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第一章

 以前、冗談交じりに仲間から尋ねられたことがある。

「あんた、将来は何になるつもりなんだ?」

 迷わず即答した。

「大公になる」

 あまりにも自信に満ちた笑みで答えたせいか、仲間たちはそれこそ冗談だと思ったようでどっと笑った。
 本気も本気だというに、と心の中で苦笑する。
 そう。そのときはまだ冗談にしかならないほど、持てる力は少なかったのだ。
 そのときは、まだ……








 明け方開かれた戦端は、夕暮れ時の濃い橙色に包まれて、終焉を迎えようとしていた。
 戦場を馬で駆けまわるラスは、もう何人目かもわからぬ敵兵をその深い青の瞳で鋭く見据えた。切れ切れになる息を粘つく唾液とともに飲み込む。長い黒髪は一つにくくられているものの、乱れた一部が汗で頬に張り付いており、傍から見ても疲労の色は濃い。
 敵の技量は大したことないとはいえ、朝からほとんど戦場に出突っ張りの状態なのである。もう積極的に剣を振るう体力は残っていない。
 それをチャンスとみた敵兵は、攻撃を仕掛けようとして無防備に剣を振り上げた。そうしてがら空きになった敵の胴を薙ぎ払う。
 迷いないその一撃に、敵の騎兵はあっさりと転落する。

 ラスは馬上からそれを見届けると、鈍いが遠くまでよく響く太鼓の音を聞いた。
 敵の退却の合図であった。
 ただし、敗走ではなく、勝利の凱旋の為の。

 ラスは悟らざるを得なかった。
 敗れたのだ、帝国に。
 予想された未来ではあった。だが、その事実がラスに重くのしかかる。

「ご無事ですか?頭領」

 耳慣れた声が蹄の音と共に飛び込んできた。
 駆け寄って来て声をかけたのは、ラスの腹心である青年だった。
 もう数年来の付き合いになり、今回の戦いでは別動隊を任せていた。
 日に焼けた肌に、尖った顎、目鼻立ちのくっきりした大層な美丈夫であったが、女を口説くためにあるようなその唇からは、甘い言葉ではなく、辛辣な言葉ばかりが飛び出す。

「ついにというか、やはりと言いますか。まあ、予想に違わぬ展開でしたね」

「……ああ」

「この後はどうします?」

 ラスはその問いには答えず、逆に問い返す。

「レックス、死傷者の数は?」

「幸いなことに死者はほとんど出ていません。重傷者は何人かいるようですが、すぐに治療に回したのでなんとか助かるでしょう」

「矢面に立たされていた割に、被害は少ないな」

「うちの小隊長は有能ですからね。個人の戦闘力だけでなく、指導力も」

「だな。負傷者の応急処置が済みしだい撤退する。収拾急げ」

「了解」

 レックスが了承を示し、指示を実行するために再び離れていく。
 ラスはそれを見送り、自分の右腕とその先に握られた剣に目をやった。

「血塗れだな…」

 剣は夕日を受けてオレンジの光を宿していた。その切っ先から、ぽたりぽたりと血が落ちていく。
 黒い服についた赤はそれほど目立つわけではなかったが、染みついた血の臭いとじっとりと重くなった袖が、否応なく流された血を想像させた。
 多くの兵士たちの亡骸が、むなしく戦場に転がっている。
 帝国のよりエンダスのそれのほうが多いことは、想像に容易い。

「たくさん死んだ」

 幸いにもラスの部隊の被害は少ない。
 けれどまったくなかったわけではないし、逆にいえば自分の部隊以外の被害が甚大であることを意味していた。
 局地的な勝利など、戦争では大した意味を成さないのだ。

 無能な指導者によって、多くの命が失われた。
 そして今後、敵国からの要求によって、さらなる負担が民にのしかかることになる。

「俺に、もっと力があったなら……」

 状況を打破するだけの強い権力を持っていれば、救えた命がどれほどあっただろう。
 痛いぐらいに拳を握ることでしか、やりきれない思いを表すことができない。

「いや、そう思うことさえ傲慢なのかもな……」

 そう言って握った拳から僅かに力を抜くと、剣を振るって血を払い、鞘へと収める。
 やるべきことはいくらでもある。部下ばかり働かせるのは申し訳ないというものだ。
 ラスは馬首を翻して駆け出した。



 戦敗国は戦勝国の要求を呑まなければならない。
 戦争するのにも莫大な金と労力を消費するのだから当然と言えば当然だが、負けた国にとって大きな負担であることには違いない。
 そして今回、ノアンロン平原でのガルダ帝国との戦いに敗れた聖エンダス公国は、帝国からどんな無理難題を突きつけられるのか戦々恐々としていたのである。

「へっ…!?」

 オグナは交渉の場に似つかわしくない素っ頓狂な声をあげてしまった。
 彼はエンダスより帝国に遣わされたのだが、国力の差を考えれば、どんな要求も受託する他ないと思っていたのである。
 どれほどエンダスが抗議しようが、帝国にはそれを抑え込む力があった。経済力でも武力でも、エンダスは帝国に遠く及ばない。
 よって領土の割譲、悪くすれば帝国への併合を求められるかもしれない。そう予想していたのであるが……

「第6公女殿下……ですか?」

 聖エンダス公国第6公女セラスティア・アロン・ルーエンダス。
 オグナはその人物の顔を思い出すことができなかった。
 確か病弱で、ほとんど人前に姿を見せる事が無かったはずだ。母親の身分も低く、まったく重要視されていない。
 まだ第7公女を指名されたほうが納得がいった。
 第7公女リニルネイア・フラウ・ルーエンダスはその美しさと愛らしさが周辺国にも広く広まっており、いくつもの国の王族から求婚が申し入れられている。
 なにより、彼女は特別な予言を受けた存在だった。
 母親の身分も高く、後ろ盾もしっかりしている。エンダス大公の長子でないにも関わらず、次の大公は彼女の夫になった者だとさえ言われていた。
 それに比べれば、どう考えたところで第6公女など見劣りするというのに……

「本当に、第6公女殿下でよろしいのですね?」

「くどい。何度も同じことを言わせるな」

 途端に放たれる殺気に、オグナは震えあがった。
 慌てて深く頭を下げる。

 相手は大帝国の皇太子であり、いくつもの戦場を勝ち抜いてきた武将である。
 文官として働き、戦場の空気に触れたことさえないオグナには、その一瞥だけでも刺激が強すぎた。
 そして一官吏に過ぎない彼にしてみれば、帝国の怒りを買ってわざわざ条件を厳しくする理由などなかったのである。


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