中日新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 日刊県民福井から > ふくい老舗物語 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【ふくい老舗物語】

大衆向けの料理守る 飲食店ヨーロッパ軒総本店3代目 高畠範行さん

2013年1月7日

手際良くソースカツ丼を仕上げる三代目の高畠範行さん

写真

 薄切りのカツと、ご飯に絡む甘辛いソース−。今や福井名物の味「ソースカツ丼」を生み出した元祖と言われる有名店。福井市順化一丁目にあるヨーロッパ軒総本店の店内には、著名人のサインが数多く並び、その人気の高さを物語る。ランチ時は常にお客が絶えない盛況ぶりだ。

 今年は屋号が誕生して百年目の記念の年。三代目の高畠範行さん(60)は「自分の店だけれど、百年も続いてきたことにただただ驚く。自分の代で途絶えさせてはならないという重圧もあるが、できることを精いっぱいこなしていきたい」と前を見据える。

 ソースカツ丼は、ドイツで料理修業していた高畠さんの祖父、増太郎さんがウスターソースとカツレツに出合い、「この味を日本人に伝えられないか」と考えたのがきっかけで誕生。帰国後、一九一三(大正二)年に現在の東京都新宿区早稲田鶴巻町の早稲田大学前に「ヨーロッパ軒」として出店した。

 全国的に普及する卵とじのカツ丼よりも前に誕生していたとされ、一説には「日本一古いカツ丼」とも言われているという。 「店を継ぐことは小さいときから考えていた」。小学校高学年の時、店が忙しい際は料理の付け合わせなどを作る手伝いをしていた。「祖父や父から刷り込まれていたんでしょうね」と振り返る。

店内の壁にずらりと並ぶ色紙。人気の高さを物語っている=いずれも福井市のヨーロッパ軒総本店で

写真

 県外の大学に在学しながら、実家の店で仕事を手伝った。卒業後、二代目の父、増蔵さんから「秘伝の味」を本格的に教わり、修業に励んだ。「辞めたいと思うようなことは一切なかった」と、店を守る強い信念は折れなかった。

 ソースカツ丼が福井の「カツ丼」のスタンダード商品にまでのし上がった理由を、高畠さんは初代の増太郎さんが掲げていたという「薄利多売」の理念ではないかと分析。「その素朴さ、飾り気のなさが福井の人たちに受け入れられたのではないか」と話す。

 皆のおなかを満たすことができる大衆向けの料理に徹底的にこだわっていたという増太郎さん、増蔵さんの思いを受け継ぎ、厨房(ちゅうぼう)に立つ高畠さん。常に食べる人のことを考え、時代の変遷も考慮しながら甘みをやや抑えるなど、ソースの味も調整する徹底ぶりだ。

 週末の客の七割は県外客。「福井に来なければ食べられない味というこだわりを守り続けたい」と力を込めた。(北藤真美)

 【あゆみ】1913(大正2)年、ドイツで料理の修業を続けていた初代・高畠増太郎さんが帰国後、東京の早稲田大学前に洋食店として「ヨーロッパ軒」を出店。数年後には神奈川県横須賀市に移転した。1924年に故郷の福井に出店。のれん分け第1号となった敦賀分店を皮切りに現在、県内に19店舗ある。

写真
 

この記事を印刷する

PR情報

中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ