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2013.02.20

邪悪の手軽さについて

病院では定期的に心肺蘇生の講習会が開催されて、近隣施設の看護師や救命救急士、医師も含めて様々な職種、様々な年齢の人達が集まってくる。

講習会はチーム医療で、打ち解けるための時間は少なく、和やかな空気は切実なのだけれど、誰もが初対面の当日、実現するのはなかなか難しい。

講習会は人形相手に「どうしましたか! 大丈夫ですか! 」と大声で呼びかけたりする必要があって、やっぱり初対面のみんなを前にこれをやるのは気恥ずかしさがあって、声を出すのをためらったりなんとなく笑ってしまう。チームは和やかに打ち解ける必要があり、同時に講習会の空気は引き締まっている必要があり、これを両立させるのはやっぱり難しい。

新人でチームを和ませる

講習会半ば、講師として参加していた消防の人たちと話す機会があって、「こういう時に新人がいると便利だったよね」という部分で一致した。

見知らぬ人がたくさん集まる状況においては、参加者の中に自施設の下級生とか、あるいは自分の隊に配属された新人が混ざっていると、その人を「いじる」ことで場が和む。

あらかじめ話を含んでもらうこともあるし、その場の状況で分かってもらうこともあるけれど、講習会の席上で、見知った誰かにあえて難しい問題を出し、ちょっとおどけたような調子で、それでもけっこう真剣に追い詰めてみせると、参加者の空気がかき混ぜられる。

建前として力関係の問わない講習会だけれど、参加者同士の遠慮はどうしてもあって、年長者にはなんとなく遠慮があるし、職種が違えば興味も話し方も違うから、共通の話題を探すのも難しい。講習会を開催した施設の研修医は、医学知識は医師だけに豊富にあって、講師とふだんから会話をする仲だから地の利もあって、そうした誰かをあえて道化にすることで、見知らぬ人間同士、「さっきは大変でしたね」なんて、会話のきっかけがそこから生まれる。

自分が研修医だった大昔、講師の先生から明示的に道化を割り当てられたこともあったし、自分が何かを教える側に回った昔、誰か下級生に似た役割を期待したこともたぶんあった。消防の組織でも似た事例はるのだそうで、職種は異なってもたぶん、こうした「新人の使いかた」は、決して珍しくはなかったのだろうと思う。

新人で空気を締める

心肺蘇生の講習会では、人形相手に「どうしましたか! 」とまじめにやってもらわないと効果が出ない。大事なのは知識の伝達よりも現場の緊迫を疑似体験しておくことだから、作られたシナリオとマネキン人形相手の心肺蘇生であっても、そこに参加する誰もが真顔で、大声で人形に呼びかけてみせないと、講習会の意図する成果に到達できなくなってしまう。

空気はだから「締める」必要があるのだけれど、せっかく来てくださった受講者を叱責すれば緊張してしまうし、叱責によって締められた空気というのは、講習会の意図する緊迫とは少し違う。

こんな時にもやはり新人は便利に使える。研修医はやはり受講者としては優秀で、知識はあるし講師とは知り合いだから、不必要に緊張して失敗することもない。気心の知れた優秀な受講者に難題を振り、受講者が困り、困りながらも頑張り、講師から激励されつつ、それでも困ってみせた結果として、「そこが到達ラインなんだ」という空気が他の受講者に了解される。

このあたりはたとえば、同じく優秀な誰かを指名して、その人が演じた模範を講師が讃えたって良さそうなものだけれど、賞賛が示すのは最高到達度であって、講師が望んだラインとは異なってくる。優秀な誰かが優秀に過ぎてしまうと、今度は他の受講者は諦めてしまうかもしれない。

手軽な邪悪について

こうしたやりかたは「昔便利であった方法」であって、今やっている施設はたぶん、医療/消防には存在しない。

こうしたやりかたは、まさに今暴力として報道されている高校バスケットボールや、オリンピック女子柔道の方法論と変わらない。それが善意に基づいていること、道化を割り当てられた新人と講師との間には予め取り決めた約束があり、信頼関係があったこと、「これはいじりであっていじめではない。ましてや暴力ではない」という言い訳はいくらでも思いつくのだけれど、同時にたぶん、組織における上役が口にする関係や約束、信頼は、その人がどれだけその存在を信じていても、たいてい一方的なものであったりもする。

たくさんの人が集まって、「和やかなチーム」と「引き締まった空気」との両立を目指す場面はいたる所に存在する。こんなやりかたは邪悪だけれど、効果は高く行使は手軽で、善意を糊塗する言い訳も豊富に用意できる。体育の世界では大問題になっているけれど、「新人という道具」の手軽さと効果の高さは疑いようのないところで、同じ効果を別の方法で実現しようと考えると、今度は莫大なコストがかかる。

きっと体育だけの問題ではないのだろうと思う。

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