南アフリカで開かれていたサッカーのアフリカ選手権(アフリカ杯)が10日に終幕を迎えた。試合会場に足も運んでいないし、小学校の時にサッカー少年だったというだけなのでおこがましいけれど、この大会について少し。
決勝はナイジェリアとブルキナファソの対戦だった。テレビで見ていて、アフリカの現状が映し出されていると思った。
南アフリカのテレビも、欧米のテレビも決勝戦ということで、期待を込める当事国の中継を織り交ぜて伝えた。だけど、中継があるのはナイジェリアだけ。事前のニュースも「ナイジェリアが久しぶりの優勝に王手をかけた」というトーンの取り上げ方だった。
ナイジェリアはアフリカの大国なので、各国の記者が駐在している。ブルキナファソはそうはいかない。そういう事情が透けてみえる。もともと、ナイジェリアの優位が伝えられていたが、両者は大会の1次リーグで対戦して引き分けているので、それほど差があるわけではない。ブルキナファソが勝ったら、どうなっていたのだろう。
アフリカの中の経済格差が情報の差にもつながってゆく。そもそも、この大会自体、リビアで開かれる予定だったのが政情不安のため場所を移さざるを得なかった。そういう状況にあって、開催を引き受けられるのは、南アフリカを置いてほかにない。これもまた、アフリカにある格差の現状を映している。
大会が始まった時にはマリにいて、その後もケニア、南アフリカ、ボツワナのテレビで試合を中継していたので、夜に時間があるときに見てはいた。1次リーグはもとより、準々決勝になっても会場はがらがらのようだった。
南アフリカに来たとき、決勝を見に行けるかなと思ったほどだ。その決勝はさすがに、南アの威信をかけた重厚な「祝アフリカ」の演出が埋まったスタンドの前で展開した。
今回の旅で14カ国を訪れたが、どこへ行っても、暑くても、ちゃんとしたボールがなくても、子どもがサッカーをしている。「アフリカではサッカーを楽しむのではない。サッカーを生きるのだ」と大会時に流されたテレビCMは言っていたが、それを大げさではなく感じる。何度も同じことを繰り返して申し訳ないが、マリの検問所で聞こえてきた試合のラジオ中継を思い出す。
大会には事件や紛争や経済格差を超え、アルジェリアやマリやコンゴ(旧ザイール)のチームが集った。西アフリカの小さな島国カポベルデが予選を勝ち抜いたことは驚きをもって迎えられ、外国メディアはアマチュア選手もいるチームを取り上げた。カポベルデは1次リーグを勝ち抜いて準々決勝まで進んだ。
サッカーの質について語る資格はない。でも見ていて面白いサッカーではある。個人技に優れ、動きに意外性があり、スピード感があって大きく展開する。パスがシュートに見えるほど強い。だけど裏を返せば大味で、正確さを欠くきらいがある。
ひどかったのが審判だ。決勝に進出したブルキナファソの中心選手が、準決勝で警告を2度受けて退場処分になった。素人目にも2度目の警告は不当だった。本来、決勝は出場停止になるはずだが、準決勝後に判断の誤りが認められて出場できた。これに象徴されるように、一貫性のない判断が横行した。
南アの新聞「スター」は11日、1面で「いいところと、悪いところと、醜いところを示した」と大会運営を総括した。いいところは、準備期間不足にもかかわらず大会をちゃんと開けたこと、悪いところは最初と最後以外の試合に空席が目立ったこと、そして醜いところとして審判の質を挙げた。
その朝、ホテルから出ると、ナイジェリアと書かれた緑色のトレーニングウエアに身を包んだ中年の男性2人がいた。すれ違ったが、とって返して「おめでとう」と言うと、ものすごい力で手を握ってきた。