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最終更新2013/2/20
 since August 2008

【尹美香著『20年間の水曜日』 購入案内】



【映画『終わらない戦争』
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【『ハルモニの希望こそ平和への道』 購入案内】



【更新履歴】

【緊急アピール】日本軍「慰安婦」問題に対するヘイトスピーチを容認、便乗した警察権力の弾圧に抗議する(2/15)
「慰安婦」Q&A(2/10)
「わたしたち」(2/10)
ニュースレターNo.5(2/9)
安倍首相の詐術に騙されるな!〜閣議決定で河野談話は否定できない(2/3)
米国・ニューヨーク州議会上院で決議(1/29)
【追悼】黄錦周ハルモニ(1/3)
1054回ソウル日本大使館前水曜デモ(12/26)
【追悼】キム・ポクソンハルモニ(12/12)
国連人権理事会日本人権審議での、「慰安婦」問題解決を求める各国の勧告【挺対協報道資料)】(11/11)
【追悼】呉秀妹阿媽(11/3)
橋下市長に反論! 吉見義明さん語る〜「強制連行」はあった(10/23)
橋下市長! 日本軍「慰安婦」問題の真実はこれです(9/25)
国会本会議外交通商統一委員会(9/3)
【追悼】ひとりのハルモニ(8/31)
【追悼】キム・ファソンハルモニ(6/14)
ハルモニの希望こそ平和への道(6/10)
日本政府の解決策提示見送りに対する挺対協声明(5/10)

 
映画『終わらない戦争』は、おかげさまで大変多くの場所で上映運動が広まっています。好評につき『終わらない戦争』の貸出料金を値下げしました。ぜひあなたの周りでも上映を行ってみてください。<「終わらない戦争」日本語版製作委員会のHPはこちら>
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緊急アピール!!
日本軍「慰安婦」問題に対するヘイトスピーチを容認、便乗した警察権力の弾圧に抗議する
■在特会等による日本軍「慰安婦」被害者らへの許しがたいヘイトスピーチ
 私たちはかつて日本軍によって戦場で性奴隷とされた被害者の訴えに応えるよう、日本政府の誠実な対応を求めて運動を行ってきました。数年前より「在日特権を許さない市民の会」(在特会)をはじめとする右翼市民団体が出現し、在日朝鮮人への攻撃をはじめ「慰安婦」問題についても歴史を全否定し、被害者を侮蔑するヘイトスピーチを繰り返しています。彼らは、水曜集会など「慰安婦」問題関連行事にとどまらず、脱原発運動などにも出没しては攻撃と妨害をためらわず、その手口は暴力や恐喝など犯罪化してきています。
 昨年8月、私たちは「慰安婦」問題と関連して、被害者を貶める発言を行った橋下大阪市長の「証拠があるなら(韓国側に)出してもらいたい」との暴言を受けて来日した、「慰安婦」被害者の金福童さんを迎えて9月23日、証言集会を開催しました。86歳の被害者が、橋下市長の発言の撤回と謝罪を求め、歴史の事実を証言、会場は多くの参加者であふれました。この日、多数の仲間が場内整理にあたったため、集会は混乱もなく無事に開催されました。
■大阪府警による露骨な弾圧
 ところが、集会から半年近くたった2月13日早朝、大阪府警(公安三課)は、とんでもない弾圧を仕掛けてきました。昨年9月のその集会に参加していた4名の仲間を在特会メンバーからの「被害届」にしたがって「傷害事件」の「被疑者」としてでっちあげ、個人宅及び関係事務所など5ヶ所の家宅捜査を強行したのです。一方的に「被疑者」とされた4名のうちには、昨年反原発や放射能がれき受け入れ反対の闘いの中で拘束・起訴され、今も大阪拘置所に勾留中のHさんも含まれています。警察権力による弾圧はこれにとどまりませんでした。集会の主催者である私たち関西ネットに対しても攻撃の手を伸ばし、連絡先としている「Cafeナビ」にも、同時に強制捜査が行われたのです。(翌日にはもう1箇所の強制捜査がありました)
 あろうことか大阪府警は在特会メンバーの「被害届」をもって、7ヶ所もの家宅捜査を一斉に行うとともに、「被疑者」とされた人たちに対して任意出頭を要求しています。さらに私たち関西ネット関係者についても事情聴取を求めてきています。この出来事に私たちはただただ驚愕し呆れるほかありません。罪のない人間を犯罪者に仕立てあげる警察の横暴を絶対に許すことができません。こんなことがまかり通るなら、日本はヘイトスピーチの無法地帯となり、国際社会からの非難と嘲笑を免れないでしょう。
 今回「被疑者」とされたメンバーは私たちの大切な仲間でもあり、4名の「被疑者」に対する逮捕起訴は絶対にあってはなりません。あわせて、Hさんを直ちに釈放するよう求めるとともに、「慰安婦」問題の解決を求める運動への露骨で悪質な弾圧に怒りを持って断固抗議します。
 警察権力による不当な弾圧・攻撃に、ともに抗議の声をあげてくださるようお願いいたします。
2013年2月15日
日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク


現在、上記抗議文への、団体賛同を集めています。
ぜひともご協力下さい。

賛同サイトはこちら



 
安倍首相の詐術に騙されるな!
    
〜閣議決定で河野談話は否定できない〜

 安倍首相は12月30日、産経新聞の単独インタビューで、河野談話について「専門家の意見などを聞き、官房長官レベルで検討したい」と語り、村山談話については「戦後50年を記念して出された談話だが、あれから時を経て21世紀を迎えた。21世紀にふさわしい未来志向の安倍内閣としての談話を発出したい」と語り、新しい談話を出すことで事実上、村山談話と河野談話を見直す姿勢を示しました。
 また河野談話について、ことさら「閣議決定を経ていない」と強調し、第1次安倍政権の2007年の時に「(河野談話の元となった)政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接指示するような記述は見当たらなかった」という閣議決定をしたから、河野談話には意味がないようなことをのたまいました。

 しかし、この理屈は詐術そのものです。
 ここでいう2007年の閣議決定とはなんなのでしょう? そもそもそれは河野談話を否定するような、重みのあるものなのでしょうか?

 安倍首相のいう閣議決定とは、辻元議員の質問主意書に対する首相の答弁書のことです。
 当時実現直前だった米下院決議案について、安倍首相が「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことに対して、
 「@定義とは何か、A証拠がなかったのは事実とどう確認したのか、Bどのような資料があれば「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か」
 などと辻元議員は質問主意書を提出しました。これに対し、首相はこう答弁書を出しました。

 「お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」

 この答弁書を出したということが、安倍のいう閣議決定です。
 素直に読んで、これが河野談話を否定する根拠になりうると、あなたは思えますか?
 こんな答弁書など、世間に広く示したわけでもなければ、国際的に約束されたものでもありません。河野談話は官房長官の談話ではありますが、安倍首相がほのめかすように官房長官が勝手に出したわけではありません。当時の宮沢首相も含め、内閣の責任で出した談話であり、事実上外交公約としての役割を果たしてきました。
 そしてこの閣議決定とやらは、事実の追認に過ぎません。河野談話の調査段階で、公的な文書の中で「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」というのは事実です。公的文書がないということを認めた上で、被害者の証言や状況証拠等をもって旧日本軍の直接的・間接的関与を認めたのが河野談話であって、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」は見当たらなかったという事実をただ再確認しただけのものが、閣議決定なのです。
 実際、河野談話は、歴代政権に踏襲されています。第1次、第2次安倍政権においてもそれは同様です。安倍首相は「新しい談話を出す」とは言えても、絶対に「河野談話を見直す」とは言えませんし、所管大臣である菅官房長官も同じです。
 それでも安倍首相は、そこに問題があるかのような言動をあえて行い、人々を騙しているのです。

 河野談話の事実認定の箇所にはこう書かれています。

 「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。」

 読めば分かるように、河野談話の要は、軍や官憲が直接的暴力的な、つまり安倍のいう「狭義の」強制連行を行ったか否かにあるのではありません。旧日本軍の直接的・間接的関与を認め。そして日本軍が直接的・間接的に関与した「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めているところに意義があるのです。
 「狭義の強制連行」がないからといって、日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度であるという事実は何も揺らぎません。
 安倍首相の詐術に、騙されないようにしましょう!


 〜 ハルモニのことば 〜

「この恨を死ぬまでにはらそうと
私は思っています」

黄錦周ハルモニ



 黄錦周(ファン・グムジュ)ハルモニが1月3日亡くなられました。黄錦周ハルモには、早くから「慰安婦」被害者として名のりでられ、日本にも何度か来日、証言をされています。怒りのこもった厳しい目と、しわがれた大きな声で日本政府の態度に怒りをぶつけておられた姿を、多くの方が記憶されていることと思います。

 1992年8月には国連人権小委員会が開かれるスイス・ジュネーブへ挺対協代表団と訪問し、日本軍「慰安婦」として受けた経験を証言、国際人権専門家たちに衝撃を与えました。米ワシントン・ニューヨーク・アトランタ、カナダ、そして日本など世界各地を廻り日本軍が女性に犯した蛮行を告発しました。
 日本大使館前では「謝罪せよ!」「私の青春を返せ!」と身をよじって絶叫し、時には水曜デモを妨害する韓国警察に向かって「おまえたちはどこの国の警察だ!」と激怒しました。

 ハルモニは工場の募集だと騙されて旧満州に連行され、慰安所生活を強いられました。憲兵の監視の下逃げることも出来ず、1日に20人もの兵隊の相手をさせられ、自殺する「慰安婦」もいたと証言しました。「今でも精液を思い出して牛乳を飲めません」とも。
 便所に行くときには外に出られたので「お母さんもこの空を見ているのかなあ」と空を眺めていると、それでさえ逃げる気かと兵隊に殴られたといいます。

 この恨を死ぬ前にはらしたいと語っていたハルモニ。晩年は認知症を患い闘病生活を送っていました。ハルモニの思いを私たちはかなえることが出来ず、ハルモニは亡くなられました。1月5日に葬儀が行われ、天安望郷の丘に眠る金学順ハルモニのお墓の隣に埋葬されました。

 私たちはもうこのような無念の死に、何度も立ち会っています。このような悲しい思いは、もうゴメンです!
 黄錦周ハルモニの遺志を胸に、私たちは日本政府の謝罪を実現するために闘います。
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