教諭(50)が豊川工に赴任して数年後、その後の体罰につながる、というより教諭の体罰の特徴を表現する「事件」が起きている。
当時の男子部員の母親によると、部員は体調を悪くしており、とても走れる状態ではなかったが、教諭から長野県の競技場に来るようにいわれた。
目的は関東地方の大学の長距離部監督に走る姿を見てもらうことだった。母親は息子に「絶対に無理してはダメ。走れないのなら教諭にしっかり伝えて」と念を押した。
「走るのは難しいと伝えた息子に、教諭はこう言い放ったのです」と母親は涙声で言い添える。「せっかく見ていただける機会。お前は、オレに恥をかかせる気か」。
男子部員は、絶望的な状況のなかで走り始めた。数分後、部員は激痛を伴って倒れ、まったく動けなくなった。
後にわかったことだが、大腿部の骨折。しかも豊川市民病院に1週間入院しても治療のメドが立たず、名古屋市内の専門病院に委ねざるを得ないほどの大けがだった。
電話で状況を聞いた母親は、教諭に近くの病院へ搬送するように頼んだ。しかし、教諭は「できません」と答え、マネージャーを通じて「電車で帰します」。冷たく言い放ったという。
結局、父親が車を飛ばして現地に向かい、息子を連れ帰った。自宅に着いたのは午前3時半だった。
「お前は、オレに恥をかかせる気か」―。この言葉に、その後に起こす教諭の体罰の心情が要約されている。支配と服従を軸にした人間関係。権威や権力のある者には従い、自分に権威や権力を認める者は支配する。
教諭の体罰は、この支配欲の現れではなかったか。教諭は部員一人ひとりに個性を認め、競技力を伸ばそうとした。それは忘れるべきではない。
だが、優しさを貫くためには、教諭は弱すぎた。自分の傷に敏感すぎた。こうして、教諭本来の優しさは支配―服従の関係を重視するなかで歪(ゆが)んでいったのでないだろうか。
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