ノンフィクションで見る戦後犯罪史
【2006〜2010年】(平成18〜平成22年)



【2006年】(平成18年)

日 付事 件
2/17 概 要 <長浜市幼稚園二児刺殺事件>
 滋賀県長浜市に住む中国籍の主婦T(34)は長女(当時5)と近所の子供らを幼稚園まで送迎する「グループ送迎」当番だった2006年2月17日午前9時頃、同市の農道に軽乗用車を止め、後部座席に乗っていた女の子(当時5)と男の子(当時5)を刺し身包丁(刃渡り約21センチ)でそれぞれ約20ヶ所刺し、出血性ショックにより殺害した。そのとき、長女も同じ車の中にいた。Tは事件から2時間後、現場から南西約50キロの大津市の湖西道路真野インター入り口で、長女を連れて軽乗用車を運転しているところを緊急配備中の警官に見つかった。停止命令に素直に応じ、「子どもを刺して殺したことは間違いありません」と認めた。事件後、日本人の夫とは4月に協議離婚している。
 Tは仲介業者の紹介で日本人と結婚して1999年に来日。しかし、慣れない生活のストレスで2003年ごろから精神疾患になり、2003年9月〜2005年10月、通院や入院をしていたが、大津地検は「完全に責任能力はあった」と判断し起訴した。
 Tは逮捕当時こそ犯行を認めていたが、6月12日に開かれた公判前整理手続きの第1回で犯行を否認。2007年2月2日の初公判でも、「刺したが、砂人形なので血も流れていないし声も出していない。人は殺していない」と述べ、殺人の起訴事実を否認した。
 精神鑑定により、Tは犯行当時統合失調症で善悪を判断する能力が著しく低下しており、心神耗弱状態だったという結果が証拠採用された。
 9月11日公判の被告人質問で、Tは初めて謝罪の言葉を口にしたが、殺意は否認した。
 検察側は、犯行当時は総合失調症ではなく人格障害であり完全責任能力があったと訴え、死刑を求刑した。弁護側は殺人の事実は認めたものの、心神喪失であったとして無罪もしくは減刑を求めた。
 2007年10月16日、大津地裁はTに殺意があったと認定したが、心神耗弱の状態であったことと前科前歴がないことを考慮し無期懲役を言い渡した。双方とも控訴し、控訴審で検察側は完全責任能力があったとして改めて死刑を主張、弁護側は心神耗弱で責任能力がなかったと無罪を訴えた。2009年2月20日、一審判決は妥当であるとして双方の控訴を退けた。双方とも上告せず、判決は確定した。
文 献 平井美帆『獄に消えた狂気―滋賀・長浜「2園児」刺殺事件』(新潮社,2011)

「「砂人形を刺しただけ」中国人インテリ妻の憎悪の渦―滋賀「幼稚園二児」刺殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  
3/3 概 要 <高知白バイ衝突死事件>
 2006年3月3日午後2時半頃、高知県春野町(現高知市)の国道56号線で、高知県警の白バイと遠足中のスクールバスが衝突し、白バイ隊員(当時26)が死亡した。バスを運転していた男性(当時52)は現行犯逮捕され、業務上過失致死で12月に起訴された。
 検察側は男性がスクールバスを運転して国道脇の駐車場から出た際に安全確認を怠り、安全確認が不十分なまま反対車線に入ろうとし、右から進行してきた白バイと衝突し、隊員を死亡させたと主張。しかし男性は白バイ隊員の速度超過と前方不注視が事故の原因だったなどし、「衝突時にバスは停止しており、証拠のスリップ痕は捏造された」と無罪を主張した。
 2007年6月27日、高知地裁で禁固1年4ヶ月(求刑1年8ヶ月)の実刑判決。10月30日、高松高裁で控訴棄却。2008年8月20日、最高裁で被告側の上告が棄却され、刑は確定した。
 白バス隊員の遺族は、バスを所有する仁淀川町と運転していた男性を相手取り、約1億5700万円の損害賠償を求めた。男性は事故状況について争っていたため、2008年5月23日に町と男性への訴訟を分離。遺族は男性への訴訟を取り下げた。6月、高知地裁は和解勧告を出したため、町は和解議案を議会に提出、認められた。6月20日、町が総額約1億円の和解金を遺族に支払うことで、和解が成立した。
文 献 山下洋平『あの時、バスは止まっていた』(ソフトバンククリエイティブ,2009)
備 考  
4/9 概 要 <秋田連続児童殺害事件>
 2006年4月9日、秋田県藤里町の無職H(33)の長女(9)が午後4時ごろ、自宅を出たまま行方不明になり、翌10日に近くの川で水死体で見つかった。自宅近くを流れる川の浅瀬の石には足を滑らせたような形跡があることなどから、秋田県警能代署は誤って川に転落したものとほぼ断定した。しかし母親であるHは同署の捜査に反発し、再三捜査の徹底を申し出た。Hは長女の行方不明時の目撃情報を求めるビラを近所に配るなどした。
 5月17日、Hの2軒隣に住む小学1年生のG君(7)が下校後に行方不明になった。父親が夕方に110版通報。翌日、近くの草むらで遺体となって発見された。首を絞められたことによる窒息死と分かったため、県警は殺人事件と断定、捜査本部が設置された。
 6月4日、HがG君死体遺棄容疑で逮捕された。Hは5月17日午後3時半ごろ、下校途中のG君を自宅玄関に呼び入れ、後ろから腰ひもで首を絞めて窒息死させ、遺体を軽乗用車の荷台に乗せて、同4時5分ごろ、約10キロ離れた能代市の草むらに遺棄したものだった。その後、殺人・死体遺棄容疑で起訴された。
 さらに7月18日、長女殺人・死体遺棄容疑で再逮捕された。Hは4月9日午後6時45分ごろ、自宅から約3キロ離れた藤琴川にかかる大沢橋の欄干(高さ約1メートル15センチ)の上から長女を約8メートル下の川に突き落とし、殺害したものだった。Hは離婚しており、長女の世話をあまりしていなかった。
 長女殺人事件では、最初に事故死と断定した秋田県警の初動捜査ミスが指摘された。9月4日、秋田県警本部長が県議会で捜査不備を認めた。
 公判前整理手続きが採用され、2007年9月12日に秋田地裁で初公判が開かれた。検察側は死刑を求刑したが、2008年3月19日、秋田地裁は無期懲役を言い渡した。検察、被告側は控訴。2009年3月25日、仙台高裁秋田支部は双方の控訴を棄却した。検察側は上告を断念。被告側は上告したが5月18日に取り下げ、無期懲役判決が確定した。
文 献 米山勝弘『豪憲はなぜ殺されたのか』(新潮社,2006)

黒木昭雄『秋田連続児童殺害事件―警察はなぜ事件を隠蔽したのか』(草思社,2007)

産経新聞社会部『法廷ライブ 秋田連続児童殺害事件』(産経新聞出版,2008)

鎌田慧『橋の上の「殺意」』(平凡社,2009)

北羽新報社編集局報道部編『検証秋田「連続」児童殺人事件』(無明舎出版,2009)
備 考  
6/19 概 要 <東大阪大生リンチ殺人事件>
 東大阪大学4年の男子学生Fさん(21)は、同じ大学サークル内にいた東大阪大学の女性(18)と交際していたが、同じサークルにいた東大阪大短期大学の卒業生でアルバイト従業員TY(21)が女性に携帯メールを送ったことを知り激怒。相談を受けた無職Iさん(21)は仲間2人とともにTYから金を脅し取ろうと計画。
 2006年6月16日夜、Fさん、Iさん、男性会社員(21)、同大3年の男子学生(20)の4人はTYと、同じサークルにいる東大阪大3年のSY(21)を東大阪市の公園に呼び出し、顔などを殴って打撲の怪我を負わせた後、約1時間に渡り車内に監禁。Iさんは実在する暴力団の名前を出し、女性トラブルの慰謝料の名目で、計40万円を要求するなどした。
 SYは事件後、中学校時代の同級生だった岡山県玉野市のKR(21)に電話で相談。KRは同じく同級生であった大阪府立大3年のHT(21)に相談するよう指示した。相談に乗ったHTは仕返し方法を計画。17日、SYらは大阪府警に恐喝容疑などで被害届を提出した。またKRは、同県内の風俗店で働いていた際の知り合いで岡山市に住む元暴力団員で無職OK(31)に電話で対応を相談した。OKは相談に対し、「相手を拉致し、暴行して金を取ってやれ」と指示。さらに、山口組関係者と称していたというIさんに関しては「ヤミ金融や消費者金融で借金漬けにしてやるから、連れてこい」と命じた。
 18日、HTは大阪府に住む大阪商業大4年のSS(22)、SY、無職SD(21)を連れて岡山県に行き、KR、KRの元アルバイト先の後輩だった岡山県玉野市の少年(16)と合流。HTはここで男子学生らへのリンチ計画を明かしたが、この時点で殺人までは計画していなかった。同日、KRの指示で後輩少年被告が仲間として、玉野市の派遣社員の少年(16)とアルバイトの少年(17)を連れてきた。
 18日夜、SYとTYは「被害届を取り下げる」「神戸で慰謝料を払う」という口実で男性会社員の車にFさん、Iさんとともに同乗。途中で「岡山なら払える」と偽り、岡山市に誘い出した。
 19日午前3時過ぎ、山陽自動車道岡山インターチェンジで、待ち伏せしていたKRは仲間と一緒にFさん、Iさん、男性会社員の3人を取り囲み、交代で特殊警棒やゴルフクラブなどで殴るなどの暴行を加えた。このとき、携帯電話と現金約98000円を奪った。このときIさんが「知り合いのやくざを呼ぶぞ」と発したためKRらが激怒。さらに岡山県玉野市内の公園に場所を移し、執拗に暴行を続けた。現場で直接、暴行したのはKR、SY、TYと後輩少年であり、HTは指示役、他の被告は見張りなどをしていた。Fさんがぐったりしたため「やりすぎた」と後悔したが、警察への発覚を恐れて殺害を決意。KRが以前働いたことのある岡山市内の資材置場に移動した。午前4時50分ごろ、KRは置場にあったパワーショベルで穴を掘り、KR、SY、TY、後輩少年がコンクリート片や石を投げつけた上、KRは後輩少年にパワーショベルで土を被せるよう指示。Fさんを生き埋めにし、窒息死させた。このとき、HTはSS、SDに置場入口などの見張りを指示、少年2人らにも一緒に拉致した男性会社員らの監視をさせていた。
 その後男性会社員の車でHTとSSは大阪に戻り、そのまま解放した。またSYらも大阪に帰った。
 KRと後輩少年はIさんを自宅マンションに連れ帰ったが衰弱していたためOKに相談するも、連れてくることを拒否した上、殺害するようほのめかした。KRはHTとSSに殺害を相談し了承を得た後、20日未明、資材置場にてパワーショベルで穴を掘り、Iさんを生き埋めにして窒息死させた。
 KRはその後男性会社員を電話で脅して金を要求したが、22日に男性会社員が大阪府警に届け出て事件が発覚し、全員が逮捕された。
 KRは2007年5月22日、大阪地裁で求刑通り死刑判決。2008年5月20日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2011年3月25日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 後輩少年被告は2007年5月11日、大阪地裁で懲役15年判決(求刑無期懲役)。2008年1月23日、大阪高裁で被告側控訴棄却。そのまま確定。
 TYは2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁は一審破棄、懲役11年判決。2008年9月16日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SYは2007年5月31日、大阪地裁で懲役9年判決(求刑懲役18年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察・被告側控訴棄却。そのまま確定。
 SDは2007年5月31日、大阪地裁で懲役7年判決(求刑懲役15年)。2008年4月15日、大阪高裁で検察側控訴棄却。そのまま確定。
 OKは2007年6月1日、大阪地裁で懲役17年判決(求刑懲役20年)。控訴審判決日不明。2009年3月17日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 HTは2007年10月2日、大阪地裁で求刑通り無期懲役判決。2009年3月26日、大阪高裁で被告側控訴棄却。2009年10月27日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 SSは2007年10月2日、大阪地裁で懲役20年判決(求刑懲役25年)。2009年3月26日、大阪高裁で一審破棄、懲役18年判決。2009年10月27日、最高裁第二小法廷で被告側上告棄却、確定。
 少年2人は2006年8月8日、殺人の非行事実で家裁送致された。
 殺害されたFさん、Iさん、解放された男性会社員、知人大学生は、SYらに慰謝料名目で金を要求したなどとして、恐喝や監禁などの疑いで、2006年9月15日、書類送検されている。
文 献 岡崎正尚『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』(ポプラ社,2011)
備 考  
6/20 概 要 <奈良・少年自宅放火事件>
 2006年6月20日午前5時15分頃、奈良県田原本町の医師(47)方で火災が発生し全焼。中から母(38)、二男(7)、長女(5)のあわせて3人の遺体が発見された。奈良県警は火災を放火と断定。高校1年の長男(16)の行方がわからないことから、捜査を開始。22日午前7時44分頃、京都市の民家に侵入し居間で寝ていた長男を家人が見つけ、警察に通報。京都府警署員が少年を保護した。
 長男の父の実家は薬局で、親せきには医師や薬剤師が多く、長男は父や祖父母から医者になることを期待されて育った。長男は父親から夜中まで付きっきりで勉強を教えられていたが、ときには暴力を振るわれており、父親を恨んでいた。長男は中間試験で苦手な英語の成績を父親に尋ねられて、求められたレベルに届かなかった成績を隠して「できたよ」などと話していたが、保護者説明会で成績がばれるのを恐れ、説明会当日の早朝に放火した。
 少年は2階洋間で家族3人が就寝中に、ゴミなどにガスコンロで火を付けて台所付近に撒いて出火させた。逃走後、サッカーのワールドカップを見たくて民家に侵入したものだった。
 少年は殺人と現住建造物等放火の罪で逮捕。7月12日、奈良地検は奈良家裁に送致したが、「確定的に近い殺意があった」と判断し、「刑事処分相当」として検察官送致(逆送)を求めた。さらに地検は、逃亡中に民家に侵入し、工具箱を盗んだなどとして、窃盗、住居侵入、占有離脱物横領などの非行事実で家裁に追送致した。
 少年は精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断された。
 10月26日、奈良家裁は少年を中東少年院送致とする保護処分を決定した。決定理由で石田裕一裁判長は、「父親の対応はしつけや学習指導の限度をはるかに超えた虐待ともいうべきだ」と指摘。「暴力を振るわれ続けるなどの成育環境が性格や資質上の偏りを生じさせ、非行に走らせた一因だ。長男だけにすべての責任を負わせることは相当でない」と述べた。その上で「父親との関係改善に相応の期間がかかる」として「相当長期間の処遇が必要だ」とした。 決定はまた、未必の故意による殺意を認定した上で「殺意はかなり低く、遺族の処罰感情も強くない」と指摘。「精神鑑定で広汎性発達障害とされているが、これまで学校教育に適応してきた。中等少年院の個別処遇で対応は可能だ」とした。
 同日、父親の医師は、「原因を作り、そこまで追い詰めたのは、紛れもなく父親の私であります。」とコメントを発表。「父子関係の本来の在り方につき、一生懸命に学ぶとともに、罪を償う長男の更生に今後の人生をささげ、長男と2人で罪を背負って生きていくことが、私ができる唯一の償いだと思っています。」と述べた。

 2007年5月に発売されたフリージャーナリスト草薙厚子さんの著作『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実』にて、「奈良県警が残した供述調書を含む捜査資料およそ3000枚」と記述し、本人や家族の供述調書を、ほぼ原文のまま詳細に引用された。
 5月22日、溝手顕正国家公安委員長は閣議後記者会見で、「人権への影響を考えると非常に問題。流出元は分からないが、我々もきっちり調査したい」と述べ、流出元の調査を進める考えを示した。また長勢甚遠法相も閣議後会見で「一般論として、少年は審判を非公開で行っているので、(供述調書が)外に出されるのは望ましくない。内容を見たうえで(調査するかどうか)考える」と述べた。少年審判を担当した奈良家裁は、流出した調書の内容の真偽に関する内部調査を始め、6月5日には「調書や鑑定書とされるものを引用しており、少年法により非公開とされている少年審判に対する信頼を著しく損なう」とする抗議書を草薙さんと出版元の講談社に出した。最高裁の二本松利忠家庭局長も同日、「事件関係者に多大な苦痛を与えかねず、遺憾」などとする談話を発表した。同日、長勢法相は閣議後会見で、「人権侵犯にあたる可能性がある」と述べ、法務省人権擁護局に調査を指示したことを明らかにした。指示した理由について、法相は「著者は調書や審判のやりとりを引用する形で執筆したと明言している。司法秩序、少年法の趣旨に対する挑戦的態度であって、一般的取材で報道されるのと格段に意味が違う」と述べた。人権擁護局によると、1985年以降で雑誌や出版物の掲載内容が名誉棄損などに当たるとして、勧告したケースは8件。大半が神戸連続児童殺傷事件をはじめとする少年事件を巡る内容だった。
 7月12日、東京法務局が草薙さんと講談社に対し、「プライバシーなどを侵害する程度が著しい」として被害の拡大防止などを求める勧告を出した。8月30日、日本ペンクラブが東京法務局の勧告に対し、「表現の自由に介入する内容」とする抗議声明を発表した。
 9月14日、奈良地検は刑法の秘密漏示の疑いで、長男の精神鑑定をした鑑定医と草薙さんから任意で事情聴取するとともに、鑑定医の京都市の自宅や勤務先の病院、東京都の草薙さんの自宅などを家宅捜索した。15日には講談社の担当編集者を参考人として任意で事情聴取した。
 10月14日、奈良地検は秘密漏示容疑で鑑定医(49)を逮捕した。11月2日、奈良地検は鑑定医を起訴した。著者の草薙厚子さんについては、嫌疑不十分で不起訴処分とした。
 読売テレビは9月28日に奈良地検が京大医学部の教授を家宅捜査した際、昼のニュースで教授の映像を実名で報道、さらに調書から教授の指紋が検出されたと伝えたが、その後奈良地検は教授の関与はなかったと発表。読売テレビは12月11日、教授に謝罪し、本田邦章取締役報道局長を減俸とするなど報道局員計5人の処分を発表した。
 2009年4月15日、奈良地裁は鑑定医に対し懲役4月、執行猶予3年(求刑懲役6月)を言い渡した。12月17日、大阪高裁は鑑定医側の控訴を棄却した。2012年2月13日、最高裁第二小法廷は被告側の上告を棄却、刑が確定した。小法廷は弁護人の上告を「上告理由に当たらない」と退けた上で「鑑定は医師の業務といえ、鑑定の過程で知り得た秘密を正当な理由なく漏らせば秘密漏示罪に当たる」と指摘した。千葉勝美裁判官は補足意見で「医師は高い倫理を要求される存在。人の秘密を漏らす反倫理的な行為は慎むべきだ」とした。刑法の秘密漏示罪が確定するのは、最高裁に統計が残る1980年以降、初めてとみられる。厚生労働省は11月14日、鑑定医について医業停止1年とする行政処分を決め、28日に発効された。
文 献 草薙厚子『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実』(講談社,2007)

草薙厚子『いったい誰を幸せにする捜査なのですか。 検察との「50日間闘争」』(光文社,2008)
備 考  秘密漏示罪は被害者の告訴が必要な親告罪。今回の事件では少年とその父親が告訴した。過去には、東京地検が1995年、オウム真理教の松本智津夫死刑囚の供述調書が週刊誌に掲載された問題で、元弁護人を秘密漏示容疑で事情聴取したが、松本死刑囚が告訴を取り下げた。最高裁によると、統計のある1978年以降、判決が言い渡された例はない。
8/18 概 要 <木更津養豚場殺人事件>
 2006年8月18日午後5時50分頃、中国から来た農業研修生の男性(26)は、研修先である千葉県木更津市の養豚場でナイフを持ち出し、男女らを次々と刺した。社団法人「千葉県農業協会」の男性理事(62)が死亡、農業研修生斡旋会社の男性社員(53)と通訳の中国人女性(44)が重傷を負った。中国人男性は犯行後に殺虫剤を飲んで自殺を図ったが、未遂に終わった。
 中国人男性は2006年春に来日し、養豚場で住み込みで働いていた。男性は別の研修先より賃金が安い、残業が少ないと不平を漏らし養豚場経営者とトラブルに。中国で支払った研修費・保証金約6万8000元(約100万円相当)を取り戻すため現金が必要だと訴え、4、5日前から住み込んでいた部屋にこもり働かなくなった。17日には女性だけで迎えに来たが、男性が包丁で脅して追い返す騒ぎがあり、18日は女性が他の男性2人を連れて出直してきて、帰国するように3人で説得していた。
 男性は公判で殺意を否認していたが、2007年7月19日、千葉地裁木更津支部は懲役17年(求刑懲役20年)を言い渡した。判決は一方で、社団法人「千葉県農業協会」の研修制度に触れ、被告が日本で金を稼ぐことができると考えていたことや、協会が受け入れ農家に研修生を安い労働力と説明していたことについて「研修生、農家、協会がそれぞれ制度の目的を逸脱していた疑いがあり、制度の運用は深く考慮しなければならない」と述べた。
文 献 安田浩一『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館,2007)
備 考  
12/12 概 要 <渋谷・「セレブ妻」夫バラバラ殺人事件>
 女性(32)は2006年12月12日早朝、東京都渋谷区の自宅マンションで、帰宅して酒を飲んで寝ていた外資系金融会社社員の夫(30)の頭部をワインの瓶で数回殴って殺害。14日に遺体をのこぎりで5つに切断し、その後、新宿区の路上や渋谷区の住宅の敷地、町田市の公園に遺棄した。16日に新宿区の路上でゴミ袋に入った胴体部分が見つかり、新宿署は捜査本部を設置。28日に渋谷区の民家の庭で下半身が見つかった。捜査本部は同じ人物と断定。身元の割り出しを急いでいた。
 女性は15日に、自宅を所轄する代々木署に夫の家出人捜索願を提出。年末に自宅の壁と床を張り替えるリフォーム工事を行っていた。また夫が生きているように装って、夫の両親へメールを送っていた。
 2007年1月10日、捜査本部は女性を死体遺棄容疑で逮捕。同日、供述に基づき町田市の公園で夫の頭部を発見した。
 女性は夫と2003年3月に結婚し、マンションで2人暮らし。しかし、どちらも別の相手と交際を続けており、女性は結婚直後から夫に暴行を受けていた。
 女性は殺人と死体遺棄・損壊容疑で起訴。公判前整理手続きが適用された。2007年12月20日の初公判で女性は起訴事実を認めた。弁護側は「長期にわたり肉体的な暴力など家庭内暴力(DV)を受け続け、心的外傷後ストレス障害の状態になっていた」と、犯行時に完全な責任能力はなかったと主張した。
 女性に対する精神鑑定の結果、検察、弁護側双方の推薦に基づいて鑑定を依頼された2人の医師は、「被告は犯行当時、精神病障害に罹患しており、行動制御能力を喪失していたと考えられる」などと述べ、犯行時に心神喪失状態で責任能力がなかったとする鑑定結果を報告した。
 2008年4月28日、東京地裁は懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。裁判長は判決理由で、責任能力の判断について「精神鑑定の結果だけではなく、犯行動機や犯行前後の行動などを総合的に検討し、裁判所が判断を行う」と述べ、鑑定結果に拘束されないとの考えを示した。そのうえで、「犯行時は短期精神病性障害により心神喪失状態だった」とする今回の鑑定結果について、「被告の幻覚体験の供述は具体的で、鑑定医が誘導したものとは考えにくい」として信用性を認定。一方で「夫の暴力から逃れたかったという動機を踏まえれば、犯行態様に異常さはなく、合理的な隠蔽工作も行っている」と指摘。「犯行時に一定の意識障害があったことは認められるが、責任能力に影響を与えるほどではなかった」と結論づけた。
 女性の弁護人は控訴した。控訴審では別の鑑定医による3度目の鑑定が行われ、「一連の犯行は了解可能で完全責任能力があった」と指摘、心神喪失状態だったとした一審の鑑定結果を「誤り」とした。2010年6月22日、東京高裁は被告側の控訴を棄却した。判決では一審の鑑定結果について信用性が低いと結論づけた。女性は上訴権を放棄し、判決は確定した。
文 献 産経新聞社会部『法廷ライブ「セレブ妻」夫バラバラ殺害事件』(産経新聞出版,2008)

橘由歩『セレブ・モンスター---夫バラバラ殺人犯・三橋歌織の事件に見る、反省しない犯罪者』(河出書房新社,2011)

「法廷の女優「セレブ妻カオリン」の終わらない演技―渋谷「夫バラバラ」殺人事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  最高裁は2008年4月25日の傷害致死事件の判決で「合理的な理由がない限り十分に尊重すべきだ」と、精神鑑定の重視を求める初判断を提示していた。
12/30 概 要 <渋谷妹バラバラ殺人事件>
 東京都渋谷区の歯科医師の二男である予備校生(21)は4度目の歯学部受験を控えながらも成績が上がらないことを悩んでいた。2006年12月30日、妹である長女の短大生(20)から言われた言葉を「いくら勉強しても無駄」と受け取り、元々妹に嫌悪感を抱いていたことから木刀で後頭部などを10回前後殴った。その後妹から言われた言葉を「親の真似」などという意味で受け取って怒りを爆発させ、妹の首をタオルで絞めたうえに浴槽の水へ沈めて窒息死させた。さらに遺体を包丁とのこぎりで切断し、4つのビニール袋に入れて自室のクローゼットに隠した。
 公判では殺人の事実関係については争われず、二男の責任能力が焦点となった。2008年5月27日、東京地裁は二男に懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。裁判長は公判で行われた精神鑑定の信用性を認め、死体損壊時は「解離性同一性障害(多重人格)にあり、本来の人格とは別のどう猛な人格状態にあった可能性が非常に高い」と刑事責任を問えない心神喪失と認めた。しかし殺害前1ヶ月間はトラブルなく生活していたこと等を理由に「自己を制御する能力がかなり減退していたことは否定できないが、責任能力が限定されるほど著しくなかった」として完全責任能力があると判断した。そして被告を非難しながらも両親に気付かれないまま精神障害に罹患して行動制御能力が落ちていたことや、被害者の挑発的な言動がきっかけとなった衝動的な犯行だったことなど、被告に有利な事情を考慮した。
 検察、被告側がともに控訴。東京高裁での控訴審でも検察側は完全責任能力があったと主張し、弁護側は犯行時心神喪失状態であったと無罪を訴えた。2009年4月28日、東京高裁は死体損壊時の責任能力も認めて一審を破棄し、懲役12年を言い渡した。2009年9月15日付で最高裁は被告側の上告を棄却、二審判決が確定した。
文 献 佐藤健志『バラバラ殺人の文明論 家族崩壊というポップカルチャー』(PHP研究所,2009)
備 考  最高裁は2008年4月に傷害致死事件の判決で「精神医学者の鑑定は、公正さに疑いがあったり前提条件に問題があったりするなどの事情がない限り尊重すべきだ」と、鑑定結果の重視を求める初の判断を示している。しかし2008年4月28日にあった東京地裁判決では、殺人、死体損壊時点で「責任能力に問題がある」とした精神鑑定の信用性を認めながらも、事前計画時における精神状態は合理的な行動を取っているとして完全責任能力を認めている。
 刑事裁判で多重人格を認めた判決は、少なくとも3例あると言われている。しかし2008年2月の東京地裁判決では,殺人事件の被告に3つの別人格が存在すると認めた上で、別人格にも責任能力があったと認定している。
 2007年2月9日、犯行に使われたと見られる木刀やのこぎりなどの重要証拠を裁判前に紛失していたことが発覚した。2007年1月4日に代々木署捜査本部が二男を逮捕した際、証拠品の保管を担当していた警視庁捜査一課の男性巡査は,二男宅から押収した証拠品4点をダンボール箱に入れて机の横の床に置いた。しかしそこは代々木署で弁当の空き箱や紙ゴミなどを捨てるゴミ置き場のすぐ横であったことから、1月6日朝に捜査員が年末年始のゴミをまとめてゴミ集積所に運んだ際に紛れてしまい、紛失してしまったものとみられている。内規では、証拠品は専用ロッカーに保管するよう定められている。
 東京地検の次席検事は2月5日に二男を起訴した際の記者会見では紛失について一切言及せず、9日に「紛失した証拠品には重要なものが含まれており、誠に遺憾である。公判立証に全く影響がないとは言えないが、検察としては、適正な判決を得るよう、公判において万全を尽くしたい」とするコメントを発表した。
 5月2日、警視庁は男性巡査部長(51)を地方公務員法に基づく懲戒処分(戒告)にした。管理責任者である同課課長代理の警視(58)についても監督責任を問い、警務部長注意処分とした。


【2007年】(平成19年)

日 付事 件
3/25 概 要 <英国人英会話講師殺人事件>
 千葉県市川市の無職男性(28)は2007年3月25日、自宅マンション4Fで英国人女性の英会話講師(22)の顔などを殴り、手首を縛って強姦。さらに首を圧迫して窒息死させ、ベランダに置いた浴槽に遺体を遺棄し、園芸用の砂土で埋めた。
 26日、被害者と同居していた女性から依頼を受けた千葉県警船橋警察署員が、被害者宅から男性の氏名や電話番号、似顔絵を描いたメモが発見されたため、21時40分頃に男性宅に急行。しかし男性は駆けつけた捜査員を振りきり、非常階段からマンションを抜け出して逃走し、そのまま行方をくらました。捜査員は被害者の遺体を発見した。千葉県警は男性を死体遺棄容疑で指名手配。さらに2007年5月から始まった公費懸賞金制度に基づいて懸賞金を掛けた。男性はその後転々とし、途中病院で整形を行った。
 女性の家族は何度も来日し、マスコミ出演やビラ配りなどで犯人逮捕への協力を訴えた。
 2009年11月5日、名古屋市内の美容形成外科医院が、過去のカルテを整理中に男性らしき写真を発見したため通報。同一人物だと判断されたため、指名手配の写真が整形後のものに差し替えられた。その写真を見て大阪府の建設会社が、男性が10月頃まで住み込みで働いていたことを通報した。11月10日、神戸市の六甲船客ターミナルにて従業員が乗客の中に男性らしき人物を発見して通報。男性が沖縄行き便に搭乗しようとしたが、当日は欠航であったため、就航していた大阪南港発の便を案内し、向かったところで警察に通報。男性は大阪南港フェリーターミナルで身柄を拘束され、逮捕された。そして東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送された。
 男性逮捕に結びつく重要情報提供に対する総額1000万円の公費懸賞金は、民間人4人に対し、国費から支払われた。公費懸賞金制度で初の支払いとなった。千葉県警が同庁に候補者を挙げて申請。警察庁が審査委員会を開いて支給を決定した。情報の寄与度に応じて分配されるが、同庁は「情報提供者保護の観点から」として4人に関する情報や懸賞金の分配率などは公表しなかった。
 男性は逮捕後黙秘、さらに絶食を続けたが、11月24日に食事をとり供述を始めた。千葉地検は殺人、強姦致死、死体遺棄で起訴。男性は殺意を否認している。2011年7月21日、千葉地裁の裁判員裁判で求刑通り無期懲役判決。2012年4月11日、東京高裁で被告側控訴棄却。上告せず、確定。
文 献 市橋達也『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』(幻冬舎,2011)
備 考  2009年11月12日、市川市塩浜の行徳署前の市道で、送検される男性を乗せた捜査車両に、TBS社員であるテレビ情報制作局所属ディレクターの男性(30)がビデオカメラを持ち、規制線のロープをかいくぐって接近。制止した県警機動隊員(24)を突き飛ばして軽傷を負わせるとともに、車の前方に立ちふさがり、運転席側の窓ガラスを数回たたくなどしたため、行徳署は男性を公務執行妨害容疑で逮捕した。男性は同日夕に釈放され、2010年7月に起訴猶予となっている。
4/17 概 要 <長崎市長射殺事件>
 指定暴力団会長代行Sは、長崎市長選挙期間中だった2007年4月17日午後7時52分ごろ、JR長崎駅近くの選挙事務所前で、4選を目指して立候補していた伊藤一長・前長崎市長(当時61)の背後に忍び寄り、所持していた拳銃で銃弾2発を発射した。伊藤前市長は心配停止状態で長崎大付属病院に運ばれたが、午前2時28分、大量失血のため死亡した。Sは選挙事務所関係者にその場で取り押さえられた。Sは実弾26発を所持していた。選挙期間中の政治家が殺害されたのは、戦後初めて。
 Sは2003年2月、工事中の市道で自分の車が路面の穴にはまり、破損する事故を起こしており、市に修理代60万円の支払い要求をした。その後、主張はエスカレートし、総額200万円以上を求めてきた。市は「賠償する責任はない」として拒否したが、電話や面会は2004年秋までに約50回に及んだ。Sはこの件で伊藤前市長を刑事告発していたが、長崎地検は2004年に不起訴としている。
 このほか、Sの知人が経営する建設会社が2002年、市の制度を利用して銀行から融資を受けようとして断られた件でも恨んでいた。2005年1月には知人の会社が市の解体工事から排除されたことで市に抗議、前市長あてに公開質問状も送っていた。Sは犯行前、こうした不満について記した文書をテレビ朝日あてに郵送。消印は4月15日で、冒頭には「ここに真実を書いて自分の事は責任を取ります」との表現があった。またSは襲撃対象として金子原二郎長崎県知事を考えていたことも明らかになっており、事件の約3週間前には、金子知事の後援会事務所に「覚悟しろ」と脅迫めいた電話をかけていた。
 Sは事件の5年前に約300万円あった預金が事件直前は約4万円にまで減るなど金銭的に困窮し、組で立場を失っていた。今回の事件で組織は全く関係なく、Sは後に破門となっている。
 期日前や不在者投票などで前市長に投票した計1万5435票(全投票数の約8%)が無効になった。
 市長選(同22日)には、長女の夫で新聞記者の横尾誠氏(40)と市課長だった田上富久氏(51)が補充立候補。田上氏が953票差で初当選した。
 公判前整理手続きを採用。2008年1月22日の初公判における起訴事実の罪状認否でSは、「起訴状に書いてある事実はその通りです」と起訴事実を認め、「心よりおわび申し上げます「日々、合掌して伊藤様のごめい福をお祈りしています」と遺族らに謝罪した。2008年5月26日、長崎地裁で求刑通り死刑判決。しかし2009年9月29日、福岡高裁は暴力団組織を背景とした犯行ではないことや、被告が経済的に困窮するなどして自暴自棄になって暴発した側面があるなどとして、一審を破棄、無期懲役を言い渡した。2012年1月16日、最高裁第三小法廷は検察・被告側上告を棄却、刑が確定した。
文 献 長崎新聞社報道部『検証・長崎市長射殺事件』(長崎新聞社,2008)
備 考  
5/6 概 要 <町田新妻絞殺事件>
 2007年5月6日、東京都町田市に住む会社員男性(当時34)の携帯電話にあったわいせつ画像を見つけた妻(当時28)が不機嫌になった。男性は「友人が冗談で送ってきた」と弁解したが、妻は納得せず、鉄アレイやパイプイスを投げつけたり、家族を殺害すると発言したり、男性の元交際相手を電話で激しく罵倒したりした。男性は「自分以外の人にひどいことを言うのは初めて。ほかの人に迷惑がかかる」と考えて同日午後10時20分頃、妻に馬乗りになって首を絞めて殺害した。2人は2006年10月から同居を始め、2月に婚姻届を出し、6月に新婚旅行を兼ねてイタリアで挙式する予定だった。妻は情緒不安定で、けんかになると男性を殴ったり家具を壊したりするなどの激しい暴力行為をする傾向があった。
 男性は友人に殺人を告白。友人が神奈川県警に届け出たため、7日午前0時頃、町田署員が男性を殺人未遂容疑で緊急逮捕した。
 2007年11月9日、東京地裁八王子支部は反省が見られないとして懲役10年(求刑懲役12年)を言い渡した。2008年2月26日、東京高裁は反省を深めたとして一審を破棄し、懲役9年を言い渡し、確定した。
文 献 「DV女と結婚した男に残された究極の選択―町田「新婚妻」絞殺事件」(「新潮45」編集部編『悪魔が殺せとささやいた』(新潮文庫,2008)所収)
備 考  


【2008年】(平成20年)

日 付事 件
6/8 概 要 <秋葉原無差別殺傷事件>
 2008年6月8日12時33分頃、静岡県裾野市の派遣社員K(25)は、東京・秋葉原の歩行者天国で、通行人が行き交う交差点に時速約40kmの2tトラックで突入。通行人5人をはねた。そのうち、杉並区の無職男性(74)、熊谷市の男子大学生(19)、流山市の男子大学生(19)の3人が死亡、2人が怪我を負った。
 さらにKは70m先でトラックから降りた後、すぐ近くにいた男性をダガーナイフで刺した後、交差点に端って戻りながら、携帯電話で110番をしていた東京都北区の女子大学生(21)を刺して殺害した。続いて板橋区の無職男性(47)を刺して殺害。交差点ではねられた被害者を救護していた万世橋署の警部補(53)ら男性2人と女性1人をナイフで襲い、重傷を負わせた。さらにKは交差点を走りながら、男性2人と厚木市に住む調理師の男性(33)と蕨市に住む会社員の男性(31)を刺して2人を殺害した。その後、男性と20代の女性を刺した。駆けつけた万世橋署の巡査部長がKを殺人未遂の現行犯で逮捕した。巡査部長もナイフで3箇所刺されたが、耐刃防護衣を着ていたため、怪我はなかった。この間の時間はわずか1分程度だった。7名が殺害され、10名が重軽傷を負った。
 Kは携帯サイトの掲示板に凶器のナイフ、トラックの調達の様子や、犯行予告などを書き込んでいた。
 Kは6月20日、殺人容疑で再逮捕された。鑑定留置の結果、責任能力に問題はないと、東京地検はKを起訴した。2011年3月24日、東京地裁はKに求刑通り死刑判決を言い渡した。Kは控訴した。
文 献 浅尾大輔ほか著『ロスジェネ別冊2008 秋葉原無差別テロ事件「敵」は誰だったのか?』(かもがわ出版,2008)

大澤真幸編『アキハバラ発 〈00年代〉への問い』(岩波書店,2008)

岡田尊司『アベンジャー型犯罪 秋葉原事件は警告する』(岩波書店,2008)

加納寛子『「誰でもよかった殺人」が起こる理由』(文春新書,2009)

芹沢俊介・高岡健『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』(批評社,2011)

中島岳志『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版,2011)

洋泉社ムック編集部編『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』(洋泉社,2008)
備 考  事件後、ダガーナイフなど殺傷能力の高い刃物を18歳未満の青少年へ販売・譲渡することを禁ずる条例が20都府県以上で制定された(他に7県は事件前に制定済)。また警察庁も、ダガーナイフのほか、スローイング(投擲)ナイフやダイバーズナイフ、ブーツナイフなどの名称で販売されている両刃の刃物を犯罪の未然防止の観点から刀剣類として所持を禁じることにし、2008年秋の臨時国会で、銃刀法の改正案を提出、成立した。改正法施行後は許可された場合を除き、所持すれば銃刀法違反で処罰される。ミリタリーナイフなど片刃の刃物については、キャンプや農作業、調理など社会的な有用性の有無の識別が困難として、所持の禁止は見送られた。
 舛添要一厚生労働相(当時)はKが派遣労働者であったことから、各都道府県労働局に派遣元や派遣先に関係法令順守を徹底するよう指示を出した。
 事件後、この事件を模倣したインターネットによる殺人予告が相次ぎ、60人以上が摘発・補導されている。
 この事件を受け、秋葉原では歩行者天国を休止した。
6/28 概 要 <岩手県川井村17歳女性殺人事件>
 2008年7月1日午後4時頃、岩手県川井村の小川で、宮城県栗原市の無職女性(17)の遺体が見つかった。女性は6月28日夜、友人女性の元交際相手であった岩手県田野畑村出身の住所不定無職男性O(28)に、友人とよりを戻したいから相談したいという電話を受けて呼び出された後、行方不明となっていた。宮城県登米市のコンビニで午後9時過ぎにOと一緒にいるところを目撃されたのが最後の情報である。
 Oは1日午後9時45分頃、田野畑村で電柱に車をぶつける事故を起こし、そのまま逃走した。翌日午前、断崖でOの姿が目撃される。3日午後、遺体が女性のものと確認。さらに同日夕方、断崖でOの財布と靴が見つかったのを最後に、Oの足取りは途絶えた。事故後放置された車からは、女性の痕跡が発見された。
 捜査本部は自殺と偽装して逃走したと判断。7月29日、捜査本部はOの逮捕状を取って指名手配し、顔写真を公表した。その後、逮捕に繋がる情報には最大100万円の捜査特別報奨金を付けた。
 2009年6月19日、Oの家族らは日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。岩手県警に対し、指名手配や捜査特別報奨金の広告中止などを求めている。またフリージャーナリストの黒木昭雄は捜査方法に疑問を示し、適正な捜査を行った上での真相解明を訴えている。
文 献 「三陸ミステリー 疑惑の指名手配」(週刊朝日ムック『未解決事件ファイル 真犯人に告ぐ』(朝日新聞出版,2010)所収)
備 考  


【2009年】(平成21年)

日 付事 件
5/25 概 要 <板橋資産家夫婦殺人放火事件>
 2009年5月25日午前0時半ごろ、東京都板橋区に住む不動産賃貸業の男性(74)方から出火。母屋や蔵など3棟が焼け、焼け跡から男性と妻(69)の遺体が見つかった。2人は頭を鈍器のようなもので殴られ、胸や腹を刃物で刺されていた。
 男性は江戸時代から続く大資産家で、自宅周辺に少なくとも7500平方メートルの土地を所有する資産家だった。自宅敷地も約2000平方メートルに上り、高さ約2mのコンクリート塀と約1.5〜2mの金網フェンスで囲まれている。4か所の出入り口のうち正面の2か所には、人の侵入を感知する赤外線センサーが設置され、残りの2か所は施錠されていた。「金融機関は信用できない」が口癖で多額の現金を自宅で保管しており、事件後の自宅からは数千万円が見つかっている。そのことから捜査本部は当初顔見知りの犯行とみて捜査を続けていたが、後に関西地方の暴力団関係者が「強盗に誘われた」と供述していると大阪府警から情報が寄せられたため、流しの犯行の可能性もあるとして、両方の面から捜査を続けたが、放火によって証拠が消えていることもあり、捜査は難航した。
 しかし2010年、日中混成強盗団メンバーの男が仲間の関与を示唆する上申書を提出した。強盗団は30代の中国出身の男をリーダーとして、暴力団関係者や中国出身で帰化した日本人、中国人メンバーらで構成。リーダーの男が夫婦殺害の主犯格とみられ、日本人と中国人数人が実行役とみられている。捜査本部はこれまでに、グループが起こした別の窃盗や強盗事件で十数人を逮捕したが、本事件につながる証言や証拠はまだ得られていない。
文 献 李策『板橋資産家殺人事件の真相 「日中混成強盗グループ」の告白』(宝島社,2012)
備 考  
8/3 概 要 <秋葉原耳かき店員殺人事件>
 千葉市に住む会社員の男性は、2008年2月頃から東京都千代田区にある耳かきサービス専門店へ偽名で通い始め、月に約30万円以上使っていた。2009年になってからは週末ごとに来店し、店員である港区の女性を常に指名。4月頃には女性に交際を申し込んだが断られ、店から出入り禁止となった。しかしその後も男性は女性につきまとい執拗にメールを出した。
 2009年8月3日午前8時55分頃、男性(41)は女性方を訪れ、1階にいた女性の祖母(78)を刃物で刺して殺害。さらに2階で寝ていた女性(21)の首などを刺した。女性は意識不明の重体となり、9月7日、入院先の病院で死亡した。当時女性方は5人暮らしで、事件当時は他に2人いたが無事だった。
 午前9時頃に家近くを通った人から「包丁を持った男と女がけんかしている」と110番があり、警視庁愛宕署員が駆けつけると、住宅内で2人が血を流して倒れており、室内にいた男性が犯行を認めたため、現行犯逮捕した。
 裁判員裁判で初めて死刑が求刑されたが、2010年11月1日、東京地裁で無期懲役判決。検察、被告双方控訴せず、そのまま確定した。
文 献 吉村達也『秋葉原耳かき小町殺人事件 私たちは「異常者」を裁けるか』(ワニブックスPLUS新書,2011)
備 考  求刑死刑で一審無期懲役判決が控訴されずに確定したのは、1988年12月21日に熊本地裁で判決を受けた女子高生殺人事件の被告以来。検察側が控訴しなかったのは1995年5月18日に徳島地裁で判決を受けた仮出所者の知人2名殺人事件の被告以来となる。
9/25 概 要 <首都圏連続不審死事件>
 北海道別海町出身の無職木嶋佳苗は、1993年に18歳で上京し、当初ピアノ講師の仕事をしていたが、1994年からデートクラブなどで月150万円を稼ぐようになる。19〜26歳の時、20人弱の男性と「愛人契約」を結び、2001年からはリサイクルショップを営む松戸市の男性と知り合い計約1億円を受け取っていた。しかし男性が2007年に死亡。「月100万円以上かかる生活を変えることは難しい。(援助してくれる)男性を探すのが一番」として、木嶋は2008年5月に学生やヘルパーと偽って婚活サイトに登録し、少なくとも20人以上の独身男性に次々と結婚を約束し、「学費」「生活費」などを口実に多額の金を無心するようになる。そして2009年9月までに10件の詐欺事件、練炭を利用した3件の殺人事件を引き起こした。
 埼玉県警が3件目の殺人事件で捜査中、木嶋に渡っていた金銭の流れに不自然な点があったことから、9月上旬、木嶋被告から任意で事情聴取。一端自宅に帰されたが、9月25日、別の詐欺事件で逮捕した。その後、過去の事件で続けて再逮捕された。
 木嶋は取調で黙秘を貫き、裁判では無罪を主張した。物的証拠はほとんどなかったものの、さいたま地裁の裁判員裁判は2012年4月13日、間接証拠と状況証拠を基に求刑通り死刑を言い渡した。木嶋は即日控訴した。
文 献 霞っ子クラブ元リーダー 高橋ユキ『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店,2012)

神林広恵・高橋ユキ(霞っ子クラブ)『木嶋佳苗劇場~完全保存版! 練炭毒婦のSEX法廷大全』(宝島NonfictionBooks,2012)

北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(朝日新聞出版,2012)

佐野眞一『別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』(講談社,2012)
備 考  公判前整理手続きは、2010年9月14日〜2012年1月4日に及んだ。裁判員と補充裁判員の任期は計100日で、過去最長。一審の裁判員裁判で、結審の翌日(3月14日)から判決前日(4月12日)までに評議を10日間行ったと発表した。同地裁によると、裁判員は選任手続きを含めると計47回、裁判所に通ったことになる。


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