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壮大な夢の果てに
豊川工陸上部の体罰問題を考える


(10)師と仰いで 渡辺さんの指導法を見習う

  教諭(50)の体罰を考える上で外せないのが、教諭の大学の先輩であり、敬愛し私淑(ししゅく)する、元西脇工陸上部監督の渡辺公二さんだ。
 渡辺さんは1968年に同校へ赴任し、猛烈なスパルタ教育で西脇工の長距離を強化。全国高校駅伝で同校を8度優勝に導いた。
 2006年6月の朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で、渡辺さんは「練習を怠けたくて倒れたふりをする選手の頭から水をぶっかけ、うそをついて練習をさぼり、バイクを乗り回していた生徒に手をあげました」と述べている。
 「走り込ませてしごき、時には体罰も辞さなかった」という。そしてこの「厳しい指導」で82年に男子が都大路で初優勝を果たした。
 渡辺さんは厳しい指導に走った理由を、当時同校はいじめや校内暴力で荒れており、ある保護者から「帰りに道草できないくらい部活動で鍛えて」と言われたのがきっかけだったと説明している。
 教諭は若い頃から渡辺さんにあこがれており、豊川工への赴任直後に陸上部のユニホームを西脇工とうり二つのデザインに変えたほど。体罰も含めて渡辺さんの指導法を見習った可能性がある。
 厳しい練習を課し、ほめるのでなく叱って伸ばす。日常生活も細部まで管理し、レースの組み立て方にも精神論を持ち込んだ。
 しかし、渡辺さんは80年代の半ばから指導法の脱皮をはかり、体罰をやめ、選手をほめ、選手の自主性を尊重するようになった。この方法で7度の全国優勝をつかんだ。
 インタビューでは「今、思うに体罰に教育的効果なんてありません。生徒は殴られたことだけを覚えています」と述べ、「殴ったことを後悔しています」と結んでいる。
 教諭と親しい東三河の高校教員の1人は「彼の指導には情熱があり、部員への愛情もあった。すべてに対する献身的な努力があった」と語り、「もし再び機会が与えられるのなら、脱皮後の渡辺さんを手本にしてほしい」と切望する。
 渡辺さんが指導を完全に転換したのは教諭と同じ50代。「脱皮できる可能性は絶対にある」と力を込めた。

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豊川工陸上部の体罰問題を考える メニューへ 2013年2月15日紙面より抜粋



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