貴重なご意見をたくさんいただき、心より感謝します。
東京都八王子市の木村雅英さん(64)は「私は製造業に勤めていましたが、製造で出たごみの処理方法が決まっていない製品は造れませんでした。なぜ、原発は許されてきたのでしょうか」と、あらためて疑問を投げかけます。
江戸川区の女性はその意味で「少なくとも『自分たちが出したごみは自分で片づける=生産者責任』のモラルを果たしています」と、核のごみの埋設施設を建設するフィンランドを評価します。
そして「最終処分場は無理でも、最低限、放射性廃棄物の暫定的な安定保管に今すぐ取り組むべきではないでしょうか。廃炉への工程も、真剣に考えるべきではないか」と訴えます。
たとえ原発が止まっていても、核のごみの貯蔵プールが天災などで破壊されれば、放射能が降り注ぐ危険は残ります。
名古屋市北区の女性は「私は今まで見て見ぬふりをしてきたことを反省し、私の生活を支えてくれてきたエネルギーに対して感謝します。そして最終ではなく、これから私たちが核のごみをどうするのかを考えていきたい」と当事者意識をのぞかせます。
核のごみを増やし続けてきたのは誰でしょう。核のごみ処理は、原発立地と同様、都会には無関係なのでしょうか。
名古屋市中村区の佐藤秀夫さん(76)は「核のごみの存在を意識し、これ以上増やさないために、一市民一消費者として、なにができるのかを考え続けなければならないと、あらためて思ったような次第です」と、心中の決意を示してくれました。
静岡市葵区の増井良夫さん(64)からは「日本学術会議が提案したという暫定保管、総量管理については、結局のところこれしか選択肢はないと考えるものの、肝心の『安全性』に加え『時間』と『場所』について言及されないのであれば説得力に欠ける」との指摘を受けました。
どの文面からも未来の世代への責任感が、あふれ出てくるようでした。まったく同じ思いです。
“先進地”と言われるフィンランドでも、残念ながら明確なヒントを見つけることはできませんでした。だからこそ、これからもずっと考え、提言してもゆこうと思っています。みなさんと、ともに。 (論説委員・飯尾歩)
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