戦前は体罰が厳しく禁止されて、すべて犯罪として処理されていました。しかし、多少はやってもいいのではないという主張も一方にはありました。
たとえば、皇室教育にも携わった高名な教育家である湯本武比古の「体罰の必要」(『実業之横浜』明治43年5月号) はこんな具合です。
「体罰の必要」と云っても、殴ったりすることは「蛮手段」として厳禁することを前提としています。
「ベーンの電気」というのはおそらくアレキサンダー・ベーンの電気時計に使われた電池の、ピリッとする程度の電流のことではないかと思いますが、はっきりしません。お判りの方はご教示をよろしく。
いずれにしても、学校でこんな電気の使用が認められることはなく、それどころか、立たせたり居残りさせたりといった程度の「体罰」も厳しく禁止されていたことが判ります。
生徒を殴ったりした時とは違い、さすがに立たせたり居残りさせたりでは警察の取り調べを受けることはないと思いますが、戦前の親は権利意識が強くて必ず学校に怒鳴り込んできますし、生徒たちも自尊心がやたらと高くて反逆的で、小学生でさえ何かというと徒党を組んで同盟休校や教師の吊し上げをしますので、この程度のことさえおいそれとはできないのでした。
ここまで厳しく禁止されていると、反発して極端なることを云う人も出てきます。
仏教学者で教育家や社会運動家としても有名だった高嶋米峰が、明治44年に打ち出した『体罰復興論』はなかなかおもしろいです。
ここで云う「体罰」とは、立たせたりすることではなく、「被教育者をブン殴ること」だと明確に定義した上で、殴ることを禁じられた軟弱なる明治の教育はこんな若者を育てていると嘆いています。
ちょうど、近衛文麿なんかが学生だった頃の話で、この世代は軍人も含めて優柔不断で無責任極まりない人が多く、日本を滅ぼしてしまいましたから、米峰さんの予言は当たってなくもないです。
近衛さんよりちょっと歳上の山本五十六が「我々も若い頃は年寄りから批判を受けたのだから、近頃の若い者はとか云うな」とか戦時中に云っていて、五十六さん偉いとか持上げる方がいますけど、実際にこの世代はいまより遥かに緩いぬるま湯で育った、体も弱く、心も弱く、青ビョウタンのような、モヤシのような、仕事もまともに任せられないゆとり世代だったのです。
五十六さんもずいぶん無責任な行動で日本を滅ぼす一翼を担ってますし。
『体罰復興論』で、米峰さんはさらに過激なる「細君、なおかつ殴るべし」という論も展開します。
明治の女性は亭主が気に入らなければさっさと自分から三行半を突きつけて、ぷいっと家を出て行って、すぐに新しい男と引っ付いたりするのが当たり前で、いまより離婚率はずっと高かったのでした。
明治維新とともに離婚はいけないことだというキリスト教の考えが入って来て、ようやく浸透したこの論を出した明治末にはかなり離婚率も下がってましたが、籍を入れないお試し期間の<足入れ婚>で自ら気に入らずに去る女性まで含めると依然として高く、ほんとに下がって西洋風に女性が家庭に縛り付けられるのは大正以降ですから、米峰さんも自由奔放なる伝統的日本の女性にはいろいろと云いたいこともあったのでしょう。
しかし、さすがにこれだけ勇ましいことを云うと女性陣の袋叩きに遭うと怖じ気づいたのか、あわててこんなことも付け加えております。
『体罰復興論』全文は国会図書館サイトにアップされていますので、物好きの方はこちらから読んでいただければ。
「復興論」とあるように、明治8年生れの米峰さんにして、体罰禁止は西洋の影響で、江戸時代はそうではなかったという決定的な間違いに囚われています。実際には江戸時代の体罰はいけないという観念が、体罰は正しいという文明開化の西洋化圧力を跳ね返して明治以降もしぶとく生き残ったものなのですが。この時代の西洋では、教師が生徒を鞭打つのが当たり前でしたし。
女性の地位が下がってしまったのも、明治維新以降の西洋の影響からなんですが。
正しい伝統観念が、いかに短期間に簡単にねじ曲げられてしまうのかがよく判ります。
『美しい日本を取り戻しましょう』と、『戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった』も参照していただければ。
たとえば、皇室教育にも携わった高名な教育家である湯本武比古の「体罰の必要」(『実業之横浜』明治43年5月号) はこんな具合です。
余は打擲のごとき蛮手段はこれを厳禁し、直立の如き身体的痛苦、または居残りの如き自由制限に基づく痛苦のごとき、あるいはベーンの電気採用の如き手段は、場合によりて校長教員の公然採用し得ることを認め置く必要が有ると思う。 理性の未だ発達せず無邪気にしてしかも手に合わぬ悪太郎は、叱責や脅嚇や、いわんや訓戒などで精神的痛苦を感ずるものでない。これには身体的痛苦を与うるのは避け難いことである。 |
「体罰の必要」と云っても、殴ったりすることは「蛮手段」として厳禁することを前提としています。
「ベーンの電気」というのはおそらくアレキサンダー・ベーンの電気時計に使われた電池の、ピリッとする程度の電流のことではないかと思いますが、はっきりしません。お判りの方はご教示をよろしく。
いずれにしても、学校でこんな電気の使用が認められることはなく、それどころか、立たせたり居残りさせたりといった程度の「体罰」も厳しく禁止されていたことが判ります。
生徒を殴ったりした時とは違い、さすがに立たせたり居残りさせたりでは警察の取り調べを受けることはないと思いますが、戦前の親は権利意識が強くて必ず学校に怒鳴り込んできますし、生徒たちも自尊心がやたらと高くて反逆的で、小学生でさえ何かというと徒党を組んで同盟休校や教師の吊し上げをしますので、この程度のことさえおいそれとはできないのでした。
ここまで厳しく禁止されていると、反発して極端なることを云う人も出てきます。
仏教学者で教育家や社会運動家としても有名だった高嶋米峰が、明治44年に打ち出した『体罰復興論』はなかなかおもしろいです。
ここで云う「体罰」とは、立たせたりすることではなく、「被教育者をブン殴ること」だと明確に定義した上で、殴ることを禁じられた軟弱なる明治の教育はこんな若者を育てていると嘆いています。
乳母日傘で育ったお坊ッちゃんは、到底、激烈なる生存競争場裡に立ち得ざるなり。貴族や富豪の子供に、豚児愚息の多きは、けだし、正にそのところなりとす。 今の教育は、即ち乳母日傘の教育なり、健全なる平民階級の子弟も、この教育のためにあてられて、温室育ちの花の如く優しく、モヤシの如く弱く、だだスンナリと生長して、総に息が通っているということの外何の力もなく、何の働きもあることなきなり。これを以て、わずかに中等教育位で学を廃したるものは、いわゆるハイカラ者流となり、進んで大学教育を受けたるものも、なおかつ多くは、愚図にして話がわからず、一つの仕事をさせてやろうとするには、させるこちらの労力、まことに意量の外なり、ほんとうにヂレッタクて、思わず拳固に息を吹ッかけることも、時々はあるなり。 孔子も出です、盗拓も出でず、盗妬の出でざるは慶すべしとせんも、傑出せる人間の、毎年、一学校から、五人や十人は出てもらいたいものならずや。傑出が六つかしくば、せめては、男子の真骨頭を具したる、男らしい男の、五人や十人は出て来ても、別に邪魔にはならざるなり。しかるを、体も弱く、心も弱く、青瓢箪の行列見たような、現代の青年階級を見る毎に、僕は、今の教育の、人の子を毒したることの、余りに甚しきに驚嘆せざるを得ざるなり。 (中略)今後幾十年かの後には、日本の社会には、真男児の品切を告ぐるに至るなきやを恐るるなり。 |
ちょうど、近衛文麿なんかが学生だった頃の話で、この世代は軍人も含めて優柔不断で無責任極まりない人が多く、日本を滅ぼしてしまいましたから、米峰さんの予言は当たってなくもないです。
近衛さんよりちょっと歳上の山本五十六が「我々も若い頃は年寄りから批判を受けたのだから、近頃の若い者はとか云うな」とか戦時中に云っていて、五十六さん偉いとか持上げる方がいますけど、実際にこの世代はいまより遥かに緩いぬるま湯で育った、体も弱く、心も弱く、青ビョウタンのような、モヤシのような、仕事もまともに任せられないゆとり世代だったのです。
五十六さんもずいぶん無責任な行動で日本を滅ぼす一翼を担ってますし。
『体罰復興論』で、米峰さんはさらに過激なる「細君、なおかつ殴るべし」という論も展開します。
家庭に於ても妻君の如き、もし合理的の処置を、合理的に受取得ざるが如き程度のものにして教えんと欲するも能わず導かんと欲するも能わず、おだてれば増長し、叱れば泣くが如きものに対しては、夫たるものは、時に拳骨一揮、コツーンと参って、依って以て、一家の平和を維持するの、覚悟と実力とを備え居らざるべからず。 然るを、輓近ハイカラ文明の余毒は、妙に女を大事がる悪風を馴致し来り、ナマ若い身そらで、女の手なンぞを引いて、得々として歩き廻わるが如き、フザケタ野郎共多くなり行き、妻君は殴れなど言おうものなら、胆ッ玉をデングリ返さんず有様なるは、誠に遺憾の極みならずや。 |
明治の女性は亭主が気に入らなければさっさと自分から三行半を突きつけて、ぷいっと家を出て行って、すぐに新しい男と引っ付いたりするのが当たり前で、いまより離婚率はずっと高かったのでした。
明治維新とともに離婚はいけないことだというキリスト教の考えが入って来て、ようやく浸透したこの論を出した明治末にはかなり離婚率も下がってましたが、籍を入れないお試し期間の<足入れ婚>で自ら気に入らずに去る女性まで含めると依然として高く、ほんとに下がって西洋風に女性が家庭に縛り付けられるのは大正以降ですから、米峰さんも自由奔放なる伝統的日本の女性にはいろいろと云いたいこともあったのでしょう。
しかし、さすがにこれだけ勇ましいことを云うと女性陣の袋叩きに遭うと怖じ気づいたのか、あわててこんなことも付け加えております。
もちろん、これは、夫として妻に対する場合のみに就いての論議にあらず、夫にして、グータラベーやへベレケならんか、妻君またこれを打擲して、正気づかしむるを正当の手段とす。僕は、夫は妻をプン殴ぐるの権あれど、妻は夫をヒッパタクの権なしなどいう、不公平片手落の裁判を言渡さんと欲するものにはあらざるなり。 |
『体罰復興論』全文は国会図書館サイトにアップされていますので、物好きの方はこちらから読んでいただければ。
「復興論」とあるように、明治8年生れの米峰さんにして、体罰禁止は西洋の影響で、江戸時代はそうではなかったという決定的な間違いに囚われています。実際には江戸時代の体罰はいけないという観念が、体罰は正しいという文明開化の西洋化圧力を跳ね返して明治以降もしぶとく生き残ったものなのですが。この時代の西洋では、教師が生徒を鞭打つのが当たり前でしたし。
女性の地位が下がってしまったのも、明治維新以降の西洋の影響からなんですが。
正しい伝統観念が、いかに短期間に簡単にねじ曲げられてしまうのかがよく判ります。
『美しい日本を取り戻しましょう』と、『戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった』も参照していただければ。
しかし、戦前はこうやって体罰が厳しく禁止されていた反面
今より虐待が酷かったり貰い子ビジネスが蔓延してたり、
「おっとい嫁じょ」
http://matome.naver.jp/odai/2132090014875165001
みたいな今だったら絶対アウトな風習があったり、何とも混沌とした時代だったのですね。