東京都南西部から神奈川県北部を走る東急田園都市線。東京急行電鉄がその中核と位置付けるたまプラーザ駅周辺では、広い街路や緩やかなカーブといった景観が、街のブランド力を高めている。沿線人気に火を付けたこれらの街並みは、実は偶然がもたらしたものだという。駅名や路線名の由来、急行停車を巡る深い事情など、田園都市線の誕生秘話を探った。
■市境が計画阻む 偶然が生んだブランド
横浜市青葉区にあるたまプラーザ駅。大規模開発が進んだ北口に続いて、この春、南口でも大きな変化が起きている。3月1日には新たに駅直結の商業施設「たまプラーザ テラス」の新棟「リンクプラザ」が開業。カフェや医療機関、保育園など暮らしに密着したテナントが入る予定だ。新棟の隣には地上7階建ての分譲マンションが完成しており、3月から入居が始まるという。
開発着手から60年を迎えた多摩田園都市。たまプラーザ駅は、1980年代に大ヒットしたテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」などを契機にイメージが高まり、人気住宅地となった。近年は駅前の再開発が進み、駅の乗降者数は急速に増えている。
街のブランドイメージを支えるのが、広い街路やゆったりとした遊歩道、カーブを多用した道路などの存在。いまでは多くの街で見られる街づくりの手法は、たまプラがいち早く取り入れた。しかし、東急では当初、全く違う街並みを想定していたという。どういうことか。当時を知る東急OBに聞いた。
「たまプラ駅周辺は、多摩田園都市の他の街と同様に、街路を碁盤の目状に配置するプランを立てていました。しかし整地工事に取りかかってみると、思うように進まなくなったのです」
1960年(昭和35年)に東急に入社し、一貫して都市開発に携わってきた元専務の西山克彦さん(現・東急ファシリティサービス顧問)は当時を振り返る。壁となったのは、横浜市と川崎市の市境だった。境界付近が急傾斜になっていて、思うように整地ができなかったのだ。
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