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ベネディクト16世:ソーシャルな教皇の本当の革新は「退位」だった

 
 
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TEXT BY EMANUELE PERUGINI
TRANSLATION BY TAKESHI OTOSHI


WIRED NEWS (ITALIAN)



事実、ケレスティヌス5世も、自身の決断を枢機卿会議で伝えた。ただの偶然の一致だろうか?

「いいえ、教会の儀式の形式は、決して偶然ではなく十分に考慮されたもので、対象とするコミュニティに向けられています。彼が枢機卿会議を選んだという事実は、偶然ではなくひとつの明白なメッセージです。つまりわたしたちには、わたしたちの場所、わたしたちの言語、わたしたちの対象とする聴衆があり、わたしたちのメッセージはこれらに向けられている、ということです」と、この政治コミュニケーションの専門家はさらに説明する。

類比はこれだけにとどまらず、さまざまな示唆や陰謀論的な憶測を呼んでいる。ともあれ、ベネディクト16世の用いた表現は、ケレスティヌス5世の回勅の文章に非常に似ているように思われる。そこでは、役割の重さを担うことができないことが強調されている。

わたくし教皇ケレスティヌス5世は、正当な理由によって、すなわち謙遜のために、よりよい生活のために、良心を損なわないために、肉体の弱さと、学識の欠如と、人々の悪意と、身体の病気が原因で、以前の生活の慰めによって平穏を取り戻すことを目的として、自発的かつ自由意志によって、教皇座を譲り、地位と、尊厳と、任務と、名誉を完全に放棄して、いまから、枢機卿たちの神聖な会議に、教会の普遍の法にのみ基づいて司牧者を選出し即位させるための、完全で自由な権能を委ねる。


さらに先立つ事例がある。2009年4月28日にベネディクト16世が大地震に見舞われた直後のラクイラに赴いたときに、彼はコッレマッジョのサンタ・マリア大聖堂にあるケレスティヌス5世の墓を訪問している。

ベネディクト16世が退位するかもしれないという噂については、信憑性があるにせよないにせよ、いつも無遠慮な言葉がささやかれていたが、ケレスティヌス5世の墓訪問の際に彼は、この先任者の遺骸を収めたガラスケースの上に、パリウム(祭儀用の肩被い)、つまり彼の司牧の象徴を置いた。

これは、非常に象徴的な身ぶりであり、その意味に神学者であるベネディクト16世が無自覚だったはずはない。「象徴と身ぶりは根本的なもので、これらなしにカトリックのように何世紀も続く制度はありえなかったでしょう。祭儀の体系は、それ自体で身ぶりと象徴の一貫性と再現を目指したシステムとなっています。象徴と儀式なしに教会が存在することはないでしょう。そして、これらを再現する手段なしには、カトリック信仰すら存在しなくなるでしょう」と、エデロークリテは結んでいる。

 
 
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