「私ね。自分がずっと、他のアルメとは違うんだって思いながら生きてきたの」


「違うって?」

 マリが首を傾げる。

「アルメはね、生きる為の様々なことをナノマシンに頼っているの。例えば体調を維持したり、身体能力を強化したり。地球人に比べて寿命が長いのもそのせい」

「うん。それは何となく…知ってる」

「女性だけの星になってしまって、自分達の存在を維持する為にナノマシンが開発された。ナノマシンがなくては、アルメはすぐに滅んでしまう。だから私達は生まれてすぐに、体内にナノマシンを取り込んで成長するの。それは、私も、ツバエルも同じ。……でもね」

 萩乃は一旦言葉を切り、マリに向き直る。

「マリさんはアザナエルに会ったことがあるでしょう? 覚えている? 前に、ブルーで……」

 萩乃を恋人の敵として憎み、復讐の為にマリを利用したアザナエル。
 しかし今となってはそれすらも、誰かの手によって仕組まれた事であったと解る。

「……うん。覚えてるよ」

「彼女の容姿も覚えている?」

「容姿? うん、何となくは」

 マリはブルーで会った時のアザナエルを思い浮かべる。
 萩乃に比べて背が高くがっちりしていて、いかにも軍人、といった強そうな雰囲気を纏った人だった。
 マリが思ったままそう伝えると、萩乃は少し困ったような顔をした。

「うーん。そういうことではなくて…」


 少々論点のずれた会話をしている萩乃とマリを見ながら、ツバエルは確信めいた予感を覚えていた。

 ―――コマンダーはやはり、ご自分のことを……。


「ナノマシンを体内に取り込むと、その副作用でアルメの髪色は白、若しくはそれに近い色になるの。瞳が青くなるのもそう。だけど私の髪と瞳は黒いままだった。それは遺伝子に異常があるからだとか色々言われて、周囲にはずっと奇異な目で見られてきたわ。私は何故か幼年施設にいる頃から軍に入ることしか頭になくて、周りから噂されても別に気にはならなかったけれど、でもやっぱり何故なのかしら、と思うことはあったの。何故、私だけが皆と違うのだろうって」

「ふぅ〜ん。そう…なんだ」


「ツバエル。この間マリさんが凄くリアルな夢を見た、という話をしたわよね?」

「は、はい!」

 見つめていた萩乃に急に話を向けられ、ツバエルは慌てる。
 数日前萩乃が最後にツバエルの元を訪ねてきた時に、確かにそんな話をしたことを思い出す。

「あの日、ここに戻ったら、マリさんは夢にうなされていたの。目を覚ましても酷く怯えていて……」

 その時のことを思い出したのか、萩乃は辛そうに眉を顰める。
 ツバエルはそんな萩乃を見ていられずマリに目線を向ける。

「マリさんがそれまでに見ていたものはただの夢なんかじゃなかった。その晩マリさんは忘れていた記憶を全て思い出したのよ。あの、神隠島の出来事も、全て」


 ―――全て……っ!?


「ほ、本当なのか……?」

 ツバエルは驚愕しつつマリに問う。
 マリは神妙な面持ちで頷いた。


「それからね、ツバエル。驚いているところ悪いのだけど、その次の日に、私もずっと忘れていたことを夢で……思い出したのよ」


 ―――えっ!?


今度こそ、心臓が止まるのではないかと思った。

 ツバエルは目を剥いて萩乃を振り返る。


「マリさんにも、まだ詳しく話してはいなかったの。今日にでも話そうと思っていて。でもまさかツバエルが来てくれるとは思わなかった」

 萩乃は穏やかに微笑んだ。


 ―――思い出した……?

 ツバエルは穴が空くほど萩乃の顔を見つめる。
 
 ―――本当に全てを?

 目の前の萩乃は、ただ静かに微笑んでいる。


 ―――それなら何故、そんな風に笑えるのですか?


 ―――コマンダー……。



 すっかり前置きが長くなってしまったわね、と萩乃は呟く。


―――――そして、言った。


「さっきツバエルの話に出てきた、“ドクターエタリエル”というのは、私の母親……なのよ」




 ……………………
 ………………
 …………




 マリは萩乃の言葉を、一瞬理解出来なかった。


 『さっきツバエルの話に出てきた、“ドクターエタリエル”というのは、私の母親……なのよ』


 今、確かに萩乃はそう言った。


―――――しかし。


 ツバエルの話によれば、ブルーが神隠島で事故を起こしたのは初めから仕組まれていたことで、その為にブルーを細工するように指示したのが“ドクター何とか”と言う人だ、と言わなかっただろうか?


 ―――それって、つまり。

 ―――“母親”が自分の“娘”の艦に、事故を起こさせようとした、ってこと?


―――――そう思った途端。

 かぁっと頭に血が上り抑えきれずに大声を出してしまう。


「何でっ!? どうしてお母さんが萩乃の艦に細工なんてさせるのっ!? 萩乃が、萩乃が死んじゃうかもしれなかったのにっ!!」


 萩乃もツバエルも驚いてそんなマリを見つめる。萩乃は悲しみと喜びの入り混じった複雑な表情でマリの手を取る。

「マリさん……」


「萩乃も何で!? 何でそんなこと、平気な顔して話せるの? どうして萩乃がそんな目に遭わなきゃいけないの? そんなのおかしいじゃない!!」

 激昂するマリを萩乃が抱き寄せる。

「マリさん、大丈夫だから少し落ち着いて。他の部屋に聞こえてしまうわ」

「でもっ! 萩乃ぉっ!」

 マリは萩乃にぎゅうっとしがみつく。
 萩乃はマリの背中を撫でながら、大丈夫よ、と囁く。

「ありがとう。私の為にそんなに怒ってくれて。だけど、隠し事はもうしないって約束したでしょう? 全部話すから、マリさんも最後まで聞いてくれる?」


 背中を撫でる萩乃の手の温もりに少しずつ落ち着きを取り戻したマリは、萩乃を抱きしめたままこくん、と頷いた。




 ……………………
 ………………
 …………




「私は自分でも思っていたように、やはり普通のアルメとは違っていたの。私はね、さっき言った母親、“ドクターエタリエル”が責任者を務めていた“遺伝子研究所”で育ったのよ」

「それって…何するとこなの?」

 マリが萩乃に尋ねる。

「アルメは女性同士で生殖…出来るけれど、長い目で見たら必ず滅んでしまうと解っていたから、母星ではアルメとの交配が可能な他の種族を探していたの。それで見つかったのがこの地球だったのだけど……。これは前にも話した…わね?」

「うん」

 ほんの少し頬を赤らめてマリが頷く。

「交配出来るというだけでなく、生まれた子供がその後、母星の環境で暮らして行くことが出来るのか、アルメと混血になることでどんな差異が出るのかなど、色々調べる必要があった……みたいね。そこではそういったことを研究していたの」

 萩乃の顔に僅かに影が差す。マリは気付かなかったが、事情を知っているツバエルにはそれが解った。


「萩乃のお母さんが働いていたから、そこで一緒に暮らしていたってこと? それが特別なの?」

 アルメの成長概念を持たないマリが不思議そうに問う。

「ううん。そうではなくて……」


 ―――どう話したらいいのかしら。

 萩乃はマリをなるべく刺激しない言葉を探し、しばし考え込む。

 ―――自分で言うのも何だけれど、驚くのが普通…だものね。

 先程のように、マリがショックを受けるのを見るのは辛い。


―――――考える内に。

 萩乃は自分自身のことながら、マリの反応を何よりも気にしていることに気付く。

 確かに酷い記憶ばかりで、思い出しただけで気分が悪くなる。

 だがあの日々を一人で耐えていた小さなエカリルが、萩乃に勇気をくれた。

 マリと生きている“今”の為に、自分が生まれ、生き抜いてきたのだと気付かせてくれたのだ。


 ―――そう、私はあの過去を……。

 ―――本当に吹っ切ることが出来たんだわ。


 
 “母”が自分を疎んじていたことは良く解っている。

 アルメの“母”にとっては、交配した“もう一人の母”も、その母から生まれた自分も、ただの研究材料でしかなかった。
 元々、アルメが地球人――フォリメ――を、下等生物と認識するのは当たり前とされていて、少なくともこの星に来る前の自分にも、そういう意識がなかったとは言えないのだから。

 エミルフォースドライブの暴走実験にしても、思念凝結などという奇妙な物質に、科学者である“母”が何かしらの興味を抱いたのだとしても何ら不思議はない。


 ―――だから、もしかしたら……。


 『本来なら研究の必要のなくなったお前など、生かしておく価値はないんだ』 

 ラボを出て行くように言われた日、記憶を消される前に“母”が言った言葉。

 『お前の顔など、二度と見たくない!』


 “母”の顔にははっきりと、自分に対する憎しみが浮かんでいた。

―――――殺してやりたい、と。

 その場で殺されなかったのが不思議な程だった。


―――――もし。

 “母”がずっと、自分を殺したいと思っていたのなら。


 ―――ブルーを、私の艦を、実験台に選んだのも……。



「ツバエル?」

「は、はい!」

「母は…ドクターエタリエルは、私がブルーの艦長だと知っていたのかしら」


「………っ!!」

 ツバエルは絶句する。

 アザナエルから聞いた、“推薦状”の話が頭をよぎる。
 しかしそれを話していいものなのか、直ぐには判断出来ない。

 黙り込むツバエルに、萩乃が、ふっと微笑む。

「正直ね」


 ―――そう。やっぱりそうなのね。


 ―――でも、それなら。



「今の私は“母”に………感謝すらしているわ」


「え……?」


 ツバエルは萩乃の言葉と清々しいまでの笑顔に圧倒された。




 ……………………
 ………………
 …………




「ねぇ……。話が全然見えないんだけど」


 不満そうな表情で、マリは萩乃に訴えた。

「全部話すって言ったじゃない。萩乃が他の人と違うってどういう意味なの?」


 ―――さっきまではもの凄く深刻な話っぽかったのに。

 ―――自分を事故らせようとした母親に感謝ってどういうこと!?


 萩乃は大丈夫と言ったけれど、マリはまだ腹の虫が治まっていなかった。


 萩乃がそんなマリを見て笑いながら、手を握ってくれる。

 ほっそりして白い、綺麗な萩乃の手はひんやりと冷たく、マリは萩乃の手を温めるようにぎゅっと握り返した。


「マリさん。私はね、“実験体”……だったの」

 繋がれた手を見つめ、笑みを浮かべたまま萩乃が言う。

 ―――実験体、って……。

「……何よ、それ」

 ―――何か、嫌な響き。


「アルメと地球人が交配して生まれた子供が、アルメの星で生きられるのか調べていた、って、さっき話したでしょう?」


 ―――萩乃のお母さんの研究所。

 ―――遺伝子研究、の、実験体……?


―――――まさか。


「萩乃っ!?」


 目を見開いて萩乃を見る。

 萩乃はいつものように少し困ったような笑顔を浮かべていた。


「私のもう一人の母は、この地球の人間だったのよ」



 ―――それって……それって……。


「凄いねっ!!」


 マリは萩乃の両手を握り締めて目を輝かせた。

「そうだったんだ!! 萩乃!!」


 ―――半分は、地球の人だったなんて!

 ―――それって凄い! 凄く、嬉しい!


 踊り出さんばかりに喜ぶマリを、萩乃は目を細めて見つめる。

 一方ツバエルはそんな二人の反応を、呆気にとられて見ていた。


―――――しかし。

 無邪気に喜んでいたマリが、はたと動きを止める。

 ―――でも、実験体なんて呼ばれ方……。

「やっぱり、辛い思い、たくさんしたんでしょう?」

 手を握ったまま萩乃の正面に座り、瞳を覗き込む。

 先程までと打って変わって、泣き出しそうな顔になる。

「大丈夫よ」

 萩乃がマリの頬に手を当てる。


「辛い時も確かにあったけれど、今はとても幸せだから」




 ……………………
 ………………
 …………




―――――本当は、とても不安だった。


 でも、マリならばきっと受け入れてくれると思った。


 『マリさん。私はね、“実験体”……だったの』

 マリの手の温もりに励まされ、言葉は自分が思っていた以上にすんなりと口から出た。

 『アルメと地球人が交配して生まれた子供が、アルメの星で生きられるのか調べていた、って、さっき話したでしょう?』


 驚いているマリの顔。
 驚いてはいるが、拒絶や嫌悪など負の感情は一欠片も見えない。


 『私のもう一人の母は、この地球の人間だったのよ』


―――――“『凄いねっ!!』”

―――――“『そうだったんだ!! 萩乃!!』”


 萩乃の両手を握り締め、顔を輝かせるマリ。

 握られた両手から、マリの純粋な喜びが伝わってくる。

 いつでも萩乃の心を温め、明るく照らすマリの笑顔。


 その手の温もりも、朗らかな声も、あの夢で暗闇の中から萩乃を救い出してくれた時と同じ。


―――――“『やっぱり、辛い思い、たくさんしたんでしょう?』”


 萩乃を気遣う目。同じ痛みを同じだけ感じてくれようとするマリの優しさ。

 萩乃の悲しみも苦しみも全て包み込む、広く大きな心。

 その優しさを感じられるだけで、辛かったことなど帳消しになってしまう。


 ―――あぁ。マリさん。

 ―――あなたを心の底から愛してる。


―――――もしも実験台に選ばれたのがブルーでなかったら。

―――――そして神隠島の事故がなかったら。


 ―――あなたと巡り逢うことは、なかった。


 『辛い時も確かにあったけれど、今はとても幸せだから』


―――――そう。


 ―――あなたに出逢わせてくれたことを、


 ―――あんな“母親”にだって、感謝してしまうくらいに。




 ……………………
 ………………
 …………




 ―――コマンダー。本当にお変わりになったんだな……。

 見つめ合っている二人を見ながらツバエルは吐息をつく。


 以前の萩乃は、頑なでひたむきな、痛々しいまでの決意を胸に秘めて一人で闘う孤独な騎士のようだった。


―――――それが。


 今はまるで、陽の光を全身に受けて輝く、しなやかさと強さを合わせ持った美しい女神のようだ。


―――――そして。


 そんな萩乃の目線の先には常に。

 ―――“ヤツ”の姿。


 ―――全く何であんな……。

 内心で毒づきかけ、ふっと打ち消す。


 ―――コマンダーがお認めになっている人間だ。

 ―――私もそろそろ、認めよう。


 ―――“若竹マリ”を。




 ……………………
 ………………
 …………




「ツバメは萩乃の話、あんまり驚いてなかったよね。もしかして知ってたの?」


 マリに図星を指されてツバエルは慌てふためいた。

「ツ、ツバメじゃない! ツバエルだ!」

「別にいいじゃなーい。言いにくいんだもん」

 全く悪びれる様子もなくあははっ、と笑うマリに、ツバエルは拳を固める。


 ―――くっ、コイツはやっぱり……っ!



「コマンダー」

「何? ツバエル」

 萩乃がツバエルの方に向き直る。

 ―――やはり話した方が……いいだろうな。

 ツバエルは心を決める。


「実は、アザナエルから、その話も……」

 心を決めたつもりが、言葉尻が小さくしぼんでしまう。しかし萩乃にはそれだけで解ったようだった。驚いたように瞳を見開いている。

「本当に…知って、いたの……?」


「……はい」


「………そう」

 萩乃が目を伏せる。

 萩乃の表情が読めず、ツバエルは戸惑う。
 

 ―――もしかしたら知られていたと解って嫌な思いをされたのではないだろうか。


「あ、あの…コマンダー」

 不安になっておそるおそる声を掛ける。


「もしかして……そのことで苦しんでくれていたの? 私に……何て話したらいいかって」


 目を伏せたまま萩乃が問う。


「いえ、あの…」

 ―――私には……そんなことくらいしか……。

 内心で自嘲の呟きを洩らすツバエル。


―――――そんなツバエルに向かって。



「……ありがとう。ツバエル」



―――――萩乃が、微笑んでいた。



「……コマンダー?」


「あなたはいつも…昔からずっと、私を支えてくれたものね。いつも嫌な役目ばかり押し付けてしまって済まないと思っていたの……。本当にごめんなさいね、ツバエル。感謝しています」


 ツバエルに向かい、萩乃は深く頭を下げた。


 ―――そ、そんなっ!

「かっ、顔を上げて下さいコマンダー! 私は何もっ! 何も出来なくて……っ!」

 驚いたツバエルは萩乃に頭を上げてもらおうと慌てて言葉を重ねる。

「本当はもっとお力になりたいのに……。コマンダーの為に……何か……お役に立ちたいのに……」

 コマンダーの前でみっともない、と思いながら、溢れ出す涙を堪えきれない。

「申し訳……ありません。コマンダー…」


「そんなことないわ。本当にあなたは良くやってくれています。あなたがいなかったら私は、きっと今までやって来れなかった。だからそんな風に自分を卑下しないで。オノミルに聞かれたら叱られてしまうわよ」


「コマン…ダー……」


 悪戯っぽく微笑んだ萩乃に、ツバエルも泣きながら笑う。


「ありがとう……ございます……」


 ―――これから先もずっと、この方のために生きよう。


―――――そう、心に固く誓いながら。




 ……………………
 ………………
 …………




―――――その後。


 ツバエルはラトリル教官が贖罪の思いを込めて託してくれたマイクロエミルフォースチップの存在を萩乃に明かし、それによってレミノフシフトが可能になったことを説明した。  


「やはりラトリル教官も、犠牲者の一人だったのね……」

 萩乃が沈痛な面持ちで呟く。

「ラトリル教官の思いに応える為にも、私達は負けるわけにはいかない」


「マリさんのご両親やオノミル、その他の大勢の方達の命を奪ってしまった罪は、永遠に消えることはないけれど」


 ―――それでも、私は……。


 ―――これからもこの星で。


 萩乃がマリを振り返る。

 マリは頷いて萩乃の手を取る。



 ―――あなたと共に生きていく為に。



「私はアルメと、そして母と、闘うわ!」




 ……………………
 ………………
 …………




 ツバエルがシフトを解除し、部屋から姿を消した後。


「じゃあ私達も着替えて休みましょうか」

 ふうっ、と大きく息を吐いて立ち上がりかけた萩乃を、マリがぎゅっと抱きしめた。

「マリさん?」

 マリは答えずに更に強く抱きしめる。

「どうしたの? マリさん」


「……“辛い時もあった”って、さっき言ってたでしょう?」

「えっ?」

「萩乃が辛い思いしてた分、ちゃんと抱きしめてあげたいの。もし萩乃が知られたくないなら、心までは読まないから」

「マリさん……」

 マリの優しい心が流れ込んでくるのを感じて、萩乃もマリの背に手を回す。

「ありがとう、マリさん。でも、本当にもう……んっ」

 唇を塞がれ、黙らされる。

 ―――……あ。

 深い口づけ。そのままゆっくり床に押し倒される。 

 どきん、と心臓が大きく鳴る。

 ―――どう…しよう……。


 唇を離したマリが、覆い被さるようにして萩乃の瞳を覗き込む。

「萩乃が辛いのは私も辛い、そう言ったでしょ?」

流れ込んでくるマリの思念に、静かな怒りが含まれていることに萩乃は気付く。

「マリさん…怒っているの?」

「怒ってるよ」

「どう……して?」

 マリが目を伏せて溜息を吐く。


「萩乃がいくら大丈夫だって言っても、私は萩乃に辛い思いさせる人を許せないよ。それが例え萩乃のお母さんでも。ううん、お母さんなら、尚更」

「マリ…さん……」


「昔の辛かったことは消してあげられないけど、これから先は、さ……」

 また、唇が重ねられる。



 『ずっと私が、傍にいるよ』



―――――心の内側に響いた優しいテレパス。


 萩乃の身体がびくん、と震える。


「……服、皺になっちゃうね。着替えてベッドに行く?」

 マリが囁く。

「この前のお返し、してあげる」

 ―――お返し……?


「萩乃が辛いこと全部忘れられるように、一晩中キスしてあげる」

 萩乃の頬が朱に染まる。


 ―――そんなことされたら……。


「きっとまた…熱が出てしまうわ」

 マリがくすっ、と笑う。

「そしたらまた、ご飯作ったげる。学校もお休みして一日中ずうっと傍にいるよ」


「…………それ、いいわね」

「じゃ、決まり」

 マリが笑って身体を起こし、萩乃の手を取って立ち上がらせた。




―――――大好きな人が傷付けられるのは、自分が傷付くよりずっと辛い。


 ふざけて萩乃に抱き付きながらマリは考える。


 ―――萩乃の身体も心も、誰にも、ほんの少しだって傷付けさせたくない。

 ―――自分が萩乃にしてあげられることなんて、たかが知れているけれど。



―――――今はせめて。



「大好きだよ、萩乃。ずっとずっと愛してる」



 嘘偽りないこの気持ちを、真っ直ぐに。



―――――大切なあなたに、伝えよう。







       fin




BACK                      ページトップへ▲