自民党やメディアの一部から原子力規制委員会に対する批判が急速に高まっている。原発敷地内の活断層評価や安全基準づくりで「公正さに欠ける」という。批判の出どころは、もっぱら[記事全文]
安倍政権が、22日の「竹島の日」記念式典(島根県主催)に、島尻安伊子内閣府政務官の派遣を検討している。ここは、再考を求める。安倍首相は、日韓関係の[記事全文]
自民党やメディアの一部から原子力規制委員会に対する批判が急速に高まっている。
原発敷地内の活断層評価や安全基準づくりで「公正さに欠ける」という。批判の出どころは、もっぱら原発の再稼働を急ぐ人たちだ。
やれやれ、である。規制委の創設にあたって「独立性を高めよ」と強く主張したのは自民党だ。脱原発に動く民主党政権の影響力を排除するためだった。
ところが、実際に動き始めた規制委は、科学的な見地に判断基準を絞り込み、厳格な姿勢を貫いている。
原発推進派からすれば、計算外だった。これでは再稼働がままならない。そんな危機感が、規制委攻撃につながっているとしか思えない。
批判の中身が薄いことからもそれは読み取れる。
例えば、「人選や評価に偏りがある」という批判だ。評価会合の専門委員は活断層学会など関連する学会の推薦を受けている。公開原則のもと、科学者同士が議論を続けている。
学者によって判断には幅があるが、学会側から結果に対する異論が相次いでいるわけでもない。何をもって「偏り」というのだろう。
「経済への影響を無視している」も、おかしい。福島の原発事故は、経済性を重んじるあまり安全規制の手を抜いてきた原発行政の延長線上で起きた。
経済の問題それ自体は重要だが、別途、対策を講じるべきであり、規制委に「手を緩めろ」と求めるのはお門違いだ。
むろん規制委に課題は少なくない。ことに事務局である原子力規制庁のあり方だ。
職員の多くは旧原子力安全・保安院や文部科学省からの横滑り。前審議官が電力会社に事前に報告書案を見せるなど、従来の考え方や行政手法がしみついている面が多々ある。
真に独立性・中立性を確保するには、職員の採用や人事、予算の面でも、より自由度をもたせるべきかもしれない。組織の改善に向けた議論は必要だ。
そもそも、田中俊一委員長は脱原発派から「原子力ムラの住人」と指弾されてきた。原子力の役割を重視しているのも確かだ。「将来的に原発をゼロにすべきだ」とする朝日新聞の社説とは立場が違う。
ただ、規制委は少なくとも事故の反省にたち、信頼回復の第一歩として厳格に原子力と向きあっている。そんな専門家たちの営みを、原発推進派がつぶそうとしている。
なんとも不思議な光景だ。
安倍政権が、22日の「竹島の日」記念式典(島根県主催)に、島尻安伊子内閣府政務官の派遣を検討している。
ここは、再考を求める。
安倍首相は、日韓関係の大局にたって、派遣を見送る決断をすべきだ。
式典の3日後には、韓国の朴槿恵(パククネ)次期大統領の就任式が予定されている。竹島問題などで冷え込んだ日韓関係の修復を考えれば、初めからつまずくのは得策ではない。
首相に冷静な判断を望む。
竹島の日は、1905年2月22日に島根県が竹島の編入を宣言したことから、同県が100年後の05年に条例で制定した。
一方、1905年は日本が韓国併合への道筋を開いた年であり、韓国は竹島を日本の植民地支配の象徴ととらえている。
県は式典に首相らの出席を求めていたが、政府は韓国側に配慮して首相や閣僚の出席を見送った。その一方で政務官を出すというのは、何ともちぐはぐな対応である。
この問題で、首相はこれまで慎重な姿勢をとってきた。
自民党の衆院選政策集は、竹島の日について政府主催の式典開催を明記していたが、今年は見送った。
日中韓の指導者の交代期となっており、近隣外交を仕切り直すチャンスととらえての現実的な判断だろう。
この路線を踏み外すべきではない。
たまたま22日には初の日米首脳会談がワシントンで開かれるが、米政府も日韓関係の改善を期待している。
北朝鮮が3度目の核実験を強行し、日米韓が連携を深める必要性が高まっている。ところが日米韓の「三角形」の一辺をなす日韓の安保協力が進まないのでは、相手に足元を見られるばかりだ。
日韓関係がぎくしゃくしたままでは、対中国の外交戦略も描きにくい。
韓国政府も、互いの政権交代を機に日韓関係を前進させたい思いは同じだろう。
首相としては、記念式典に政府が関与することで、地元や支持者の期待に応えたい気持ちがあるのかもしれない。
だが、それが日韓関係をこじらせる恐れがあるなら、その利害得失を冷徹に判断しなければならない。
竹島問題については、日本の立場を韓国側に引き続き粘り強く説明していくしかない。
こじれた日韓関係の打開に資するか否か。まずは、その観点から考えるべきである。