成都では自ら社内にバレーボールやサッカーのチームを立ち上げた。会場探しに奔走、あれこれと細かい条件には辟易したが、従業員が喜々として練習する姿に、自らも充実感を得た。そして練習が終わると、みんなで火鍋を囲む。社内の空気も和らいで行った。
麦倉さんが在任中に重視したのは、「教育を施す」と「情報を取る」の2点だった。「店づくりより人づくり」は、本社の社風でもある。「日本人はそのために駐在していると言っても過言ではない」(同)
デモ回避は情報戦
麦倉さんは、中国で2回の反日デモを経験している。
1回目は05年4月14日、北京の5店舗目の西直門店が開業記念式典を開始しようとしている最中に起こった。デモの背景には、小泉元首相の靖国参拝問題があった。
このとき麦倉さんは対策本部を作り、従業員をデモの現場に飛ばし、デモ隊の先頭と最後尾について歩かせ、その進行方向を逐一報告させた。どこが出発点となり、どういう道をたどるのか、本部はその情報収集に努めた。
「デモ隊が西直門店の方向を進んでいることがわかった。西直門交差点、ここを右に曲がられてしまうとイトーヨーカ堂の店舗が標的にされてしまう。なんとしても右に折れないように、当局に伝えてそこを封鎖させた」と、麦倉さんは当時を回想する。
“情報をどう取るか”が、大きなカギを握る。否、命運を分けると言っても過言ではない。ましてやそれを中国人スタッフに任せきってしまえば、トップは失格だ。
2012年9月に中国各都市で同時多発した反日デモ。北京でもまた、市民がシュプレヒコールを上げていた。当時、麦倉さんは日本に戻っていたが、情報収集と共有化、そして迅速な対策というこれまでの経験が成都、北京の各店で生きた。