活動紹介−思いつくまま・・政策・見解

【12.05.15】大西隆博さんに伝えたいこと

「カウンセリング」と呼ばないでほしい。

市会議員の大西隆博市議が、また行方不明になり、議員辞職願を送付後、病気の症状が改善してきたので、またそれを撤回する旨を書面で伝えてきたと報道がありました。
議員とて人間なので、病気ならちゃんと療養して、また活動できるようになればそれでいいと思います。

しかし大西さんのブログによれば、この間も「カウンセリング」と称して元教え子の方などと、面談されている様子。国分康孝による「カウンセリング」の定義は、「カウンセリングとは、言語的非言語的コミュニケーションをとおして、健常者の行動変容を試みる人間関係である」としています。この場合、クライエント本人が自分の力で、気づき、行動するための援助です。

大西さんは、4月26日に「カウンセリングのお礼がこんなに来てます」という記事を載せていますが、クライエントからあなたのおかげといわれるのは、カウンセラーとしては本来ではありません。だって自分の力で変わるのですから・・また、紹介している内容も、クライエントの様子が、かなり具体的で、人が特定できなくても守秘義務違反などの倫理綱領を逸脱しています。

さらに、5月12日には、「先生頑張ってください」などのメッセージを紹介されています。
これはもうカウンセラーとクライエントの関係ではありません。
教え子と教師のコンサルテーション(教示)を元にした、個人的関係です。カウンセリングと重なるところがあるとは思いますが、あなたのしていることは、個人的関係の中でのアドバイスまたは、コンサルテーションです。そして、知り合い同士の励ましあいです。どちらも社会的には必要な関わりでしょう。それで相手の状態が改善しているなら結構なことであり、その方には合っていたのでしょう。

しかし、これは断じて「カウンセリング」ではない。特にカウンセラーは高い専門性と見識、倫理意識が必要です。自覚のあるカウンセラーなら、自分が病んでいるときに人の心を扱うことなど怖くてできないはずです。その危険性が自覚できなければ、カウンセラーとはいえません。あなたのような影響力のある方の発言で、世間が「これがカウンセリングだ」と理解されることは、避けなければなりません。

私も産業カウンセラーの資格を持ち、そういう立場で関わることもあります。心の問題に関わるのは、他人の人生まで左右する責任の重い仕事です。
大西さん、どうか、まずご自分と向き合い、自己覚知・自己理解に努めてください。それが適切におこなわれれば、おのずから行動は決まってきます。

▲ このページの先頭にもどる

トップページに戻る
RSSフィード(更新情報)