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第一章

 大小様々な国が乱立するエナレア大陸。
 その大陸に存在する国家の『王』の傍らには、守護獣と呼ばれるものがあった。
 守護獣は古来よりその大地に存在し、災厄を遠ざけ実りを豊かにし、『王』とその一族を守ってきた。
 しかし戦乱が続き、血で大地を染めた人間という種は汚れ、いつしか守護獣たちはその姿を消してしまったのだ。
 清廉なる魂を持った『王』の器たる者のみ、再び契約を結ぶことが叶う。
 伝説のようにそう囁かれていても、ふさわしい者は未だ存在し得ないと言われていた……






 嫁ぐ相手が皇太子であるといっても、ラスの扱いは所詮側室である。
 正妃であれば盛大な結婚式も催されるだろうが、側室には特別な儀式などはない。労力がかかるのは、側室の荷物を皇太子の住む宮殿に運ぶくらいだ。
 エンダスと帝国は隣り合っており、荷物のことを考えても馬車で5日とかからず到着する距離である。
 その馬車の中、ラスは過ぎ去っていく帝国の景色を眺めていた。

「あまりにも大きな差だな。国力も、そして為政者の手腕も……」

 どこと比較しているのかは明らかである。エンダス大公の手の者が聞いていれば、不敬であるとしただろうが、車内にいるのは侍女のシュニアだけである。しかもご丁寧に盗聴防止の簡易結界も張っていた。

「聡明な人物が必ずしも名君であるとは限らないが、少なくとも名君が愚直なことはなかろう」

「一応興味はあるんですね。自分の夫になる人物に」

 やや驚いたようにシュニアが言った。
 付き合いの長いシュニアから見ても、婚姻を受け入れたラスがあまりにも淡々としていたからだ。
 つまりは割り切っているということなのだろうが、単純に相手が誰であろうと気にしていないのだとシュニアは認識していた。

「てっきり男には興味がないのだと思っていました」

「おいコラ。それは誤解を招くだろ」

 ラスとて一応女である。
 一応、と付けねばならないのはラス本人も自覚していたが。

「間違えました。部下にならない男には、です」

 ラスの趣味と言えば、金儲けに人材収集である。あと魔術の研究もあったが、前二つに比べたら手慰み程度のものだ。もっとも、どれも高貴なる姫君には似つかわしくない代物である。

「男の友人もいるんだがな……」

「半分下僕志願者じゃないですか」

「…………」

 それはちょっと、否定できなかった。


 帝都ガルディアに到着したエンダスの一行は、整然とした町並みとその奥にそびえたつ荘厳な城に目を奪われることになった。
 エンダスにも城はあるが、帝国のそれはおそろしく規模が大きい。
 大国たるにふさわしい堂々とした城は、芸術的な面のみでなく、機能的にも充実しているのだろう。もちろん戦時中の機能も。
 過去何度かガルディアは戦火に飲み込まれたが、現在にいたるまでこの城が陥落したことはなかったはずだ。

 ラスとシュニアが乗る馬車は、そのまままっすぐ城へ向かった。
 まず誰よりも先に、この国の最高権力者で、嫁ぐ相手の父親であるガルダ皇帝に挨拶をしなければならないからだ。
 謁見を申し出たラスたちは、とりあえず控えの間へと案内された。

「お連れになった侍女は、一人だけですか?」

 立派な口髭を生やした侍従長は不思議そうにそう口にした。
 姫君らしく、侍女をぞろぞろと引きつれてくるとでも思っていたのだろう。意外だ、と顔に書いてある。

「ええ。もういつ帰郷できるのか、わかりませんから。まだ年若い少女たちを故郷や親しい人々と引き離すのは可哀想です。それに、私には気心の知れたこのシュニアがいてくれれば十分ですわ」

 ラスは華やかな笑みを浮かべてそう答えた。
 いつものやや粗雑ものとは打って変わった優美な言動である。
 彼女は卓越した演技者でもあった。一般家庭にでも生まれていたら、今頃は名優として名を馳せたのではなかろうか、とシュニアは思う。

 数瞬ラスの笑みに見とれた侍従長が我に返る。

「しかし、一人では何かと不自由なこともあるでしょう。こちらでも何人か手配をしておきます。…お時間です。謁見の間にご案内しましょう」


 ラスは皇帝という人物になんらかの期待を持っていたわけではない。
 しかし実際に会ってみて、彼女の皇帝に対する評価は可もなく不可もなくといったところであった。むしろ失望のほうが強かったかもしれない。

 今の皇太子が立てられてから、その実権は皇帝から皇太子へと移ったという。それも皇太子が権力を奪ったのではなく、皇帝が譲ったというのだから才を見抜く目はあったのだろう。
 だが楽隠居同然の生活を送っている皇帝は、いかにも覇気がなく精彩を欠いた印象を受けた。
 ガルダ皇帝フォーマルハウトは玉座からラスを一瞥すると

「皇太子のこと、よろしく頼む」

 そう一声かけてあっさりと謁見は終了した。

 ラスからしてみれば拍子抜けもいいところである。
 だが逆にいえば、今回の婚姻に関して、皇帝はあまり興味がないのだろう。
 息子の側室ごときに、一々かまってなどいられないというのだ。
 強国の姫ならばともかく、ラスは戦敗国の出身であるから。
 やはり今回の婚姻は、皇太子本人が絡んでいると見て間違いなさそうだった。


 皇太子は専用の宮を与えられており、ラスもそこに住まうことになる。
 皇帝との謁見が済めば、次は大本命である皇太子だ。
 だが、皇太子宮に入った途端、ラスたちは奇妙な違和感を感じることになる。

「警戒心、というか敵意剥き出しですね……」

 シュニアがラスの耳元で囁いた。ラスも小さくうなずいて同意を示す。
 別に盛大に歓迎して欲しいなどとは思わないが、この空気は異様だ。
 使用人、特に侍女や下女たちからの視線が痛い。

「どうします?付いて行った方がいいですか?」

「……いや、いい。シュニアは荷物の片づけを頼む」

 下手に人任せにして滅茶苦茶にされてはたまらない、と言外に伝える。
 巧妙に隠されてはいるが、人には見せたらマズイものが多少なりともあるのだ。
 シュニアもそのことをよく心得ていて、さして反対せずにラスと別れた。

「こちらで皇太子殿下がお待ちです」

 ラスを案内してくれた見知らぬ少女は、そう言うとそそくさとその場を去って行った。
 振り向きざま、含みのある笑みを浮かべていたことがラスとしては非常に気になる。
 執務室というわりにはいささか扉が大きい気がした。廊下に見張りもいない。

「失礼します」

 何にしても、一声かけてから入室するのは礼儀であろう。
 普通姫君は自分で扉を開けたりしないものなんだがな、と自分が姫君らしくないことを自覚しつつラスはその部屋に入った。

「……っ!?」

 そこには執務用の机や椅子、書類などもなかった。
 あったのは巨大な温室である。
 植えられた南国特有の植物たちは珍しいものであったし、その温室が如何に贅をつくした代物なのかは一目でわかった。

 だが、ラスを驚かせたのはそんなものではない。

 そこには、巨大な白い虎が悠々と寝そべっていたのである。


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