深山飛水の思いつくまま日記

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help RSS サハリンのロシア帰属を暗に容認した麻生首相!!!

<<   作成日時 : 2009/02/20 06:42   >>

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サハリンについてはサンフランシスコ条約で、日本は領有を放棄している。しかしロシアの領有を認めてはいない。いかにロシアの大統領から招聘があったとは言え、領有を認めてもいないところへ日本の首相が出かけて行くのは、サハリンのロシア領有を認めたことになる。筆者は、記事 『疑わしきを安易に見逃した』河野・恥辱外交!!! (作成日時 : 2009/02/19 22:35) 』で、
2001年(平成13年)1月、日本時代の豊原市、現在、サハリン州の州都になつているユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置している。第2次森改造内閣の時のことである。領事館を開設したということは、日本政府がサハリンをロシア領であると認めてしまつていると解釈されてもやむを得ない。当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは他ならぬ河野洋平氏であった。彼は当時の外務大臣であったのである。
と述べた。しかし、領事館は開設したと言っても、実際には、日本政府として正式に、サハリンがロシア領土であるとは認めていない。1951年(発効は1952年)のサンフランシスコ条約では、日本はサハリンを、日本領土から放棄したことになっている。このサンフランシスコ条約にはソ連(現ロシア)は調印していない。ロシアが調印していないとなれば、ロシアは日本が南樺太を放棄したことを認めていないことになる。ロシアは日本領土ではないとは認めていない地域を、勝手に侵略し、サハリン州という名前を付けて自国の領土にしてしまっている。ロシア・サハリン沖海底の天然ガスなどに目が眩んだのかもしれない。

ところで、放棄した領土が、ロシアの所有となるとした場合、唯一それが肯定されるのは、日本とロシアとの間に平和条約が締結され、日本がロシア領土と認めた場合のみである。ユジノサハリンスクに領事館を建てたことは、日本人でこの地を訪れる人が増えたので、その「邦人の保護」をするためであって、サハリンをロシア領土として認めたわけではないと日本が主張しても決しておかしくはない。

(参考1)によれば、この時期、ロシアはサハリン2の完成祝賀式典への参列と称して、麻生首相を招聘した。メドベージェフ大統領からの麻生首相への直接電話による招聘であった。恐らく北方四島の帰属問題などに関する話し合いなどを臭わせたのではないかと思われる。

麻生首相はメドベージェフ大統領に会って、北方四島問題いついて話し合いはしたようである。しかしサハリンの領有問題については、何も言及していないようである。しかし、(参考2)によれば、ロシアのの有力紙コメルサントは18日付で、イタル・タス通信のゴロブニン東京特派員の寄稿を掲載した。
 記事は「日本の首相がサハリンのロシアの領土主権を保証した」という見出しで、日本政府が帰属未確定としている南樺太を含むサハリンを、麻生首相が訪問することで「ロシアがサハリンに主権を有することをはっきりと、最終的に確認することになる」と、日本外務省当局者が語ったとしている。
 記事はサハリンをめぐる日露間の交渉の経緯を振り返った上で、2001年、ユジノサハリンスクで日本の総領事館が活動を開始したことを踏まえ、「日本政府はサハリンも、その行政区内にあるクリール(千島列島)も、ロシアに帰属していることを言外に認めた」としている。
この記事からすると、今回の麻生首相の式典出席は
完全にロシアの罠に陥ったことになる。麻生首相は式典に出席すべきではなかった。

*****************(終わり)*******************

以下はお読みいただく必要はありません。
(参考1)首相、18日サハリン訪問 露帰属を容認? 実利優先主義に危惧も2009年2月12日(木)08:05
 麻生太郎首相は18日、日露首脳会談などに臨むため、戦後の首相では初めてサハリンを訪問する。サハリンは、日本では「樺太(からふと)」と呼ばれ、南部は終戦時まで日本領だったが、旧ソ連の一方的な侵攻で占領された地だ。麻生首相は資源開発への協力関係の構築を通じて北方領土問題の進展を図るためにサハリン訪問を決断したが、帰属未確定のサハリンへの首相訪問は、日本の間違った外交姿勢を伝える場にもなりかねないと危惧(きぐ)する声があがっている。(今堀守通)
 首相がサハリン訪問を決意したのは、1月24日のロシアのメドべージェフ大統領との電話会談だった。
 「サハリン2の稼働開始式典に招待したい。式典の際には日露間のすべての問題について話し合いたい」
 事務レベルでロシアから招待の打診があったのも電話会談の直前。日本外務省には当初、「首相をサハリンに呼ぶのはどういうことか。しかも招待は式典のわずか3週間前。ホイホイ行っていいのか、との意見があった」(幹部)という。
 サハリンは、日本国民にとって複雑な感情を抱かざるをえない地だ。
 明治38(1905)年の日露戦争後のポーツマス条約で、北緯50度以南のサハリンが日本領となり、日本政府は現在のユジノサハリンスクのある場所に「樺太庁」を置いた。
 だが、昭和20(1945)年の第二次大戦終戦直前の8月9日に旧ソ連が侵攻し占領。26(1951)年のサンフランシスコ講和条約で日本はすべての権利や請求権などを放棄した。とはいえ、旧ソ連が講和条約に不参加だったため、日本政府は北方四島を除く千島列島と南樺太の国際法上の帰属は「今も決まっていない」という立場だ。
 一方、サハリン沖での石油・天然ガス開発に対する日本側の協力が本格化するにつれ、日本への渡航者のために査証(ビザ)発給手続きが増加。日本政府は平成9(1997)年にユジノサハリンスクに出張駐在官事務所を新設した。さらに、サハリンでの邦人保護の必要性が高まったとして、13(2001)年に総領事館に格上げした。
 こうした複雑な事情を抱えるサハリンだが、「帰属の決まっていないサハリンを首相が訪れることで、ロシアや日本国民に誤ったメッセージを送ることになりかねない」という外務省内の懸念を押し切る形で、首相は訪問を決断した。
 麻生首相は就任以来、中国や韓国と、経済分野を中心とする「実利」の関係構築に努め、ロシアに対しても1月28日の施政方針演説で「アジア太平洋地域の重要なパートナー」と位置付けている。式典の舞台となるサハリン2の稼働を契機に、資源・エネルギー分野を中心に関係強化を図り、北方領土問題も進展させたいとしている。5日の衆院予算委員会では「外交を政争の具にするつもりはない。常に国益を考えてやるものだ」と強調した。
 しかし、日本国際フォーラムの伊藤憲一理事長は「北方領土問題が全く動いていないときに、日本の首脳がサハリンを訪問すべきタイミングなのか。旧ソ連の軍事行動を承認することにはならないか」としている。

(参考2)首相サハリン訪問、「ロシアの領土主権が保証された」露メディア 2009.2.18 19:33
 【モスクワ=佐藤貴生】麻生太郎首相のサハリン訪問について、ロシアの有力紙コメルサントは18日付で、イタル・タス通信のゴロブニン東京特派員の寄稿を掲載した。
 記事は「日本の首相がサハリンのロシアの領土主権を保証した」という見出しで、日本政府が帰属未確定としている南樺太を含むサハリンを、麻生首相が訪問することで「ロシアがサハリンに主権を有することをはっきりと、最終的に確認することになる」と、日本外務省当局者が語ったとしている。
 記事はサハリンをめぐる日露間の交渉の経緯を振り返った上で、2001年、ユジノサハリンスクで日本の総領事館が活動を開始したことを踏まえ、「日本政府はサハリンも、その行政区内にあるクリール(千島列島)も、ロシアに帰属していることを言外に認めた」としている。
 また、出入国カードの提出をめぐり、今年1月に日本側の北方四島支援事業が中止された件については、ロシア外務省には日本側の要望を聞き入れる用意があるものの、ロシア側の移民や国境警備関連の部局がビザ(査証)なしでの国後島上陸に反対している可能性を示唆した。

(参考3)質問なるほドリ:サハリンの領有権はどうなっているの?=回答・大谷麻由美 (NEWS NAVIGATOR) ◆サハリンの領有権はどうなっているの?
 ◇日本51年に請求権放棄 総領事館開設で「ロシア」に
 なるほドリ 麻生太郎首相が18日に戦後の首相として初めて行くサハリンは昔、日本の領土だったよね?
 記者 日本はサハリンを「樺太」と呼んできました。1875年の樺太千島交換条約で千島列島をロシアから譲り受け、樺太全体は放棄しました。1905年の日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南のサハリン、いわゆる「南樺太」が日本の領土になりました。でも第二次世界大戦終結直前の45年8月9日にソ連が侵攻しました。51年のサンフランシスコ平和条約で、日本は南樺太と、北方四島を除く千島列島のすべての権利や請求権などを放棄する約束を国際社会と結びました。
 Q じゃあ、日本の領土ではなくなったんだ。
 A いや、それがあいまいなのです。ソ連は当時、平和条約に参加しませんでした。条約は、放棄地域の帰属を決めず、将来の国際的な解決に委ねました。だから日本は今も「帰属は未定」との立場を取っています。
 Q よく分からないな?
 A 南樺太を含むサハリンは、ロシアがサハリン州として継続的に支配してきました。近年、日本とロシアでサハリン沖の石油や天然ガスの開発協力が進み、日本人は査証(ビザ)を取得して頻繁に行き来しています。日本政府はあくまで「邦人保護」の観点から、97年12月、南樺太のユジノサハリンスクに出張駐在官事務所を設置し、01年1月に総領事館を開設しました。これは南樺太をロシア領と認め「日本への返還は求めません」というシグナルを暗に送ったと受け止められています。
 Q 麻生首相のサハリン訪問はロシアのメドベージェフ大統領が直接誘ったんだってね。
 A 18日に、日本企業も参加する石油・天然ガス開発事業「サハリン2」の稼働記念式典があり、麻生首相が招かれ、戦後の首相として初めてサハリンを訪問します。日露首脳会談で北方領土問題で進展を図りたい意向です。ロシアは北方四島をサハリン州の一部と訴えますが、日本は、日本固有の領土と主張しています。日本としてはサンフランシスコ平和条約で放棄した南樺太や千島列島とは位置付けが異なります。(政治部)
(参考4)【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 樺太を露領と認めたのはいつか 2009.2.17 03:24
 ≪首相の決意もむなしく≫
 米国に史上初の異色の大統領が登場し、その政治がいよいよ開始されたことから、報道界や論壇の耳目はそちらに集中し、我が国内の重要な問題に向かふべき注意が疎(おろそ)かになつてゐる嫌ひがある。
 2月7日の北方領土の日に開催された北方領土返還要求全国大会に麻生首相が出席し、領土問題の最終解決に向けての決意表明をされたのは結構だつたが、その姿勢を支持乃至(ないし)批判する様な論壇の関心が特に紙上に見受けられたわけでもない事に、或(あ)る淋(さび)しさを覚える。
 建国記念の日の祝賀式典について、政府が此事に寄せる公的な祝意が数年来次第に稀薄(きはく)になつてゆく現状に対しては当日の本紙「主張」が憂慮を表明してゐるし、筆者も昨年のその日付の本欄で「国民的団結」と「主権の尊厳」といふ契機を焦点としてこの祝日の意義を再考し、それを実践的な行動に反映させる事を訴へた。この二つの契機を殊に本年北方領土問題を考へるための踏台として再認識することを再度訴へたい。
 麻生首相はメドべージェフ大統領の招待に応じて、領土問題についての会談のためサハリン(樺太)を訪問するといふ。その積極的姿勢は一応評価に値するが、然(しか)しそれには、本紙2月7日付の主張が述べてゐる如(ごと)く〈日本は戦後、サハリンを放棄はしたが、その帰属がロシアにあるとは認めていない。首相訪問はそれを自ら認めることになる〉との危惧(きぐ)の声が生ずるのも当然である。
 ところで、筆者の本日の意見はそこに関はつてくるのだが、本紙の翌8日付第2面の記事にも見えてゐるこの危惧の念と警告は、もはや手遅れといふべきではないか。
 ≪「実効支配」で片づける≫
 何故ならば、平成13年1月の事、日本時代の豊原市、現在サハリン州の州都になつてゐるユジノサハリンスクに、日本政府は総領事館を設置してゐる。領事館を開設したといふことは、日本政府がその地をロシア領であると認めての上であると解されるのだから、日本外務省は麻生氏の訪問に俟(ま)つまでもなく、サハリンがロシア領である事を既に認めてしまつてゐるのである。〈その帰属がロシアにあるとは認めていない〉といふ本紙の主張は、他ならぬ我が外務省によつて夙(つと)に否定されてゐる事になる。 最近或る知人から工藤信彦著『わが内なる樺太』といふ論著の存在を教へられた。工藤氏は樺太生れで戦前から戦後にかけての樺太といふ島の歴史と運命を極めて着実に考察してきた人の様であるが、平成13年のサハリンでの総領事館開設(駐在事務所の昇格)事件の不条理を「樺太連盟」の機関紙で直ちに広く訴へたのに、それは政界からも学界・言論界からも何の反響も得られなかつたらしい。氏が外務省国内広報課に見解を質(ただ)したところ、返つてきた答の中に〈サハリンにおけるロシアの実効支配が長く、現在では外国人の出入りが認められ〉云々(うんぬん)との説明があつた由である。
 ≪主権感覚の無残な欠如≫
 この説明に少々注釈をつけるとすれば、この〈実効支配〉の一語こそは所謂(いわゆる)「既成事実への屈服」といふ日本の外務省に特徴的な心的機制の修辞であり、しかもそれは客観的にその実在を認めざるを得ない確たる事実についてとは限らず、相手が政治的意図を以て造り出してゐる虚構を、それと戦ふだけの努力を厭(いと)ふが故に偽善的に公正を装つて認めてゐるといふ場合が多い。竹島の不法占拠に毅然(きぜん)たる対応ができないのも、実効支配といふ擬装に怯気(おじけ)づいて、屈服といふよりは横着を決め込んでゐるだけである。
 「従軍慰安婦」問題といふ露骨な虚構による恫喝(どうかつ)に脆(もろ)くも屈服して謝罪談話を出し、国家国民全体の名誉を敵に売渡して自己一身の安泰を図つた政治家の醜行も同じ横着に発する。因(ちな)みに当時のイワノフ露国外相と水面下の取引をしてサハリン領事館の開設を企んだのは「従軍慰安婦」問題で国民の顔に泥を塗る罪を犯した男と同一人物である。
 金持ち喧嘩(けんか)せずといふ俗諺がある。紛争の負担を避けるためには謂れなき侮辱や不利益を忍ぶ方がよいといふ選択は、私人の次元でならばそれも又宜しといふ場合があり得よう。然し、国家の名誉と尊厳とに責任を有する、外交折衝の現場の人間がその選択をするといふのは端的に売国奴の所業である。サハリン領事館開設事件が広く一般の認識に達してゐなかつたのは、当事者が己の売国的行為に対する疾(やま)しさを自ら感じてゐて、出来る限りその始終を人眼から隠す工作をしてゐた故ではなかつたか。国家主権の尊厳についての感覚の無残な欠如である。建国記念の日の意義をめぐつての深刻な憂慮のたねが又一つ増えた。(こぼり けいいちろう)

(参考5)首相サハリン訪問、「ロシアの領土主権が保証された」露メディア 2009.2.18 19:33
 【モスクワ=佐藤貴生】麻生太郎首相のサハリン訪問について、ロシアの有力紙コメルサントは18日付で、イタル・タス通信のゴロブニン東京特派員の寄稿を掲載した。
 記事は「日本の首相がサハリンのロシアの領土主権を保証した」という見出しで、日本政府が帰属未確定としている南樺太を含むサハリンを、麻生首相が訪問することで「ロシアがサハリンに主権を有することをはっきりと、最終的に確認することになる」と、日本外務省当局者が語ったとしている。
 記事はサハリンをめぐる日露間の交渉の経緯を振り返った上で、2001年、ユジノサハリンスクで日本の総領事館が活動を開始したことを踏まえ、「日本政府はサハリンも、その行政区内にあるクリール(千島列島)も、ロシアに帰属していることを言外に認めた」としている。
 また、出入国カードの提出をめぐり、今年1月に日本側の北方四島支援事業が中止された件については、ロシア外務省には日本側の要望を聞き入れる用意があるものの、ロシア側の移民や国境警備関連の部局がビザ(査証)なしでの国後島上陸に反対している可能性を示唆した。


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●北方領土問題(ほっぽうりょうどもんだい)とは、北海道根室半島の沖合にある島々で現在ロシア連邦が実効支配している、択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)に対して、日本が返還を求めている領土問題。これらの島は、北方地域、北方四島と呼ばれている。>>続きを読む(goo wikipedia記事検索)
北方領土問題対策協会ホームページ
北方対策本部(内閣府)
サハリン2プロジェクトとは (BRICs辞典)

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内 容 ニックネーム/日時
 新聞等のマスコミ報道、こと国際政治、外交問題に関しては、害はあっても、全く真実とは縁遠いですよ。ことはそれほど単純な方程式ではないのは、常識だと判断しています。
つき指の読書日記
2009/02/21 11:44
つき指 様
コメントを有難うございました。かつご注意有難うございました。

ここで引用しました新聞記事はロシアの新聞の記事であるところに意味があります。
彼らもまた、「南樺太をサハリン州として領有していることを、そして日本はサンフランシスコ条約で南樺太の領有を放棄しておりますが、この条約に調印していないソ連、現ロシアに領有権があることを認めてはいない」ことを気にしていたのです。
この新聞が、『日本がこれまで南樺太のロシア領有を認めていなかったのに、麻生首相の今回のユジノサハリンスク訪問でそれを認めたことになる』と主張しているところに、重大な意味があると思います。この新聞は、『ロシアが半信半疑ながら領有の形をとっていた南樺太が、晴れてロシアのサハリン州として日本から承認された』と祝福しているように思えるのですが、どうでしょうか。
「麻生首相は、まんまと『北方四島の話し合いをしよう』というメドベージェフ大統領の罠に嵌って、取り返しのつかないことをした」と言われても、その気はなかったでは済まされないと思います。
東郷幹夫
2009/02/21 14:16

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