■「多摩川ユートピア」「ドリームタウン」… 新都市名に多くの候補
ところで、たまプラーザという駅名はちょっと変わっている。なぜこの名前になったのか。
「開発の記録」によると、発案は当時の五島昇社長だという。計画段階では「元石川」が仮の駅名だった。「プラーザ」とはスペイン語で広場を意味するといい、駅前広場を中心とした街づくりを目指す同社の基本思想が投影されている。多摩田園都市の中心に、との意図もあった。
西山さんによると、沿線の駅名は地名を参考にしつつ、地元住民の意見を集めながら決めたという。例えば青葉台や藤が丘は「名前に緑を残したい」という地元の要望を取り入れた。藤が丘は富士山に見立てた富士塚があることにちなんだ。
たまプラーザ駅周辺にある美しが丘は、この辺りが美しい丘陵地帯だったことが由来だ。ちなみに、たまプラーザという地名はなく、駅名だけで使われている。
江田は計画段階では地名でもある荏田だったが、「当時の当用漢字に『荏』がなかったため、『江』に変えました。かつてこの地にいた豪族、江田小次郎にちなんだ面もあります」と西山さんは話す。
地域全体の総称である「多摩田園都市」も、初めから決まっていたわけではない。東急が2度にわたる常務会での審議を経て決定した。
「開発の記録」によると、ほかに「多摩新都市」「東横新都市」「相武緑苑都市」「多摩川ユートピア」「ドリームタウン」「桜の都市」「梅の都市」「菊の都市」「銀河都市」などの候補があったという。
議論の行方次第では、田園都市線は銀河都市線となっていたかもしれない。もっとも西山さんによると、「現場ではほかの候補名は聞いたことがない」。社内の一部でのみ、出回った名前だったようだ。
■新区名、「青葉区」は「田園区」と争う
横浜市の行政区も変わった。田園都市線が開通して3年後の1969年(昭和44年)、横浜市は人口増を理由に港北区から緑区を独立させた。
さらに1994年(平成6年)には港北区と緑区を再編し、新たに青葉区と都筑区を設置した。人口が急激に増えたためだ。それでも青葉区の現在の人口(2月1日時点)は約30万人と、横浜市の中では港北区の33万人に次いで多い。この地域がいかに爆発的に成長したかがわかる。
区の名称を決めるにあたって、横浜市は市民から候補を募った。現・青葉区で最も支持を集めたのが青葉区、次いで田園区だった。このほか北区、美里区などが候補となり、最終的に青葉区となった。都筑区の場合は光区が最も多く、次いで港京区。都筑区は8位だった。しかし選定委員会での協議の結果、古くからの地名である都筑区が採用されたという。「都筑」の名は奈良時代から使われているため、歴史的な経緯を重視したようだ。
こうして誕生した青葉区と都筑区。東急が2005年にまとめた「東急多摩田園都市開発50年史」(CD-ROM版)はこう記す。
「青葉区は、そのほとんどすべてが多摩田園都市に含まれており、事実上一民間企業が開発・誘導した住宅地が一つの区を形成することとなった。これは全国的にも類例をみないことであった」
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