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【あの人は今こうしている】

ニッポン放送のアナウンサーだった木原早苗さん

【芸能】

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2013年2月15日 掲載

「いえいえ、ぜんぜん嫌じゃありませんでした。むしろ気に入ってたくらい」

<木原早苗さん>

「欽ドン!」といえばかつて一世を風靡(ふうび)したフジテレビは萩本欽一のバラエティー。この人気シリーズの元祖が72年から79年までニッポン放送で流れた「欽ちゃんのドンといってみよう!」だ。「君の心をつかむ集英社がお送りする」というオープニングフレーズを覚えている向きも多いだろう。15日登場の木原早苗さんは“ブスラッキョ”の愛称で親しまれた同番組の3代目アシスタント。今どうしているのか。

「ニッポン放送を退職して36年になりました。今の本業はイベントやパーティーの司会、ナレーターです。それと一昨年10月に『ラッキー!話し方講座』って私塾を開講しまして、15人ほどの生徒さんに教えてます」

 JR阿佐ケ谷駅北口に近い「島村豊子きもの学院」で会った木原さん、おっとりした口調でこう言った。同学院を教室に利用し、定期講座は毎週月曜日の午後の部、夜の部の2コマ、各120分。マンツーマンの授業もある。

「言葉ってとっても大切でしょ。で、ワタシの講座は『言の葉塾』とも呼んでます。人前で話すのが苦手、自身の思いをきちんと伝えられない、コミュニケーションやプレゼンテーション能力をアップしたい……。講座に通われるきっかけはさまざまですが、毎日の生活の中で話し方に注意し、上手に話すことができるようになると人間力をアップさせるだけじゃなく、ストレスをため込まずにすみます。結果、健康や美容にもいいんですね。あと、つねに前向き、ポジティブに生きられるから、性格を変えることだって可能です」

 受講生は女優、和装関係者、営業マン、就活中の学生、孫への読み聞かせをうまくなりたい老婦人など。口腔手術後のリハビリ目的の人もいる。

 さて、日大芸術学部卒業後、74年、ニッポン放送に入社した木原さんは外タレのハシリであるロイ・ジェームスの「シントク・サテライトアワー」、「オールナイトニッポン 第2部」のDJなどを経て、75年1月から「欽ちゃんのドンといってみよう!」の3代目アシスタントを務め、人気アナに。愛称は「顔がラッキョに似ていたため」、当初は“ラッキョちゃん”、それが“ラッキョ姫”になり、最後は“ブスラッキョ”。欽ちゃん、これはちょいとヒドいだろう。

「いえいえ、全然嫌じゃありませんでした。むしろ気に入ってたくらい。だって、ニックネームがつくほどリスナーの方々に愛されたんですもの」

 聴取者の投稿をコントにする同番組は平日10分間の放送ながら、高聴取率をマーク。フジテレビはそれをまねて75年4月から「欽ちゃんのドンとやってみよう!」をスタートさせ、以後、「欽ドン!」シリーズは87年2月まで続いた。

 一方、木原さんは77年にニッポン放送を退社し、オーストラリア・パースに語学留学。帰国後、フリーアナとして活動を始めた。

「こちらの学院の故島村豊子初代学院長とはイベントを通じて知り合い、以来、親しくさせていただいてます」

 去年から新たにスタートしたジャズピアニストの高浜和英さんとの、音楽と朗読のコラボレーションライブにも力が入る。

「ワタシ、自称ミュージックエッセイストでもあるんです、ハハハ。2月24日、埼玉県加須市にあるカフェ『ギャラリー野と花』でライブを行う予定です。ぜひいらして下さい」

 独身。都内のマンションに一人暮らしだ。
~2013年2月15日以前の記事~

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