ノンフィクションで見る戦後犯罪史
【1996〜2000年】(平成8〜平成12年)



【1996年】(平成8年)

日 付事 件
4/11 概 要 <池袋駅ホーム殴打殺人>
 1996年4月11日夜11時30分頃、立教大学四年生Kさんは友人との飲み会からの帰宅途中、池袋駅で電車に乗る混雑のトラブルからか、サラリーマン風の男と口論になった。Kさんは男に平手で殴られ、階段から後ろ向きに転倒。後頭部を打って死亡した。ただし、最初に運び込まれたI病院では適切な治療を施さなかったらしい。97年5月、Kさんの父はI病院を医療過誤で告訴した。
 サラリーマン風の男はそのまま電車に乗ったらしいが、そこから先の情報はない。周囲には30人以上、前後の目撃者を含めて100人以上が男の顔を見ていることになるが、目撃者として名乗り出たのはたったの9人。似顔絵が作成されたものの、犯人は捕まっていない。警察は罪状を殺人に切替え、引き続き捜査を行っている。Kさんの父は、懸賞金200万円をかけ、さらに独自に男の調査を行っている。
文 献 石川清「東京・池袋駅ホーム殴打殺人、消えた犯人の足取りを追う」(『ワニの穴10 ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社,1999)所収)
備 考  
4/18 概 要 <広島タクシー運転手4女性連続殺人事件>
 タクシー運転手H(34)は、1996年4月18日夜、広島市で黒瀬町に住む定時制高校1年Mさん(16)に声をかけてタクシーに乗せ、呉市の空き地に車を止め、車内でMさんの首をネクタイで絞めて殺害、自分が渡した2万円を含む5万円を奪って死体を広島市内の水路土管に遺体を捨てた。
 8月13日、広島市中区の無職Hさん(23)をタクシーに誘い込み、車内で首を絞めて殺害。さらに9月7日無職Hさん(45)、9月14日には主婦Rさん(32)も同様の手口で殺害、現金を奪った。いずれも遺体を山中に埋めている。
 声をかけたのはいずれも女性と関係を持つためであり、誘われたほうも現金を受け取って関係を結ぶ行為を行っていたらしい。
 Rさん殺害事件でHの犯行と断定。逮捕状を取り行方を追っていたが、9月21日、山口県で車を盗んだところを逮捕された。その後、供述で残り3つの事件を告白。計4つの事件で起訴。
 2000年2月9日、広島地裁で死刑判決。控訴せず、そのまま確定。
 2006年12月25日、広島拘置所で死刑が執行された。44歳没。
文 献 「「売春婦」ばかりを狙った飽くなき性欲の次の獲物−広島「タクシー運転手」連続四人殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
9/9 概 要 <上智大生殺人事件>
 1996年9月9日午後4時35分頃、葛飾区の会社員Kさん宅から火が上がり、全焼。焼け跡から、Kさんの娘である上智大四年生Jさん(21)の遺体が発見された。着衣に乱れはなかったが、口と両手を粘着テープ、両足をストッキングで縛られ、顔や右首に計6ヶ所の刺し傷があった。家が全焼したため、物的証拠はほとんど残っていなかった。遺体の肺にすすが残っていなかったことから、殺害後に犯人が家に火を放ったと推測された。現金等は手付かずであり、怨恨の線も見当たらず。不審な男がうろついていたという情報も信憑性に疑問が。時効が廃止されたため、現在も捜査は続けられている。
文 献 竜崎晃『Kの推理』(文芸社,2009)

駒村康孝「上智大生殺人事件、犯人は誰だ」(『ワニの穴10 ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社,1999)所収)

「「行きずりかストーカーか」、見過ごされた殺意−柴又「上智大生」殺人放火事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
11/3 概 要 <大阪・高1年少年殺人事件>
 1996年11月3日、大阪市立の高校1年生の少年(16)は高校の文化祭の後片付け中、他校の生徒2人に因縁をつけられた。その場は収まったが、校外で待ち伏せられ、うち1人(16)に殴るけるの暴行を受け、12日後に死亡した。
 加害生徒は傷害容疑で逮捕され、少年院送致となった。ただし警察の調べでは「けんか」と判断された。また、「少年法」の壁に阻まれ、加害生徒の名前、経過や処分が、被害少年の両親には一切知らされなかった。加害者からの謝罪は一切無かった。
 少年の母親らは、遺族が事件の情報を何も得られない少年犯罪の実態を変えようと1997年12月に「少年犯罪被害当事者の会」を結成。運動が実った形で少年法改正や被害者保護法が実現した。
 少年の両親は1999年10月29日、刑事記録の開示などを念頭に置き、加害生徒2人や両親、大阪府に計1億円の損害賠償を求めた。2002年3月19日、大阪地裁は「被告の一方的な暴行で、けんかなどと評しえない」として、直接暴行を加えた生徒と両親の3人に約8000万円の支払いを命じた。別の生徒と大阪府への請求は棄却した。
 両親が民事訴訟に求めたのは真相解明だったため、この裁判では裁判所からの和解勧告が一度もなく、被害者両親から被告である少年自身への質問を許された珍しいケースでもあった。一方、判決は大阪府の責任を認めず、現在日本の訴訟では認められていない「懲罰的賠償」の請求も退けた。双方とも控訴せず確定。
 両親は賠償金約8000万円全額を拠出して、少年犯罪の被害者支援のための基金を設立した。
文 献 半田亜季子『被害者だって笑うんです! 少年に息子を殺された母親の11年』(産経新聞出版,2008)

藤井誠二『17歳の殺人者』(ワニブックス,2000/朝日文庫,2002)
備 考  
11/6 概 要 <息子金属バット殺人事件>
 1996年11月6日、会社員の男性(52)は眠っていた長男(14)の頭を金属バットで数回殴りつけ、さらに紐を首に巻き付けて殺害した。長男は2年前から家庭内暴力を繰り返していた。父親はあるクリニックから無抵抗主義をすすめられたため、長男の言うとおりにやってきたが、限界点を越えてしまったものだった。男性はそのまま自首。1998年4月17日、東京地裁は男性に懲役3年の実刑判決を言い渡した。男性は控訴せず、判決は確定した。
文 献 「父に砕かれたいのち 金属バット殺人事件」(西山明編『少年事件 暴力の真相』(筑摩書房 ちくま文庫)所収)

鳥越俊太郎・後藤和夫『うちのお父さんは優しい―検証 金属バット殺人事件』(明窓出版,2000)

前田剛夫『父の殺意―金属バット事件を追って』(毎日新聞社,1998)
備 考  

【1997年】(平成9年)

日 付事 件
3/19 概 要 <東電OL殺人事件>
 1997年3月19日、東京渋谷区のアパートで、東京電力の女性社員(39)が殺害され、現金4万円を奪われた。その後の調べで、女性社員は慶応大学卒の東京電力という一流企業のエリート社員でありながらも、夜はストリートガールに変身して男あさりをしていたという事実が明らかになり、私生活を暴く報道が過熱。被害者のヌード写真やベッド写真がマスコミに流れた。この事態に、弁護士グループが報道機関に対して質問状を送付、日本弁護士連合会もプライバシー侵害であるとの会長談話を公表した。
 出入国管理法違反で3月23日に逮捕、地裁で懲役1年、執行猶予3年判決が確定したネパール国籍のM(30)を、地裁判決日の5月20日に強盗殺人容疑で逮捕した。3月に逮捕された時点でMは捜査線上に上がっていたが、Mの弁護人ならびに本人が証言を拒否。女性社員に残っていた体液とDNA鑑定は一致したが、物証がなかったため、捜査は難航していた。
 2000年4月14日、一審東京地裁で無罪判決。無罪判決と同時に身柄は入国管理局に移り、強制退去の手続きに入ったが、検察は控訴するとともにMの身柄確保のため勾留請求。その後二度の請求を挟み、5月8日、東京高裁はMの拘留を決定した。
 2000年12月22日、東京高裁は逆転有罪、求刑通り無期懲役を言い渡した。2003年10月20日、最高裁で被告側上告棄却、確定。
 Mは2005年3月24日、東京高裁へ再審請求を提出した。東京高裁は2011年1月、弁護側からの要請を受け、現場から採取された物証についてDNA鑑定の実施を検討するよう検察側に求めた。7月、被害者の体内から採取された精液はM以外の「第三者」男性のもので、そのDNA型が殺害現場に残された体毛と一致したことがわかった。その後、被害者の胸部や下半身、下着やコートの付着物から検出された型も「第三者」とみられるとの結論が出た。Mの型は、着衣などを除き検出されなかった。
 2012年6月7日、東京高裁第4刑事部はMの再審請求を認めると共に、刑の執行を停止する決定も出した。再審請求におけるDNA型鑑定結果について小川正持裁判長は「公判で証拠提出されていれば有罪認定できなかったと思われ、無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と評価。「受刑者以外の男が被害女性と性的関係を持った後に殺害した疑いを生じさせている」と指摘し、確定判決を強く疑問視した。
 東京高検は同日、東京高裁の再審開始決定と刑の執行停止決定に対し、異議を申し立てた。また高検は、職権で釈放手続きの停止を申し立てたが、東京高裁の別の裁判長が認めなかった。そのため、高検は同日、Mの釈放を指揮した。Mは入管難民法違反で有罪判決が確定しているため、東京入管横浜支局に身柄が移された。管理局は6月11日、国外退去を命じる退去強制令書を発付した。Mは15日夕方、成田空港から出国し、翌日ネパールへ帰国した。
 7月31日、東京高裁第5刑事部(八木正一裁判長)は同高裁第4刑事部の決定を支持し、東京高検の異議申し立てを棄却する決定をした。東京高検は特別抗告せず、再審開始が決定した。
 検察側は当初有罪を主張する予定だったが、再審開始決定後に東京高検が実施したDNA鑑定の結果、被害者の手の爪から元被告とは別の第三者のDNA型が検出され、被害者の体内に残っていた体液などと一致したことが判明。初公判前に無罪意見書を提出することとなった。
 10月29日の再審初公判で、検察側は無罪を主張したがMへの謝罪はなかった。即日結審し、11月7日、東京高裁は一審無罪判決に対する検察側控訴を棄却し、無罪を言い渡した。検察側は判決後に上訴権を放棄し、無罪判決が確定した。Mは初公判、判決のいずれも出廷しなかった。
 2010年4月に強盗殺人事件等の時効が撤廃されたため、警視庁捜査1課は真犯人の特定・逮捕に向けた異例の再捜査に乗り出した。
文 献 秋川義男「東電OL殺人事件、終わらない暗闇」(『ワニの穴10 ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社,1999)所収)

朝倉喬司『誰が私を殺したの 三大未解決殺人事件の迷宮』(恒文社,2001/新風舎文庫,2007)

酒井あゆみ『禁断の25時』(ザ・マサダ,1997)

佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮社,2000/新潮文庫,2003)

佐野眞一『東電OL症候群(シンドローム)』(新潮社,2001/新潮文庫,2003)

無実のゴビンダさんを支える会編『神様、わたしやってない! ゴビンダさん冤罪事件』(現代人文社GENJINブックレット,2001)

読売新聞社会部『東電OL事件 DNAが暴いた闇』(中央公論新社,2012)
備 考  
4/18 概 要 <逆恨み殺人事件>
 1997年4月18日21時30分頃、東京都江東区の団地エレベーターホールで、日本たばこ産業(JT)社員Sさん(44)が包丁で刺されて殺された。4月26日、警視庁城東署捜査本部は殺人容疑で知人の土木作業員M(54)を逮捕した。Mは1989年12月、飲食店で知り合ったSさんを強姦して、全治2週間の傷を負わせた。さらに1週間後、強姦事件をネタに10万円を脅し取ろうとしたが、Sさんが城東署に通報したため逮捕され、強姦致傷、窃盗、恐喝未遂で懲役7年の実刑判決を受け、2月に出所したばかりだった。Mは「事件を通報されたせいで逮捕された」とSさんを逆恨みしていた。Mは1976年、深い関係にあった家出中の16歳の少女を広島市のホテルで殺害、懲役10年の前科がある。
 1999年5月27日の一審判決では、「被害者が一人で、利欲目的ではない」と無期懲役判決。死刑を求刑していた検察側が控訴、2000年2月28日、東京高裁は「被害者の訴えで逮捕されたことを深く恨んだ末の極めて理不尽で筋違いの犯行。被害者には何の落ち度もなく、殺害を目的とした動機は利欲的な殺人と変わらないぐらい悪質」と一審破棄、死刑を言い渡した。2004年10月13日、上告棄却、死刑確定。2008年2月1日、死刑執行。65歳没。
文 献 「強姦服役囚による日本たばこ産業OL報復殺人事件」(宇野津光緒『23の事件と被告たち 法廷ドキュメント』(恒友出版)所収)
備 考  「何度も言うようだけど、私の心は歪んでいるんです」とMは一審で答えている。
5/4 概 要 <月ヶ瀬村拉致撲殺事件>
 1997年5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村の中学生Uさん(13)が、県内の卓球大会からの帰途で行方不明になった。現場には血痕が残され、近くにある公衆トイレの浄化槽からUさんのジャージなどが見つかった。それと一緒にダウンベストが見つかり、それに似たベストを日頃から着ていた無職O(25)が容疑者として浮かび上がった。6月頃からマスコミはOのところへ押し掛けたものの、Oは容疑を否定。押し寄せるテレビカメラや記者に向かい、罵声を浴びせ続けた。7月23日に未成年者略取容疑で逮捕、9日後に犯行を自供し遺体は発見された。いたずらが動機であった。
 1998年10月、奈良地裁は懲役18年を言い渡すも、検察側が控訴。2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄し、求刑通り無期懲役を宣告。刑は確定した。2001年9月4日、Oは大分刑務所の独居房内で首をくくり自殺した。遺書はなかった。
文 献 「憎しみに塗れた「無期囚」が首を吊るまで−奈良「月ヶ瀬村」拉致撲殺事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
5/14 概 要 <主婦襲撃事件>
 1997年5月14日、中部地方にある城下町のショッピングセンターで、少年(16)が主婦(37)をアイスピックや斧で襲い、3週間のけがを負わせた。少年は取り調べで「首を切り刻みたかった」「血を飲んでみたかった」と供述した。神戸連続児童殺傷事件で少年が逮捕される1ヶ月半前の事件である。少年は特別少年院に送致された。
文 献 「果てない殺人願望 主婦襲撃事件」(西山明編『少年事件 暴力の真相』(筑摩書房 ちくま文庫)所収)
備 考  
5/27 概 要 <神戸児童連続殺傷事件>
 1997年5月27日、神戸市須磨区で24日から行方不明になっていたH君(11)の頭部が同区中学校の正門で発見される。口には犯人から警察への挑戦状とも取れる紙片が入っており、末尾には「酒鬼薔薇(サカキバラ)」と記されていた。同日午後、胴体部分が近くの山で発見。6月4日、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人から神戸新聞社宛に犯行声明文が届く。マスコミによる情報合戦が繰り広げられたが、6月28日、同区に住む中学三年生の少年(15)が逮捕された。少年は2月10日、小学6年生の女児二人をハンマーで殴り怪我を負わせていた。また3月16日には、小学4年生の女児の腹を刺して重傷を負わせ、同時に別の4年生の女児の頭をハンマーで殴り死亡させていたことも自供した。
 少年は東京都府中の関東医療少年院に収容後、2004年に仮退院、2005年1月に本退院となった。当時少年だった男性(22)は「一生かけて償います」という謝罪の言葉も遺族側に伝えた。
文 献 「殺人者の論理と方程式」(蜂巣敦『日本の殺人者』(青林工藝舎,1998)所収)

「神戸須磨児童連続殺傷事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「神戸児童連続殺傷事件」(山崎哲『<物語>日本近代殺人史』(春秋社,2000)所収)

朝日新聞大阪社会部『暗い森−神戸連続児童殺傷事件』(朝日新聞社,1998/朝日文庫,2000)

安倍治夫監修・小林紀興編『真相−神戸市小学生惨殺遺棄事件』(早稲田出版,1998)

岩田 信義『校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」』(五月書房,2001)

小田晋『神戸小学生殺害事件の心理分析−いま、子どもたちは大丈夫か』(光文社カッパブックス,1997)

今一生 (編集)『「酒鬼薔薇聖斗」への手紙―生きていく人として』(宝島社,2003)

草薙厚子『少年A 矯正2500日全記録』(文藝春秋,2004)

熊谷英彦『神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』(鹿砦社,2001)

河信基『酒鬼薔薇聖斗の告白』(元就出版社,1998)

現代社会問題研究会『神戸事件の謎−「酒鬼薔薇聖斗」とは?』(解放社,1998)

神戸小学生殺人事件を考える会編『神戸小学生殺人事件 わたしはこう思う−455人の声』(同文書院,1997)

後藤昌次郎『神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由―「A少年」は犯人か』(現代人文社,2005)

佐川一政『少年A』(ポケットブック,1997)

産経新聞大阪本社編集局『命の重さ取材して−神戸・児童連続殺傷事件』(産経新聞ニュースサービス/扶桑社,1997)

産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」(角川書店,2002)

柴原貞夫『少年A、なぜ精神は壊れたのか』(日本文芸社,1998)

「少年A」の父母『「少年A」この子を生んで…… 父と母悔恨の手記』(文藝春秋,1999/文春文庫,2001)

須磨友男『分けられた場での事件−神戸小学生殺害事件』(現代書館,1998)

高山文彦『地獄の季節―「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所』(新潮社,1998/新潮文庫,2001)

高山文彦『「少年A」14歳の肖像』(新潮社,1998/新潮文庫,2001)

長門直弥『Killer―酒鬼薔薇聖斗の深淵』(なあぷる,1997)

土師守『淳』(新潮社,1998/新潮文庫,2002)

土師守・本田 信一郎『淳 それから』(新潮社,2005)

毎日新聞大阪本社編集局『少年−小学生連続殺傷事件・神戸からの報告』(毎日新聞社,1997)

町沢静夫『壊れた14歳−神戸小学生殺害犯の病理』(WAVE出版,1997)

村尾建吉『マージナルな14歳−万華鏡の酒鬼薔薇事件』(鹿砦社,1998)

山下京子『彩花へ−「生きる力」をありがとう』(河出書房新社,1998/河出文庫,2002)

山下京子『あなたがいてくれるから−彩花へ、ふたたび』(河出書房新社,1998/河出文庫,2002)

『神戸小学生惨殺事件の真相』シリーズ 第1集〜第8集(神戸事件の真相を究明する会,1997〜1999)
備 考  
6/2 概 要 <久留米市同僚殺人事件>
 1997年6月2日午前2時半頃、福岡県久留米市の焼き鳥店店員Yは、同僚であるT(21)から約10万円を返すように求められ、従業員寮があったビル6F非常階段付近で口論となり、約16m下の地上に突き落として死亡させた。Yは1998年頃に店を辞め、出身地の鹿児島県に戻った。
 警察は事故もしくは自殺と当初判断。しかしTの両親は関係者の聞き取りはじめ、厳正な捜査を求める署名活動を開始。警察も両親の訴えによって二人のトラブルを知り内偵。6年後の2003年8月23日、鹿児島県松元町で働いていたY(31)を殺人容疑で逮捕した。
 Yは捜査段階で容疑を認めたが、公判では無罪を主張。2005年11月29日、福岡地裁はYに懲役13年(求刑懲役15年)を言い渡した。Yは控訴。棄却され、刑は確定したものと思われる。
文 献 鴨野守『息子よ! 君のために闘いぬいた』(アートヴィレッジ,2009)
備 考  
10/28 概 要 <太宰府ストーカー殺人事件>
 1997年10月28日午前8時45分頃、福岡県太宰府市に住む九大病院職員の男性(48)方に、大野城市の男子大学生(21)が押し入り、男性の妻(46)と母親(81)を包丁で斬りつけた。妻は頭の骨などを折って午後4時半過ぎに死亡。母も顔などを切られた上、頭の骨などを折る重傷を負った。
 大学生は男性の長女(21)の高校時代の同級生。大学生は4月頃から無言電話や玄関先への投石を続けていた。男性は自宅で張り込むなどして大学生の仕業と特定。大学生と長女は顔見知り程度だった。男性は福岡県警に相談したが県警はなかなか取り合ってくれなかった。それでも9月24日、警官が男性の近くに隠れていた大学生を任意同行して取り調べたが、大学生は否認し、そのまま帰宅。その後、嫌がらせは収まっていた。
 大学生は当日逮捕。意味不明の言動を繰り返したことなどから、福岡地検は鑑定留置して責任能力を調査。1998年2月18日、大学生は犯行時心神喪失状態だったとして不起訴処分となった。また大学生は2月12日、措置入院となった。
文 献 藤田博『妻はストーカーに殺された』(WAVE出版,2000)
備 考  
11/28 概 要 <隼君交通事故事件>
 1997年11月28日午前7時50分ごろ、ダンプカーの運転手(32)が世田谷区の信号交差点で、渋滞のため横断歩道上に一時停止後、前の車に続いて発進した。その際、歩行者の有無や動静を確認する注意義務があったのに、無線交信に気を奪われて怠り、横断歩道を右から左に渡っていた隼君(当時8)をダンプの右前部に接触させ、さらに駆け抜けようとした隼君に衝突して転倒させたうえ、左前後輪でひいて即死させた。ダンプは走り去り、約40分後、約2キロ先で運転手が現行犯逮捕され、翌29日東京地検に身柄送致された。運転手は轢き逃げ容疑を否認した。世田谷署から捜査報告を受けた警察庁の調べにより、運転手の過失は明らかであったが、隼君の行動にも不自然な点が見られたため、捜査を続行することになった。ところが東京地検は捜査の打ち切りを宣言、運転手は10日間の拘留だけで釈放、過失致死、轢き逃げ容疑ともに不起訴となった。
 検察から不起訴処分の理由を明かされなかった隼君の両親は再捜査を求めた。翌年5月、東京第2検察審査会に申し立てる一方、東京高検に不服を申し立てた。高検の指示で、東京地検は再捜査を始めた。その過程で「隼君は青信号で横断歩道を横断中、信号が点滅したので引き返そうとしてダンプカーの前に戻り、ひかれた」との新たな目撃証言が出ていた。9月8日、東京高検が運転手の不起訴処分破棄を決定。11月26日、東京地裁は業務上過失致死罪で在宅のまま起訴した。ただし、轢き逃げ容疑については起訴を見送った。
 2000年5月23日、東京地裁は運転手に、禁固2年、執行猶予4年(求刑禁固2年)を言い渡した。検察側は控訴をあきらめ、刑が確定。民事の方では、3月15日に東京地裁から、加害者のダンプカー運転手と勤務先の建材会社に約3200万円の支払いを命じた判決が出て、そのまま確定した。
文 献 毎日新聞社会部取材班『隼君は8歳だった ある交通事故死』(毎日新聞社,1999)
備 考  通常、轢き逃げ死亡事故の場合、被害者側に明らかに過失がない限り、検察側は容疑者を20日間拘留して調査をするのが通例である。当時の担当検事が異動直前ということもあり、手っ取り早く仕事を終わらせようとした疑いがある。
 本事件以降、検察審査会に処分の不服を申し立てた後、山形、長野、岡山などで少なくとも10件以上が「不起訴不当」とされた。被害者側が検察審査会に申し立てをするケース自体も増えているとされる。また東京地検は、被害者・遺族の希望に応じて事件の刑事処分の結果や、不起訴の場合には理由も知らせる「被害者等通知制度」を導入した。警察庁も、原因究明が困難な死亡事故を取り扱う「事故捜査指導官」を全国の都道府県警に新設するなど捜査体制の見直しも進めた。見直し起訴の件数も増加した。99年4月、被害者に容疑者の処分内容などを伝える被害者通知制度がスタート。5月12日に成立した犯罪被害者保護法を整備するきっかけの一つにもなった。

【1998年】(平成10年)

日 付事 件
1/8 概 要 <堺市通り魔事件>
 1998年1月8日、大阪府堺市の路上で上半身裸になった市内の無職男性(19)が登校途中の女子高生、送迎バスを待っていた幼稚園女児(5)、その母親を包丁で刺した。園児は死亡、他の二人は重傷。男は緊急逮捕された。男は前夜からシンナーを吸っていたことから心神耗弱状態であったとして、2000年2月24日、大阪地裁堺支部で一審懲役18年判決(求刑無期懲役)。しかし男性は、心神喪失を理由に無罪であると控訴。2001年1月24日、被告側控訴棄却。2002年2月14日までに、最高裁で上告が棄却され、一審判決が確定した。
 1998年4月、月刊誌「新潮45」に男性の顔写真と実名が掲載された。男性は、少年法に反すると編集長、筆者を名誉毀損容疑で告訴。一審では男性側の訴えが通ったが、二審では逆転敗訴、請求棄却。2000年12月に少年側が上告を取り下げ、新潮社の勝訴が確定した。
 2000年4月、女児の両親は被告男性とその養父母に賠償を求めて大阪地裁へ提訴。2001年1月12日、被告側と和解が成立した。和解条項によると、男性は謝罪の意を表明し、父親に2300万円、母親に2800万円の賠償義務があることを認める、としている。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
5/14 概 要 <少年警官襲撃事件>
 1998年2月2日午前0時15分頃、中学3年生の男子(15)は東京都江東区の公園前の路上で、警邏中の警察官をバタフライナイフで襲った。その場で格闘になり、警察官は3週間の重傷を負った。少年は殺人未遂の現行犯で取り押さえられた。拳銃強奪が目的だった。男子は少年院に送致された。
文 献 「失敗からの助走 警官襲撃事件・浮浪者襲撃事件」(西山明編『少年事件 暴力の真相』(筑摩書房 ちくま文庫)所収)
備 考  
7/4 概 要 <富士銀行行員顧客殺人事件>
 1998年7月4日朝、埼玉県宮代町のマッサージ師Fさん(74)方で、Fさんと妻のTさん(67)の絞殺死体が発見された。警察が調査に乗り出した結果、8日に富士銀行春日部支店行員O(32)が逮捕された。Oは定期預金を運用するとFさんに偽って解約させた。そのお金で不正に浮き貸しを行ったが、結局2500万円の債務を負った。本店転勤が決まったこともあり、発覚を恐れたOはFさん夫婦さんを2日に殺害し、返済の意志を裏書きして渡した自分の名刺1枚を奪った。
 O被告は強盗殺人罪で起訴された。一審判決で東京地裁は求刑死刑に対し、一攫千金を狙った強盗殺人とは同列でないこと、富士銀行が遺族に相当高額の金品を支払う調停が成立していることなどから、無期懲役を判決した。2000年12月20日、東京高裁は検察側の控訴を棄却、刑は確定した。
文 献 「封印された「花形行員」の超弩級スキャンダル−埼玉「富士銀行行員」顧客殺人事件」(「新潮45」編集部編『殺人者はそこにいる』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  銀行側はOが起訴されると同時に、16人の代表取締役全員を減俸とする処分を発表した。
7/25 概 要 <和歌山毒物カレー殺人事件>
 和歌山市園部の自治会が1998年7月25日に空き地で開いた夏祭りで、カレーを食べた67人が急性砒素中毒を発症し、自治会長や小学4年生男児ら4人が翌日死亡。和歌山県警は同地区に住む元生命保険会社営業職員HM(37)を、保険金目的で知人男性に砒素入り牛丼を食べさせた殺人未遂と詐欺の疑いで逮捕。のちに毒物カレー事件で再逮捕。夫の元シロアリ防除業、HK(54)は三件の保険金詐欺事件で共犯とされた。
 和歌山地検はHMをカレー事件で殺人、殺人未遂罪、HKや知人男性など三人に砒素入りの毒物を食べさせて殺害しようとした殺人未遂罪、HKの高度障害保険金や自らの入院給付金を搾取した詐欺罪で起訴。HKについては、知人男性の保険金搾取を除く三件の詐欺罪の共犯として起訴。HKは一審で懲役6年判決。HMも詐欺罪については認めたが、殺人未遂、殺人罪については否認している。
 一審でHMは黙秘を貫いたが、2002年12月11日、和歌山地裁はHMに死刑判決を下した。控訴審では黙秘をやめ、無罪を主張。しかし2005年6月28日、大阪高裁で控訴棄却。2009年4月21日、最高裁で被告側の上告を棄却、死刑が確定した。HMは無罪を主張し、7月22日に再審請求を提出した。
文 献 「和歌山毒カレー殺人事件」(福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)

「和歌山毒カレー事件」(室伏哲郎『保険金殺人−心の商品化』(世界書院,2000)所収)

大城裕太「和歌山ヒ素カレー事件の知られざる内幕」(『ワニの穴10 ドキュメント 消えた殺人者たち』(ワニマガジン社,1999)所収)

「和歌山毒カレー事件 今だから語る最後の真実とは?」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)

林真須美『死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら』(講談社,2006)

林有加『「お母さん!」―大貴の声がきこえる』(日本短波放送,2000)

三好万季『四人はなぜ死んだのか―インターネットで追跡する毒入りカレー事件』(文藝春秋,1998/文春文庫,2001)
備 考  HMに対する報道被害はすさまじいものがあり、人権侵害で訴えられても仕方がないほど激しいものであった。また、この事件以降、各地で毒物混入事件が続出した。
10/27 概 要 <長崎・佐賀保険金殺人事件>
 1998年10月27日未明、長崎県小長井町の海岸で、佐賀県鹿島市の高校生Y君(16)が水死、長崎県警は母親の元生命保険会社営業職員Y(41)と、愛人関係にあった同市の古美術商H(52)を保険金目当ての殺害容疑で逮捕。その後の調べで、両被告は92年9月にも佐賀県太良町の海岸で睡眠導入剤などで眠らせたYの夫を水死させ、保険金約1億円をだまし取っていた。他にも鹿島市内の女性宅に押し入り、現金約13万7千円などを強奪していた。2003年1月31日、長崎地裁でH、Yともに死刑判決。2004年5月21日、福岡高裁はHの控訴を棄却、Yに対しては無期懲役判決を言い渡した。H、Yともに上告。Yは2004年に獄中結婚した。Yは2005年10月25日、上告棄却、確定。Hは2008年1月31日、最高裁で上告棄却、死刑確定。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

「長崎母親高一息子保険金殺人事件」(室伏哲郎『保険金殺人−心の商品化』(世界書院,2000)所収)

佐木隆三『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍,2001)
備 考  佐賀県警の捜査の甘さが指摘された事件。ちなみにYの父親は佐賀県警の警察官だった。
12/15 概 要 <ドクター・キリコ事件>
 1998年12月12日、東京・杉並区の無職の女性(24)が「ドクター・キリコの診断室」という掲示板で専属「ドクター」をしていた札幌市在住の男性(27)と知り合い、青酸カリを彼から譲り受けていた。15日、彼女は届いたカプセルを飲み、死亡。さらに、同日、この男も自殺した。警察はこの男を自殺幇助容疑で被疑者死亡のまま書類送検した。
文 献 福田洋『現代殺人事件史』(河出書房新社,1999)所収)
備 考  

【1999年】(平成11年)

日 付事 件
4/14 概 要 <光市母子殺害事件>
 1999年4月14日午後、山口県光市のアパートの会社員本村洋さん(23)方で、排水検査を装った市内の男性会社員F(18)がMさんの妻(23)を襲い、抵抗されたため首を手で締めて殺してから陵辱。さらに近くで泣き叫んでいた長女(11カ月)を持っていた紐で首を絞めて殺し、二人の遺体を押入に隠してから財布を盗んだ。そのままゲームセンターへ行き、盗んだ金で遊んでいたという。
 山口県警は18日、F少年を殺人容疑で逮捕。検察側は死刑を求刑したものの、山口地裁は2000年3月22日、無期懲役の判決。閉廷後、死刑を求めていたMさんは「司法に絶望した。被告を社会に出して欲しい。自分の手で殺す」と会見の場で話した。検察側は控訴したが2002年3月14日、広島高裁で控訴棄却。2006年6月20日、最高裁は一・二審の無期懲役判決を破棄、広島高裁へ差し戻した。2008年4月22日、広島高裁は一審を破棄し、死刑を言い渡した。2012年2月20日、最高裁は上告を棄却、死刑が確定した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

井上薫『裁判官が見た光市母子殺害事件』(文藝春秋,2009)

今枝仁『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』(扶桑社,2008)

門田隆将『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮社,2008)

現代人文社編集部『光市事件裁判を考える』(現代人文社,2008)

光市裁判を考える有志の会『橋下弁護士VS光市裁判被告弁護団―一般市民が見た光市母子殺害事件』(STUDIO CELLO,2007)

光市事件弁護団『光市事件弁護団は何を立証したのか』(インパクト出版会,2008)

増田美智子『福田君を殺して何になる』(インシデンツ,2009)

本村洋・弥生『天国からのラブレター』(新潮社,2000/新潮文庫,2006)

本村洋、宮崎哲弥、藤井誠二『罪と罰』(イーストプレス,2009)

本村洋、宮崎哲弥、藤井誠二『光市母子殺害事件』(文庫ぎんが堂,2012)
備 考  被害者遺族である本村洋さんは、被害者遺族の権利を訴え活動している。
7/27 概 要 <北九州暴力団組長恐喝未遂事件>
 北九州市の暴力団組長の男性は1999年7月27日、北九州市の繁華街にある公園内の、自分が経営する移動式パン店で現金約350万円入りの茶封筒と約10万円入りの財布を2人組の男に盗まれた。店員が1人を捕らえたらところ、犯行を認め、証言通りの場所から空の財布が見つかった。
 男は自衛隊員なので、警察は勘弁してほしいと懇願。逃げたもう1人の自宅に行ったが捕まらなかったので、男性は詫び状と借用書を書かせ宿舎に返した。
 その後男性は自衛隊の上司に面談して現金の返済を訴え、弁償するという約束の元、示談にした。
 しかし男性はその後、恐喝未遂容疑で逮捕された。一審懲役2年6月の実刑判決を受け、最高裁で確定。またその時店にいた人物も恐喝未遂容疑で実刑判決を受けている。
 2人の自衛隊員は金を盗んだことは認めたものの、その額は3000円であったとされ、罪に問われていない。
文 献 宮崎学『小倉の極道謀略裁判』(太田出版,2001)

目森一喜、斉藤三雄『司法の崩壊 やくざに人権はないのか』(現代人文社,2002)

上高謙一、宮崎学『獄楽記』(太田出版,2004)
備 考  
8/9 概 要 <西尾市女子高生ストーカー殺人事件>
 1999年8月9日午前8時30分、愛知県西尾市の国道23号バイパスの側道で、高校二年Nさん(16)は自転車で登校する途中、顔見知りの無職少年(17)に呼び止められ、胸や背中をナイフで刺された。Nさんは出血性ショックで死亡。少年は近くにいた別の女子高生にもナイフを突き付け、約20分間連れ回した。近所の住民からの通報で、愛知県警西尾署は、現場付近にいた少年を殺人未遂容疑で現行犯逮捕。身柄送検の際、殺人に切りかえられた。少年は、Nさんに中学時代から好意を寄せていたが、中三のときに交際を断られ、性的嫌がらせの手紙をげた箱に入れたり、あとをつけたり、嫌がらせの電話をしたりするなどのストーカー行為を繰り返していた。少年はNさんと同じ高校に進むも、一年の途中で退学した。少年は調べに対し、「相手にされなかったので殺してやろうと思った」と供述した。
 2000年5月15日、名古屋地裁岡崎支部での判決で裁判長は、「神戸の小学生殺人事件の犯人に尊敬の念を抱き、悪いことのできる強い自分になるため、落ち度のない被害者を恨み、殺害した責任は重い」と述べ、求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。
 殺害された女性の両親は、元同級生とその両親に約1億円の損害賠償を求めた。名古屋地裁岡崎支部は2003年2月4日、元同級生の両親の監督責任を認め、約8900万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。岩田嘉彦裁判長は両親が監督義務を怠ったことと元同級生の犯行とに「因果関係がある」と指摘した。 8月、両親側の控訴棄却。
文 献 藤井誠二『殺人を予告した少年の日記 愛知県西尾市「ストーカー」殺人事件』(ワニブックス,2001)
備 考  
9/8 概 要 <池袋通り魔殺人事件>
 1999年9月8日、無職Z(23)は東京都豊島区東池袋の路上で、主婦Sさん(66)と主婦Tさん(29)を包丁で刺殺。Sさんの夫や高校生ら8人も金づちで殴ったり、包丁で切りつけたりして、6人に重軽傷を負わせた。Zは池袋駅前まで逃げたが通行人と格闘となり、路上に倒れると5、6人の男に押さえ込まれ、駆けつけた池袋署員らに取り押さえられ現行犯逮捕された。取り調べでZは「仕事がなくてむしゃくしゃした。だれでもいいから殺してやろうと思った」などと供述した。
 裁判では事件当時の責任能力が争われたが、2002年1月18日、東京地裁で死刑判決。2003年9月29日、東京高裁で控訴棄却。2007年4月19日、最高裁は上告を棄却、死刑が確定した。
文 献 青沼陽一郎『池袋通り魔との往復書簡』(小学館文庫,2002)

「繁華街を暴走した新聞配達員の「暑苦しい夏」−池袋「通り魔」連続殺傷事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
9/29 概 要 <下関通り魔殺人事件>
 1999年9月29日午後、山口県下関市のJR下関駅東口からレンタカーが構内に突っ込み、約60m暴走、7人をはねた。車を降りた運送業U(35)は、文化包丁を振り回して改札口を通り、階段で1人、ホームで7人を傷つけた。Uはホームで駅員達に取り押さえられたが、死者5人、重軽傷10人。「社会に不満があり、誰でもいいから殺してやろうと思った」などと供述した。被告は九大工学部を出た秀才であったが、精神病院に通っており「回避性人格障害」との診断であった。2002年9月20日、山口地裁下関支部で一審死刑判決。2005年6月28日、広島高裁で控訴棄却。2008年7月11日、最高裁で死刑確定。
 2001年9月29日、被害者・遺族4人が被告や被告の両親、JR西日本を相手に民事提訴。総額1億8500万円の損害賠償を求めた。2002年9月26日、別の被害者5人が被告や被告の両親(一部原告はJR西日本を含む)に総額1700万円の損害賠償を求める訴えを山口地裁下関支部に起こした。両者の裁判は併合された。
 2004年11月1日、山口地裁下関支部は、U被告へ1億6191万円の支払いを命じた。しかし被告の両親、JR西日本への賠償請求は却下した。原告側は、同被告に支払い能力がないこともあり、両親やJR西日本の連帯責任を求めて控訴した。
 2006年3月13日、広島高裁は「JRと両親に特段の過失はなかった」とU被告だけに賠償を命じた一審判決を支持した。遺族と被害者各1人への賠償金額を、それぞれ約790万円と250万円上乗せするよう命じた。U被告側は計約1億7200万円の支払いを命じた判決について上告せず確定。原告のうち7人がJR西日本についてのみ上告した。
 2007年1月25日、最高裁第一小法廷は遺族側の上告を棄却し、確定した。
 U死刑囚と広島弁護士会所属の弁護士2人は2009年4月30日、再審請求に向けた打ち合わせの際、広島拘置所が職員の立会なしで接見を認めなかったのは秘密交通権の侵害だとして、慰謝料など計495万円の国会賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした。
 Uは2012年3月29日、執行された。48歳没。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

佐木隆三『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍,2001)
備 考  
10/26 概 要 <桶川ストーカー殺人事件>
 1999年1月、女子大生Iさん(当時19)は風俗店店長K松(27)とつきあい始めたが、3月に別れ話をもちこんだ。K松はその直後からストーカー行為を始めた。
 6月14日には今までにプレゼントしたものや食事代など500万円を返却しろと脅迫。翌日、Iさんと母は前夜の模様を録音したカセットテープを持ち込み、埼玉県警上尾署に相談したが、上尾署は恐喝に当たらず「民事不介入」と説明した。
 7月からは、K松は兄や兄の手下の暴力団員とともに中傷ビラを貼ったり、Iさんの父親の勤務先、Iさんの友人などに中傷電話をかけまくるようになった。Iさんは上尾署にK松を名誉毀損容疑で告訴。ところが上尾署の署員3人(後に懲戒免職処分)が告訴調書を被害届に改ざん。さらに係員は告訴取り下げを要請。うその捜査報告書を作成するなど、一切の捜査は行われなかった。
 10月26日、JR桶川駅前でKさんは風俗店店長K(35)に刺殺された。殺害報酬は1000万円と言われている。兄たち合計14人が殺人、名誉既存容疑で12月20日を中心に逮捕されたが、中心人物K松は逃亡。翌年1月27日、北海道屈斜路湖で水死体となって発見された。警察は自殺として処理したが、暴力団による見せしめという説も流れている。兄たち4人が起訴された。
 2001年7月17日、さいたま地裁は分離公判中の元消防士K松兄が事件の主犯と認定し、殺害行為の実行犯Kに懲役18年、見張り役だった無職I(34)に懲役15年と、ともに求刑通りの実刑判決を言い渡した。Iはそのまま確定。Kも控訴したものの、2002年3月29日控訴取り下げ、一審判決が確定した。
 2002年6月27日、さいたま地裁は殺害時の運転手だった風俗店経営K上に求刑通り懲役15年の実刑判決を言い渡し、そのまま確定した。
 2003年、さいたま地裁は事件の主犯K松兄に求刑通り無期懲役判決を言い渡した。K松兄は控訴、2005年12月20日、控訴棄却。
 事件後、Iさんの告訴調書を改ざんしたりしたとされる上尾署員3人は虚偽有印公文書作成などの罪で有罪判決を受け、当時の県警本部長ら12人が処分された。
 Iさんの両親は2000年10月、K松兄ら17名に慰謝料など1億1000万円の損害賠償請求訴訟を起こした。さらに2000年12月、国家賠償法に基づき約1億1千万円の損害賠償を埼玉県に求めて提訴した。
 2001年10月26日、ビラばらまきなどの実行犯5名に計490万円の損害賠償支払い命令。11月16日、実行犯K、Iに計9900万円の損害賠償支払い命令。
 2003年2月26日、さいたま地裁は総額550万円の賠償を県に命じる判決を言い渡した。広田民生裁判長は、ストーカー被害の申告を受けながら捜査に乗り出さなかったとされる県警の責任について「捜査の怠慢に違法性はあった」と指摘し、中傷ビラをまかれたことの名誉棄損部分の対応について慰謝料の支払いを命じた。ただし、捜査が遅れたことと殺害との因果関係については否定した。原告・被告側は控訴するも2005年に控訴棄却。2006年8月30日、最高裁は上告を棄却、判決が確定した。
 2006年3月31日、さいたま地裁はK松兄やその両親に計約1億250万円を支払うよう命じた。被告側は控訴したが、東京高裁は、3人が訴訟費用となる収入印紙などを納付しなかったため、6月に控訴を却下した。その後3人は却下の告知を受けてから最高裁への特別抗告などの手続きをしなかったため、7月に一審の判決が確定した。
 2006年9月5日、最高裁はK松兄の上告を棄却。無期懲役判決が確定し、事件を巡る裁判は全て終結した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

清水潔『遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層』(新潮社,2000/新潮文庫,2004)

鳥越俊太郎&取材班『桶川女子大生ストーカー殺人事件』(メディアファクトリー,2000)

鳥越俊太郎、小林ゆうこ『虚誕 ―― 警察につくられた桶川ストーカー殺人事件 ――』(岩波書店,2002)
備 考  被害者の両親は、K松兄ら17人に損害賠償を求めており、2006年3月時点で、▽被告1人が取り下げ▽4人と和解▽8人に計1億846万円の支払いを命じる判決が出ている。このうち1人とは判決後に和解している。
11/11 概 要 <ライフスペース事件>
 1999年11月11日、千葉県成田市内のホテルで兵庫県川西市内の元会社員(66)のミイラ化した遺体が成田署によって発見される。T(61)はかつて税理士だったが、1983年に自己啓発セミナー「ライフスペース」を設立。バブル期には約1万人が参加していたが、徐々に減少。その後Tは自ら「グル」を名乗り、「前世のカルマを落として病気を治す」と宗教色を帯びるようになっていた。元会社員は99年7月2日、脳内出血のために兵庫県伊丹市内の病院に入院していたが、T達が「頭などを軽く叩く治療を受けさせる」などとして病院から連れ出し、成田市内のホテルに移動していた。11月24日、茨城県大洗町のホテルや東京都内のSPGF関連施設などを同容疑で一斉捜索。施設にいた子供9人を保護。翌年2月22日、Tや会社員の長男(31)ら8人を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕。Tは「司法解剖されるまで元会社員は生存していた」などと発言している。3月15日、Tを殺人容疑で、長男を保護責任者遺棄致死容疑で起訴。残りは不起訴処分となった。Tは、シャクティ治療は「定説」で確立された民間療法である、と起訴事実を全面否認した。
 保護責任者遺棄致死罪に問われた長男は2001年9月28日、千葉地裁で懲役2年6カ月執行猶予3年(求刑懲役4年)の有罪判決を言い渡された。
 2002年2月5日、千葉地裁はT被告に求刑通り懲役15年を言い渡した。その間、T被告が事件を語ることはなかった。
 2003年6月26日、東京高裁は「元会社員を病院から連れ出した時点での殺意を認めた一審判決には事実誤認がある」とした上で、「不作為による殺人であり、特段悪質性が高いとはいえない」として一審判決を破棄、懲役7年を言い渡した。2005年7月4日、最高裁は上告を棄却、判決が確定した。必要な措置を取らなかった「不作為」による殺人罪の成立を最高裁として初めて認めたこととなった。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
11/17 概 要 <仙台バイク死亡事故事件>
 1999年11月17日18時頃、大学2年生の男性(当時21)は仙台市内でバイクに乗って帰宅中、対向車線を走ってきた市営バスと正面衝突して死亡した。宮城県警はバイクが中央線を超えたとして、男性を道交法違反容疑で書類送検。仙台区検は容疑者死亡で不起訴とした。バス運転手の過失については捜査せず、送検もしなかった。
 現職の神戸地検の検察事務官であった男性の父親は、事故翌日に遺品を受け取りに来た際、仙台中央署の警察官に捜査が終わって罪名も決まっていることに愕然。現職である父親は、実況検分調書が事故当日に書類が完成することはあり得ないと判断。さらに3日後の通夜の席で、バスの運転手は「バイクと並んで走る車があった」と説明した。仙台市交通局が運輸大臣に提出した報告書にも、バイクの隣を走っていた車のことが明記されている。バスの運転手も、事故直後に、この話を警察に伝えたというが、父親が検察と警察に確認しようとすると、そんな話は聞いていないと言って、取り合おうとしなかった。
 男性は何度も仙台に足を運び、新聞の折り込み広告で目撃者を捜したが、有力情報はなかった。事故の真相を知るため、男性は2003年、バスの運転手を相手に損害賠償訴訟を起こしたが、門前払いの形で敗訴。さらに2004年には「不適切な捜査で精神的苦痛を受けた」と国などに賠償を求める訴えを起こした。一審の神戸簡裁は父親の訴えを棄却し、2005年9月14日の控訴審判決でも、神戸地裁は、バス運転手に過失はないとする結論に変わりはないとして訴えを棄却した。しかし、控訴審判決は、警察が事故当日にバイクと併走する車があったとバス運転手から説明を受けていた事実を認定し、初動捜査の不備を指摘した。
文 献 三浦良治『欠陥捜査』(毎日新聞社,2009)
備 考  男性は、(1)死亡事故は業務上過失致死容疑で捜査し、状況が遺族に分かる実況見分調書を作成する(2)警察官だけで過失を断定せず、検察官が判断する(3)被疑者死亡で書類送検した場合、1年で廃棄する捜査記録の保存期間を延長する−−を求める要望書を法務省に提出した。
11/22 概 要 <春菜ちゃん殺人事件>
 1999年11月22日、東京都文京区の主婦Y(35)が、同区の私立幼稚園から近くの会社員(39)の長女(2)を連れだし、公衆トイレで絞殺。バッグに遺体を入れて帰宅した後、静岡県大井川町の実家の裏庭に埋めた。25日、住職の夫に伴われて丸の内署に自首、逮捕された。当初は幼児の受験戦争が背景にあると見られていたが、Yは「殺害した長女の母親との心のぶつかり合いがあったので殺そうとした」と供述している。しかし、はっきりとした動機は裁判でも明らかにされなかった。
 2001年12月5日、東京地裁は「無垢で幼い命への慈しみの情は見いだせず、確定的殺意に基づく非道な犯行」と指摘、懲役14年(求刑・懲役18年)を言い渡した。殺害の動機について、「女児の母親が自分を疎んじていると一方的に思い込み、殺意を抱いたが、母親殺害が困難であり、女児がいなくなれば母親と顔を合わせずに済むと思い、殺意を転嫁させた」と認定した。しかし検察側は、地裁判決を不服として控訴した。
 長女の両親は2002年8月5日、Y被告に、計1億3757万円余の損害賠償などを求め、東京地裁は12月4日、約6100万円の支払いを命じた。うち約2000万円については「罪を自覚し続けてほしい」との両親の意向に従い、毎月22日の月命日ごとに8万円余を分割で払う「定期金」の形を取る。しかしYは最初の数回しか払っていない。
 2002年11月27日の控訴審で、東京地裁は一審より重い懲役15年の判決を言い渡し、刑は確定した。
 両親は出版社四社に「母親にも事件の原因があった」かのような報道がされたと東京地裁に提訴。三社には謝罪文の掲載、掲載を新聞広告で告知するといった条件で和解した。「週刊文春」とは、文春側が検証記事を掲載し、新聞広告や電車の中吊り広告で記事を告知することなどを条件に和解した。中吊り広告で名誉回復が図られるのは、きわめて珍しいケース。
文 献 歌代幸子『音羽「お受験」殺人』(新潮社,2002)

佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

佐木隆三『音羽幼女殺害事件』(青春出版社,2001)

保坂渉『ひびわれた仮面 東京・文京区幼女殺害事件』(共同通信社,2002)

宮川俊彦『なぜ殺したのか』(ブックマン,1999)

矢幡洋『窒息する母親たち 春奈ちゃん事件の心理ファイル』(毎日新聞社,2000)
備 考  
11/28 概 要 <泥酔トラック運転手衝突死亡事故事件>
 1999年11月28日、東名高速首都高の料金所手前に止まっていたIさん一家の乗用車を含む2台に大型トラックが衝突。乗用車は炎上し、Iさんの長女(3)と次女(1)が車内に取り残されたまま焼死した。Iさん夫婦は無事だった。運転手(55)は直前のサービスエリアでウィスキー280ml、焼酎250mlを飲み、泥酔状態だった。東名高速道路でこのトラックが蛇行運転しているのを発見した乗用車のドライバーは、警察や料金所に通報したが、間に合わなかった。
 検察側は運転手を業務上過失致死と道路交通法違反(酒酔い運転)で起訴、最高量刑である5年を求刑したが、今までの裁判基準を考慮して、一審、二審とも懲役4年の実刑判決。死亡した幼児の両親は最高量刑を求めていたが、現行法で量刑期間は上告理由に当たらないため、検察側は上告を断念し、刑は確定した。
文 献 井上郁美『永遠のメモリー』(河出書房新社,2000) 
備 考  以前から、悪質な行為で人を死傷させた運転手は厳罰化するべきだとの声が交通事故被害者側からあがっていた。この事件がきっかけで、警察庁、法務省は悪質な運転手を摘発する「危険運転致死傷罪」を創設した。
12/2 概 要 <栃木リンチ殺人事件>
 1999年12月2日、栃木県市貝町の山林で会社員Sさん(19)が三人の少年グループに殺され、コンクリート詰めにして埋められた。少年たちは、2ヶ月前からSさんやその友人から消費者金融で計700万円を借りさせ、遊興費に使っていた。その間、Sさんを連れ回してホテル内で熱湯のシャワーをかけさせたり、百回以上殴るなどのリンチを繰り返していた。
 Sさんの両親は、Sさんが失踪した10月から警察に合計9回捜査・救出を要請したが、「事件にならないと警察は動けない」と取り合ってもらえなかった。この間、共犯の少年(19)が駐車禁止違反の手続きのために宇都宮東署を訪れており、「リンチの件で逮捕される覚悟で東署に行った」と話しており、対応した署員に「逮捕しないんですか」とまで尋ねたが逮捕されなかった。11月30日、銀行から「顔中にやけどをし、4人の男に連れられているSさんが防犯カメラに映っている」という連絡を受け、父親が石橋署を訪れてビデオテープの取り寄せを要求したのに警察は断っていた。この時、父親の携帯電話に連絡してきたSさんに、同署員が不用意に「警察だ」と名乗り、一緒にいたとみられる少年たちに警察の関与を知られ、これが殺害の原因となった。
 12月5日、少年グループと途中から行動していた男子校生が警視庁三田署に自首。5日、Sさんの遺体が発見され、高校生を含む4人が逮捕された。男子校生は中等少年院に送致された。
 2000年5月29日、栃木県警は初めて不手際を認め、会見で謝罪した。7月27日、栃木県警本部長が訓戒処分、石橋署の生活安全課長を「上司に報告を上げず、適正な捜査指示を怠った」として停職処分、他関係者7人が減給、戒告、訓戒処分を受けた。
 主犯の少年の父親は県警の警部補であった(後に辞職)。
 2000年6月1日、一審栃木地裁で主犯の少年(19)に求刑通り無期懲役判決。少年は控訴。7月18日、一審栃木地裁で、実行犯である二人の共犯者の内、一人(19)に無期懲役、もう一人(19)に懲役5-10年の判決が出てそのまま確定した。2001年1月29日、主犯の少年の控訴審で被告側控訴棄却、確定した。
 被害者の両親(母親は訴訟途中の2002年に死亡 50歳没)は元少年3人とその親、県を相手取り総額1億5000万円の損害賠償を求めた。
 2006年1月11日、不定期刑が確定した元少年とその両親は4000万円を支払うことで和解した。
 2006年4月12日、一審の宇都宮地裁は県警の過失を認め県に約9600万円の賠償を命じた。
 2007年3月28日の東京高裁では、県警の過失こそ認めたが、「捜査しても殺害される前に発見され、Sさんが生存できた可能性は30%程度にとどまる」などとして賠償を減額して県の賠償額を約1100万円とした。また、親への賠償は棄却した。2009年3月13日、最高裁第二小法廷は原告側の上告を棄却。二審判決が確定した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

黒木昭雄『栃木リンチ殺人事件―警察はなせ動かなかったのか』(草思社,2001/新風舎文庫,2005)

三枝玄太郎『十九歳の無念 須藤正和さんリンチ殺人事件』(角川書店,2002)

須藤光男、須藤洋子『わが子、正和よ―栃木リンチ殺人事件被害者両親の手記』(草思社,2001)
備 考  
12/21 概 要 <てるくはのる事件>
 1999年12月21日午後2時ごろ、京都市伏見区にある、市立日野小学校の校庭で、友達と遊んでいた、重機運転手Nさん(35)の長男で同小二年T君(7)が、黒の目出し帽をかぶった男に文化包丁(刃渡り三十センチ)で首や腕など十数か所を切られ、約三十分後、出血多量のため死亡した。現場には他にも児童がいたが、怪我はなかった。現場に「日野小を攻げきします。理由はうらみがあるからです」「今は逃げますが、後で名前を言うつもりでいます。だから今は追わないで下さい。私を識別する記号『てるくはのる』」などと書かれた「犯行声明」とみられる紙が残されており、京都府警捜査一課は、同小に恨みを持つ者が無差別に児童を襲った可能性が高いとみて、殺人容疑で山科署に捜査本部を設置した。
 翌年2月5日、警察は有力容疑者としてO(21)に任意同行を求めるも、Oは捜査員の隙を見て逃走。そのまま近くの団地に駆け上り、飛び降り自殺をした。京都府警は遺体発見の直前に殺人の疑いでOの逮捕状を取っており、被疑者死亡のまま書類送検をした。Oは日野小を出ておらず、動機等は一切闇の中に隠れたままになった。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

「京都市小二児童刺殺事件」(山崎哲『<物語>日本近代殺人史』(春秋社,2000)所収)

中村聖志・唯子『聞け、“てるくはのる”よ』(新潮社,2000)
備 考 「教育がこうしたんだといううらみがある」「少し判断ミスっただけで大きく人生が変わりそうだ」。Oはそのようなメモを書き残していた。しかし、真の動機は不明のままである。犯行声明の「てるくはのる」は、名言名句を収載する辞典にある縦書きの文章の各行末尾の文字を横から読んだ言葉であり、特に意味はなかった。
 本事件でも、警察の逮捕時に不手際があったとマスコミなどから非難された。

【2000年】(平成12年)

日 付事 件
1/20 概 要 <宮崎ミイラ事件>
 宮崎市にある宗教活動団体「加江田塾」で2000年1月20日、ミイラ化した男児(6)と乳児の遺体が発見された。塾代表A(56)は、95年頃に塾を設立、全国でセミナーを開催し、次第に人々の信奉を集めた。男児はネフローゼ症候群にかかっていたが、親は医療に不信を抱きAに相談、1997年12月に男児を塾に預けたが、祈祷まがいの行為を繰り返すだけで治療をしなかったため急激に衰弱。一ヶ月後に死亡した。また1999年2月ごろ、塾生の女性が出産した未熟児の保育を託されながらも全く医療措置を施さず、乳児は衰弱のため死亡した。さらに二児の死が発覚することを恐れ、男児の親に死亡を否定し遺体を引き渡さず、室内に放置してミイラ化させた。乳児についても同様だった。保護責任者遺棄致死罪、死体遺棄罪で起訴。補佐役だったTも起訴された。
 裁判で弁護側は、弁護側は、未熟児については保護責任を認めた上で、「宗教的な医療行為にあたる」として遺棄致死にはあたらないと主張。男児については、母親が近くに同居していたことを理由に保護責任そのものを否認し、無罪を求めていた。2002年3月26日、宮崎地裁は検察側の主張を認め、Aに懲役7年、Tに懲役7年の実刑判決を言い渡した。12月19日、福岡高裁宮崎支部は一審判決を支持し、被告の控訴を棄却した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
1/28 概 要 <新潟女性誘拐監禁事件>
 1990年11月13日夕方、新潟県三条市内で無職の男性S(当時28)が下校途中の当時小学四年生の女性(当時9)をナイフで脅し、粘着テープで体を縛って車のトランクに押し込み、柏崎市内の自宅二階の部屋に連れ去った。このとき、両脚の筋力低下などの傷害を与えた。それから約9年2ヶ月にわたり監禁。部屋から一歩も出さず、暴力等を加え続けた。女性が逃げようとすると、ナイフや高圧電流銃で脅したり、殴るなどの暴力を加えたほか、床に粘着テープを張り行動範囲を制限するなどしていた。この二階の部屋には風呂もトイレもなかったらしい。
 2000年1月28日、女性(19)を保護。無職S(37)を連行。同居していた母親は全く気付かなかったと供述している。2月11日、責任能力があるということでSを未成年者略取と逮捕監禁致傷の罪で逮捕。5月23日、新潟地裁で初公判が開かれ、Sは「間違いありません」と起訴事実を認めた。ただし、被害者が嫌がっているとは全く思っていなかった。検察側は初公判後の6月、被害者の女性に着せるための衣類を万引したとして窃盗罪でSを追起訴し訴因変更。このため併合罪となり、最高刑が懲役10年から15年に延びていた。
 2002年1月22日、新潟地裁は求刑懲役15年に対し、懲役14年を言い渡した。ただし、未決勾留日数350日を算入した。S被告は「事実誤認がある」と控訴。
 2002年12月10日、東京高裁は「一審判決には法定刑を超える量刑を行った違法がある」と述べ、懲役14年とした一審・新潟地裁判決を破棄し、改めて懲役11年の判決を言い渡した。また、「法の予想を超えて著しく重大な事件があり、法定刑が軽すぎるとすれば、将来に向けて法律を改正するほかない」とも付言した。検察側は判決を不服として上告した。
 2003年7月10日、最高裁は懲役11年の二審東京高裁判決を破棄し、一審新潟地裁の懲役14年を支持した。上告審では、刑法の併合罪の量刑解釈が焦点になった。裁判長は「各罪について個別的な量刑判断をした上、合算することは、法律上、予定されていない」とする初判断を示した。
文 献 碓井真史『少女はなぜ逃げなかったか』(小学館文庫,2000)

窪田順生『4階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー』(小学館,2006)

佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

佐木隆三『少女監禁―「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか』(青春出版社,2003)

登道烈山『新潟少女九年二ヵ月監禁事件―真相はこれだ!!』(ブイツーソリューション,2006)

毎日新聞新潟支局編『新潟少女監禁事件―空白の九年二カ月』(新人物往来社,2000)

松田美智子『カプセル 新潟少女監禁事件密室の3364日』(主婦と生活社,2002)(後に『新潟少女監禁事件』(朝日文庫,2009)と改題)
備 考  誘拐時、新潟県警は該当事件の前科者をリストアップし調査していたが、Sはリストから漏れていたということである。発見時、保健所の職員が女性を保護したが、県警本部長の指示により、警察側は県警が保護したと虚偽の発表。さらに県警から保護の連絡があったとき、特別観察のために新潟県警に来ていた関東管区警察局長を接待するため、県警本部長ら幹部がホテルで賭け麻雀をしていて、宴席から女性監禁事件の指揮を行っていた。この結果、県警本部長、管区警察局長が引責辞任。警察庁長官、新潟県警刑事部長らが懲戒処分を受けた。
 この事件が原因かどうかは不明だが、新潟県警交通機動隊長らが、白川勝彦元自治相の地元秘書に頼まれ交通違反をもみ消していたことが発覚した。
3/8 概 要 <奈良長女薬殺未遂事件>
 奈良市内の准看護婦S(43)は、2000年3月8日、自宅で長女(17)のお茶に気管支拡張剤のサルブタモールを含む喘息治療薬を入れ殺害しようとした。また、6月まで5回に渡り、自宅や、薬物が元で肺水腫になり入院した病院などで弁当やラーメンなどに薬物を入れて長女を殺害しようとした。殺人未遂容疑で7月16日に逮捕。調べに対し、Sは殺意を認めたものの、動機や方法については黙秘した。県警捜査本部は責任能力があると判断していたが、奈良地検はS被告が睡眠薬を常用していたことから、刑事責任能力を判断するために精神鑑定を要求。精神鑑定結果では、S被告が意識や記憶が本来の自分のものとは一致しなくなる「解離性障害」だった可能性に言及。また、親が子どもを薬物などでわざと病気に仕立てる児童虐待の特異な症例「代理ミュンヒハウゼン症候群」だった疑いも指摘した。その結果、責任能力があると判断され、審理に入った。
 3年前に小児喘息を病んでいた二女(当時9)も急性肺水腫で死亡、その7ヶ月後、持病のない長男(当時15)も同様の症状で死亡していた。長男と長女には多額の生命保険金が掛けられていた。同居していた祖父母も同じ症状で緊急入院したという。事件の関連が囁かれているが、現在のところ、容疑には上がっていない。男性と派手に交際していたという報道もあったが、男性自身は無関係である。
 2002年3月15日、奈良地裁はS被告に懲役3年(求刑懲役6年)を言い渡した。裁判長は犯行動機について「男性との交際を続ける中で長女をうとましく思い、殺害を決意。薬物を使って、長女を殺そうとしたことが発覚しないようにした」とした。検察側は、S被告が長女にかけていた計3000万円の生命保険金を「二次的な動機」としていたが、裁判長は「保険金目的とは断定できない」と退けた。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
3/17 概 要 <恵庭OL殺人事件>
 2000年3月17日朝、北海道恵庭市の農道で、完全に炭化した女性の遺体が発見された。解剖結果で絞殺後に焼かれたものと判明。特に喉と下半身がひどく焼かれていた。翌日、遺体の身元は千歳市の会社に勤めるHさん(24)とわかった。Hさんは16日夜から帰宅しておらず、両親が道警に通報していた。警察の捜査の結果、同じ会社に勤めるO容疑者(29)が、2年間付き合っていた男性がHさんに交際を申し込んだため別れ話を切り出されていたことがわかった。さらに事件の夜、O容疑者はHさんと二人で会社を出たこともわかり、アリバイもなかった。道警は4月14日から6日間、任意聴取を行った。O容疑者は一貫して容疑を否認。その後、「心因反応」と診断され入院。退院した5月22日、「自白の強要など違法捜査で精神的苦痛を受けた」として、道に損害賠償を求めて提訴。同時に警察は、自白は得られなかったものの虚偽の供述があったと判断し、5月23日、逮捕に踏み切った。
 O被告は今も犯行を否認。主任弁護士には元衆議院議員の伊東秀子弁護士が付き、知人を中心とした支援活動も活発に行われている。2003年3月26日、札幌地裁は求刑懲役18年に対し、懲役16年を言い渡した。被告側は控訴したが棄却。2006年9月25日、最高裁第一小法廷で被告側上告棄却。刑が確定した。
 Oは月刊誌の記事や文庫本で名誉を傷つけられたとして、出版元の新潮社などに販売差し止めや550万円の損害賠償を求めた。東京地裁は2007年1月23日、「真実と信じるに足りる理由はない」として名誉棄損を認定。新潮社側に文庫本の販売差し止めと計220万円の支払いを命じた。しかし二審で東京高裁は、損害賠償を110万円に減額。さらに文庫本販売差し止めを棄却した。2007年10月、最高裁はOの上告を棄却し、判決は確定した。
 2012年10月15日、Oは札幌地裁へ再審を請求した。地裁には、燃焼工学を専門とする大学教授の鑑定書を提出。鑑定書には「灯油10Lを燃焼しても遺体は炭化せず、少なくとも54.7Lが必要」「灯油より燃焼性の高い燃料(例えばガソリン)が混入した燃料が使用された可能性が極めて高い」などと記載されている。
文 献 伊東秀子『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』(新潮文庫,2002)

「炭化した「下半身」が炙り出す黒い影―恵庭「社内恋愛」絞殺事件」(「新潮45」編集部編『殺ったのはおまえだ』(新潮文庫,2002)所収)
備 考  
3/24 概 要 <本庄保険金殺人事件>
 埼玉県本庄市の金融会社経営Y(50)は、小料理店店長T(32)、小料理店店員M(38)、パブ元ホステスでフィリピン国籍のA(34)と共謀し、多額の生命保険を騙し取る目的で、1997年5月に元パチンコ店従業員Mさん(死亡当時61)をMと、1998年7月に元塗装工Kさん(38)Aと偽装結婚させ、虚偽の婚姻届を出した。男性二人はともにYに多額の借金があった。Kさんは「結婚すれば、借金を棒引きにする」と持ちかけられていた。
 それ以前の1995年6月、Aの前夫Sさん(1990年11月結婚、死亡当時45)は行田市内の利根川で水死体で発見され自殺と処理、保険金約3億円がAに支払われていた。
 Mさんは1999年5月に死亡。長期間にわたり風邪薬を服用させ、免疫機能を低下させることにより「日和見感染症」を起こし化のう性胸膜炎と肺炎が原因で死亡した。Mを受取人とした約1億8000万円の保険金は、捜査が開始されたため支払われていない。Mさんが死亡した翌日、Kさんが「このままでは殺される」と病院に駆け込み、またMさんの遺体も火葬直前に差し押さえられ、事件は明るみになった。Kさんも長期間にわたり風邪薬を服用させられ「急性肝傷害」などにより、現在入院中。
 埼玉県警捜査1課と本庄署は2000年3月24日、事情聴取していたYら4人を公正証書原本不実記載・同行使罪により逮捕。その後の調べでYの周辺では、2人を含め8人に計約24億円の保険が掛けられていた。 県警は、これまでに4容疑者の自宅などの捜索で約120種類の医薬品を押収するなどしたほか、死亡した男性の髪の毛や入院した男性の吐いた物から風邪薬の主成分で、大量に摂取すると、肝障害などを起こし、死亡例も報告されている「アセトアミノフェン」を検出した。
 4人とも当初は容疑を全面的に否認していた。しかしTは、4月27日の浦和地裁で開かれた拘置理由開示公判で「逮捕事実は間違いありません」と容疑を全面的に認めた。
 4月16日、Mを除く3人をKさん殺人未遂容疑で、5月10日には4人をMさん殺人容疑で再逮捕。10月には、Sさんの遺体からトリカブトに含まれる毒素アコニチンなどが検出された。11月22日、Sさん殺人容疑で4容疑者を再逮捕。Mは詳細を供述している。12月14日にはSさんの保険金搾取に関わる詐欺容疑で4容疑者を再逮捕。Yを除く3人は容疑を認めている。事件は裁判所へ移った。
 2001年3月30日、初公判。裁判の迅速化などのために、週4回の集中審理が行われる。
 2001年5月9日、日本生命が、Yら4被告を相手取り、支払った保険金の損害賠償を求めた訴訟で、さいたま地裁は、争いのないT、Mの両被告に、請求通り約1億8000万円を連帯して支払うよう命じる判決を言い渡した。Aは請求を認諾して日生勝訴と同等の効力が生じており、事実を争うYだけが裁判を継続中。
 2002年2月1日、一審さいたま地裁は求刑通り、M被告に懲役13年、A被告に懲役15年の判決を下した。2月28日、一審さいたま地裁はT被告に求刑通り無期懲役の判決を下した。判決で金山薫裁判長は、検察側が「全面的に自白し、事案の解明に寄与した」との理由で無期懲役を求刑したことに触れ、このような見解はわが国で禁じられている司法取引に実質的な一歩を踏み出すものと言え、採用できない」と異例の批判をした。
 T、M、A被告は控訴せず、刑が確定した。Yは2002年10月1日、さいたま地裁で一審で死刑判決。2005年1月13日、東京高裁で控訴棄却。2008年7月17日、最高裁で上告棄却、確定。2009年1月30日、Yは再審請求した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

「玉本庄保険金殺人未遂疑惑」(室伏哲郎『保険金殺人−心の商品化』(世界書院,2000)所収)

建脇保『虫けら以下―本庄保険金殺人事件の軌跡』(太田出版,2001)

武まゆみ『完全自白 愛の地獄』(講談社,2002)

高野隆/松山馨/山本宜成/鍛治信明……八木茂弁護人『偽りの記憶「本庄保険金殺人事件」の真相』(現代人文社,2004)
備 考  46社が加盟する生命保険協会は、犯罪を防止するため、基準額以上の契約情報を各社で共有する「契約内容登録制度」を設けている。1998年夏に起きた和歌山ヒ素保険金殺人事件を受け、「1億円以上」だった基準額は1999年4月から「5500万円以上」に引き下げられた。さらに今回の事件で、2000年4月から「3000万以上」に引き下げられた。「保険会社も共犯だ」という捜査員の言葉は心の底に残る台詞である。
4/5 概 要 <中学生5000万円恐喝事件>
 愛知県警少年課と名古屋・中、緑署は2000年4月5日、1999年から2000年にかけて同級生を暴行し、計900万円を脅し取ったとして、恐喝と傷害の疑いで名古屋市緑区と中区の当時中学3年生だった無職少年3人(いずれも15)を逮捕した。少年らは少なくとも8人以上のグループをつくり、被害者の同級生の少年(15)から70〜80回、亡くなった父親の保険金や親類からの借金など、母親が用意した総額約5000万円の現金を脅し取っていた。逮捕された3人のうち2人は今年3月まで、被害者の少年と緑区の中学校で同級生。被害者は不良グループの使い走りをさせられていた。もう一人は学校は違うが、遊び仲間だった。少年2人は1月13日、被害者の少年に「300万円よこせ」などと要求。19日に呼び出して顔を殴るなど暴行し、20日夕、名古屋市の公園などで、それぞれ300万円、100万円を脅し取っていた。もう一人の少年は1月25日、暴行のけがで入院中の被害者の病室に押し掛け「前に約束した500万円はどうしたんだ」などと要求、27日に病室で500万円を脅し取っていた。さらに三人は「警察や学校に話しただろう」と言いがかりをつけ、2月15日、粘着テープを被害者の全身に巻き、動けないようにして暴行。ろっ骨を折るなど20日間の入院が必要なけがを負わせた。
 少年らは1999年6月、中学の修学旅行先で言いがかりをつけて金を要求。その後、被害者がお年玉を集めた貯金を下ろして19万円を渡したのをきっかけに、現金の要求がエスカレートした。
 被害者の少年は、パート勤務の母親(41)と専門学校生の姉(17)との3人暮らし。2回目以降の現金は、被害者が母親に「友達から借りた金を返さないと」「払わなければ殴られる」と暴れながら、用意するよう頼んだ。
 少年らは脅し取った金でタクシーを乗り回していたほか、「ゲームセンターや飲み食いに使い、ほとんど金は残っていない」と供述した。一部は暴力団に流れた形跡が見られる。
 少年らはいずれも中等少年院に送致された。主犯格である1人は後に消費者金融から200万円の借金返済に窮し、2006年2月、事件にも関わった友人らとともに名古屋市内のパチンコ店駐車場で店員に暴行を加え、売上金約1200万円を強奪した。2007年秋に懲役6年6月の有罪判決が確定した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

中日新聞社会部編『ぼくは“奴隷”じゃない 中学生「5000万円恐喝事件」の真相』(風媒社,2000)

中日新聞社会部編『届かなかったSOS―中学生5000万円恐喝事件・読者からのメッセージ集』(風媒社,2000)

あいち県民教育研究所・調査プロジェクト『少年「五千万円」恐喝事件を読みひらく』(フォーラム・A,2001)

『息子が、なぜ 名古屋五千万円恐喝事件 両親悔恨の手記』(文藝春秋,2001)

産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」(角川書店,2002)
備 考  母親は1999年6月の恐喝時において学校に相談。学校は警察に行くべきとアドバイスし、7月1日に愛知県緑署を訪ねたが、怪我でもしない限り対処できないとの冷たい反応だった。もしこの時点で相談に乗っていれば、このような大きな事件にはならなかったに違いない。子供が追った心の傷はあまりにも深い。入院中、隣にいた人のアドバイスにより、別の警察署に相談。ようやく事件が表面化した。この事件でも警察の対応の拙さが問題となった。
5/1 概 要 <豊川市主婦殺人事件>
 2000年5月1日午後6時頃、高校3年生の少年(17)は学校帰りに愛知県豊川市に住む男性(67)宅に侵入。居合わせた妻(65)を持参した金槌で殴り、さらに主婦宅にあった包丁でめった刺しにして刺殺した。さらに散歩から帰ってきた男性にも首を切りつけたりして軽傷を負わせた。
 捜査本部は残された布製かばん、生徒手帳,夫の目撃証言から少年の犯行と特定。2日午前、殺人容疑で逮捕状を取った。少年は同日午後、名古屋駅近くの交番に出頭し、捜査本部は午後8時頃、殺人容疑で逮捕した。
 少年は取り調べに対し容疑を認め、動機として「人を殺す経験をしようと思ってやった」と語った。女性を選んだ理由は、「通りかかったら、たまたま玄関が開いていたので、ここにしようと思った」と語った。年配者を選んだことについては「若い未来のある人はいけないと思った」と話している。事前に着替えや凶器、逃走資金を用意したり、所属クラブを退部するなど、犯行が計画的だった。その後の調べでも少年は、「人が物理的にどのくらいで死ぬのか知りたかった。また、人を殺したとき自分はどんな気持ちになるか知りたかった」と語っている。
 少年は精神鑑定の結果、犯行時にはアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であったと認定された。2000年12月26日、名古屋家裁は医療少年院送付の保護処分を決定した。
文 献 碓井真史『なぜ『少年』は犯罪に走ったのか』(KKベストセラーズ,2000)

片田珠美『17歳のこころ~その闇と病理』(NHK出版,2003)

産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」(角川書店,2002)

藤井誠二『人を殺してみたかった 愛知県豊川市主婦殺人事件』(双葉社,2001/双葉文庫,2003)

森下香枝『退屈な殺人者』(文芸春秋,2002)

佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
5/3 概 要 <佐賀少年バスハイジャック事件>
 2000年5月3日、佐賀市から福岡市に向かった高速バスが、包丁を持った佐賀市の無職少年(17)に乗っ取られた。少年は乗客の携帯電話を取り上げた上、広島の方へ無理矢理運行させた。途中、スピードが緩まった時点など窓から逃走。また怒りからか、バスの中で包丁を振り回し暴れ、一人の女性が死亡した。4日、東広島市のサービスエリアで停車中のバスに捜査員が突入。少年を現行犯逮捕。人質16人(運転手含む)のうち、1人が死亡、5人が重軽傷。
 少年は高校退学後、部屋に引きこもっていたが、刃物を集めるなど異常な行動が目立ち、病院に入院させていた。当日は、たまたま一時外泊の間だった。
 9月29日、佐賀家裁は、医療少年院送致とする保護処分を決定した。
 バスに同乗していた乗客乗員22人(うち1人死亡)のうち、18人に対しては、これまでに男性の両親が謝罪するとともに既に20万―40万円を支払い、示談が成立している。
 2004年1月、少年の両親と重傷を負った女性との間で示談が成立。示談金の支払いと、「男性が社会復帰した際、両親が女性が面会を求めていることを伝えたうえ、男性が希望した際に面会する」ことなどを条件にした。3月、少年の両親と包丁を突きつけられた女児との間で示談が成立。  2005年4月、元少年の男性は重傷を負った被害者と面会、謝罪した。
 2006年1月、男性は医療少年院を仮退院、3月に本退院した。
文 献 碓井真史『なぜ『少年』は犯罪に走ったのか』(KKベストセラーズ,2000)

片田珠美『17歳のこころ~その闇と病理』(NHK出版,2003)

佐木隆三『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍,2001)

産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」(角川書店,2002)

藤井誠二『17歳の殺人者』(ワニブックス,2000/朝日文庫,2002)

登道烈山『佐賀バスジャック事件―悪魔の晩餐 十七歳の凶行〈第1部〉生贄の十五時間半』(ブイツーソリューション,2006)

町澤静夫『佐賀バスジャック事件の警告 孤立する家族 壊れた17歳』(マガジンハウス,2000)

町澤静夫『わが息子の心の闇―バスジャック少年両親の"叫び"&子どもを幸せにするアドバイス』(小学館文庫,2000)

佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
6/15 概 要 <愛知替え玉保険金殺人事件>
 2000年6月15日、名古屋港の埠頭道路で駐車中のコンテナにトラックが衝突。助手席の男性が死亡した。当初は会社社長H(53)が死亡したとされ、争議まで行われた。しかし、同情していた中学三年生の少年(14)の供述から、死亡したのはHではなく、知人の無職Iさん(52)と判明。Hには多額の借金があり、数千万円の生命保険に加入していた。
 27日、Hを逮捕。しかし28日、留置所でHは自殺した。
文 献 佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
6/21 概 要 <岡山金属バット殴打事件>
 2000年6月21日、岡山県の県立高校三年生男子生徒(17)が金属バットで野球部の後輩部員4人を殴って重軽傷を負わせる。自宅に帰った男子生徒は、母親(42)を殺害、そのまま自転車で逃走。男子生徒は名前、写真抜きで指名手配されたが、16日後、秋田県内を自転車で走っているところをダンプ運転手が目撃、通報。逮捕された。
 少年は殺人容疑などで岡山家裁に送致され、特別少年院送致とする保護処分を決定した。
 動機は、野球部内で後輩にプロレス技をかけられるなどのいじめがあったこと、そして事件を起こしてしまい「自分が殺人犯になったら、母が辛い思いをするのは耐えられない」からだという。
文 献 碓井真史『なぜ『少年』は犯罪に走ったのか』(KKベストセラーズ,2000)

片田珠美『17歳のこころ~その闇と病理』(NHK出版,2003)

産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」(角川書店,2002)

佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)
備 考  
8/14 概 要 <ルーシーさん失踪事件>
 資産家で会社役員のOは2000年10月9日、準強制わいせつ容疑で逮捕された。その後、1992年2月〜2000年7月の間に女性10人を神奈川県逗子市のマンションに連れ込み、催眠導入剤を入れた酒を飲ませて意識を失わせた上で強姦し、そのうち、英国人女性(当時21)とオーストラリア人女性(当時21)の2人を死亡させたとして起訴された。
 Oは長期間、女性を部屋に誘い込んでは薬物で意識を失わせた上で強姦を繰り返し、その様子をビデオで撮影し保管していた。
 死亡した1名は、1992年2月にマンションでオーストラリア人女性(当時21)を強姦し、薬物中毒で死亡させたとされる。
 もう1名は、元英国航空の客室乗務員である英国人女性ルーシーさんである。
 ルーシーさんは2000年5月4日に来日し、外国人クラブのホステスとして日本で働いていたが、7月1日に男性に電話で呼び出された後、行方不明になった。
 ルーシーさんと同居していた女性が通報し、捜査本部が設置された。
 イギリスから彼女の家族が来日し、有力情報の提供者には報奨金10万ポンド(約1600万円)を提供すると会見し、イギリスのニュースにも流れるなどの騒動になった。
 捜査本部は、別の事件で逮捕されたOが失踪に関与しているとして、Oの周辺を捜査。2001年2月9日、神奈川県三浦市内の洞窟で遺体が発見された。
 検察側は、Oがルーシーさんをマンションに誘い出し、薬物を飲ませて意識不明にさせたうえで強姦し、薬物中毒で死亡した女性の遺体を電動チェーンソーで切断して洞窟に埋めた、として4月6日に逮捕した。
 Oは死亡した女性2人と面識があったこと、薬物を用いた性行為があったことは認めているが、死亡させたことは否定した。生存している2人への準強姦致傷、6人への準強姦ついては「女性にプレー代を支払った。性行為の承諾を得ていた」として、準強姦について無罪を主張した。特に英国人女性の事件については、「知人(故人)が部屋から連れ出した。自分は関与していない」と反論。死体遺棄についても自らの関与を否定した。
 Oは生存している8人に数百万円ずつを「迷惑料」名目で提供している。また、英国人女性の遺族に「お悔やみ金」として1億円を送付している。支払い理由について弁護人は「事件に巻き込んだ道義的責任があるため」と説明している。
 検察側は、ビデオの映像などから生存する8人の準強姦は明らかだと主張し、一連の犯行に共通の手口が見られるとした。2人の死亡については状況証拠を積み重ねた。特にルーシーさんについては、ビデオの映像が存在していない。  ルーシーさんの事件では、Oが(1)女性の失跡前に行動をともにしている点(2)事件前にセメントやチェーンソーを購入していた点(3)遺体から検出された薬物がOが所持していたのと同じだった点――などを総合的に判断。女性に薬物を吸わせて暴行し、死亡させたとの構図を導いた。
 2007年4月24日、東京地裁はOに求刑通り無期懲役を言い渡した。ただし、ルーシーさん事件については無罪、オーストラリア人女性に対する準強姦致死、2人に対する準強姦致傷、6人に対する準強姦について有罪を言い渡した。
 ルーシーさんの事件について裁判長は「直接証拠は一切ない」と指摘。Oが遺体の損壊・遺棄に関与した疑いがあることは認めながらも「単独でなされたのか、Oがルーシーさんの死にどのような形で関与したのかは認定できない」と判断。その上で、「Oと犯行を直接結びつける証拠はない」「準強姦致死とわいせつ目的誘拐は犯罪の証明がない」「Oの別の犯罪や性癖から、女性に対する準強姦が存在したと認定することは不可能だ」と述べた。
 オーストラリア人女性の事件については、Oと意識を失った女性が一緒に写っているビデオテープなどの証拠から、Oがクロロホルムを使って乱暴したことを認めた。その上で「クロロホルム以外に女性の死因となった劇症肝炎を発症させる原因がない」と述べて、Oが女性を死亡させたと結論づけた。
 検察側、Oはともに控訴した。2008年12月16日、東京高裁は一審を破棄した上で改めて無期懲役を言い渡した。ルーシーさんの事件については死体遺棄・損壊を認定するとともに、準強姦未遂を認定した。2010年12月7日、最高裁は被告側上告を棄却、刑は確定した。
文 献 高尾昌司『刑事たちの挽歌  警視庁捜査一課「ルーシー事件」ファイル』(財界展望新社,2010)

松垣透『ルーシー事件 闇を食う人びと』(彩流社,2007)

ルーシー事件真実究明班『ルーシー事件の真実―ドキュメンタリー 近年この事件ほど事実と報道が違う事件はない。』(飛鳥新社,2007)
備 考  Oは一部報道に対し、損害賠償を請求。いずれも勝訴している。
8/14 概 要 <野津町一家六人殺傷事件>
 2000年8月14日未明、大分県野津長の農業Iさん(66)方に近所の高校一年生男子生徒(15)が侵入。寝ていた家族6人をサバイバルナイフで刺し、3人が殺害、3人が重傷を負った。少年は高校に入ってから女性用下着に興味を持ち、7月ごろから被害者宅などで下着を盗むようになった。8月初めにも侵入しようとしてIさんに見つかり「発覚したら、地域社会で居場所がなくなる」と感じ、極度に追いつめられた。このため口封じのため殺害することを短絡的に思いつき、犯行に及んだ。
 12月26日、少年は医療少年院に送致された。
 生き残った3人は少年とその両親に対して2件の損害賠償請求を起こした。1件は少年側が1億円を支払うことで2002年4月に結審した。
文 献 碓井真史『なぜ『少年』は犯罪に走ったのか』(KKベストセラーズ,2000)

片田珠美『17歳のこころ~その闇と病理』(NHK出版,2003)

産経新聞大阪社会部「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」(角川書店,2002)

佐木隆三・永守良孝対論『事件1999−2000』(葦書房,2000)

「田園広がる風景を疾走した「青き性」―大分「十五歳少年」一家殺傷事件」(「新潮45」編集部編『その時 殺しの手が動く』(新潮文庫,2003)所収)
備 考  
12/4 概 要 <新宿ビデオショップ爆破事件>
 栃木県の高校2年生の少年(17)は2000年12月4日午後8時15分頃、東京都新宿区歌舞伎町のビデオショップに爆博物を投げ込んだ。爆発で店内の天井や壁がはがれ落ちるなどして、計約8平方メートルが焼失した。店内にいた従業員1名は逃げ出したため、怪我はなかった。
 少年は現場から約400メートル離れた交番に狩猟用の散弾銃を持って出頭。同署は銃刀法違反の現行犯で逮捕した。出頭時、同じ爆発物1個と銃弾計39発を持っていた。
 少年は高校1年時に、ガソリンやアルコール類など引火性液体を扱う危険物取扱者の資格を取得。インターネットなどを使って爆発物の製造方法などの情報を入手していた。また散弾銃は祖父の持ち物だった。少年は動機として、受験した農業用品目の毒劇物の資格試験に不合格になったため、「試験に失敗してむしゃくしゃして人をやっつけてやろうと思った」と供述している。
 2001年4月25日、宇都宮家裁栃木支部は、少年に殺人未遂等の容疑で中等少年院送致の決定を言い渡した。 。
文 献 片田珠美『17歳のこころ~その闇と病理』(NHK出版,2003)
備 考  
12/19 概 要 <仙台市女性リンチ殺人事件>
 2000年12月19日、宮城県柴田町のファミリーレストラン店員の女性(20)が無職女性(21)、暴力団組員(25)、同組員(21)、風俗店従業員男性(21)、人材派遣会社従業員の少年(19)、無職少年(18)、風俗店陰従業員の女性(20)、専門学校の女性(19)の男女8人が、女性を呼びだしてを県内各地に車で連れ回し、車内で暴行後、仙台市の暴力団事務所に監禁。フライパンが曲がるまで女性を殴ったり、市内のがけから何度も突き落とすなど暴行を加えた。女性は24日に死亡。8人は遺体を仙台市の山林に運び、灯油をかけて焼いた。
 被害者女性の先輩である無職女性が、友人関係のトラブルなどで「被害者女性の方が男性に気に入られるなど馬鹿にされた気がしたため」から、交際中の風俗店従業員男性(21)に暴行を依頼したものだった。
 暴力団組員(25)、同組員(21)、風俗店従業員男性(21)、人材派遣会社従業員の少年(19)、無職少年(18)の5人は、2000年12月31日未明、仙台市の繁華街で会社員(18)など5人に暴行を加え、現金22000円を奪った強盗傷害容疑で2001年1月17日に逮捕。取調中に容疑者の一部が、リンチ事件を供述。2001年1月24日、白骨遺体が見つかり、DNA鑑定で身元が確認。無職女性を含む6人が2001年2月6日に逮捕された。15日、風俗店陰従業員の女性(20)、専門学校の女性(19)が逮捕された。
 8人は傷害致死罪などに問われ、成人ら7人が最高懲役12年の判決が確定し、少年1人が少年院送致となった。
 2003年12月19日、被害者女性の両親は、主犯格である無職女性(求刑通り懲役10年が一審で確定)、風俗店従業員男性(懲役12年が一審で確定)の両受刑者に約1億円の支払いを求める損害賠償請求訴訟を仙台地裁に起こした。提訴後に記者会見した父親は「刑事裁判では遺族は犯人への質問もできない。謝罪する気が本当にあるなら(受刑者らは)真実を語ってほしい」と話した。
 2005年2月2日、訴訟の和解協議のため、両親は服役中の両受刑者と面会を果たし、謝罪の言葉をひきだした。監獄法は原則として受刑者の面会相手を親族に限っており、被害者遺族との面会は異例。
 被害者の父親は2006年1月に亡くなった。
 被害者の母親は、父親とともに出版した本を加害者にも読んでもらいたいと2006年12月19日、仙台地検に受刑者7人の収容先を照会した。地検は「被害者の意向を尊重し」12月末に文書で回答した。受刑者の収容先の情報は「受刑者のプライバシーであり、更生に影響を与える恐れもある」として、加害者に損害賠償請求訴訟を起こす場合などを除いて公開されない。弁護士を通さず、裁判目的以外で情報が開示されたのは初めてと思われる。
 母親は7人に本を送る予定。本を受刑者に渡すかどうかは、刑務所の判断に任せるという。
文 献 曵地正美・曵地豊子『再会の日々―犯罪被害者の親として』(本の森,2006)
備 考  
12/30 概 要 <世田谷一家四人殺人事件>
 2000年12月30日午後11時30分ごろから翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区の会社員宅で、会社員の男性(44)、妻(41)、長女(8)、長男(6)の4人が殺害された。現場には多数の遺留品や犯人の指紋、足跡などが残されていたが、未だ犯人は捕まっていない。
文 献 入江杏『この悲しみの意味を知ることができるなら』(春秋社,2007)

登道烈山『世田谷一家四人惨殺事件―二〇〇X年一月十八日真犯人遂に逮捕 真相・犯人逮捕へのカギはこれだ!!〈第1部〉一家四人惨殺』(ブイツーソリューション,2005)

斉藤寅『世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白』(草思社,2006)

竜崎晃『Kの推理』(文芸社,2009)

山元泰生『世田谷一家殺人事件の真実』(九天社,2007)

「世田谷一家殺害事件 被害者両親が真犯人に告ぐ」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備 考  『世田谷一家殺人事件 侵入者たちの告白』について、警視庁捜査1課の光真章課長は2006年7月19日、「内容がことごとく事実と異なっており、捜査に悪影響を及ぼす」などとするコメントを発表した。


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