「過去に必ず標的にされたのは1号店の春熙店。まずそこに対して重点対策を取りつつ、同時に2号店の双楠店にも人を回す手配をしたのです」(同)
ここで言う「人」とは、“武装警察”のことだ。このとき、成都イトーヨーカ堂の1号店、2号店では各1000人体制の警備が敷かれた。武装警察が作る人間バリケード。押し寄せるデモ隊ともみ合いになるが絶対に中へは入れようとしなかった。
単に人員を配置しただけではない。武装警察の全員に弁当を支給することも忘れなかった。
現地の責任者は、デモが発生するとわかった段階で公安局幹部に挨拶に行き、また、事後にはさらに「礼を伝えるため」再び当局に足を運んだ。当日バリケードを組んでくれた武装警察隊への謝意、これにも気を配った。
同じ釜の飯
もちろん、“公安との関係作り”は、このとき始まったわけではない。
「盆暮れの年2回、私は公安局の幹部らといつも一緒に飯を食べた」と、麦倉さんが振り返るように、挨拶回りは麦倉さんの重要な仕事のひとつでもあった。駐在期間中は公安局のみならず、消防署、保健所、新聞社、テレビ局をくまなく回った。
彼の口癖でもある「同じ釜の飯」、ここでも同じテーブルを囲み、和気藹々と酒を酌み交わした。そして当局の幹部らも、十数年にわたって中国に居続ける麦倉さんを慕う。もはや旧知の仲である。
尖閣諸島での中国漁船衝突事件を契機に2010年9月に発生した反日デモでは、こんなことがあった。直後、地元の女子学生がわざわざ店舗を訪れ、次のように言ったのだ。
「なぜこんなサービスのいい店を攻撃するのか。今回の破壊行為は、中国人として申し訳なく思っている」
成都の店舗はショーウィンドーを割られ、シャッターを壊されるなどの被害に遭っていた。だが、すべての顧客が背を向けたわけではなかったのだ。