小田嶋:なぜですか。
甲野:教育というのはどんな状況が生まれるかもしれない世界です。ですから、女の人が自分をからかった男をピシャッと平手打ちして、空気を変える事が有効な場合があるのと同じで、教育の現場で体罰をしないのは常識として大前提であっても、それ(体罰)を犯罪行為のように規定すると、たちの悪い生徒が、気の弱い先生を馬鹿にする、といった問題が今以上に起きかねない。
とにかく法で規制する前に、そもそも体罰の必要性を感じないほど、生徒なり選手なりが夢中になって競技でも学問でも取り組むようにする事が先決で、これ以上、制度で体罰を禁じるのは考え物でしょう。
指導者の技が圧倒的であれば、体罰は必要ない
小田嶋:体罰をする必要がないほど、みなが夢中で物事に取り組むようにするにはどうすれば。
甲野:まず何をおいても指導者自身が上達し、圧倒的な技が使えるようになる事が大前提です。
小田嶋:ということは、今は指導者の方が技では負けるってことですよね。でも、スポーツではそれが当たり前、現役の方がうまくて当然だと思っていたけれど、そういうことじゃないんですか。
甲野:指導法うんぬん以前に、その技自体で周囲が指導者に対して尊敬の念を持つようになれば、体罰など自然に必要なくなりますよ。
例えば、私の武術における一番の盟友である光岡英稔・日本韓氏意拳学会会長(※)の教室が、ダレたり、荒れるなどということは決して起きません。光岡英稔という人物は、たとえ相撲のルールに即して対戦したとしても、現横綱の白鵬が勝てるとは思えないぐらいの人で、ハワイにいたときには生き死にがかかるような勝負も挑まれた方です。しかし、普段は本当に温厚で、ニコニコされています。それなのに「光岡を試してやろう」と思って来た、頑強な大きな人を、手をとって子供とでも遊ぶように前後に自在に動かす。
生徒は皆ビックリしてしまいます。ですから、どんなに彼が優しくても、彼をなめる生徒など荒れるなどいませんし、普通なら全く武術に無縁だったと思われるような女性も、暖かい雰囲気と高い技術を感じて、熱心に稽古に励んでいます。
小田嶋:光岡さんと内田樹さんの『荒天の武学』は非常におもしろく読ませていただきました。「あ、自分もこんな技ができるようになってみたい」と思える先生に習っている生徒は、練習を休みたいと考えるどころか、「もっと教わりたい」と思うでしょう。人柄が多少悪くてもね。
甲野:結局、人柄もさることながら、誰も文句のつけようのない圧倒的な実力があるからそうなるのです。
小田嶋:教室ではまた別の事情、状況があるんだろうけれど、トップレベルの選手を指導する場合だったら、教えられる側が指導者に対して「この人はすごい、教えてほしい」という気持ちが出てこなければ、うまく回らなくて当たり前だ。「どう考えても自分の方が強いんじゃないか」という気持ちをなんとか抑えて言うことを聞いていたら、「死ぬ気で行け」じゃなあ。
しかし、そうはいっても年齢とともに体力が落ちてくると、ほとんどの競技でどうしても若い人のほうが強くなってしまうのでは?
甲野:事実として、体力的に勝る若い人相手に、圧倒的な技を見せつけることができる人は、残念ながらごく稀でしょう。ですから私が、「そうした年齢や体力の有無に左右されないような、考え方からまったく違う次元の技を追求している」と言うと、「幻想だ。漫画の読み過ぎだ」と片付けられてしまう。
しかし、私の例で恐縮ですが、私はもうすぐ64歳ですけれど、実力的には今がピークです。例えば、柔道のトップ選手が継続的に訪ねてくるようになったのはここ1年のことですが、去年の今頃はそうした選手を驚かすことは出来ても、今のように、こちらから積極的に崩しにいくような戦い方は出来なかったですからね。