第四話
「…………」
ヴァンはそのままの姿で動かずにいた。相手は2mは優に超える狼。下手に刺激しない方がいいだろう。今のうちにここを立ち去るべきかとも考えたが、この狼が自分の気配に気がついてないわけがないとその考えを却下した。
安眠を邪魔された狼は不快感をあらわにしたまま、ヴァンに唸り声をあげた。
見つめ合うこと、数秒間。先に行動したのはヴァンだった。
「よ、」
ヴァンが何処からか緑色の飴玉を取り出すと、狼の口に向かって差し出した。
「起こしちゃったお詫び、どーぞ」
流石に狼にとっても予想外だったらしく、金色がかったその体を戸惑うように揺らした。
「君、聖獣だよね?何て名前?」
狼の目に驚きが浮かぶ。ヴァンはにっと意地悪そうに笑うと、当たりかなと言った。
「…………」
「……………」
互いに黙って見つめ合う。一度も視線を外さないまま、一分二分と時間だけが過ぎていく。
やがて、視線を逸らしたのは狼の方だった。ふうと諦めた様に溜め息を吐いた狼は、ヴァンにしか聞こえないような小さな声で名を告げた。
「……アシュレイよ」
「君、女の子なんだねー」
ヴァンの耳に届いたのは、耳に心地良く響くメゾソプラノの声。その落ち着きを感じさせる声は彼女が成熟していることを感じさせた。
にこにこと笑いながら、アシュレイの毛並みを堪能していたヴァンにアシュレイは不思議そうに訪ねた。
「貴女、何者なの?」
「んー?」
「私、普通の人には反応しないのよ。私より弱いから、だけど貴女は強い力を感じた。僅かに恐怖を感じるくらいに」
撫でられたままそう言ったアシュレイはヴァンに視線を合わせると
「貴女は何者?」
と聞いた。
少し考えるように遠くを見ていたヴァンは、首を傾げるとアシュレイの質問を軽くスルーして逆に問いかけた。
「君の『王』は皇太子殿下で良いのかな?」
「え?」
「君のご主人様は皇太子ラディラス?」
「ええ、そうよ」
もう一度問われた言葉に戸惑いながらも答えるアシュレイ。
「僕は君に危険分子だと思われたのかな?」
悲しそうに視線を下に落として呟くヴァンにアシュレイは慌てたように答える。撫でていた手も下ろたその姿には哀愁が漂っていた。
「違うわよ、ただ貴女がこんなとこに居るのが不思議だっただけ。危険ならこんな風に話してないわ」
「じゃあ、僕と仲良くしてくれる……?友達になってくれる?」
上目遣いで自信なさげに聞くヴァンに、アシュレイの母性本能は刺激され思わず勢いよく頷いていた。
「勿論よ」
「本当に……?」
「ええ、本当よ」
この時点でアシュレイは気が付くべきだったのだ。今まで話していたヴァンが精神的に弱そうな人間ではないことに。
「じゃあ、これからもよろしくねーアシュレイ」
あ、そうそう。皇太子殿下には僕のこと話さないでね。とさっきまでの態度が嘘のように話すヴァンに一瞬アシュレイは呆気にとられた後、騙された!と自覚した。
「貴女、演技だったのね」
ラディラスに話してやろうかしらなんて僅かな怒りを滲ませながら言うアシュレイにヴァンは
「アシュレイ……僕たち友達になったんじゃないの?」
少し落ち込んだ様子の上目遣いのヴァンに騙されたと知りながらもアシュレイは勝てなかった。
「う、と、友達よ……」
えへへ、やったと小さく呟いたヴァンに心がときめいたのはアシュレイだけの秘密である。
「じゃあ、そろそろ僕帰るねー」
そう言ってヴァンが立ち上がったのは庭園に来てから二時間ほど経った頃だった。あれからアシュレイの質問は軽くスルーされたままたわいもない世間話をしていた。といっても、ほとんど後宮や王城の造りについてヴァンが根掘り葉掘り掘り聞いていただけなのだが。
ひらひらとやる気無さげに手を振りながら、庭園を出て行こうとしていたヴァンはふと思い出したように振り返った。
「そうだ、アシュレイー」
「何?」
「僕の正体だけど…………
君のご主人様のお嫁さん、だよ」
悪戯っぽく笑い、その後一度も振り返ることなく去っていったヴァンの後ろ姿を見届けたアシュレイはぐったりと地面に横たわった。その顔には疲れが滲んでいる。
「ラディラス……」
知らないとはいえ何という少女を側室にしてしまったのだろうか、私の主は……。せめて私の主があの演技力に騙されないようにと願わずにはいられないアシュレイだった。
一方、自室へと帰るヴァンの顔には、何か楽しいことを思いついたような笑みが浮かんでいた。
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