私は9日の夜遅くに下地さんの逮捕を家族の方から知らされ、翌10日に下地さんの大学院の同級生のお一人と家族の方が経済学部長や学長、副学長と面談される手助けをしました。下地さんは阪南大学教職員組合の委員長でしたので、突然の委員長不在に対処する組合関係者とも相談して、学内で「下地先生を支援する会」を立ち上げることに決め、12月14日に賛同者が集いました。「支援する会」には最終的に27人が賛同を寄せ、そのうち名前を出すことに応じていただけたのは17人でした。
大学当局は事前に知っていた
同僚教員の逮捕と研究室の家宅捜索(10日)に対して、学長や副学長はほとんど何の反応もありませんでした。さらに下地さんが所属する経済学部教授会や経済学部長ですら、一片の声明を出すわけでもなく、そのために動いている気配もありません。そのことが気がかりだった私と「支援する会」の二人は、12月19日に辰巳学長・神澤副学長と会談し、その席上で驚くべきことを聞かされました。それは大阪府警公安3課と松原警察署から数名が12月6日に来学して次のことを告げていたというのです。1)12月8日に下地さんを鉄道営業法違反等の容疑で逮捕し、その後記者会見を行う、2)10日月曜日には研究室を捜索する、の2点です。翌日には逮捕が9日に変更されると電話連絡があり、実際に逮捕されたのは9日であったのは上述したとおりです。
つまり、学長、副学長他何人かの大学幹部は、事前に知りながら下地さんに知らせず、何の罪も犯していない下地さんを見殺しにして、精神的な打撃を倍加したのです。また逮捕理由が正当かどうかを法律専門家と相談する十分な時間があったにもかかわらず、その努力を怠たりました。
まるで何も起こらなかった?
逮捕された後の1週間ほど、大学のウェブサイトには「下地准教授が逮捕されたが、詳しいことは調査中で、冷静に対処してほしい」旨の学長の言葉が掲載されましたが、その後は今に至るまで一切何の態度表明もありません。対外的にないだけでなく、大学の教職員に対しても、下地さんの逮捕と研究室の捜索をどう考えるのか、事前に知っていながら何も行動を起こさなかったのはなぜかなど、核心部分だけでなく周辺の事実についても一切何の説明もありません。まるで、12月9日以降のことは何も起こらなかった、誰も権利を侵害されず、誰も傷つかず、誰も悲しまず、誰も憤らなかったとみなしているかのようです。
多くの憲法研究者が指摘するように、下地さんの逮捕は表現の自由に対する明白な冒涜であり、それは皮肉にも彼の不起訴によって改めて証明されました。たとえ法律の専門家でなくともこれは容易に理解できることですが、大学人であればなおさら誰でも直感的にわかるはずです。そういう性質の問題について学長や副学長らが沈黙を続けることは、もはや単なる怠慢ではなく、公安警察とほとんど等しい罪深い行為だと言わざるを得ません。
このような欺瞞や「起こったことをないことにする」策謀が大学で通用するのでしょうか。もしそんなことがまかり通るなら、それはもう大学と呼ぶに値しないのではないでしょうか。それとも、そういうふうに考えるのは頭がオカシイ人間で、今は創立50周年に向けてお祝いムードを盛り上げていればよいのでしょうか。年末のギリギリに下地さんが釈放されたとの報に接したあとで、私は自分に対してそんなことを繰り返し問いかけた結果、辞職を決意するに至りました。30年以上この大学で働いた私にとってとても残念なことですし、卒業生諸君には申し訳ないとの思いもありますが、私の決断を理解していただければありがたいと思います。 (2013年2月5日)
「下地先生を支援する会」閉会の挨拶
English version
ノーマ・フィールド氏らが主催するブログThe Atomic Ageに記事が掲載されました