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第一話
「時は動き始めた、か」
 遥かな蒼天を見上げたそれは、呟いた。何処か達観したその雰囲気は賢者の様だった。
「あれはどうしたか……」
 遠くを見るように目を細めたそれは、ふと口角を上げた。
「あれらしいな」
 そう言ったそれの周りに淡い光の粒が集まり始めるとゆっくりと包み込んでいった。
 ふと一陣の風が吹いた。その風が止んだ時には、もうそれの姿は何処にもなかった。

 時の大国バーネット帝国は広大な領土を所持している。起源は世界創成の伝説まで遡る。長い時代の中で名君と呼ばれる者の殆どがバーネット帝国の皇帝だった。

 バーネット帝国は規則と礼儀を重んじる国。故に裏切りには容赦ない制裁が与えられる。

 今回の戦は、その制裁だった。
「……っ」
 戦場を馬で駆け回っていたヴァンは僅かに残る敵兵を少し哀れみを込めたその紅の目で見ていた。大体の者はもう戦意が見えず、ただ怯えるようにヴァンを見ていた。まるで鬼神の様な強さで周りを圧倒していたヴァンは恐れの対象でしかなかったのだ。
 しかし、いくら鬼神の様だと言われていても所詮ヴァンは人間だ。体力に限界はある。言ってしまえばヴァンは疲労を感じていた。
 そんなヴァンを見たまだ戦意が残っていた敵兵はチャンスと思い無防備に剣を振り上げた。向かってきた剣を軽くあしらい、その胴をなぎ払う。一瞬にしてその騎兵は地面へと崩れ落ちた。
「まだ戦う意志があったんだね。もう少し大人しくしていれば生きられたのに」
崩れ落ちた敵兵を馬上から見下ろすと、呆れたようなため息を吐いた。
「全く僕を殺したぐらいで筋書きは変わらないのに」
その時、鈍いけれどよく響く鐘の音が聞こえてきた。
「やっと?遅いよ、皇太子サマ」
 ヴァンの国の退却の合図だ。

 制裁は終了したのだ。
「やっぱり勝つ、か」
 そう始めからほぼ勝利は確定していた。兵力、戦の指揮者の力量、様々なものが圧倒的に違う。そもそもこの国に勝てる国など存在するのだろうか…。何て考え込んでいるヴァンの耳によく聞き慣れた声が届いた。

「マスター」
「…アベル、大丈夫かい?」
 ヴァンの腹心であるアベルだった。彼との出会いは数年前、当時相当荒れていた彼をヴァンが矯正したことが始まりだった。以来、何故かとヴァンを慕っていた。その為、気が付くと腹心と呼べるだけの存在になっていた。
「オレは大丈夫です。貴方は?」
「僕も平気だよ。というか怪我しても治せるしね」
「そう簡単に言わないで下さい。貴方はオレ達のマスターなんだから」
 少し苛立ったように、睨んでくる部下の視線をヴァンは気付かない振りをする。この腹心は過保護だった。

「……この国を敵に回すのは嫌だね」
 殆ど人が残っていない戦場を眺めながらぽつりとヴァンは言う。
「王国の王は城を捨て逃げ出した様ですよ」
「守るべき王が民を捨てたか……」
 哀れだね、とヴァンは顔を曇りのない空へと向けた。
「誇りを捨てた者に何が残るんだろうね」
「さあ……ただあの王が馬鹿ではなければ違う結果になっていたはずです」
 甘い綺麗な顔に反して、そう言うアベルの表情と言葉は辛辣だった。
「そうだね……よし、帰ろうか。アベル、用意して」「了解しました」
 暗い空気を払拭するかの様に、明るく笑ったヴァンにアベルも笑みを返す。 
 アベルが他の仲間に知らせる為に再び離れて行った後、ヴァンはもう一度一つの曇りもない澄み渡る空を見上げた。
「僕らって本当に小さな存在だよねー。ねぇ?」
 空中の何かに話し掛けるように言ったヴァンはその視線を空から戦場へと戻した
 遠くにバルディア王国の兵士の姿が見える。
 今度はその視線を自分の周りへと移した。
 地面に転がるのは、もう何も出来ない亡骸。先程切り伏せた騎兵のものもあった。
「僕らはこんなにも弱い。自分を守る為なら他者の命だって簡単に奪う。……だから、」
 そこで一旦言葉を切ると、自らの剣を上に掲げた。
「だから、要らないんだよ。度を超えた力はいつか驕りになるから」
 ねぇ、  と呟いた名前は風に消され、聞こえることはなかった。


「行こうか」
 やるべきことはまだまだある。見えない何かにそう声をかけると馬頭を翻してヴァンは駆け出した。


 辺りに倒れる幾多の亡骸に、追悼の祈りを捧げて……。

 彼女が去った後、地面に転がる亡骸の傍に一輪の花が突然咲いた。

 その青く澄んだ花はまるで涙のようだった。


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