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『たゆたう魂のうた』の感想
投稿者:
転屍
[2013年 02月 17日 (日) 21時 21分] ---- ----
▼一言
「小説家になろう~秘密基地~」にて批評依頼をお受けしました、転屍と申します。
申し訳ありませんが、以後、言葉遣いがざっくばらんになります。長丁場で丁寧語を続けていく自信が当方にはございませんので、お目こぼしいただけますようお願いいたします。
では、前置きは早々に切り上げて、早速批評といきましょう。
▼まずはじめに
あなたにとっては残念なことだろうと思いますが、私がこの作品を読み進められたのは、一章の終了までです。
ただし、「一つの区切りだからそこまでは読もう」と思ったからそうしただけであって、実際にギブアップしたくなったのはもっと前の段階。0章の途中です。
理由はこれから説明しますが、まずはそれを念頭に置いてください。少なくとも私にとっては、この作品は魅力的には感じられず、その程度しか読むのを耐えられなかったのだ、と。
▼おおまかな印象
正直、なんでこんなにも、悪いほうへ悪いほうへと作品を作っているのか、不思議でならない。
むしろ意識して面白くなくそうとしているのか、と邪推したくなるほどに、つまらない。
とにもかくにも――
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
――あなたの作品の何がダメなのかという理由は、コレにつきます。
▼そこに何があるのかわからない
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
コレが最も顕著に現れているのは、作品中の描写や説明です。
例えば、0章のゴブリンに、1章のブラウニー。名前だけで、それがいったい何なのか、何の説明もない。完全に読者の予備知識頼み。知らない読者にとってしてみれば、そこに何がいるのか、何の想像もできない。
仮にゴブリンを知っていたとしても、「この作品のゴブリン」がどういうものであるのか何の説明もないでは、知識のある読者ですら首をかしげる。同じゴブリンという名称を与えられていても、作品・伝承ごとにその内容にはバラつきがあるのだから、むしろ知識が豊富な人ほど何の説明もないと困る。例えば、ゴブリンを「鬼族」と称し、小さな角が生えている小鬼としている作品もあれば、ゴブリンを「妖魔」と称し、邪悪な妖精の一種としている作品もある。
「ゴブリン」という名前だけでは、何ら説明したことにはならない。
ぶっちゃけ雑魚のモブキャラでしかないゴブリンならまだこれでもいいが、例えばメインキャラクターのソーニャもこの調子で、ほぼ描写も説明もない。
ソーニャに対しては、最初に「小さな妖精が飛んでいる」という言葉で示される。たったのこれだけ。
ゴブリンと同じように、単に「妖精」という言葉だけでは何も説明したことにはならない。フェアリー、プーカ、エルフ、ドワーフ、そしてトロール。あえて名前だけ並べますが、どれも「妖精」ですよ? そして、それぞれ全く違う特徴を備えています。
「小さい」というのも、これだけでは説明の役を果たしていない。子供ほどの大きさ? 人間の腕の長さほどの身長? 手のひらに乗せられる、せいぜい20センチ程度のサイズ? どれも「小さい」という意味では同じですよ。この言葉だけでは、何も表してはいない。
そして、「小さい」は「幼い」という意味で使われることもあるし、「飛ぶ」も飛行なのかジャンプなのかわからない(こっちはさすがに後の描写で「飛行だとわかるが……)。
ソーニャには羽が生えているみたいだけど、それは鳥の翼? 蝙蝠の皮膜? 昆虫の翅?
昆虫の翅だとして、それは蝶のように身体よりも大きくゆったりと動かすものなの? それともトンボや蜂のように速度重視の造りでせわしなく動かすものなの? それともバッタやカマキリのような、あるいはテントウムシやカブトムシのような、折りたたんでしまうことができたり、それを守るための甲がついていたりするものなの?
話のついでに述べておくと、0章の後半の「巨大ゴブリン」も同じ。どれくらい大きいの? そもそも「この作品の普通のゴブリン」の大きさが分からないからアレだけど、仮に人間の半分のサイズだとして、「巨大ゴブリン」なら人間より一回りか二回り大きいくらいでも十分に大きい。それとも熊? あるいはゾウ? 10階建てのビルと同じくらい? それをさらに超える?
「大きい」というだけでは、何も表現したことにはならないから。
それから、巨大ゴブリンの後に出現した「蝿王」。これについてはそもそも大きさが書かれてすらいない。まあ、素材が巨大ゴブリンなのだからそれなりの大きさなのだろうけど、その大元の巨大ゴブリンの大きさが分かっていない。それに、一度バラバラになった後に再生したのだから、縮んでいる可能性も高い。
これらは「わかりやすくダメな例」であって、例えばキャラクターの容姿であるとか、町の風景の様子であるとか、万事この調子で「作者は説明したつもりになっているけど、読者には何も伝わっていない」というのが多すぎる。
▼キャラクターが薄い
登場する人物ほぼ全てがうすっぺらで、中身がない。
「それなりに重い過去とか凄い設定を背負っているっぽい」雰囲気は感じられるけど、それがどうした? それらはキャラクターの魅力に何の貢献もしていない。
これは、実際にキャラクターの背景がどうこうよりも、作中での描写が全てを台無しにしているという印象。
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』の一つの形として、キャラクターが薄い。
何故そうなってしまっているのか?
一人称――登場するキャラクターの主観でストーリーを語る形式。
コレをあなたは使いこなせていない。そして、使っている目的がどうあれ、結果的には使っている意味がない。
描写・説明の不足が「『個々の文章』のダメなところ」であるなら……
一人称を使っている意味がない・使いこなせていないのは「『作品全体の構成』のダメなところ」です。
▼▼一人称を使っている意味がない(プラスマイナスゼロ、ややマイナス寄り)
例えば、1章までで主観を担うのはナスターシャ、クレア、フィリアの三人だが、この三人の区別がつかない。
三人は性格も立場も違うはずなのに、根本的な「キャラクター性が全て一緒」である。いや、「同じ内容のキャラクター性」というよりは、「同じように三人とも中身がない」と言うべきか。同じ肉付けをしてしまって似通ってしまったのではなく、肉がなくて骨しかないから結果的に同じになっている、という。
一人称なのに、それぞれの主観で語っている箇所がほとんど無い。皆無ではないが、ごく少ない。単に「そこに何があるか、そこで何が起こっているか」の説明に終始しているだけ。しかもその説明に「そのキャラクター独自の感想」などが挟まっているわけでもない(あっても印象には残らない)。「誰々が何々をした」という説明しかしないのであれば、一人称でストーリーを語る意味はない。
それぞれのキャラクターが初登場した回などは、(あなたの気合が入っているからか)まだマシに書かれているが、回を追うごとにキャラクターが希薄になっていく。
語り口調も、ほぼ全て一緒になっている。タイトルに名前が入っていなかったら、誰が語っているかまず区別がつかない。
0章での戦闘は実質一話で終わっているが、1章の戦闘は数話かけていて、ナスターシャとフィリアの二人の視点が採用されている。0章の方は混乱しなかったが、1章ではナスターシャとフィリアの区別がつかないから、読んでいる途中でどっちが語っているかタイトルを確認せねばならなかった。
戦闘の描写は一本調子で、先に言ったように「誰々が何々をした」という説明しかしないから、誰が語っていても同じだし、逆にそこへまれにキャラクターの主観が入った時にはじめて「ああ、これって一人称だったけ」と思い出す。そしてその一人称がまた、誰の視点なのかわからない。「タイトルを確認せねばならない」ほどに中身が薄く、区別がつかない。
たいてい、一人称を採用した作品というのは、その語り手が作品の顔として第一に印象に残るものだが、この作品はむしろ「顔の無い語り手」であって誰が語っていても一緒だから、印象に全く残らない。
▼▼一人称を使いこなせていない(明らかにマイナス)
より正確には、「一人称を使って複数のキャラクターの視点変更を行う、ということを使いこなせていない」。いや、「一人称自体を使いこなせていない」というのも間違ってはいないが。
「一人称を使って複数のキャラクターの視点変更を行う」という『手法』自体は(ある意味で)よくある。だから、これ自体はいい。
だがそれもこれも、この『手法』のメリットとデメリットを把握し、効果的に使う、「使いこなせる」ことができて初めて有効となるのであって、あなたにはそれができていない。
例えば、この作品の主人公って、ナスターシャですよね? あらすじを見る限り。でも、この作品を読んでも、ナスターシャが主人公であるとは伝わってこない。
クレアとフィリアの初登場時、ナスターシャの視点ではなくクレアとフィリアのそれぞれが視点人物として登場しています。
何故、こんな構成にしたんですか?
多分、「楽だから」ではないですか? 視点人物にして本人に語らせた方が、キャラクターを示すのに楽だから。
でもそれは、「作者の都合」であって、読者にとって有効な構成ではない。『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
この構成で、クレアとフィリアのそれぞれが見たナスターシャの印象、というものは語られている。でも反対に、「主人公であるナスターシャが見た、クレアとフィリアそれぞれの印象」がない。後でフォローもされていない(あっても印象に残る描き方をしていない)。
ゆえに、大雑把な印象として、
・クレアとフィリアはナスターシャのことを見知っている。
・けれど反対に、ナスターシャはクレアとフィリアのことを何も知らず、通りすがりの赤の他人でしかない。
――と見える。
だって、「クレアとフィリアの初登場時、ナスターシャの視点ではなくクレアとフィリアのそれぞれが視点人物として登場している」んですから。しかもその後、まともなフォローもない。
・端的に言えば、主人公のナスターシャは孤独で、他の二人とまともな接点がない。
・そのくせ、他の二人が再登場した時には、何故かある程度の関係性が構築された態で描かれている。(が、中身が伴わないのでやっぱりその関係は希薄に見える)
そして、0章の戦闘。オープニングでナスターシャが乗り越える最初の難関。
なんでコレを、クレアの視点で描いてしまっているかなぁ。
やっぱり「楽だから」? 戦闘能力で勝るクレアが主導していた方が、話を組み立てるのが楽だから?
で、ナスターシャの見せ場を無くし、まだ登場したばかりでどんなキャラクターかはっきりしていない主人公の成長の過程を描かず、ナスターシャの苦労がほぼ印象に残っていないのに、その後何故かナスターシャはスクールへ行く決心をする、というわけのわからない構成になっている。
ぶっちゃけ、この作品の主人公って、クレアだよね?
0章が終わった時点ではそう思った。それで1章がナスターシャ主人公(っぽい)構成になってても、「ナスターシャ? ああ、クレアのおまけ?」くらいの認識でしかなかったし。
▼▼キャラクターが描けていない
「一人称自体を使いこなせていない」にも被るけれど、そもそものキャラクターも薄っぺら。
・何故ナスターシャはスクールへ行くことにしたの? 動機は?
・何故ナスターシャはスクールのきつい訓練に耐えられるの? 動機は?
・何故ナスターシャは蝿王の使い魔(?)と命をかけて戦うの? 動機は?
全部、中身がない。
スクールへ行くことにした経緯は、0章の戦闘描写がクレアの視点だったから、例えば「強くなりたい」とか「大事な村を守れるようになりたい」とかだったとしても何の実感も説得力もない。
スクールに行ってからの努力も、そもそもスクールに来た動機が不明瞭だから、単に状況に流されているだけにしか見えないし、その成果を見せる大事な場面であるはずの、別クラスとの試合ですら、これまたクレアの視点で淡々と結果だけが語られているから、ナスターシャが自身の努力をどう思っていて、どう自信をつけてきているのか何もわからない。
ナスターシャが蝿王の使い魔と戦う理由? ここまでの経過で何も示されていないのに、わかるわけがないって。
基本的に、この作品の大半は「誰々が何々をした」という説明だけ。そこに付随して盛り上げるためのキャラクターが何も描かれていない。喜怒哀楽もなく淡々と、ただ事象を追っているだけのメモも同然。
作者の脳内ではそれぞれのキャラクターがどんな思いでそれら「誰々が何々をした」を想像できているかもしれないが、それを読者と共有するための努力が何もない。実際に努力したかどうかはともかく、少なくとも、何も感じ取れない。
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
▼
以上です。
誤字とか、おかしな表現になっている文章とか、他にもあげればキリがないくらいですが、根本的に、あなたの作品はそれ以前のものです。
もっと、『他人が読む』ということを意識しましょう。
まずは、そこからです。
▼▼追記
各話の最後にあるソーニャとドゥーニャの寸劇。あれ、どうにかしなさい。
ああいうのは、「オマケ」だから許されるのであって、そこから逸脱したら邪魔にしかならない。
例えば「1-3」の『騙し』とか、「1-14」の『ネタバレ』であるとか、読み手にとっては興ざめにしかならない。
それからああいうのは、更新の最新話だけを継続して読んでくれている人には「うれしいオマケ」かも知れないけど、今回の私のように、溜まっている連載を一気に読もうとする人間にとっては、作品の流れをブッチ切って、そこまでに積み上げてきた雰囲気とか感情移入とかを全てリセットさせるってことだからね? 連載の次の掲載まで何日か待たされる人にとっては気にならないかもしれないけど、ページをめくれば続きが読める状態で、一話一話気持ちをリセットされるってのは、読みにくいことこの上ないから。
活動報告でやるとか、最新話だけに書いて過去話のものは消して別にまとめるとかしたほうがいい。
投稿者:
クック先生
[2012年 08月 04日 (土) 19時 39分] ---- ----
▼一言
更新お疲れ様です。
面白い小説を読んだ後もお腹が空きますね。
では飯食ってきます。
あきら
[2012年 08月 04日 (土) 21時 14分 45秒]
ありがとうございます。読んでいただけたなら光栄です。
良いお食事を。
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申し訳ありませんが、以後、言葉遣いがざっくばらんになります。長丁場で丁寧語を続けていく自信が当方にはございませんので、お目こぼしいただけますようお願いいたします。
では、前置きは早々に切り上げて、早速批評といきましょう。
▼まずはじめに
あなたにとっては残念なことだろうと思いますが、私がこの作品を読み進められたのは、一章の終了までです。
ただし、「一つの区切りだからそこまでは読もう」と思ったからそうしただけであって、実際にギブアップしたくなったのはもっと前の段階。0章の途中です。
理由はこれから説明しますが、まずはそれを念頭に置いてください。少なくとも私にとっては、この作品は魅力的には感じられず、その程度しか読むのを耐えられなかったのだ、と。
▼おおまかな印象
正直、なんでこんなにも、悪いほうへ悪いほうへと作品を作っているのか、不思議でならない。
むしろ意識して面白くなくそうとしているのか、と邪推したくなるほどに、つまらない。
とにもかくにも――
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
――あなたの作品の何がダメなのかという理由は、コレにつきます。
▼そこに何があるのかわからない
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
コレが最も顕著に現れているのは、作品中の描写や説明です。
例えば、0章のゴブリンに、1章のブラウニー。名前だけで、それがいったい何なのか、何の説明もない。完全に読者の予備知識頼み。知らない読者にとってしてみれば、そこに何がいるのか、何の想像もできない。
仮にゴブリンを知っていたとしても、「この作品のゴブリン」がどういうものであるのか何の説明もないでは、知識のある読者ですら首をかしげる。同じゴブリンという名称を与えられていても、作品・伝承ごとにその内容にはバラつきがあるのだから、むしろ知識が豊富な人ほど何の説明もないと困る。例えば、ゴブリンを「鬼族」と称し、小さな角が生えている小鬼としている作品もあれば、ゴブリンを「妖魔」と称し、邪悪な妖精の一種としている作品もある。
「ゴブリン」という名前だけでは、何ら説明したことにはならない。
ぶっちゃけ雑魚のモブキャラでしかないゴブリンならまだこれでもいいが、例えばメインキャラクターのソーニャもこの調子で、ほぼ描写も説明もない。
ソーニャに対しては、最初に「小さな妖精が飛んでいる」という言葉で示される。たったのこれだけ。
ゴブリンと同じように、単に「妖精」という言葉だけでは何も説明したことにはならない。フェアリー、プーカ、エルフ、ドワーフ、そしてトロール。あえて名前だけ並べますが、どれも「妖精」ですよ? そして、それぞれ全く違う特徴を備えています。
「小さい」というのも、これだけでは説明の役を果たしていない。子供ほどの大きさ? 人間の腕の長さほどの身長? 手のひらに乗せられる、せいぜい20センチ程度のサイズ? どれも「小さい」という意味では同じですよ。この言葉だけでは、何も表してはいない。
そして、「小さい」は「幼い」という意味で使われることもあるし、「飛ぶ」も飛行なのかジャンプなのかわからない(こっちはさすがに後の描写で「飛行だとわかるが……)。
ソーニャには羽が生えているみたいだけど、それは鳥の翼? 蝙蝠の皮膜? 昆虫の翅?
昆虫の翅だとして、それは蝶のように身体よりも大きくゆったりと動かすものなの? それともトンボや蜂のように速度重視の造りでせわしなく動かすものなの? それともバッタやカマキリのような、あるいはテントウムシやカブトムシのような、折りたたんでしまうことができたり、それを守るための甲がついていたりするものなの?
話のついでに述べておくと、0章の後半の「巨大ゴブリン」も同じ。どれくらい大きいの? そもそも「この作品の普通のゴブリン」の大きさが分からないからアレだけど、仮に人間の半分のサイズだとして、「巨大ゴブリン」なら人間より一回りか二回り大きいくらいでも十分に大きい。それとも熊? あるいはゾウ? 10階建てのビルと同じくらい? それをさらに超える?
「大きい」というだけでは、何も表現したことにはならないから。
それから、巨大ゴブリンの後に出現した「蝿王」。これについてはそもそも大きさが書かれてすらいない。まあ、素材が巨大ゴブリンなのだからそれなりの大きさなのだろうけど、その大元の巨大ゴブリンの大きさが分かっていない。それに、一度バラバラになった後に再生したのだから、縮んでいる可能性も高い。
これらは「わかりやすくダメな例」であって、例えばキャラクターの容姿であるとか、町の風景の様子であるとか、万事この調子で「作者は説明したつもりになっているけど、読者には何も伝わっていない」というのが多すぎる。
▼キャラクターが薄い
登場する人物ほぼ全てがうすっぺらで、中身がない。
「それなりに重い過去とか凄い設定を背負っているっぽい」雰囲気は感じられるけど、それがどうした? それらはキャラクターの魅力に何の貢献もしていない。
これは、実際にキャラクターの背景がどうこうよりも、作中での描写が全てを台無しにしているという印象。
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』の一つの形として、キャラクターが薄い。
何故そうなってしまっているのか?
一人称――登場するキャラクターの主観でストーリーを語る形式。
コレをあなたは使いこなせていない。そして、使っている目的がどうあれ、結果的には使っている意味がない。
描写・説明の不足が「『個々の文章』のダメなところ」であるなら……
一人称を使っている意味がない・使いこなせていないのは「『作品全体の構成』のダメなところ」です。
▼▼一人称を使っている意味がない(プラスマイナスゼロ、ややマイナス寄り)
例えば、1章までで主観を担うのはナスターシャ、クレア、フィリアの三人だが、この三人の区別がつかない。
三人は性格も立場も違うはずなのに、根本的な「キャラクター性が全て一緒」である。いや、「同じ内容のキャラクター性」というよりは、「同じように三人とも中身がない」と言うべきか。同じ肉付けをしてしまって似通ってしまったのではなく、肉がなくて骨しかないから結果的に同じになっている、という。
一人称なのに、それぞれの主観で語っている箇所がほとんど無い。皆無ではないが、ごく少ない。単に「そこに何があるか、そこで何が起こっているか」の説明に終始しているだけ。しかもその説明に「そのキャラクター独自の感想」などが挟まっているわけでもない(あっても印象には残らない)。「誰々が何々をした」という説明しかしないのであれば、一人称でストーリーを語る意味はない。
それぞれのキャラクターが初登場した回などは、(あなたの気合が入っているからか)まだマシに書かれているが、回を追うごとにキャラクターが希薄になっていく。
語り口調も、ほぼ全て一緒になっている。タイトルに名前が入っていなかったら、誰が語っているかまず区別がつかない。
0章での戦闘は実質一話で終わっているが、1章の戦闘は数話かけていて、ナスターシャとフィリアの二人の視点が採用されている。0章の方は混乱しなかったが、1章ではナスターシャとフィリアの区別がつかないから、読んでいる途中でどっちが語っているかタイトルを確認せねばならなかった。
戦闘の描写は一本調子で、先に言ったように「誰々が何々をした」という説明しかしないから、誰が語っていても同じだし、逆にそこへまれにキャラクターの主観が入った時にはじめて「ああ、これって一人称だったけ」と思い出す。そしてその一人称がまた、誰の視点なのかわからない。「タイトルを確認せねばならない」ほどに中身が薄く、区別がつかない。
たいてい、一人称を採用した作品というのは、その語り手が作品の顔として第一に印象に残るものだが、この作品はむしろ「顔の無い語り手」であって誰が語っていても一緒だから、印象に全く残らない。
▼▼一人称を使いこなせていない(明らかにマイナス)
より正確には、「一人称を使って複数のキャラクターの視点変更を行う、ということを使いこなせていない」。いや、「一人称自体を使いこなせていない」というのも間違ってはいないが。
「一人称を使って複数のキャラクターの視点変更を行う」という『手法』自体は(ある意味で)よくある。だから、これ自体はいい。
だがそれもこれも、この『手法』のメリットとデメリットを把握し、効果的に使う、「使いこなせる」ことができて初めて有効となるのであって、あなたにはそれができていない。
例えば、この作品の主人公って、ナスターシャですよね? あらすじを見る限り。でも、この作品を読んでも、ナスターシャが主人公であるとは伝わってこない。
クレアとフィリアの初登場時、ナスターシャの視点ではなくクレアとフィリアのそれぞれが視点人物として登場しています。
何故、こんな構成にしたんですか?
多分、「楽だから」ではないですか? 視点人物にして本人に語らせた方が、キャラクターを示すのに楽だから。
でもそれは、「作者の都合」であって、読者にとって有効な構成ではない。『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
この構成で、クレアとフィリアのそれぞれが見たナスターシャの印象、というものは語られている。でも反対に、「主人公であるナスターシャが見た、クレアとフィリアそれぞれの印象」がない。後でフォローもされていない(あっても印象に残る描き方をしていない)。
ゆえに、大雑把な印象として、
・クレアとフィリアはナスターシャのことを見知っている。
・けれど反対に、ナスターシャはクレアとフィリアのことを何も知らず、通りすがりの赤の他人でしかない。
――と見える。
だって、「クレアとフィリアの初登場時、ナスターシャの視点ではなくクレアとフィリアのそれぞれが視点人物として登場している」んですから。しかもその後、まともなフォローもない。
・端的に言えば、主人公のナスターシャは孤独で、他の二人とまともな接点がない。
・そのくせ、他の二人が再登場した時には、何故かある程度の関係性が構築された態で描かれている。(が、中身が伴わないのでやっぱりその関係は希薄に見える)
そして、0章の戦闘。オープニングでナスターシャが乗り越える最初の難関。
なんでコレを、クレアの視点で描いてしまっているかなぁ。
やっぱり「楽だから」? 戦闘能力で勝るクレアが主導していた方が、話を組み立てるのが楽だから?
で、ナスターシャの見せ場を無くし、まだ登場したばかりでどんなキャラクターかはっきりしていない主人公の成長の過程を描かず、ナスターシャの苦労がほぼ印象に残っていないのに、その後何故かナスターシャはスクールへ行く決心をする、というわけのわからない構成になっている。
ぶっちゃけ、この作品の主人公って、クレアだよね?
0章が終わった時点ではそう思った。それで1章がナスターシャ主人公(っぽい)構成になってても、「ナスターシャ? ああ、クレアのおまけ?」くらいの認識でしかなかったし。
▼▼キャラクターが描けていない
「一人称自体を使いこなせていない」にも被るけれど、そもそものキャラクターも薄っぺら。
・何故ナスターシャはスクールへ行くことにしたの? 動機は?
・何故ナスターシャはスクールのきつい訓練に耐えられるの? 動機は?
・何故ナスターシャは蝿王の使い魔(?)と命をかけて戦うの? 動機は?
全部、中身がない。
スクールへ行くことにした経緯は、0章の戦闘描写がクレアの視点だったから、例えば「強くなりたい」とか「大事な村を守れるようになりたい」とかだったとしても何の実感も説得力もない。
スクールに行ってからの努力も、そもそもスクールに来た動機が不明瞭だから、単に状況に流されているだけにしか見えないし、その成果を見せる大事な場面であるはずの、別クラスとの試合ですら、これまたクレアの視点で淡々と結果だけが語られているから、ナスターシャが自身の努力をどう思っていて、どう自信をつけてきているのか何もわからない。
ナスターシャが蝿王の使い魔と戦う理由? ここまでの経過で何も示されていないのに、わかるわけがないって。
基本的に、この作品の大半は「誰々が何々をした」という説明だけ。そこに付随して盛り上げるためのキャラクターが何も描かれていない。喜怒哀楽もなく淡々と、ただ事象を追っているだけのメモも同然。
作者の脳内ではそれぞれのキャラクターがどんな思いでそれら「誰々が何々をした」を想像できているかもしれないが、それを読者と共有するための努力が何もない。実際に努力したかどうかはともかく、少なくとも、何も感じ取れない。
『他人が読む、ということを意識しては書かれていない』
▼
以上です。
誤字とか、おかしな表現になっている文章とか、他にもあげればキリがないくらいですが、根本的に、あなたの作品はそれ以前のものです。
もっと、『他人が読む』ということを意識しましょう。
まずは、そこからです。
▼▼追記
各話の最後にあるソーニャとドゥーニャの寸劇。あれ、どうにかしなさい。
ああいうのは、「オマケ」だから許されるのであって、そこから逸脱したら邪魔にしかならない。
例えば「1-3」の『騙し』とか、「1-14」の『ネタバレ』であるとか、読み手にとっては興ざめにしかならない。
それからああいうのは、更新の最新話だけを継続して読んでくれている人には「うれしいオマケ」かも知れないけど、今回の私のように、溜まっている連載を一気に読もうとする人間にとっては、作品の流れをブッチ切って、そこまでに積み上げてきた雰囲気とか感情移入とかを全てリセットさせるってことだからね? 連載の次の掲載まで何日か待たされる人にとっては気にならないかもしれないけど、ページをめくれば続きが読める状態で、一話一話気持ちをリセットされるってのは、読みにくいことこの上ないから。
活動報告でやるとか、最新話だけに書いて過去話のものは消して別にまとめるとかしたほうがいい。