引き寄せの法則、誰かの為に大切なものを差し出す。
テーマ:奇跡的な話必ず一つお願い事が叶ってる気がします
すっごい悩んで助けて、あーーーもう!遠くに旅したい!って思うと
帰宅すると
「イタリア学会決まったよ!」
犬の引き出しの時に、
犬用品にお金使わなきゃ‥棄てた人のために私お金かけてるみたいあーーー、って思った日は
帰宅すると
「税金多めにはらってもらってました、返金します」、とすごい額返ってきたり。
犬の引き出しの日に引き寄せたい人や物を考えると叶うことが多い。
それは人任せではなく悩んで悩んで助けた命の時はだいたい叶う
助けたいと思って命の代償をともなったときには叶う
中型雑種を個人保護してるけれど、
数万医療費差し出せば命が助かるって思った。
助けたいなら自分の大切なものを差し出す。
大切なお金さしだし命を助ける。
大切な時間さしだし命を助ける。
大切なものを差し出し助けたら、
倍の倍の倍返しがあったり。
お金は特に自分のこと以外に使うほどまわったり、、
以前発展途上国への支援もしたりしてましたが、
フリマで2日で150万売れたり
(パシュミナストールが売れた売れた)
150万は発展途上国では1500万くらいの価値で寄付できる
2日であっという間だった。
誰かのためになにかするとあっという間に願いは引き寄せられたり
でもでも、
一頭助けてくるのにも相当な覚悟ですよ。
ただ犬や動物は家を守ってくれたりはしてますね、あきらかに。
すごい力が働いてるきはします。
細かいこと気にしないこと
やっちゃえばなんとかなる!
お金は使っちゃってから考えるタイプ。
犬の医療費、フード、生活費
うーーん
まだ発展途上国ボランティアしてたころ、
ストレスたまってひとつきで
旅にでて、
楽器もかって、
エステして、
車かって、
ひとつきで貯金使い果たし
ストレス解消、すっきり。
流行ってたパシュミナストールは150枚も現地価格で買っちゃった。
その頃パシュミナがデパートで七万くらい。私は現地人の方の知り合いのお店で現地価格をまとめ買いでさらに安くてにいれた。
一緒にいた友人は一枚選ぶのに一時間も
私は150枚。
買うことも相手の仕事を増やし、
お金を巡らせる、
ボランティアの意味もあった
仲介してくれた現地人は現地のためにボランティアしていた、それもあって。
友達のお母様にお見せしたら
欲しいわ、とびつき30枚も購入
3倍の値段で買ってくれた、それでも安いわって。
友達のお母様はさらにそれを倍で売ったらしい。
一枚しか買わなかった友人
私は150枚も買ったけど買った値段より倍の倍の倍のくらい戻ってきて、、。
現地の方の仕事もつくってあげられた、とても喜ばれた。だから売れた金額からまた寄付した。
祖母の知り合いにプレゼント、
祖母が介護になったとき助けてくれた。
買い物も目を養う勉強って学校で教わってきて、それをいいことに
10代のころは散々無駄遣いしたけど、目を養えた気がする
あまり細かいこと考えない、思いつき行動
思いつきでナースになった、
銀座で毎日お買い物しまくってた10代のころ。
ナース不足で、学生のころから働きたい病院も選びたい放題、病院がわも毎月学生のころからお金をだした、病院がある地域も地域がナース確保にお金をだした、
学生なのに毎日銀座でお買い物して
ブランドもの身につけて。
3kなんて言われ、みんなが嫌がった方向進んだら、そんなお返し。
10代の頃から欲しいものは手にいれた気がする。でもそれは、他の誰かのためになにかする。
バブルのころ、ナースになりたいなんて人は少なかったと思う。
でも卒業するころバブルが弾けて
慶應大学いった高校の同級生も就職がないと苦しんだ。
留学した友人も帰国して就職難に苦しんだ。
人のしもの世話人なんてバブルのころなぜナース??といわれたけど
誰かのお世話するのいいかなあって。
面倒な人生、じゃあ人のために生きりゃいいのよって。
今でもナース不足で働きたい日に働ける、
仕事はありふれて選べる
夕方の気分で明日午前のみの仕事は?って言うと検診バイトがあったり。。
ケアマネの資格もあるからさらに優遇されるし。
最近は学校の検診とか。
だからボランティアできる時間もつくれてる。好きなときだけ働いて遊びたい。楽しかった仕事はもっとしたい。まとめて働き、旅にでたい。
人が嫌がること、進んでやると
いいことありますよーー。
10代のころは、
守りに入らず買いたいものは買ってボランティア寄付もして、
バッグもスカーフも靴も時計もぜーんぶブランドだった時代も。
エルメス好きだったあの頃懐かしい。
今はまったく必要ない、犬連れてると汚れるしね。
まあ、そんなこんなの私の生きてきた基軸。
その都度悩むけど、、
気になってしまうならやっちゃおうって!
やっちゃってからあとで考えようって。
今は救ってきた犬達が守ってくれてる、そんな気がとてもします。
たぶん、ボランティアしてる人達も心当たりあるはず。
なんか助けられたり、
助かっちゃったり、
願いは叶ってたり、
保護犬のトリミングの間に時間潰しで健康診断したら病気を早期発見できたよーとか。
なんかあったでしょーー。
そろそろ守りに入る生活しようかしら、、って思ったら体重増えた
反省
あーこんな私、嫌
損して得とれ!
捨てた人のためになんでこんな思いしなきゃいけないのーーーっておもうけど、
命で稼いで立派な家をたてる人はいないよー、だいたい崩壊して病気になってると聞き
悪いことすると自分に跳ね返る様子
私もそろそろ楽して、って思ったら体重増えたから自分に跳ね返った
引き寄せの法則
誰かのために何かを差し出せる自分であることかなあ。
Android携帯からの投稿
1 ■半分はわかるし、半分はちょっと違うかなと思う部分もありました。
私個人の体験から思うのは、自分の大切な何かを差し出せば、というよりは、見返りを求めず本当に無償の気持ちで誰かのために動いたときは、時間のかかるときもあるけれど、必ずあとになって、何かあれはあの時の報いかなと確かに感じることのできる幸福な出来事に遭遇できるというのは、ものすごく共感できます。
だけれど、これは私がカトリックの信仰を持っていることと関係するとは思いますが、初めから何かの報いを期待して善行を行うのは不純なのかなと思います。
それと報いは、何も金銭的・物質的なものとは限らず暖かくかけがえのない人間関係だったり、普通に考えれば亡くなってもおかしくない事故に遭遇しながらも無傷でいられることだったり、と、むしろお金では買えない財産のほうが多かった気もします。
物質的なものは必ずいつか滅びてしまいますし、お金で手に入れられるものには無限の価値はなく、いつか色褪せる時が訪れてしまうと思います。
だから私は、短期的・即物的な思考でなく、長期的・多面的思考で、物事を考えていきたいなと思っています。