第二話
その日オールディス公爵家に王宮から一通の通達が届いた。
その内容とは
「オールディス家次女ヴァレンティナ・メルティ・オールディスをラディラス・エーミス・バーネット皇太子殿下の側室として召し上げる」
というものだった。
ガシャンと音を立てて茶器が絨毯の敷かれた床へと落ちる。落とした人物、ヴァレンティナ付きの侍女シェリルはそのままの姿で硬直していた。幸いにして茶器は割れてはいなかったが、中に入っていた紅茶が絨毯に染みを作り広がっていく。
普段誰よりも色々な意味で優秀な彼女もこの時は流石に動けなかった。ぽかんという効果音が相応しいくらいに口を開けたままで。
「おーい、そろそろ戻っておいでシェリル。美人が台無しだよ」
ゆったりとした椅子に腰掛けていたヴァンが、そう声をかけてやるとやっとぎこちなくだが動き出した。もし声をかけなければいつまで硬直していたかは分からない。ぎこちなく動き出した彼女はそれでもしばらくその場を動かなかった。そして一度口を閉じた、のだが……。
「な」
「な?どうしたんだい?」
「何がどうなってるんですか!?」
小声だがはっきりとした叫び声をあげた。睨みつけるように、ヴァンに迫ってくる。目を見張るほどの美人であるのでその分迫力は倍増する。
「さあねー」
父親である公爵からの使者を退室させたヴァンはシェリルの睨みを軽く無視すると、僅かに口を動かして部屋に盗聴防止の結界を張った。
「とぼけないでください!」
同い年の昔なじみの侍女の鋭い言葉に、肩をすくめたヴァンは
「バレたのかもね、僕の正体」
とたいした事でもないように言った。
「な」
「な?」
「何をやってるんですか!?貴女は馬鹿ですか!!」
凄まじい勢いで迫ってくるシェリルに、馬鹿呼ばわりされた(一応主人の)ヴァンはこれ下手したら不敬罪になるんだけどなーなんて思いながらも(割と言われるのは慣れていたのだ)口を開いた。
「まあ、というのは冗談なんだけど」
と何処か気怠げに言った。いつの間にかヴァンは椅子の上でゆったりと胡座をかいていた。
「はい!?」
フルフルと拳を握りしめた自分の侍女に、ああ説教コースかなあなんて暢気な考えを浮かべたヴァンだった。
「はぁ……」
昔なじみの侍女のため息にヴァンは笑みを返す。シェリルはこの人にいくら言っても無駄だったと肩を落とす。全く反省した様子のないヴァンことヴァレンティナ・メルティ・オールディスは先日の黒髪に黒い服で戦場を駆け回っていた姿とは打って変わり、シンプルな翡翠色のドレスを着ていた。その肩を流れる髪は、煌めく白。元々この白髪がヴァンの地毛だった。
「うーん、まあ戦争で勝利してその総指揮を取った皇太子殿下に良い機会だからということで側室を娶らせるのは想像つくよねー。公爵家から一人くらい持ってきたいのも分かる。……だけど、敢えて有名どころじゃなくて僕を選んだ」
「…………何やったんですか……」
じとした目でシェリルはヴァンを睨む。その視線にヴァンは軽く首を横に振った。
「多分僕の正体がバレたわけじゃないと思うよ。……確か今までも皇太子サマに側室娶らせようとしてずっと断られてたでしょ」
「そうですね」
皇太子ラディラスは非常に優秀だった。その為に皇太子という立場だが、実際はラディラスが国を動かしていて現在の皇帝は名ばかりとなっている。そんなラディラスに宰相たちが黙っているわけがなく、早く世継ぎをと成人してから今まで何度も側室の話を用意しているが一度としてラディラスが頷いたことはなかった。
「戦争に勝利した。……ちょうどいい機会だと思った彼らが皇太子サマにごり押しして渋々了承させたんじゃない。で、皇太子サマの好みが分からないから取りあえず何人いや何十人って側室を用意しておく、と」
「それならば、ヴァンではなくても良いじゃないですか」
アルテミシア様の方がと言ったシェリル。
アルテミシアとはヴァンの異母兄弟だった。その可愛らしい容姿は国中だけに留まらず各国の王から求婚をされているほどである。また彼女は少し人と違う予言を受けた少女でもあった。
その言葉にヴァンは、ちっちと指を横に振った。
「アルテミシアはダメだよ。だってあの子は政治的価値が高いからね。王の側室、しかも臣下に下賜されるかもしれない立場なんかに使えない。だから、僕なんだよ。エイダお姉サマは家の跡取りでアルテミシアはさっき言った通り。それに比べて僕は一応公爵家の血を引いているけど母親は妾だ。側室としては扱いやすい」
そうヴァンは父である公爵の愛人の子だった。そのために屋敷の者にも疎遠にされていたし、堅苦しい貴族の令嬢の嗜みなどをきっちりと学ぶ必要がなかった。だからこそ、こんなにも自由なのだが……。
「まあ、僕の正体はバレないと思うよー。だって皇帝すら分かってないんだし」
ヴァンの正体とは、リントヴルムという名前の魔導士兼傭兵ギルドのマスターをしているということだ。マスターであるヴァン・メルティは黒髪に深紅の瞳の麗人で、リントヴルムは傭兵ギルドだが下手な騎士団よりも実力があると有名だった。リントヴルムはあまりにも暇を持て余したヴァレンティナが屋敷を抜け出し、実力のある破落戸たちを集めてギルドを造ったのが始まりだ。今では結構な大きなギルドにまで成長した。
「そうでしょうね」
「だから、心配しなくて良いよ。我がライバル殿も自分の側室にヴァン・メルティが居るなんて思わないだろうし」
なにせ僕世間では病弱な公爵令嬢だしね、と茶目っ気たっぷりにウィンクした。
こうしてヴァレンティナが後宮入りすることが決まったのだった。
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