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2008年12月25日 (木)

「横浜のメリーさん」ふたたび

 
Photo  横浜のことをほとんど知らない私が、横浜の記事を書くのはおかしいかもしれない。しかし、なぜか無性に書きたい気持ちになった。

 2007年2月17日に、私は「横浜のメリーさん」という記事を書いた。その時は久しぶりに映画でも観たくなって、ふらりとビデオ屋さんに寄ったところ、偶然「ヨコハマメリー」というDVDが目に付いた。そのタイトルを見た時、なぜか忘れていた若い頃の記憶が強く揺り動かされた。メリーさんという人物のことを知っていたわけではないが、昔、二十代の頃、横浜で仕事をした一時期があり、その名前だけは何度か聞いたことがあった。強いて思い出せば、どこの町にも名物人間はいるんだなあというくらいで、メリーさん自身に特別な興味はなかった。ただ、どこにでもいる私のような若造の耳にも聞こえてくるくらいだから、かなり有名な人物だとは思っていた。

 DVDを観るつもりになったのは、メリーさんという名前には、その当時の自分を強く呼び覚ますなつかしいものがあったからだ。とりあえず、どんな映画だろうと思って、深く考えずにDVDを借りて観た。観ているうちに、涙がにじんできて止まらなくなった。映画とは言っても、ストーリー性はまったくなく、何人かの関係者が目撃談やメリーさんとの係わり合いを想い出しながら、訥々(とつとつ)と語っているだけのドキュメンタリーであった。メリーさん自身のインタビューなどはいっさいなかったが、随所に彼女の印象的な写真が散りばめられていた。では、この映画の何が私の涙腺を刺激したのだろうか。それは私にもわからない。それを知りたくて、今一度、メリーさんのことを書いてみたいと思った。

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 メリーさんとは、顔を白塗りにして横浜の街に佇んでいた伝説の老女であ る。進駐軍の高級将校相手の街娼だったそうだ。老いても、変わらないスタイルで街に立ち続け、顔も、髪も、フリフリの付いたドレスも真っ白という白ずくめの異様なスタイルで、街角に佇んでいた。彼女は高貴な言葉遣いと物腰をけっして崩さなかったという。メリーさんは、いつしか有名になっていたが、この女性の来歴や私生活を知る者はいなかったという。

 作品を観ているうちに、「いったい何なんだ、このへんてこな婆さんは?」という気分が湧いてきたが、それもすぐに消えた。そして、顔を白く塗ったメリーさんに、次第に強く惹かれている自分に気が付いた。街角に佇む白塗りの老女は奇怪な光景である。どの写真を見ても、その奇怪さは強くまとわりついているが、彼女を知る人間の回想を聞いているうちに、その奇怪さが感じられなくなり、いつしか、メリーさんその人があるべき街の風景と一体化していた。そう見えるようになったと同時に、メリーさんを通して、失われたかつてのヨコハマが胸に深く突き刺さってきた。

 私は実物のメリーさんを見たことはない。しかし、不思議なことに、想像の中だけであるが、この白塗りの老婆が泰然と佇んでいる街の風景は、美しく静かで叙情的なのだ。おそらく、メリーさんの風景は、私の中の過ぎた時間の中にある横浜のイメージなのだろう。人間の記憶に刻み付けられている街の情景は、その人間の加齢とともに過ぎ去っていく過去であり、それは二度と現実に見ることはできない。過去は追想の中にしか存在しないが、現実は時折、いたたまれないような悪戯(いたずら)をする。プルースト効果ではないが、時折、人間はある風景や匂いや味に、強烈に過去を蘇えらせることがある。私にとって、メリーさんの映画はそれに近いものであろう。
      
 何とも不思議な映画である。映画の冒頭を飾っていた曲は、青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」であり、私の年代では誰でも知っているムード歌謡曲である。実にこの映画の導入にふさわしい歌だ。1968年、私が高1の時のヒット曲だ。冒頭の吐息のようなため息が、当時は聞いてはならない性的なタブーのように思えて恥ずかしかった。しかし、この歌は今聴いても、しっとりとして叙情溢れるいいブルースだ。日本が駄目になってから、こういういい歌が聞こえなくなっている。桑田佳祐さんもこの歌を弾き語りで歌っているので興味があったら聴いていただきたい。

 伊勢崎町ブルースがこの映画に用いられたのは、メリーさんが伊勢崎町、福富町、関内という横浜の中心におもにいたからでもあるが、この歌の曲想が街に佇むメリーさんにぴったりと合っているからだろう。「ヨコハマメリー」という映画は、忘れていた記憶を呼び覚ます不思議な効果がある。メリーさんの面倒を見ていたシャンソン歌手の永登元次郎さんを中心に、彼女の思い出を語る複数の人たちの言葉は、一幅の重奏曲となって、横浜の失われたなつかしい時間とともに、この映画を観る者自身の過去の追想を呼び起こす。何というか、思いがけなく上質な風景画を観ているような気分になってくる。

3  監督が意識したのかどうかわからないが、「伊勢崎町ブルース」で始まっているこの映画の心象風景としての基調的音楽はシャンソンである。私はあの有名な「枯葉」(Autumn Leaves)が心に繰り返して浮かんだ。メリーさんの情景は、初冬の木枯らしに吹かれて舞い落ちる枯葉を連想する。誰にも心を開かなかったメリーさん、いつも高潔な態度を崩さなかったメリーさん。この映画を黙って観ていると、メリーさんの周囲にはいつも美しく澄んだ冷たい風が吹いているように見えた。それはあまりにも切なく静寂に満ちていた。この物哀しくも叙情的な画面の羅列にはまってしまうと、心にいつのまにかシャンソンの音楽が浮かび、涙が止まらなくなってくる。映画を観終わったあとに余韻として残るのは、予想もしていなかった慰撫、カタルシスだった。

 それにしても何なのだろうね、このお婆さんは・・。

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コメント

一葉さん、ありがとうございます。

 メリーさんの記事にコメントを初めていただきました。
メリーさんは頭がおかしいという噂があったそうですが、
それは表面的に白塗りなどを見て誰かがそう言ったので
あり、彼女が放っていた凛とした静けさをみると、そうでは
ないことがわかりますね。それに、介護施設から
永登元次郎さんに宛てたメリーさんの手紙は実にしっかり
した丁寧な内容だったそうです。あの白塗り仮面の下には
哲学者のようにじっと人間を見つめていた冷静な素顔が
あったに違いありません。施設で瞬間的に素顔が出てい
ましたが、あの顔は孤独に耐えぬいて時間の推移を見つ
め続けた人の顔だと感じました。物静かな素敵なお婆ちゃ
んでしたね。

 しかし妙に心に残る映画ですね。メリーさんの周囲には
凄絶な孤独感が漂っていますが、彼女の近くにいた人間も
含めて、街と人間の哀しさ、温かさが静かに見えてきました
ね。竹久夢二の絵に通じるような、どこかはかなげな静けさ
の中に、強いなつかしさがある映画です。

投稿: 高橋博彦(管理人) | 2008年12月28日 (日) 14時16分

私も「ヨコハマメリー」を2度観ました。最後の介護施設でのメリーさんの清清しさに衝撃を受けました。まるで哲学者のような風貌でした。彼女は一言も人間や人生について語ったわけでもないのに、なぜこうも深く人間を感じさせ考えさせるのでしょう。(自伝を書いて残そうという人間がなんと浅ましく思えることか。)
彼女の友人で面倒をみていたシャンソン歌手でおかまの永登さんの人間性の素晴らしさ。私は心底こういう人と出会いたかったと思いました。
一番心に残ったのは永登さんはじめ、彼女を「神様」と呼んだ(たとえそこに蔑視による皮肉が込められていようと)人々の感受性についてでした。

投稿: 一葉 | 2008年12月28日 (日) 10時20分

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