結局は大した事も決まらぬまま会議は終了した。
なにせ各国の代表達にも立場というものがある。
それほど長い時間が取れる訳も無い。
その為、会議の終了後、各国の代表達は急いで自らの国へと帰還していった。
その際、スレイはフェンリルに、故国であるシチリア王国に仕官するよう散々に誘いをかけられたが、何ということも無く聞き流し断っていた。
今のスレイにとっては故国といえども大して重要ではなく、そもそもスレイの望みを考えれば仕官する意味などないからだ。
スレイも同様にゲッシュ達と共に帰還する事になったが、帰還時賓客に対してのお見送りはあったがその中にエリシアは居なかった。
まあ当然だろう。
賓客の1人であるスレイの世話の為仕事を休むのと休んで見送りに来るのでは立場に対する影響が違う。
なにより既に転移の魔法で何時でも会いにこれる事を伝えてあり、その際に顔を輝かせて喜んでいたので全く問題は無い。
何やら見送りの一同の中にはあのザインとかいう兵士も居てスレイを睨んできていたが悠然と無視してやった。
そもそも気にする程の相手でも無い。
そのまま迷宮都市アルデリアへと帰還したスレイだったが、帰還までかかった日付を考えると正味一週間ほどアルデリアを離れていた事になる。
暫くの間は不機嫌になったサリアのご機嫌取りや、恋人達への埋め合わせに時間を取られる事となった。
特に、今回の旅路で、また恋人を増やしていた事もあり、いっその事ともう恋人全員に自らの野望をぶちまけてしまったのだが、何を今更といった呆れた視線で見られたのにはダメージを受けた。
正直、普通に責められるよりよほどのダメージだった……。
まあ他にやった事と言えばケリーとライバンに対する工作がある。
夢の中で2人が互いに戦い競い合うようにし、後は迷宮探索できないように精神的な抑制を掛けたのだ。
あれから色々と考えて、仮にも職業:勇者なんて立場にある者を拉致するのは色々と面倒臭いと思い到ったのと、折角のライバル関係のバランスを崩しても勿体無いと思った為である。
ついでに時間を弄って、それこそ夢の中で無制限に鍛え続ける事も可能だが、それは止めておいた。
やはりあの2人がいきなり急激な成長をしたりすれば周囲が色々と騒ぐだろうからだ。
ここは違和感を感じさせない程度で、それでも急速に成長させるに限る。
まあ、1ヶ月もあればライバンは他の職業:勇者2人と一気に差がつくだろうし、ケリーの成長も違和感を抱かせない程度で、それでいてクロウを驚かせる程の物になるだろうと思う。
あと、迷宮探索をできなくても、2人の場合はギルドお抱えの身なのと王城で養われてる身だから問題なかろうと判断した。
一応ゲッシュにも、無意識に、ケリーに迷宮探索が関連する任務は与えないよう抑制を掛けた。
少しばかり気の長い話だが、これで2人はなかなか面白い成長を見せてくれる事だろう。
ちなみに、スレイ自身の生活は今までと何一つ変わる事がないまま続いている。
何せスレイは自由を好み、縛られる事を嫌い、そしてギルドに、いやこの世界にスレイを縛れる存在など存在しない。
なによりディザスターとの毎日の修練により、探索者の肉体の可能性を掘り下げ、技量を磨き、戦闘経験を積み、“閃き”をより鋭く研ぎ澄まし、能力値では計れない戦闘能力を鍛え上げている事。
双刀もディザスターの血と精神でより高みに上り続けているという事。
これらのスレイの主張をゲッシュもまた無視できなかった。
なので、いざという時に戦いに協力するという約束だけはさせ、それ以外についてゲッシュはスレイに邪神関連について協力させる事を諦めてしまい、もはや気楽なものだ。
故に、スレイの迷宮探索は金銭の必要に駆られて行われるぐらいである。
時折知人に、どうして迷宮探索に没頭せず、また敢えて能力値を上げようとしないのかと問われると、結局自らの自由人らしい気質からの奔放な行動だと回答したのだが。
実際、あっさりとそれで納得されてしまったのには釈然としないものがある。
なにはともあれ、スレイの迷宮都市での生活はそのように気儘に続いていた。
【ディラク島】とある戦場
「く、クランドっ!!き、貴様っ!!な、何なのだその力はっ!?それにあのお前の国の兵達、明らかに尋常では無い。貴様っ、いったい何をしたっ!?」
「ふむ、俺は絶望の邪神クライスター様の使徒と成った身、そしてあの兵達は我が手にて邪神の尖兵たるアンデッド兵へと成した。我が手にてこのディラク島の覇権を握る為にな」
「じゃ、邪神だとっ!?邪神が復活をっ!?そ、そんなっ!?ば、馬鹿なっ!?い、いやそれよりもクランドっ!!き、貴様っ!!世界の敵たる邪神に魂を売ったというのかっ!?」
アンデッド兵達を、なるべく誰も傷つけないように制御しながら、それでも傷つけてしまった者達は自らの力で治癒し行軍していたクランド。
その行軍の最中、ノブツナ軍の軍旗を掲げた一軍がやってくるのを見て、クランドは敢えて自らが先頭に飛び出し、その圧倒的な力で誰1人大きなダメージを与えないまま、その軍の将の元まで辿り着いていた。
その圧倒的な力。
とはいえ、今のクランドからすれば、ほんの欠片も力を使ってなどいないに等しいのだが。
そしてクランドの後ろに続く、まだ自軍とぶつかってはいないが、明らかにおかしいアンデッド兵達の様子に、思わず問いかけたノブツナ軍の将に、クランドは自らを邪神の使徒と名乗り、アンデッド兵達を自らの手で傀儡としたのだと告げる。
それに激昂する将に、ふむそれでいい、と思いつつ、クランドはすぐに周辺一帯どころかディラク島全土の動物の分布を確認、方向を定め、僅かに存在する動物達は強引に移動させ、犠牲が出ないように、それでいて破壊規模は大きく、軽く太刀を振るう。
底の見えない亀裂が出来、その先にあった山が数個消し飛んだ光景に真っ青になるノブツナ軍の将と兵士達。
クランドは淡々と告げる。
「さて、お前達は幸運だ。見逃してやるからそのまま無様に逃げ出すがいい。そしてノブツナに伝えろ、クランドがお前を待っているとな」
クランドの言葉に、もはや言葉すら出ず、そのまま逃げ出すノブツナ軍。
クランドは少しばかり落胆する。
クランド自身が望んだ事とはいえ、兵どころか将ともあろうものが民を見捨てて逃げ出すか?
民の為に命を投げ出してみせてこその兵、そして将、そして何より国主であろうと。
後ろを振り返り、僅かに傷ついた民達をクランドが見ると同時、その民達の傷は完治していた。
不思議そうにしながらもクランドとアンデッド兵達を恐怖の籠った視線で見る民を優しく眺め、フイっと逃げ出したノブツナ軍を見やり思う。
本当ならばあの者達も未熟とはいえ治癒してやりたかったがままならぬな。
だがこれでいい。
これで悪者となるのはクランド1人。
クランドの民は犠牲者という事になる。
ノブツナへの伝言は将来への布石だ。
ディラク島を統べる者になるというのなら、今のノブツナには足りない物がある。
刀を以ってそれを叩き込んでおくとしよう。
将来のディラク島の民の為に。
さて、あとは……。
これを思う時、ほんの少しだけ不謹慎だと思いながらもクランドの心は躍る。
まだか?
まだなのか、我が運命よ?
現在、スレイはクロウに呼ばれ、探索者ギルド本部へと訪れていた。
何せ刀術について語り合う相手としては、あれ以上の相手はいない。
それにその弟子のケリーとはクロスメリア王城への旅路の中で親交を深めているし、友人候補だし、今密かにクロウや本人にすら隠れて色々と育成中だ。
スレイとしては、今回呼び出されたのを良い機会として、サクヤ辺りとも戦ってみるかと思っていた。
スレイは、世界の墓場でのアルスとのほんの僅かな質の高い戦いで、エーテル強化の段階も上がり、探索者カードを見たところ、新たな特性を概念操作、寸勁(刀術)、浸透勁(刀術)、刀人一体と四つも得ていた。
他にも特性としては測れないような異端な能力を幾つも得ているのを自覚している。
それもこれも全て、アルスとの戦いの他に、他の強者達の力を見て様々な技術を盗むに到ったからだ。
だがサクヤ含め数人は、力を殆ど見せずに戦いを終わらせてしまっている。
スレイはサクヤの力を全て引き出し盗みとってやろうなどと密かに企んでいたりした。
それにケリーあたりと、それにアッシュを誘ってどこか適当な迷宮探索をしてみるというのも良いのではないかと考えていた。
やはり友人だ、男の友人がもっと欲しい。
これはスレイにとって切実な問題であった。
なので今回は、クロウ達と同じくギルド本部に仮住まいしている真紀達の事は無視する。
道を歩くスレイの背後にはディザスターが続き、右肩の上にはフルールが居座り、周囲の注目が集まるが気にしない。
フルールもまた、迷宮都市に帰還後スレイの宿の部屋へと付いて来て住み着いていた。
すっかりスレイの右肩の上が定位置だ。
サリアなどがひどく触りたがっていたが、ディザスターと同じく中々スレイ以外の人間には触れさせようとはしなかった。
何か自分には本気でこういう特殊な存在を惹きつけるものでもあるのかと真剣に悩むところだ。
もっともどちらも可愛く優れたペットなので嬉しい悩みではあったが。
そうして辿り着いた探索者ギルド本部で、受付の者に取り次いでもらい、クロウを呼び出した。
そしてやってきたクロウであったが、サクヤは同行しているが、ケリーとマリーニアの姿は見当たらない。
代わりに予想外の人物がそこに居た。
「ふむ、よく来てくれたのうスレイ」
「ああ、呼ばれたからな。あんたとは刀の事で話が合うし、今度はそっちのペッタン婆さんを倒してやろうかなどと考えていてな。ところでケリー達はどうした?それに、ノブツナやシチリア王国のアイス王やフェンリルと一緒に北方に帰った筈のあんたの孫が何故ここにいるんだ?」
ピクリと明らかに血管が膨れて切れかけているサクヤはあっさり無視。
そこに居たのはクロウの孫でありノブツナの娘であるシズカであった。
仮にもディラク島で最大の勢力の国主である自分の父を軽く呼び捨てにし、生きながら伝説となっている祖父のクロウをあんたと呼び捨てるスレイにやはり会議の時からの無礼さを思い出したのか、思いっきり眉を寄せている。
「そのことじゃがな、ケリー達ならマリーニアの占術で以って、無数の未知迷宮に関して色々と探っておるところじゃ。何せ重要な任務じゃからの……何故か2人が直接迷宮に潜る事は無いようじゃが、情報収集については色々と成果を上げているようじゃぞ?その内その情報をあの会議に集まった者達に伝え、戦力アップの為の迷宮探索なども始まると思うぞい」
「ほう、それは」
やや驚いたように相槌を打つスレイ。
確かにマリーニアの占術であれば、迷宮に潜る必要も無く、その迷宮に隠されている様々な要素を確認することも可能であろう。
その情報を元にすれば、あの場に集まった既に自らの限界の高みまで到達している者達であっても更なる成長を望めるかもしれない。
もっともスレイに関してはまだまだレベル限界も程遠く、そもそもレベルなどとは外れた分野での成長の道を既に見つけ出し、そちらで成長を続けているところな上、邪神に関しては色々と思うところがある為、全く要らぬ情報なのだが。
流石にスレイも、自分にレベル限界が存在しないという事までは知りえない事実であったが。
「それでシズカの事じゃがの、ゲッシュ殿がこのギルド本部の転移の間の使用許可を与えておったであろう。一度故郷に帰り飛翼の首飾りで自分の部屋にマーカーした後、探索者になる為に、転移の間へ転移してやってきたのじゃよ」
「随分と早いな?」
やや訝しげなスレイにシズカが答える。
「馬車を引いていたのはフェンリル殿の魔狼でしたから」
「なるほど」
納得したように頷くスレイ。
「しかし何故探索者に?」
「私には兄のように国を自在に動かすような智謀はありませんから、せめて父母のように戦える力だけでも手に入れようと思いまして」
「まあ、そういう事じゃな。ノブツナが国主ではあるが、あのディラク島の最大勢力である国は、実質ノブヨリの奴が全てを動かしてるようなもんじゃからの」
ほう、と頷き、やや訝しげにスレイは問いかける。
「それで、結局俺は何で呼ばれたんだ?」
「ふむ、お主にはまだ探索者に成り立てのシズカの【始まりの迷宮】の探索をサポートしてもらいたいと思ってな、既にシズカは探索者になる肉体改造を受けておる。じゃがまだLv1の無職じゃからな、儂としても心配でのう」
クロウの孫が可愛くて心配で仕方無いといった様子に、サクヤが呆れたような溜息を吐いている。
またシズカもその過保護にやや辟易としているようであった。
「と、いうか。そんなに心配ならあんたがサポートしてやればいいんじゃないのか?」
至極当然のスレイの疑問。
だが答えはあっさりと返ってきた。
「こう見えて儂も過去の力在る知人達にコンタクトを取るのに忙しくての、こうやってお主を呼んだのもギリギリのスケジュールの間を縫っての事じゃ。じゃから頼む、シズカのサポートをお願いできないじゃろうか?」
サクヤやシズカが呆れているのも分かった気がした。
だが、スレイとしては僅かにこのクロウの孫であのノブツナの娘であるシズカに興味が湧く。
だがそれ以上に疑問が湧いたので思わず尋ねる。
「それはいいが、何故俺なんだ?俺だって色々と忙しい身なのだが」
「ふむ、確かに忙しいようじゃの。女遊びで」
意表を突いた言葉ではあったがスレイの表情は飄々としたまま。
むしろ何故かピキリとシズカの表情が凍り付いていた。
「にしてもな、その女遊びで忙しい女癖の悪い俺に孫娘を預けるか?」
「それでは聞くが、何故お主は邪神復活を防ぐのに協力しないのじゃ?いくら自由人だなどと標榜してたとして、世界全体に関わる問題じゃぞ?」
「そんなもの決まってる。邪神が復活するのはむしろ望むところだ、何せ俺がこの手で全て倒してやるんだからな」
今度はシズカだけでなく、サクヤまでも表情を凍り付かせる。
だがクロウは呆れたように溜息を吐くだけだった。
「やれやれ、そんな事じゃと思ったわい。じゃから少しでもお主に荷物を押し付けておこうと思ってのう。自らの手で邪神復活だ、などと動かれたら厄介な事この上ないのでのう」
「なるほど」
「お爺様っ!?荷物とはなんですかっ!?」
怒鳴るシズカを無視して会話は続く。
「ふむ、まあいいぞ。少々興味が湧いた、その頼み引き受けよう」
「おお、ありがたい。じゃが、シズカに手を出したりすれば分かっておるじゃろうな?」
威圧するように告げてくるクロウ。
だがスレイは軽く返す。
「安心しろ、俺は俺に惚れた女にしか手を出さん。まあ無理矢理にでも惚れさせるようなアプローチはするが」
どこまでも自信に溢れた、それでいながらそこまでの執着の無いスレイの言葉。
それにクロウは失敗した、という顔をする。
「ところで、探索者になったばかりという事なら、今のステータスを見せてもらえないか?」
そんなスレイの言葉にシズカは僅かに緊張した表情で自らの探索者カードを取り出して見せた。
シズカ
Lv:1
年齢:18
筋力:E
体力:D
魔力:D
敏捷:C
器用:D
精神:D
運勢:D
称号:寵愛者
特性:刀技上昇、二刀流
祝福:剣神フツ
職業:無職
装備:ヒヒイロカネのディラク刀の小太刀×2、戦巫女の装束、ミスリル絹の足袋
経験値:0 次のLvまで100必要
所持金:0コメル
「ふむ」
スレイは納得する。
「探索者に成り立てでこのステータスなのは驚いたな。しかし特性については元々心得があったらしいしな。むしろ魔法、というよりディラク島の方術か。その心得があるのに魔法系の特性が無いのは、まだ無職だからか?あと、この称号は、剣神の寵愛者とはなかなか面白い」
「どこまでも冷静な分析じゃな。それでは、頼むぞい」
スレイはどこか面白そうな顔で答える。
「いいだろう、自らの鍛錬はペット達のおかげで幾らでも時間があるからな。それにさっきも言ったように興味がある、何かと面白そうだ。まあ俺がいる限り身の危険は無い、安心しろ」
「いや、別の意味での身の危険がありそうなんじゃがのう」
「お爺様っ!!私はそんなに軽い女じゃありませんっ!!それにこんな女にだらしなくてどこまでも無礼な人となんてっ!!」
シズカの台詞にスレイは怒るどころか楽しげな表情をする。
こういう嫌われている状態というのはいい。
特にここまで激しい感情なら尚更だ。
案外こういう相手ほど、感情を裏返して惚れさせやすい物だ。
まあ、その為には正しいやり方をする必要があって、少しでも間違えればますます嫌われるだけなのだが。
だが、それがいい。
こうして、探索者に成り立てのシズカと一緒に、スレイは【始まりの迷宮】を探索する事になった。
【始まりの迷宮】地下1階
迷宮に潜り始めてから暫し。
ふと、スレイは自分が迷宮都市に来てから探索した迷宮の数の少なさに思い至る。
しかもその殆どの割合の探索が、この初心者探索者用の【始まりの迷宮】だという有様だ。
なんというかまあ、迷宮探索者と呼ぶには正直どうかと思う。
いやまあ、今となっては迷宮探索を控える理由があるのだが。
それに多分、だ。
そう多分、それ以前も罪悪感と贖罪の意識など表面上纏ってはいた。
それなりに悲壮感も滲み出ていただろう。
だが結局は、だ。
そう結局は、奥底にあった自分の行動原理など戦闘欲と性欲に過ぎなかった。
そう思う。
だからこそ無意識に自然と女にアピールをして物にしてきて。
そして真の強敵を求めているからこそ、ただの迷宮には興味が薄かった。
今なら未知迷宮にガンガン潜れば、それなりの強敵はいると思うのだが、今はなるべくレベルは上げないようにしなければならない。
半端な強敵などで経験値を稼いでしまってはつまらない。
真に強敵と呼ぶに足る存在は、迷宮には……封印されてる邪神と、後は、かの名すら忘れ去られし邪龍くらいだろうか。
他は精々異世界の神々程度。
今となっては真の強敵と呼ぶには物足りない。
強くなればなるほどに、求める強敵が減っていく。
そんな奇妙な心地すら覚える。
全く以って狂ってるな。
スレイは自らの異常さを自覚する。
……まあ、なによりいくら初心者用とはいえ、迷宮の内部でそんな事を悠長に考えている事自体が異常と言わざるを得ないところだが。
そんなことを考えながらも、自らに向かってくる“敵性存在”を“転移”させるという低位の概念操作を行っているため、自然とスレイに向かってきたモンスターは、その存在そのものをどことも知れぬ空間、この世界の外へと飛ばされている。
ヴェスタの波動で魂の波動が相殺され、力がほとんど封印されてる今、特性として得るに到った概念操作が尤も便利に扱えるお手軽な力だ。
“転移”を選んだ理由は簡単。
今のスレイは経験値を得るのは避けるべきだとディザスターに言われている。
もっともこの迷宮に出るのはあまりに低ランクのモンスター過ぎて、いくら倒しても小数点以下何桁なのかも分からないような劇的に少ない経験値にしかならないが、それでも今はほんの僅かな経験値を得るのすら避けなければならないそうだ。
尤もある程度鍛え上げた後は、最上級職にクラスアップ程度はしてもらうと言っていたが。
クラスアップは神々の中でも良心的なダンテスが大きく関わっているので、利用するのにそれほどの問題は無いらしい。
絶対に避けなければならないのはレベル80以上になって、神々のシステムに染め上げられる事、というのがディザスターから聞かされている内容だ。
スレイはペット達を全面的に信頼している。
理由は分からないがとにかく信頼できる、そう感じていて、そしてそんな自分の感覚を信じている。
だからこそモンスターを倒さずに“転移”させる事で、経験値を得るのを避けている。
ちなみにこの応用で、“転移”と“強奪”など、他各種の組み合わせでアイテムやモンスターの生体素材を奪い取った上で世界の外に飛ばすなどという非道な方法もある。
金銭を稼ぐ時は専らその方法を使っている。
世界の外に飛ばすのはこの世界ヴェスタの場合、世界の壁も強固でかなり力を使うが、それでもそうするのは、流石にこの世界のどこかに飛ばして誰かに迷惑を掛ける訳にもいかないという配慮だ。
スレイにだってそのぐらいの配慮はできるのだ。
そんな感じで考え事をしながらスレイは迷宮の中をシズカの後に付き従い進んで行く。
勿論時折、シズカに軽くアプローチを掛けては連れなくあしらわれているが、手応えは感じている。
なにせ全くの無関心より、嫌っている感情でも意識されてる方がやりやすい。
ちゃんとモンスターと戦う邪魔にならない、気の散らないタイミングを図っている。
シズカの性格を分かった上で、敢えて激昂させる方向に煽りながらも、スレイを意識せざるを得ないように誘導する。
シズカの弱点だろうと思われる口説き方で心に隙が生じた時にいきなり攻勢をかける。
そんな感じで着々とシズカを口説き続けるスレイ。
しかし相変わらず舗装された通路に、石壁や天井もしっかりとした作りで、光源が不明の明るさも丁度良く、ひどく進み易い迷宮である。
初心者用とは言えあまりに手軽すぎるのではないかと思う。
ちなみにディザスターはスレイの隣を歩き、フルールまでスレイの右肩の上に乗ってついてきている。
はっきりいってこんな初心者用の迷宮に有り得ないような布陣である。
そんな彼らが見守るシズカの戦いは、心得があると言っていて、あのステータスなだけはある。
恐らくは父である“鬼刃”ノブツナや母の“鬼姫”トモエにでも幼い頃から仕込まれたのだろう。
まあ武器の分野が違う気がするが、彼ら程になればそのくらいどうとでもなるだろうし、娘に適した戦い方を選別して教えたと考えられる。
ある程度以上になれば、シズカ自身が自らを、それこそ同じ武器の使い手の先達に教わるなり、或いはこのように探索者となって自力で高めるなりと方法はあるのだ。
ともかく、その戦いは、迷宮探索者に成り立てとしては実に見事なものであった。
今も相手が最低のGランクモンスターである粘液状のモンスター、ただのスライムとは言え、その粘液状の体内にある小さな核を、初心者探索者どころか殆どの下級探索者であっても剣の平で打つなど、面の攻撃で破壊して倒すところを、きちんと刃筋を立てた線の攻撃で、二刀の小太刀で見事に斬り裂いて倒していってみせている。
実に見事なものである。
おぉーっとディザスターとフルールと一緒に拍手などするスレイ。
そんなスレイをシズカがキッと鋭い眼で睨んでくる。
そうそう、こういう反応をしてくれると実に口説きやすい。
とりあえずさっきまでは攻勢を掛け過ぎたから、ここは一つおちょくりでも入れて、煽っておくかな、とスレイは考えた。
「何の嫌味ですか?貴方達のような存在にこの程度で褒められても皮肉にしか感じられないのですが」
「ふむ、大人になるとは悲しい事だな。素直に人の感心を受け止められないとは」
「全くだね」
『主の言うとおりだと思うぞ』
そんな三者の息の合った様子を疲れたような呆れたような様子で眺め、溜息を零すシズカ。
既に諦めの境地にすら達しているように見える。
なにやら、この人わからない、さっきから掴み所がなくて、本当にわかんないなどという呟きまで聞こえてくる。
その表情には困惑と、どこか切なげな様子まで浮かんでいる。
反応が分かり易いってのはいいな。
そんな失礼な事を考えつつ、スレイは今度はちょっと鋭い言葉で切り込んで見る事にする。
「まあ、はっきり言わせてもらうと、確かに単純な戦闘能力という面では正直俺達からすれば見るべきところは無いな」
「ほ、本当にはっきり言いますね……」
流石にシズカが顔を引き攣らせる。
それなりに自信はあったのだろう。
まあ、ここまではっきり言えばいくらなんでもダメージを受ける。
そして心に隙が出来る。
だからここで思いっきり口説く。
「だが感心したのは本当だ。強さとかではなく、戦いそのものがまるで美の女神の舞いを見ているかのように美しかった。本気で見惚れてしまったぐらいだ」
「なっ!?」
真剣な顔で、どこまでも真摯に言葉を紡ぐスレイ。
真正面からの、歯の浮くような賛辞に、シズカは思わず頬を赤く染める。
「お、お爺様から女ったらしだとは聞いていましたけど、本当にその通りですね。それに私は貴方の野望なんかに引っ掛かる軽い女じゃありませんっ!!全く、そんな台詞をよくも恥ずかしげもなく……ぅぅ」
「そうだよねぇー、ほんとスレイって誑しだよね」
『主のソレはもう病気の領域だな』
今度はシズカだけでなく、ペット二匹からまでシズカに対し援護射撃が入り、口撃されて、スレイは飼い犬に手を噛まれた気分になる。
まあ、飼い犬ではなく飼い邪神に飼いドラゴンと言ったところだが。
主人が女を口説いてるんだから、素直に援護しとけ、と思うスレイ。
しかし、自分で言っておいてなんだが、今、“美の女神”という台詞を言った時に何かが頭の片隅に引っ掛かった。
しかも背筋まで寒くなった気がする。
恐怖を感じない自分が背筋を寒くするとは何事だろうかと疑問に思うスレイ。
暫し考え込むが、答えは見つからず、スレイはそのまま気の所為だろうと言う事ですませることにした。
しかし何にせよ、初心者探索者の探索を見守りつつ、その探索者を全身全霊で口説く男スレイ。
完全な駄目人間である。
スレイからすれば、これこそが俺のレゾンデートルなのだと堂々と胸を張って主張するべきところなのだが。
何にせよ、彼の恋人達からも呆れたような溜息が返ってくるだけだろう。
そしてそのまま2人と二匹の珍道中は続く。
【始まりの迷宮】地下10階(最下層)“試練の間”
あれから、無職のままでありながら、やはりシズカはとても初心者探索者とは思えない力を見せつけて一気に最下層まで突き進んで来ていた。
まあ、その間もスレイは手を替え品を替えシズカを口説き続け、かなりその心に楔を打ち込む事に成功したと手応えを感じていたが。
なんにせよ、だ、自分もシズカと同じ事をやりはした訳だが、自分の場合はそもそも特殊に過ぎて参考にならない。
ノブツナやまだ会った事も無いその妻トモエはシズカにいったいどんな教育をしたのかと流石に呆れてくる。
更に言うと長男であるノブヨリは武芸はからっきしというのだから、そもそもの教育方針やそれを決めた時期が謎だ。
なんというか好奇心がそそられる。
だがまあ、とりあえずはシズカの事だ。
シズカは今もまた、高速で動き回る小柄な蝙蝠型のモンスター、キラーバットの集団を、相変わらず美麗な舞の如き洗練された二刀の小太刀を以ってのその太刀捌きで、あっさりと葬りさっていった。
そしてついに、スレイにとっては色々と印象深い場所であるこの迷宮の最奥の広間へと辿り着いた。
シェルノートか。
ふと脳裏にかつて分体を葬り去った邪神の名が浮かぶ。
あいつは上級邪神の中でも、特に力とは別の意味で楽しめそうな相手なんだよな。
そう、おそらく自らと戦う時、シェルノートは様々な策を弄してくる筈だ。
しかも小細工なんかじゃない。
それこそ壮大で感心さえ覚えるような策を。
その戦いを漠然と思い描き、機嫌良く最奥の広間に入ったスレイ。
そこには、巨大な、実に巨大な粘液状の塊が鎮座していた。
自然に頭に情報が浮かぶ。
スライム・アーク。
Eランクボス級モンスター。
この迷宮の真のボスである。
始めてこの迷宮の真のボスを目にした事に不思議な感動すら覚えるスレイ。
今となっては雑魚中の雑魚ではあるが、見た事が無い物を見ればそれは感動もする。
そんなスレイをシズカがどこか訝しげに見ていた。
スレイは僅かに咳払いすると、シズカに尋ねる。
ちなみに今回はアプローチ抜きで純粋な質問だ。
「どうする、力を貸そうか?流石にあの巨体相手じゃ、ディラク刀とはいえ、小太刀二本じゃリーチ的に厳しいだろう」
「いえ、結構です。手段はありますので」
つれなく断るシズカ。
敢えて素気無くしようとするその態度に、スレイの口元に笑みが浮かぶ。
そんなスレイを意識してなんとか無視して懐を漁り、複数の札を取り出すシズカ。
ちなみにスライム・アークはまだ鎮座して、静止したまま動かない。
そしてシズカは、スレイが聞いた事も無い言葉で呪文を唱えると、札を空中に放り投げる。
最後にシズカが力強くその聞いた事も無い言葉で何かを叫ぶと、札は複数のディラク刀に見える刀身だけの刃の群れと化していた。
「方術か」
流石に見るのは始めてだが、存在自体は本や伝え聞いた話などで知ったし、無駄に“識って”しまってもいる。
そして確かにシズカ自身心得があると言っていた物だ。
まあこういう使い方をするとは思わなかったが。
方術の刃は一気に巨大なスライムアークの中心の核目掛けて高速で飛翔し、そのままスライム・アークへと突き刺さった。
その巨大さのみが武器で、弱点がはっきり見えているスライム・アークだが、あれで中心の核まで届く攻撃を繰り出すのは、初心者探索者には難しいと聞く。
初心者探索者の最初の関門である由来だ。
だが、シズカの方術により作られたディラク刀の刀身のみの刃は全てが容易くスライム・アークの核に到達し、核は破壊され、スライム・アークはその形を崩し、ただの粘液へと成り果てる。
「剣神を信仰する寵愛者、か」
ディラク刀の刀身を無数に生み出すなどという方術。
魔力と比してのその鋭さ。
その称号の意味が納得できたスレイであった。
シズカがカードを取り出しステータスを表示するのを後ろから覗き見る。
おそらくは無意識だろう。
スレイが身を寄せてくっ付けても全く嫌がらないシズカ。
どうやら着実に口説いている効果は出ているらしい。
そう思いながらもシズカのステータスをスレイは見た。
シズカ
Lv:6
年齢:18
筋力:D
体力:D
魔力:C
敏捷:C
器用:D
精神:D
運勢:D
称号:寵愛者
特性:刀技上昇、二刀流
祝福:剣神フツ
職業:無職
装備:ヒヒイロカネのディラク刀の小太刀×2、戦巫女の装束、ミスリル絹の足袋
経験値:563 次のLvまで37必要
所持金:0コメル
へぇ。
一日の戦果としてはなかなかのレベルアップに感心するスレイ。
そして、シズカの始めての迷宮探索は、無職のまま、初心者用とは言え迷宮をあっさりと一日で踏破して終わってしまった。
【ディラク島】とある戦場
「くっ、ちくしょうてめぇっ!!クランドッ!!俺相手に手加減してやがるなっ!?」
「うん?そうだな、否定はしない。一剣士としては刀のみなら本気で戦いたいと思わんでもないが。……ノブツナ、お前は自分の立場を自覚するべきだな」
「なんだとっ!?」
クランドの思惑通りノブツナが出てきた戦場。
クランドはノブツナを誘い、ノブツナ軍から孤立させると、他の力を全て封じて、ただの身体能力と刀術のみで戦っていた。
アンデッド兵達には、ノブツナ軍を殺さないように足止めさせている。
しかし、国主たるノブツナの無様な姿を臣下の者達に見せれば後々の障りになる為、戦う為には孤立させる必要のあったクランドにとっては理想の展開とはいえ、正直将どころか国主ともあろうものが、こうもあっさりと敵のあからさまな誘いに乗るのはどうかと思うのだが……。
まあ、相手が自分のような“個”としての強敵相手の場合は、他の兵は邪魔になるだけなので、その判断も間違いでは無いが、どうもノブツナの場合剣気に逸っているようにしか見えない。
「まあ、生来より剣才と環境に恵まれ、後には最高の剣士などと呼ばれ、放蕩者の両親の代わりに祖父の後を継がされ国主に祭り上げられたお前の事だ。拗ねるのも分からんではないが、既にそのような年でも立場でも無かろう」
「へっ、まるで説教でもされてるみてぇだなっ!?」
「……そうだな、無駄に語り過ぎたようだ。剣士である以上口で多くは語るまい、ただ刀で語り合うとしようか」
ゆらりとヒヒイロカネの大業物の長大な太刀を構えるクランド。
大業物とはいえ、ただのヒヒイロカネ製のディラク刀でありながら、究極級のシークレットウェポンであるノブツナのフツノミタマと斬り合って全く欠ける気配すらない。
そう修復能力で直るのではなく、一度も欠けないのだ。
おそらくはクランドの力なのだろう。
そう思うとノブツナは恐怖が麻痺した中でも背筋が凍るような感覚を覚える。
なによりクランドの刀術。
違う。
全く違った。
自分達探索者になった者達が磨き上げてきた、ひたすら技巧を凝らしたものではない。
実にシンプルだ。
単純明快に過ぎる。
どこまでも鋭く疾く真っ直ぐで研ぎ澄まされた一閃。
ただ一太刀一太刀の質が桁違いで……。
このような境地が在ったのかと、感動さえ覚えてしまう。
正直敵うとは思わない。
だがそれでも。
「へへ、そうだな。やっぱり俺たち剣士は、刀で語ってなんぼだろぉよ」
それでも引こうとは思えない。
むしろもっと刀を交えたいと、ノブツナは心から望む。
そんなノブツナを見てクランドは心中溜息を吐いていた。
自分で言った事とはいえ、ノブツナには何時までも一剣士のつもりでいられては困るのだが。
確かに国を動かしているのは実質ノブヨリとはいえ、ノブヨリはナンバー2、或いは裏方としての器でしかない。
それを自覚しているノブヨリの事だから国主の器であるノブツナを表舞台ではひたすら立てている。
そしていずれは継承権すら放棄して、妹のシズカの夫に国主の器を選び、サポートに回るだろうと予測している。
だがとりあえずは現在の国主たるノブツナに、ディラク島の為にも、自分がどんな立場にあるのか自覚し、自分がどのような振舞いをするべきか自覚してもらわねば。
だがやはり、それを自覚させるのもノブツナ相手では刀を交えて叩き込むのが一番の方法だとは皮肉だな。
さてまあ、それでは刀でディラク島を統べるべき者としての心得を叩き込んでやるとしようか。
そのようにあくまで大局を見据えながらも僅かにクランドの心は躍る。
仕方があるまい。
このように対等の立場で全力で刀を振るうなど始めての事なのだ。
今のクランドは身体能力をノブツナと全く同等にまで抑えていた。
太刀に込めた力も、ただ欠けないように強度を増しているだけ。
即ちノブツナを圧倒しているのはその純粋な刀術だ。
しかもそれでも手加減をしている。
そのシンプルでどこまでも美しい刀の軌跡は、まさにクランドの在り方そのものの様であった。
そしてクランドからノブツナへの刀を以っての帝王教育が始まった。
これもまたディラク島の未来を思うクランドの布石の一つである。
「ディラク島に、ですか?」
スレイの言葉に不思議そうにかつ眉を顰めて呟くシズカ。
何せ口説き台詞や態度から相手の心理を読んでのアクションと、徹底的にシズカの心に切り込んではいるが、まだガードを完全に崩した訳ではない。
いきなりの申し出となればこのような態度になるのも当然だろう。
いや、むしろこのタイミングだからこそ、半端にガードを崩して心に切り込んでいるこのタイミングだからこそ、警戒の態度が出るとも言える。
そんな様子を普段なら楽しむのだろうが、何故か心が浮き立たないスレイ。
何故か女に対する興味が一時的に薄れてるように感じる。
そんな事よりずっと重要な運命がすぐ其処に待っている気がして。
それでも自然と無意識に相手を口説いているのはもはや病気ではないかと自分でも思えてきたスレイ。
あれから、シズカは流石にディラク最大国家の国主の娘の為、【始まりの迷宮】の雑魚モンスターの換金アイテムから得られるような金銭程度に興味は無いらしい。
探索者ギルドに換金には行かず、すぐさま職業神の神殿でシズカは剣士にクラスアップを果たしていた。
シズカ
Lv:6
年齢:18
筋力:D
体力:D
魔力:C
敏捷:C
器用:D
精神:D
運勢:D
称号:寵愛者、剣の巫女
特性:闘気術、魔力操作、思考加速、思考分割、剣技上昇、方術効果上昇、刀技上昇、二刀流
祝福:剣神フツ
職業:剣士
装備:ヒヒイロカネのディラク刀の小太刀×2、戦巫女の装束、ミスリル絹の足袋
経験値:563 次のLvまで37必要
所持金:0コメル
剣士にクラスアップするのは生まれから考えても、信仰する神からも、その寵愛者であるという事を考えても必然だろう。
聞いたところによると担当がフィーナだったのは、果たして偶然だろうか必然だろうか?
しかしクラスアップすると同時に、一気に称号が一つ、特性が六つも増えたのには流石に驚いた。
特に剣の巫女とはまた。
これはいずれノブツナ形無しなんて事にもなり兼ねんなと本気で思う。
「ああ、今回の話を受けたのはそもそもその心算もあったしな。もともと俺はギルドマスターをおど……もとい交渉して自由な行動を認められてる身だ、殆ど邪神対策の事については動いちゃいない。という訳で今となっては当てにされてるのは俺の戦闘力だけだから、俺は独自の方法で鍛錬に励んでるんだがな。その独自の方法ってのが理由で実は今、俺はなるべく迷宮に潜らないようにしてる」
「え?あ、あの、それじゃあ今回の頼み事って」
「まあ、クロウもそれが分かってて、断られる事も覚悟の上で頼んで来たんだろうがな、過保護な話だ。だが、それでも今回の件を俺が受けたのは、あんたの飛翼の首飾りでディラク島に連れて行って欲しかったからだ」
まあもっとも探索者ギルドの面倒な規則がなければ、好き勝手に転移してディラク島に行ったんだが、とスレイは思う。
流石に用件を考えれば目立つしバレるから、そういう訳にもいかない。
自らの速度を活かして、長距離の移動を行うのが禁止とは面倒臭い話だ。
なので、今回はちゃんとシズカに連れて行ってもらったという体裁を取らなければならない。
勿論話を受けた時点ではシズカを口説くという理由もかなりの割合を占めていた。
まあ今は何故かそっち方面の気力が減衰してるが。
それでも口説くのを止められないのはやはり病気だな、とスレイは自分の業の深さを笑う。
しかし全く面倒な話だ、と再度スレイは規則について考え、溜息を吐いた。
「いったいディラク島に来て何をするつもりなんですか?」
「まあシズカみたいな美人の育った場所を是非みてみたい、という理由と、あとはもう一つ目的があるんだが。なんだ、何かあるのか?」
シズカの態度がやや固さを増していた為、疑問に思い尋ねる。
気力を失ってる今、それでも口説き文句を入れる辺り本気で筋金入りだ。
「……本当に、もぅ。……ええ、今少々ディラク島は厄介な事態になっているので、あまり他に騒動の種を持ち込みたくないんです」
口説き文句は効いてはいるのだが、それでも暗に自分が騒動の種だと言われている事に思わず頭を抱えるスレイ。
何故自分の様な善良な一探索者が厄介者扱いされねばならないのだろうか?
などと自らを弁えない思考をするスレイ。
「まあ、あんたの故郷を見たいという以外の俺の目的としては、神獣である九尾の狐の説得、引き込みと言ったところかな?まだあんたの国の連中も成功していないんだろう?」
「……また、この人は、もぅ。……ええ、それはまあ。我が国の交渉の為の部隊も、樹海に施された幻術に惑わされ、交渉どころか九尾の狐の元へと辿り着けた者さえ居ませんが、何故九尾の狐の説得を?」
「それはまあ、面白そうだからかな?」
なにせ人の姿では世界すら跪かせるという傾世の美貌を持つ美女という九尾の狐。
その美貌は美神にすら匹敵するという。
スレイにとってみれば垂涎の的だ。
まあ今は意欲が減退していて、ちょっと面倒臭くなっているのだが、ディラク島には何故か行かなければいけないと魂の奥底から何かが嗾けてくるようだ。
シズカはそんなスレイの減退している下心の方だけを感じ取ったように不機嫌そうに告げる。
不機嫌そうなのはかなりアピールが効果を発揮している証なのだが……駄目だった。
今のスレイはそれでも意欲が湧かない。
「……まあ、なにやら下心を感じますが。……説得してくれるというのであれば、我が国にとっても、邪神対策としても有利な事ですから別に構わないのですが……」
「ところで、厄介な事態とはなんなんだ?」
面倒臭いと思いながらも惰性で聞くスレイ。
「なんとなく、貴方という人が掴めてきました。ですがまあ、実力は本物ですし、役に立って頂けるかもしれませんし。……それにまあ、嫌ではないですし」
シズカはやはり呆れたような溜息を吐きつつも、どこか柔かく暖かい視線でスレイを見つめる。
言葉の通り慣れてきたのであろう。
ちなみに最後の言葉は実に小声で呟いていた。
スレイには聞こえていたが。
いつもならかなり喜ぶところなのだが、やはり気力が湧かない。
いや正確ではない、何とも知れない何かの予感に気を取られてそっちばかりに気が行っているのだ。
自分でも良く分からないのだが。
ともかくスレイという男は、こと最近は、劇薬のような男であった。
どこか世界とは隔絶した雰囲気を持ち、世界から完全に独立して自由奔放な存在。
しかしその圧倒的な強さという蜜は、この戦いがありふれた世界にとっては、人を惹き付けてやまない。
実際シズカも、その人格には呆れながらも、迷宮探索の間に見せ付けられた、何もせずとも容易くモンスターを撃退する力、それにごく当たり前のようにかけられ続ける自らを賛美する言葉や、思わせぶりに自分を揺さぶってくる態度に、かなりスレイという男に傾いている女としての自分を自覚する。
そんな自分を少し冷静になるように言い聞かせ、まあただの好奇心であろうと何だろうと、役に立ってくれるのなら使えばいい。
そう自分に言い聞かせると、シズカはスレイに告げた。
「最近、ひどく強力なアンデッドの集団を使役して、我が国を脅かす者が現れたそうです。その者の名はクランド。彼は我が国以外では最も大きな国の国主でした、まあそれでも我が国と比べれば雲泥の差だったのですが。しかしある時からどのような方法でか我が国の軍に連戦連勝するようになり、その後自らの国を崩壊させアンデッドの集団を使役し、クランド自身も圧倒的な力を発揮し、我が国を脅かすほどの勢力となっていると聞きました。なにせアンデッド一体一体が一騎当千の強さを発揮し、それが無数に居る上、クランドの強さはさらに比較にならない程と言われていて。まあ私がこちらに来る段階ではまだ我が国の辺境の兵士しか接触していなかったので私は詳細を知らないのですが」
『ほう』
どこか関心を持ったように反応したのはディザスターだった。
「どうした、何かあるのか?」
自らのペットの発した声に質問を投げかけるスレイ。
尤もスレイ自身も感じているものがあった。
クランド。
その名を聞いただけで信じられない程に魂が震えた。
気力の減退など忘れ去る程に。
『いや何、人に信じられないほど強力なアンデッドである自らの尖兵を無数に操れる力を与えて自らの使徒とするというやり口を、昔絶望のクライスターがやっていたのを思い出してな』
「なるほど、絶望のクライスターと言えば既に復活を果たしている邪神だったな。今回の事は邪神の手による可能性があるという事か」
『まあ、そういう事だな』
暢気に会話する主人とペット。
尤もスレイはどこかこの会話に違和感を感じていたが。
だが、自らの国を襲う事態が、邪神の手によるものかも知れないと聞かされたシズカはそれどころではない。
「なっ、そんなっ!?」
驚愕の声を上げ、呆然と黙り込むシズカ。
だがスレイとディザスターはそのまま会話を続ける。
「クライスターというのは良くアンデッドを使うのか?」
『ああ、死者の絶望を喰らい、更にその死者達に絶望を振り撒かせる。割と良く使う手段の一つではあるな。もっとも実際にアンデッドを使役しているのはそのクランドという男の可能性が高いが。邪神によって直接力を与えられた者を邪神の使徒という、それこそ少なくとも万夫不当の強敵だ。もっとも人間にわざわざ力を与えるなどという迂遠な事をするのは我と同じ下級邪神、それに中級邪神のトリニティぐらいで、上級邪神や最上級邪神はやらない事だがな』
「へぇー、恐らくはそのクランドという男は、少なくともSS級相当探索者並の力はある可能性が高い訳か。しかも一騎当千の、つまりS級相当探索者並のアンデッドを無数に使役するなんて、本当に厄介だねぇー」
フルールがやはり緊張感無く横から口を出す。
聞かされるあまりの事態に顔を蒼褪めさせるシズカ。
そんなシズカの頭を無意識にポンポンと叩くスレイ。
「い、いきなり何をするのですか!!」
途端顔を真っ赤にしてスレイに噛み付くシズカ。
心が弱っているところに不意打ちにも程があった。
さらにスレイはやる気が無いというのに完全に無意識で追い討ちを掛ける。
「まあ落ち着け、九尾の狐の説得に、そのクランドという男の国の殲滅。なかなか面白そうじゃないか?全部俺が何とかするさ」
不適に笑うスレイ。
笑みにさえ力と自信が溢れ返ったその表情に、心の隙を完全に突かれ、思わず見惚れ頬を染めるシズカ。
だがスレイの心中はクランドという名で占められていた。
何故これほどに心が駆り立てられるのか。
そんな中、シズカはなんとか我に返ると、スレイに対し呆れたように言う。
「どれだけ自信家なんですか貴方は」
「さて、どうだろうな?最近は自分で自分の事も分からない有様でな」
どれだけ一つの事に気を取られていても、表面上は何時もの態度のまま、どこかふざけたように返しながら、何時の間にか辿り着いていた探索者ギルド本部を見上げる。
「それじゃあ、まあ。まずはクロウに、次はギルドマスターのゲッシュに報告と言った所かな?その後はディラク島までの転移を頼むぞ?」
「準備は整えなくていいのですか?」
「何、戦う準備ならいつでも整っている」
「そうではなく、ディラク島での一時的な生活の準備とか、そういうものを」
「それはあんたの国の客人の扱いに期待しておくさ」
心は他の事に囚われながら、やはりどこまでも楽しそうに笑うスレイ。
実に厄介な客人だと思い、それでいながら嫌だと思えない自分に気付いてしまい、シズカは、今日何回目になるか分からない溜息を吐く。
シズカの溜息など知らぬげにギルド本部に入っていくスレイとペット達。
仕方なくシズカはその後を追う。
スレイを見詰める視線は実に複雑な物だ。
シズカとしてはスレイの事など嫌っていた筈だった。
あの会議において宣言してみせたその野望。
会議中のいい加減な態度。
事前にその強さを聞き、自分と同年代でありながらそんなに強いとはどんな相手か、と興味を抱いていた。
だからこそ反動でその人格に対する落胆は大きかった。
潔癖症気味のシズカとしては嫌悪感を抱くに足る物だった。
それが今日一日、たった一日でだ。
心がぐらついている。
スレイの存在が刻み込まれた。
そういうやり口なのだと分かっている。
その女性関係を知り、女を口説くのもよほどに上手いのだろうと事前に警戒をしてもいたのだ。
だというのにあっさりとこちらの心を揺さぶり隙を作り、そこを巧みに突いてくる。
分かっているのに、分かっていても心に響いてしまう。
正直いくら女の扱いが上手いといってもこれは反則だろうと思った。
男なんて今まで興味を持たず、大して交流を持たなかったシズカでも分かる。
本気でスレイは性質の悪い女っ誑しだ。
自分と同年代だというのに。
しかもそうと分かっていても拒絶しきれない。
どこまであくどい男なのか。
心で毒づきつつも、それでもやはり刻まれたスレイへの想いの欠片は消えない。
しかも腹が立つのはだ。
今日の後半。
何故かどんどんとスレイの自分に対する興味が薄れていっているのが分かった。
本気で意味が分からない。
それでもそんな状態でただ惰性のようなアプローチをしているだけの時すら自分の心が容易く揺らいでいたのが実に情けない。
……本当にどこまで性質の悪い男なのだろう。
そんな心の声でさえどこか響きが違ってきている自分に気付き、シズカはまた溜息を吐くのだった。
ギルド本部に入るとすぐにスレイ達は受付へと向かう。
会うのがクロウとサクヤにしろ、ゲッシュにしろ、とりあえずは受付を通してからでなければ本部の中を自由に動けない。
まあ予定としては、先にクロウ達に探索の結果の報告の為に会うつもりなのだが。
早速スレイは受付の職員へと話かけた。
するとクロウとサクヤは先に言っていた通り、戦力と成り得る過去の知り合い達の行方を捜索したり、力を貸してくれるよう交渉したりと本当に忙しいらしい。
今も出掛けていてギルド本部には居ないとの事だった。
スレイとしては、人に孫娘を預けておいて、せめて何か伝言くらいは残していけと思わなくもない。
仕方無く職員にクロウ達への伝言を頼む。
まあ伝えるのはシズカの探索が無事に終り、剣士にクラスアップを果たした事だけでいいだろう。
なにせ立場的には重要な立ち位置の筈なのに、ディラク島の問題には全然干渉しようとしない2人だ。
わざわざ自分がディラク島に行く事を教えてやる必要があるとは思えない。
どうやらシズカとしても、サクヤ個人の事は尊敬しているが、あの2人の放蕩癖には思うところがあるらしく、あっさり賛成してくれた。
なのでそれだけの伝言内容を伝える。
そしてゲッシュへと取次ぎを頼むと、色々と多忙で、今会うのは難しいと言われてしまった。
まあ、彼の立場と今の状況を考えれば当然だろうと思うが、スレイとしてはなるべく早くディラク島へ行かなくてはと何故か気が急く。
それに一応はクライスターの事など重要な事を伝える口実がある。
なので、直接的ではなく、間接的にそれがゲッシュに伝わるように、ゲッシュに通信してみてもらうように頼んで暫し。
何故かあっさりと時間を作って会ってもらえる事になった。
それから暫し待ち、その後。
ギルドマスターの個室で書類の山に埋もれたゲッシュはシズカを見て何かを言おうとしたのだが、その前に話を聞いて欲しいと言われ、スレイ達からの話を聞く。
何故かクライスターの話ではゲッシュは全く動じず、それには2人と二匹も驚いた。
まあスレイとペット二匹の場合、心を読めば理由は分かるのだが、一々日常でまでそんな真似はしない。
力を持つ者にはルールは無くとも誇りがあるのだ。
だがスレイが九尾の狐を説得したいという話を聞くと頭を抱えだした。
全く失礼な話だとスレイは思う。
だがゲッシュとしてはただでさえ通常のギルドマスターの業務で忙しいのだ。
そこに現在はギルドに登録している探索者達を調べ上げ、現時点で有力な者、また将来有望な者を選別するという作業まで増えている。
まさに殺人的な忙しさに忙殺されていると言って申し分無い。
そこにこんな申し出だ。
ゲッシュでなくとも頭を抱えるであろう。
スレイを九尾の狐との交渉に当たらせてほしいという願い。
確かに現状ノブツナの国の者達では、九尾の狐の棲まうという樹海の幻術に惑わされ、交渉にすら当たれてないらしい。
だが九尾の狐は神獣の中でも上位にある存在、来る邪神との戦いにおいては絶対に必要な戦力と言える。
そこへ、自分達の頼みなど聞きもせず、ただ好き勝手に振る舞っているスレイという強力な戦力が、わざわざ交渉役を買って出てくれているのだから、ある意味では幸運とも言える。
だがこのスレイという男、自分の娘の恋人でもあるのだが、ひどく扱い難くて仕方が無い。
まさに劇薬そのものである。
色々な意味で規格外であるし、今回も九尾の狐との交渉を任せた結果、確かに協力を勝ち取る可能性も高いが、機嫌が悪ければそのまま九尾の狐を滅ぼしてしまう可能性すら考えられる。
いや、九尾の狐の噂を考えればそれは無いか。
一番可能性が高いのは九尾の狐を口説きに掛かる可能性だ。
いやいや、可能性どころじゃない、九尾の狐相手なら、スレイは絶対に口説きに掛かる。
スレイは確かに異常な程に女の扱いに長けているらしい。
いや、暫く前からそうなったと娘から聞いた。
だが、それが神獣にも通じる物なのかどうか?
それが原因で九尾の狐の機嫌を損ねてしまってはどうする?
スレイの事だから絶対にそれでも九尾の狐は滅ぼさないだろう。
ただし力尽くで時間を掛けての説得に今度は入る筈だ。
それこそ全身全霊を掛けて口説き堕とすのだろう。
どんな相手でも何時かは口説き堕としそうな気がして恐ろしいが今問題なのはそこではない。
つまりその期間、自分達はスレイという切り札を失うという訳だ。
確かに普段は使えない戦力だが、対邪神戦においては戦うと約束しているので、ペット二匹も含め現状考えられる最大戦力になる。
邪神に対する切り札だ。
それが使えなくなるのはあまりに痛い。
そもそも他には邪神に対する対抗手段を未だ見つけ出せてすらいない。
任せるべきか、それとも断るべきか。
ゲッシュはあまりに難しい二択にまた胃に痛みが走るのを感じていた。
また胃薬を飲まなければと、頭を悩ませながら、思考の片隅で思う。
なんというか最近胃薬を飲む自分の姿を見て、やたらと娘が優しくなった気がする。
やはりその原因が自分の恋人だからであろうか?
だがなんにしても、一番娘に頼みたいのはスレイを御してくれる事だ。
いやいっそ娘でなくても誰でもいい、スレイを御せる女性が彼の恋人の一人になってくれ。
そんな切実な事を考えるも、それは一瞬の事。
今は関係無い問題だ。
ゲッシュは今考えるべき問題に思索を巡らす。
そして暫し悩むが、その後一気に決断を下した。
ゲッシュとてこの探索者ギルドのギルドマスターという職務をこなす、人の上に立つ者としては大陸でも有数の者である。
決断力は非常に高い。
様々な計算を巡らせ、リスクの高さ、そしてメリット、デメリットを計算し、それほど時間を掛けずに答えを出した。
だがその前に、まずは最初に切り出そうとして遮られた、シズカに話さなければいけない重要な話を切り出す。
「その前に、だ。シズカ嬢、君に話さなければならない重要な話がある。スレイ君、今度は遮らないでくれよ?本当に重要な話なんだ」
「え?私に?」
「分かった」
キョトンとするシズカ。
対しスレイはゲッシュの目の色を見て取り、あっさりと黙り込んだ。
本当に重要な場面では空気が読めるのもスレイの性質の悪いところだ。
これで色々な人間が色々と騙される。
それほど重要でないと判断した場面では、空気など全く読まずに何もかも引っ掻き回してくれる男だというのに。
思わずまた逸れてしまった思考にゲッシュはいけないと意識を集中する。
この私がこうまで惑わされるとは、本当に底の知れない青年だ。
最後にそう考え思考を完全に切り替えると、ゲッシュはシズカに切り出した。
「シズカ嬢、落ち着いて聞いて欲しい。先程ディラク島から連絡が入ってね、邪神クライスターの使徒となったクランドという男と戦い敗北し、ノブツナ殿が重傷を負って帰還したそうだ。これは先程の君達の話と一致するね。私が君達の報告を聞いても落ち着いていたのはその為だよ」
「ち、父上がっ!?」
冷静に続けるゲッシュに対し、シズカは顔を真っ青にして、よろりと身体をふらつかせる。
と、ガシッとその身体は抱きとめられた。
「え?」
シズカが見上げると、シズカを抱きとめたのはスレイだ。
そしてスレイは強く落ち着いた目でシズカに語りかける。
「落ち着けシズカ。いいか、ゲッシュはノブツナが重傷になって帰還した、と言った。俺達探索者が重傷程度でどうにかなるか?何より回復魔法や回復薬の一つでもあればすぐ回復する。なにも問題は無い」
「あ!」
スレイの力強い言葉に表情を明るくするシズカ。
そのままスレイの胸元に顔を埋めほうっ、と安堵の吐息をする。
「よかったぁ」
シズカは何故かスレイの体温を心地良く感じていた。
今のはまずい。
完全に隙を突かれて致命傷を与えられた気がする。
だがシズカにとってはもはやそのような事はどうでも良くなっていた。
そんな光景を見ていたゲッシュはやや呆れ顔だ。
あの一瞬で状況を利用し、完全に止めを刺す。
どこまで女っ誑しなんだ彼は。
だがそんな事を思われているスレイだが、実は今、心此処に在らずだった。
シズカへの止めとて無意識の動作と言葉に過ぎない。
先程クランドという名をまた聞き、その男がノブツナを倒したという話を聞いた時、魂が芯から震えた。
どこまでも心が急く、ディラク島へと疾く、疾くと。
「それで、俺の用件はどうなるんだ?」
「うむ、九尾の狐との交渉、スレイ君、君に任せよう」
言いながらもやはりどこか胃が重くなるのを感じるゲッシュ。
決断して、それを揺らがせる事は無いとはいえ、やはり気は重い。
邪神が何時現れるかは分からない。
そして先程考えたような理由で、スレイがディラク島に留まり切り札不在という状況になる可能性はあるのだ。
なんにしてもこの青年は我々には必要不可欠な力を持った存在だ。
だというのにあまりにも振る舞いが自由奔放過ぎる。
そして決してその行動を縛る事ができない。
全く困ったものだと苦笑する。
何より、邪神の使徒クランドという男についても、邪神そのものではないので戦いを強制はできないのだろうなと溜息を吐いた。
そして九尾の狐との交渉についての予防策を告げる。
「ただし条件がある」
「条件?」
スレイは訝しげに問い返す。
ゲッシュは縋るような、それでいてすまなさそうな視線をシズカに向けながら、スレイに対し告げる。
「ああ、九尾の狐との交渉には、そこのシズカ嬢を伴う事、これが条件だ」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げるシズカ。
本当に申し訳無いとは思いながらも、ゲッシュは告げる。
「樹海には、その幻術故に生息する妖怪も居ないという話だし、何よりスレイ君が傍に居れば危険もあるまい。ただ、ノブツナ殿にはシズカ嬢を伴う事に許可を貰わねばならないだろうな。必然その許可を得る事も条件となる」
「なるほど」
納得したように頷くスレイ。
シズカは呆然としたまま黙り込んでいる。
「あの親馬鹿そうな鬼刃ノブツナとの交渉でまずは俺の交渉力を測った上で、その条件をこなせるようなら九尾の狐との交渉を任せようという訳だな?流石は探索者ギルドのギルドマスター、大したやり手だ」
「あ、ああ。まあそういう事だね」
正直、スレイという存在の首に、シズカという鈴を付けたいぐらいしか考えていなかった自分に気付き、やはりスレイという青年が関わると、自らの思考が鈍る事を自覚するゲッシュ。
だが、スレイが今言ったように、まずは本当に親馬鹿そうなノブツナから交渉でシズカを九尾の狐との交渉に伴う事を許可させなければならないと言う事で、スレイの交渉力を測る事ができる。
咄嗟に考えたこととは言え、確かに悪くない方法だと我ながら上手くやったものだと思う。
「しかも俺にとっても都合が良い」
「都合が?」
「え?」
スレイの台詞に驚いたようなゲッシュと我に返るシズカ。
「先程聞いたクランドという男、是非戦ってみたくてな。その男を倒す事でシズカを同行させる条件とすれば交渉は容易いだろう。俺にとっては一石二鳥だ」
「す、スレイくん……っ!?」
「スレイ……さん……っ!?」
キョトンとしたゲッシュとシズカ。
しかし次の瞬間ゾッと背筋を凍らせる。
スレイが浮かべたなんともない普通の笑み。
それがあまりにも無邪気でそして凄絶に見えて。
が、次の瞬間それが錯覚だったかのようにスレイの笑みは普通の物に見えるようになっていた。
思わず目を擦る2人。
ちなみに二匹のペットも少しばかり測りかねるような視線をスレイに向けている。
スレイは思う。
なんだろうな?
傾世とまでよばれる美貌の九尾の狐が目的だった筈なのに、それがどうでも良く思えてくる。
クランド、クランドか。
本当に心が震える名前だ。
そこへゲッシュが話を続ける。
「そ、それではスレイ君。上手い事ノブツナ殿との交渉も、九尾の狐との交渉も成功させてみせてくれたまえ。……そしてできれば、ノブツナ殿との交渉の結果としてクランドという邪神の使徒の討伐をしてくれる事を期待しているよ?それとシズカ嬢、邪神の使徒と尖兵の事についてはノブツナ殿に伝えてもらえるかな?すまないが、現状我々からの援軍など送る事が難しいので、このスレイという男の条件を飲んで使って貰えれば幸いだと」
「え、ええ。わ、分かりました。」
何故かスレイが邪神の使徒と戦うのに乗り気で、なかなかに上手く事態が進んだ事に上機嫌になり、胃の痛みがやや治まっていくのを感じ、ゲッシュは明るくスレイとシズカにそう告げる。
シズカとしては、先程の止めでもう完全にスレイに好意を持ったと自覚しているから、九尾の狐との交渉に付いて行くのはむしろ望む所だが、先程からのスレイのどこかおかしな様子が気になって仕方が無い。
そうしてスレイは目論見通り、あるいは運命に導かれ、その逸る魂のままに、ディラク島へと赴く事になったのだった。
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