戦車部隊の使命は、地上作戦において、機動打撃力の基幹(中心)となり、あるいは対戦車戦闘の骨幹(中心)として敵を撃破することです。
戦車部隊の特性は、装甲により防護された強烈正確な火力(戦車砲及び機関銃等)及び卓越した機動力(無限軌道及び油気圧式懸架装置)により衝撃的効果(恐怖心を起こさせる)を発揮し、勇猛果敢な近接戦闘により敵を圧倒撃破することができます。
旧陸軍戦車第11連隊は、第11の11(漢数字の十一)を武士の「士」(さむらい)と読み、以後、士魂部隊と愛称しました。
この戦車第11連隊は、昭和15年3月満州で創隊され、昭和19年2月、本土防衛作戦のため、北千島に転進、主力を占守島に配備し、一騎当千の気鋭をもって戦備を整えていましたが、昭和20年8月15日終戦を迎え、無念やるかたなく戦いの鉾をおさめ、戦車等を海中投棄すべく準備していたところ、8月18日、突如ソ連軍が不法侵攻を開始し、これを受けて立った戦車第11連隊は池田連隊長以下、指揮官、幕僚の過半数を失うに至るも、よく敵を水際に圧倒して、ソ連軍の野望を粉砕しました。
この戦闘においてソ連軍は満州・朝鮮の戦闘を上回る損害を受け、ソ連政府機関紙「イズベスチヤ」をして「本土戦最悪の日である。」と言わしめました。もしこの戦闘でソ連軍の侵攻を許し、北千島から南千島に至る間の占領を許していたならば、現在の北海道はソ連軍による直接侵攻を受け、日本の領土として存在しない可能性があったと言われています。
ここに我々第11戦車大隊は、終戦後にもかかわらず不法な侵攻に敢然と立ち向かい勇戦敢闘した旧戦車第11連隊将兵の「士魂精神」の伝統継承を決意し、昭和45年以来、「士魂戦車大隊」と名乗り練武共同の無形の礎として育んできました。
| 昭和37年 1月 | 北恵庭駐屯地において編成完結、真駒内駐屯地に移駐(米軍供与、M4・M24戦車) |
| 昭和42年 3月 | 全戦車M4装備となる。 |
| 昭和43年12月 | 国産61式戦車初度装備、入魂式 |
| 昭和45年 4月 | 61式戦車全車換装 |
| 昭和46年10月 | 砲塔に「士 魂」のマーク標示 |
| 昭和52年 9月 | 74式戦車入魂式 |
| 昭和59年 2月 | 74式戦車全車換装 |
| 平成 3年 3月 | 方面直轄独立戦車中隊、第317戦車中隊及び第318戦車中隊が編成、大隊に隷属(74式戦車110両) |
| 平成 8年 3月 | 第4中隊廃止 |
| 平成11年 3月 | 第318戦車中隊廃止 |
| 平成16年 5月 | 第2次イラク復興支援群 9名派遣 |
| 平成17年 3月 | 第317戦車中隊廃止 |
| 平成18年 9月 | 第22次ゴラン高原派遣輸送隊 2名派遣 | 平成20年 3月 | 第3中隊廃止 |
| 平成21年 1月 | 90式戦車入魂式 |
| 平成23年 3月 | 東日本大震災災害派遣 |