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〜このページの主旨と前提になる考え方〜
「感想」、「批評」、そして「考察」から「評論」へ






■まず感想・批評の定義から■


 ゲームをする。「面白い」。「なんかこのゲーム、システム的にだるいなぁ」「そんな現実的に考えて、そんなにうまくいくわけないだろ!」「美咲さん最高!」。「繭ぅ〜!」・・・これ、感想。
 ゲームを終了する。「これまでの○○の作品に比べて、格段にクオリティが上がってるなぁ・・・。女の子の気持ちもプレイしていて、迫ってくる感じがする」。「一人目の攻略はいいけど、何人もの女の子を攻略していくためにやり直していくと繰り返しの作業が多くて、飽きてくる」。「ゲームの中ぐらい現実から離れて夢見たいという気持ちも解るけど、あまりにも現実離れしていて、展開が強引さが感じられる。もう少しリアリティを加味してくれた方が、ゲームの中に入っていける」。「・・・・中でも美咲さんというキャラは、特別だ。ストーリーとのマッチングも見事なのは間違いないが、彼女の一言一言から、彼女の気持ちが私の胸に迫ってきて、心を鷲掴みにされた。どうして、これほど彼女に惹かれるのだろう・・・・」。「これまで多くのロリキャラにハマってきた私だが、繭は特別だ。明らかに作り手の罠とわかるベタな設定だが、見事にロリ萌えのツボを押さえているため、罠と知りつつはまってしまう。とくに最後の『ふみゅ〜ん』には、やられた。『私を罠に落として下さい!』と自ら土下座して罠を求める始末である」。
・・・・これは、批評、あるいは批評への第一歩である。感想との違いが解るだろうか?ただ言葉を難しくしたり、言い回しを代えて偉そうなことを言ってるだけ、と思うだろうか? 実はこの感想と批評の例には、明かな違いがある。つまり批評というのは主観的な感想を相対化し、客観性を持たせるその過程そのものなのだ。言い換えるなら感想の裏付け作業と言えるかもしれない。何故、自分はそういった印象(感想)を持ったのか、自分の中にその理由を求める作業といっていい。そして、それを他の人に問いかけていくのものなのだ。(※1)
 よく批評に対して、「感じ方はそれぞれの人で違っていいのでは?」とか「現実とゲームは違っていいのでは?むしろ私は充分に楽しめましたけど」などと切り返している人を見かけるが、これはBBSなどで発言するのは自由だが、批評に対しての反論としては、まったく的を得ていないものだ。なぜ、個人の感想や印象を客観化、相対化するのかといえば、それは、ある作品を共通の体験として共有する人とのコミュニケーションを図る為と言える。そのためには、ある程度自分の受けた印象を客観化し、体験を共有する人と同じ土台を作り上げ、その上で自分の印象を語らなければならないのだ。だから、そこには捉え方の差や考え方の違いがあるのは当たり前のことだが、同時に、作品と同様に批評には、批評そのものの評価が存在する。つまり的を得た批評であるか、そうでないか、客観的な視点をとっているか、いないか、批評にあたって、そのバックボーンとしての著者の実体験(※2)、ゲームの場合ならゲームのプレイ経験が問われることになる。感想において「こんな感動的なゲームは生まれて始めてです!」というのは、認められても、批評においては、その批評家に経験の豊富さがなければ、成り立たない発言となってしまうわけである。実はこのことを良く理解していない人がBBSには多い。
 もちろん、このことを充分に踏まえた上で、捉え方の違うふたつの意見というのは、存在する。それが、論争や議論といったもので、これは別段、悪いことではない。例えば(※3)、「私は○○氏と同様、これまで数多くのロリキャラにハマった経験を持つが、繭はさすがに設定がベタ過ぎて、もうひとつ萌えることができなかった。そろそろソフトハウスもより刺激的なロリを創造していい頃だと思う。せめて○○氏のいうところの『ふみゅ〜ん』が『ふみょ〜ん』であったらなら、私の印象はもっと好印象になっただろう。なぜなら、すでに『ふみゅ〜ん』は、オゲレツソフトが98年にリリースした『おにいちゃん、おむつ汚しちゃったよ』で使用されている。この事実を、○○氏は考慮しているのだろうか?」という具合に議論は展開していくわけだ。それに対して○○氏は「××さんの指摘された『おにいちゃん、おむつ汚しちゃったよ』はやってませんでした。さっそくやってみます」とか「××さんの指摘した『おにいちゃん、おむつ汚しちゃったよ』はやりましたけど、むしろ、あそこでの『ふみゅ〜ん』は、『まみゅ〜ん』のほうがしっくりくると思っていたので、『ふみゅ〜ん』の使用法としては、繭のケースのほうがベストと思ったわけです」などと展開していくわけである。そこには、充分に同じ土俵に経った上での議論やコミュニケーションが成立しているわけだ(やや例としては不毛なものだが(^_^;))。あるいは、この論争に△△氏が「べつに『ふみゅ〜ん』でも『ふみょ〜ん』でもどっちでもいいんじゃないですか?」などといったら大変なことになる(笑)。というのは冗談で、それは意見として重要だが、できることなら、△△氏は「それより問題は、繭が主人公のことを、どうしておにいちゃんと呼ぶのかということです・・・・」と新たな問題を提起するほうが、より好ましい。あるいは、○○氏や××氏は「なぜロリにおいて擬声語が重要か?」と自論を展開していくのでもかまわない。
 本来、批評といったものは、前に触れたように主観を保ちつつ、それを客観化していくものである。このことを忘れて、書いたり、反応したりすることは間違っているということがなによりも重要なのだ。つまり主観を越えて、その批評の正当性や優劣は存在し、客観を踏まえながら、主観は存在する(※4)といったことを、多くの人がもっと認識するべきだと私は考えている。

■さて、それでは考察とは何か?■

 さて、それでは考察について、文を進めていこう。本来、辞書的な意味においては、考察とは、考えることによって探ること、ということという意味になる。理系の学生(※5)なら、思い当たることも多いだろうが、実験レポートにおいて、実験結果の後、その結果を受けて書かれる部分が考察である。その実験から得られたデータや結果が、何を意味しているのか、そこから何が解るかを探るということになる。
 そこから転じて、ゲームにおける考察とは、私の場合は、そのゲームの中で語られる物語の意味を読み解くこと、その物語のテーマあるいは主題といったもの探り、自分の思うこと、考えていることを整理し、まとめていく作業ということになる。BBS上で、いろいろな人が、自称考察派、〜の考察と銘打って文章を書いているが、これは多分、昨年、リーフオフィシャルホームページ内のネタバレ談話室(※6)で私が書いた「各シナリオのテーマ」というシリーズ(※7)の中で考察という言葉を使い始めたのが、一般化してきた結果だろう。
 これは、批評や感想とは、まったく次元のことなる行為である。次元違いとはこの場合レベルやクラスのことではない。批評というのが、個人的な印象からスタートするのに対して、考察は、結果、つまり物語そのものというひとつの結果なり事実から始まっているからである。より客観的な思考が求められるものなのだ。だからといって個人的な考え方の違いが認められないものか、というとそうでもない。その物語を読み解いていくときの個人の手法や物語のどこを捉えるかという着眼点の違い、やはり批評と同じように、執筆者の個人的な経験の質や量といったバックボーンも作用して出てくる結論は異なってくる。ただこれも批評と同じように優劣といった評価は生まれるものである。その手法や技術が未熟な完成しているか、論を飛躍して展開してないか、さらには、その結論にいたる証明過程に無理はないか、より技術的なことも問われてくるし、同時に、現実社会的には、その上、それが、すでに誰かが発表しているものと同じでないか、といった新しさや斬新さが問われたり、逆に、これまで発表されたものを肯定するにも、否定するにも、きちんと受けて展開されているかということが評価の対象となる。
 まあ、ここまで厳密に捉える必要があるか、ないか、という問題もあるだろうが、ある程度、意識しているだけで、論争や議論といったものが、有意義になるか、不毛なものになるかは、分かれてくると思うのだ。
 また、物語を読み解いていく場合にも、安易に「人の数だけ受け取り方の違いはあっていい」というような反応もあるが、その問題に関しては、いずれきちんとした文章を書いていこうと思うが、今のところは、参考資料館から、以前、ネタバレ談話室でそのことについて触れた元祖「何でいつもながくなっちゃうんだろう」内の、◆プロのゲーム制作者のライトスタッフ(正しい資質)◆〜◆ユーザーに見えないスタッフの努力と研鑽◆(※8)を参照していただけるとありがたい。ポイントだけでいえば、作り手にとって、はっきりとした主題やテーマという意図は確実に存在し、そのことから離れて、正確には無視して考察をすることにはあまり意味を見い出せないということがいいたいのだ。
 さて。実際に、この考察という行為を行うに値するゲームというのは、意外と少ない。数えるしかないというのが現状だ。これはゲームのクオリティが低いためではなく、ゲームにおいて、そのストーリー部分がそれだけの内容を持っているか、いないかという問題だ。考察に値しないゲームでも、おもしろいものもあるだろう。要はそのゲームが文学性を持っていて、それなりの重みや含みといったものが感じられなければ、成り立たないということになる。文芸としてのゲームについては、長くなるので別項「ゲームの行方、考察の行方」(※9)において、なぜゲームをそこまで考察したり、評論したりする意味があるのかを探っていくつもりである。まあ、そういった文芸性を持たないゲームについて、考察を進めていくと、その考察の評価は、ただひとつ。「そんなのあたりまえじゃん」ってことになってしまうわけだ。

■最終的に源内がここで目指しているもの■

 ただ、それでも考えることに意味はあるわけで、私の場合、それらのたわいない物語や文学性のある物語などを、いろいろなゲームにまたがって、現実的な要素も取り混ぜて社会科学的に、ひとつの考察を行う場合もある。(※10)これは、批評的な要素と考察的な要素を取り混ぜたもので、まあゲーム社会論とでもいうか、評論の部類に属する。実は私は最終的にそれを目指していたりする。そういった内容の評論も、ここで順次拡大していく予定である。
 また、考察的な要素や批評的な要素を含んだものとして、「レビュー」というものがある。これは未プレイの人を対象として、これからプレイする人のために、ゲームの大まかなシステムやストーリー、その完成度や印象について、ネタバレを含まず批評するガイド的な文章で、多くの人が、ネットを通じてやっている。(※11)私の場合、これが苦手で、書くことができない。そういったものを望んでいる人は、申し訳ないが他をあたって欲しい。この部屋にある文章は、未プレイの人にとっては、あまりオススメできるものではない。ゲーム終了後、自分の考えていることをまとめたりする場合に利用することをすすめる。

以上が、私の考える感想、批評、考察、さらには進んで、評論だったり、レビューに対する姿勢である。できることなら、そのことを踏まえた上で、読んだり感想を言ってくれるとありがたいと思う。




この欄の脚注は、InternetExprorever5.0で、フォントを小にしたときに、
最適化されています。
ズレて見える人、ごめんなさい。

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.※1
こうやって書いていくと、まるで、みんなの知らないところで、しっかりとした定義があると思ってしまう人がいるかもしれませんが、別にそういうことはありません。もちろんある批評の世界での前提を踏まえての発言ですが、なにも定義のないところから、議論もへったくれも生まれないので、とりあえずこう前提してみることで、問題を明確にしていきたいと思い書いています。
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※2
これを前提としてしまうと、源内と皆さんの間にかなりハンデキャップが生じてしまいそうで、公平ではないと思うかも知れませんが、その通りです。批評とは本来そういうものです(^_^;)。まして皆さんには、私が失っている感性や若さがあるのですから、それで対抗して下さい(^_^;)。

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※3
やたらとロリ萌えに関する嫌味な例が続きますが、別にロリ批判ではありません。まあ硬い文章なので、少しは、シャレの利いたことを書きたいと思いまして。まあ源内のヘタなギャクと思って下さい。もちろん、実在する話ではありません。
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※4
たぶん、気取ってわかりにくい書き方だと思うが、私の中では、めずらしく含蓄のある言い回しだ・・・と悦に入っているようです。誰か注意して上げて下さい。
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※5
かく言う源内も実は、理系出身です。現在、理系の学生である人たちが、書き込みやIRCでレポートに苦しんでいるのを見ると、おもわず「ざまーみろ、もっと苦しめ!」とほのぼのと昔を懐かしんでいます(^_^;) 
それにしても学生時代から、現在の仕事をしていた私は、大学では「もっとちゃんとした文章を書け!」とレポートを突っ返され、仕事では、「なんでこんな硬い文章しか書けないんだ!」と原稿を突っ返され、まるでコウモリのようにさまよっていました。おかげでいまだに、こんなどっちつかずの文しか書けません(^_^;)。
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※6
「雫」「こみっくパーティー」などのゲームを発表しているソフトハウスのホームページ内の掲示板。もうすでに無くなってしまいました。
とりあえず、リーフHPには、こちらからどうぞ。
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※7 
これは※6で98年5月14日をスタートに展開された「WhiteAlbum」の各シナリオのテーマを考察したシリーズ。初期においては、遠慮もあって、感想的な部分が多いが、次第に図に乗って、本気で書き始めた。そのため、実は現在においても未完である。
原文をここ源内語録・「DATA BOOKS 〜参考資料館〜」に再録していますが、きちっと再構成して、「MAINBOOKS 〜メイン書庫〜」にUPします。「WA総論」と五人の各論で構成される予定です。お楽しみに!
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※8
「DATABOOKS〜参考資料室」にありますが、ここだけ読み返すと、なんとも源内というヤツは、自己顕示欲が強い嫌なヤツって感じです(^_^;)。 できれば、当時のBBSでの議論の展開の中で、どうしてこういう発言をしなければならなかったのか、踏まえていただけるとありがたいのですが・・・(^_^;)
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※9 
当初の予定では、この項で、それを語るつもりだったのですが、定義について語るだけで長くなるし、意味のあることと思えてきたので、分けることにしました。「I源内語録トップページ」より、お入り下さい。
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※10
「源内語録メイン書庫」のゲーム論部分がこれにあたります。
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※11
「LINK STATION」にいくつか上げています。ときどきいろいろなところを回ってみると、いろんな人の考えが見えて面白いです。私の場合、ゲームの購入の際の良き資料として、ネットでのゲームレビューを活用しています。ネタバレを含まないレビューとしては、私がもっとも信頼しているレビューページ。USGさんのSWEET LOLYPOP内のUSG独断レビューをオススメします。


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