蒋介石はあまりにもったいないことをしてしまったと後悔した。そこで王寵惠にしつこく念を押した。
「いいか?ルーズベルトが琉球を我々にくれようとしたことは、ほんの少数の人しか知らない。だから絶対に外部に漏らしてはいけない。もし誰かがこのことに関して尋ねたら、われわれにはいかなる条約も根拠もなく、理由なんかはないと答えるんだぞ、いいな」
その後、国民党におけるすべての書類、雑誌および書物に関して、琉球諸島に関連した問題に触れるときにはすべて「根拠がない。なぜならカイロ会談では琉球問題は一切取り上げられなかったのだから」と書くことが決まった。
そして第二次世界大戦後、米国は単独で琉球群島を占領した。
ここまでが中国共産党と中国政府が持つ、二つのメディアのウェブサイトからの引用である。この記事の最後にある一文は非常に重要だ。
つまりアメリカが当時の中国(中華民国)に「共同出兵して日本を占領しよう」と申し出たのに、中国は「出兵に参加しなかった」ということである。「中華民国」の蒋介石主席は自分が提案した「米中による共同管理」さえ自ら放棄した。なぜなら毛沢東が率いる中国共産党を倒すことに全力を尽くしていて、他国の事などに力を注ぐゆとりはなかったからなのである。
カイロ宣言を出す前に蒋介石とルーズベルトの二人だけの間で「会談」があったことは、一部の関係者や研究者は知っている。ルーズベルトが我々の感覚からすると、あまりに日本をないがしろにした提案をしたことも、研究論文や書籍に出たことがある。
しかし、蒋介石が「琉球群島はいらない」と、ルーズベルトのプレゼントを拒否してしまったことをひどく後悔し、「この密談はなかったことにしろ」と部下に命じたことまでは、あまり知られていない。もちろん、中国人の間では何となく囁かれてはいた。だから筆者もそれを追いかけてきた。
筆者は、この中国側が正式に公表したに等しい「カイロ密談」の内幕を読み解くことによって、尖閣問題解決の糸口が見い出せるのではないかと考えている。
中国は今、「一つの中国」を大原則としている。
ならば、「中華民国」の主席だった蒋介石が国際舞台で言明したことは引き継ぐべきだろう。
日本は決して清王朝が弱体化したのをいいことにしてその「ドサクサ」に紛れて尖閣諸島を掠め取ったのではない。中国の楊外交部長は2012年9月、国連総会においてもこの「掠め取った」という言葉を用いて日本を攻撃した。そして冒頭に書いたように「カイロ宣言」で釣魚島を含む島嶼は日本に占領されたその他の中国領土と共に中国に返還されたと語った。
しかし事実は全く逆だった。
1943年11月、カイロ密談が行われていたとき、中国(当時の「中華民国」)は権力の絶頂期にあった。世界の三大強国として米英とともにカイロに集まったほどなのだ。
もし中国がこのとき「尖閣諸島=釣魚島」に関心を持ち、それを「欲しい」と言えば、100%、ルーズベルトはそれを承認したはずだ。それどころかルーズベルトが「琉球全体を中国にあげるよ」と言っているのに、中国が「いらない」と言ったのである。
また「カイロ宣言」にある「一切の島嶼」の中に琉球群島(沖縄県)が入っていない根拠を、中国にっとって最も権威ある「中国共産党新聞網」と「新華網」に載せているのだから、現在の中国政府が認めたということになる。
尖閣問題に関する中国政府の「矛盾」はまだある
中国共産党は、この二つの事実において大きな自己矛盾を来していることを認識しなければならない。
実は、中国政府が自らのメディアを通して尖閣諸島問題に示した“意外な姿勢”は、これだけではない。
1949年10月1日に誕生した中華人民共和国(現在の中国)は、中国共産党の機関紙である「人民日報」に、「尖閣諸島を沖縄県の所属と認めた」うえで、「いかなる国際協定もこれらの島嶼が日本のものではないと規定したことはない」という周恩来(元)首相の言葉を明記しているのである。これに関しては、一部は外務省のホームページにも出ているが、より深い内容を次回にご紹介したい。
(筆者は、この「カイロ密談」を含めた一連の情報を中国が認めて、威嚇行動をやめることを望む。そして安倍内閣には、これらの情報を最大限に活用し、尖閣問題の平和的手段による解決を図ることを切望する)