党名変更で国民に民主党の再生をアピール -韓国のハンナラ党からセヌリ党の党名変更にならう-(12年総選挙総括・民主党再生シリーズ その10) 1/2
2013年02月15日 14:40
民主党公認だけで拒否された悲惨な選挙
私はそれほどの場面に出くわしてないが、落選議員の皆さんの惨状を聞くと、民主党に対する反発はすざましいものがある。中山義活前議員は、街宣車を捉まれて「お前は民主党の代弁者か」といわれて民主党というだけで拒否反応を示されてしまったという。あちこちで同じことが起っている。何よりも準備不足の一期生に対して全く不意打ちをくらわす解散だった。それにもかかわらず岡田副総理が、選挙2日後の12月18日の記者会見で「選挙は最終的には個人の責任だ、野田首相の決断を理由に自分は負けたというのは努力が足りない」と逆撫でするような発言をして、またまた同僚議員の顰蹙を買っている。知名度もあり選挙地盤も安泰でお金もある、あまりにも恵まれすぎている岡田副総理のいつもの上から目線発言である。予想以上の大差をつけられて落選した民主党衆議院議員の傷口に大量の塩を塗り込んだ。
「純化路線」とやらは論外であり、そんな意図があるとは信じたくもないが、野田執行部以外は去っていいとも言わんばかりの発言には不快感しか生じてこない。
実際は、私も含めほとんどの人が民主党というだけで拒否反応を示されていたのである。その証拠が、小選挙区の個人票と比例区の民主党のおおきなギャップであり、私の場合は約4万票だった。篠原個人は支持しても、民主党は嫌だというのが私の平均的支持者像なのだ。
野田・前原コンビが二度も民主党を危機に陥れる
落選の心配のない超銘柄議員である前原国家戦略担当相も、「野田首相は約束を守る人だ」と早期解散を煽った。そして、57人という悲惨な結末に対して「解散が遅れていたら、もっと惨憺たる結果になっていた」と自己弁護をしている。野田首相も同じような言訳をしている。落選議員が、何のデータも示さず先延ばしするともっとひどくなるなどと言えたものだと、怒るのも当然である。この2人のコンビは、代表と国対委員長で引き起こした偽メール事件と今回解散時期を誤ったことで、二度も民主党をドン底に突き落としたことになる。
究極の綱領改訂
民主党の再生のために、今、民主党改革創生本部で総括を行っている。そしてもう一つ、綱領の改定作業が突貫工事で行われている。私は、総括は絶対必要だとは思うが、綱領の改訂などはそんなに急ぐ必要はないと思っている。綱領のない政党とはよく言われていたが、1998年の結党時に作成した「私たちの理念」という立派な綱領がある。民主党は何も綱領がないことで敗北したのではないし、政策が間違っていたから国民から見放されているのでもない。ただ従前から綱領の策定については、直嶋政行委員長の下、2年弱ずっと党綱領の策定ないし改訂の検討をしてきており、私も、12年5月より会合に皆勤しずっと議論に参画してきた。1月の定期大会で決定する予定で11月7日に全議員会合も持ったところ、私が見るに本当にもっともな意見が寄せられた。まじめな民主党議員が、崩れつつある民主党を憂い、必死で立て直そうとしていることがひしひしと感じられた。
そうした健気な気持ちを木っ端みじんに打ち砕いたのが、突然の解散である。1ヶ月の間に状況は一変した。そして12月16日の大敗北を受けた後の党綱領は、参議院選挙に向けたものとか短期的な物観点に立つものではなく、自民党から政権を奪還するためのものでなければならない。
韓国に倣い党名変更で再出発すべし
それでは、何をもって新生民主党を国民に印象づけたらいいのか悩ましいことである。私は野田前首相の辞職と並んで、国民に民主党がすっかり変わったというふうに意識してもらうには、思い切って民主党の党名を捨てる潔さが必要ではないかと思っている。なぜならば、民主党の比例区の票は09年の2984万票から12年は963万票と3分の1に激減し、できたばかりの新興政党維新の会よりも比例区の票でも議席でも下回ったのであり、(維新 12,26万票40議席、民主 9,63万票30議席)ちょっとやそっとの改革では国民は納得してくれそうもないからだ。その後の世論調査では、4~5%の支持率となり、維新とみんなの党の後塵を拝している。この点で参考になるのは韓国である。韓国の政権与党として14年に及んで韓国の政界を牛耳ってきたハンナラ党は、12年2月スパッとセヌリ党と名前を変え出直している。その甲斐あって、4月の総選挙にも辛勝し、12月にはセヌリ党の初の朴槿恵(パククネ)大統領が僅差で誕生した。起死回生の大博打が効いたのである。
躍進する韓国企業とFTA大国
この経緯を簡単に述べておく。<別紙ハンナラ党からセヌリ党への党名変更-米韓FTAを巡る李明博大統領の栄枯盛衰-参照>2011年から12年にかけて韓国政界はめまぐるしく動いた。政治は一寸先が闇ということが端的に当てはまるのが、李明博(イ・ミョンバク)大統領のアップダウン、毀誉褒貶であろう。現代グループの建設会社のトップからいきなり大統領となり、自らCEO大統領と名乗り、韓国製品の売り込みに熱心に取り組んだ。韓国は「日本に追い着け、追い越せ」の大号令の下に大躍進を遂げ、サムスン、LG,現代(ヒュンダイ)に代表される世界的企業が出現し、あちこちに韓国製品が跋扈し始めた。
韓国でも日本と同じように、開国という美名の下に、米韓FTAが推進された。BSEの問題もありすったもんだしたけれども、7年越しで批准できる状況になった。日本に先んじて「FTA大国」となることを国民も支持していた。11年10月李大統領は、オバマ大統領に国賓としてアメリカに迎えられ、デトロイトのGMの自動車工場を一緒に見学した。小泉首相が、ブッシュ大統領に国賓として招かれ、エルヴィス・プレスリーの生地にまで行った図式によく似ている。
ちなみに小泉首相以降、日本の首相で国賓待遇を受けていない。もともとFTAには難色を示していたオバマ大統領が、この時期に合わせて突然パナマ、コロンビア、韓国のFTAを批准し、実施法も通過させ、歓迎の意を表した。これで韓国は日本を追い越し、アメリカを「経済領土」にしたと悦に入り、李大統領は人生の絶頂期にあった。
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衆・民主/農林水産委員会。元農林水産副大臣
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