脳の新しい利用法、記憶の科学
| ●忘却曲線●短期記憶と長期記憶●意味記憶とエピソード記憶●海馬●扁桃体 |
記憶術は、古代ギリシャで生まれた2千数百年の歴史を持つ技術ですが、記憶に関する心理学や脳科学(生理学)は、本格的な研究が始まってからまだ数十年というところです。古代ギリシャの哲人たちの英知には感服するばかりですね。
さて、ここでは記憶の科学にスポットを当てながら、記憶術に関係したことを説明していきます。まずは、忘却のお話です。「覚えたことは忘れる運命にある」 という法則を知っておきましょう。
エビングハウスの忘却曲線
19世紀のドイツにエビングハウスという心理学者がいました。「人間の脳は忘れるように設計されている」ということを、実験によって確かめた研究者です。おもしろいことに心理学では、記憶の研究よりもはるか昔に、忘却の研究が行われたのです。エビングハウスは意味のないアルファベットを3個一組でたくさん覚えさせて、その記憶が忘れられていくスピードを調べました。その結果、わずか20分で42%も忘れ、1時間後には56%、9時間後には64%を忘れるというデータを得ました。
これを次のようなグラフで表したものが、有名な「エビングハウスの忘却曲線」です。
人間の脳は、生命の維持に必要のないものはどんどん忘れていくようにできているそうです。
受験勉強は将来、社会で生きていくうえでとても大切なことですが、「これを暗記しないと、3ヵ月後には死ぬかも知れない…」なんてことはありません。命にかかわる問題ではないので、上の忘却曲線と同じように時間とともに記憶が消え去っていくわけですね。
エビングハウスの忘却曲線を前提に考えれば、次のような勉強法が効果的かもしれません。
@全部覚えてから15分後に復習をして、忘れたものは暗記をやり直す。
Aさらに1時間後に記憶の確認作業を行い、忘れたものは再度覚え直す。
B前回忘れた項目が多い場合は、さらに2時間後に確認の復習を行う。忘れた項目が少ない場合は、数時間後か次の日に確認作業をする。さらに3日後にまた復習をする。
上の方法で暗記の勉強をすると、覚える項目数が多くなればなるほど、等比級数的に暗記の苦労は増大します。脳に負担がかかり、とても上のような作業はやっていられませんね。
そこで記憶術が威力を発揮することになります。記憶術なら大量の暗記項目が短時間で覚えられる上に、何度も覚えているかどうかを確かめる必要はなくなります。また、記憶の確認作業自体も、参考書やノートを閉じて目をつむったまま、1項目3秒のペースで次々と思い出せます。
長期記憶を実現する“記憶脳”の仕組み
記憶には短期記憶と長期記憶があります。短期記憶の寿命は通常、数秒から数分まで。それ以上は長期記憶といいます。同じ長期記憶でも忘れるまでの時間は、十数分から2〜3日、1〜2年、十数年とさまざま。中には一生忘れないこともたくさんあります。「記憶」といってもいろいろあって、脳の働きもそれぞれ異なるのです。受験勉強では短期記憶をどんなにたくさんやっても意味がありません。できるだけ長期間忘れない記憶法、勉強法が必要になります。その意味で《記憶の心理学・脳科学》を知っておくことは重要です。
エピソード記憶と意味記憶
学校の教科は繰り返し学習しないと覚えられません。ところが、たった1回の学習で一生忘れないということもあります。自分が直接体験した感情をゆさぶる出来事のことです。運動会で一等賞になったこと。あるいは初めて自転車に乗れるようになった日のこと。親類に泊りがけで行ったときの出来事。家族旅行の一コマ。昔の家の周りの風景。初恋。入院…などなど。
このように直接自分が体験したことの記憶を、心理学では「エピソード記憶」と呼んでいます。1972年にダルヴィングという人が提唱しました。
それに先立って1966年、キリアンという心理学者が「意味記憶」ということを提唱しました。意味記憶は授業や本などで覚える知識のことです。たとえば「スウェーデンの首都はストックホルムだ」とか、「でんぷんは最終的にはブドウ糖に分解される」などのようなことです。
意味記憶とエピソード記憶の違いは、言われてみれば当たりまえのことで、難しいことは何もありません。学校の勉強は体験ではなく、頭で学ぶから覚えるのに苦労するのだということが納得できたでしょうか。
ただし、理科の実験などは体験しながら学習しますから、エピソード記憶との併用で頭に入りやすいのです。
記憶術はこのエピソード記憶を勉強の暗記に利用する方法です。つまり、これまでの暗記とは脳の利用法がまったく違うわけですね。
脳のいいかげんさこそは創造の源
エピソード記憶は3〜4歳頃から発達する比較的高度な脳の働きです。でも、たまに「1〜2歳のときの出来事を覚えている」と主張する方がいます。本当でしょうか? 専門家の見解によれば、それは大きくなって聞いた話が「エピソード記憶」として紛れ込み、幼い頃の記憶として定着したためだといいます。こうした「偽の記憶」は大人になってからもよくあることです。
私たちの脳はかなり「アバウト」というか、「ファジー」にできていいます。記憶が変節したり、交錯したり、忘れたり…。実はその「いいかげんさ=柔軟性」こそが、創造の源になっているのです。コンピュータにはない人間の脳のすぐれた特性です。
記憶術はエピソード記憶を利用する方法だった
学校の教科の勉強や資格試験対策の勉強は、実体験とは性格が異なります。だから繰り返し学習することによって、短期記憶を長期記憶として定着させる必要があります。では、実験などの方法以外で教科の勉強を「エピソード記憶」する方法はないのか? それが実は記憶術という方法だったのです。
記憶術は自分の絶対忘れない体験に結びつけて覚えたり、イメージをストーリー化してその場面を脳に焼き付けたりします。つまり、人為的に頭の中に「エピソード記憶」を創っているのです。 記憶術のやり方を参照
記憶をつかさどる少数精鋭部隊「海馬」
大脳のしわが多い人は頭がいいと信じられています。そして、そのしわが記憶をつかさどっていると思い込んでいる人も少なくありません。でも実際は、海馬(かいば)という小さな器官が記憶をつかさどっているのです。海馬の神経細胞の数は1000億個。多いようですが、脳全体の1万分の1に過ぎません。この小さな器官が大脳に入った情報の取捨選択をして、記憶全体をつかさどっているのですから不思議です。
記憶にかかわる脳細胞は使い方次第で増える
一昔前の脳科学関係の本には必ず、「脳の細胞は毎日おびただしい数が死滅しており、決して増えることはない」という意味のことが書いてありました。「だから、歳とともに記憶力が衰えるのか…」と納得した方も多いはず。
ところが記憶をつかさどる海馬は、なんと細胞分裂を繰り返して増えることがわかったのです。しかも、海馬は中年になってからでも使い方次第で重くなる! このことを発見したのは、イギリスの認知神経学者マグワイアです。それまでの脳科学の常識がひっくり返されたのは西暦2000年。脳科学の長い歴史の中では「ほんの最近の出来事」です。それだけに私たちの脳の仕組みは、記憶に限らずまだわからないことだらけです。
長期記憶のカギを握る扁桃体
小さな海馬がどのようにして長期記憶を決定しているのかは、よくわかっていません。しかし、近年の脳科学の研究によれば、扁桃体(へんとうたい)という直径1cm位の丸い形をした器官が海馬と影響し合っていることがわかってきました。扁桃体は大脳皮質の内側にある大脳辺縁系の下のほうに位置しており、快不快を判断するのが主な役割です。私たちが見たり、聞いたり、臭いをかいだり、触ったり、味を味わったりしたときに得た感覚情報は、大脳皮質から扁桃体に伝わり、好き嫌いが判断されます。
異性が好きになるのも、カレーライスやコアラが好きになるのも、この扁桃体の仕業だったのです。
扁桃体は海馬の隣にあり、好き嫌いや快不快の感情を海馬に伝えます。そのため、心を大きく揺さぶるような出来事は、いつまでも記憶にとどめられています。扁桃体は長期記憶に深くかかわっていたのです。
なお、好奇心を刺激する好きな科目や、大好きな先生の授業の成績がよくなるのも、扁桃体が海馬に影響しているためだと考えられます。逆に、嫌いな先生の受け持つ科目やまったく興味が持てない科目は成績が悪くなります。
だから、成績アップのためには「扁桃体のご機嫌をよくする」ことが重要なのですね。
☆脳の機能を総動員して無理なく記憶術を身につける「高山メソッド」とは?
記憶術は扁桃体も利用していた旅先の美しい風景や、街角のお気に入りの店、あるいは各種イベントやコンサートなどがいつまでも記憶に強く残っているのは、心が強く動かされるからです。そのため扁桃体が働いて、強固な長期記憶として保存されるのです。この仕組みを利用しているのが記憶術です。記憶術は、頭の中でイメージによる珍しい出来事を起こし、またそこに感情をこめます。つまり、扁桃体を働かせるテクニックを使っているわけです。そのため、繰り返し学習をすることもなく、一度にたくさん覚えられ、しかもなかなか忘れないのです。 受験勉強に、「感情(心)をつかさどる脳」を利用しないなんて、大きな損です。 |