2006-06-05
■[Book Report]ディズニーランドという聖地
- 作者: 能登路雅子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1990/07/20
- メディア: 新書
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これはディズニーランドが「大好きな」人が読むべき本じゃない。これはディズニーランドの文化的側面を冷静に分析するための判断材料なのだから。ディズニーランドは究極のリアリズムが創り出す究極のユートピア。著者は東京ディズニーランド開園時に「正社員に対してディズニーランドの歴史やウォルト・ディズニーの理念を説明するオリエンテーションを行うことと、東京ディズニーランドを日本の学校関係者に紹介するガイドブックを作成する」(p13)仕事をした経験を持ち、またウォルト・ディズニーの伝記も翻訳している。著者自身が仕事に関わる以前に感じていた「外から見た」ディズニーランドと、そして仕事を通して垣間見えた「内から見た」ディズニーランド、そしてウォルト・ディズニーの生涯も交えた考察。
ディズニーランドとは、一体、誰のために何の目的でできたものなのか - それは、もともと、子供を相手に作られた遊園地ではなかった。ウォルト・ディズニーが対象として頭に描いていたのは、第一に、すべての人間のなかに潜む「子供性」ともいうべき部分であった。アメリカの大衆文化には、子供というものを年齢を超えた普遍的存在とみる伝統がある。……
ディズニーが「哲学」と呼ぶべきものをもっていたとしたら、その根底には、人はいくつになっても子供の無垢な心と好奇心を失わないという、きわめて素朴な人間観が流れていた。(p30)
ディズニーランドは、それゆえ、映画というメディアがもつ統制力を三次元空間に応用した一大実験であったと考える方が妥当と思われる。(p34)
ディズニーランド自体がひとつの映画作品のように設計されていることは、すでに触れたが、映画の観客を座席から立ち上がらせてスクリーンのなかの世界に引き込む、つまり二次元の画面を眺めるただの「見物人」を三次元空間の「参加者」に仕立て上げるというのが、ディズニーランドの基本的発想であった。映画人ディズニーが対象としたのは、人の心のなかの「子供性」であると同時に、庶民の胸のうちに潜む「スター性」「変身願望」だったのである。(p41)
ディズニーの作品世界の大きな特色は、自然の徹底的な否定と狂信的とさえいえる衛星思想なのである。(p78)
ディズニーが彼の国の建設においてなしたおそらく最も重要なことは、アメリカ大衆が共有する神話的な過去のイメージを具象化し、それらを有形の文化財、記念碑として永久に保存する場所を与えたということであろう。ディズニーランドの出現によって、ミシシッピの蒸気船も大西部を走る蒸気機関車も、片田舎のメインストリートも、そして幻の少年時代さえも、誰もが目で見、手で触れられる「もの」となった。(p93)
映画もテーマパークも含めてディズニーの作品を観客大衆が「理屈ぬきに楽しい」と喝采し、批評家たちの多くがディズニーに脱帽してきたのは、ディズニーが通常の批判能力の到底およばないお伽話の世界という大鉱脈を掘りあて、自らの錬金術にひたすら磨きをかけつづけたからにほかならない。(p117)
その大鉱脈を死守するために、著作権の期限延長をずっとやっているわけだ。
ニューオーリンズの町においても、ミシシッピ河の遊覧においても、ディズニーランドの超リアリズムの迫力は現実をはるかに凌駕し、窮地に追いつめられた現実は、逆にディズニーランドを真似ることで活路をみいだそうとしている。「本物の駄作」が「ニセモノの大傑作」に必死で追いつこうとしているいま、我々は「ディズニーランドの時代」のただなかに生きている、と言えないだろうか。(p166)
…… 我々日本人の多くは、アメリカ人は合理主義と機械文明の権化であると思いこんでいるが、実際は、この国の人々ほど空想的で奇怪な話に夢中になる国民はおそらくいない。(p169)
もともとは「家族全員が楽しめるテーマパーク」として作られたものに「聖地」という性格を与えたのは、ウォルト・ディズニー自身でもディズニーの広報担当者でもなく、また、ここを訪れた世界各国の元首や皇族でもなかった。それは、自分たちの文化や理想を最もシンプルに、かつ誇らしげに表現した場所としてディズニーランドを支持してきたアメリカ大衆の集合的な力にほかならない。共通の伝統や歴史感覚の欠如したこの国の人々に対して、映画などの大衆メディアはつねにアメリカ人とは何かについて最大公約数的なモデルを提供してきたが、種々雑多なアメリカ人たちを統合する場として、ディズニーランド以上に効果的な文化装置はないといってよい。テクノロジーと個人主義の支配がますます進んでいくなかで、ふだんは孤立した生活をおくる人々がディズニーランドに集うとき、彼らは出身地や階級の差を越えて平等な市民になり、束の間の、しかし強烈な連帯感を味わう。園内全域に散りばめられたアメリカの神話的イメージのなかを散策しながら、彼らは民族の英雄と自らを一体化させ、死と再生のドラマを自ら演じ。そして、この世は安全で美しく、希望にみちた場所であることを確認しあう。(p204)
政治家にずっと不信を抱いていたディズニーは、政府の干渉なしにモデル都市を開発する考えを長いあいだあたためてきた。実験的(Experimental)な原型(Prototype)としての未来共同体(Community of Tomorrow)の頭文字をとってEPCOTと自ら命名した都市のビジョンを、ディズニーは次のように語っている。
「計画とコントロールの行き届いた都市を建設して、アメリカの産業・研究開発・教育・文化のモデルとしたい。エプコットにはスラムはない。なぜなら、我々はスラムの発生を許さないからだ。この町には地主も家主もいなければ、引退者もいない。」
ディズニー自身はこの実験都市に自社の従業員だけでなく世界中の研究者や芸術家を住まわせて、人間の居住環境をめぐるさまざまな実験をしようと本気で考えていたようであるが、彼の死後完成したウォルト・ディズニー・ワールドには、少数の従業員や関係者を除き、誰も実際には生活していない。この無人の都市にはディズニーの理想通り、スラムもなければ地主も家主も引退者も住んでいない。その内部に繰りひろげられているのは、生産を伴わない消費の世界であり、そこに見られるのは、次々に波のように寄せては波のように去っていく観光客の群れと、ディズニー社という巨大な地主兼家主だけである。(p222-223)
少なくとも、自分はこのディズニーの描いていた理想都市像に魅力を全く感じない。『1984』ではBig Brotherがあからさまに全体主義国家を体現していたからその恐怖が理解し易かったけれども、ディズニーが描く都市像も、『1984』の世界を逆の側面から眺めたものにすぎない。『Brave New World』の世界がまさしくそれにあたる。「幸せ過ぎて困る」不幸な人たちが、ディズニーの世界では大量生産されることになるのだろう。
東京ディズニーランドで「エレクトリカル・パレード」を見た私の友人の母親は、「戦争でアメリカに負けたわけが、これでわかった」と呟いたが、観客の大半を占める日本の若者や子供たちは、そんな風には感じていない。テレビやビデオの映像の洪水のなかで育っている彼らには、イメージを貪欲に消化し消費する能力が備わっているのである。それだから、日本人はいつの日か、東京ディズニーランドを消費しつくして、豊かさや快適さの象徴をどこかほかに求めるかもしれない。アメリカにおいては聖地であるディズニーランドも、日本においては精神性をともなわない巨大な娯楽・消費空間だからである。(p234)
ディズニーランドの消費のされ方は、アメリカと日本では全く違うであろうし、パリでも異なったかたちで消費されていくのだろう。少なくとも自分の経験から言えば、パリのディズニーは全く面白みが無かった。ウォルト・ディズニーが仮想世界に求めたアメリカの故郷が、ヨーロッパには実際にあるからなのだろう。
ディズニーランドがどうしても好きになれない理由は幾つかある。
- 歴史を感じない
- 深みが無い
- 計算し尽くされた演出であることが分かってしまう
ディズニーランドでいつも感じるのは、全体の世界観が「薄っぺらい」という印象。そこに「大きな物語」のようなものを一切感じないし、「データベース」のようなものも見えない。トールキンの「指輪物語」と比較すると分かり易いのだけれど、「指輪物語」の背後にあるであろう膨大な量の物語と、トールキン自身が持っていたと考えられるデータベースの大きさがあるからこそ、「指輪物語」は名著となったし、TTRPGの原点ともなった。自分はディズニーランドにそれを感じない。
東浩紀が『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)』で提示しようとした理念型を使って、ディズニーランドを分析したら面白い結果が出てくると思う。ただ、計算し尽くされたディズニーランド内部において消費者に課された義務は、「動物」のようにそこにあるモノをただひたすら消費していくだけだろうから、残念だけれど「データベース的動物」という結論に落ち着くのだろうな。
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