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「人を笑い者にする」ことが許される条件

2013/02/17


「ユーモア」の名の下に人を貶めることについて、長らく考えています。これは隊長との騒動の前から、強く疑問を抱いているテーマです。


笑い者にするのが許される条件

人を笑い者にするということは、どんな理由であれ、忌避すべきことだとぼくは確信しています。どれだけ面白かろうが、個人名を挙げて誰かをあげつらうのは、醜く下劣な行為です。彼らは社会に「いじめ」を発生させている張本人です。


ただし、「人を笑い者」にすることが正当化される瞬間があることも確かです。

ぼくらはそれをしばしば、バラエティ番組の中で見いだします。「おまえバカだろ!」というツッコミで、会場に笑いが満ちるという瞬間です。「おばか」であることを売りにしたタレントが自分からツッコまれにいくのも「笑い者の正当化」の変形でしょう。

しかしながら、これは高度な芸であって、ぼくら一般人が真似すべきものではありません。たとえばバラエティ番組において、なぜ「笑い者にすること」が正当化されうるかを考えてみましょう。


ひとつは、「事前の了解」です。

バラエティ番組においては、バカにされる方もする方も、お互いに事前の了解があります。ツッコまれ役はツッコまれ役としての覚悟と自覚があり、ツッコむ方も同様の自覚があります。バカにされた方は「予想の範囲内」であって、それ自体美味しいことなんですね。

ネットにおけるユーモアの衣をまとった「罵倒」には、この事前了解がありません。攻撃を受けた方が「寝耳に水」であり、攻撃者の方も、事前に通告するといった配慮をすることはありません。突然笑い者にされることについて、ほとんどの人は不快感を覚えるでしょう。


もうひとつは「演技」であること。

バラエティの「罵倒芸」は、あくまで芸であって、全人格的に対象を非難し、貶めようとしているわけではありません。お互いがプロとして一部の人格を切り出し、その空中戦を見せつけているわけです。罵倒し、罵倒されているのは、本人の人格というよりは、ジョジョ的にいえば「スタンド」のような代替物と見てよいでしょう。

ネットにおける罵倒は、むしろ全人格的な否定を行いたいがために、言葉が紡ぎ出されます。ほとんどの場合、罵倒者も被害者も「演技」ではなく「生身」で戦うことになります。


最後に、もっとも大切なのは「相手の利益を願っているか」。

プロレスが好きな方に聞いたことがあるのですが、プロレスにおける「罵倒芸」の背後には「相手を立たせてやろう」という心遣いがあるそうです。相手の利益になるから「おいコラーッ!!」と罵倒するのであって、相手を貶めるために罵倒するわけではないんですね。ぼくはこの話を聞いて感動しました。

言わずもがな、ネットの「罵倒」には相手の利益を願うなんて態度は、1ミリも介在しません。単なる罵倒です。


というわけで、人を笑い者にする行為(罵倒芸)が許されるのは、以下の三つの条件が満たされる場合にかぎられるとぼくは考えます。

①笑い者と笑う者の間で、事前の了解がある
②あくまで演技、パフォーマンスである
③相手の利益を願った上での行動であること


みなさんも皮肉やユーモアという名目で、誰か気に入らない人を攻撃してやろうと思う瞬間があるかもしれません。巧みに笑いを誘うことができたとしても、それは上記の条件を満たしていない場合、単なる罵倒であることをよく認識すべきです。

ネットには「罵倒者たち」が溢れています。こうした悪徳はさっさと駆逐し、人間の文明を開花させましょう。

ネットに蔓延る罵倒者たちよ、あなたたちを「武装解除」したい – ihayato.書店


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