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東日本大震災

【3.11から未来へ】

全村避難 奪われた生活

2013年01月29日

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「わすれない ふくしま」をつくった四ノ宮浩監督=東京都八王子市

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福島市内の仮設住宅で暮らす女性にカメラを向ける四ノ宮さん。

 「わすれない ふくしま」。そう題されたドキュメンタリー映画が3月2日から東京都目黒区の写真美術館ホールで上映される。原発事故で全村避難している福島県飯舘村の人々の日常が描かれ、横浜、大阪、名古屋などでも上映される予定だ。

 映画を制作したのは、仙台市出身の四ノ宮浩監督(54)。東日本大震災後、別の映画の制作を急きょ取りやめて東京の事務所を出発。2011年3月下旬に故郷に入った。そこから岩手、宮城、福島と順に回り、津波被害を撮り続けた。初めは津波が題材の映画にするつもりだった。

 だが、翌月、福島第一原発から約40キロ離れた飯舘村が高濃度の放射能汚染で全村避難を指示されたと知る。実際に訪れると、「日本一美しい村」と言われる農村の風景はそのままなのに、空き家が目立ち、人気もない様子に違和感を覚えた。

 「飯舘を出た後、ここの人たちの日常はどうなっていくのか」

 四ノ宮さんはそれから4カ月間、福島県内に滞在して村民に密着。その後も東京と福島を行き来して昨年12月までカメラを回した。

 ある建設作業員は、フィリピン人の妻、3人の子、祖母と6人で山間部に住み、半自給自足の暮らしを続けていた。だが、隣町避難で生活は一変。祖母は見知らぬ地の狭い仮設住宅で体調を崩し、妻は疲労で母国に帰りたいと嘆く。

 村は見えない「放射能」に混乱していた。汚染の影響で林業、農業、酪農は制限。収入が無いなか、住民は仮住まいを強いられていった。「原発さえなければ」と殴り書きして自殺した酪農家もいた。一方で、全村避難の準備が進んでも、子どもたちは外で遊んでいた。

 四ノ宮さんは原発事故直後の5日間ほど、小学生を含む妻子4人と東京都から岡山県に避難していた。子供への放射能の影響が心配だった。「影響が分からないからこそ、避難した方がいいと思うんだ」

 多くの住民が去った村は今、田畑に雑草が生い茂り、里山は荒れ放題になっているという。「美しくて豊かな生活が奪われた事実は、忘れちゃいけない。映画を見て、それぞれが考え、できることをしてもらえれば」

(植松佳香)

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