ落ち着きを取り戻したノブツナは、やはり再度否定する。
「まあ、ともかくシズカを連れて行くのは駄目って事で。九尾の狐の説得は俺らがするから、おめぇは帰ってくれ」
「まあ、お待ちなさいなあなた」
トモエがにこやかに言葉を発すると同時、ノブツナは硬直した。
そのままトモエは言葉を続ける。
「シズカ?あなたとしてはどうしたいの?その方と共に九尾の狐の元へと行くという話、あなた自身はどう思っているのかしら?」
「え?わ、私としては、スレイさんは見張ってないと危ない気がしますし、安全面ではスレイさんが居れば問題無いので付いていきたいと思っています」
「あら、そうなの。なら問題ないわね?」
頬を染めて、戸惑いながら、どこか恥ずかしそうに告げられたシズカの答えに、あっさりと納得するトモエ。
「ちょっ、トモエ、お前何を考えてっ、て、イデデデデデッ」
「もう、あなたは馬に蹴られない内にもう少し物分りが良くなりなさいな」
もはや何も言う気力を無くしたように黙り込むノブツナ。
「それで、これで許可は下りた事ですし、これから九尾の狐の説得へ?」
代わりにノブヨリが尋ねてくるが、スレイは否定する。
「いや、ここからが本題だ」
「えっ!?」
驚いたような声を出すシズカ。
いや、確かにまだ用件は残っている。
だが条件にする筈だったその用件、その代価はあっさりと交渉で得られたのだ。
なのにここからが本題だとスレイは言う。
最初は九尾の狐の説得が目的だと言っていた。
間違いない。
だというのにいったいどういうつもりなのか?
わからない、スレイの考えが。
ふと見ると、スレイのペット達も僅かにその瞳に困惑を宿しているように見える。
彼らでさえ分からない意図があるという事か。
シズカの様子にノブツナもトモエもノブヨリも家臣達さえどこか緊張した様子になってスレイを見る。
「その前に、だ」
スレイの前置きにごくりと誰もが唾を飲んだ。
「いい加減、その膝枕止めてくれないか」
思わず、力が抜けかける一同だが、ふとスレイが纏うその気配が全く冗談など言っていない、真剣な物だと気付き、再び緊張感が走る。
「あら?どうしてかしら?」
「悪いがあんたには話してない。俺が話しているのはノブツナだ」
トモエを軽くあしらうスレイ。
思わず頭に血が昇りかけるトモエだったが、スレイのその瞳に宿るあまりに強い意志に呑まれ、思わず唾を飲みだまりこむ。
「人様の娘を危険な事に連れ出す許可を貰っといて、今度は一国一城の主に命令か?おめぇ何様のつもりでぇっ!?」
激昂した様子のノブツナに、スレイは淡々と返す。
「それは今、何も関係の無い話だな。それに聞くが、その姿が一国一城の主のあるべき姿という物なのか?」
「何ぃっ!?てめぇ、幾らべらぼうに強いからって調子に乗ってやがるんじゃねぇかっ!?」
「そんなつもりは無い。俺はただあんたに問うている。国主とはなんたるか、とな」
「!?」
驚愕した様子のノブツナ。
どころかシズカやペット達まで驚愕している。
まあ後者は仕方ないだろう。
自分でもらしくないと思う。
だが何故かディラク島に来てから調子がおかしい。
多分良い意味でのおかしさなのだろうが、ともかくらしくない。
だが気分は悪くない。
いやむしろ良い。
なんだろう、誰かと、しかも自分にとって恐らくは生涯で最も大切な誰かと通じ合ってる気分だ。
「さて、言い方を変えて今一度頼むとしよう。国主として家臣に示すべき在るべき姿を、今ここで俺に見せてくれないか?」
「……トモエ」
「……はい」
静かな、それでいてどこまでも通るような、芯の強い声だった。
スレイのその声に、表情を変えたノブツナはトモエに声を掛け、トモエも頷く。
そしてノブツナは国主の座に、実に堂々とした凛とした姿勢で座り、そのままスレイを見やると尋ねた。
「これでいいだろう。さて、それでお前の本題ってのは何だ?」
「クランドは俺が倒す、代わりにシズカを俺の女にしたい」
どこまでも堂々と、スレイは強い声で言ってのけた。
「なんだとっ、てめぇっ!!ふざけんな、一昨日きやがれっ!!」
「へぇ?」
「ほう?」
「え?え?」
分かり易く激昂するノブツナ。
対しトモエとノブヨリは実はこれが交換条件でなく、ただの宣言だと言う事に気付いている。
なので面白そうな顔をした。
なにせクランドを倒すからシズカを寄越せでも、シズカに俺の女になれでもなく、「クランドは俺が倒す」「シズカを俺の女にしたい」である。
全く、ここまで堂々と言い切られれば逆に気持ちがいい。
対しシズカは頬を染めただ戸惑った声を上げていた。
確かに今やシズカはスレイに好意を抱いている。
しかもそれを自覚し認めるまでに至っている。
だがあまりにもいきなりだ。
それもこのような場で。
俺の女にしたい、などと言っているが、つまり状況的にはシズカに俺の女になれと本気で最後の口説きに入ったに等しいではないか。
嫌ではないけど、もうちょっとタイミングとか、シチュエーションとか。
ああ、でもこんな公然の場での殆どプロポーズに近い台詞だ。
ああでも、これはこれでアリかも知れない。
現に家臣達はまるで場を彩るかのように驚愕した表情でこちらを見て。
……って何を色ボケしているの私っ!!
違うでしょっ!?
慌てて正気に返るシズカ。
駄目だと思う。
本気でもうスレイが関わると自分が駄目になると思い知らされた。
だが今回ばかりはそういう訳にもいかない。
やはり先程からのあまりにも無礼な態度に不満が溜まっていたのだろう。
国主とその家族が許している以上、何も言うまいとしていたのだろうが……。
もはや我慢がならなくなったか。
家臣達は一斉にスレイに対し罵声を浴びせ始めていた。
全く反応しないスレイ。
だが逆にこれには激昂していたノブツナも眉を顰め。
ノブツナ、トモエ、ノブヨリ、シズカ。
国主一家全員がそれぞれ家臣達を嗜めようとしたその時。
家臣達の罵声など完全に塗り潰し、よく通る強い声が、あまりにもな台詞を紡ぎ出す。
「すまないがノブツナ、あんたは黙っててくれないか?」
「あん?」
「え?」
「は?」
「えぇっ!?」
その本気で自分達の主を馬鹿にしたような言葉に、家臣達の罵声がより勢いを増し、場を塗り潰す。
だが当の主人の怒声で以って、彼らは硬直しその罵声はピタリと止まった。
「ああっ!?てめぇっ!!人に本題とか言ってしかも人の姿勢にまで文句を付けといてっ!!それでいきなり人の娘を自分の女にするだなんだってほざきやがってっ!!それで黙ってろだっ!?ふざけてんのかっ!!」
先程までとは比較にならない程に激昂するノブツナ。
トモエとノブヨリは流石に困惑の表情を浮かべ、シズカは混乱の極地と言った感じだ。
だがスレイは落ち着いて、良く通る真摯な声で、場の全てを塗り潰すように、今までに無い態度でノブツナに頭を下げて“頼んだ”。
「いや、すまなかった、謝罪する。話の切り出し方を間違えた。これは確かにあんたに、ノブツナに対する用件でもあるのだが、こればかりはまずシズカ自身に直接言うべき事だった。頼む、シズカと話を済ませるまで暫し、時間をくれないだろうか?」
「お、おう?」
「あら?」
「ほほう」
「え、えええっ!?」
スレイの、今まで見てきた姿からは信じられない態度に困惑し、思わず疑問系で了承してしまうノブツナ。
トモエとノブヨリはスレイの言葉に感心してみせる。
そして肝心のシズカは、まるで直接プロポーズされると宣言されたような状況に、もはや頭が沸騰していた。
だがスレイが自らに向き直るに到り、シズカは覚悟を決めた。
もう答えなど決まっている。
あとはそれを表に出せるかどうかだけ。
ならば自分は……。
シズカの表情は静謐な、覚悟を決めた、どこか神聖ささえ感じさせる物となる。
そんな娘をどこか嬉しそうに見るトモエ。
そんな妹を複雑な顔で見るノブヨリ。
そしてスレイがシズカを見詰め切り出す。
「シズカ、聞いていたと思うがもう一度、シズカ自身に、本気で言わせて貰う。クランドは俺が倒す、代わりにシズカを俺の女にしたい。シズカ自身の答えを聞きたい」
「私は……」
シズカが既に決まった答えを言おうとした時だった。
スレイが思い直したように言葉を続けてくる。
「いや、すまない。言葉の意味を勘違いされていたら困るし、他に言っておかなければいけない事もある。これでは色んな意味で不公平だったな。もう少し俺の話を聞いてくれ」
「はぇっ?」
決意を込めて紡ごうとした言葉を遮られ、思わず目を丸くして変な声を出してしまうシズカ。
見ていたトモエとノブヨリのみならず、ノブツナに家臣達までもが唖然とする。
いや、もはやあそこまであからさまだとシズカの気持ちなど周囲にもバレバレな状態になっていた。
その流れでまさかこう来るとは誰も予想できまい。
そんな場の雰囲気など気付いていないようにスレイは続ける。
いや実際気付いていないのだ。
ただ心は逸るばかりで。
そう魂の全てがその刻に惹かれている。
だからこのように性急にシズカの事にケリを付けてしまおうとしている。
何せスレイとしては迷宮探索の後半からのシズカへのアプローチは無意識に等しい。
表面上の意識としては、まだシズカが自分に転ぶかどうかは五分五分だと思っている。
そして今のスレイはどっちに転んでもいいと思ってしまっている。
だからこそ、ますます分が悪くなるような事を言おうとしているのだから。
そのままスレイは淡々と、周囲からすれば力強く良く通るように聞こえる声で言う。
「まずだ、シズカ、俺はあんたを俺の女にしたいと言っただけで、俺の女になれとは言ってない」
その言葉に拍子抜けするシュテン家の面々。
一家全員そんな言葉の違いはとっくに気付いている。
家臣達でも鋭い者はそんな事気付いていて同様に拍子抜けしているぐらいだ。
普段のスレイならこんなに鈍くない。
それほどに今のスレイの全てはただ一つに囚われている。
だから次の言葉は今までより、いや恐らくはスレイの今までの人生のどんな言葉より重く響いた。
「正直、シズカが俺の女にならなくても、俺はクランドと戦う。はっきり言おう、これだけは誰にも邪魔させない」
一瞬周囲に発せられる牽制の威圧。
それだけで誰もが沈黙した。
せざるを得なかった。
決して荒々しくもなく、激しくもない、そっとふれるような気配。
だがそれだけで誰もが、ノブツナさえもがその身を硬直させる。
それほどの“何か”が籠っていた。
そしてノブヨリだけが気付いた。
今スレイはクランドを“倒す”ではなくクランドと“戦う”と言った。
そして今のその言葉により重みを感じた。
つまりこの青年は……。
ノブヨリは妹のシズカを見やり、色々と複雑な気分になってまたスレイを見る。
そんな反応に気付いたのは母であるトモエだけ。
だがトモエにもそのノブヨリの反応の意味は分からなかった。
「だからだ、シズカが俺の女になるかどうかはシズカ自身で決めてくれ。今この場で返事が欲しい。断っても何も問題は無いし、それに付け足すとだ、ここで断られたら今後一切俺はあんたにそういう意味での接し方をしないと誓おう。あんたも聞いていたと思うが、俺は他の男の女には手を出さない、俺に靡かない女に手を出さないというのもその延長という事で考えて貰えば問題無い。約束しよう、そして俺はこういう約束を破る事は無い」
言ってる内容は全て本当の事だ。
実際スレイはそういう行動原理で動いてはいる。
ただし本来のスレイなら、男がいる女でなければ、靡かなかったら時間を掛けて靡かせるだけの話だ。
これから先絶対に手を出さない、などという事にはならない。
だがスレイがこういう約束を破らないというのも本当だ。
つまり本気でここで拒否されたならスレイはシズカを諦めていいと思っている。
別にシズカの女としての価値の問題では無い。
単に今のスレイの心理状態の問題だ。
先も述べたように普段のスレイの考え方であれば、別にここでこんな約束をせず、断られても後々また時間を掛けて口説けばいいだけなのだ。
だがスレイの心は今ただ一つの事に囚われていた。
そしてそれに臨むに当たって、ほんの僅かでも他に気を取られたくない。
つまりやり掛けのままの事を残したくない。
だからシズカを口説くのにここでケリを付けてしまう。
そう決めた。
だからこその台詞。
つまり魅力的な女よりずっと優先するべき事がある。
それが今のスレイの普段との違いだった。
正直九尾の狐の事にすら意識は向いていない。
一応口実だったから、約束を取っただけだ。
そんなスレイを、その本質を本当の意味で良く知るペット二匹でさえ驚いた顔で呆然と見ている。
「……どこまでも勝手な人ですね」
「ん?」
流石にスレイも疑問を覚える。
何やらシズカの声が怒りに打ち震え、その瞳もあまりに鋭く……。
別に怒らせるような流れじゃないと思うんだが?
やはり気は他へ行きながらも、思考の片隅でそう思うスレイ。
「分かりました、スレイさん、あなたがクランドを倒して帰ってきたなら私はあなたの女になります。ただし言いたい事がたっぷりあるので覚悟しておいて下さい」
「あ、ああ。そ、そうか」
スレイにとってはあまりに意外な展開に、少々気がこの場に引き戻される。
まずシズカが自分からスレイの女になると言い出したのが意外だった。
まあ、これはスレイが現在鈍くなってるだけなのだが。
そして言いたい事がたっぷりあるときた。
確かに色々と言われそうな心当たりはある。
だがそれはスレイの女になるというならだいたい解消される事ばかりの筈だ。
なのに、スレイの女になるが、言いたい事がたっぷりあるという。
本気で今のスレイには何がなんだか分からない。
ただ、なんとなく。
そうなんとなくスレイは今のシズカに少し感じた事が無い程の凄みを感じていた。
何故か怒鳴り声を上げて怒りそうなノブツナはただ頭痛がするように頭を抑えている。
トモエなぞは何か感動して布で目を拭っていた。
娘の成長を喜ぶ母と言った風情だ。
ノブヨリはやたらと複雑な表情だ。
あれは可愛い妹を取られた事への複雑な兄の気持ち……だけじゃないな。
あのスレイを見る目、厄介な義弟が出来るとでも思っているみたいだ。
家臣の男達には血涙すら流してる者もいる。
流石にその周囲の家臣達は引いていた。
スレイとしても少し引いてしまう。
あれは、シズカに懸想していた男達か?
あまりにも予想外の事の数々に、やはり“この場”に意識がかなり戻ってくるスレイ。
そして思い出す。
いや“理解”する。
そうだ、まだやらなければならない事があったな。
そして未だ自分を鋭く睨み付けるシズカから視線を外し、ノブツナを強く見据えた。
その瞳に何やら感じる物があったのか、ノブツナもまたスレイを強く見据える。
空気が重みを増し、周囲が一気に沈黙し、固唾を飲んで2人を見守る。
「さてと、何だか予定が狂ってしまったんだが……いや、いい。それではノブツナ、あんたに対する、あんたに対してだけの用件だ。これだけは聞いてもらうぞ?」
「あぁ、いったい何だ?」
2人の視線が絡みあう。
「さて、それでは質問だ。クランドとは如何な男だった?」
「ああん?用件じゃなかったのかてめぇ。それじゃあ質問だろうがよ」
唐突な質問に、ノブツナは乱暴な口調ながらも、声を荒げず静かに返す。
これには2人以外の誰もが驚く。
それほどにノブツナとは熱しやすい男であった。
だがスレイはどこまでも静かにただ繰り返す。
「いや、これが質問であると同時に用件だ。もう一度問う。クランドとはどのような男だった?」
「あ~~~っ」
ガシガシと髪を掻きながら、苦虫を噛み潰したような顔でノブツナは逆に問い返す。
「それは以前の話か、それとも今の?」
「両方頼む」
またも顔を顰めるノブツナ。
だがスレイの視線はどこまでも真摯で強く。
ついには根負けしたように答えを返す。
「それじゃあまずは以前の話からだ。あいつは、クランドの野郎は、その刀術の才のみだったら俺も親父も越えているとか野郎を知る奴らには言わしめた程の男だ。所謂無名の天才って奴だな。あの小国の国主という立場を捨てられねぇその責任感から、大陸に渡る術も探索者になる術も持たなかった所為でその才が花開く事は無かったがな。……まあ以前一度忍びで見に行った事があるが、悔しいがその通りだと思った、そしてあれ程の男が燻ってるのを歯痒くも思ったな」
「そうか……」
本気で悔しそうに、それでいて勿体無さそうに話すノブツナを身ながら、スレイは暫し黙り込む。
スレイとノブツナの間に流れる雰囲気は静謐で、誰も口を出す事も出来ず、指先一つ動かす事すら躊躇われた。
だが誰かがその緊張感のあまりに喉を鳴らす。
と同時にスレイは続けて質問する。
「なるほど、剣士としてのクランドという男は分かった。ならばだ、国主としてのクランドとはどうだった?」
「……悪いが俺じゃあそこまで詳しく説明できねぇな。……ノブヨリ、教えてやれ」
「え?は、はい」
突然の指名に、神童と呼ばれる身であろうと、流石に場の空気に呑まれていたノブヨリは、驚いたように頷く。
そして咳払いし、なんとか自らを落ち着かせると告げた。
「ごほんっ……。それでは不肖私、ノブツナが息子ノブヨリが答えさせて頂きます。クランドという男はまさに理想の国主と言って良かったでしょう。あれほどに民を愛し民に愛された男を私は他に寡聞にして知りません。何せクランドは自らの民をそして兵を将すらも全て自らの子として愛し、そしてその傷つくこと死ぬことを悼み悲しみました。それでいながら将や兵には民を護る為に死ぬ刀たるべく教育し、そして死を命じ。多数の民を救う為に少数の民を殺す判断を瞬時に下しました。噂話には、その度にクランドは人知れぬどこかの洞穴の中で1人慟哭した、などとすら言われていた程です。さらにはその智謀は私とも同等、恐らくはあのままこちらから交渉を引き出し、自らの首を差し出して、剣神の誓約の儀にて、彼の国の民を厚く遇する事を条件に、我が国にディラク島の覇権を握らせるつもりだったと読んでいたのですが……今でも彼が邪神に魂を売ったなどと信じられません。……いえ、個人的な感傷です、失礼しました」
「いや、大変参考になった、感謝する」
告げると同時、頭を床に着けるぐらいの深い礼をするスレイ。
ノブヨリは先程から少々破天荒な言動は目立つものの、話に聞いていたのと違って随分と礼儀正しい青年だと思う。
だが、ギョッとしたように目を見開いているノブツナとシズカの2人を見て理解する。
ああ、これは異常な事態なのか、と。
しかしあの2人が礼一つでこれほどに驚愕するとは。
いったい本来はどのような人間なのだ、このスレイという青年は?
思わず好奇心が湧いてしまうノブヨリ。
自分の悪い癖だと嗜める。
何より自分の出番はどうやら終わったようだ。
今はただ成り行きを見守ろう。
ノブツナの口が開くのを見ながらノブヨリはそう考えた。
「いや違う、あの野郎は邪神なんかに魂を売り渡しちゃいねぇ、それどころかあの野郎は俺を殺そうとすら……」
「あなたっ!!」
ノブツナの口を止めたのはトモエの一喝だった。
「そういう事をあなたが言うと民や兵に動揺を与えるからやめなさいと言った筈です、忘れたのですか?」
「あ、ああ、すまねぇ。今のは忘れてくれ」
今度は静かに嗜めるトモエに、周囲全てに向かい今のは無かった事にしてくれと告げるノブツナ。
家臣達は皆静かに頷く。
まあ最初にスレイとシズカが軽く告げた用件の概要だけでも十分な大事だ。
その上で謁見の間に集められた家臣達という事は忠義厚く信頼されている者達なのだろう。
ならば問題あるまい。
スレイは今言うべきだと、何故か言わなければいけないと、魂に駆り立てられるままに自ららしくないと分かりながらも、それでもこれだけは譲れないと思い、ノブツナを諫め始めた。
「ノブツナ、あんたのその国主らしくない態度はあの刀術馬鹿の父親と魔法馬鹿の母親の所為だというのは分かってるが、いい加減その長い反抗期も止めたらどうだ?クランドという男に諫められたのだろう?」
「どういう意味だ、俺はただあの野郎と刀を交え敗れただけだぞ?」
あまりにも無礼な、踏み込みすぎた言い草に、誰もがノブツナの激昂を予想したが、予想に反し、ノブツナはただ静かに問い返す。
だがその瞳は真剣そのもので、回答を間違えたら斬りかかりかねない、そんな危うさも孕んでいた。
だがスレイはそよとも揺れる事なく、どこまでも心に響く、芯のある声で返す。
「その刀を交えた事こそが俺たち剣士の何よりも雄弁な会話だろう」
「っ!?」
スレイの言葉に目を見開くノブツナ。
そしてその顔は緩んでいき、いつしか満面の笑みが浮かんでいた。
周囲は会話の内容に、状況の推移に付いていけず、ただ呆然と見ているだけだ。
「ふん、違いない。そういえばお前もあの野郎と同じ化物だったな」
その悪口のような内容に対し、ノブツナの満面の笑みは崩れない。
やはり周囲は理解できず唖然とするだけだ。
その時、なんとか横から口を出す者が居た。
ノブヨリである。
「失礼ですが、スレイ殿?クランドの率いるアンデッド兵は1万全てが一騎当千の強敵、S級相当と推測されています。さらにはクランドの強さは父上を破った事で明らか。先程からの話を聞いていて思ったのですが、貴方は彼らとただ1人で戦うつもりなのですか?」
「そのつもりだが」
ノブヨリとしてはただの確認のつもりだった。
まさか本当にそうだとは思っていなかった。
だがあっさりと返された答えに絶句し、必死に頭を回転させる。
今まで得た情報、父と妹から聞いたスレイの人物像。
唖然とする結論しか出なかった。
「もしかして貴方は、その貴方の特殊なペット達にさえ手を出させないつもりなのですかっ!?」
「そのつもりだが」
「っ!?」
「!?」
「ぇっ!?」
ノブヨリが自らが出した結論を確認すると、返って来た答えは是。
それにはノブツナもトモエも何よりシズカが驚愕する。
家臣達は理解できていない様子だ。
ふぅん、トモエとノブヨリにはこいつらの正体を話したのか。
特に問題とは思わなかったが、家族仲がいいんだな、ぐらいのつもりでスレイは何気なくディザスターとフルールに目をやった。
二匹の瞳にあるのは信頼の色のみ。
ふっ。
俺にもこいつらがいるか。
軽く口元を緩めるスレイ。
「貴方は、それで勝てると言うのですか?」
「一つだけ言っておいてやる。俺の戦いが始まった以上、戦いが終わる時は俺に勝利の栄冠が輝いた時だけだ、どんな相手とのどんな戦いでもそれは変わらん」
ふっ、と二匹のペットとノブツナとシズカが今の台詞に反応する。
何か違和感を覚えたのだ。
だがスレイはそんな反応など無視してノブツナに告げる。
「ノブツナ、これからはあんたも自分の立場を弁えるんだな、俺みたいに何時野垂れ死んでもいい風来坊とは違うんだ」
「おいおい、あれだけ女を作っておいて何を言ってる?」
はて、どこまで知っているんだろうな?
単純に好奇心が湧くも、それは封殺して、ノブツナに対してはあっさりと反論した。
「ああ、それなら問題無い」
「なにっ!!てめぇ、自分の女に責任を取らねぇつもりかっ!?そんな野郎には本人が望んでもシズカをやる訳には」
「落ち着け」
一言でノブツナの言葉は止められた。
それだけの重みがその言葉にはあった。
そしてその重みの正体は続く言葉で知れる。
「確かに俺には女は山ほどいるし、家族も知人もいるが、俺が死んだら俺の事は全て忘れるよう魔法を掛けてある。だから好き勝手に生きれるのさ」
「なっ!?」
驚愕の声を上げるノブツナのみならず、誰もが絶句する。
それはあまりにも重い決意だろう。
実はスレイがそれを行ったのは世界の墓場から帰ってきてからだ。
あそこでジャガーノートの念体と相対した事で、スレイは自らよりも遥かに強い存在を実感した。
今までも知識では分かっていたが、あそこまで実感したのは始めてだ。
だからその処置を施した。
本当は魔法などではなくもっと高度な力だ。
スレイとしては今でも自分より遥かに強い存在であっても、戦えば勝利の栄冠が頭上に輝くのは絶対に自分だと疑っていない。
だがその勝利が相手を殺した刹那の後に自らも死ぬ。
そんな紙一重の勝利の可能性は否定できないと考えた。
スレイは関係無い者には冷たいが、大事な者に対してはこれでかなり大切にしているつもりだ。
だから、これは当然の事であった。
「ともかくだ、クランドという男に諫められた事、決して忘れずこのディラク島に平和と豊かさを齎すのだな。このディラク島を統べる者として」
「……まだ統一が叶った訳じゃないんだがな、そのクランドの野郎が原因で。しかしやたらとクランドの野郎に拘りやがるな。何かあるのか?全く知らない相手の筈だろう?」
スレイの言葉に、色々と先の事を思ったのか、どこか背に重い荷物を負ったかのような顔になりつつ、疑問に思った事を尋ねるノブツナ。
それに対するスレイの回答は測り難い物だった。
「ああ、全く知らないな。だが多分そのクランドという男、俺の運命だ」
「運命ぃ?」
答えの意味が理解できず眉を顰めるノブツナ。
と今度はいきなりシズカがスレイに詰め寄った。
「スレイさん、先程の貴方の女になるというのに条件を付けさせて下さい。私にはその貴方の事を忘れるという魔法を使わないと」
「いや、断る。それなら話は無かった事にしていい」
あまりにもきっぱりと断られた上、話を無かった事にとまで言われシズカは焦る。
駄目だ。
これでは駄目なのだ。
今のスレイは何か危うい。
むしろその危うさが強さに化けようとさえしている雰囲気すら感じるが、それでも何か、すこしでも縛り付けておきたかった。
それが、シズカをスレイの女にする話すら無かった事にする、とまで拒絶されるとは予想外だ。
押しすぎた。
それを悟る。
ならば少し引くしか無い。
例え縛りが弱くなっても、何もないよりはマシな筈だ。
このくらいなら話を受けてくれるだろう。
シズカは必死に考え、慌てて再度告げた。
「い、いえ。今のは無しで、私は貴方の女になるという事はそのままでお願いします。ただその代わり約束して下さい。クランドとの戦い、絶対に死なないで下さい」
「……まあ、俺が負ける事なんてありえない、それが答えでいいか?」
「はいっ!!」
明るい顔になるシズカに対し、今度はノブツナ、トモエ、ノブヨリの顔が僅かに曇る。
シズカは気付いていない。
スレイは負けないとは言ったが死なないとは言ってない。
彼らは知っている。
死んでも勝ってみせる、そんな戦いがある事を。
だが彼らに今のシズカにそれを言う勇気は無かった。
ふとそんな気配に気付いたかのように、スレイが明るい声でノブヨリに声を掛ける。
「そうだノブヨリ」
「はい、何でしょう?」
いきなりの呼びかけに、軽く答えるノブヨリ。
だが次の提案には絶句した。
「今度俺とお前で知略対決でもしてみるか?裏で色々とやってる大陸中央の国家郡を舞台に、どっちが血を流さずに、それらの裏の連中や腐った上の連中を綺麗に掃除できるかっていうさ。これで俺の頭ん中には古今東西の戦略・戦術の知識や情報の類が実践で使えるレベルで入ってるんだぜ?」
「ははは、全く。決戦前の景気付けにしてもあまりにも壮大過ぎるでしょうその提案は。ですがそうですね、クランドの事が片付けばディラク島の安定も間近。今度は大陸辺りを正常化させてみましょうか?」
笑って乗ってくるノブヨリに笑い返すスレイ。
流石にこの会話にはこの2人以外は反応も出来ない。
「と、それじゃあ俺用の客室でも用意してくれるか?一応は準備もしなきゃいけないし、何より帰ってきたらシズカは俺の女だ、抱く場所も無きゃ話にならん」
「は、はいっ!!」
無事の帰還を約束された気がして、その内容に赤面しつつも元気良く返事して動き出すシズカ。
あまりの内容にやはり騒ぐ家臣達、特に男。
だが、ノブツナとトモエとノブヨリは、スレイの纏ったその凄絶な雰囲気に気付き、その軽口を今は何も言わず流すのだった。
準備の名目で個室を与えられたスレイ。
だが実際にはスレイは何の準備も行ってなどいなかった。
当然だ。
戦いに準備など必要ない。
戦おうと思ったなら既に戦える。
それが本当の戦闘者というものだ。
だが今回の戦いは特別だ。
スレイは絶対の確信を抱いていた。
この戦いは間違いなく今までで最高の戦いになると。
だから今、スレイは今の自分の状態を。
あまりに逸り過ぎた心。
あまりにも昂ぶり過ぎた魂。
それらを少しでも落ち着けベストコンディションへと近づけようとしている。
少しでも最高の戦いを最善の状態で味わう為に。
だが駄目だった。
心は時が経てば経つ程尚逸り。
魂も時が経てば経つ程尚昂ぶる。
それでいながらスレイは感じていた。
自らは確かに逸り過ぎ、昂ぶり過ぎている。
こんな状態が最善の筈が無い。
だが己の状態は最善よりも尚、戦いに向けて整っている、と。
世界の束縛からすらも、僅かに解き放たれている気がする程だ。
……流石にこれは気のせいだろうが。
ただ、これだけは言える。
生まれてからこれほどに楽しみに思った事など、今まで何一つ無かった、今この時が最高だ。
生まれてからこれほどに何かに期待を覚えた事など、今まで皆無であった、これほどの期待感など初めてだ。
凄絶な笑みが浮かぶ。
己が全てがただ一点に収束し、他の全てが忘失される。
ただクランドという男。
それだけがスレイの心に在った。
そして同時に、これほどの距離を隔てながら、クランドという男の影響を受け変質している自分の心と魂に気付く。
ふと、あまりに忘我していた状態から我に返る。
そして不意に、先ほどまでの周囲の反応を思い出す。
ああ、なるほど。
スレイは理解した。
先ほどまでの自分は気付かなかったが、思い出してみれば何故周囲、特に己について知る者達が奇妙な反応をしていたのか。
当然だ。
自分はこの僅かな時間で急激に変化している。
先ほどまでの自分の行動を思い出せば明白だ。
今更に自覚し、苦笑が漏れる。
だから傍に居る二匹のペットに目を向ける。
右肩に乗ったフルール。
膝の上に乗ったディザスター。
二匹のペットは信頼と不安が半々の瞳をスレイに向けていた。
こいつらにまで、こんな瞳をさせる程、俺は変わっている訳か。
思わず笑みが浮かぶ。
ただし今度は苦笑ではない。
力強い、全てを捻じ伏せるような傲慢な笑み。
告げる。
「どうした?何を不安そうな顔をしている?」
『そ、それは主が……』
「スレイが変だからだよっ!!」
言葉を濁すディザスター。
あっさりと言ってのけるフルール。
超越者と言っても、意思持ち、心在るならば、ここまで個性という物が出るかと、スレイは楽しく思う。
ニィッと口端を吊り上げ笑みを深めるスレイ。
意図が読めず困惑したような二匹。
どこまでも可愛い奴等だな。
そう考え、スレイはそのまま言う。
「ふふん、俺が変か、なるほど認めよう。今の俺はこれ以上無い程に“変”だな。全く俺らしくない。どうやら強く影響を受けているようだが、まあ、そう悪くはないんじゃないか?少なくともこの影響は今までの俺の生き方よりはよっぽど真っ当だと思うぞ?とは言え最強と美女を求める欲望に従う生き方を止めるつもりは無いが、より良い指針がそこに加わるのであれば、それはそれで良い事だろう?」
『影響とは何だ主よ?』
「そうだよ、特に何も無かったのに何の影響を受けるって言うのさ?」
「ふむ、先ほど言ったばかりだと思うのだがな?」
やはり困惑したままのペット二匹の反応に、やはり楽しげに告げるスレイ。
「クランド、俺の運命殿だよ」
『クランド……だと?』
「まだ一度も会ってもいないのに?」
「なに、会うまでもない。俺達ぐらいになれば、ただそこに在る、それだけで魂が響き合うのさ」
そして、スレイは今までにない程柔らかな笑みを浮かべて見せる。
その表情に唖然とするディザスターとフルール。
気付かずスレイは、ただ陶然と求めるようにある方向をどこか遠くを見るように見詰める。
必然、それはかのクランドが在る方向であった。
【ディラク島】進軍するクランド軍
「ほう?」
クランドは自らを突き上げる魂の震えに思わず笑みがうかぶ。
視線の先に、今すぐにでも飛んで行きたいとさえ思う。
そこに、彼の運命が居る。
もはやそれは確信であった。
そうでなければ、これほどの魂の昂ぶり、他にどのような説明が付こうか?
だがクランドは頭を振り、自らの昂ぶりを抑える。
今の自らの目的を思い出す。
そう、今のクランドの目的は、己がかつての民への手向けを送る事。
それだけだ。
既にディラク島の未来はノブツナに託した。
邪神を滅ぼすのは手向けが終わってからの話だ。
そして必然、己が運命との戦いもそのタイミングが良いのだが……。
何故かこの事になると、今まで全てにおいて己自身を制御してきたクランドが、我を忘れそうになってしまう。
このような事は生まれて初めての事だった。
全く以って困ったものだと思う。
それすらも嬉しく感じる自分が、どこか恐ろしくも感じる。
しかし。
どの道己が運命はクランドの都合など待ってくれないようだ。
分かる。
それこそ自らの事のように。
運命は、間違いなく早晩クランドの元に訪れるだろう。
先ほども述べたように、それはベストのタイミングでは無いのだが。
しかし、向こうから訪れるのならば仕方あるまい。
実際それが避けられぬ事とは言え、クランドはその考えが自らを騙す、偽りに満ちた物だと悟っていた。
自らが行くその前にあちらから訪れてくれる。
為すべき事を為すために、それが最悪のタイミングだと分かっていても、それでもそれを歓迎する自分が居た。
周囲の事だけを考えるのではなく、自分自身の事だけを考える。
これもまたクランドにとっては生まれて初めての事だ。
理解する。
これほど距離は隔てられていながら、自分達の魂は互いに響き合い、高め合い、そして互いに影響を与えている。
ならば互いに刀を交えれば、自分達は一体どこまで行く事ができるのか?
「全ては必然か……」
そう、神すらも、邪神……“真の神”すらも、自分達という対なす運命の前では、何の意味も無い塵に過ぎぬ。
この世界も、果て無き果てに到るまでのあらゆる世界すらも、全てが自分達のこれからの出会いの為だけに在ったと断言しよう。
そしてクランドは最後に今までの人生で初めての快心の笑みを浮かべると、後はただ無心の境地に沈み、そのまま沈黙に徹するのだった。
「で、だ」
『む?』
「ほぇ?」
スレイは名残惜しげに視線をクランドが居る方角から外すと、僅かに落ち着いた心に先ほどまでは気もそぞろで全く気にしていなかった疑問が不意に浮かび上がったので、唐突に話題転換の言葉を発する。
それに反応する二匹のペット達。
お、これは可愛いな。
特にフルールはその小柄で愛くるしい姿に加え、素っ頓狂な声を上げたため、思わずスレイの心の琴線に触れていた。
それが切っ掛けで、また少し心が落ち着きを取り戻す。
未だ普段に比べれば昂揚したままとはいえ、それでも充分以上に明晰な頭の回転を取り戻したスレイは、ディザスターとフルールに、浮かび上がった疑問を、そのままストレートに尋ねる。
「先刻の話だが、なんでシズカはあんないきなり態度を変えたんだ?」
『は?』
「へ?」
「ん?なんだその反応は?」
思いっきり奇妙な表情を浮かべたディザスターとフルールに、思わず眉を顰めるスレイ。
だが二匹はまるで変な物を飲み込んだ様な表情をして黙り込んでいた。
埒が明かないとスレイは続ける。
「元々俺はあの時点でシズカが俺に靡く可能性など五分五分だと思っていた、しかもあそこでそれ以上に条件が悪くなるような暴露を色々としたと思うんだが……って何だその顔は?」
『いや、まあ、なぁ?』
「うん、ねぇ?」
「訳が分からん、はっきりしろ」
ペット達の呆れた表情に思わず台詞を止めて、その表情の真意を尋ねるスレイ。
対しペット達は互いに分かり合った様に頷き合うだけ。
意味が分からず、思わずスレイは額に手を当てた。
『いや、そもそもだ、その“分からない”というのがあまりに普段の主と掛け離れている、自覚は無いのか?』
「……いや、自覚は無い事も無いが」
ディザスターの言葉に、自分の思考がクランドの事のみに奪われ、他では殆ど働いていなかった事を再確認するスレイ。
だがそれが何の関係があるというのか?
「というかスレイさ、普通にシズカの事ずっと口説き続けてたんだけど……あれ、無意識だったんだ?」
「は?」
フルールに言われ、思わず間抜けな声を出しつつも、過去を振り返る。
……言われて自分の言動を思い出してみれば、ずっとシズカを口説き続けていた気がした。
そっち方面の事は、途中から殆ど考えていなかった筈なのだが……。
少しばかり自分という人間が怖くなってくる。
いったいどこまで筋金入りの女好きなのか。
『筋金入りだな』
「筋金入りだね」
ペット達にまで断言されてしまった。
だがまあ、疑問は晴れた。
要は完全に無意識で自分は何時も通りの行動をしていたという事だ。
クランドの影響で変質した部分も在れば、変質していない部分も在るという事か。
分かってしまえば何ていう事はない。
ならばどうでも良かろう。
そうしてそのまま忘れ去り、そろそろ出ようかと考えたその時、今度はディザスターが質問してくる。
『そういえば主よ、いったい何時自らの事を忘却させる魔法など掛けたのだ?』
「うん?ああ、あの世界の墓場から帰ってきた時だよ。ジャガーノートの念体と戦って、あれでも力は一部という事で、上級邪神が自らより力が上だと知った。そして最上級邪神のイグナートは俺より遥かに強いだろうと確信した。……その上で勝つのは絶対に俺だが、勝ったその直後に死ぬぐらいは普通にあるかもしれんと思ってな」
さらりとスレイが述べた言葉にディザスターとフルールは絶句する。
上級邪神を自らより強いと認めた事にも。
その上で最上級邪神に絶対に勝つと断言した事にも。
勝利の上での自らの死の可能性をあっさりと告げた事にも。
超越者たるディザスターやフルールからして、スレイは壊れていると言わざるを得なかった。
理解はしていた、だがこれほどかとディザスターもフルールもただただ圧倒され、何も言えない。
だが、何とかフルールは声を絞り出し、疑問を発する。
「でも、知人達に自分の事を忘れさせるだけじゃ色々問題も出てくるだろうし、そもそも知人全てに、特にスレイの家族になんて絶対にあれから一度も会ってないよね?」
「ああ、なるほど、尤もな疑問だな。まあ、分かり易く魔法なんて言い方をしたのが悪いか、分かり易く言うと俺が掛けたのは一種の運命操作だ。俺が死んだなら、生前の俺と関わりを持った人間達の運命に初めから俺という存在が居なかったという人生を作り出し、その上でちゃんと全員幸せになれるように確率操作も掛かるようになってる。俺と同質故に俺の力を抑え込むこの世界だが、だからこそ世界そのものに干渉するというのは難しくはあったが不可能では無かった。だが、まあ、お前達みたいな超越者相手には流石に効果が無いみたいだがな。だから真紀達に関してはフルールを巻き込んで死なせてしまった場合に備えて、彼女等の故郷の世界に還すおまけ付きだ。悪いな、お前等二匹は最後まで巻き込む事になりそうだ」
『何を言っているっ!!幾ら主とは言え怒るぞっ!!』
「そうだよっ!!僕達が最後までスレイと一緒だなんて当然じゃないかっ!!」
スレイの語ったあまりにも壮大な術法。
それに呆然としていたディザスターとフルールだが、流石にスレイの最後の言葉は聞き逃せず、思わず怒鳴り声を上げる。
そんな二匹に思わず柔らかい笑みを浮かべるスレイ。
それはクランドの存在に対して向けた喜びの笑みとは違う。
純粋な、感謝の、親愛の、どこか儚い、それでいて嬉しそうな、スレイが浮かべるには相応しく無いそんな微笑み。
「そうか……ありがとう。お前達が居て本当に良かったよ」
思わず見惚れるディザスターとフルール。
そんな時だった。
障子の向こうから呼びかけがある。
「あの、スレイさん。今、宜しいでしょうか?」
シズカの声だった。
途端無表情に戻ったスレイは、軽く答えを返す。
「ああ、構わんぞ」
障子を開けて入ってくるシズカ。
その表情はどこか強張り、瞳には強い意志が宿っている。
だがスレイは気にせず、話を促す。
「それで、だ。用件は何だ?そろそろ出ようかと思っていたところなんだが」
「っ!?そうっ、ですか……」
思わずと言った感じに唇を噛み締めるシズカ。
その瞳は揺れている。
「ご武運を、祈りに参りました。……決して、クランドに負けないで下さい」
シズカは必死だった。
先ほど聞かされた自分の死後を想定したような備え。
どこかおかしい……いや、スレイは何時もおかしいのだが、それ以上におかしなスレイの様子。
嫌な予感が拭えない。
だから、確証が欲しかった。
決してスレイは負けないと。
勝利し帰って来るのだと。
スレイは少なくとも嘘を付く事は無い。
そういう人間だと何となく理解した。
だから、直接スレイの言葉を聞いて安心したかったのだ。
「……なるほど?美少女から武運を祈ってもらえるなんて男冥利に尽きるな。なーに問題無い、クランドという男に負ける事は無いさ……負ける事はな。行くぞ」
―例え他の全てを失う事になるとしてもな。
「え?」
シズカの横を通り過ぎながら答えたスレイの声、最後のペット達への呼び掛け、だがその後に言葉にすらならない何かが聞こえた気がして、思わずシズカは振り返る。
だがシズカが振り向いた時、既にスレイとペット二匹の姿は無かった。
【ディラク島】進軍するクランド軍
その存在が自らへと向けて動き始めたその時点で既にクランドは気付いていた。
決して変わらずゆったりと進軍を続けながらも、近付けば近付く程胸が高鳴り、心が昂ぶり、魂が震えた。
そして現在、軽く百キロメートルは離れた位置に在るその男を、ついにクランドの目はしっかりと捉えていた。
二匹、得体の知れない存在が居るが気にも留めない。
相手もまた当然の様に見返し目が合ったその瞬間。
“繋がった”。
そうとしか言い様が無かった。
互いの魂が共鳴し、高め合い、どこまでもその振動を増幅していく。
クランドは確信する。
自らという存在はあの男と出逢うその為に生まれたのだと。
決して今までの自らの人生を否定するつもりは無い。
民を愛し民の為に生きるのは国主として当然の事。
そして彼らを自らの無力で喪った今、彼らに手向けを送るのは果たさねばならぬ義務。
邪神を滅ぼし、ただ世界を見守るのも、過ぎる力を持った自らの当たり前の帰結。
だが、その上で尚、それらを置き去りにしてあの男と出逢い、そして戦う事こそが己という存在の必然だったのだと否応無く理解した。
この確信は相手も抱いている筈だ。
だが同時に何か一つボタンの掛け違えの様な物も感じる。
そう、出逢うタイミングを間違えたかのような。
何か重要なピースが欠けているかのような。
……。
いや、今はどうでもよかろう。
クランドは確信する。
彼の者とならば、自らはどこまでも高みに行けるのだと。
限界など存在しないと。
無限を超えたその果てに、永遠のその先に。
クランドはやはり満面の笑みを湛えたまま、そのまま速度を変えず進軍を続ける。
その歩みの一歩一歩毎に大きくなる魂の震えに歓喜すら覚えながら。
あのまま、ノブツナの城の場内を、誰に出会う事も無い様ペット二匹を連れ一人抜け出したスレイは、誰に聞くまでもなく魂の導きのままに、当然の様にクランドの軍勢の元へと向かった。
そして現在、軽く百キロメートルは離れた位置に在るアンデッド兵達に囲まれたクランドを、当然のように捉えていた。
目が合う。
そして“繋がった”。
魂が共鳴し、増幅し合う。
スレイは驚愕する。
クランドと魂が共鳴し合ったその瞬間、ヴェスタの世界の力の波動による力の抑制が解かれた。
まるで世界の墓場に居た時の様な、いやそれ以上の力の高まりを感じる。
理解する。
今のスレイはクランドとの魂の共鳴増幅により、魂の波動が別物へと変質している。
即ち、ヴェスタの波動とは全くの別物になった。
それ故に、ヴェスタの世界の波動の抑制を受ける事は無いのだと。
更に、互いの魂が共鳴し増幅し合う事で、世界の墓場でさえ下級邪神を僅かに超えた程度の力だったのが、今ではスレイもそして間違い無くクランドも中級邪神級の力へと到達している。
今もまだ上昇中だ。
互いが居るからこその、互いが在ってのこの力。
なるほど“運命”か。
スレイは確信していた、自分とクランドは始めから対成す存在として生れ落ちたのだろう、と。
出逢いは必然なのだと。
笑みが零れ落ちる。
止まらない。
一歩一歩クランドの元へと歩みを進めながら、共鳴する魂の増幅と共に、歓喜が高まっていく。
『待てっ、主っ!!』
そんなスレイの気分に水を差すかの様に、ディザスターが思念を荒げる。
「ディザスター?」
フルールが不思議そうにした。
スレイはただ億劫そうにディザスターを振り返る。
『主よっ!今は退くか、我らに加勢を許せっ!!相手の力量を勘違いしていた。いや、相手が何者か理解していなかった。アンデッド兵達は兎も角あの男にはクライスターの力の欠片も感じられんっ!それどころかクライスターからアンデッド兵達の支配権すら奪い取ってさえいるっ!だから騙されたが、あれは人の無限の可能性の極限っ!!人の究極形にして完成形っ!!今の主では分が悪いっ!!』
「今の俺が恐怖心を失っているから、か?」
『なっ!?』
「え?」
ディザスターの必死の訴えに、ただただ面倒臭そうに、あっさりと言ってのけるスレイ。
ディザスターは驚愕し、フルールはただ理解できず疑問の声を上げる。
「確かに、今の俺は恐怖心を奪われたが故に、お前の探索者としてのレベルを上げさせず神々のシステムに取り込まれずに人間としての無限を超えた可能性を活かすという計画通りには行かず、まだ人間としては不完全なままな為、人間としての可能性を失ったままだ。分が悪いとはそういう事だろう?」
『……まさか我の計画まで気付いているとはな。ならば、人の可能性の極限へと到ったあの者相手に、今の主では不利だと言う事も分かる筈』
「ねーねー、その人間の極限って何?教えてよー」
軽く自らの欠陥を述べてみせたスレイに、ディザスターは再度スレイの不利を指摘する。
フルールは話に付いて行けずに疑問の声を上げるが、スレイとディザスターに黙殺された。
ふっ、と億劫げだったスレイは突然軽い笑みを浮かべて告げる。
「さて、そうかな?俺の読みでは五分五分と言ったところだと思うんだが」
『何っ!?』
「俺とあの男が戦えば無限を超えて永遠に互いに力を高め合うループに嵌る……んだが、まあ確かに俺は人として現在欠陥品だ。だがそれでも“天才”の無限の成長力で相当に喰らい付くだろうさ。その間に俺が“切断”の“絶対概念”を掌握すれば俺が勝つ、その前に成長のループから脱落すれば俺が負ける。な?五分五分だろう?」
『なっ!?“絶対概念”だとっ!?』
「え?スレイって“絶対概念”を持ってるのっ!?」
「ん?フルールはともかくディザスターは何を驚いてる。前世の俺は“切断”の“絶対概念”を持ってなかったのか?」
思わぬ反応にスレイは思わずディザスターに疑問を発する。
『あ、ああ。少なくとも前世の主はそのようなもの自覚していないようだった……前に言っていたように、魂が本当に進化しているのか?』
「さて、な?」
どうでも良さそうにスレイは軽く肩を竦めるとディザスターに告げる。
「まあ、本当は俺としてもだ、あいつとは恐怖心を取り戻し、人の無限を超えた可能性を再び手に入れてから、永遠に戦い続けたいところなんだが……出逢ってしまった以上、戦わないなんてのも、お前等の力を借りて倒すなんてのも論外だ。出逢ったならば戦わずにはいられないんだよ俺達は」
『主っ!!』
「スレイっ!!」
ディザスターとフルールの怒鳴り声に、スレイは肩を竦めて残念そうに笑ってみせる。
「が、だ」
『ぬ?』
「へ?」
キョトンとした様子の二匹にスレイは本気で残念そうに言った。
「まあ、俺としては残念な事なんだが……色々とノブツナの城で言った事はどうやら嘘になっちまいそうだな、結局は決着が付く戦いならば俺が勝つ。俺としては負けはしないが時系列すら無視した中でさえ永遠に戦い続けるから帰る事は無いだろう、ってつもりだったんだが……永遠にあいつとの戦いに溺れていられたなら最高だったんだろうが本当に残念だ。まあ、それでも永遠に近しい戦いにはなるだろうから、精一杯楽しむ事にしようか」
どこまでも名残惜しげに言うスレイにディザスターとフルールはようやく理解する。
『主が勝つと言わなかったのはそういう心積もりだったからかっ!!』
「シズカに思わせぶりな事を言ったのもそれだったんだっ!!」
「ああ、まあな……ふぅ、本気で残念だ」
何処か怒ったようでさえあるディザスターとフルールに、だがスレイは本気の表情で残念がってみせるだけ。
もはや二匹は何も言えない。
だがそんな二匹を無視してスレイは続ける。
「しかも、ここまで“繋がって”しまった以上、戦いが終わった後の俺の変質を、背負わなきゃいけないだろう義務だのなんだのを考えると……うんざりするな。それが嫌じゃない辺りもあいつの悪質なところだ、どこまで俺を篭絡しやがる」
『はっ?』
「へっ?」
「だから今、俺とクランドの魂は既に繋がってるんだよ、おかげで理想の国主とやらのそのあまりに崇高な思想が俺の精神に影響を与えてくれて、色々と頭が痛いんだ。それすら含めてあいつに惹き付けられるんだから本気で性質が悪い」
スレイが何を言ってるのか分からないと言った風だった二匹。
だが続く言葉を聞いて納得したように声を出す。
『なるほど、どうも主の様子がおかしかったのはその所為か』
「ノブツナに対しての態度なんて、本当に何時ものスレイと比べて、何コレって感じだったもんね」
「言うな」
どこか恥ずかしげに顔を背けるスレイ。
「さて、時間を潰し過ぎたな、そろそろ行くか」
と歩きかけ、スレイは振り返り、同時にフルールを肩から持ち上げる。
立ち止まるディザスターと慌ててパタパタと空に浮かぶフルール。
『なんだ?』
「どうしたの?」
「いや、お前達ここに残ってろ、俺は存分にクランドとの二人きりの逢瀬を楽しみたい」
スレイの言葉に二匹はまたも声を荒げる。
『何を言う主っ!?』
「そうだよっ、向こうにだってアンデッド兵がいるじゃないかっ!?」
「あんなの物の数に入らんだろう?だがお前達はそうもいかん」
『だ、だがっ!手を出すなと言うなら、ここだろうが、付いて行こうが同じ事だろうっ!?』
「僕達の力だったら距離なんて関係無いよっ!!」
必死な二匹にスレイは今度はらしい口端を吊り上げたニィッという笑みを浮かべてみせる。
「おいおい、俺が何の為にわざわざアイツのところまで歩いて行くと思っている?」
『ぬっ?』
「へっ?」
「現在の俺とクランドの力は全知全能のランクも全知全能無効化のランクも全くの同格、故に遠距離から何をしようがただ打ち消し合うだけ。意味があるのは無限速さえ超えてただ在ると思うだけで全次元全時空全位相上の好きな座標を指定しそこに在れる移動と、刀を使った技を競う超接近戦だけさ。そして俺達が戦いのフィールドを作り上げたなら、今の俺達よりは力の劣るお前達じゃそのフィールドに侵入は不可能。な?単純な理屈だろう」
『ぐ、ぬ……』
「う~~……」
あまりにも傲慢な台詞。
だがそれを確信させる圧倒的な力の波動。
ディザスターとフルールは絶句しつつも悔しそうに唸る。
「そう拗ねるな。俺は言ったぞ?決着が付く以上は俺の勝利しか無いとな。主人の言葉も信じられないのか?」
流石にこれは止めだった。
ディザスターもフルールももはや何も言えなくなる。
『……分かった、主の帰りを待とう』
「絶対勝ってよねっ!!」
スレイは最後に再び口端を吊り上げ、今度は先ほどよりも強くニヤリと笑う。
そのままクランドの方へと振り返り、ただ右手を上げて二匹に応え、そのままクランドの元への歩みを再開した。
ただ近付いて行く毎にどこまでも高まる魂。
その昂揚を楽しみながら、ゆったりと、自分自身を焦らすかの様にクランドの元へと近寄って行くスレイ。
そして時間が経ち、その距離は埋まり、クランドへと到る前にアンデッド兵達が立ち塞がっていた。
ここからでも呼び掛ければ。
いや、ただそう望めば、魂の繋がりからそうと察しクランドはアンデッド兵達を退けるだろう。
だがスレイはそれを望まなかった。
単純な理屈だ。
魂の繋がり故に理解した。
クランドは枠を超えた戦いの経験が少な過ぎる。
自らとの戦いの中で、魂の繋がりを使い、凄まじい速度で学んで行くだろうが、始めからある程度の物は吸収させておいた方が最初から楽しめるだろう。
だから、スレイは双刀に手を掛ける事すら無く、ただそのままアンデッド兵の只中へと突っ込んで行く。
スレイの意を汲んでだろう。
アンデッド兵達は当然の様にスレイに襲い掛かってきた。
一騎当千の、S級の力を持ったアンデッド兵達。
だが、彼らはスレイに指先一つ触れる事が出来なかった。
決してスレイが躱した訳ではない。
文字通りアンデッド兵達の側がスレイに触れる事が出来なかったのだ。
一万のアンデッド兵達の中をスレイは悠然と進む。
そんなスレイをクランドがアンデッド兵達の後方がら強い瞳で凝視している。
その瞳にますます昂ぶりを覚えながらスレイはクランドの元へとごく自然に、しかし僅かに違和感を感じさせる動きで歩みを進めていく。
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